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2022年7月4日 

今朝はいつもより早めに目が覚めて7時少し前に散歩に出た。まだ誰も歩いていないいつもの散歩道をとっとっとと歩いていると、ふと空の景色に目を引かれた。羊雲を抱え込んだの朝の夏空だ。こんな空を遠い昔に見たことがあるな。中学生の頃だろか、と思いを巡らしながらカメラに収めて見た。

June-sora1.jpg

何気なく後ろを振り向くと、旭日が放射線の光を放って私の背中を照らしていた。
june-asahi2_1.jpg

早起きは三文の徳というが、何だかいい拾い物をしたような気分だった。

羊雲と言えば、向田邦子の「空の羊」という古いドラマを思い出す。わたしは向田邦子の文体が好きなのと、彼女が描く昭和初期の時代がわたしの子どものころの記憶と重なる部分があって懐かしく、彼女の短編集を手にして以来のファンである。彼女が1981年に台湾の飛行機墜落事故で亡くなっているのは残念だ。

ドラマ「空の羊」では、三人姉妹の吃音性の三女が、詩の朗読の練習をしている場面がある。それが「空の羊」と言う詩なのだが、朗読を耳にした時、「あれ?この詩、西城八十の詩風みたいだなぁ」と思い、調べてみると、なんと!ズバリだった。

「空の羊」  西城八十

黄金(きん)の小鈴を頸(くび)にさげ
唖の羊は群れ過ぐる。

昨日も今日も夕月の
さむきひかりの丘の上。

ありし日君とうち仰ぎ
青き花のみ咲きみちし、

空はろばろとわかれては
悲しき姿(かげ)のゆきかよふ。

ちぎれて消ゆる雲なれば
また逢ふ牧は知らねども、
こよひも寂し鈴鳴らし
空の羊ぞ 群れ過ぐる。


七語調の律を持つ日本の詩は美しい。西城八十の詩については、もうひとつ、記憶している詩がある。文庫本宮部みゆきの「R.P.G.(Roll Play Game)」の最後の場面で詠まれるのだが、その場面を抜粋してみよう。以下、引用。

取調室の床いっぱいに落ちた、無数の羽根のような感情の残滓。一美(かずみ)の掌から舞い上がった心の断片。嘘と真実。武上の目の裏で、そのイメージが、頼りない蝶の羽ばたきと重なった。寄る辺なく孤独で、真っ白で。
「やがて地獄へ下るとき・・・」わずかに抑揚をつけて、呟くように徳永が言った。
「そこに待つ父母や友人に、私は何を持っていこう」
「何を持っていくんだ?」
「え?確か・・・・」徳永は考えた。「あおざめ破れた蝶の死骸・・・」


やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人にわたしは何を持って行こう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだろう。
そうして渡しながら言うだろう。
一生を
子供のように、 さみしく
これを追っていました、と。

父母や友人たちが待つ場所を「地獄」とうたうところに意外性があって、夢を追う人の一生の儚さ、淋しさが摘み取られる心に残った詩のひとつだ。西城八十にはこんな詩もある。小説「人間の証明」に出てくる「ぼくの帽子」だ。

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。


本やドラマ、映画の中で、自分が忘れかけていた詩に出会うのは嬉しいものだ。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。


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