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2023年9月29日 

所沢に住む妹から、「十五夜のお月様が我が家の屋根の上に。きれいだヨ。ススキも今日にあわせたように咲きました。お団子も供えた」とメッセージが入った。お団子いいね。食べたい。月より団子だ、とはわたしの返信。今宵は中秋の名月であります。

我がフラットのすぐ近に子供たちが成長した庭付きの小さな借家がある。15年ほど住んだのだが、満月の夜は、わたしはベランダに座り込んでしばし月の美しさに見とれたものだ。その家の裏はご近所のジョアキンおじさんの広い畑で他は何もなく見晴らしがよかった。春は一面菜の花畑、夏はトウモロコシ畑になり、夜空の観測にはもってこいであった。

当時は日本から持ち込んだミニ反射望遠鏡で月面や木星を探し当ててみていたものだ。見に反射望遠鏡でもクレーターは見えたし木星に至っては非常に小さくではあったが二つの衛星も見えたものだ。フラットに移ってからは眺められる空の範囲が狭まってがっかりしたが、月夜には時々、我がネコもベランダにやってきた。月を眺めるネコはなかなかに哲学的であります。

夫にも「今夜の月はきれいだよ」と声をかけるのですが、「あ、そう。」で終わり(笑) 周囲を見回してみると、月が美しいだの、紅葉がきれいだの、吸い込まれそうな真っ青な空だのと言うのはどうもこちらの人の一般的な感覚ではないようです。これは四季の美しさに恵まれた日本人そのものの感覚ではないかと思われます。

それは、毎年8月最後の日曜日に近所で催される花火の打ち上げについてもいえるのですが、華やかに花火が空にあがっても、ベランダや窓から顔を出して眺めるのはご近所にはわたし以外いません。いくぞ!と大きな音とともに打ち上げられ、夜空に瞬間に散る花火をみては思わず「きれいやなぁ・・・」といつも独りつぶやいています。

さて、話は中秋の名月こと「十五夜」です。この季節、満月を仰ぎ見る時に思い出されるのが、もう60年位も遡る、我が父が地方競馬の騎手で家にいたことがなく、母子3人で弘前下町の祖母の家に大家族の一員として住んでいた子供のころの「十五夜」です。

十五夜なると、毎年決まって祖母のタマばぁちゃんが「おはぎ」を作り、季節の果物の梨やりんご、それにススキを添えて縁側に置き、お月様にお供えをしていました。あの頃の記憶をたどり、祖母の家にあったような縁側の画像をネットでさがしてみたら、ありました!

縁側①
Wikiより

祖母の家もこういう感じで、縁側の前には庭がありそこには小さな池がありました。縁側の左手前の建物は台所で、そこには水ポンプ、釜戸がありました。

ポンプかまど
  水ポンプ                              釜戸 (Wikiより)

祖母の家は玄関口を入ると裏の畑まで土間が続き、庭のトイレの、当時は便所と言いましたが、側にはドクダミが植えてありました。ドクダミの強烈な臭いは今でも覚えています。縁側の画像を探している最中にこんなイラストに出会い、思わず吹き出しました。

縁側2
Wikiより

服装、方法こそ違え、わたしと妹もおはぎが待ちきれずに、こっそり縁側に行ってつまみ食いせんとするところを毎度祖母に見つかり、「お月様が先だよ」と言われたことだろうか。

チョコレートやケーキなどお目にかかれず、おやつといえば握り飯はいいほう。たいては畑のトマトやキュウリー。そのキューリを縦半分に切って種の部分を取りのぞき、そこに味噌を少しつけたのが、これまた美味しかったのであります。昔ながらの田舎のこの食べ方は我が東京息子が子供の頃好きで、大人になった今でも、わたしが日本に帰国したときは、たまに食卓にのります。
なんとまぁ、時のかけ離れた、しかし、あの子供の頃と同じ月を見るという遠い昔と今宵の十五夜の話でございました。

ではまた。

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2023年9月28日
 
そろそろ読み始めなければなるまいと、今週から始まるマリアさんの日本語教材、作家乙一氏の短編集を開いた。最初に「Calling You」とある。

むむ?ひょっとして「バグダッド・カフェ」でも出て来るかな?と読み始めると、おお!5ページ目に「バグダッド・カフェという映画に使われていた綺麗な曲がいい。美しい和音でわたしを呼んでくれる」と、しっかり書かれてある。Calling Youは携帯電話を持たない女子高生の主人公が想像の中の携帯電話に設定する着信メロディである。

「バグダッド・カフェ」はアメリカ映画の邦題で、原題は「Out of Rosenheim」。映画は1987年に公開された。Calling YouはJevvette Steeleが歌うその主題歌で、映画も歌もわたしは気に入っている。

Bagdadcafe.jpg

♪A desert road from Vegas to nowhere
Someplace better than where you`ve been
A coffee machine that needs some fixin`
In a little cafe jeust around the bend

作品にこの題が付けられているからには、もしかして映画と歌にも物語のヒントがあるかもしれないと思い、授業はまず、この短編の題から入っていこうと思った。私同様、映画好きのマリアさんなので、あるいはこの映画を見ているかもしれないが、そうならそうで色々話も弾むであろう、と、念のため映画のあらすじを準備して、昨日は授業に入ったのである。

さて、このバグダッド・カフェだが、わたしにはこれに絡んだ思い出話がある。我がモイケル娘が中学生になった頃だから、かれこれ20年以上前にもなろう。日本語口語上達ツールのひとつとして、当時ブームになっていたチャットルームなるものへ娘の出入りを許していた。

許したのだが、チャットボディガードと称して娘の横にぴったんこくっついて、チャットのなりゆきは全て読んでいたのであった(笑) 果ては、「こんな人にはこう言ってやりな、ぎゃははは」と見ていただけでなく、横から口も出していた母ではあった。

そうして、母子二人お世話になり、時にはわたしがホストの代理を務めたりした和気あいあいの我らが「不夜城チャットルーム」も有料化される段階で解散したのだが、メンバーにそそのかされ、結局、自分がホストとなり、「カフェ・バグダッド」なるチャットルームをYahooで開いたのだった。もちろん無料である。部屋の名前は、大好きな映画「バグダッド・カフェ」をポルトガル式にした「カフェ・バグダッド」。うっかりその名前に釣られてアラブ系の人が入室してくることもあった。

カフェ・バグダッドもやがて私の時間が融通がきかなくなり結局閉鎖し、何人かのメンバーとはFacebookでつながるようになったのだが、不夜城、カフェ・バグダッド二つのチャットルームのメンバーの思い出を語りたい。以下、2016年の日記「別れを告げる」から。

「別れを告げる」

インターネットの世界は刺激的である。
瞬時に情報が得られるのは大きな魅力だ。しかし、色々な事件やスキャンダルを目にしては、時に大きな不安にかられたり、イライラしたりするのも事実だ。そして、もしもこのツールがなかったら、わたしのポルトガルでの日々の生活はもっと心穏やかだったのではないかと、思ったりもする。

ポルトガルに来た頃は、今のようにインターネットが一般的に普及していなかったがため、多くを知らされずに済んだのである。知らない、知らされないということは、毎日の自分の生活以外に心を乱されないということだ。

多量の情報が世界中から放たれ、それらのニュースを見聞きしてはわたしたちは一喜一憂する。知らない方がいいと言うつもりはないが、それら多量の情報にズルズル引きずられては、イライラしたり不安になったりするのである。一度その便利さを知ってしまうと、ネット世界を自分の生活から切り離すことは、実はできそうでできないが困る点でもある。

しかし、インターネットはマイナス面もあるが、勉強したいと思う人には、格好の世界でもある。ひとつの出来事に対して賛否様々な意見を探ることができる。後はそれを咀嚼して自分がどう思うかだ。その利点に魅せられて、ネットをろくすっぽ知らないわたしが、娘の手引きをきっかけに、なんとか自分なりに使えるようになり、ネットサーフィンをし始めてから15年にはなる。ニュースにしても、かなりな日遅れの新聞を読むのとは違い、ネットで即、得る情報には臨場感があるというものだ。

インターネットの利点のもうひとつに、20年、30年と音沙汰が絶えていた友人知人と巡り合えることがある。わたしはこれまでにこの経験を何度もしている。これもまた懐かしく嬉しいことだ。

人との巡り合わせと言えば、今では古い言葉になってしまったが、チャットや掲示板、ブログ等を通してインターネット上で知り合う、「ネ友」の存在もあげられよう。そんな顔が見えないのは友達と呼べないだろうという意見もあろうが、わたしの場合、そうした経緯を経て友達になった人が現に何人かいて今も交友が続いていたりする。

なにしろ日本とポルトガルのことゆえ、簡単に「じゃ、今度一度お会いしましょうか」と言うわけにはいかないが、それが却っていいところもあったりするのである。もうひとつ、わたしは年齢を隠さないでそのまま伝えるので、色目を使って近づいてくる異性の対象にはならないことだ。残念な気持ちもなきにしもあらずだが(笑)

しばらく前のことだ。10数年来のそのネ友のひとりの誕生日だった。「まちゃ、お誕生日、おめでとう!このところ、あまり見かけないけど(ネット内で)、元気にしてる?」とメッセージを残した数日後、そのご兄弟と友人だと言うひとから、「昨年脳出血で他界しました」との連絡を受けたのである。

他界?わたしの息子と言ってもいいくらい、まだ若かったではないか。プライバシーがあるので彼の個人的なことは書けないが、チャットで知り合ったころは家族と自分自身の問題を抱えていて、そこから抜け出せないままだったことも想像できる。

「ママに(ネット仲間内では最年長者のわたしは、みなからそう呼ばれていた)一度は会ってみたい。今度帰国した時は、大阪までがんばって出て行くから連絡して」「うん、そうだね。」と言いながら、結局、この3年ほどは大阪へ足を運べなかった。10数年来のネ友でありながら、一度も顔を合わさなかったのである。

わたしよりずっと若いのに、先に逝ってしまうのは失礼千万だぞ、と騒いだ心中で呟きながら、会ったところでわたしはどうという人間でもないが、彼に会いたいなぁと言われた年に、こちらが頑張って大阪まで行けばよかったと、会った事のない友を思い、しばらく心が沈んだ。

ずっとそのままにしてきたFBもスカイプも、まちゃ、「チャットルーム不夜城」の思い出をもう一度綴って、君とのCalling Youをそろそろ消すよ。君に別れを告げて、「ママは100までも生きると思うよ」とかつて君が言ってたように、わたしはそれまで頑張ってみるさ。


下記ではCalling You が聴けます。


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2023年9月26日
 
同じ環境で育った兄妹と言えども、妹のほうは心中で思っていることとは多少違っていても、なんとか日本人に合わせてやって行けそうなのに比べ、兄貴の方は考え方がポルトガル人と言おうか、日本人とはかなり違うようです。己の意をなかなか曲げない父親譲りの頑固さも入ってますので(いや、わたしのその部分も受け継いでるかもw)、果たして日本社会に馴染めるのかと渡日した頃は心配しのですが、なんとか、日本で生き延びる術を彼なりに多少身につけたかに見えます。

もっとも日本滞在期間の長さにおいては先輩にあたるモイケル娘に言わせると、本来の息子の性格からして、それなりに色々辛抱しているとのこと。
振り返れば、今でこそ、多少の角がとれて少しは丸くなったものの、若いときのわたしも、あからさまに態度には出さなかったが、周囲の慣習にことごとく反発していたものでした。そういうわたしの部分がモロに出たんだなぁ。その生き方はしんどいのだがねぇ、息子よ。

息子に聞き出してみると週末などの遊びで付き合う友人はみな外国籍だ。日本社会ってあれもこれも気をつかわなければいけないところが多くて、休日もそれが入ってくるのはイヤなのだとのたまう。

気取ったりカッコつけたりすることができないヤツなのである。何と言うか、本音を着て歩いているようなものなので、建前を前に押し出してくる日本社会では確かにしんどいだろな。

モイケル娘、「兄貴の性格を理解してくれるような日本女性はいないよ」と断言です。トホホホ^^;天真爛漫、裏表がないっていいと思うんだがなぁとは母の見方であるのだが。

息子が子どもの頃、わたしは思ったものだ。内も外もない、どこでも同じような振る舞いをする裏表のない子になって欲しいな、と。そして、その通りに育った。天真爛漫、天衣無縫、元気溌剌、人見知りもせず、誰にでも相手をしてもらえた。そして、その通りに育った。

息子がそこそこに大きくなった頃、わたしはシマッタ!と思った。表裏のないのはいいのだが、家の中でも外でも同じなのはいいのだが・・・・それだと、ちょっと困ることもあるのだと言うことに考え及ばなかったのだ^^;

表裏のない人間を、美しく捉えてくれたらいいのだが、そういう人ばかりの世の中ではない。大人社会で人と人とが付き合っていく上で、あまり表裏がないのも問題になるのである。

会社勤めには向かないヤツだと既にこちらもそれがもう分かっておる。なにしろ、大学でITコースを修了、就活時に自分が探した職はまず「ネクタイをしない職種」だった。(笑)

人からの評価は大して問題にしないし、先入観にとらわれない彼だ。んで、待てよ? と気づいたのだが、ほんまコヤツは自由人の見本みたいなもんだわ、であ~る。声を大にして言えないが、こうして書いているわたしもグループ行動が嫌いで、○○会と名の付く組織も極力避けたりするので、自由人なるものに半分脚を突っ込んでいる。

ものの本を読むと自由人性格の人と一緒になる相手は、色々大変なようだ(笑) 息子のは我が夫のように辛抱強く、こちらの自由をある程度認めてくれるのでなければもたないであろう。(自分が言うか

我が息子、東京の自由人はそれなりにこれからの人生をいかに?と考え始めているとは思うのだが、おっかさんの目の黒いうちは、助けの必要あらばいつでもするぞ。息子のことをまとまりなくあれこれと書き綴りましたが、昨日は東京息子の誕生日であった。

ではまた。

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2023年9月25日  

9月の二週目週末から日本語教室が始まりました。今年1月からの7カ月間は休み無しをトライした結果、ホンマしんどかった!自分の歳を考えるべきであるとの結論に達した。

そこで、週末の一クラスを相棒のOちゃんに引き受けていただいた。ウエイティングリストにある生徒さん向けの新コースも、案内書作成や連絡の最初の段階から全て彼女にお任せとあいなった。

今のところ、日本語学習者が減る様子は見えないので、そろそろOちゃんにバトンタッチすることを考える時期が来たと思っている。これまではわたしが1年間ウエイティングリストを作り9月に案内書を作成し、新コースオープンを待っている人たちに連絡。質問にメールで回答し、申し込みを受け付け、名前、年齢、住所、電話番号、領収書発行のための各個人の受領番号等のリストを作る。というこれらの作業を取り仕切り、クラスの仕分けまでしてから、「はい、Oちゃん。これがあなたの担当です」と手渡してきた。

これが結構肩が凝るのであ~る。Oちゃん、頑張っておくんなさい!(笑)

それでもこれまでの個人レッスンの生徒も入れると計30人ほどの学習者を持つことになる。 この生徒たちを一人たりとも脱落させないように引っぱって行きたいというのがわたしの願いだ。もちろん、笛吹けども踊らず、と辞めていく生徒もいるので、こればかりはわたしの力ではどうにもならない。

週末5クラスを持って来たのが4クラスになったことで、大分余力ができた。これまでは、授業準備をしながら、もっと面白い教材を作ってみたいと思えど、そのための準備時間がなかなか取れなかった。が、今回はクラスのレベルに合わせた漢字、文法で日本文化の勉強にもなる、「多読プリント」を用意することにした。生徒たちがこの教材に食いついてくれるといいのだが。

漢字学習については、ただどんどん進めればいいというものではない。海外では周囲に見かけることがない文字を習うのであるから、くり返しくり返し目に入るように教材を工夫する必要がある。それは語彙習得にも言えることだと思う。この多読プリントがその繰り返し感を補ってくれるといいと思っている。

これまで同様、まったく日本語授業がない日と言うのはないのだが、グループ授業が一つなくなっただけで、こんなに気が楽になるとは思いの外であった。

目下のところ、「宮本武蔵」を一緒に読みたいという当塾きっての最高年齢者90歳のアルフレッドさんは、ドイツに車検に行っており10月に帰国したら授業開始、
miyamotomusashi.jpg
宮本武蔵6巻。全部読み切れるかなぁ・・・

老い先短いから面倒な文法はもういい、短編小説を日本語で読みたいという85歳のマリアさんとは作家乙一の小説を来週から、
otuichi.jpg
マリアさんと読む乙一の短編小説。日本語教材に取り上げなかったら、自分からは手を出さなかっただろうな(笑)

そして、もう一人、多量の宿題をしっかりこなして送ってくるイタリア系ポルトガル人のアントンさん(ニックネーム)はただいま日本旅行中と、3人の個人レッスン生徒はまだ日本語を始めていないので、すこしゆったりしている。

この3人の生徒が帰還して来たら、その準備に追われること間違いなし。特に「宮本武蔵」は辞書では見つけられない語彙が多いだろうから、パソコンを利用しないアルフレッドさん用の準備に多分大わらわになるだろう。しかし、自分の勉強にもなるのでそれもまた楽し。

10月からは、授業準備をすることにより、孤剣飄然、剣禅一致の道を求め生きる武蔵とともに、時間を共有することになるのである。幼い頃をチャンバラに明け暮れ、チャンバラ映画で育ったわたしだ、再読での新発見を楽しみにしているのだ。

では皆さま、また。

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2023年9月24日 

数日前から風邪気味で、危ないかな?・・と思っていたある日のこと。ここ数年大きな風邪に見舞われなかったので油断したか、日本語授業を終えた週末の夕方、ついにダウン!

夫が早めに帰宅してきたというのに、わたしは既にベッドに入ってしまっていたのでした。それで夫に「悪いけど、外で食べて来て」と言うと、夫、どういう風の吹き回しか、「スープを作ろう!」と言う。えー、スープなんてあなた、作ったこと、ないじゃない」と言うと、「君が日本に行ってた間、作ってたんだよ」と言う。

そ、それは知らなかったけれど、妻というものが側におりながら夫にスープを作らせられませんぞ。そう思い、パジャマ姿にエプロンをかけようとすると、いいからいいからと、さっさと包丁を握り、前日届けられたリンゴの箱を開け、そこから10個ほどものりんごを取り出し、ヘタを切り抜き始めた。

「あれ、スープなの?それ?」
「いや、君が起き出すとうるさいから、スープは止めだ。煮りんごだ」
うるさいってなんやねん・・・・
「煮リンゴって、そんなにたくさんいっぺんに・・・@@」
どうなってんのよ、この人、と思いながらも、しんどいのが先に立ち、再びベッドにわたしは戻り。

しばらくして、「ほれ、クスリだ。飲んどけ」と部屋まで持ってきてくれたのが、オホホ、夫が作った煮りんごとVinho do Portoことポルトワイン。煮リンゴの味?言うなればダイナミックというんでしょうかね(笑)皮ごとだし芯は抜いてないし(笑)ま、文句は言えないか。

下、こっそり写真に撮った夫の作品。
煮リンゴ

そう言えば昔、こんな提案をして夫に即、却下されたことがある。たいした稼ぎではないが、自分もそれなりに一応、日本語を教えながら働いている。共稼ぎの大変さは、なんと言っても女の方が分が悪い。しかし、それもわたしなどは自分がしないと気がすまない点があり。

例えば料理の後の台所は、夫や子供たちがよくするようないい加減なチョチョット片付けはどうも気に入らない。それで、結局自分が手を出すことになる。料理も自分の味付けでないとなんだか気になる。それで結局自分がする。まぁ、自業自得と言わば言え。要は人任せにできない性分なのであ~る。

そんなわたしではあるが、ある時台所に立ちながらふと思った。夫もわたしも仕事から完全退職した後、ヘタすると、わたしは一生この台所仕事をするわけであるよね?その間、夫はソファに腰掛けテレビでサッカー観戦に興じたり新聞を丹念に読んだりするわけだ。

これが死ぬまで続くかも?こっちはそのほか、洗濯は機械がするからいいとして、アイロンは当てるし(こちらの人はシーツ、下着にまで丁寧にあてる)きれい好きなポルトガル人は家の中を磨くものだから少しはこぎれいにしておかないとわたしもなんとなく落ち着かないし。すると掃除もせっせとすることになり、結局自分は一生働きづくめじゃん?なんだかなぁ・・・

そこで、「ねぇ、二人とも仕事からすっかり解放されるようになったらこの食事作り、当番制にせぇへん?」と提案してみた。そのときの夫のヘンジは即、「作るのはいやだ。そうなったら自分が当番の日は外食だ!」(笑) 正直言うとポルトガルでの外食はもうイヤなのだ。レストランのメニューはどこも似たようなもので脂っこい。それがかなわん。

お惣菜は山ほどの種類がスーパーで売られており、店屋物、寿司、お弁当なども手に入り、豆腐や明太子など、パッとそのまま食卓に出せるものも色々あり、いざという時の食卓はなんとか出来る日本と違い、ポルトガルは、冷凍食品が多く総菜というものがない。料理は質素でも手間暇がかかるスローフード、それか揚げ物なのだ。

かつては週末の食事など一日ばっちり2回作っていたのであるから、ちと大変だった。そういうときの、昼食夕食のどちらかの手抜き料理でよく登場するのがspacesis式お好み焼きだ。たっぷりのキャベツにベーコン、薄切り肉を入れ、かけるソースもspacesis特選味。どうだ!

お好み焼き
これにビールがあれば言うことなし。

お好み焼きの難を言えば、食卓に乗せる鉄板がないのでフライパンで一人分ずつ焼くしかなく、二人目のが焼き終わることにはもう一人は半分食べ終わっている点だ。

そうそう、夫の煮りんごの日、結局わたしたちは何を食べたかとの疑問が残りますが、その日はわたしは煮りんごとポルトワインの風邪薬(笑)夫はパンにチーズとありあわせの夕食。なに、一食ぐらいそうしたって死ぬわけじゃぁござんせん。イスラム教のラマダンとでも思えばよろし(笑)

仕事に出かける時の夫の昼食はどこぞのポルトガルレストランで済ましているのだが、わたしのは前の日の晩御飯の残りで十分。そして、時にサラダ代わりに自家製の甘酢づけのお漬物と

tukemono1.jpg

新鮮な小鯵が手に入った時に作り置するみりん干しなどをさっと火にあぶり、これにご飯とみそ汁があれば十分だ。
himono1.jpg

が、夫の食事はこうはいかないのである。なんだかんだと後10年も夫婦共に生きるとすれば、80も半ば。食事はまさに命の綱になる。これを面倒に思ってはいかんなぁ、と近頃はその予行演習をするが如く台所に立つ時間を早めて、これまでしてきたようにあり合わせのものでチャチャチャッとご飯を作るのを止めて少し真面目に料理している。

なにしろ、日本に比べると食材が少ないからなぁ、とは、なまけ者の妻の都合のいい言い訳ではある。

ではまた。

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2023年9月22日 

日本から本を送ってもらうのも、ポルトガルでは税関を通し通関税を支払う。それはいいのだが手続きが厄介なのと空港便なのに1カ月以上もかかったりする。下手すると腹立つことに予告なしで返送されるのだ。

それで、子どもたちに本さえも送ってもらうのを諦めた。その代わり、モイケル娘に買いだめしてもらい、息子がポルトガルに帰省するとき、あるいはわたしが帰国したときに持ってくる。今回は、10冊ちょっとの本を東京息子が運んで来てくれた。その中の一冊に随分前から再読したいと思っていた「ラングストン・ヒューズ詩集」がある。
LangstonHughes.jpg

この本はわたしの愛読書の一冊だったが、1978年のアリゾナ留学でアパートの家財道具一切合切を処分するにあたり、他の本と一緒に人にあげてしまった。残したのはジャニス・イアンのソングブックだけだった。何しろ、全財産をスーツケース一つに詰め込んでの留学だった。

さて、ラングストン・ヒューズだが、彼はアフリカ系アメリカ人で1925年、21歳の時に船の下働きの職を得、西アフリカ、ヨーロッパをほぼ無銭で放浪した詩人である。

古本なので少し色あせている。開いて今でも記憶に残っている詩を探してみた。

きみの靴の みぎひだり
両方とも 紐が切れ
だのに 急がにゃならんなら
―― それが ブルース。   「ブルース」

      
その角を曲がって きみ
きみじしんのなかに 
かけこむときは
そのときは わかるんだ
残された角という角を
曲がってきたんだって   「さいごの曲がり」


みんな、云っとくがな、
生まれるってな、つらいし
しぬってな、 みすぼらしいよ――
んだから、掴まえろよ
ちっとばかし 愛するってのを
その間にな。       「助言」


墓場はいちばん
安上がりの 下宿屋だ。
そのうち  みんな
いつか そこで 間借り。
金持 貧乏人 おなじように 
仕切られる     「下宿屋」

おれは人生ひろいあげ
はこんでいって
おろすんだ
シカゴ デトロイト バッファロー スクラントン
北部や 東部の
どこにでも――
が、南部(ディキシー)はいけねぇ。

訳者は全て木島始氏。

ラングストン・ヒューズのパリ滞在はお金に事欠きずっとひもじい思いをしたようだが、彼の自伝に描かれているパリは、EUの移民受け入れ政策ですっかり様子が変わってしまった今と違い、高校時代にわたしが憧れ、密かに雑誌から切り抜いたパリの町の写真を生徒手帳に挟み込んでいたた街とも重なる。

半世紀を経て再び手に取ったラングストン・ヒューズ、木島始の訳詩は心に響いてくる。いいものは時を経ても決して死なないのだ。

ではまた。

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某年某月某日 

しばらく前のことだ。
外国人にとっても日本語が比較的聞き取りやすいとわたしが思った映画、「日日是好日(樹木希林主演)」を、日本語中級クラス生徒に見て欲しいと思って、youtubeで探していた時に、偶然目についたのが「橋の上の霜」という江戸時代のドラマだ。

題に惹かれて何とはなしに開いてみると、原作が平岩弓枝、主演が金八先生こと武田鉄矢で、1986年に放映されたとのこと。
どれどれ、と見ていくうちに、主人公直次郎が狂歌師だと言う。その親しい友人の朱楽 菅江(あけら・かんこう)の名を耳にして、あっと思った。

我がモイケル娘、院では中世文学を選び、狂歌師、山辺黒人(やまべのころうど)をテーマにした卒論に取り組んだのだが、その時に、狂名にはこんなおもしろいのがある、こんなヘンチクリンなのがある、と、話を聞かされた。それを思い出したのだ。

狂歌師はしゃれに富んだ狂名を号したと言われ、朱楽 菅江は「あっけらかん」から、頭光は「つむりのひかる」、元木網(もとのもくあみ)など(モイケル娘の受け売りなり。笑)、愉快な狂名が多い。

しからば、このドラマの直次郎とはと言うと、江戸の下級武士太田直次郎で、後に狂歌三大家と呼ばれた、朱楽 菅江、唐衣橘洲(からこもろきっしゅう)らと並ぶ残りの一人、狂名「太田南畝(おおたなんぽ)」更に「蜀山人(しょくさんじん)」と名を馳せる直次郎の若い頃、「四方赤良(よものあから)」と名乗っていた時代を描いている。

下級武士ゆえ金はなかったが文才があったのでパトロンが付き遊ぶ金にはことかかなかったが、吉原の遊女に入れあげ、ひょんなことから分不相応にも遊女を身請けしてしまう。しまいには女を囲う金もないので、自分の屋敷の離れに見受けした遊女を住まわせるという、なんともダメな男の話ではある。

後半は、そこそこに狂歌師としての名も売れてきたところで、

白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず

と、狂歌で寛政の改革批判をしたと噂され、危うく首が飛ぶところであった。

この二つの狂歌は、高校時代の歴史で習ったので覚えている。が、まさか、こんな年月を経て、こういう物語のからくりがあったとは知らなかった。

さて、直次郎は上の2作については自作を否定している。取り調べまで行く以前に、朱楽 菅江のとりなしで、直次郎の歌を読んだ上司が感動し、おとがめなしとなる。その歌が、

「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」なのである。

直次郎こと太田南畝、または蜀山人(しょくさんじん)の歌にはこういうのもある。

「世の中は幸と不幸のゆきわかれあれも死にゆくこれもしにゆく」
(70代半ばに入り、つくづくこの歌に感じるものがある。

後に支配勘定に出世、文政6年(1823年)、登城の道での転倒が元で75歳で死去。
辞世の歌は、

「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」

最後まで狂歌の精神、ユーモアを忘れなかった太田南畝ではある。

下記、モイケル娘が、狂歌師院卒論に四苦八苦していた頃の我が日記を抜粋。以下

2015年2月9日 

去年の秋口からずっと、修士論文、狂歌師に取り組んできた我がモイケル娘ですが、しばらく前に口頭面接試験も終わり、なんとか院卒業にこぎつけそうです。

娘から送られた修論の一部を目にして即、「なんじゃいな?この黒人て?江戸時代に日本に黒人がおったとは思えないぞ」と言ったら、笑われた。
「おっかさん、コクジンじゃなくて、クロウドと読むのじゃ」。

そう言えば、江戸時代の狂歌師をテーマにとりあげて、数ヶ月、市立図書館や大学の図書館に通い詰めで、ほとんど悲鳴をあげんばかりの娘であった。それはそうだろう。大学4年間は英語系だったのを、いきなり院で近世日本文学だと言うのだから。

18歳までポルトガル生まれポルトガル育ちの彼女にしてみれば、英語、ポルトガル語、日本語のトライリンガルに、もうひとつ、「江戸時代の日本語」という外国語が加わるようなものです。

古文などは、週に1度の補習校の中学教科書で、「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と言うようなさわりの部分を目にしたくらいで、知らないと同様の状態で取り組んだのですから、その大胆、かつ無鉄砲なるところ、その母の如し。笑

浜辺黒人なんて、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ」の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)のもじりではないか(笑)

狂歌は和歌をパロディ化したものらしい。そこで、ちょいとネットで検索してみると、あはははは。狂歌師たちの狂名に笑ってしまった。

朱楽菅江(あけらかんこう=「あっけらかん」のもじり)、
宿屋飯盛(やどやのめしもり)、
頭光(つむりのひかる)、
元木網(もとのもくあみ)、 
多田人成(ただのひとなり)、
加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、
南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)
筆の綾丸(ふでのあやまる)
↑これなどはしょっちゅうキーボードでミスタイプしてブログ上や生徒に配る自作の日本語教材上で誤字を出すわたしが使えそうだ。わたしの場合は、さしずめ、「指の綾丸」とでもなろうか(笑)

筆の綾丸(ふでのあやまる)は、かの浮世絵師、喜多川歌麿の狂名だという。中には、芝○んこ、○の中には母音のひとつが入るのだが、これなどには唖然としてしまう^^;

おいおい、モイケル娘よ、こんなヘンチクリンな狂歌師たちとその作品を相手の修論、資料が少ないともがき苦しんでいたなんてホンマかいな。腹を抱えて笑うのにもがき苦しんでいたんではないか?等と勘ぐったりしているのはこのおっかさんで、当たり前だが修論はいたってまじめに仕上げられている。この研究が生活にはすぐ役立たないが、そういう学業を教養と言うのかもしれない。高くついた教養ではあるが(^^;)

本日は長い拙文を読んでいただき、ありがとうございます。
なお、「橋の上の霜」を見たい方は、youtubeで検索すると、出てきます。

ではまた。

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2023年9月20日 

今日は自分用のメモとして書いている。

悔しいことではあるが、このところ、検査と診察のため病院へ足を運ぶ回数が重なっている。わたしはこれまで病気らしい病気はしたことがなく、入院と言えば二度の出産時くらいである。二度ともいたって安産で初産は4日目に、二回目は二日目に退院している。

誰でも1年ごとに年が増えるので、今年76になる私などの体力低下は当然なのだが、ひしとそれを感じたのはコロナ感染後のような気がする。昨年10月、コロナ禍でやっと3年ぶりに帰国したというのに、到着するなりコロナにかかった。

感染一週間後に検査で陰性となったが、その後もずっと体調悪く、2か月の滞在は孫の顔を見たいがために3度ほど娘夫婦の家を訪ねたくらいで、ほとんど滞在先である妹の家にこもるというような日々であった。まっこと、残念な帰国であったのだ。

以後、ポルトガルに帰って以来、体調不良は続き、とにかく、眠い、疲れやすい、歩くと息切れがしてゆっくり歩かなければならない状態だった。負なことをブログに書くのは好きではないので、ここにはあげていなかったが、本当は、そういう中での1月から7月まで休みなしの半年だったのであ~る。

で、今回、血液と尿検査で始まったのだが、(これは夫と一緒に毎年している)、今、私は三重苦を抱えている

左脚の痛みで歩けなくなり検査診察の結果、骨粗鬆と診断。「こ、転べないねぇ」と言ったら「転ばなくても骨が折れる可能性がある」と夫に言われ、ぎょえ~!目下、ビタミンDでの治療(服薬)をしているのがひとつ。

半年に一度は来なさいと眼科医に言われ、うっかり忘れて1年後の今日、行ったところが右目の白内障が進んでいる。手術をすることになるだろうが、半年後の状態を見てからにしよう、と相成った。

えー!半年後って3月じゃん!帰国予定してるじゃん!夫にはまだその計画を正式に話していないので、夫もいる医者の前で、「手術は来年の夏くらいに~」などど聞けなかった^^; いいや、ちょっと考えよう。夫にこの計画を話して手術が延ばせるのなら予定通り帰国、それが危ないという状態なら、年内にでも行くか!

白内障手術の成功率は高いと言われるが、万が一失敗でもしたら、この目でしっかり日本が見られないかも知れない。それなら、いっそのこと、年内に行くのも方法だ。が、できるものならしたくない手術・・・・

さて、本題のアイソトープ検査だが、しばらく前に喉のエコ検査をしたところ、Multinodular Goiteだそうだ。日本語でなんと言うのだ? と帰宅して調べると、これまた、ぎょえ!甲状腺腫瘍。それがいくつかできており、大きいのをチェックというので、月曜日にアイソトープ検査を受けてきた。

この病気の原因は不明なのだそうで、症状を調べてみると、はたと思い当たる。眠気、疲れやすい、息切れ、筋力の低下などなど。ひぇ~。あの体調不調の原因はひょっとしてこれだったのかも・・・私の場合、甲状腺の腫れはない。

アイソトープ検査(別名、核医学検査)とは、

『ガンマ線という放射線を放出する放射性同位元素を含んでいる検査薬を注射などによってからだの中に投与し、臓器や病変部に取り込まれた薬から放出される微量のガンマ線を体外のカメラで撮影する検査。肉眼では見えないからだの内部を調べるのが特徴。』


わたしの場合、この注射の15分後に、撮影装置(ガンマカメラ)のベッドで仰向けになり、カメラが最適な位置まで移動(わたしの場合、喉元まで下りてきた)、撮影時間5分ほど。
撮影カメラ

検査薬による被ばくは?

『ガンマ線を放出する放射性同位元素のなかでも、寿命の短いものが使われ、検査に必要とするだけの量できわめて微量が投与される。放射性物質は自然に崩壊して速やかにその放射能は消失。通常は数時間以内、長くても数日中に消えてしまう。
核医学検査で患者が受ける被ばく量は、一般の人が1年間に自然界から受ける放射線の量とほぼ同じで約2mSv(ミリシーベルト)ほど。検査で副作用が生じることはまずない。』


撮影が終わった後、わたしは軽いめまいを少しの間感じた。甲状腺の病気は女性に多いようで、その多くは良性だと言われる。目下のわたしの三重苦とは、これらなのだが、大事ではないようにと願っているのである。
検査の結果は分かったらまたここで。

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2023年9月16日 

大学の仕事の休みを利用して、3週間帰省していた東京息子が、木曜日に帰った。モイケル娘や所沢の妹に「居るけど居ないもの、なぁに?」などどナゾナゾなどしていたわたしである。

つまり帰ってきたはずなのに幼友達たちと遊び歩いて家にいないことが多い。「晩御飯は食べるのか食べないのか?」としょっちゅう気にかけることに毎回なるのだ。それで、「居るけど居ないものなあに?」なのである。忙しいヤツだ(笑)

イスタンブール経由で帰り、そこで7時間の待ち時間だそうで、わたしもかつてフランクフルトでそれくらいの待ち時間をつぶしたことがあるが、まさにぎょえ~であった。息子いわく、うまい具合にマイレージを使って、ラウンジに入ることができたので、そこで仕事の準備をしたという。

今日の日本語授業後、少し休んでいる間にその東京息子からメッセージが入っていた。「福島に着いた」である。木曜日昼にポルトを発ち、イスタンブールで7時間乗り継ぎ待ち。自宅には金曜日夜10時到着。

んで、土曜日の夜から福島でコンサート出演があるからと、土曜日夕方からグループと一緒に高速を車で飛ばし(幸いにも運転役は息子ではなかった。第一、まだ時差ボケ中だよ、危ないじゃないか!)、それで、「福島に着いた」なのである。

2022_Mar_1_1.jpg
The RR. THE RR is a music production and DJ duo. こんなことを趣味でやっている

火曜日からはまた大学の仕事が始まるゆえ帰る前日はほぼ一日中パソコンに向かって仕事の準備をしていた。ふと、子どもの頃覚えた歌を思い出した。

♪ま~えや後や右左
こ~こと思えば またあちら
つばめのような 早業に
お~にの弁慶 あやまった

作詞作曲不明、武蔵坊弁慶が京の五条大橋で後の源義経こと、「うしわかまる」に出会ったシーン、「京の五条の橋の上、大の男の弁慶は 長いなぎなた 振り上げて~」で始まる童謡「牛若丸」である。

ほんまに、ここと思えばまたあちら、牛若丸みたいなヤツだ。いつまでそれをやってるのか、いい加減気になってきた母ではある。息子よ、体だけは気を付けよ。

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2023年9月15日 

プロ野球阪神タイガースが18年ぶりに優勝しましたね。聞けば、高市早苗経済安全保障担当相は熱烈なタイガースファンだということです。タイガース、おめでとうございます!

わたしにとって大阪は第2の故郷で、わずか半年のアメリカ生活ではありましたが、それまでの10年以上をかの地で過ごしました。現在はどうか知りませんが、外国人であるわたしがアメリカ留学をするには、厳しい経済条件がありました。

オフィスで働いていたとは言え、都会での一人暮らしにとって、留学は資金の作りようがなくとても遠い夢でした。が、その資金を作るきっかけを与えてくれたのが大阪です。

留学資金を用意するために、数年のオフィス勤めとビアハウスでの歌姫バイトをしました。この話のオファーがあった時は、自分が好きな歌を歌ってお金をいただけるなど、夢思わずでした。人前で歌うなどほとんどなかったわたしでしたが、恐々、飛び込んで来た幸運をつかんだものです。「芸は身を助く」の種類でしょうね。

当時、アサヒビアハウス梅新と呼ばれていたそのビアハウスが老舗も老舗、大阪では歴史あるビアソングハウスだったということは後で知ったのです。ビアハウスについてはか「あの頃。ビアハウス」のカテゴリに綴っていますが、今日はタイガースの優勝を絡んだわたしのビアハウス時代のエピソードを紹介したいと思います。

このシリーズは写真をもう少しきれいにして、再度書き直しする予定ですが、本日は古いままに。以下。

yuko_nigaoe2_1.jpg あの頃、ビアハウス:「六甲おろし」と「行け行け飛雄馬」

1970年代も後半、わたしが「人生のるつぼ」と呼んだ大阪、梅田新道にあったアサヒ・ビアハウスでのできごとをレトロ感覚で綴ります。2005年くらいに書いたものに手を入れ写真を加えて書き直してみました。今日は「六甲おろし」が持ち歌の杉ヤンの話です。

梅新アサヒビアハウス

1970年代の梅新ビア・ハウス夕方6時半ともなると、ホールは満席になるほど盛況であった。常連が多く、明らかに彼らがビアハウスの雰囲気を盛り上げる一端を担っていた。その常連はと言うと二組に分かれていた。毎日欠かさず通ってくる「毎日常連」と、決まった曜日に来る「曜日常連」である。

彼らはみなそれぞれに一曲だけ持ち歌があり、ビア・ハウスに来る客の中には、歌姫のよりも彼らの歌を聞くのを楽しみに来る客も多いのである。

AB_jouren1.jpg
↑知る人ぞ知る小さな丸テーブルを囲むアサヒ常連の立ち飲み席。どこの店でも常連の席を確保するものであるが、アサヒでは常連自ら立ち飲み席を陣取る。

さて、野球のシーズンともなれば、ビア・ハウス内のそこここで、タイガースファンこと「トラきち」(タイガース気狂い)が席を陣取ることになる。みな口角泡とばし、贔屓チームの持論を振り回すのである。このシーズンは毎日常連の杉ヤンの出番である。

アサヒビアハウス
体を前後に揺らしてリズムをとり、声張り上げて応援歌を歌う杉やん。

杉ヤンは仕事が退けたあと、自ら一日の労をねぎらうために、毎夕帰途にあるこのビアハウスに足を運んで来る常連の中の常連で、自他ともに認める「トラきち」である。
 「杉ヤン、六甲おろし、行け!」
場内の興もたけなわになったころ、ヨシさんのアコーディオンが杉ヤンを呼ぶ。
     
♪六甲おろしにさっそうと
      そう天かける日輪の~
      
  で始まり、
♪お!お!お!おー、阪神タイガース
      フレーフレフレフレー
    
場内は沸きに沸く。すると、「六甲おろし」の直後に、すかさず出てくるのが対抗歌「巨人の星」の主題歌 「行け行け飛雄馬」だ。
     
♪思い込んだら試練の道を
  行くが男のど根性
  真っ赤に燃える王者のしるし
  巨人の星をつかむまで~

どこかに必ずいるものです、巨人ファン。オー!オー!とあちこちで気勢があがり、場内はまさに総立ちの景観。これを見ては、映画「カサブランカ」において、ハンフリー・ボガード扮するリックの酒場でナチ将校たちが歌うドイツ国歌に負けじと、反対コーナーからフランス人達がいっせいに「ラ・マルセーズ」を歌い、火のような対決の二つの合唱がかちあう場面をわたしは思い出してしまいます。

後年、よくその場面を思い浮かべては、わたしは古き良き時代の梅新ビアハウスに思いを馳せたものだ。「六甲おろし」と「巨人の星」は、わたしの中の「カサブランカ」にも等しいのである。 

ついでに付け加えると、この杉ヤン62歳にして、2003年にタイガース応援歌、「みごと優勝!ザ・タイガース・オンド」を歌ってテイチクからデビュー!30年ただ一筋に「六甲おろし」を歌ってきた甲斐があると言うものです。
 
いや~、人生ってこれだから面白い!
かつてのアサヒビアハウスから店名アサヒスーパードライ梅田に変わりましたが、そこへ行けば、今でも杉ヤンに会えると思います。

下記、Youtubeより「六甲おろし」


写真が古くても興味があるという方は、こちらからどぞ。
あの頃、ビアハウス https://spacesis.blog.fc2.com/blog-category-54.html

では、また。

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2023年9月11日 

我がモイケル娘が希望に胸膨らませて日本へ向かったのは2004年6月末日だった。20年前になる。ポルトガルに生まれ育った18年の年月を超え、日本での生活のほうが長くなったというわけだ。

いつ頃からか日本への憧れを抱き補習校の中学卒業式答辞で「わたしは日本へ帰るのである」と宣言されたときは、度肝を抜かれたっけ。

ポルトガル国から物価の高い日本の大学へ進学するための大きな壁は金銭的な問題だったが、それからの3年間、彼女の夢がいかにすれば実現するかとわたしも共に頭を巡らしたものだ。日本の大学授業料は高いし生活費もあるので、自力だけでは大学進学の夢はつぶれてしまう。わたしがそれを経験している。

また、世の中には学歴で人を判断する人間も多いということを肌で感じてきたので、子どもたちには好きなのであれば勉学の援助を惜しむまいと思ってきた。

モイケル娘が日本の大学入学を果たし就職するまでのいきさつは我がブログ「帰国子女ネタ受験編」カテゴリに綴ってある。
結論として、モイケル娘の東京での生活費は夫とわたしが工面する、授業料は日本学生支援機構の奨学金のお世話になる、ということになった。大学を終えて就職するにあたり、彼女の言葉は「わたしの人生〇百万円の借金で始まる~」だった(笑)3年間の会社勤めをして、再び大学院勉学生活の2年間、計6年間を奨学金の世話になった。

授業料、生活費を同時に送金してあげることは難しかったが、卒業後は本人が生活費を得る。学生時代には出してあげられなかった学費の奨学金は自分が払おうと夫が申し出、大学と院の額をずっと支払ってきたのである。

70代も半ばになると、健康的にいつどんなことが起こるか分からない。自分が亡きあとに娘が奨学金の大きな借金を抱えて生きて行くのはは不憫だと思ったのであろう。

そこで、今回は残金全額を納めることにした。〇百万がどっと口座に入ってぬか喜びされても困るので、モイケルには、「パパさんが送るけど、それを一度に払うも、今まで通りに毎月支払って少しの期間、裕福になった気分を味わうのもモイちゃん次第だよ。」と言っておいた。

しばらく後に、どうしたのかと問うと、「全額返金した。さっぱりした~」
おい、それを言うなら親のわたしらだで(笑)
我ら夫婦、借金はどこにも一銭もなし。これで心置きなく・・・おっと、この先は言うまいぞ(笑)

今日はモイケル娘が終活に勤しんでいた2008年の日記を再掲させてください。

ずっこけ親子のぶったま就職活動(4)「明け方の電話」)
2008年9月18日

夢と現実世界の境界線上で、電話が鳴っている・・・・眠い眠い。これは夢だ、電話は夢だ・・・と思いながら夢うつつ。それが夢ではなくて現実だと気づいた一瞬、ガバと布団をはねのけて、寝室から慌てて電話のある玄関ホールへと突進。

すると、呼び鈴は止まりファックスに入ってしまった。我が家の電話は当時3回目の呼鈴で応答しないと、自動的にファックスにつながり、ピッピー、ピッピーとうるさいのである^^;

あらら、止まっちゃった。いったい今何時なのだ? 時計に目をやると、明け方4時だ・・・
我が両親は既に鬼籍に入っており、こういう非常時間の連絡の類は、寝たきりの夫の母を除いては、今のところ察しがつかない。

誰だろう・・・ひょっとしてモイケル娘であろうか・・・と考えながら、寝室に向かおうとしたら、再び電話が鳴った。

二度目の今度はすぐ応答。「Estou sim?(はい、もしもし)」すると、受話器の向こうから聞こえたのはモイケル娘の声である。

「ど、どないしたん?」と焦りながらも、落ち着いたふりして聞くと、
「おっかさん。内定一個もらった~~!」

うぉい!やったぜベィビィ!

普段でもデカイわたしの声が、嬉しいこの知らせですっかり弾み、明け方の四時だと言うのも忘れて更にデカクなり(笑)。受話器を通して、一ヶ月以上も快く娘の就職活動のために宿と
食を提供してくれている我が妹も側で喜んでいる様子も伝わって来ます。しばし、その日の面接の様子を娘から聞いたのでした。

そうです、初めての「内定」なるものをモイケル娘はいただきました^^大学受験発表以来の、明け方の嬉しいニュースではありました。

日中再びモイケルと少しチャット。

「内定もらったけど、今度は別の悩みがでてきた~^^」
「ん?」
「まだ3つ、アポイントがあるんだけど、全部通ったらどうしよう~~」
・・・・・・・・・
か、勝手に悩んどけぃ!(爆)
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2023年9月9日 

前回の続きです。

ストーンヘンジを後に、帰路の途中で同じコルク畑内にメンヒル(ポルトガル語でmenir)もあるというので、それも見ようということになった。標識があるところで車を停め、見てみると、こんなん・・・

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えー!オリーブ畑の間を縫う小道が凹型にくぼんでいて歩きにくいこと、この上なさそうだ。一瞬行くのを諦めようかと3人で話していたところに、突然一匹のきれいな三毛猫がどこからか現れて、しきりに体を摺り寄せてくる。

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あたかも「見て行きなさい」と言っているかのよう思われ、仕方ない、足を運ぶことにした。三毛猫はまるでわたしたちを案内でもするようにメンヒルのあるところまでついてきた。

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目前に姿を現したメンヒルは高さ3.5メートルほどの旧石器時代のモノリスだ。先に見たストーンヘンジことクロムレックとの関連性は記されていない。

日も暮れかけ、さて帰ろうと車を走らせたところ、おろ?ゆっくりとストーンヘンジ方向に向かう車数台と狭い道でかろうじてすれ違った。へぇ、今から見に行くのか、と思っていたらまた数台、また数台と向かって行く。

ぬぬ?そして、あっと思った!この日、8月31日はスーパームーンが見られた。しかも今年の8月は満月が2回見られ(8月2日と31日)、この二回目の満月をブルームーンと呼ぶのであった。見ればオリーブ畑の上には大きなブルームーンが上っている。

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恐らくこの日のスピリチュアルで静かなるイヴェントでも催されるのであろう。しまった!月が上るまでいればよかったと思ったものの、再びあのデコボコ道を引き替える体力も活力もなかった我らであった。

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晩食後、散歩がてら行ったエボラ旧市街のTemple da Diana、ディアナ神殿。ローマ時代の建築遺跡。月の女神ディアナに捧げられたと言われる。

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2023年9月8日

日中は34度に気温が上がるエボラ、ゆえに早目に昼食を済まし、夫と東京息子はどこぞを歩いたりしたようだが、わたしは夕方までホテルの部屋で休んだ。

夕方6時ごろ、さぁ、行ってみようと出かけたのが、エボラから車でさほど遠くない先史時代の遺跡ストーンヘンジがあるNossa Senhora de Guadalupe。あまり知られていないがポルトガルには巨石遺跡があちこちに見られる。

小さな町を通り過ぎて、オリーブとコルク樫畑の中に入っていく。実はここは私有地なのだそうで、所有者の好意で、ストーンヘンジをみるために一般人が24時間いつでも自由に入れるとのこと。
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コルク樫畑の途中からストーンヘンジまでは舌を噛みそうなでこぼこ道で、ギア1か2でしか走れない。観光化されていないのである。行き交う車は1台もなし。涼しいときなら徒歩でのアクセスもいいだろう。やがて目の前に姿を現したストーンヘンジこと、ポルトガル語でCromeleque(ストーンサークル) dos Almendres。

Cromelec2_1.jpg
 
1960年代に発見されたポルトガルのストーンヘンジは7000年前のものでイギリスのストーンヘンジよりも2000年古く、ヨーロッパでは最古のものとされる。95のモノリス(一枚岩)は下記の図にあるように、新石器時代に造られ天文観測と儀式に関連すると言われる。

800px-CromelequeAlmendres_2.png

上図がオリジナル、下図は現在のサークルの様子(2枚ともWikipediaより)

800px-CromelequeAlmendres_3.png

石の高さは低いものから3メートルほどあるものまで。12の石には現在もかろうじて見ることができる円などの謎の図形が刻まれている。暗くなりつつあったので、日光があたらないので全てを探し当てることはできなかったが、一部を下に載せてみる。

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道が悪いので、すっかり暗くなる前にとひきあげ始めたところが・・・
次回に続きます。

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某年某月某日

一昔以上になろうか。
「先生、ぼくのケンドー、見に来ませんか?」と日本語生徒のD君に誘われたことがあった。

昔、大阪の堂島で会社勤めをしていた頃、みんなに「ブーヤン」と呼ばれていた同僚Sの剣道稽古を見に行った時の「ヤー!ットォー!」との掛け声の強烈な印象が残っている。

D君の稽古場所はBessaのサッカー場の隣、ボアヴィスタのパビリオン内だ。その日は特別の稽古日で、リスボンから日本人の師範が指導に来ていた。

稽古は面も胴もなし。二列に向かい合って並び、一技終わるごとに列をずらして対面する相手を変えて行く。稽古場の両側の壁は一面鏡になっている。

これは神道、ひいては武士道につながる「鏡は人間の心の表現であり、心が完全に穏やかで、一点の曇りもないとき、そこに神明の姿をみることができる」を期しているのだろうか、と新渡戸稲造著「武士道」を思い出した。
「ヤー!ットー!」の掛け声とともに、竹刀がバシンとぶつかる激しい稽古を期待していったのだが、それはなかった。みな、真剣に師範の動作を見、話に耳を傾け、動作はいたって静かだ。

静寂な稽古場に時折響く「ヤー!」の声は、時に自信たっぷり、時に自信なさげで、個人の気合の入れ方がそのまま出ていて、面白い。ポルトガル女性が二人と、日本女性が一人(時々稽古相手に指導していた。

さて、ここから本題です。近年はさっぱり音沙汰がなくなったが、アメリカ、カリフォルニアに住み、中年になってから剣道を始めた友人がこんなことを言っていた。

「防具をつけてからと言うもの、死ぬ思いだ。こてー!と叫んで、しこたま手首を打ってくれる。痛いのなんのって、ほんとに頭にきて、竹刀を捨ててなぐりかかってやりたいぐらいなのだ。華麗どころか喧嘩ごしだ。」

「練習が長いと息が続かない(なんしろ中年だからね。笑)、足が動かない、汗びっしょりで頭痛が始まる。練習始めの早や打ち百篇でもう帰りたくなる。」

一緒に剣道を始めた長男が「お父さん、なんでそんなに苦しんでまで剣道へ行くの?」との問いに、アメリカ人の奥方いわく、「お父さんはね、仏教でいう苦行をしてるのよ!」(爆)

剣道を始めたきっかけはというと、ある日、多少出てきた腹を吸い込み、横文字新聞紙を丸めて子供たちと太刀さばきを競ったところが、おとっつぁん、気が入りすぎ、力任せ。それをまともに面にくらった息子が大声で泣き出して果し合いは中止と相成った。

「いい年して、何ですか!」とまるで、小学生を叱る先生のごとき奥方の威圧と、こんなショウ-もない男となぜ結婚したのかとでも言いたげな彼女の呆れ顔が剣道通いのきっかけだったそうな(笑)

わたしは手紙で彼の剣道の話を読むと、昔、我がモイケル娘と二人、ベッドに背もたれて取り合って読んだ「ちばてつや」の漫画、「おれは鉄兵」シリーズを思い出して、彼の手紙がおかしくて仕様がなかったものだ。

「試合でさ、竹刀構えてしばらくシーンと向き合うだろ?それでよ、突然、デカイ声で、あっ!と言いもって、床に目を向けるのだ。すると、人って面白いぞ、釣られて相手も下をみる。そこを狙っておめーーん!」

おいおい、お前さん、それはだまし討ちじゃんか。することがまるで鉄兵そっくりだ、と言いながら、その光景を想像すると鉄平のハチャメチャな場面が思い出され、おかしいったらない。そ、くだんの彼も、鉄兵のようにチビなのではあった。

「剣道も人生も同じです。小さいとか歳だとか、言い訳はしないことです。数年前の少年部の日本チャンピョンは片腕の少年でした。」(片腕の少年チャンピョンの話は、わたしもどこかで読んだことがある)と自分より10歳以上も若い師範の話を聞き、以後、かれは奥方の毒舌、失笑にもめげずに遣り通すと決めたらしい。

ポルトガル時間で真夜中の3時ごろ、電話が鳴る。夫が枕もとの受話器を取り、英語で受け答える。「Mからだよ」
するとわたしは眠気まなこをこすりながら、起き上がって玄関口に備えてある親子電話に出る。

「おい、今そっち何時?」
「夜中の3時です~」
「うん。それでさ」←なんで、それでさ、なのか(笑)
そんなことが数年続いた。

企業家としてアメリカで成功したその後の彼の姿を、時折わたしはネットでグループ写真の中に見ることがある。今では剣道から拳法に移ったようだ。自分を棚に上げて言うのもなんだが、相変わらず小柄で髪も口ひげも白くなって年相応である。しかし、贅肉が見られない。ここだけはわたしと大いに違う点だ(笑)

この分だと真夜中の酔っ払い国際電話ももう入ることはあるまい。幸いだと思う反面、心のどこかで不意打ちの電話を待っている自分がいて、少し寂しい気がするのである。

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2023年9月2日

日中の気温が34度の旅先アレンテージュ地方エボラを後に、4時間少しかけてポルトに帰ってきた昨日、ポルトは20度!いやぁ、エボラは暑かった!

Evora2_1.jpg


避暑地を選ばずわざわざ暑い内陸を選ぶ夫には苦笑である。アレンテージュ地方をもう一度おとずれたいなと言うには言ったが、その後に、暑さはからっきしダメなわたしは夏は酷暑だから春先か秋がいいよねぇ、と付け加えたはずなんだが(笑)

今回は先日ブログ記事でリスボンの住宅困難を取り上げた際に言及したALことアロジャメントと呼ばれる民宿に一泊した。その村の宿はそれしかなかったのである。

我ら、というか夫の目的はそのCumeada村にある夜空の観察所訪問であった。(ポルトガル語でObservatório Oficial Dark Sky Aolqueva)わたしは一時期星の観察に夢中になり、使い方も良く知らないまま、何とかできるだろうと日本からミニ天体反射望遠鏡まで持ち込んで月のクレーターや木星、その衛星イオを見つけたりしたものだ。

夜空の観察は夫の気遣いなのだろうが、ふと月の満ち欠けをチェックしてみると、あらま、その日は満月ではないの(笑) 夜空の観測は新月時(地球から月が見えない時期)に限るのである。星々がはっきり見られないのは残念ではあるが、お掃除のおばさんの夏休みと東京息子がいる時期となれば、その週しかないと夫。

夜9:30から11:00までのプログラムで17、8人が参加していた。本物の反射望遠鏡が2台庭に置かれてあった。目に見える星座の説明が案内者によってなされ、アンドロメダ星雲、月、土星を天体望遠鏡で一人一人覗いたのだが、わたしがはっきり見ることができたのは月と輪を持った土星とその大きな衛星が一つ。

街灯がほとんどないあの村からだと月のない夜は裸眼でも天の川が見られるであろう。そういう意味では満月の夜だったのは、しかもスーパームーンだったのは残念であった。わたしとしてはこれらの基本的な知識は既にあることなので、新鮮味としてはイマイチではあったが、日々の忙しさで夜空を仰ぐことを忘れていたのを思い起こすいい機会になった。

五言絶句に、

忙裏 山 我を看る
閑中 我 山を看る
相似ず 忙は 全て閑に及ばず

と言うのがあるが、

忙裏 星 我を看る
閑中 我 星を看る
相似ず 忙は 全て閑に及ばず

と、替え歌にしてみる(笑)

「忙は 全て閑に及ばず」とあるのだが、日々忙しくしているだけではいかんなぁと思いながらも、来週から再び、忙裏に身を置く生活が始まる。いや、一クラス減らしたのでちょっと「閑」がちょびっと入るであろうな?

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