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2021年4月15日

2010年5月に、ポルトから車で2日かけて夫とグラナダに到着し、グラナダとコルドバを訪れたことがある。その際に、予期せずして出会ったロシオ巡礼祭り。後で調べてみたところ、世界的に有名な巡礼祭なのだそうだ。今日はそれを再掲したい。以下。


毎年復活祭の50日後に、聖堂から運び出される「聖母像」を崇めるために、セビリアから70キロほど離れた小さな村Almonteを目指して行くロシオ巡礼団の祭りだ。

アンダルシア地方の近県、セビリアやグラナダだけではなく、遠くマドリッドからも巡礼団は、民族衣装を身に着け、馬や幌馬車、キャンピングカーに乗って何日もかけてこの村に集まってくる。目的地はAlmonteから更に15キロほどの「ロシオ村」の聖堂である。

わたしたちはなにも知らないでたまたまグラナダを出発するこの巡礼団の行列を見る幸運を得たのでした。

ロシオ1
花で美しく飾った幌馬車の行列には思わず目を見張りました。

ロシオ2
このように馬車の行列が果てしもなく続いて出発を待機しています。
ロシオ3

ロシオ4

幌馬車やキャンピングカーで行くのは、この巡礼が同士、友愛団体の仲間同士で、歌い、踊り、祈りながらの数日から一週間も続く旅だからです。
ロシオ5

ロシオ6

ロシオ巡礼たちは町の「聖母像」を担いで一路、ロシオ村を目指します。写真はグラナダのロシオ聖母像と、巡礼行列のトップ。町の名士たちでしょうか。
ロシオ7

グラナダのロシオ巡礼祭りのいわれ 
        
イベリア半島のレコンキスタ(イスラム支配からイベリア国土を奪回するキリスト教による戦い)運動は、8世紀初め、現在のスペイン、アストーリアス地方にある「コバドンガ」の戦いから始まったと言われる。

イベリア半島の「聖母マリア信仰」は4世紀ごろに広く広まるのだが、その後イスラム支配が700年に及ぶ。特にスペイン南部のアンダルシア地方にはイスラム支配の首都が置かれ繁栄した。8世紀にイベリア半島北部から始まった「レコンキスタ運動」が完成するのは、グラナダ陥落の15世紀も終わりで、何世紀にも及ぶ両文明の長い戦いであった。

さて、このレコンキスタ運動の最中の13世紀、イスラム支配の中心アンダル地方の山中でのこと。

ある日、猟師が山に入ったところ、とある木の根元でマリア像を見つけます。それを拾って我が家に持って帰ろうとしたところ、どういうわけか突然強烈な疲労感に襲われ山中で寝入ってしまいます。目が覚めると、マリア像がないのに気づき、急いで先程の木の根元まで戻ってみると、マリア像は再び元の場所に戻っているではないか。

というわけで、1270年ころに、「奇跡のマリア像が発見されたところ」としてその場所であるRocioに礼拝堂が建てられ、以後、「Nossa Senhora do Rocio=ロシオの聖母マリア様」として広く知られるようになった。

聖地ロシオにはこの時期、100万人という信者が集うそうです。ロシオ聖母像に触れると一生を健康で暮らせるという言い伝えがあり、教会から運び出された聖母に触れようと多くの人が教会からこの日だけ運び出された聖母マリア像を取り囲み、手をさしのべます。

行列は町を練り歩き、日が暮れるとフラメンコや花火が始まる。参加者の殆どはロシオ聖母の信者で、祭りが終わると再び来た道を帰って行く。

さて、これはわたしの推察になります。
思うに、レコンキスタ運動最後の仕上げとしてイスラム教徒の主要地、コルドバとグラナダを陥落させるために、キリスト教徒の士気を高めるのを目的に、マリア像の伝説はひょっとすると軍略として作られたものではないか?

ま、野暮なことはやめて、素直にこのアンダルシアの春の宗教祭りを楽べきでしょうかね。

次回は行列のいでたちを写真で紹介したいと思います。
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コメント
なんとラッキーな!
お祭りに遭遇するんなんて!普段の行いがものを言いましたね。
最初は妹とスペインに行きましたがコルドバ
とてもいい街でした。立派なお家が建っていてどこのお家も大きなお庭があって。
 これから過去の記事を読ませてもらいます。
2021/04/16(Fri) 03:03 | URL | ムイントボン | 【編集
ムイントボンさん
コルドバ、いつごろ行きました?
わたしたちはちょうどパテオ祭りが終わったあとで、人も少なくあちこちのパテオを覗くことができました。

アンダルシアはポルトガルからだと地図上からは近いのに、なぜか直行の飛行機がありませんでした。今はどうなのでしょうか。
この時、セビリャを逃したのがまことに残念、できればもう一度行ってみたいですね、夏じゃない時に・・・
2021/04/16(Fri) 17:34 | URL | spacesis | 【編集
コルドバに行ったのは・・・
2007年でした。
私も妹もまだまだ若かった!
ツレは義母と二人でお留守番。
三度の食事を用意して食べてもらったようです。置いて行った食費も半分も使わないで、私が家計を担うよりもツレがやった方が節約できると知りました。しかし、それ以来 台所に立つことは、パスタ、うどん以外ではありません。
2021/04/17(Sat) 23:13 | URL | ムイントボン | 【編集
ムイントボンさん
2007年だったら、私たちの3年前ですね。
行きも帰りも車できつかったですが、その価値がありました。

してみれば、わたしも夫の母と同居していた時は夫を託して、のんびり6,7カ月も息子といっしょに日本滞在しましたっけ。笑 夫の周囲はもう帰って来ないんじゃないかと冷や冷やしたそうです。

もうそういう頼りの人はいませんから、思い切り好きなだけ日本にというわけにもいかないですね。
2021/04/21(Wed) 23:00 | URL | spacesis | 【編集
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