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2021年10月19日

前回の続き、エリゼ・ヘンスラーについて。

ドン・フェルナンド2世は1885年に69歳で亡くなります。遺言で、シントラにあるムーア人の城やペナ城を含む森など自分の全財産をエリゼに遺すのですが、これは騒動になったことでしょう。何しろ外国人の元庶民です。

夫、ドン・フェルナンド2世の死後、エリゼはこの小さなシャレーに住みますが、遺産として受け継いだ上記の二つの城はドン・カルロス1世(ポルトガル王国最後から二人目の暗殺された国王)によって、エドラ公爵夫人ことエリゼ・ヘンスラーから買い取られ王国のものになります。同時に、エリゼはシントラのシャレ―を去り、彼女が18歳の時に産んだ一人娘のアリスとアリスの夫とともにリスボンに住みます。

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後年のドン・フェルナンド2世とエリゼ(Wikiより)

1929年にエリゼは92歳でリスボンにて生涯を閉じます。ポルトガル最後の国王だったドン・マヌエル2世と、前ドナ・アメリア王太后は1910年の革命で当時はイギリス、フランスへ各々亡命しており、ブラガンサ王朝は崩壊し、ポルトガルは共和国になっていました。亡命先からの王家の帰国は禁じられていましたが、庶民出身とは言え王家とゆかりのあるエリゼの葬儀には二人とも代理を送り、かつての王妃に礼を尽くしています。

エリゼは自分の墓石について遺言を下記のように遺していました。

縦横4メートルの土地を買い シントラ山頂にあるのと同じ十字架(Cruz Altaと呼ばれる)を墓石のトップに置くこと、十字架のサイズは墓地の大きさに比例しること、墓石には「ここにドン・フェルナンド2世王の寡婦、眠る。1836年生誕」と刻むこと。

condess_edla
シントラ山頂の薔薇十字です(Wikiより)登山できますが、わたしはまだ行っていません。

下がエリゼ・ヘンスラーの墓地。リスボンのプラゼーレス墓地(Cemitério dos Prazeres)に彼女は眠っています。

condessa_elda
Wikiより

エリゼことエドラ伯爵夫人に関する記録は少なく、オペラ歌手から王妃になった彼女の生涯に少なからず興味を持つわたしです。

日本には、明治時代に同じく庶民からオーストリア=ハンガリー貴族と結婚して伯爵夫人になった日本女性、クーデンホーフ光子がいますが、彼女は夫の死後、相続した財産を巡り一族と裁判沙汰になるも勝訴して伯爵家を取り仕切ったとのこと。伝記もなく歴史から忘れ去られたようなエリゼ伯爵夫人の生涯について、いつかもう一度焦点をあててみたい気がします。

後年のエリゼ・ヘンラーはリスボンで、ポルトガル王家の滅亡を見ることになりますが、王家のペナ城での最後の様子を次回は載せたいと思います。

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コメント
シントラの山頂に2年前に登り、薔薇十字架も、見ましたが、こんな歴史背景知りませんでした。とても興味深く読みました。
又、機会があったら、シントラゆっくり行ってみたいです。
先日、コメント残しましたが、非公開コメントに、なってしまったようです。💦 FB或いはインスタされてますか?
2021/10/24(Sun) 15:40 | URL | ポルともlove | 【編集
ポルともloveさん
コメント、ありがとうございます。シントラは見ごたえがあると思います。

FBですが、アカウントはありますが、最近はほとんど投稿していないのです。FBは何か問題があった時、きちんと対処しない、自分たちに都合の悪いアカウントは勝手に停止するとの欠点ありと知って以来、少し遠ざかっています。

インスタにいたっては、もう何年も放置状態ですv-408

非公開コメント、気づかずに申し訳ありません。見逃してしまったようです。今後は気を付けますので、コメント欄ではちょっと、という場合はどうぞ、それでお願いいたします。


2021/10/25(Mon) 17:22 | URL | spacesis | 【編集
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