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2021年10月12日 

見知らぬ相手から舞い込んだ数通の恋文をつき付けられ(えへへ。自慢しとったらいかんで~笑)、頑固な我が親父殿に、「こんな手紙をもらって、いったいお前は学校で何しとるんだ!」と、お門違いにもこっぴどく怒られたものだ。高校時代のことである。

こんな手紙というからには、親父殿、宛先人の無断で開封しとったのであろう、いかんぜおとっつぁん。なんでわたしが怒られなあかんねん?と思っても、すぐ手の出る人だったので、恐くて口には出せなかった。そういうところは、まるで向田邦子の父親のような人であった。

パソコン、スマホ時代の今だったら、メールやLINE、その他のSNSを使って告白するのだろうが、タイプされた文字に比べ自筆の手紙にはその人の性格がにじみ出ているようで、封を切るのも胸がときめいたりするものだ。ラブレターではなく恋文と言ってみた。
ラブレターと言うとすぐさま浮かんでくる印象的な一通がある。今日はそれを書いてみようと思う。

何度か拙ブログで書いて来たのでご存知の方もいるだろうが、我がモイケル娘が通っていたのは、ポルトの「オポルト・ブリティッシュ・スクール(Oporto British School)」だった。

幼稚園から9年生までの11年間、この英国学校で教育を受けた。ポルトガル語、ポルトガル歴史、体育授業を除いては、全員イギリス人、もしくはアメリカ人の先生である。

中学生ともなると、子供を本国のパブリック・スクール(寄宿舎のある学校)へ送り出すイギリス人家庭もあるが、小学校クラスはポルトガル人と海外から来てポルトに滞在している欧米人やアジア人との比率が当時は半々くらいであった。

そういうモイケル娘の小学時代にまつわる話である。
え?spacesisさんの恋文じゃないのか?いえいえ、わたしのではなくてモイケル娘への初恋文ですよ(笑)
 
我が家の家庭語はほぼ日本語だったが、モイケル娘は6歳離れた兄貴の影響をかなり受けていたようだ。何しろ今のようにパソコンなど普及する以前の話、日本語と言えば、帰国した友人たちの好意で送られて来るビデオからしか耳にしない時代である。ドラえもん、モーグリなど、ほとんど息子用で、男の子が主人公だった。

そんなわけで、補習校小学校にあがるまでは、モイケル娘は自分のことを「ボク」と呼んでいた。だって、兄貴が「ボク」、ビデオの主人公も「ボク」、我が家へ遊びにやって来る日本人の男の子たちも「ボク」です。

母親のわたしはと言えば、子供たちを相手には「わたし」を使わず、日本式に「ママはね」である。自分のことを「ボク」と呼ぶのだと彼女が思ってもいたし方ないわけで。日本人の大人には何度か、「おたくのお嬢さん、ボクっていってますよん」と聞かされたが、いずれ自分で気付くであろうと、のん気にわたしは放っておいたのだった。

さて、そういう環境のせいかどうかはわからないが、British Schoolでの小学時代は男の子とばかり遊んでいたようだ。

小学校2年生のころのある日、いつもの通りに学校へ迎えに行くと、「リチャードが、ママの作ってくれたお弁当をひっくり返してふんずけた」と言う。(このお弁当については後日に)

リチャードとは同じクラスの金髪でちょっと太った男の子だ。いつも仲良く遊んでいるはずなのにと思い、よくよく聞いてみると、どうやら「ヤキモチ」かららしい(笑)

ヤキモチの原因はこの子だったようだ。

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学校のアルバムのバック・カバーとしてアップされたこの写真は、「世界一周」というテーマで各国の伝統衣裳を身につけて学芸会で日本を案内した時のものだ。

ご両親と日本から来たK君とは喧嘩しながらもとても仲良くしていたようだったが、K君はやがてロンドンに引越ししてしまい、モイケル娘のしょげようったらなかった。

ついでに付け加えると、この学芸会で二人は日本の歌を披露したのだが、その歌があらまぁ、

♪蛙のうたが~聞えてくるよ、グワッ グワッ グワッ グワッ
  ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ グワッ グワッ グワッ グワッ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だ、だれが選曲したのよ^^もっと可愛い歌があるでしょが!と、見に行ったわたしは、頭ガクンとうなだれたのであった(笑)今となっては懐かしい思い出だが。

さて、弁当踏んづけ事件からしばらくして、リチャードからもらったという白い封筒に入った手紙を持ってきたモイケル娘、わたしも一緒に拝見。リチャード君には失礼であったけれど、我が娘、なにしろまだ未成年だったからね。

それは確かに恋文であった。
し、しかしです、リチャード君、普段からあまりお勉強が好きではないらしく、ところどころにスペルの間違いをした形跡が見られたのである。それをちゃんと消しゴムで消せばまだ紳士的なものを、指をなめて消した痕跡が一目瞭然!

間違った言葉の辺りに、唾で消すと残るあのズズ黒さが、歴然と残ってあったのだった。娘の手前、わたしは笑いをこらえるのに苦労したものだ。あれが母親のわたしが知る限り、娘がもらった初ラブレターであった。

リチャード君はその後しばらくすると本国のイギリスへ帰国、2年ほどしてから写真入りの航空便が舞い込んだことがあった。庭を前に、自宅で撮ったという写真にあるリチャード君は、
少し成長していたが、多少太り気味なのは相変わらずだった。娘が返事を出したかどうか、わたしは尋ねていない。

リチャード君の恋文と呼ぶにはあまりにも幼すぎる、いわゆるラブレターもどきを思い出すと可愛いのと可笑しいのとで、今でもクスリと笑いがこみあげる。

女の子が多いクラスだったが男子とくっついて遊んでいたもので、これが後にちょっとした問題にぶつかることになったのだが、この話はまたの機会に。

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写真は、学校のアルバムに掲載された、とてもハンサムで人気があったローラソン先生と戯れるモイケル娘とリチャード君
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