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2023年7月28日 

独り身ならいざ知らず、家族がいての「ミニマリズム」生活は不可能ではないか、とはわたしの考えである。

生活を共にする相手も同じ考えなら可能だろうが、子どももいるとなると難しいと思うのだ。ミニマリズム生活は、ホテル住まいに似ていると思われるのだが、わたしの場合、ホテル住まいは休暇中の滞在で十分。

徳川家康が「不自由も常と思えば、不自由なし」と言ったとか。「あれがない、これがない」と日々の生活で利用している便利物も、せいぜい1、2週間のホテル滞在と思えばなんとか我慢ができる。

これは、「なくてもいい」ということとは違うとわたしは思う。またホテルの部屋は、部屋を利用する自分が、寝るか休憩かに使うのみで、わたしには殺風景で生活感覚とは全く離れていると思われる。

「快適に暮らす」とは、便利さととらえるか、空間ととらえるか、かも知れない。しかし、豪邸でもないかぎり、子どもが生まれれば家の中はあれよあれよと言う間に物は増え、子供が遊び出し始めると乱雑さは片付けても片付けてもなかなか納まらないものだ。それが「子どもがいる家庭」でもあると思う。思うに、日本の家が狭くなるのは和洋折衷だからではないか。昔の家には余計な家具はなく広かったはずだ。

我が家も長い家族生活生活で物はどうしても増え、移った時には随分広いと思われた家も、いつのまにか物に囲まれてしまっていることに気づく。日々を忙しくしていると、それらを見直す時間もなく、ズルズル今日まで来てしまったわたしである。そして、やはり、置き物をはじめ、食器類、衣類の和服洋服と和洋折衷の如くなっている。文具類、台所、洗濯場関係の細かい物となると数え切れない。

このままでは、自分にもしものことがあって、子供たちが整理しなければならない場合、日本に住んでいる彼らのことを考えると、エライことになると思ったの。それがきっかけで、何年も前から少しずつ、世に言う「断捨離」と言うものを始めたのである。

使わない、飾らないけど捨てられないというものは、人にもらっていただいているが、それらの多いこと!

衣類はお掃除のおばさんに欲しいものは持って行ってもらい、残ったのは古着のリサイクル場に置いてくる。衣類はかなり処分できて、もう少しだ。写真類もかなり処分した。

問題は我がダンナです。
え?spacesisさん、だんなさんも思い切って?って、ご冗談でしょw 夫の書斎のものですってばw 夫はなんというか、念のためにと箱まで取っておくタイプで、書斎の本棚の一番上には大きな箱が数個ドーン。万が一を考えていると断捨離は進まない。これをなんとかして欲しいのだ。

思い出したように車庫へ行き、たまに物を処分している夫だが、まずは書斎から始めてほしいものだ。それを言うといつもきまった返事が返ってくる「君の物もたくさん書斎にあるのだよ」(笑)いや、以前ほどありませんて。もう整理したんです。

この8月下旬には息子が帰省する。彼がリスボンのアパートを引き上げる時に持ってきて置いてある音楽関係の機械やら備品やらがしっかり場所を取っているので、今年こそは処分してもらおう!毎年息子が帰国してくる度に本人に言うのだが、ポルトでの休暇の3週間、家でゆったりしてることがない。困ったもんだ。
それでも、わたし自身の所有物、衣類、靴、本などは大分処分できた。後はブランティア活動の日本文化紹介展示会にと日本から持ち込んできたものが結構あるので、これらをどうするかである。

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故郷が弘前ゆえ、津軽塗や漆塗りが好きで、これらは我がモイケル娘に着物や帯類も含めて、今のうちに手渡したいと思うのだが、娘曰く、「置く場所がないから~~」。

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この桐の下駄もお気に入りである。

着物や茶器の一部をポルトガルの友人や生徒に差し上げているが、自分が身動きできなくなる前にすべて譲りたいと今真剣に考えている。終活である。

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2023年7月24日

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画像はブログ題と関係ありません。ポルトの川沿いを走る路電ことエレトリコ。

七十路の門をくぐって既にその路も半ばも超えようとしている我ら夫婦、たまにくだらない言い合いもあったりしますが、もう尾を引きません、根に持ちません。いたって平和なのは、もしかしたらまだ毎日それぞれに外部の人達と接してすることがあるからかもしれないなと思ったりします。その外部の人たちも私の場合は専らオンライン教室でのポルトガル人生徒相手なのですが。

二人とも完全に仕事を退いて、年がら年中一緒にいることになったら、果たしてどうなるのか?しばらくは終活の一環として、断捨離に励んだり、好きな勉強をしたり?う~ん、今は考えんとこう(笑)

わたしは、幾つになっても笑いこそは人生を楽しくする要素のひとつだと思っています。笑う角には福来る、と昔からいいますし、本当にそうだなと感じます。しかし、意味なく笑っているのはアホですしね、気持ち悪がられるのが関の山。

毎朝起きるとネットで日本に関するニュースを読み、お気に入りのブロガーサイトを訪問するのが習慣ですが、これがほとんど政治関係なもので、昨今はニコニコ顔になるはずもありません。 起きてきた夫が後ろから「おはよー」と声をかけてくると、ニュースに怒ってるもので振り向いた顔が「オニ」ってこともざらにあり、夫は「ぐは!」となります。

笑うときは、大きな声ですから、読んでる本を開いたまま、あるいはモイケル娘のブログ記事を目の前にして、わっはっはですから、夫が「何がそんなに面白いのか」とやってきます。笑うことによって肩の凝り、ストレスは薄らぐし、爽やかな気持ちになります。

時には昔の出来事を思い起こしたりして、笑いがこみ上げてくることもよくあります。今日はそのエピソードのひとつを。みなさんとわたしの笑いのツボが同じかどうかわかりませんが、以下、ご笑覧あれ。

プンプンしていると、気持ちがささくれだって来ます。こういう時にわたしがするのは、子供たちが日本へ行った最初の頃に聞かされた数々の面白話を再読することです。

年月を遡り笑っているうちに嫌な気分も少しは失せるという訳でして。

初給料なるものを手にした我がモイケル娘、げへへへ、とスカイプで喜んでおりました。その月だけは諸費がほとんど差し引かれずにいただけたのだそうです。

来月からは保険やらなんやらと色々差し引かれ、手取りはぐんと少なくなることでしょうが、やはり自分が汗水流して得たものは、うれしいことでしょう。

その彼女、社の組合入会勧誘の話が来たときのこと。彼女、色々質問をしてみたが、勧誘するご本人もよく分からずに入会しているようで、話にらちがあかない。そこで、サインする前に規約書を読ませてくれと頼んだのだと・・・

モイケル娘の言うのがもっともな話なのですが、どうやら普通は皆さん、質問などせずに入るらしいのです。

読んでみた結果、月々3000円も払うのは低額所得者としては痛い、それで、「わたしは入らない。」と言います。

それで、思い出したのが、東京のW大学から3年目に編入した九州の大学での学生支援協会の会費徴収の連絡が来たときのことです。

年に一括して数万円の会費を払うのですが、よく案内内容を読んでみると、入会は義務にはなっていない。

曰く、「第一おかしいじゃないの。学生支援協会なのに、モイケル娘のような苦学の現役学生から(笑)なんで何万円も会費を徴収するのよ。これじゃどこが学生支援なのだ」とわたしたち親子。

案内の手紙は、保証人である所沢の我が妹宅へ行ったのですが、その妹いわく、
「一応みんな黙って払って入っておくのが常識なのよね。就活の時とか、いざとなるとヘルプしてもらえることもあるし。」

しかし、わたしと娘がカチンときた手紙の一文に、「入会されない場合は、就職の際などお手伝いできない。」と書かれてあったこと。

こういうことにはすぐ意固地になるわたしたち母子です。
「おお、そうかいそうかい!誰が入てやるかい!」と相成ったのでありましたが、正直、そのときおっかさんのわたしは、「ちょっとまずいかな?やっぱしここは、日本的に黙して従った方が身のためかも?」との思いが頭をかすったのですが、モイケル娘、「いや、入らん!」・・・・・

ま、就活も当時の日本の事情を知らず出遅れて少し苦労しましたが、なんとか会社に採用してもらったわけです。それでも、くだんの「学生支援協会」に入会しなかったがために、その後、プレミアをもらいそこねたのでありました。

そのプレミアとは、英語能力TOEIC試験で学内トップのスコアをとったらしく、講師から、「賞金がもらえるはずだよ」と言われ、喜んで大学の事務局に申請に行ったところ、なんと、学生支援協会に入会していないからもらえないんだと(笑)

残念なことではありましたが、娘、「いいわ。もらう賞金よりも、年間に払うことになる会費の方が高いわい。」^^;

こんなんで、組合には入らないと言っていると今度は、社内で「部費」なるものを徴収されることが分かった。「2000円もよ!」とモイケル(笑) 

部費って、学校の部活じゃあるまいし、わたしの時代にはそんなの聞いたことがなしw「結局、日本て、なんだかんだとかこつけて、いつでもどこでもお金がもって行かれるようになっる・・・」とモイケル娘、ぶつぶつ言うこと言うこと。

おまけに自分が属するセクションの部費はモイケル本人が徴収することになったのだそうで。あははは、でありました。

しまいに、すでにこんな失敗をしておりますです。
「ダンボール箱に自分とこのセクションの名前をでっかくマジックで書いてたのよね。じゅん・び・しつ・って。 そしたら、その字、間違ってた~~~。がははは」
順備室・・・・・  

き、帰国子女だからね、なにしろ。それで勘弁してもらおう^^; 
「び」という漢字が他にもあるのを知っていたと言うことに重きを置いて、なんて母でありました。

モイケル娘の名誉のために言っておきますれば、今はそんなことはないはず。いや、ないと思う・・・ないんじゃないかな?と、さだまさしの亭主関白風になったわいな(笑)


あの頃は、モイケル娘、きっとこれから色々しでかすんだろうなとの楽しみの方が心配を上回っていた母でありました。こんな風に、笑い箱から過去の話を一つ取り出して嫌なことが忘れられるという「福」があるのは幸せなことです。

ではみなさま、本日はこれにて。
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2023年7月23日

数年前まではイギリスのいいドラマが結構放映されていて喜んでいたのだが、イギリスがEU脱退となった時から新しいシリーズが入らなくなった。古いドラマがリピートされることもなくなって、至極残念に思っているこの頃だ。

Silent WitnessやMorse, Endeavor, Veraなど(全部刑事ドラマ。笑)ドラマの中で話される英語が全部分かるわけではないので、ポルトガル語字幕を読むのだが、これが訳の字幕が長いのだ。それで、読み切らないうちに場面が変わってしまうことが往々にしてある。

イギリスドラマの代わりにフランス語やドイツ語の刑事ドラマが多く放映されるようになったのだが、そっちの言語はさっぱり分からないので、ポルトガル語字幕に必然的に頼るのである。

が、上で言及したようにポルトガル語字幕が長すぎて話がよく分からない。そんなわけで、近頃は晩御飯の後片付け後、テレビを見ることも少なくなった。10時半、早い時に9時半に寝床につくこともある。「おい、まだ9時半だよ」と夫に呆れられる始末である。なぁに、床につくといってもすぐ寝入るわけではない。本を読むのである。

こんなテレビの話を我がモイケル娘としていて、日本の映画字幕ってすごいよね、の話に及んだ。モイケル娘は、院卒後、色々参考になるからとて一時期東京の小さな翻訳会社に勤めたいたことがある。現在も翻訳会社ではないがメールで海外の会社とのやりとりや、その会社とオンライン会議上で通訳の仕事もしているのだが、「大変だぁ」と言いながらも勉強になると前向きである。

さて、翻訳の難しさについて彼女とやりとりした時の事、娘曰く「翻訳の仕事は、言葉のセンスと専門性が問われる割には評価されないのが残念だ」と言う。

そうだよね。風と共に去りぬのスカーレット・オハラの最後のセリフ、「Tomorrow is another day」を「明日は明日の風が吹く」なんて訳した人、すごいと思うとわたしが言えば、モイケル娘、
「あれも好きだよ。月がきれいですね。」
「なんだ、そりゃ?」
「夏目漱石がI love you を日本語で愛してるって訳すのはしっくり来ないと言ってそう訳したんだそうだ」
「なんだそりゃ?」と再びわたし(笑)「I love you と月がきれいですね、とどういう関係があるちゅうのよ?」と、はてな?のわたしに娘いわく、「日本人なりの遠まわしな告白なんじゃない?」

がーーーんと一発頭をぶたれた気がした。モイケルよ、そなた、いつの間に日本人というものを、いや、古き善き時代の日本人の気持ちを汲み取れるようになったとかや?おっかさんのほうが、今ではむしろ、そういう見解から離れてしまったように思われて参ったものだ。

映画の字幕翻訳については、50年以上にわたりハリウッド映画の字幕翻訳を担ってきた戸田奈津子氏が、86歳になったの機に訳者を引退するとのニュースを目にしたのが昨年2022年。

邦画字幕は字数が限られているのだそうで、始めの20年は苦労したそうである。それはそうだろう。次々とシーンが変わる映画のなかで、長々と直訳するわけにはいかないのである。その場面に合った短い、更に主人公のセリフであればカッコいいものに、としたいだろうから、直訳はダメ、ある程度の意訳が必要となるだろう。戸田奈津子氏のことに少し興味をもって検索してみると、うひゃ~、すごい!

地獄の黙示録、ET、バック・トゥ・ザ・フューチャー、ダンス・ウィズ・ウルブズ、シンドラーのリスト、セブン・イヤーズ・イン・チベット、評決のとき、タイタニック、スター・ウォーズ、ハリー・ポッター、ロード・オブ・ザ・リング、トップガン マーヴェリック、等々、たくさんある。

ここにあげたのはわたしがみている作品だが、残念ながら全てポルトガルで見たので字幕はポルトガル語訳である。更にプロフィールを探ると、戸田奈津子氏は若い時、なんと、前回のブログでわたしが名をあげた翻訳者「清水俊二」に弟子入りをお願いしたのだそうだ!清水氏は弟子をとらなかったものの、彼から戸田奈津子氏は、映画の字幕は1秒間に3、4文字、1行に10文字を2行まで、と字幕のイロハを授けてもらったと語っている。

彼女は高校時代に見た映画「第三の男」の中の「I shouldn’t drink it. It makes me acid.」のセリフで、直訳は「これ(酒)を飲んではいけない。これは私を不機嫌にするから」となるのなを、「今夜の酒は荒れそうだ」と訳されていたセンスに感動し、字幕翻訳者の道に進んだのだそうだ。

清水俊二氏と戸田奈津子氏のつながりをもうひとつ知った。1988年5月22日、食道癌のため亡くなった清水俊二氏は亡くなる前日までレイモンド・チャンドラーの「高い窓」の翻訳に取り組んでいたそうだが、未完のまま残された。その後の翻訳を戸田奈津子氏が引き継いで完成させたと言う。

かつて読んだ本だが再読してみようとわたしはモイケル娘に注文してもらった。いったいどのあたりからが戸田奈津子氏の翻訳になるのか、わたしごときが果たして見つけられるだろうかと少しワクワクしながら読んでいる。

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2023年8月20日 

いえいえ、わたしがお別れするわけではありませんてば(笑)

ハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーの本の一冊であり、ハンフリー・ボガード主演で映画化もされている題名なのです。 こんな話をとりあげるのは、我が妹やモイケル娘と翻訳本の文章に話が及んだことからです。

特に原語で読む語学力なく翻訳本を手にする場合、本のファンになるか否かはその訳者の文章が大いに影響する云々の話がでたのでした。

高校時代は外国文学に夢中になりましたが、20代にはハードボイルド作品に熱を上げていました。その頃の我が憧れのヒーローは誰あろう、レイモンド・チャンドラーの作品の主人公、私立探偵、「フィリップ・マーロー」なのであります。

書店の本棚にならぶ本の背表紙を読んで行きながら、偶然手にした一冊が時には思いの外おもしろくて、その作家に病みつきになったということは、みなさんにもあるでしょう。

ある日、偶然タイトルに惹かれて手にした一冊から始まり、以来、チャンドラーの作品は次から次へと読破。「長いお別れ」や「さらば愛しき人」は、映画化され、後者は近年、村上春樹氏も翻訳していますが、わたしは俄然、清水俊二氏訳が好きです。

The Long goodbye_2
ペーパーバック原語版。古い・・・(笑)

フィリップ・マーローの探偵事務所はロスアンジェルスの薄汚いビルの一室。一見冴えない感じのこの探偵が人生の悲劇を織り成す様々な人間模様を見せる事件に取り組むとき、俄然、大人の魅力をかもし出してきます。

「ギムレット(4分の3のドライジン+4分の1のライム・ジュース)」と言うカクテルがあるのも「長いお別れ」を読んで知ったのでした。 「タフでなければ男は生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」「さよならを言うことは、わずかの間死ぬことだ」等はマーローのカッコいいセリフです。

チャンドラーの作品を殆ど読みきった後に熱中したハードボイルド作家はロス・マクドナルド。これも私立探偵「リウ・アーチャー」のシリーズです。リウ・・・どこか聞いたことがある?はい^^息子の日本名はこの「リウ」を絡めてありますです(笑)

息子の命名時、ポルトガル名は夫が、日本名はわたしが選び互いの選択に同意して決めたというわけです。が、息子の名の由来が、我が青春のヒーローの私立探偵たちの一人であるリウ・アーチャーから来ることを夫は知らないです。(笑)

ハードボイルド作品など読まない人ですからね。説明が面倒なのです(笑) フィリップ・マーローの「Filipe」でもよかったんですが、それだとポルトガルにはざらにある名前です。おまけにそれを日本語にするのには無理がありますしね。なんのことはない、今日は私立探偵名が息子の日本名にたどり着くまでの話でした。

追記:この記事は数年前に一度記事にあげたのですが、自分の勘違いがあり間違いを指摘されて一旦削除して以来、そのままになっていたのを本日書き換えて投稿しました。

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2023年7月19日 

マドリッド、ローマを始めとして欧州各地は猛暑に襲われているそうですが、はて?ポルトはどうしたの?と首を傾げるほど7月に入ってもずっと涼しくて、暑がり屋のわたしですがエアコンを使用していません。因みに今朝午前10時半の気温は21度。もちろん、8月もこのままとはいかないでしょうが。

さて、先日書いた保護ネコの報告です。
マイア市の動物愛護協会で10日ほど過ごしたフジオ君が我が家に来て12日になります。先住猫のゴロー君とうまくやって行けるかどうか、目下様子を見ているところです。 

フジオ君が来た初日。リビングの家具の上に行ってしまったゴロー君^^;
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痩せていたフジオ君が段々体重を増やしてきました。それもそうです。だって一日中エサをねだって台所をなかなか離れないんですよ(笑) 当分の間は欲しいだけあげようと思っています。

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フジオ君は距離を縮めて先住人に近づきたいようですが、ご覧あれ、ゴローのこの様子(笑)なかなか近づけません。そして、彼は明らかに嬉しくない顔です^^;
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それに比べて新参者、わたし専用のアームソファに堂々と寝そべりました。
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引き取ってみると意外や、おとなしいネコちゃんであります。トイレの砂で用をたすしつけができており爪とぎ段ボールの使い方も知っているので、恐らく昔人に飼われたことがあるのだろうと推測します。

問題は先住猫ゴローが10日以上たった未だ、警戒し時にシャーッと威嚇していることです。フジオ君は知らんぷりです(笑)
ポルトガルでは、ペットの犬猫はチップを埋めなければならないので、夫の名前登録してあります。正式に我が家の一員となったわけです。

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安心しきって寝ているゴロー。

ゴロー君の顔を立てないといけないので、朝一番にはゴローに挨拶です。ご飯もまずはゴローに(笑) なかなか大変だニャ、こりゃ、と言いながら、家族が増えたのを楽しんでおります。

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2023年7月17日

子育て期間中、したいことがなかったわけではありませんが、「それを犠牲にして」なんて気持ちは毛頭なかった。わたしは子育てする事によって自分自身が育てられたと言った方が適切。(笑)過言ではないです。
       
子供達の学校生活を通じて経験したことですが、日本という異文化には周囲のみなさん多少の興味を示します。
                                    
ところがです、その母親のわたしときたら、日本にいた若い時代は目を外へ向けるばかり。少し反骨精神を持ってましたから、それを振り回して、いわゆる日本社会の常識ごときものは、伝統文化から習慣までうっちゃってしまい、「ヘッ!そんなもん」くらいに思っていたのです。
                                           
これがです、こちらでの生活が長くなっていくに連れて、このままではどうもいけないぞと感じるようなことが多々出てきたのです。
                                          
例えば、こんな具合のリクエストが舞い込みます。

「日本の伝統文化を紹介してもらえないか」  
↑しょ、紹介できるもんは折り紙の鶴くらいしかおまへん^;紙風船もだまし船も本を見ないとできない・・・^^;お茶?お花?とんでもない!木彫家で我が親友のMichikoが両方とも教える免状を持って現在もお弟子さんを取っているので話を聞いていますが、人様の前で紹介できる所まで行くには何年10年以上もの修業と多額なお金がかかるざますよ。都会での女一人暮らしの身でお月謝支払いができるわけがございませんでした。

「着物を着て結婚式に来てくれないか」         
↑来たあぁぁ!せめて母に着付けを教えてもらって着物を受け取るんだった。着物があるにはあるが、一人で着たことがないでぇ。はい、誰も知らぬをいいことに、勝手気ままに着ていきました。後日そのときの写真を母に送りましたら、「なんという着方をしとるの!」と母に叱られました。
                                   
「その理由も含めて、日本はどういう新年の迎え方をするのか」
↑これ、その当時はパソコンなど持っていませんでしたから、手持ちの日本文化の大雑把な説明が書いてある英語の本まで読み漁って勉強する羽目になりましたぞ。逆だっちゅうのよ^^;
                                               
「日本人はこういうときに、なぜこのような行動をとるのか」
↑これは、背景となる日本文化の知識がないと説明するに歯がたちません。一般論で説明しますが、「~だからだとわたしは思います」で結びます。逃げ道を一応つけるなんて、ずるい(笑)
                                        
リクエストでぬぬ?と思ったのには「国歌を歌って録音して欲しい。紹介したいから」というもの(笑)
伴奏なしで大きな声で歌って録音しましたです、はいw(←これはどこぞの学校の要望でした)

つまり、日本人である個人のわたしを通じて、日本、日本人を知りたい、となるのです。いい加減なわたしも、これらにはびびって考えさせられました。海外で生活すると言うのは、非常に個人的なことなのですが、外国の人たちは個個の日本人としてよりも、その人を日本人全体の姿として見るような気がします。

ポルトガルに住むことがなかったら、わたしは相変わらず自分の国の文化に大して興味ももたず、調べもしないでいたかも知れません。日本では普段の生活でその必要性を感じる機会が少ないですから。
                              
また、こういう経験も度々ありました。
自分の国のあれも悪い、これも悪いと欠点を揚げ連らねていたのが、いざ、他国の人達が一緒になって、「そうだそうだ」と攻撃し始めると、自分が言っていたのを棚に上げて、「あんたに言われたくないわ!」と俄然腹が立ってくるのですね(笑)
       
母国の外にいてつくづく感じるのは、良い所も悪い所も「オラが国」。

近年自分の国を公の場であしざまに言う著名人が多くいるのを毎日のようにインターネットを通じて目にし、君ら、本当にそれでいいのか!と、思うところがあります。

ま、わたしごときが何を言おうとどうと言うことはないのでしょうが、発言の権利自由があるからとて、故意に言葉尻をとらえては忌まわしい言葉で言いがかりをつける近頃の学歴ある人たちに品位も感じられず。

もしも万が一、夫が先に逝ってひとり取り残された場合には、やはり日本へ帰国すると考えていた自分の気持ちを変えたくなるほど今の母国の政治、社会に深い失望感をもっているわたしであります。

あぁ、なんまんだぁ。
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2023年7月12日 

国際間でも迅速に用事が済ませるEメールの出現以来、日本やアメリカの友人から航空便の手紙を受け取ることがなくなった。40数年も前、ポルトガルに来た頃は、郵便受けに赤と青色に縁どられた封筒を目にするたびに嬉しくて心が躍ったものだ。

わたしは大阪時代はオフィスで英文タイピストでもあったので、その仕事から離れて何年も経っていたとは言え、パソコンが普及し始めるとキーボードを使うのに苦労がなかったので、Eメールもすぐ使い始めることができた。

が、わたしの高校時代の同窓生たちや同年代の友人全員がメールアドレスを持ちパチパチとキーボードでメールが送れるわけではない。むしろ、「このメールを打つのにこんだけの時間がかかったよ」と言う友人が多かった。
これは、そう言いながらメールなるものに挑戦して近況を知らせてくる友人たちがいた頃、かなり昔の話ではある。


ポルトガルに定住して以来、わたしは3度住所を変えた。最初の6年間は夫の母や夫のおば達と同居をし、家の中はわたしが知らなかったポルトガル語、英語、日本語が飛び交っており、息子はそんな環境で小学校に上がるまで育った。 

モイケル娘が生まれることにあたり、同じ通りの同じ側、20メートルばかり離れた、まさにスープの冷めない距離にある築70年ばかりにもなろうかと思われる3階建ての一番上の借家に移った。小さな庭付きである。それが二度目の住所。この通りは緩いカーブになっており、義母の家のベランダと玄関がその借家から見えるのであった。モイケル娘はその家で16歳まで育ったのである。

三度目の住所が、現在住んでいる4階建てのフラットで、これが我が終の棲家である。フラットを買うにあたり、当時既に10年来寝たきりの義母の家から遠く離れるのは何かと不便があるのと、長年この通りに住んでいる日本人なので、こちらは知らなくとも周りは皆わたしを知っている。いざと言う時には、言葉の問題で困るかも知れないわたしにとって、この地域は安心感がある。それで、結局我が終の棲家もほとんど同じ通り、という事になってしまった。

さて、義母と同居する独身の義兄が、ある日、わたし宛のものだと言って赤と青の斜線が入った一通の手紙を持ってきた。航空便である。見ると、義母の住所のわたし宛になっている。

いったい誰が、と不思議に思いながら封筒にしたためられた筆跡に目を落としたが、わたしはまったく覚えがない。差出人を見ると、「青森県弘前市」と住所にある。名前は「小○セイ」と書かれてあった。

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画像はWikiipediaより

弘前はわたしの故郷だ。脳裏をすぐかすったのが、高校時代の同窓生ではないか?はやる思いで封を切り、その手紙を読み始めたわたしの心は、かすかに震えていた。

手紙には、
    
某年6月22日、早朝5時のFM放送で、偶然あなたのインタビューを聞きました。南高校一期生の仲間として、とても懐かしく嬉しい思いで、高校時代の名簿から住所を探して、突然の手紙を書いています。

記憶の彼方から色々な名前がぼんやりと浮かび上がってくる。

高校でのわたしたちは第一期生であった。団塊世代のわたしたちは、一クラスが45名ほどの全7クラスで、弘前南高校の歴史はそこから始まった。

丸一年間、全校生徒320名ほどの一期生は、今でも名前と顔が一致しないことはあるが、ほぼ全員の名前はうっすらと記憶の中に印刷されている。写真付きの名簿を見ると、すぐに思い出すことができるのだ。

高校を卒業して以来、ほとんど故郷の両親の元へ帰ることがなかったわたしは、長い間「行方不明」と名簿に書かれていたであろう。その名簿に、わたしの一番最初の住所が載せられたのが、いつなのかわたしは知らない。

弘前に住むおじの双子の息子が、同じ南高校に入り、彼はPTA会長の役を担ったことがあったのだそうだ。その時に、何かの拍子でいったいどこへ行ってしまったか、誰も行方を知らないのが自分の命であるわたしだと知り、わたしの住所をおじが名簿に登録したそうである。これは、ずっと後になって、わたしがおじから直接聞かされた話だ。おじからすればわたしは最初の姪にあたる。

わたしは、この当時、36年ぶりで「指とま」のいうサイトで偶然コンタクトを取ってきた京都に住む同窓生がわざわざコピーをして送ってくれた写真入の卒業名簿を開いた。

あった!32ホームルーム、小○セイさん!
わたしは36ホームルームだったが、あぁ、覚えてる覚えてる。

この時のラジオ出演はほんの5分ほど。しかも早朝5時で、FM東京である。大阪の仲間からは、「FM東京は関西では聞けへんで」と言われ、わたしは日記にちょこっとアナウンスしたきりで、放送局に全国で聞けるかどうかを確認もしなかった。これは、なんと言う偶然だろう。

20年前の住所に送られて来た、40年前の同窓生からの手紙を手にして、じ~んと熱いものがこみ上げて来たのだった。

モンテルランの言葉が、この手紙を通してわたしに囁く。

人生を前にして、ただ狼狽するだけで、無能なそして哀れな
青春。だが今、最初のしわが額に寄る頃になって得られるのが、
人生に対するこの信頼であり、この同意である、
「相棒、お前のことならわかっているよ!」
と言う意味のこの微笑だ。
今にして人は知るのだ、人生は人を欺かないと、
人生は一度も人を欺かなかった。


既に50代60代のようなエネルギッシュな生き方はできないけれど、75年間人間をやってきて、今もわたしは生きている。わたしのラジオインタビューを耳にして手紙をくれた32ホームルームの小○セイさん、どうしていますか?シマ、タコくん、工藤くん、三上くん、みんなどうしていますか。無事コロナ禍を乗り切れましたか?

この20年ほどで我がメールアドレスも変更し、彼らのメールアドレスも不確かだ。確実な住所を知っている同級生の一人に長年ぶりで手紙なるものを書いてみようかと思っているこの頃だ。

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2023年7月6日 

ポルトの保護ネコ「フジオ君」の名の由来から、「日本の保護ネコフジちゃん」の長いストーリーになってしまいましたが、今回はエピローグです。

2021年10月21日 

15カ月になる我が孫娘、空ちゃんの散歩から帰ったモイケル娘が言うことに、「これ、フジちゃんだと思う。動物病院の近くで見た」と、写真を送ってきた。
フジちゃんは、モイケル娘が2016年6月に保護した猫で、道端に倒れていた瀕死のを見捨てることができず、獣医に運び、家に連れ帰った野良猫ちゃんである。

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モイケル娘と老獣医さんが保護してから2021年当時で5年経っていた。

写真を拡大してみると、左前足の茶色模様からフジちゃんだと分かるのだそうだ。道で悠々と寝そべっているところを見ると人にもなついたようで、少し汚れているが、痩せてはいないのでエサは件の獣医さんのところでもらっているのだろう。貫禄もついてるようだ。

野良猫野良犬にとって生き抜くのが厳しい現代社会で、今日までがんばって生きて来たのを見てなんだかとても嬉しくて、わたしは実際に会ったことがない猫だが、思わずブログにあげてしまった。
と言うので、フジちゃんの物語はこれで終わります。


さて、動物保護協会から今朝電話があり、我が家に明日の午後にやってくる外猫だった「フジオ君」は果たして先住猫ゴローと折り合いよくやってくれるだろうか。なにしろ、せっかくわたしが家の中に入れたのに、ベランダから飛び降りる決心をしたほどの野生ネコ、そこが気になるところではあるが、我が家は数日前から受け入れ準備万端である。

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ゴローの猫草がこの部屋のベランダに植えられているので、室内に置かれてあるケージの側を不審な横目で眺めながら用心深く避けて通る先住猫ゴローではある(笑)

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2023年7月4日

昨日の続き、数年前にモイケル娘が餓死寸前の保護ネコちゃんの話です。以下。

2016年7月18日 

しばらく前に拙ブログ記事で取り上げた、瀕死の保護ねこちゃんの報告です。

「儀を見てせざるは勇なきなり」、で、目の前の行き倒れノラネコちゃんを黙って見過ごすことができず、とうとう拾って持ち帰ったモイケル娘のその後、いや、ネコちゃんのその後であります。

4週間ほど我がモイケル娘のアパートのベランダで、獣医に連れて行きながら面倒をみたようですが、仕事がある身です。残業も多く、ちゃんとした面倒をみるのは、仕事を犠牲にでもしない限り難しい。外部はこれからどんどん暑くなっていくので、いくら日陰お工夫を凝らしても夏は猛暑の日本、ネコにとっては危険です。

動物保護のボランティアなどにも相談してはみたものの、いずこも直接的な手助けにはならなかったようです。そこで、ネコちゃんにはクリニック入院をさせるよう娘に勧めました。その方が、ネコちゃんにとってもどんなにか安全なことでしょう。入院費、治療費がどのくらいの費用になるかは分かりませんが、娘の体調も心配です、お金には代えられません。

モイケル娘はできるだけネコちゃんの入院先に顔を出すようにしているようですが、何しろ残業が多いので、閉院後の帰宅も多く、週末くらいしか覗きにいけないとこぼしていました。

費用がかさばるとギョッとする金額になりかねないので、そろそろ、一度お支払いしなさい、といくらかサポートすることにしたおっかさんこと、わたしが言ったところ、件の獣医さん、最後には「うちが面倒をみよう」と言ってくださったそうです!

そして、名前も「フジちゃん」と名づけられました。保護から2ヶ月近く、今のところはまだ前足しか動かせませんが、2キロしかなかった体重も増え、ダニのせいで剥げていた頭にもやっと毛が生えてきました。

モイケル娘のメッセージには、

親切な動物病院が引き取ってくれ、『不治の病から立ち直ったから、フジちゃん』と名付けられました。体重はみるみる増え、足の突っぱりも完全回復。なんとか姿勢を保てるようになりましたが、後ろ足は依然として動かず。人馴れしておらず、いつも鋭い目か怯えた目のフジちゃん。思う所は色々あるけど、がんばってほしい。   

と、ありました。

保護した頃に比べると、状態はとてもよくなったよです。ただ、未だにエサを差知れても人が見ている前では食べず、トイレの後は風呂に入れるので、ケージを開ける毎にシャーシャーッと威嚇するのだそうです。

生まれつきのノラネコ生活をしてきたのか、あるいはよほど人間に酷い目にあわされたのか。四肢、健康の完全回復までにはまだまだ時間を要すると思いますが、フジちゃん、元気になってね。そして、引き受けてくださった獣医さん、本当にありがとうございます。

意思あるところに道は拓ける。なんとかしたいという強い願望のもと、ひとつひとつに懸命に取り組んでいると、手助けしてくれる人も現れるのだと、おめでたい母子は、件の獣医さんに感謝感激している次第です。わたしたちのためでなく、ネコちゃんのために、です。

この保護から1年ほど経ったころのフジちゃんです。
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目から察するに、人間に対する不信感はまだ取れていませんが、ふっくらしています。ほとんど治療は終わったものの、これでは里親は難しいでしょう。かといって一生涯ケージで過ごしてもらうわかにもいかない。かと言って、外へ解放したらどうやって食べていくのか、再び飢餓状態におちいるのではないかと、獣医さんもわたしたちも頭を悩ましていたのでした。

このフジちゃん、年末にモイケル娘の言うことにゃ、「獣医さんが避妊手術を施した後、試しに外へ出してみたら、毎日ご飯を食べに獣医さんの家に帰ってくる」のだとか。これだと、家と外を自由に出入りする飼い猫と同じようなもので、フジちゃんの件はなんとか一件落着、めでたし!

更に、娘曰く、「獣医さんがちゃんと新しい土地(フジちゃんを保護したのは別の場所)でご飯を食べにくるように仕向けたのがすごいね」

保護した時は、あちこちの保護団体や新しい設備の整ったクリニック等にも相談したのですが、どこも引き受けてくれませんでした。結局、昔からその地域にあった年配の獣医さんが引き受け、娘も時にエサの差し入れをしたりしてフジちゃんを覗きに行ってたようですが、フジちゃんが独り立ちできるまで見て頂いたこと獣医さんには深く深く感謝いたします。

獣医さん、ありがとう!そして、フジちゃん、逞しく生きてね。


と言うので、わたしはフジちゃんを実際に見てはいないのですが、今回引き受ける決心をした保護ネコちゃんを目にした時、わたしは写真のフジちゃんと毛並みが似ているなと思い、野良猫の「フジオ君」と名付けたのでした。これが名前の由来です。

こちらはフジオ君
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さて、娘が保護したフジちゃんですが、実は後日談があるのです。この物語、もう少し続けさせてください。
では、明日。

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2023年7月3日

フジオ君の名前の由来は明日に持ち越しと言いながら、土日が一番忙しいというのをコロッと忘れていたのでした。土日は疲れ切ってブログを書くためにpcに向かう気が起こらんのであります。トホホ。

さて、「フジオ君」の名前は、数年前に我がモイケル娘が保護した瀕死のネコちゃんに似ていることからつけられました。わたしと夫からはフジオ君と呼ばれるものの、他所では他に色々な名で呼ばれていることでしょう。野良猫たちの名前は皆それぞれ「イッパイアッテナ」なのであります。

ストーリーは長くなりますので、数回に分けて「フジオ君」の名前の由来となったモイケル娘が保護した猫、ふじちゃんの物語を再掲します。以下。

2016年7月6日 瀕死のノラ猫ちゃん

一ヶ月になろうとしている。 千葉に住む我がモイケル娘が、道端に倒れている瀕死の猫を見捨てることができず、獣医に運び、家に連れ帰ってから。

モイケル娘とは週に2、3度スカイプを通じて話しているのが、その話を聞いて正直なところ、「アチャー、またか」と思ってしまった。何しろ、もちろんペット可のアパートではあるが、娘にはすでに3匹も愛猫がいるところに、である。(5匹ではありません、それはポルトの我が家のことで^^;)

これが、ある意味、自ら厄介を背負うことにあるのでありまして。ま、そういうことに出くわしたらわたしも同じことをしたであろうから、「放っておけばよかったのに」とは、とても言えないところである。

獣医によると、このネコちゃん、推定年齢4、5歳、他の病気もあるだろうが、脱水状態、餓死寸前だったとのことだ。ガリガリにやせ細り、四肢を動かすこともできず、横になったままなのだそうな。なんとかエサをあげようとすると、「シャッ、シャッ!」と威嚇だけは根性出してするようで、このことからしてノラ猫ちゃんであろうと判断。

しかし、まだ入浴させるわけには行かず、ポルトの家のように何部屋かあるわけじゃなし、先住猫にノミ、ダニがうつらないように、しばらくは隔離する必要がある。2部屋しかない、同居者(後の夫となる人)がいるアパートである。3週間ほど、ケージに入れてベランダに置くことになったのだが・・・・

保護したい気持ちは分かりすぎるくらい分かるものの、手足がまったく動かない状態なので、世話がいる。本人は日中仕事で家を空けるのである。更に、しょっちゅう残業があり、帰宅時間も遅くなったりする。その点が気になる上に、もうひとつ、6月も半ばを過ぎると暑くなり、ベランダに置くのは、例え日陰を作ってあげたとしても、病気の猫にとっては、それも命取りになったりする。

帰宅して、自分の3匹猫の面倒を見、ノラ猫ちゃんを獣医まで点滴に連れて行きく云々の環境では猫ちゃんの回復も娘の生活もしんどいものになろう。そこで、お金はかかるが入院させる方を勧めてみた。その方が猫にとっても娘にとってもいいはずだ。

猫ちゃんを保護してくれるようなボランティアや動物愛護協会など、あちこちにあたってみたようだが、健常体の猫ならいざ知らず、この手のノラ猫にはどこも手を貸してはくれないようだ。

挙句にひどい人となると、「一度拾ったんだから、最後まで面倒をみるべき。それができないなら、最初から拾うな」なんてことをのたまうのもいたりするらしい。
そんな話を読んだり聞いたりすると、わたしは怒り顔になり、「そんなら、ボランティア、愛護協会などの名前を返上してくれぃ。自分の環境では非常に難しいと知っていながら、何とか助けたいという気持ちがノラ猫ちゃんを拾うのだよ。アメリカの動物愛護協会のボランティアたちを見よ、あまりリッチじゃないポルトガルのボランティアもすごいぞ。」と、ついつい悪たれ口を叩きたくなるのである。

さて、となると自分がするしかない。結果が目に見えているから、保健所へは連れて行けない。紙おむつや、シートを用意してなんとか世話をしていたモイケル娘だったが、「これは回復するかどうか分からないよ。するとしても何ヶ月もかかる」との獣医の診断で、一週間ほど前に、とうとうノラ猫ちゃんを入院させた。「おっかさんからの婚約のお祝い金が、飛んでいくかも・・・」と言いながら。
実は娘がノラ猫ちゃんを連れて行った獣医さん、年配でクリニックそのものはパッとしないらしいのだが、「入院費はいらない。治療費と食費だけでいい。」と言ってくれたそうな。貧乏娘がなんとか助けたいとの必死な姿に同情してくれたのだろうか。こんな同情なら、何はともあれ、猫ちゃんのためになるのだからいくらでも欲しいところで、本当にあり難い。

アメリカやポルトガルの動物保護ボランティアは、獣医と連携しているのでそれがかなりのサポートになっており、ひいてはノラ猫、ノラ犬たちの救助につながっているのだが、日本の現状はどうなのだろうか。

下はモイケル娘が保護したノラちゃん。保護して一週間、やっと前足だけ少し動かせるようになったころ。

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続きます。

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