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2023年11月30日 
 
週日の日本語授業は大わらわということもないが、金曜日の夕方と土日はグループ授業が入る。

そこで、週末は昼食支度の時間がないゆえ土日は外でのランチである。授業は夕方もあるので、そうそうゆっくりはできないが、生ビール一杯くらいは飲める。

先週の土曜日には、ダウンタウンにある贔屓のレストラン「Buraco(「穴」の意味)へ行こうとなった。このレストランは、わたしがポルトに来て以来の気に入りの店で、行き始めてかれこれ45年になる。既に拙ブログで下記の様に案内している。以下。

2016年5月19日 ポルトの隠れレストラン「O Buraco」

土日の昼食は外で、がわたしたちの習慣です。

理由はひとつには、家事をこなしながら一方で月曜日から土曜日まで、毎日、日本語教室の仕事もしているわたしですから、土日の昼食作りからは開放されたい。それと、ポルト市内のレストランを食べ歩くのも、楽しみの一つだからです。

もうひとつは、我が家では純ポルトガル料理を作ることはまずありません。どうしても日本料理の味つけになります。夫にしてみれば、苦情は言わないものの、ポルトガル料理も欲しいところでしょう。(と、いいように解釈しているw)

そうした中で通っているうちに、味とサービスが気に入った行きつけのレストランも何軒かあります。
その一つが、ダウンタウンにある小さなレストラン「Buraco(ブラコ)」。意味は「穴」なんですが、その名のごとく、実は知る人ぞ知る穴場のレストランなのです。
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入り口が小さくて、大きな正面看板も出ていないので、うっかり通り過ぎてしまいそうです。が、ここはわたしがポルトに来て以来、夫と時々足を運んできたレストランですから、長年知っているところでもあります。ウイークデイは近辺のサラリーマンで満席になりますが、週末もこの店を知っている人たちがたくさんやって来ます。

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典型的なポルトガルの家庭料理で、値段も手ごろ、量もポルトガルのレストランのどこでも出されるようにバカ多くなく、しかもおいしいと来ています。店内が手狭で、その時間には次から次へと客がやってくるので、ゆっくりできないのが玉に瑕でしょうか。

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今年67歳になるマヌエルさんは12才からここで働いているとのこと、わたしたちが行き始めて37年ほどになりますから、顔見知りですが、上述のように、ゆっくりできないので、わたしたちがここに知人を案内することはめったにありません。


2015年に新聞で取り上げられたレストラン「O Buraco」とマヌエルさん。
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メニューを少し挙げてみますと、

Carde Verde(スープ)  1.50€ 
Saldinha Fritas(揚げ小鰯。上の写真にある) 一皿 6.00€
Carapao Fritos(揚げ小鯵) 一皿  6.00€
Tripas(ポルトの臓物煮料理)   6.00€
Bife à Buraco(Buraco式ステーキ) 6.00€

肉魚は他のポテトフライや豆ご飯等の副食共に、どれも6€(720円くらい)。時間があるツーリストのようにゆったりはできませんが、おいしく手ごろな値段で食べられること請け合いです。

インフォメーション
レストラン「O Buraco」
所在地: Rua do Bolhão 95, Porto


この店には、この間、日本に帰国してしまったI氏を誘ったこともある。セニョール・マヌエルとは顔見知りなので夫同伴でなくても、丁寧に対応してくれるので助かるのだ。

「Buraco」は値段が安い割に美味しいし量も適量なので、普通のポルトガルのレストランでは食べきれずにいつも残す羽目になるわたしが全部食べ終えることができる数少ないレストランなのである。

ダウンタウンという立地条件もいいので、Trip Advaiserなどの口コミで今ではツーリストがわんさか押し寄せるため、Buracoで食事するときはかなり早めに行くことになる。

先週、席に案内してもらってから気がついた。「この前も見なかったけど今日もセニョール・マヌエル、いないわね。病気にでもなったかしら」と気になり、頼んだ食事を持って来た人に聞いてみた。するとまぁ!「セニョール・マヌエルは先月定年退職したんでざんす」ですって!

セニョール・マヌエル、新聞記事に乗ったのが2015年で当時67歳とありますから今年75歳。わたしたちと同年代です。うわぁ、一言改まったお礼をしたかった。上の記事によると、12歳からBuracoで仕事を始めたと言いますから、62年間をひとつところで働きとおしたのだ。

客の注文を受け、それを調理場に流すとき、必ず客から受けた注文を3回繰り返すという彼独特のやり方とハリのある声がもう聞くことがないと思うと、寂しい限りだ。

わたしは11月に76歳になったが、近頃、同世代の著名人や故郷弘前の同窓生の訃報を耳にすることが多くなった。先日も故郷の同級生がメッセージで同窓生が数人集っている写真を送ってきて言うことには、「ソデ、この写真の人たち、誰か分かる?わたし以外はみんな鬼籍に入っちゃたよ」・・・・胸がいっぱいになり、なんだか涙がこみ上げて来そうになった。

世代はこうやって交代していくんだなぁと世の流れをつくづく感じる1件であった。

ではまた。

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2023年11月28日 

昨日の続きです。

石の彫刻家、新妻実(Niijima Minoru)氏について、調べてみました。

東京芸術大学彫刻科を卒業した氏は、後ニューヨークで個展を開き国際的に多くの賞を受けています。ニューヨーク・コロンビア大学で教え、1958年にはニューヨーク・ストーン研究所所長になっています。

1965年には、大理石を使って制作した「眼の城」という独特の作風を確立し、ニューヨーク、ポルトガルを拠点にして国際的に活躍したとあります。ポルトガルはイタリア、ギリシャに次ぐ大理石の世界大産地の一つですからポルトガルとの関係は、大理石にあったのですね。

castelo of the eye_Lisboa1
Wikipediaより。リスボンにあるピンクの大理石で造られた新妻実氏の「眼の城」のひとつ

新妻氏のポルトガルでの活動は1986年から1998年、亡くなる年までしたことになります。アートコレクターでビジネスマンでもあるべラルド財団のジョー・べラルドは、30以上の作品を所有しており、その一部が前回紹介したバカリョア社に展示されていたというわけです。

下記はリスボンのグルベンキアン美術館にある、同じく同氏の作品「眼の城」
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グルベンキアン美術館にあったのが、現在はバカリョア社の庭にある。

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Wikiより。エボラで見られる作品。落書きがされているのは残念でならない。(怒)

新妻実氏の作品をネット検索しているうちに、ポルトにもあることが分かりました。写真の整理が遅くなり、出かけていったのは夏も終わろうかの春の旅行から数か月も後です。

jardim Paulo Vallada_1
Jardim de Paul Vallada、別名Jardin das Pedras(石の公園)という公園で、我が家から車で5分ほどのところです。

作品を大きくしてみました。
jardim Paulo Vallada_2

公園には他にも石の作品があります。

Jardim Paulo Vaallada_3

Jardim Paulo Vallada_4

残念なことに、作品と作者についての説明書きはどこを探してもなし。ネット検索では新妻実氏の作品として大きな石門のような写真が一枚出て来るだけです。いい加減やなと、腹の立つことしきり。なんでんねん、これは。これでは、他の作品も新妻氏のものかどうか若rないではないか。

わたしが思うには、恐らくほかの作品も全部氏の作品であろうということです。というのは、kono
彼の作品にはピラミッドと題するものがあり、この公園に置かれているピラミッドと非常によく似ていると思われ。

jardim_Paulo Vallda3

いずれにせよ、公園に何の案内もないのはいかがなものか?

さて、もう一つ新妻実氏についての間違った情報があります。前回のバカリョア社の庭の案内では、市はポルトガルのシントラで亡くなったと書かれてありましたが、略歴を確認すると、亡くなったのはニューヨークの病院でした(いいかげんだなぁ)。享年67歳。

元はと言えば、氏がシントラで生涯を終えたと言うので興味を持ったアーティストだったのですが、案内のひょんな間違いから氏の色々な作品に出会い、ちょっとした足跡を追跡することになりました。 

ポルトのクリスタル公園にも彼の作品がひとつ置かれてあると言いますので、そのうち行ってみようかと思っています。
新妻実氏については、これにて。

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2023年11月27日 

キンタ・ダ・バカリョアとは少し離れたところにあるバカリョアワイン社は、ポルトガル最大のワイン生産社のひとつだと言われます。1922年に創立され、ポルトガル国内の七つのぶどう産地で採れるぶどうで生産される赤、白、ロゼ、マスカットのバカリョアワイン。その50%は主にブラジル、カナダ、フランス、スイス、アメリカに輸出されます。

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見学コースは、小宮殿の後、ワインケーブを見学してワインの試飲となるのですが、これまにあちこちでワインケーブを見てきたので、わたしは荘園と小宮殿をみることのみ家族に提案しました。それでも、赤、白、ロゼとそれぞれのワインの試飲はできました。ここで、ワイン好きの義弟の誕生日の贈り物として、50ユーロの赤ワインを一本購入、彼の誕生日に合わせて郵送しましたが、気に入ってくれたでしょうか。

さて、実はワインよりもわたしの興味をひいたものがこのワイン社の庭にあったのです。試飲している最中に、目に入ったのが下の写真です。

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一瞬、日本のお墓に似てるんでは?の印象を持ったもので、帰りがけに見て見ました。案内板があり、読むと日本人の彫刻家が作った石庭なのだそうです。

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Niizuma Minoru、世界的に知られた石の彫刻家(1930-1998)、東京に生まれシントラで没したとあります。 う~む、シントラで亡くなられたのか・・・と、一時期休暇になるとシントラに何度も出かけては撮影していたもので、そこで亡くなったことにも興味を持ち、Niizuma Minoru氏について調べたのでした。

次回はNiijima Minoru氏の作品をブログにあげてみたいと思います。
ではまた。

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2023年11月24日

今春、休暇を利用して行って来たワイナリーと荘園、小宮殿の紹介です。

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荘園入口

セトゥーバルのアゼイタォン(Azeitã)にある「キンタ・ダ・バカリョア」。一瞬、バカリャオ(Bacalhau=ポルトガル独特の大きな干しダラ)の間違いじゃないかと思ったおですが、バカリャオに関係がありました。

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↑小宮殿の前には、なんと!ポルトガルの代表的な現代アーティスト、Joana Vasconcelosの作品がで~んと!わたしはこれを彼女のポルトでの展示会で目にしている。それにしても、古い小宮殿と現代アート、ミスマッチだと思うがなぁ・・・

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この館が別名「湖の家」とも呼ばれる所以。

この荘園、館は15世紀にはポルトガル王族が所有していたが、16世紀に入るとニックネームが「バカリヤウ」という伯爵の所有となりその名は今に受け継がれているとのことです。

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館裏のラビリントス

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小宮殿の葡萄畑

20世紀初期、ここを訪れたアメリカ人女性Orlena Scovilla は荒れ果てた小宮殿が気に入り買い取ってできるだけ原形を保つように修繕を手掛けて家族の別荘としますが、第2次世界大戦中はこの館を居にしていました。

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Wikipediaより、廃墟を修繕を手掛けるOrlena Scovilla。彼女自身はアズレージュ(青タイル絵)を担当したと言われます。

大戦中は、5歳から15歳のフランスやユダヤの子どもたちをその家族たち、亡命者などを引き受けこの館にかくまっていました。

Orlena Scovillaは1967年にこの館で没しましたが、その後も60年間この町とScovilla一族との交流は続けられ、今日、荘園と館はポルトガルでも屈指のマデイラ出身の富裕者ジョー・べラルド率いるべラルド財団に属しています。

次回は、この館からマイクロバスで3分くらいのところにあるワイナリーのBalalhoa 社の案内です。

ではまた。

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某年某月某日 

ご近所の誰もが知る名物男の農夫、ジョアキンおじさんが亡くなって3年程になる。朝早くから大声で話す御仁だったのでそのせいもあろうか、この辺りがすっかり静かになって寂しいくらいです。

ジョアキンおじさんが元気で野良仕事をしていた頃は、彼の畑は動物愛護協会のボランティアたちから野良猫のコロニーと呼ばれ、わたしもボランティア活動の一環として毎晩の餌時には二皿三皿運ぶこともありました。

その野良猫たちが、気がつくといつの間にかかなり数が減っており、あれ?と思っていたのだった。それもそのはず、土地成金の小金持ちジョアキンおじさんの畑の真ん中を市道が通ったのでした。

市道と畑を仕切るのに、こんなに高くしなくたって・・と思われるほど高い石塀を建て、聞くところによると、塀の向こう、つまり畑側は地面が道路よりずっと低地になっているのだそうな。

それはジョアキンおじさんの案で、ドロボーが塀を乗り越えて入っても、内側から簡単には這い登れないようにしたのだとか。ジョアキンおじさん、これじゃ、猫もそう簡単に出入りできないでしょ・・・

家畜小屋には今時このあたりでは珍しくブタと鶏を飼っているのです。で、どうやら寒い時は猫たちもそこを宿にするようです。

お金持ちのジョアキンおじさんは、我がフラットの斜め向かいにカフェを持ち、そこをダイニングルーム代わりにしているのですが、ちゃんとした大きな家を近所に2、3軒持っております。そのひとつがわたしたちの住む同じ通りの角っこにあります。

さてある日の事、夜も11時を過ぎ、いつものように2、3匹になってしまった野良猫たちにご飯を運んでいきました。その日はどういうわけか、呼んでも猫たちが現れません。畑からの帰りがけ、ジョアキンおじさんの家の庭をちょいと覗いてみました。

ん?いつの間にか広かった庭が狭くなり、車庫に引っ付いてアルミサッシとガラスを使った高い小屋のようなものができております。曇りガラスが使われており、「へぇ~、なんでまたこんなのを?」と不思議に思い、目を凝らしてみると、ふむ・・中でなにかがたくさん動いているような気がしたのです。

噂では結構お金を出したがらないお方らしい。そんなジョアキンおじさんが、いくらなんでも野良猫たちのためにこんな小屋を自分の家の庭に造ったわけではあるまい。しかし、小屋の中で何かが動いているのは間違いない・・・

そこで、翌日当時週に二回我が家に掃除をしに来てくれるベルミーラおばさんをひっ捕まえて聞いてみました。

「ドナ・ベルミーラ、ジョアキンおじさんの庭に新しくできたあの小屋の中、何か生き物が入っているようなのだけど、まさか猫たちじゃないわよね?」
ベルミーラおばさんは、実によくご近所のことを知っており、「ペドローソス新聞(ペドローソス=わたしたちが住む区域)」との異名をとっております(笑)

ベルミーラおばさん、その言葉を聞くや、待ってましたとばかりに手にしていた掃除機のホースを放り投げ、「オ・ドナ・ユーコ!」と言うことにゃ、

つい先だって、あの高いレンガ塀を乗り越えて、ジョアキンおじさんの畑からブタと鶏20羽を盗んだヤツがいたのだそうな。

わたし  「あら、ブタは騒ぐでしょ?」
ベルミーラおばさん 「それが ドナ・ユーコ。そのドロボー、ブタをその場で
             見事に始末して、持っていったのですよ。」

ベルミーラおばさん 「それでね、セニョール・ジョアキン、すっかり怒って、
             自分の家の庭にあの小屋を造って畑からブタと鶏を
             移したんでやんス」

わたし 「う、移したって・・・だって、あんなとこで飼ってたら畑と違い、匂いが
      ご近所迷惑ではないの?第一ブタはどうしたのよ?

メルミーラおばさん 「ブタはね、車庫なんざんス!」

えーー!車庫にブタってあぁた、聞いたことありませんぜ・・・車庫に入れる車を持たないからってジョアキンおじさん、なんぼなんでもそりゃないぜ。それに、町の家の庭でそういう家畜、飼えないと思うがなぁ、と言うと、
ベルミーラおばさん、

「だから外から見えないように曇りガラスでゴマカシテルですよ。ドナ・ユーコ!」
なるほど、ブタは車庫で鶏はそれに隣接して作らせた曇りガラスの小屋の中ってことか(笑)

いやはや、ブタをその場で始末して盗んでいくドロボーもドロボーだけど、ジョアキンおじさんのドロボー対策もなんだかなぁ^^;こんな面白話もジョアキンおじさんがいなくなってから、聞くことがなくなりました。

おもしろきこともなき世をおもしろく。高杉晋作殿よ、ジョアキンおじさん、これを知っている人でもあったのでしょうかね。

ではまた。

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2023年11月20日
 
しばらく前にあげた片道切符の君ことI氏は本日とうとう母国へ旅立ちました。長い海外生活後、70で母国へ帰りこれからしばらくの間生活基盤を築き上げることになるます。

ポルトにいる彼に書く最後のメールになるだろうと思いながら、時々連絡をして欲しいこと、春には日本で再会したいこと等をしたためて、メールを送りました。

こちらで希望条件のアパート物件探しから最低限の家具や電気器具、ケータイ(I氏はポルトではケータイを持たない主義を通した。笑)、ネット契約等々、単なる帰国旅行と違い、いざ生活するとなると費用や時間がかかります。が、日本での生活がうまく行くかどうかは分からないけれど、チャレンジすることに意味があると思っている、との返事。

これを読んで、昔、モイケル娘が東京の大学入学を果たし、いよいよ日本で大学生活の一人暮らしを始める段になった時のことを思い出しました。帰国子女ネタ受験編に書いてあります。2006年6月27日のこと、もう17年も前です。

―帰国の往復の飛行機代、一ヶ月の滞在費などをはじき出して、「この費用を、いっそのこと、もいける娘のアパートの契約費、その他に回した方が役立つのではないか、帰国を止めようか」と何度考えたことだろう。毎日の職場ではないが、欠勤するとわたしの場合収入は入らない。

しかし、日本の生活を知らない娘一人に任せて、後で悔やむようなことがあっては後悔しきれなくなるかもしれない。そう思うと気持ちはすっきり決まった。とりあえずポルトガルにいる間にもネットでアパートに関する情報をいくらか掴んでおいた。アパートの必須条件は、

①所沢の我が妹宅の近くであること。
これは、わたしたちが3年に一度の割で一時帰国して、その都度妹宅に滞在したので、わたしももいける娘も土地をある程度知っていること。大学からは多少遠いが、彼女がそういうところに住むのは、親である私達も安心できるという理由からである。

②駅から徒歩で帰れ、途中暗がりがないところ。言わずと知れた、危険防止のため。

③押入れが広いこと。
ワンルームでは、ベッド、テーブルを入れたらそれだけで部屋には整理ダンスなどのスペースはもうないからだ。

④家賃、契約金が安いこと。
当然である(笑)アパートにかける費用は光熱費も入れて、予定としてはせいぜい4万少しで押さえて欲しい。あるかどうかは別として^^;

⑤日当たりのよい2階であること。
 近頃は物騒な日本。一階より2階のほうが泥棒がはいりにくいと思った。

予算が少ない割には望む条件はばっちりである(笑)

時差ぼけだのなんだの言う間も惜しんで、日本に着いたその日から、アパート探し。ポルトでネット検索して目をつけていたところへ電話を入れ、翌日、妹宅の駅にある物件を3件見せてもらい、上記の条件に比較的合ったところに即決めました。

アパートを見つけたらそれで終わりではなく、次には家具を購入します。これも品物云々より、廉価のものですわw近くにある古道具屋さんへも足を運び、食器棚はそこで買いました。配達料も入れて3500円くらいでしたか。中古の電化製品は見た目ではわからないので、やはり新品にしました。

ベッド、勉強机兼テーブルの小さい食卓、本棚(これはわたしが組み立てた^^;)後は、生活必需品の細々としたもの。これが、チリも積もれば山となるで、結構お金がかかります。
最後は入学祝いに妹夫婦からもらったDVD付きの小型TV。これでなんとか部屋はさまになりました。

窓が二つある(一つは出窓)、相当に日当たりのよい場所。日当たり良すぎて、夏が大変そうだ^^;

さらに大学生の必需品としてノートパソコン!これも贅沢言ったらキリがない。ラオックスで見た一番安いのです。あらよあらよと言う間に減っていく財布の中身^^;
後は、と言うと出費が予算より足が出て、財布はほとんどすっからかんになりましたぞ。子供を日本に学ばせたいので数字でどのくらいか?との質問のある方はメールにてどうぞ(笑)

よっしゃ!これで、帰国子女モイケル娘の日本に於ける生活の基盤はなんとかできた。我が妹宅からは徒歩で3分の距離にあるアパート、いざとなれば走ってそこへ駆け込めば、なんとかなります。 
大学が始まる春3月までの3ヶ月ほど、後は彼女の今までの人生で一度もしたことがない憧れの「バイト」やらで食い繋ぎます。がんばれよ~と、後ろ髪引かれる思いで、日本を後にポルトガルへ帰ってきたのですが・・・・

いやいや、娘は殆ど自炊でがんばり通していますが、料理はなんとかなるものの、ある日、我が妹とネット・メッセンジャーで娘の話題をチャットして気がついた!あちゃ~~、裁縫を教え忘れました・・・・^^;針と糸を持ったことのないもいける娘、ボタン付けはもちろんのこと、自分が買ったジーンズの裾上げもできない(爆)

妹いわく、「わたしが教えて、あちこち指を針で刺しながら、生まれて初めて裁縫に挑戦してたわよ」


こんな具合でした。I氏の場合は、ポルトガルに来る前は家族と一緒に住んでいたのだし、日本の状況は承知しているはずですが、昨今の日本社会の変わりようを、果たして彼は受け入れられるだろうかと危惧しないでもありません。
ダメだったらポルトガルに帰ってくればいいから。家はあるし家族もいるし。彼の帰国で寂しくなったわたしはそれも大歓迎なのですが、I氏の新しい人生の門出を今日は祝福したいです。 


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2023年11月17日 

朝ベッドから起き上がると、側で着替えていた夫から、おはようの代わりに「誕生日おめでとう」の言葉をもらった。76回目の誕生日を迎えました。日本に住む子供たちからもメッセージがあり、孫からは「ハッピーバースデートゥーユー」の歌と共に、おもちゃで作ったバースデーケーキを掲げるビデオメッセージも届きました。

しばし、我がモイケル娘と文字チャットのやりとり。ソラ坊が昨日からインフルエンザに罹り彼女は仕事欠勤であります。そして、「今年は流星群が見られるかな?」と言います。いやいや、無理であろう、ポルトはここ一か月雨が降り続いて今日も然り。辟易しておるんだよ。

こんなことまでモイケル娘は覚えていてくれてるんだなぁと母のわたしはちょっと嬉しかったのあります。流星群とは毎年わたしの誕生日前後から数日間夜空で活動するしし座流星群のことですが、それについて古い日記を再掲したい。

某年11月17日

眠れずに目が覚めた夜半には、よくベランダから星空を見上げる。

夜空の星を見上げることは過去を見ることである。何十光年、何百光年、果ては何千何億光年もの長い宇宙の旅を経て、銀河系宇宙の端にある我らが太陽系の、その中の地球という惑星に住む私たちの目に入る星たちの光。何気なく見上げる夜空の星星には人類の想像を超える旅の物語があるに違いない。

この月の17日から19日には、しし座流星群の極大日と言われ毎年たくさんの流星が見られます。もちろん、空が晴れていることと月が出ていないという条件にめぐまれたらの話です。 今日はそれに因んだ思い出エッセイを載せてみたいと思う。以下。
今年もしし座流星群が見られる時期になった。 ピークは11月17日とある。

数年前の真夜中、午前2時ころ、わたしは古い家の表通りに面したベランダに座り込み、ひとり星空を見上げること1時間ほど、生まれて初めて目にした数十の流れ星に、言葉もなくただただ感嘆のため息をつき、こんな素敵な贈りものはない、と密かに自分の誕生日に祝杯を挙げたのであった。
    
この流星群をわたしが仰ぐことになったのには、ちょっとしたいきさつがある。わたしが補習校で中学1年のK.T.君と国語を勉強していたころのことだ。その時、アメリカの児童文学作家、E・L・カニングスバーグの作品、「流星の夜」を一緒に読んだのだった。

それは、ニューヨークの祖母のもとに一時滞在でやってきたルイース少年が11月のある夜、祖母に誘われて、33年に一度しか起こらないと言う、街の夜空いっぱいに輝く、「テンプル・タトル」という彗星の星屑(これをリーオニドと言うのだが)を、セントラル・パークに観に行く、という話である。

壮大な星の夕立を、次にもう一度観れるとしたら、ルイースは43歳になっており、祖母は63足す33、つまり96歳だ。恐らくもうチャンスはないだろう・・・、と少年が気づくまでに至る祖母と孫の暖かい交流が流星群を通して描かれている。
  
彗星テンプル・タトル・・・
当時パソコンを持っていなかったわたしは、帰国時に日本から持ち込んだ天文カレンダーの本を調べ、それが俗に「しし座流星群」と呼ばれるものであること、次に流星群が観られるのは、1998年であることを知った。「1998年のリーオニドをきっと観ようね」と、K.T.君と約束したのである。
  
K.T.君との約束だから、と言うより自分の宇宙への興味に惹かれて、それからわたしはカレンダーが新しく変わるたびに、「1998年テンプル・タトル、リーオニド」、と、年初めの、そして12月の暦の上に毎年書き続けていった。それが5、6年も続いただろうか、1998年の11月17日、わたしはついにリーオニドなる流星群を観ることができたのである。 

その夜、真夜中2時から3時の間で数えた流星の数は49個。我が日記にそう綴ってある。それを確認しようとわたしは1年に一度書くか書かないかの、今では日記とは名ばかりになってしまった古い日記ノートをひも解いてみた。


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古い我が日記にはさまれた落ち葉。
   
開いたページには数枚の楓の押し葉のブックマークが挟まれていた。この押し葉にどんな思い出があったのか、これらが日記に挟まれて日本から持ってきたと言うことを除いては、もう覚えていない。記録の主であるわたしが時折手に取ってみる押し葉のブックマークは、色褪せながらも、その乾いてしまった葉脈の中に半世紀もの時の流れを一人じっと湛えてきたのであろう。

あの頃13歳のK.T.君は、その後わたしのようにリーオニドの流星群を夜空に観たのであろうか。あれから幾年月、K.T.君はどこにどうしているのだろうか。彼は、50歳に届くか届かないかでポルトで亡くなった我が友の息子でもある。

毎年11月17日の自分の誕生日には、流星群とK.T.君と友のことが思い出される。

今年もひとつ歳をとった。

テンプル・タトルについて

しし座流星群は毎年11月17・18日ごろをピークに数日間見られるが普段はそれほど多くは見られない。しかし彗星が地球軌道に接近する33年に1度、「流星雨」と呼ばれるほどのたくさんの流星が見られことがあり、その記録は古く、西暦902年に中国の天文学者がしし座流星雨を見たという報告がある。

最近では1966年にアメリカのアリゾナ州キットピークで、突発的に1秒間に40個もの流星観測されたと言う。アリゾナ・ツーソンの大学に短期留学したわたしは、日本で知り合った友人ロブとグリーンのずっこけ3人組(下記にて案内)でキットピークの天文台を訪れ巨大な天文観測鏡を見てきたのあった。

★アリゾナ留学記・ズッコケ三人組
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1598.html

ではまた。

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2023年11月14日  

先日、ネットで目にした記事だが見出しを読んで、ん?といぶかしげに思った。記事読後、この見出しには「キス」の前に「あいさつの」と入れた方が分かりやすいと思った次第だ。

これは先だってのドイツ、ベルリンで行われたEU外相会議の集合撮影時に起きたあいさつの「キス」をめぐっての騒動だと言う。以下に記事一部をコピペする。

《〝キス騒動〟は11月2日、ドイツの首都ベルリンで開催されたEU外相会議の集合撮影時に起きた。欧州各国の外相が居並ぶ中、遅れて到着したドイツの女性外相、アンナレーナ・ベアボック氏(42)に、クロアチアのゴルダン・グルリッチラドマン外相(65)がまず握手。その直後、彼女の頰にキスしようとした。
しかし、ベアボック氏は一瞬、嫌がるそぶりを見せ、顔を横にそむけた。ところが抗し切れず、グルリッチラドマン氏のキスを受け入れ、苦笑いを浮かべた。
ドイツ高級紙フランクフルター・アルゲマイネ(電子版)は今回の事態について、「相手国(ドイツ)を当惑させたかもしれないとはすぐに気づかなかった」とやんわり批判。一方、ドイツ大衆紙は「キスの攻撃だ」などと嚙みついた。≫ 


記事は更に「ドイツ女性外相が〝被害〟、EU外相会議で物議」と続くのだが、どうもわたしは釈然としない。同じヨーロッパと言えども、お国柄はそれぞれあり十把一絡げとは行かない。挨拶ひとつとってみても国によって違うだろうことは当然だと思う。
外相たるもの、各国の挨拶の仕方を調べるべきだとの意見もあるが、今回のキス挨拶に対して周囲が暴力やら被害やら物議やらと、言葉が乱暴すぎないかとわたしは思うのだ。

気になったもので、じゃ、ドイツではどうなのか?と調べてみると、ハグが多いが「Bussi(自分のホッペと相手のホッペをくっつけてチュッとやる)」もよく見かけるらしい。

わたしは近頃の人権を振りかざして何でもかんでもハラスメントだ、暴力だ、差別だと騒ぐのに少々くたびれている。今回の挨拶キス騒動は本人同士よりも周囲がたきつけている感がなきにしも非ずな気さえするのだ。

クロアチアの元首相(女性)もX(旧ツイッター)に「女性への強制的なキスは暴力。そうですよね?」と投稿されたり、「公的な場所でドイツ外相を困惑させ、自国に恥をかかせた」と自国のメディアに避難されたり、その言われようにクロアチア外相が気の毒な気がしないでもないだが、みなさんはどのように思われるであろうか。

ポルトガルでの挨拶の仕方はというと、過去に紹介したことがあるので、それを以下に。

ポルトガル式挨拶と愛情表現

欧米では、しばしの別れや暫らくぶりの再会の場では、「気をつけていってらっしゃい。」「会いたかったわぁ。」との思いを、抱擁や軽いキスなどのスキンシップで表現することが多い。

中には、しばしの別れと言っても、10時間ほど家を留守にするだけの別れ、つまり夫の朝の出勤時から帰宅時までですら、挨拶のキスを交わして愛情表現をすることも往々にしてあります。

ポルトガルでは、お互い左右のほっぺとほっぺを軽くくっつける「beijinho(ベイジーニュ)」が日常茶飯事見られます。街で偶然知り合い同士が出会ったとき、「あら~こんにちは」でbeijinho。どこかのお宅に招待され、到着して玄関先での挨拶もbeijinho、初対面の挨拶も多くはbeijinhoで始まります。

また家族同士でも、誕生日、母の日、父の日などの祝い事でこれは繰り返されます。我が家では、息子や娘がポルトに帰ってきた時や再びそれぞれの生活の場に帰って行く時、夫が国内外にかかわらず出張で出かける時と帰宅した時などなど、beijinhoは愛情表現はもとより、挨拶がわりでもあるのです。

ポルトガルの人たちは生まれた時からこれをしているのですから、beijinhoの仕方が板についており、その場その場に応じてごく自然にできるわけです。

ところが、こういう習慣に慣れていない日本人のわたしは、最初は戸惑うばかりでした。まず、「どっちのほっぺを出せばいいの?」と迷っているうちに、beijinhoがすれ違って合わなかったことも度々(笑)

これを繰り返しているうちに40数年、それでもまだ板についたとは言い難いわたしのポルトガル式挨拶です。が、面白いことに、日本に帰国し、大好きな友人たちと久しぶりに会った時など、思わずほっぺたを突き出しそうになる自分にハッと気づいたりするのです。我が子たちとは、いつの間にか日本でもするほど習慣になっています。

この挨拶の仕方を、好きでもない人とするのは嫌だ、と一時鬱陶しく思ったこともありますが、家族、親しい間柄の枠内では情のこもったジェスチャーなだと、思い始めました。

ここに一枚、「beijinho」と題する、幼いジョン・ボーイ(息子)、モイケル娘との、今は亡きおばのスナップショットがあります。わたしの好きな写真の一枚です。
beijinho3_2023.jpg

beijinho1_2023.jpg

もちろん、日本人の愛情表現には慎ましさがうかがわれ、それなりの美しさをわたしは感じ、それもまたいいものだと思います。 

ところで、大事な事を付け加えませんと。
異性同士、また女性同士はbeijinhoをしますが、男性同士はしません。男性同士は軽く抱き合い、肩や背中を叩き合うのが親しみをこめた挨拶の仕方です。

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2023年11月9日
 
朝、起きがけに空を見上げると、おぉ、久しぶりの青い空、と思いきや、あっという間に曇が広がり小雨が降り始め。3週間ほど雨が降り続いているが、今日は降ったり止んだりか。晴れ間を縫って外を歩くのもせわしいことである。

さて、本日の題、今週月曜日のことです。
わたしの朝食は、和食とパン食半々です。パン食の時はトースターにマーガリン、イチゴジャムを少し塗ってその上に生ハムを乗せたのが二切れ。それに薄いコーヒーです。

パン食がしばらく続くと必ず御飯が食べたくなります。たいていは前日夜のご飯が残っているので、お茶漬けにしたり、息子が帰国時に持ってきてくれるふじっこ煮の昆布類(冷凍してある)、あるいは納豆(最近は手に入る)をおかずに、それに前日のおかずの残り、気が向けば卵焼き、前夜の味噌汁や手作りの漬物がメニューです。

今週月曜日の朝は、パンを食べたくない気分。そこで、ご飯を食べようと炊飯器の蓋を開けたら、あ!昨日はチャーハンに全部使ってしまい残り飯はなかったんだと気づく。

小1時間ほど待つことになるが、よし!ご飯を炊こうとお米を洗う。そして、思いついたのが、その日は11時半から、90歳になったアルフレッドさんの日本語授業があったので、ついでに巻きずしを作ってお弁当としてお持ち帰りいただこう、でありました。

と言うのは、目下、下の歯全体の治療をしているので噛むことができず、スープとヨーグルトばかり食べているとアルフレッドさんは言っていたのです。巻きずしなら、具に柔らかいものを使えばいけるでしょう、とニンジンとかんぴょうをかなり柔らかく煮で、それに卵焼き、ツナ缶を加えました。自分のお昼ご飯でもあります。お弁当箱に入れ、ついでにインスタントお吸い物も添えて、お弁当の出来上がり。

影絵

ポルトガルにいては滅多に使う事もない我が家紋付きの風呂敷で包んで、後はアルフレッドさんが来るのを待つばかり。

bacalhau com broa

授業時間ドンピシャにドアのベルを押す人です。ところが、その日は11時半を5分過ぎ、15分過ぎてもベルは鳴りません。あれ?こんなことは今までに一度もなかったので、何かあったのでは?と心配になってきました。

ケータイに電話を入れました。すぐ応答があったので、

「アルフレッドさん、今どこですか?」
「うちですよ」・・・ぎょえ!
「今日は日本語をしませんか。」
「日本語は明日の火曜日ではないのですか。」

あちゃ~~!やっぱりなぁ。勘違いしましたね、アルフレッドさん。
実は、前週、いつもの月曜日の授業を、4年ぶりの食事会があったので、火曜日に変更したのです。お歳ですからね、勘違いしないかな?との思いが頭をかすめたのですが(笑)
案の定、一度だけの変更なのですが、ずっと火曜日と勘違いしたようです。通常、火曜日の昼前は別の授業が入っているのですが、今月は、その生徒さんがひと月ほどバルセロナへ仕事に行っているもので、火曜日がたまたま空いており変更が可能だったのです。

翌日までこの寿司弁当を取っておくわけにはいきませんが、取りに来なさいとはさすが言えず。自分の分も作っていたので、夕方まで二人分の巻きずしを頑張って食べたんであります。アルフレッドさん、残念でしたね!

しかし、二人分の巻きずしを作ったので、その日の夕方までにそ食べきるの、きつかったわん!

来週から、アルフレッドさんには授業の前日、つまり日曜日に「明日は日本語ですよ」とメッセを入れることになりました。それだと、勘違いしたり忘れたりしませんからね。

ではまた。

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2023年11月8日 

前回の続きです。I氏帰国の軽いショックから徐々に立ち直って参りました(笑)

してみれば、わたしも40数年前にポルトガルに来たときは片道切符だったっけ、とI氏の切符の話が頭を去らず。ふいに古い歌、二―ル・セダカの「恋の片道切符」が脳内を駆け巡っているここ数日。いかにも古い(笑) 歌は後記に。興味ある方はどうぞ。

♪Choo choo train
Truckin' down the track
Gotta travel on it
Never comin' back
Ooh
Got a one way ticket to the blues

I氏の家族は娘さん二人、孫も4人、奥方はこちらの方だ。帰国して老人ホームをリサーチだなんて、じゃ、奥様は?と聞くと、後で来るも良し、残るも良し、それぞれが考えて決めるとおっしゃる。奥方は日本に住んだことはあるが、娘さんも孫も今はこちらに住んでいるので今更日本に住むことを望むとは思えないな。

I氏はちょうど七十路に入った所だし、そんなに急いで老人ホーム探しなどしなくてもいいじゃないと思ったものの、人様の人生それぞれだ、不用意に口を出すべきものでもあるまい。自由に動けるのも好きなことが出来るのもせいぜい後7、8年、帰国してアパートを探し好きなことをする。その間にホームを色々見学したりして探すのであろうや。

それで、横浜に住んでいた我がおじが思い出された。おばに先立たれ85歳まで一人でやってきたが、その先を考え家屋を売り払いホームに入った人だ。下のリンクで書いてある。
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2031.html

終活の一部である法的な遺言も既に書いたと言う身につまされる今回のI氏の決心だが、さて、自分の終活はどうだろうか・・・と考えると、断捨離も遅々としてなかなか進まず。私個人は遺言を書くほどの財もないから、これは心配することはない。

残りの人生、好きなことをして過ごしたいと言うのも、わたしの場合、もうそれをしている。日本語を教える毎日、このクラスはここをこうしてみようか、あれをしてみようかと自問しながらアレンジして授業準備する毎日の楽しさ。正気で生きていられる間は続けたいと思っている好きなことだ。

自分がお先に~と参るのは問題ないが、自分が残る側になったとき、果たしてどうするのだ?お金とも相談し消却方で残ったものを取るしかないだろうな。 夫には、もし認知症に罹ったら施設に入れてもらっていいよ、と言ってある。認知症だもの、自分がどこにいるか、何を食べたかなんて覚えてないんだから。認知症以前のわたしを思うから、家族は苦労して介護しようとするのじゃないかなと、わたしは思ったりしている。

が、夫に先にお迎えが来ないとは誰も分からないので、この辺のところは夫にちゃんとしてもらって置こうと、I氏の話を引き合いに最近機会ある毎に話している。

わたしの終活は、先が朧月夜の如くぼわぁ~んとしているのであ~る。つまるところ、未だしっかり考えていないのだ。ダメだなぁと自虐気味だが、いざという時があるぞとわずかの準備は心の隅に置いてある。

終活に関してわたしが決めてあるのは、1)認知症の場合(上述の如く)、2)cremação(=火葬。ポルトガルア通常土葬。我ら夫婦が入る小さなセカンド・ハウスは家の近くの墓地に用意してある)、3)できれば、わが身の半分はポルトガルに、残り半分は日本に。

誰もが考えるのを避けたい「この先の、そのまた先はどうするか」の課題は、必ずや私たちにやってくる。I氏の様に綿密な準備ができる人もいれば、そうでない人もいる。人それぞれ、人生色々なのだ。


I氏の場合はGot a one way ticket to the bluesが ticket to Japanなるわけだが。古き良き時代のアメリカン音楽

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2023年11月6日 

正に4年ぶりでダウンタウンのいつものレストランで昼食会を開いた。これまでは4人のメンバーだったのが事情あって3年前に一人抜け、I氏とOちゃん、それにわたしの3人である。3人とも講師として長年補習校に携わって来たかつての同僚同士でもある。

ポルト界隈には古くから住む日本人もいるし、また、新しく住み始めた日本人も結構いるらしいのだが、この数年来、日本人社会とはほとんど接触がない我ら3人ではある。あはは。

同じ街に住んでいながら4年も会っていないとは、なんちゅうこと!と言われるかも知れないが、2020年から3年間ほどコロナ禍があったのを忘れてはならない。Oちゃんは中年だがI氏はいよいよ70代に突入、わたしはと言えば70代後半に入ろうとしいる。
Oちゃんは在住25年ほどだろうか、I氏は35年。私は在住43年を超えた貫禄のない長老であ~る(笑)

I氏からメールで久しぶりにランチしませんかと、Oちゃんとわたしに連絡が入った時、わたしは例の甲状腺治療の予定が入っていたし、Oちゃんはまだ日本だったので11月も後半くらいと思った。が、I氏のメールでは11月後半に日本へ帰国するとあった。
甲状腺治療は場合によっては副作用がないとも限らない。体調不良ではとても彼らと食事を楽しめないので、いっそのこと治療前にすることにした。

久しぶりにテーブルを囲み、お互いの近況報告。私はその日には治療取りやめを決めていたので、心置きなく楽しむことができた。 二人ともその話を聞くと「え~!取りやめなの?」「うん。取りやめ。もうしばらく様子を見ることにした」とわたし。

Iさん、日本にどのくらいいるの?と聞くと、「片道切符でござんす」。それこそOちゃんもわたしも「えーーー!」である。そこからは中年のOちゃんに、今からしっかりわたしらの話を聞いときなはれと、I氏とわたしの老後人生の話題でもちきりだったのである。

この日のI氏との老後人生の、いや、老中人生とでも言おうか、その話は次回でとりあげるのだが、わたしたちみんながもう少し若かった頃に綴った日記を読み返してみて、いよいよI氏もわたしも老境に入ったんだなぁと思うのである。
以下の日記にこう綴ってある。赤字は老中人生の今のわたしのツッコミ(笑)

某年某月某日
かつては集まると、それは各々の子供や日本の子供に関する教育の話、そして今ほど簡単には耳に入らなかった日本のニュース、ついでに連れ合いの愚痴話(w)、果てはポルト市のどこどこの店で日本食を見かけたとか、今度スペイン系の大きなデパートがどこそこにできる、等等、食事会は情報交換の場にもなっていました。(スペイン系のElCorte Inglésなるデパーもができて長い)

しかし、やはり当時の主だった話は、みなが子育てに必死になっていた時期でもあり、こどもたちへのしつけや学習のことが大方でした。

それが、いつのまにか、教育話から老後はどうするかに話が及んで来ました。わたしも含め、みなさん子育てが一段落したということです。

やっぱり、老後は日本!と言って、帰国して自分一人老人ホームに入る、というI氏。彼はかなり真剣に考えてましたが、孫ができてからと言うもの、今ではその考えをうっちゃったように思われる。 (これが違ってたのであった!)

持ち家を売っぱらって大阪かイタリアに住みたいという我が友Kさん、日本語通じないイタリア行ってどうするんや!と突っ込む。今では、「ポルトガルが一番ええわ」に転んだ。(笑)

こんなことをワイワイにぎやかに話し合ってるうちに、日本で一軒家を借りて、Vila Portugal(ヴィラ・ポルトガル)とかなんとか名前付けて、みんなでいっしょに住むのはどうか、なんてところに話が及んだことがある。

「お、それいいじゃないの。」
「どのあたりにするね?」
「親友が和歌山の片田舎にギャラリーと称して、古いけど物凄く広い土地屋敷を
持ってるから、その畑の一隅を借りるのはどう?春にはあそこ、桃源郷だよん」とわたし。
「いいね。けど、その親友にもしものことがあったら、遺産相続なんやらでわたしら年寄り、おんだされるよ」
「それもそうだ」
「証書、とっといたらどう?」(←まだ、貸せとも貸すともなってない話ダス。笑)
「でもね、そんなド田舎、年寄りばっかり住んで、食料買い出しはどうするのよ?」
「う~~ん、車一台いるね。しかし80過ぎての運転はちょっとこわい」
「自給自足はどう?」「Iさん、農学部出だしね、そっちはお任せ」
このI氏からは毎年季節になると、見事な美味しい大根を皆おすそ分けしてもらっている。
「よっしゃ。料理は好きだから、わたしがする」とKヤン
(このKヤンは事情ありグループを抜けざるを得なかった)
「キレイ好きなRさんはお掃除係だね。うんうん」
わたしの役割は・・・ぼけ~~としておもろいことばっかりやってるから、それだけでも存在価値はある、(笑)←とは、自分の言w
「でも、アンタ、年金あれへんやん」と、すぐ要らんことを突っ込んでくる友。
「あ、いけない。どうしよう・・・」
「ご主人の遺族年金があるから心配いらんか。仲間になんとか入れたる」
(入れたる、って和歌山はうちの親友がらみだで・・・w)と思いながらも
「うん。そだね」とお気楽なわたし^^

ここまで来てわたしはハタと気づいた。
「ちょとまてぃ!」
みんな、自分は、絶対連れ合いが先に逝くという前提で話してますわ(笑) 厚かましいったらありゃしない。この一言で爆笑です。そして全員しみじみしましたです。なんの因果でか知らないが、長い間ポルトガルに住んじゃったね、と・・・

わたしは、といいますと、老後云々の前に、もうひと花小さいのを咲かせてみたい、なんてこの当時から密かに思っていたのです。わたしは何事も夢の実現にかなりの時間がかかる人間です。しかし、夢は見続けることこそ大事。それがいつか実現につながると思うわたしはかなりおめでたい。


このひと花とは人様の指図を受けずして、自分の思う方法で日本語教室を開きたいという夢であった。借り教室の日本語授業からオンライン授業へと移行した現在、相棒のOちゃんとわたしの生徒をあわせると少なくとも40人はいるので、夢は一応成し遂げられたと思っている。小さな日本語教室だけれど、わたしは毎日楽しんで授業に取り組んでいる。

それにしても、老後は帰国して一人老人ホームに入ろうと思っていると言っていたI氏が長い間その素振りを見せずしておきながら、今回片道切符で帰るだなんて、ウソやん! と軽いショックを受けてしまったわたしである。

話は次回に持ち越しなり。

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2023年11月3日 

かつては5匹いた我が家のネコたちが一匹また一匹と旅立ち、一番若かいゴロー君だけが残った。そのゴロー君も2006年の秋に拾って我が家に迎えたので、今年で17歳になる。

わたしが若い時からこれまでに飼ってきた猫のなかで、ゴロー君の特徴はどの猫にもなかったおしゃべりがある。とにかくよく鳴くのである。鳴くのには理由があって、お腹空いた、ご飯ちょうだい。一緒に横になろう(こういうときはわたしを寝室に誘う)。部屋の外に出たい、入りたいから、ドアを開けろ等々、おしゃべりでしっかり要求してくるのである。

一匹になって以来、特におしゃべりが多くなった。ちょっと困るのが、寂しいのだろうか、夜中にギャォ~ンギャオ~ンとやたら鳴くことだ。そのため毎晩夜中に目が覚める。ベッドの上に寝てもらってもいいのだが、一晩中そこにいるわけではない。

それで、というのではないが、この2年ほどエサをあげていた外猫、夫とわたしが「フジオ君」と呼んでいる野良ちゃんを、雨の多い冬は大変だろうと、拾い上げた。まず、動物愛護協会に連れて行き、チップが埋められていないかどうかを確かめ、予防接種をし、我が家のネコとして登録、養子にしたのである。

これがまた、ゴロー君とは対照的で、鳴かない!静かすぎて、どこにいるのか分からない(笑)が、食い意地だけは凄い。外暮らしをしていた頃も夏などは日に3度、我が家のフラット前に来て、わたしがベランダに顔をだすのを待っていたのだから、常にに空腹を抱えていたのだろう、気持ちは分かる。

2匹とも相容れるかどうかとしばらく様子を見てきたが、2か月たった今、フジオ君は平気なのに、どうもゴロー君がまだ受け入れていない節が見られる。同じところで寝ないのである。わたしたちもフジオ君に接する際にはかなり気をつけているのだが、うっかりフジオ君にやさしい声をかけようものなら、遠くからじぃ~っとこちらに向けているゴロー君の強い視線を感じる。ぐは!そこにおったんかい!てなものだ。

小食のゴロー君、フジオ君がやって来た始めのころは、負けまいとでもするかのようによく頑張って食べていたのが、不意に何も食べなくなってしまった。ネコの17歳は人間の84歳くらいに該当するそうで、老齢で食べないのは絶対危ない。検査と栄養剤の点滴をしてもらうため、サン・ジュアン動物病院に目下入院中なのである。

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おしゃべり猫のゴロー君

そして、気がついた。ゴローのおしゃべりが聞こえない家の中は静まり返って寂しいったらない。まるで、ついこの間までいた子供たちが日本へ帰ってしまった後のような気の抜け具合だ。
もちろん静か猫のフジオ君はいるのだが、おみゃあ、ウンもスンもなくひたすら寝ておる。鳴かぬなら鳴かしてみようホトトギス、と、織田信長の如く謀ってでもみようか。ね、フジオ君。

静か猫のフジオ君
fujio_2023_Nov_1_1.jpg

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2023年10月31日 

年に少なくとも1度は夫と共に血液検査を受けています。検査結果の数値から甲状腺疾病の疑いがあり、超音波検査をしました。その後、甲状腺腫瘍の状態を診るためアイソトープ検査を受けたのはほぼ一か月前です。
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2804.html

結果、甲状腺腫瘍で、甲状腺右に大きいしこりがあります。腫瘍も良性と悪性に分類され、悪性はいわゆる癌ですが、わたしの場合は良性のようす。

甲状腺疾病の治療法には3種類あり、手術、投薬、そしてアイソトープ治療です。主治医にはアイソトープ治療を勧められ、一応11月6日に予約をいれていました。

アイソトープ治療というのは、別名放射性ヨウ素内用療法と呼ばれ、放射線を放出するヨウ素(131I)のカプセルを内服して甲状腺内部から放射線を照射する治療です。

入院する必要はありませんが、治療当日前の5日から長くて1週間、食事制限をします。この食事制限が大変。
海塩(海から取った塩)、醤油、海藻類(わかめ、海苔)、味噌、昆布、だし類、魚類、ヨウ素を含む食品(要は塩含まれた食品)、缶詰類、卵、生ハムなどのハム類、ミルク、バター、ヨーグルト等々。

ぎょえ!味付けがでけへんやん!ポルトガルの食事制限リストには「Sushi」もしっかり載っています。んまぁ、それだけSushiが一般化されてきたのですね。

このリストを目の前に、どのような献立ができるかと頭を悩まし、ここ数日、実験(笑)していたのでした。幸い塩についてはヒマラヤ産のピンク色の岩塩にヨウ素がないというので、それを見つけて使ってみました。

それにしても、ほぼ毎日のように、ダシ、醤油を使っているわたしです、夫と二人、顔を見合わせて、おいしくないね(笑) 更に治療後は、体内から放射線を放出するため、10日ほど人との接触を避ける、特に妊婦、赤ちゃんに近寄らない、公共交通機関の使用禁止、夫婦たりとも寝室を別に。って、コロナ感染時と同じじゃん。

仕方ないんだわさと、徐々にその治療の覚悟ができつつあったところで、夫曰く、「この治療、今回は見送ろう」え?え?いいの?見送っても?実は3年ほど前に、血液検査の結果からわたしは超音波検査をしているらしい^^; 全然覚えとりまへん。夫はこの分野の専門ではないながら、前回と今回のデータを見比べ、夫なりに調べたらしい。わたしの場合は15ミリの腫瘍の大きさ、血液数値が3年前と変化なし。

この病気の手術が必要なのは腫瘍の大きさが30ミリ以上、首の腫れが目立つ場合、経過観察中に徐々に大きくなる場合、悪性の可能性がある場合。これら以外の場合は半年に1回程度の超音波検査をおこない、経過を観察するようです。

そんな訳で、体調も夏に比べると良好、わたしも夫に同意し3年前と同じように、再度経過を見てみようと言うことで、11月6日の予定だったアイソトープ治療を見送りました。
そんなこんなで、なんかちょっと疲れましたっけ・・・

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