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2023年7月12日 

国際間でも迅速に用事が済ませるEメールの出現以来、日本やアメリカの友人から航空便の手紙を受け取ることがなくなった。40数年も前、ポルトガルに来た頃は、郵便受けに赤と青色に縁どられた封筒を目にするたびに嬉しくて心が躍ったものだ。

わたしは大阪時代はオフィスで英文タイピストでもあったので、その仕事から離れて何年も経っていたとは言え、パソコンが普及し始めるとキーボードを使うのに苦労がなかったので、Eメールもすぐ使い始めることができた。

が、わたしの高校時代の同窓生たちや同年代の友人全員がメールアドレスを持ちパチパチとキーボードでメールが送れるわけではない。むしろ、「このメールを打つのにこんだけの時間がかかったよ」と言う友人が多かった。
これは、そう言いながらメールなるものに挑戦して近況を知らせてくる友人たちがいた頃、かなり昔の話ではある。


ポルトガルに定住して以来、わたしは3度住所を変えた。最初の6年間は夫の母や夫のおば達と同居をし、家の中はわたしが知らなかったポルトガル語、英語、日本語が飛び交っており、息子はそんな環境で小学校に上がるまで育った。 

モイケル娘が生まれることにあたり、同じ通りの同じ側、20メートルばかり離れた、まさにスープの冷めない距離にある築70年ばかりにもなろうかと思われる3階建ての一番上の借家に移った。小さな庭付きである。それが二度目の住所。この通りは緩いカーブになっており、義母の家のベランダと玄関がその借家から見えるのであった。モイケル娘はその家で16歳まで育ったのである。

三度目の住所が、現在住んでいる4階建てのフラットで、これが我が終の棲家である。フラットを買うにあたり、当時既に10年来寝たきりの義母の家から遠く離れるのは何かと不便があるのと、長年この通りに住んでいる日本人なので、こちらは知らなくとも周りは皆わたしを知っている。いざと言う時には、言葉の問題で困るかも知れないわたしにとって、この地域は安心感がある。それで、結局我が終の棲家もほとんど同じ通り、という事になってしまった。

さて、義母と同居する独身の義兄が、ある日、わたし宛のものだと言って赤と青の斜線が入った一通の手紙を持ってきた。航空便である。見ると、義母の住所のわたし宛になっている。

いったい誰が、と不思議に思いながら封筒にしたためられた筆跡に目を落としたが、わたしはまったく覚えがない。差出人を見ると、「青森県弘前市」と住所にある。名前は「小○セイ」と書かれてあった。

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画像はWikiipediaより

弘前はわたしの故郷だ。脳裏をすぐかすったのが、高校時代の同窓生ではないか?はやる思いで封を切り、その手紙を読み始めたわたしの心は、かすかに震えていた。

手紙には、
    
某年6月22日、早朝5時のFM放送で、偶然あなたのインタビューを聞きました。南高校一期生の仲間として、とても懐かしく嬉しい思いで、高校時代の名簿から住所を探して、突然の手紙を書いています。

記憶の彼方から色々な名前がぼんやりと浮かび上がってくる。

高校でのわたしたちは第一期生であった。団塊世代のわたしたちは、一クラスが45名ほどの全7クラスで、弘前南高校の歴史はそこから始まった。

丸一年間、全校生徒320名ほどの一期生は、今でも名前と顔が一致しないことはあるが、ほぼ全員の名前はうっすらと記憶の中に印刷されている。写真付きの名簿を見ると、すぐに思い出すことができるのだ。

高校を卒業して以来、ほとんど故郷の両親の元へ帰ることがなかったわたしは、長い間「行方不明」と名簿に書かれていたであろう。その名簿に、わたしの一番最初の住所が載せられたのが、いつなのかわたしは知らない。

弘前に住むおじの双子の息子が、同じ南高校に入り、彼はPTA会長の役を担ったことがあったのだそうだ。その時に、何かの拍子でいったいどこへ行ってしまったか、誰も行方を知らないのが自分の命であるわたしだと知り、わたしの住所をおじが名簿に登録したそうである。これは、ずっと後になって、わたしがおじから直接聞かされた話だ。おじからすればわたしは最初の姪にあたる。

わたしは、この当時、36年ぶりで「指とま」のいうサイトで偶然コンタクトを取ってきた京都に住む同窓生がわざわざコピーをして送ってくれた写真入の卒業名簿を開いた。

あった!32ホームルーム、小○セイさん!
わたしは36ホームルームだったが、あぁ、覚えてる覚えてる。

この時のラジオ出演はほんの5分ほど。しかも早朝5時で、FM東京である。大阪の仲間からは、「FM東京は関西では聞けへんで」と言われ、わたしは日記にちょこっとアナウンスしたきりで、放送局に全国で聞けるかどうかを確認もしなかった。これは、なんと言う偶然だろう。

20年前の住所に送られて来た、40年前の同窓生からの手紙を手にして、じ~んと熱いものがこみ上げて来たのだった。

モンテルランの言葉が、この手紙を通してわたしに囁く。

人生を前にして、ただ狼狽するだけで、無能なそして哀れな
青春。だが今、最初のしわが額に寄る頃になって得られるのが、
人生に対するこの信頼であり、この同意である、
「相棒、お前のことならわかっているよ!」
と言う意味のこの微笑だ。
今にして人は知るのだ、人生は人を欺かないと、
人生は一度も人を欺かなかった。


既に50代60代のようなエネルギッシュな生き方はできないけれど、75年間人間をやってきて、今もわたしは生きている。わたしのラジオインタビューを耳にして手紙をくれた32ホームルームの小○セイさん、どうしていますか?シマ、タコくん、工藤くん、三上くん、みんなどうしていますか。無事コロナ禍を乗り切れましたか?

この20年ほどで我がメールアドレスも変更し、彼らのメールアドレスも不確かだ。確実な住所を知っている同級生の一人に長年ぶりで手紙なるものを書いてみようかと思っているこの頃だ。

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