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2021年4月5日

黒板五郎さん、いや、俳優の田中邦衛さんが亡くなられた。21年もの長きに渡ったテレビドラマシリーズ「北の国から」は、我がモイケル娘と何度もビデオで見た作品だが、彼が出演した映画、「学校」のイノさん役も深い印象に残っている。

もし、わたしに資格がありもっと若かったら、夜間学校で働いてみたいとその映画を見て思ったものだ。また、かつて「夜間中学の青春(後記案内)」と言う本を読んだことがあるが、わたし自身も青春期は経済的に苦労のようなものをしたので、その本に感動し、夜間学校というものに興味をもったことがある。

田中邦衛さんの、もどかしいくらいの遅口がまたいい。「学校」の山田洋二監督は田中邦衛さんを「善良が服を着てあるいているような人だった」と評している。それがそのままご本人の顔に出ているようではないか。

今日は「北の国から」の最終回「遺言」を取り上げた過去の拙文エッセイを再掲して、田中邦衛さんをしのびたい。以下。

「海の幸山の幸」

大正14年生まれだった母は9人兄弟であった。

その長兄は太平洋戦争で若くして死んだと聞くから、戦後生まれのわたしはそのおじを知らない。母を筆頭に吉崎家は8人兄弟となり、7人がわたしのおじおばになる。わたしと妹は、このうち二人を除いた5人のおじおばと一緒に、祖母が構える弘前下町の大所帯で幼い頃を共に暮らした。

母のすぐ下のおじは当時すでに結婚していて独立、そして、女姉妹で一番若い縫子おばが東京に出ていて結婚も間もなかったころであろう。

昭和も20年代の頃、日本の地方は貧しく母は食い扶持稼ぎに、なにかとその日の小さな仕事を見つけては家を空けることが多く、留守を守る祖母が母代わりでもあった。わたしはタマばあちゃんの初孫にあたるのだ。

その祖母は、秋になると山菜採りに山に入るのであった。弘前の町からバスで昔なら2時間も走ったのであろうか、岩木山の麓の嶽(だけ)へ温泉に浸かりがてら、キノコ、筍、ワラビなどの山菜を求めて入山する。

祖母が採る山菜は毎秋ごっそりとあり、それらは塩漬けにされ長期保存食料となり、時折食卓に載る。中でも断然おいしかったのは、細い竹の子を入れたワカメの味噌汁であった。

後年この祖母の慣わしを引き継いだのが母と母のすぐ下の弟だ。母もそのおじもその季節になると、山へ入って行った。そしてどっさり採った山菜をカゴや袋に入れては抱えて帰って来る。

だが、面白いことに二人が一緒に同じ場所へ行くことは決してない。それぞれ自分だけが知っている秘密の場所を持っているのだという。

これは釣り人が他には打ち明かさない「穴場」と同じである。おじは釣り人でもあったので、山菜採りがない週末などは、早朝に川へ車で乗り付ける。

やがておじは採った山菜を知り合いの工場に頼み込んで瓶詰め缶詰にするに至った。わたしが帰国する度に、弘前から缶詰の細長い竹の子やワラビなどが所沢の妹宅に届けられるのであった。

母は60を過ぎてからの晩年を所沢にある妹夫婦の家族と共に暮らしたのだが、そこでも近隣の林や森に入って山菜探しが始まり、いつの間にかしっかりと自分の秘密の場所を見出して、秋になるとキノコやワラビを採ってきては所沢のご近所に配るようになった。

毎年それを楽しみにするご近所も出てきたものだ。70半ばまで脚が元気なうちは、弘前の田舎へ帰り毎年のように山での母の山菜採りは続いていた。

母より若い山菜ライバルのおじが先に身まかった時、言ったものである。「とうとうわたしに秘密の場所を明かさないで、あの世へ持って行った。」と。そういう母も生前のおじに自分の持ち場を明かすことはなかったようだ。

母が亡くなった今、祖母からの、いや、恐らくはそれ以前のご先祖様の代からの山菜の見つ方、見分け方、そして秘密の場所の秘伝は母の代で途絶えてしまったことになる。

都会に出たわたしは、母やおじが採ってきては、味噌汁や煮物にした細長いしなやかな竹の子を一度も都会のスーパーでは見かけることがなかった。

母も叔父も隠し通し、あの世まで持っていってしまった二人の宝の秘密の場所はいったいどこだったのか、と考えると、なんだか可笑しさがこみ上げて来る。

そして、そんな可笑しさを胸に留めながら、わたしはいつも、倉本聡のドラマ「北の国から」最終回、「遺言」のワンシーンを思い浮かべる。

生きるのに不器用な主人公、黒板五郎が二人の子供に遺言をしたためる場面である。
「金など欲しいと思うな。自然に食わせてもらえ。」

海の幸山の幸を自ら捨て去り自然の恩恵を受けて生きることを葬って来たわたし達現代人には到底書けない、素朴でありながら、しかし、ずしんとを重みのある遺言だ。

今にして思えば、祖母も母もおじも海の幸山の幸を知る人たちであった。


「夜間中学の青春」
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html

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コメント
素晴らしい~沁みました。
ありがとうございます。

 田中邦衛さんの遺書のシーンは泣きながら観ていたことを思いだします。


 あの口を曲げて唾を飛ばし話す五郎さん忘れられません。


「夜になったら眠るンです」

「人が信じようと信じまいと君が見たものは信じればいい」

「体に関しては、義理なンか忘れろ」

「もしもどうしても欲しいもンがあったら――自分で工夫してつくっていくンです。つくるのがどうしても面倒くさかったら、それはたいして欲しくないってことです。

「疲れたらいつでも帰ってこい。息がつまったらいつでも帰ってこい。国へ帰ることは恥ずかしいことじゃない。お前が帰る部屋はずっとあけとく。布団もいつも使えるようにしとく」

 つまり、世間的にはよくないかもしれんが少なくともオレには、父さんに対しては申し訳ないなンて思うことないから。何をしようとおれは味方だから。


「人にはそれぞれいろんな生き方がある。それぞれがそれぞれ一生懸命、生きるために必死に仕事をしている。人には上下の格なンてない。職業にも格なンてない。そういう考えは父さん許さん」

「人に喜んでもらえるってことは純、金じゃ買えない。うン。金じゃ買えない」


「じゅうぶん使えるのに新しいものが出ると、流行におくれると捨ててしまうから」

「暖房やクーラーをがんがんつけた部屋でエネルギー問題偉い人論じてる。ククッ。あれ変だよね。そう思いません? ククッ。ナアンチャッテ」

「おかしいっていやお前、まだ食えるもンを捨てるほうがよっぽどおかしいと思いません?」


「金があったら金で解決する。金がなかったら智恵だけが頼りだ。智恵と、自分の出せるパワーと」

「お前の汚れは石鹸で落ちる。けど石鹸で落ちない汚れってもンもある。人間少し長くやってりゃ、そういう汚れはどうしたってついてくる」

「悪口ってやつはな、いわれているほうがずっと楽なもンだ。いってる人間のほうが傷つく。被害者と加害者と比較したらな、被害者でいるほうがずっと気楽だ。加害者になったらしんどいもンだ。だから悪口はいわンほうがいい」

 自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」

 五郎さん語録 書き出してみました。
2021/04/09(Fri) 06:45 | URL | ムイントボン | 【編集
ムイントボンさん
このドラマでは、何度見ても涙がボロボロこぼれて仕方がないシーンがあります。大友柳太郎が演じた笠松のじいさんの馬を売った後、酔って五郎さんを訪ね、その馬の話をするシーンですが、堪りませんね。
それとじいさんの葬式での大滝秀治さんの語り。

五郎さん語録、ありがとうございます。
「夜になったら寝るんですぅ」覚えていますよ、このシーン。笑っちゃいましたっけ。
ドラマのテーマソングが頭を離れず色々感じることが多いこの数日です。
2021/04/09(Fri) 17:45 | URL | spacesis | 【編集
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