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2024年1月30日 

今日はネコの思い出話です。
今では2匹のネコになってしまったが、かつては5匹のネコを飼っていた。わたしにとって、ポルトガルの生活は、子育てとネコ飼いの日々でもあったと言える。

その5匹ネコを飼っていた8年ほど前の話だ。
当時、最年長は推定年齢15、6才のゴンタ。人間で言うと80歳くらいに相当するそうだ。白内障でほとんど見えないが、さして広くもない勝手知ったる我が家であるから、ほとんど頭をぶつけずに歩いている。
少し高いところなら、手探りで、いや、前足さぐりで上がったものだ。一番若かったのが8才のトラネコ、おしゃべりゴロー君。(今年18才になる)。老若猫2匹の間に入るのが13才のクルルと12才の黒猫ぺト、そして我が家の紅一点、チビちゃんだった。

いったん飼ったからには最後まで面倒を見るつもりなので、彼らを見送るまでこちらは頑張って生きなければならない^^;、と、思っている。

5匹もいると、些細なことだが問題はある。ネコ同士の喧嘩の仲裁はたいがいゴンタが入ったものだが、どうしてもと言うの時には人間が出る。エサもわれらと同じく日に3回、トイレは三つあるが、これもちょこちょこ片付けたり、洗ったりする。我が家では、夫もしくはわたしのうち、朝、先に起きたほうの一番の仕事が、ネコのトイレ清掃である。

そして、これも困ることのひとつ。

ネコとpc

ちょっと油断すると、pc台は彼らのものとなり、仕事が思うようにできないことだってある。

さて、これら、手のかかることの中で、特に冬場に困ることは、炊飯器だ。

ネコと炊飯器

ねこたちは、わたしたちの就寝時には、台所に置く大きな寝かごで全匹一緒に寝るのだが、二匹が炊飯器が暖かいことを発見したようで、いつの間にかこの上に乗っかってるのである。

ちょうどご飯の保温の空気が出る穴の上に座るので、ご飯が干からびたようになるのと、ネコにとり体に悪いのではないかと思うので、その年はこんな風に工夫してみた↓

ネコと炊飯器2

昔、日本から持ち込んだ「食卓カバー」をかぶせて猫が乗れないようにしたのだ。我ながらいいアイディアだと悦に入っていたのだが、翌朝、起きてみると 「ん?」。見事にカバーが持ち上げられているではないか。

ネコと炊飯器3

そして、ある早朝、ついに現行犯でひっ捕まえた犯人は、ペト!なんとまぁ、しっかり中に納まっている(笑)

Peto.jpg
 
うまい具合に入ったものだのぉ。 これを見せるためにまだ寝ていた夫をわざわざ起こして二人で笑っていたのであった。

う~む、たかがネコとは言、敵もさるもの。次の一手を考えねばと思ったものだ。

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2024年1月29日 春の兆し

今日は4時に台所に立って晩御飯のグラタンの準備。少し材料を変えて、ベーコンの代わりにショウリース(chouriço)と使いナスとミニトマトを切ってのせてみた。

guratan1_1.jpg

これをオーブンに入れるだけで後はサラダを作るのみ。デザートには甘味の煮リンゴを作った。これには塩を一つまみ入れる。これで今晩の献立はOKであ~る。

いつもなら火曜日がわたしの休日なのだが、月曜日の今日は2つの日本語個人授業がキャンセルになり、月火と珍しく連休になったのだ。こういう日は「よし!じゃ、あれをしよう、これをしよう!」などと欲張らないようにしている。そんなことをし始めた日には、結局、一日の終わりころにはくたびれていることになるゆえ。

ただね、こうして早いうちから晩御飯の準備をしておくと、食べるのが時に七時ちょっと過ぎとか7時半になるので、「できたよ~」と台所から声掛けすると、夫から「えーー!まだ7時半にもなっていないよ!どうするの、こんなに早く食べて・・・」とクレームがついたりする。

varanda1_1.jpg

このところ、目をやっていなかったベランダを見てみると、水仙の球根が芽を吹きだしている。

varanda3_1.jpg
 
いつの間にやら温室の如くなっているモイケル娘の部屋(スマン、もいちゃん。笑) 午前中は日当たりがいいので、水差しで増やしたポトスを育てるのにちょうどいい。

varanda2_1.jpg

暖かい日が数日続いているポルト、もう春の兆しが感じられる。春よ、来い。早く来い。そしたら子供たちに、孫のソラ坊に会えるのだ。


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某年某月某日
 
本を読んでいるとき、あるいは映画を観ているとき、その中でドキリとする言葉、記憶にとどめたいと感じさせられる言葉に出会うことがあります。

最近でこそ興味がある映画に出会わないので映画館で観ていませんが、わたしは大の映画ファンで、好きな映画は何度でも繰り返し観るタイプです。でも映画は観る人によって感じ方見方が違うと思うので評論もどきはしません。

かなり古い映画ですが、観たのは近年だという「The Outsiders」が印象に残っており、言語の本も取り寄せました。その中の折に触れては心に浮かんでくる詩をあげたいと思います。

映画は1967年に18歳で作家デビューしたS.E.ヒントン(女性)の同名小説を1983年にフランシス・コッポラが映画化したものです。下のポスターを見ると、パトリック・スエイジを始めトム・クルーズ、ラルフ・マッチオ(空手キッズの主人公)など後のハリウッドスターたちが揃って出演しています。

物語はオクラホマ州の小さな町が舞台、富裕層と貧困層の不良グループがいがみあっています。富裕層グループにリンチにかけられそうになった仲間のポニーボーイを救おうと、ジョニー(ラルフ・マッチオ)は対立するメンバーの一人を心ならずも刺してしまいます。

二人は町から離れた古い教会に身を潜めるのですが、ある日、美しい朝焼けを見てポニーボーイはロバート・フロストの詩を暗唱し、ジョニーはその詩に感銘を受けます。下がその詩です。

「Nothing gold can stay」 by Robert Frost

Nature´s first green is gold,
Her hardest hue to hold.
Her early leaf´s a flower
But only so an hour.
Then leaf subsides to leaf.
So Eden sank to grief.
So dawn goes down to day.
Nothing gold can stay.

萌えいずる最初の緑は黄金だ
その色を保ち続けるのは難しい
萌えいずる葉は花である
しかし、それはわずか一瞬だけだ
 
やがて葉は葉へとおさまる
エデンの園もそれと同じ、年を取り純真さを失い悲しみに沈んだ
そして、暁は終わり今日という一日が始まる

黄金のままであり続けるものはないのだ


フロストの詩が暗唱されるシーン

私たちが持つ純真さ、美しさは大人になるという避けがたい時の流れとともに失われてしまい、どんなものも黄金の輝きを放ち続けることはできない、とフロストの詩は最後に結んでいます。

美しいもの、青春、子供時代ははかないというメタファーでしょうか。
映画の終わりで、二人が隠れ家にしていた古い教会が火事になり、その中にいた町から来ていた子供たちを救い出したジョニーが大火傷を負います。

死に際にジョニー少年は、
あの詩のことをずっと考えていたんだ。あの詩が言っていることは、子供のころはみんな黄金なんだ、若葉の緑のように。すべてがまるで夜明けのように新しくて。大人になっても人生の大切なもの、最初の春のような自然の美しさや純真さ、その「黄金」を忘れないでくれ。「Stay gold」、「輝き続けよ、自分に誠実に生きよ」との言葉をポニーボーイに遺します。

歳を取り人生経験が豊かになると、つい小賢しい世渡り観を身につけがちですが、ジョニー少年が遺した「Stay gold」は、不器用な生き方になるかもしれませんね。

もしわたしが中学生のクラスを担当したら、授業でいっしょに読んでみたいと思われる本の一冊です。
青春時代のようなキラキラした輝きはもうないけれど、いぶし銀てのがあるな、なんて、またおアホなことを考えているのでありますが、貧困層グループの気持ちが哀しいくらいよく分かり、わたしにとっては切ない青春映画です。

スティーヴィー・ワンダーが主題歌「Stay Gold」を歌っています。


ではまた。

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2024年1月24日 

独身で今年81歳になる義兄がアルツハイマー認知症だと夫から聞いたのは1年くらい前になろうか。わたしたちの家のすぐ近くにある亡くなった義母の家でこれまで一人で暮らしてきたのだが、数年前から、わたしは義兄が家族の集いやわたしたちと一緒に食事に出かける時など、ほとんど口を開かなくなっていたので気にかかっていた。あれはこの病の予兆だったのだろうと今では思っている。

料理もしなくなったし、家からも出なくなった。夜何時に寝入るのかは知らないが、起きるのは午後2時3時と言う具合で昼夜が逆になったようだ。

しばらく前から、食糧は夫が買い出しするようになり、今では火の元が危ないので台所のガスコンロは元栓を止めてある。食事については、週1で我が家に来てもらっているお手伝いさんに、この間まで義兄のところを週2だったのを先週からは週3回の通いにしてもらい、彼女に作ってもらうことにした。

車の運転について、も昨年12月に出かけたら危ないと思っていたところを、いつの間にか必携であるべき免許証、車の保険証を持たずしてダウンタウンに行っていたので、夫は説得して車のキーを取り上げた次第だ。本人が納得したかどうかは分からないが・・・

アーティストだったおしゃれできれい好きな義兄が、夫が催促しないとシャワーもしなくなったようだ。ひげも剃らなくなったので、あごひげがかなり伸びて、先週は夫が理髪店に連れて行ってさっぱりしてもらった。

その日の午後、夫が義兄を訪ねると毛布をかけてソファに寝ていたので、ふと毛布をあげてみると、なんとまぁ、上体はパジャマを着ていたが、下はズボンと靴を履いたままだったそうだ。それを聞いて思わず「あっはっは」と笑ったのだが、いやいや、そのうち、笑っては済まされなくなる日がくるであろうと気づいたら、笑いも引っ込んでしまった。

65歳以上の高齢者の6人に1人は認知症を発症すると言われる。この病気の進行を少し遅らせる薬はあるようだが、治す薬は今のところない。

アルツハイマー型認知症、その他の認知症はやがて正常な判断ができなくなるのが普通で、そこが介護の難しいところだろう。わたしが嫌いな(笑)キッシンジャーなどは100歳までボケずに生をまっとうしたそうだが、そういう人はまれだろう。

今日は義兄に今後起きるであろう症状を、できれば掴んでおきたいとネット検索をして、自分の身にこれが起きたら、もうなんもできへんなぁと諦めの気持ちになり、検索ストップ。

人にはあらがえない運命がある。ボケずに長寿を全うする人は幸運だ。できるものならば、その幸運に恵まれたいものだと切実に思ったspacesis。今年は喜寿と迎える。

ではまた。

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2024年1月23日 

土日も授業を入れてあるので、週末の昼食はTake awayか外で食べるかです。先週の日曜日はショッピングセンターのフードコートで、となりました。車で20分足らずのところです。

車を運転しながら、何を思ったか夫がふと「モイケルが日本へ行って今年で20年になるねぇ」と言い出しました。わたしもつい先だってそんなことを思っていたのです。娘20年、そして東京息子は在日生活15年になります。

東京息子は、ネクタイを締める仕事はイヤだと言って、大卒後リスボンで一時期中学生にITの授業をしたりしましたが、結局日本での職を見つけてモイケル娘の大学卒業の年に東京で共同生活を始めました。

モイケル娘の場合は、18の夏に日本へ渡り大学受験、会社勤め、大学院、結婚、娘誕生と、生まれ育った祖国のポルトガルでの時間より日本での時間が長くなりました。

ということは、わたしも拙文ながらブログとやらを書き始めて20年近くになるということです。最初はホームページ開設からなのですが、自分がいなくなった後のおっかさんの寂しさを思ってかモイケル娘がノーハウの手ほどきしてくれました。言うなればホームページ運営は彼女の置き土産なのです。

本日はそのホームページ、ブログ履歴で、忘れないうちの我が記録です。画像はパソコンを通してのものですから画質が悪いのですが、ご勘弁願います。

拙ブログの開始は2006年2月となっていますが、ブログサイト以前に2004年に開設した無料ホームページ「Spacesisのホームページ」がありました。

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サイトのタイトルがいかにも初心者のもので、これではアクセス者が少ないだろうことは今ならわかります。が、もともと、モイケル娘やチャット仲間を対象にした初めてのホームページ(以下HP)でしたから、それでよかったのです。BBS(HP内の掲示板)も備えて、結構盛り上がっていました。

HP運営はブログと違い、無料作成ツールを自分で探して設定しなければならないので手間暇がかかったものの、反面、一つ一つのアイコンを見つけては、これをこんな風にHPで使わしてもらおうと楽しんでいました。

酷い失敗も多々ありましたが、モイケル娘の手ほどきを受けながらなんとか開通にこぎつけ、1年もするとある程度スムースに各記事もあげられるようになったところで、無料の容量を超えそうになり、新たに有料HP「ポルトガル・ロマン」開設に及びました。下はウエブサイト「ポルトガル・ロマン」の各ページの一つ、「ポルトガルよもやま話」トップページ。

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おマヌケのわたし、肝心のポルトガル・ロマントップページの写真を取り忘れていたのでした。

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モイケル娘の日本の大学へ行くまでのいきさつを綴ったページトップ、「めざせ夢、日本の大学」です。

大変でしたぁ。いえ、エピソードを書くのが大変だったのじゃなくて、日本の大学へ行くまでが、です。大変でしたが、この頃は日本の大学の学費、生活費となる仕送りをどうやってひねりだそうかと来る日も来る日も、考えていました。モイケル娘はモイケル娘で父親の説得に頭を悩ましていたのですね。

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30代始め、砂漠の町ツーソンにあるアリゾナ大学でESLコースを取るために半年滞在した時のエピソード。拙ブログのカテゴリにあげてあります。

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アメリカ留学の資金作りのためビアハウスでの歌姫バイト時代の楽しいお客さんたちのエピソード。梅新にあった旧アサヒビアハウス(後にアサヒスーパードライ梅田と変更)も昨年10月をもって開店87年の歴史を閉じました。歌っていた時は、かほどの老舗とは知らず(笑)

オフィスでの給料では貯金もできずオファーされて恐る恐る始めたバイトでしたが、ここは関西の著名人が集い環境もよく、夜9時には終われる実に楽しいバイト先でした。

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子ども時代からの思い出をつづったページ「思い出のオルゴール」。これはタイトルを「思い出のアルバム」と変えて拙ブログ左カテゴリにあげています。

HP時代は、読んでくれるのがほぼ仲間うちという意識でしたので、思いついたまま書きなぐっていましたが、書き直しが必要とされるページが多々あり、いずれ手をつけるつもりでいます。

これらのHP記事は廃止され今では見ることができません。「ポルトガル・ロマン」などは有料だったのに廃止によりすべて削除されたのは、なんだか納得がいかないなぁと思ったものです。

それで、現在のブログに引っ越しと相成ったのですが、このブログはモイケル娘を始め、息子(全部読み通せるかな?笑)そして、孫娘のソラが中学生くらいになったら読んでもらえると嬉しいなぁと願いつつ、これからも続けて行くつもりです。

成長した孫娘に笑われないように文を推敲しなくては、と思う反面、「ばぁちゃん、こんなとこで色々誤字をまき散らしていたんだね。そそっかしいばぁちゃん。」と笑われるのもそれはそれでいいかなぁ、なんて思ったりしますが(笑)

後10年、気の長い話ではあります。

ではまた。

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2024年1月16日 

今年のファイナンシャルプランは、娘ソラの病気による月3回の欠勤予定でたてているので余裕がある、などど、我がモイケル娘が言っております。

モイケル娘から「ソラが風邪ひいた、ソラが熱出した」と聞くたびに、幼児を保育園に預けて働くお母さんの大変さは推して知るべし。

ポルトガルにおけるわたしの幼児子育て時代は、主婦一辺倒でやってまいりましたが、それでも子供たちの英国系の幼稚園学校が家から遠方にあり、自動車道路の設備が整えられていなかった当時は、車での送り迎えに片道1時間はかかったものです。

これが幼稚園から9年生まで二人の子供がそれぞれ12年間、計18年間を送り迎えに費やしました。もっとも登校については、5家族の父親たちが1週間ごとのローティションを組み、こどもたちを車に詰め込んで運んでおり、帰りはそれぞれの母親が、もしくはタクシーを雇って下校させるという具合でした。これがなかったら、40歳近くにもなって、苦しい思いで運転免許などわたしは取らなかったかもしれません。

そんなモイケル娘の余裕の取り方、おっかしいなと思いながら、こちらはこちらで毎日のうっとおしい天気に「今日も雨でうんざりだ~」と言うと、「うんざり」って今ソラが気に入ってる言葉だと言います。

まったくどこで覚えてくるんだかと聞きますと、読み聞かせの絵本に出て来るのだそうです。「お魚ばかりでうんざりだ。かき氷が食べたーい!」絵本のペンギンのせりふです。それを真似て、食事中に突然思い出すんでしょうね(笑)、「ご飯とみそ汁ばかりでうんざりだ」とやる3歳半の孫娘ことソラ坊の言葉の発達には目覚ましいものを感じます。

わたしも子供たちが小さい頃は、よく英語の絵本の読み聞かせをしたものです。もっともそれは幼稚園、学校が子どもたちに持たせる宿題なのですが、これを読み聞かせることで親のわたしも英語の語彙を学ぶことができたところもあります。子供が使う言葉など大人の英語本には出てきませんしね。

さて、次はどんなお気に入りの言葉を仕入れてくれるのでしょうか。

ではまた。

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2024年1月14日 先週金曜日のこと、日本語授業が終わった昼下がり、久しぶりの晴天のもと、歩きに出た。日陰だと冷たい空気にぞくっとするが日向に出ると着ていたカーディガンを脱ぐほどだ。ほんとうにうっとおしい冬の長雨だった。

歩くコースは家のすぐ側にある学校(小5~中3までの公立学校)の横を通り長い下り道を下りて行く。行きは下りだから気持ちがいいのだが帰りは上りになる。ゆるい坂ではあるがわたしにはいい運動になる。

目先は真っ青な空と数頭の馬が解放されている小さな野原だ。この道を下る時はよく木を見上げる。坂道に沿って学校の庭に大木が並んでそそり立っている。木々の間から、木の葉の間から青空をのぞき見るのが好きである。

で、今日もいつものように木を見上げると、わずかの枯れ葉がかろうじてぶら下がってある大きな木の上方に、ん?あれはなんだ?と思われるものがあった。

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丸いボールのようなものだ。子供たちが遊ぶサッカーボールにしてはちょいと違う。ひょっとして鳥の巣であろうか。

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家に帰ってから写真を拡大しネットで検索してみたところ、ぎょえー!ス、スズメバチの巣かも!となった。スズメバチはポルトガル語でvespa asiáticaと言う。

スズメバチに刺されて亡くなったというニュースも聞くではないか。その巣が学校の校庭の木に作られているのはとても危険だ。夫が帰宅した午後、写真を見せて、「学校に知らせた方がいいと思う」と言うと、早速夫は自分の目でも確認しに足を運んでくれ、学校に報せに行ったそうだ。

学校側ではこの話を掴んでおり、既に市に連絡して駆除してもらうことになっていると言う。
スズメバチは強力な毒針を持っていると言われる。黒色はスズメバチを興奮させるのだそうで、日中は、黒髪、帽子、靴、服などは、スズメバチがいるような場所では避けた方がいいとある。

じょ、冗談じゃないですよ。散歩時のわたしは靴こそ黒ではないがだいたい黒服が多い。これは怖いなぁ。

さて、スズメバチの女王蜂だが。
前年の秋に生まれた女王蜂は4~10月頃まで活動し、秋には新女王蜂の候補を産む。そして、新女王蜂は本格的な冬が来る前に新しい群れを作るために巣立ち、別の場所で冬眠し翌春には一匹で巣作りを始める。これまでの女王蜂は自分が産んだ働き蜂とともに一生を終えると言う。(ネット検索語の要約)

とすると、この巣はカラで去年の夏の女王蜂の館であったろう。一匹の女王蜂と一夏の一生。生きとし生けるもののあらがえない運命だ。

新しい女王蜂が活動し始める春先前に、巣がカラか否かを確認してさっさと取り去って欲しいよと思うと同時に、襲われたら怖いが、スズメバチの一生の残骸を見ているんだなぁと、感慨を覚える。

ではまた。

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2024年1月13日 
    
90歳の我が日本語生徒のアルフレッドさんがドイツで一か月ほどのクリスマス休暇を過ごし昨日ポルトに帰ってきた。「12日からお願いします」と既に彼からメッセージをもらっており、2024年度の最初の授業が本日であった。

YY塾はオンライン授業なのだが、アルフレッドさんはパソコンは山からポルトに下りてきた時メールを確認するのみに使用するだけである。彼だけは対面授業で我が家に来てもらっている。

12月に有島武郎の「ひとふさの葡萄」と宮沢賢治の「よだかの星」を読み終えた。今回は、森鴎外の「山椒大夫」を読む予定であったが、言葉の言い回しや語彙が古いので、これはてこずるぞと思った。特に日本語から離れる長い休み明けは戸惑う可能性がある。

そこで、「山椒大夫は少し先に延ばして、今日はこれから読み始めましょう」と、「ぬずびと面(吉橋通夫作の短編小説)」を用意した。

狂言の面打ち師が、これまで誰も打ったことが無いという「ぬすびと」の面をどうしても打てないでいる。このぬすびと面は、狂言の内容からして、「どこか滑稽で間が抜けており、それでも一目見ただけで人を震え上がらせるような顔」でなければならない。

そんなある夜、面打ち師の家に恐ろしい顔をした盗人が押し込む。しかし、どういうわけか、物は盗らず、代わりに赤ん坊を押し付けて行ってしまう。うむと気張った恐ろしい顔の裏に、もうひとつの別の顔があるような気がして、「これや、この顔や!」とその時の盗人の顔をしっかり記憶に刻みこんだ面打ち師は、ようやくノミを振り上げ面を仕上げる。

壬生大念仏狂言の始まるその日に、竹矢来を組んだ特別の場所に、牢屋敷の囚人達も集められると聞き、面打ち師とその女房は、もしかしたら件の盗人もその中にいるかもしれぬ。それなら一目、無事に自分達に育てられている子を見せてあげようと連れて行く。

ところが、肝心のその盗人は、チラとこちらをみただけで、何のかかわりもないという顔をして、うむと気張って座っている。

拍子抜けした面打ち師が役人にその盗人のことを訊ねると、「ちょいと、変わったことをやりよって。」盗んだのではなくて、間引きされそうになった子供を助けて、育ててくれそうな家へ無理矢理押し付けて配って回った、とのこと。

面打ち師は改めて、この世の、どうしても許しておけないことに対する、盗人の、怒りを込めて人々を睨みつけている顔を見、もう一度「ぬすびと面」を打ち直そうと思う。(spacesis要約)

ざっとこういう話なのだが、わたしは補習校の講師時代にこの物語を中1の生徒たちと授業で読んだことがある。物語の中に、、「狂言、竹矢来、奉行所、間引き」などの耳慣れない言葉が出てくるので、なかなか厄介なところがある。が、授業準備の段階で画像、写真を見てもらえるようにと、ネットで検索しながら楽しんでいる自分がいる。
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2024年1月9日

例年だと、ポルトガルのテレビでは必ず北半球でいち早く新年を迎える日本の年越しの様子を放映してきたのですが、今年は日本のではなく中国、それに韓国が加わって、カウントダウンと新年を迎える様子が放映されていました。

ふ~ん、中国の正月は旧正で2月のはずだが今なんでやの?して韓国とはまた?テレビのCMにも中国系ポルトガル人のモデルを結構見かけます。かつては日本人を使ったCMも見たものでした。もっともわたしはその手のCMは気に食わなかったのですが(笑)

このことからわたしが思うのは、ポルトガルに於ける上述2国の進出が日本をしのいだのだろうということです。安倍元首相暗殺後、欧米での日本の扱いは下降しつつあると思うのはわたしの思い違いでしょうか。

それにしても岸田首相は一体何をしたいのかとんと分かりません。ネットニュースやX(もとツイッター)投稿を拾い読みしても母国への不安はつのるばかりでため息をついている新年の始まりではあります。新年から不平不満はよくないゆえ、これはここでお仕舞。

近頃は瞬く間に一か月一年が過ぎて行くような気がしています。人に与えられている時間の速度は同じだと言うのに、こはいかに?と自問しては「歳であろうよ」と返答して、可笑しくて一人笑っております。嘆いていても前に進みません。頭をしっかり働かせるためにも今年も日本語教室をしっかり続けて行こうと思います。

そして、読書をもっと進めたいと思います。藤原正彦氏「自分の頭でじっくり考える習慣や考えの土台となる正しい知識、教養、豊かな情緒は全て読書を通して得られる」と言うようなことを書いています。

元から読書好きのわたしですが、このところ読書量が減っていました。年齢のせいか疲労から来るのか、ベッドに入ると必ず本を開くのですが、30分しないうちに本を顔に載せたまま寝入っていることが多くなりました。
それゆえ、2024年は現状生活、つまり日本語オンライン教室を維持しつつ読書量を増やす、歩くことに目標を置きたいと思います。

今日はかつてあげた「読書」についての拙エッセイを再掲させてください。以下。

「わたしの蛍雪時代」

父は頑固な上に理不尽なところの多い人であった。わたしは密かに父をして、「このクソオヤジ」と内心何度思ったことであろう。わたし達姉妹が幼い頃は、岩手の盛岡競馬場で騎手をしていた人である。よって年中家にいた試しはなく、母とわたしたち姉妹は弘前の祖母の家に、父は盛岡にと、家族別居生活を余儀なくされていたのだ。
   
今でこそ、競馬と言えば花形スターのような趣があるが、この時代は、言ってみれば「ヤクザな仕事」(註:ヤクザの仕事ではないので要注意)だったのではないかとわたしは今思っている。
   
父親が家を留守にしていては収入はなし。母とわたしたち姉妹は祖母の家でなんとか食いつなぐことができた。その父が、少し歳もいって来て体重が増え始めたために騎手ができなくなり、わたしたちのもとに舞い戻って来た。菊池寛の「父帰る」であります^^;
   
それまで母は経済的に苦労したであろうが、祖母の家で大家族と暮らしていたわたしたち姉妹は父親の不在をさほど感じたことはなかった。それが、思春期に入る中学生の頃、ひょっこり帰って来たわけで、父の存在にはいささかとまどいを感じずにはおられなかった。父は定職につけない人で、わたしたち家族の生活は結果的に父が帰ってきたことによって苦しい経済状態から抜け出すということにはならなかった。
   
思春期真っ只中の高校時代は父に対する反抗心を抱えながら、わたしは好きな学課の英語と国語を除いて他は皆目勉強せず、もっぱら図書館から本を借り出して、だたただ読書に熱中しては本の世界に逃げ込んでいた。

「知と愛」「狭き門」「嵐が丘」「谷間の百合」「ボバリー夫人」「チャタレイ夫人の恋人」「若きウェルテルの悩み」「凱旋門」「女の一生」「罪と罰」「人形の家」とあげ連ねてていけばきりがない。わたしはこれでもか、という程に本を借り漁っては何かにとり憑かれたかのように外国文学を読破していった。想像力をたくましくすれば、読書に浸っている間は少なくとも貧困の現実から逃れて自分の精神を自由にせることはできる。

あぁ、それなのにそれなのにぃ~~。ある日理不尽な父は言う。
「女は勉強せんでよろしい。本日より午後10時、消灯なり。」
それはないでしょ、おとっつぁん。
   
その日から夜10時になると、自分は高いびきかいて寝、消灯である。二間しかない埴生の我が家、電源はオヤジ殿の寝る部屋にあるのであって。父の寝静まった頃合を見計らって、月明かりでソ~ッとそちらの部屋へ忍び込み、これまたソ~ッと電源のレバーに手をかけ、挙げようとするとその瞬間!
「くぉら~~!」と、怒声が起きて叱責であります。
いびきかいて寝てたんじゃないのかい・・・

これでは本が読めぬ。そこでわたしは考えた。そして見つけたひとつの方法。それは、細長い木板にろうそくを1本立て、その灯りが父の寝ている隣室にもれないように、ほとんど上布団を被せんばかりにして本を読むことである。なんのことはない、原始的な方法ではありました^^;

こうして読んだあの頃の本は忘れるものではない。なかでも、木板に1本のろうそくという原始的な方法を使ってまでわたしを読書へと駆り立てた一冊の本、それは、レマルクの「西部戦線異状なし」である。

『僕の心はすっかり落ち着いた。幾月、幾年と勝手に過ぎて
 いくがいい。月も年も、この僕には何ももってきてはくれない。
 何物も持ってくることはできないのだ。僕はまったく孤独だ。』

この記を最後に1918年、志願兵パウル・ボイメルは17年の生涯を戦場で終える。

わたしは薄明かりの寝床の中で、この本の、感動して止まない文章を何箇所となく涙をぬぐい鼻をすすりながらノートしたのであった。わたしが若い頃から強度の近眼になったのは、この頃が原因だとわたしは思っている。しかし、それと引き換えに得たものは、「人は本を通してでも、大きく生き方を学び、疑似体験できる」ということだ。

頑固だった父が亡くなって、40年になろうとしている。わたしの蛍雪時代の上にも幾星霜が重なった。

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2024年1月5日

クリスマスから元日まであたふたと忙しく、夫は休みを取っており家にいてはすぐ側に住む軽認知症の義兄の家を行ったり来たりと、落ち着く暇がありませんでした。

そんな状態で今年はつい年末のご挨拶もないまま。どれ、新年のご挨拶をと思ったところに能登半島地震、追い打ちをかけるように羽田空港での海保とJAL機の衝突事故のニュースが飛び込んできました。

明けましておめでとうございます。謹んで新春のお慶びを、という新年の挨拶が大声でははばかれるような雰囲気で、さぁ、書こうか!との気持ちが出鼻をくじかれ、2024年、ドラゴンの年はこのような不安な心地で始まりました。

遅まきながら、拙ブログではありますが、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

一休禅師の狂歌に、

・門松は(正月は) 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

というのがあります。

室町時代、臨済宗大徳寺派の一休禅師が詠んだ狂歌です。ドクロのついた杖をつきながら、新年早々にそんなことを説いては「ご用心ご用心」と歩くものだから、京の町の人々は正月の華やかな雰囲気が損なわれ、うんざりさせられたのだそうな。

カラスの声を聞いて悟りを開いたと言われる一休禅師は以後、詩、狂歌の生活に入りましたが、後年は応仁の乱(1467-1477)で放火や略奪が横行し、町の多くが焦土となった都に身を置いていました。

戒律や形式にあまりとらわれなかったと言われる一休禅師です。正月が来たらまた一つ年をとる。若い者にはそれはそれでめでたいだろうが、年とったものからすれば冥途の旅にまた一歩近づいたんであるよ、一瞬一瞬が作っている今の人生を楽しみなはれと、今年喜寿を迎えるわたしは和尚さんのこの歌の意味をそのように捉えらます。

我がモイケル娘が大学院で日本近世文学を選んだのが、いつのまにやら狂歌に首を突っ込み卒論が狂歌師でしたが、奇抜な行動で当時の仏教の権威や形骸化を批判、風刺した一休宗純もおもしろそうではあります。

一休禅師の狂歌をもうひとつ

南無釈迦じゃ
娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

いやもう、こんな風に今年は生きてみたいものです。

末文になりましたが、地震の被害にあわれた能登半島の方々が一日も早く通常の生活に戻れますようにと願っております。


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