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2023年9月28日
 
そろそろ読み始めなければなるまいと、今週から始まるマリアさんの日本語教材、作家乙一氏の短編集を開いた。最初に「Calling You」とある。

むむ?ひょっとして「バグダッド・カフェ」でも出て来るかな?と読み始めると、おお!5ページ目に「バグダッド・カフェという映画に使われていた綺麗な曲がいい。美しい和音でわたしを呼んでくれる」と、しっかり書かれてある。Calling Youは携帯電話を持たない女子高生の主人公が想像の中の携帯電話に設定する着信メロディである。

「バグダッド・カフェ」はアメリカ映画の邦題で、原題は「Out of Rosenheim」。映画は1987年に公開された。Calling YouはJevvette Steeleが歌うその主題歌で、映画も歌もわたしは気に入っている。

Bagdadcafe.jpg

♪A desert road from Vegas to nowhere
Someplace better than where you`ve been
A coffee machine that needs some fixin`
In a little cafe jeust around the bend

作品にこの題が付けられているからには、もしかして映画と歌にも物語のヒントがあるかもしれないと思い、授業はまず、この短編の題から入っていこうと思った。私同様、映画好きのマリアさんなので、あるいはこの映画を見ているかもしれないが、そうならそうで色々話も弾むであろう、と、念のため映画のあらすじを準備して、昨日は授業に入ったのである。

さて、このバグダッド・カフェだが、わたしにはこれに絡んだ思い出話がある。我がモイケル娘が中学生になった頃だから、かれこれ20年以上前にもなろう。日本語口語上達ツールのひとつとして、当時ブームになっていたチャットルームなるものへ娘の出入りを許していた。

許したのだが、チャットボディガードと称して娘の横にぴったんこくっついて、チャットのなりゆきは全て読んでいたのであった(笑) 果ては、「こんな人にはこう言ってやりな、ぎゃははは」と見ていただけでなく、横から口も出していた母ではあった。

そうして、母子二人お世話になり、時にはわたしがホストの代理を務めたりした和気あいあいの我らが「不夜城チャットルーム」も有料化される段階で解散したのだが、メンバーにそそのかされ、結局、自分がホストとなり、「カフェ・バグダッド」なるチャットルームをYahooで開いたのだった。もちろん無料である。部屋の名前は、大好きな映画「バグダッド・カフェ」をポルトガル式にした「カフェ・バグダッド」。うっかりその名前に釣られてアラブ系の人が入室してくることもあった。

カフェ・バグダッドもやがて私の時間が融通がきかなくなり結局閉鎖し、何人かのメンバーとはFacebookでつながるようになったのだが、不夜城、カフェ・バグダッド二つのチャットルームのメンバーの思い出を語りたい。以下、2016年の日記「別れを告げる」から。

「別れを告げる」

インターネットの世界は刺激的である。
瞬時に情報が得られるのは大きな魅力だ。しかし、色々な事件やスキャンダルを目にしては、時に大きな不安にかられたり、イライラしたりするのも事実だ。そして、もしもこのツールがなかったら、わたしのポルトガルでの日々の生活はもっと心穏やかだったのではないかと、思ったりもする。

ポルトガルに来た頃は、今のようにインターネットが一般的に普及していなかったがため、多くを知らされずに済んだのである。知らない、知らされないということは、毎日の自分の生活以外に心を乱されないということだ。

多量の情報が世界中から放たれ、それらのニュースを見聞きしてはわたしたちは一喜一憂する。知らない方がいいと言うつもりはないが、それら多量の情報にズルズル引きずられては、イライラしたり不安になったりするのである。一度その便利さを知ってしまうと、ネット世界を自分の生活から切り離すことは、実はできそうでできないが困る点でもある。

しかし、インターネットはマイナス面もあるが、勉強したいと思う人には、格好の世界でもある。ひとつの出来事に対して賛否様々な意見を探ることができる。後はそれを咀嚼して自分がどう思うかだ。その利点に魅せられて、ネットをろくすっぽ知らないわたしが、娘の手引きをきっかけに、なんとか自分なりに使えるようになり、ネットサーフィンをし始めてから15年にはなる。ニュースにしても、かなりな日遅れの新聞を読むのとは違い、ネットで即、得る情報には臨場感があるというものだ。

インターネットの利点のもうひとつに、20年、30年と音沙汰が絶えていた友人知人と巡り合えることがある。わたしはこれまでにこの経験を何度もしている。これもまた懐かしく嬉しいことだ。

人との巡り合わせと言えば、今では古い言葉になってしまったが、チャットや掲示板、ブログ等を通してインターネット上で知り合う、「ネ友」の存在もあげられよう。そんな顔が見えないのは友達と呼べないだろうという意見もあろうが、わたしの場合、そうした経緯を経て友達になった人が現に何人かいて今も交友が続いていたりする。

なにしろ日本とポルトガルのことゆえ、簡単に「じゃ、今度一度お会いしましょうか」と言うわけにはいかないが、それが却っていいところもあったりするのである。もうひとつ、わたしは年齢を隠さないでそのまま伝えるので、色目を使って近づいてくる異性の対象にはならないことだ。残念な気持ちもなきにしもあらずだが(笑)

しばらく前のことだ。10数年来のそのネ友のひとりの誕生日だった。「まちゃ、お誕生日、おめでとう!このところ、あまり見かけないけど(ネット内で)、元気にしてる?」とメッセージを残した数日後、そのご兄弟と友人だと言うひとから、「昨年脳出血で他界しました」との連絡を受けたのである。

他界?わたしの息子と言ってもいいくらい、まだ若かったではないか。プライバシーがあるので彼の個人的なことは書けないが、チャットで知り合ったころは家族と自分自身の問題を抱えていて、そこから抜け出せないままだったことも想像できる。

「ママに(ネット仲間内では最年長者のわたしは、みなからそう呼ばれていた)一度は会ってみたい。今度帰国した時は、大阪までがんばって出て行くから連絡して」「うん、そうだね。」と言いながら、結局、この3年ほどは大阪へ足を運べなかった。10数年来のネ友でありながら、一度も顔を合わさなかったのである。

わたしよりずっと若いのに、先に逝ってしまうのは失礼千万だぞ、と騒いだ心中で呟きながら、会ったところでわたしはどうという人間でもないが、彼に会いたいなぁと言われた年に、こちらが頑張って大阪まで行けばよかったと、会った事のない友を思い、しばらく心が沈んだ。

ずっとそのままにしてきたFBもスカイプも、まちゃ、「チャットルーム不夜城」の思い出をもう一度綴って、君とのCalling Youをそろそろ消すよ。君に別れを告げて、「ママは100までも生きると思うよ」とかつて君が言ってたように、わたしはそれまで頑張ってみるさ。


下記ではCalling You が聴けます。


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