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2024年2月22日

今回の帰国はひょっとしたら最後にならないとも限らない。二カ月間の滞在先はほぼ東京だが、弘前、大阪、福岡をどのように縦断しようか、体力は持つだろうか。どのような旅程を組もうかと考えていたここ数日だった。

福岡には、5年ほど前まで横浜に住んでいたおじが自ら探して入った高齢者施設があり、そのおじが入院しているとの話がしばらく前に耳に入った。妹夫婦と是非とも訪ねなければならないと思っていたのである。

わたしは思春期真っ盛りの15歳の1年間、当時は東京から大阪に転勤していたおじおば夫婦と住んだことがある。彼ら夫婦に子供がまだいなかったので叶ったことなのだが、わたしと血のつながりがあったのはおじではなく、我が母の妹であるおばのほうだ。

石油会社のエンジニアだったおじは江戸っ子だった。わたしの小学生時代におばと弘前を訪ねてきたおじを通してわたしは都会の匂いを大いに感じたものだ。それはわたしの都会への最初の憧れであった。いつ頃からかわたしはいつの日にか都会へ出ようと夢見るようになっていた。

中学2年の冬休みに家族に無断で夜汽車に乗り大阪へ一人向かい、以後の1年間を共に過ごさせてもらったのである。これについては、下記に綴ってある。

・夜汽車に乗って:我が青春の「急行日本海」(1)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1184.html

夜汽車に乗って:我が青春の「急行日本海」(2)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1185.html


大人になってわたしは再び大阪に出て10年程を過ごしたが、その時はおじ夫婦には一人息子が生まれ東京、福岡と転勤を繰り返していた。わたしは時々、東京のおじたちを訪ねたものだ。アパートの家財道具を一切売り払って、アメリカ留学をする前も、今の夫と結婚してポルトガルに渡る前も、わたしは一か月ほどを東京のおじ宅で過ごしている。おじにはちょっとした秘密も打ち明けて相談にのってもらったりもした。

おばが亡くなった後も帰国時には妹と二人して、時には我が東京息子やモイケル娘も連れて会いに行ったものだ。横浜の自宅に住んでいた頃は、ポルトからしょっちゅうおじと電話で話すよう心がけたが、施設に移ってからはガラケーしか持たない人だったので、それが難しくなってしまった。

3月には会いに行くぞ!と決めていた。今朝、所沢の妹からおじの訃報を知らされた。わたしたちは間に合わなかったのだった。

母は9人兄弟だったが、大東亜戦争で戦死した母の兄はわたしたちが知らないおじだ。残ったおじたち、そしておばたちの連れ合いも含めたわたしたちの7人のおじはみな逝ってしまった。

You must believe in spring

おじを偲び、今日一日中聞いていた曲だ。
絶望的な冬を迎えても春は必ずやってくる。



読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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