2023年09月22日 (金)
2023年9月22日
日本から本を送ってもらうのも、ポルトガルでは税関を通し通関税を支払う。それはいいのだが手続きが厄介なのと空港便なのに1カ月以上もかかったりする。下手すると腹立つことに予告なしで返送されるのだ。
それで、子どもたちに本さえも送ってもらうのを諦めた。その代わり、モイケル娘に買いだめしてもらい、息子がポルトガルに帰省するとき、あるいはわたしが帰国したときに持ってくる。今回は、10冊ちょっとの本を東京息子が運んで来てくれた。その中の一冊に随分前から再読したいと思っていた「ラングストン・ヒューズ詩集」がある。

この本はわたしの愛読書の一冊だったが、1978年のアリゾナ留学でアパートの家財道具一切合切を処分するにあたり、他の本と一緒に人にあげてしまった。残したのはジャニス・イアンのソングブックだけだった。何しろ、全財産をスーツケース一つに詰め込んでの留学だった。
さて、ラングストン・ヒューズだが、彼はアフリカ系アメリカ人で1925年、21歳の時に船の下働きの職を得、西アフリカ、ヨーロッパをほぼ無銭で放浪した詩人である。
古本なので少し色あせている。開いて今でも記憶に残っている詩を探してみた。
きもの靴の みぎひだり
両方とも 紐が切れ
だのに 急がにゃならんなら
―― それが ブルース。 「ブルース」
その角を曲がって きみ
きみじしんのなかに
かけこむときは
そのときは わかるんだ
残された角という角を
曲がってきたんだって 「さいごの曲がり」
みんな、云っとくがな、
生まれるってな、つらいし
しぬってな、 みすぼらしいよ――
んだから、掴まえろよ
ちっとばかし 愛するってのを
その間にな。 「助言」
墓場はいちばん
安上がりの 下宿屋だ。
そのうち みんな
いつか そこで 間借り。
金持 貧乏人 おなじ
ように 仕切られる 「下宿屋」
おれは人生ひろいあげ
はこんでいって
おろすんだ
シカゴ デトロイト バッファロー スクラントン
北部や 東部の
どこにでも――
が、南部(ディキシー)はいけねぇ。
訳者は全て木島始氏。
ラングストン・ヒューズのパリ滞在はお金に事欠きずっとひもじい思いをしたようだが、彼の自伝に描かれているパリは、EUの移民受け入れ政策ですっかり様子が変わってしまった今と違い、高校時代にわたしが憧れ、密かに雑誌から切り抜いたパリの町の写真を生徒手帳に挟み込んでいたた街とも重なる。
半世紀を経て再び手に取ったラングストン・ヒューズ、木島始の訳詩は心に響いてくる。いいものは時を経ても決して死なないのだ。
ではまた。
本日も読んでいただきありがとうございます。
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日本から本を送ってもらうのも、ポルトガルでは税関を通し通関税を支払う。それはいいのだが手続きが厄介なのと空港便なのに1カ月以上もかかったりする。下手すると腹立つことに予告なしで返送されるのだ。
それで、子どもたちに本さえも送ってもらうのを諦めた。その代わり、モイケル娘に買いだめしてもらい、息子がポルトガルに帰省するとき、あるいはわたしが帰国したときに持ってくる。今回は、10冊ちょっとの本を東京息子が運んで来てくれた。その中の一冊に随分前から再読したいと思っていた「ラングストン・ヒューズ詩集」がある。

この本はわたしの愛読書の一冊だったが、1978年のアリゾナ留学でアパートの家財道具一切合切を処分するにあたり、他の本と一緒に人にあげてしまった。残したのはジャニス・イアンのソングブックだけだった。何しろ、全財産をスーツケース一つに詰め込んでの留学だった。
さて、ラングストン・ヒューズだが、彼はアフリカ系アメリカ人で1925年、21歳の時に船の下働きの職を得、西アフリカ、ヨーロッパをほぼ無銭で放浪した詩人である。
古本なので少し色あせている。開いて今でも記憶に残っている詩を探してみた。
きもの靴の みぎひだり
両方とも 紐が切れ
だのに 急がにゃならんなら
―― それが ブルース。 「ブルース」
その角を曲がって きみ
きみじしんのなかに
かけこむときは
そのときは わかるんだ
残された角という角を
曲がってきたんだって 「さいごの曲がり」
みんな、云っとくがな、
生まれるってな、つらいし
しぬってな、 みすぼらしいよ――
んだから、掴まえろよ
ちっとばかし 愛するってのを
その間にな。 「助言」
墓場はいちばん
安上がりの 下宿屋だ。
そのうち みんな
いつか そこで 間借り。
金持 貧乏人 おなじ
ように 仕切られる 「下宿屋」
おれは人生ひろいあげ
はこんでいって
おろすんだ
シカゴ デトロイト バッファロー スクラントン
北部や 東部の
どこにでも――
が、南部(ディキシー)はいけねぇ。
訳者は全て木島始氏。
ラングストン・ヒューズのパリ滞在はお金に事欠きずっとひもじい思いをしたようだが、彼の自伝に描かれているパリは、EUの移民受け入れ政策ですっかり様子が変わってしまった今と違い、高校時代にわたしが憧れ、密かに雑誌から切り抜いたパリの町の写真を生徒手帳に挟み込んでいたた街とも重なる。
半世紀を経て再び手に取ったラングストン・ヒューズ、木島始の訳詩は心に響いてくる。いいものは時を経ても決して死なないのだ。
ではまた。
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