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2023年5月28日 

パソコンで授業準備をしていたら、スカイプのビデオコールがなった。ビデオコールをしてくるのは我が東京息子かモイケル娘なのだが、午後にかかってくるのは珍しい。

あれ?と思って応答すると、あらま、モイケル娘のケータイからのコールで画面に映ったのは部屋の壁と孫娘ソラ坊の頭だけだ(笑) 

どこを押せばビデオカメラでばぁばこと私につながるのか、どうやらモイケルママのやり方を見ていて覚えたらしい。「勝手にやってる~」と、すぐさまモイケル娘が画面に出てきた。

保育園通園が1年2か月になるが、発熱、咳、下痢等で休園することがしょっちゅうだ。その都度、勤務先に園から呼び出しが来て中途退社も度々あるモイケル娘、どちらも気の毒である。

ソラ坊からのビデオコールはわたしとしては大歓迎なのだが(笑)最近は奇特なことも言う。

少しわたしと会話のやりとりをして後、こう言うではないか。「ソラはベビーバスを見るから、ママはばぁばと話していてね」(笑)
ベビーバスとは未就学児対象の知育動画やアプリを配信する会社で(これが中国企業だという点が気になるのだが)、現在12か国語で展開されているという。3歳前のソラ坊の口からこんな言葉を聞いてグハ!っとなったわたしではあった。

近頃は本人がその日に着る洋服を選ぶらしい。今日はとある場所で彼女が自ら選んだファッションの写真をば。これを見て夫と二人、わっはっはと大笑いしたのであった。顔がはっきり見えないからいいか。

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キマッテルよ、ソラちゃん!この写真はわたしのお気に入りだ。
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2023年5月22日 
「ふと思ったんだけど、ご飯を作るのって一生続くんだよなぁって」と突如我がモイケル娘が言う。あーっはっは、ほれ、気づいたかと母のわたしは内心ほくそ笑む。

共稼ぎ時代は先に帰宅した方が夕飯のしたくをすると夫婦で決めていたらしいが、子どもができた今、モイケル娘は通常の勤務時間より遅く始まり早めに終われる仕事を選んだ。我が孫のソラ坊を保育園に預ける時間を少しでも短くできたらというのが理由だ。

そうなると、四時半に職場を出て保育園へ5時ちょっと過ぎにはソラ坊を迎えに行ける。5時半には帰宅できるのでおのずと夕飯の担当は毎日彼女になるという訳だ。ソラ坊はまだ一人遊びができないので、帰宅後彼女の相手をし夕食の準備とあいなるのだが、食材の買い出しなどはどうしてるのか、まだ聞いていなかった^^;

主婦の仕事って大変なんだよね。土日関係なく年がら年じゅうあり、時々家事鬱になって御飯作りたくないと思っても、台所に立って何かは作らなければいけないわけで。

これが日本だったら、そういう時はコンビニ弁当とかできあがりのお惣菜とかで、なんとか間に合わせられるのだが、ポルトガルではそうは行かない。

どうしても作るの無理と言う時には、Take awayで済ませられるのだが、調子が悪い時のわたしの胃は脂っこいポルトガル料理を受け付けないとくる。結局、自分の食べる分は自分でなんとかしなければならないのだ。これは風邪などで寝込んだときてき面である。

土曜日3時間みっちり授業したあとの生ビールはうまいし、行きつけのレストランでの昼食は気晴らしにもなる。が、全ての授業をオンラインにした今、夕方にもグループ授業が一件あり、ビールを飲むといい気分で眠くなってしまうからそれができなくなった。

夕方の授業が終わるや否や、すぐ台所で食事を作るのが時にすごくかったるいことがある。かったるいを通り越してなぜだかプンプンしている自分がいたりする。

授業は一日中詰める仕事ではなく、まぁ、パートのようなものだが、それでも準備等の時間も入れてパートしながら、ほれ2食事ほれ洗濯、ほれ掃除というのは、ちょっときつくない?と言いたいのが言えないもどかしさから、プンプンするのである。

あぁたはいいわね。食事ができるまでソファ座って、TVでサッカー見たり新聞読んだりして、と憎まれ口のひとつも言いたいのを、実はこらえてる自分がいるんである。

いえね、夫も多少は手伝ってるんです。テーブルのセッティングしたりと(笑) が、台台所仕事は、ご飯を作り食べ、食後の後片付けまで入れると結構な労働で、これ、死ぬまでするんかぁ、となるわけだ。

こんなこと、子供たちが一緒にいたときは、どんなにバタバタ忙しい思いをしても考えなかった。誰かが言ってたけど主婦の仕事とは専業兼業かかわらず、こんな具合なのだよね。

1 終身雇用
2 勤務時間は常時、但し就寝時は除く
3 給与・賞与はなし、時として小遣い程度の支給あり
4 週休:なし
5 年次休暇:なし
6 別途でペットの世話や老人介護もあったりする

女性トイレや女性浴場に入りたがる自称女がいるが、あちこちでそんな物議を醸しださないで、こういう環境で頑張ってる女性も多くいることも見習いなよ、と言いたいわ。

で、「歳とったら、食事作りも同時に退職したい!」と言ったら、夫、クックックと笑いをこらえて「歳とったら?」と聞き返してきた。「歳、とったらねぇ」と重ねて言われハッとした。自分、もう年取ってるで、75・・・・なんか、ちょっとオカシかった

君たちが成長するまで主婦業が終生続くとは考え及ばなかったわたしに比べ、既に気づいたモイケル娘よ、上記6項のうち、3と5は可能性がある故、時間をかけてその方向にもっていくというのはどないな?

って、婿殿に要らん入れ知恵するなと言われるかも。てへへ。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。


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2023年5月19日
 
LGBTの自由、権利を認めるのにやぶさかではないが、昨今の様子を見ていると、これまで性別で区別して使用されて来たトイレ、公衆浴場、サウナなどにも「わたしは見た目は男ですが心的には女です」と言う人たちが侵入してきたりしそうだ。入って来られるのは嫌だと思う女性の人権はどこに?と気になる。それで、わたしなどは自民公明両党によって本日国会に提出されたと言う曖昧なその法案、ちょっと待ってよ!となる。

「心的に女だ」を盾に、イチモツをつけたまま入ってこられてもなぁ。女性用トイレでどうやって用を足すわけ?「心的に受け入れられません」となるのが女性の心理ではないの?それとも、「嫌がってはいけない。それは差別主義だ」とでもなるのだろうか?
この問題はもう一方の当事者にあたる女性の意見も聞くべきで性急に結論付けて法案にするべきではないと思っている。「人権とは自由とは」をつくづく考えさせられるLGBT問題ではある。

我が友であり日本語学習者のマリアさんの授業が水曜日にあった。その日の課題は彼女が見た映画、是枝監督の「海街ダイアリー」の日本語要約である。84歳の彼女は長年ポルトのリセウで英語とポルトガル語、ドイツ語を教えて来たのだが、映画が好きで社会問題にも大いに関心を持っている。

そこで、その日はLGBT問題について少し水を向けてみた。彼女は修築されたBatalhaにある映画館に、見たい映画がある時は午前中に一本、間を置いて午後にもう一本見ると言うようによく足を運んでいるらしい。

で、すぐさま曰く、「そう言えばこの間映画館のトイレに行ったとき、こんなことがあったのよ。もちろん、わたしは女性用と書かれてある方に入ったわけだけど、もうひとつのトイレには男性用ではなくて、別の言葉が書かれていた。今すぐ思い出せないんだけど、この次行ったら確認してくるわね。」

面白いのはこの先の彼女の話だ。
女性用のトイレに入ったら、突然年配の女性から(マリアさんも年配なんだが^^;)、「あんた、ここでなにするつもりなの?」とぶしつけに言われたと言う。実はマリアさん、髪は超ショートカットで身につけるものと言えばジーンズに黒っぽいTシャツ。冬でもTシャツだ。靴は、わたしもそうなのだが、男物っぽいランブラシューズでほぼいつも同じスタイルである。

背中はシャキッと伸びてるし歩調もかなり速い。長年太極拳をしてきたので体力上々である。それで時に男と間違えられるようだ。映画館内のトイレのときも然り。で、彼女がその年配女性に放った言葉にわたしはギャーッハッハと腹を抱えて笑わずにおれなかった。

「あんたと同じことをしにきたのよ。」

深刻なLGBT問題が吹っ飛んでしまったと言うオチではあった。

下記、過去記事にあるマリアさんの愉快なエピソードです。興味あらばどぞ。
 愉快なマイ・フレンド、マリアさん
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2023年5月15日 

朝、ベッドから降り立つ時に左足が痛んですぐには歩けない状態が3週間近く続いている。軽いマッサージを施し、痛いのを我慢してビコタンビコタン歩きはじめるとやがて痛みは和らいで歩くことはできるのだが、うっかり体の向きを急に変えようものなら、「イテテテテ」のなんのって、腹立つくらいなのである。

それが2週間目に入ると、いかなのんびり者のわたしでも、ちょっとこれはいかんぞとなり、夫に話す。じゃ、これを飲んでみなはれと4日分の錠剤をもらって飲み終わったのが五日ほど前だ。朝起きた時の痛みは前ほどではなくなったのだが、何かの拍子に左足腿の付け根あたりやら足のふくらはぎやらがズズキッと痛いんである。

思い当たると言えば、オンライン授業やその準備でパソコンの前に長時間座っていることかもしくは、今頃まさかと思うがしばらく前オンライン授業に腰かけたイスが壊れてスクリーンから自分の姿が一瞬消え、生徒たちから見ると、先生どこ行ったの?の時に、落っこちて変な姿勢になったことだろうか。

そんなことを思いながら悶々としていたところに、日本にいる友人のイラストレーターtyuさんが言う。「3月にカミさんが歩行困難になり股関節の手術、2週間入院してしばらく杖をついていたが、今は普通に歩いている」

コロナ期間を除いては帰国する毎にご夫婦といっしょに食事をするのが楽しみ。お見掛けしたところ行動的でよくご友人と旅行もしているお元気そのものの奥方のその話を聞いて、ぎょえ!となった。2週間も入院?!!76年になろうという我が人生で入院らしきことを経験したのはお産の時だけだ。そのお産の時だって息子の時は四日目に、モイケル娘の時は翌日に退院したくらいだ。ご、ごジョーダンでしょ。と、まだ診察を受けもしていないのに先走った。

そんな訳で自分は痛みと不便さを感じないからであろうか、はたまた職業柄か、意外と家族の病気には冷淡に見える夫についに自分から言った。「レントゲン予約をとってよ。痛いんだよ、ホントに。」 多少顔が苦り切っていたと思う。

ポルトガルではあそこが痛いここが痛いとすぐ病院へ行く人が多い。夫は患者だけではなく兄弟親戚知り合いの世話もホイホイ引き受ける人なので、できるものならわたしのことで手を患させたくないと思っており自己判断でどうしてもダメだという段になって夫に頼む。

それで、昨日夕方にレントゲン検査をしてきたのだが、さて、どう出るだろうか。んでね、実はレントゲンを撮った後、気のせいか痛みが大分引いたような気がする~~(笑)

二昔ほど前に流行った言葉にたそがれ族なる言葉があったようだが、既に左脚は見事それにふさわしい。我が人生も黄昏時ではある。

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こんな頃かな?

本日も読んでいただきありがとうございました。
ではまた。


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2023年5月14日

「なしてそったとごさ、いぐのよ?(なんでそんなとこに行くんだ?)」の役所広司の東北弁セリフを耳にして吹き出した。日本で公開中の映画「銀河鉄道の父」の予告編を見てのことです。銀河鉄道と言えば、言わずと知れた宮沢賢治の作品です。その父ですからこの映画は賢治の父親政次郎が主人公でしょうか。

岩手は亡くなった我が父の故郷でもあります。それもあってか、宮沢賢治の作品は結構手にしています。なかでもわたしの記憶によく残っているのは「やまなし」、「よだかの星」です。「やまなし」は春と秋の2枚の幻灯(げんとう)で、水中のカニの兄弟によって語られる物語で好きな話のひとつです。幻灯という懐かしい言葉にいたく感動し、その言葉を知らなかった補習校の小学校6年生に説明したものでした。わたしの影絵作成のきっかけにもなりました。

「よだかの星」はこどものころに聞かされた、あるいは読んだ話です。容姿が醜いため鳥の仲間たちから嫌われ故郷を捨てるよだか。自分が生きるためだとは言え、たくさんの虫の命を奪うことを厭って生きることに絶望します。焼け死んでもいいからあなたのところに行かせてくださいと太陽に頼みます。が、太陽に「お前は夜の鳥だから星に頼んでごらん」と言われ星々にお願いしますが相手にしてもらえません。行き場がなくひたすら夜空を飛び続けていつしか青白く燃え上がる「よだかの星」 になるのです。

よだかは独りぼっちだったんだなぁと子ども心にも切ない思いを抱いた話で、今も覚えているのです。

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
  「雨雪をとってきてください」の意味

で始まる、賢治が妹に捧げた「永訣の朝」は胸がつぶれそうな詩です。懐かしさともの悲しさ、そしてどことなく怖い思いが賢治の作品にはあるように思います。

さて、話を冒頭の東北弁に戻しまして、我が故郷、弘前(ひろさき)の津軽弁について少し。  

年に一、二度は弘前へ足を運んでいる妹夫婦、ある年、弘前のホテルでチェックアウトしようと部屋で荷物をまとめていたら、外から「サ~イギサ~イギ ドッコイ サ~イギ 」と聞こえてきたのだそうな。

ホテル9階の窓から土手町を見下ろすとお山参詣の行列が通って行く。行列を見ようとて慌ててエレベーターで階下へ降り、こけつまろびつ行列に追い抜き、いっしょに並んで歩いたのだが、行列の唱文が子供のころに聞いて覚えていたのと少しも変わらないのに可笑しくて、ついにこらえら切れなくなり大声でウワハハハと笑ってしまったと言う。
 
お山参詣というのは津軽に昔から伝わる岩木山最大の祭りで旧暦の8月1日に五穀豊穣、家内安全を祈願して昔は白装束にわらじ、御幣やのぼりを先頭に行列をなし岩木山神社を目指して歩く行事だ。

商店街の土手町から坂道を下り、わたしたちが子どもの頃住んだ下町の通りを岩木山目指して行列が歩いていくのだが、検索してみると子供だったわたしが記憶しているのと違い、行列の様子も少し変わったようだ。

お山参詣1

昔は白装束でお供え物を両手に抱えての行列だったのが、今では随分カラフルで「行事」と書くより「イベント」とカタカナかローマ字にしたほうが似合いそうだ。

さて、妹がこらえら切れなくなり大声でウハハハと笑ってしまったという、その唱文が、これである。

♪さ~いぎ さ~いぎ どっこ~いさ~いぎ
 おやま~さ は~つだ~い
 こんごう~どうさ
 いっつにな~のは~い
 なのきんみょう~ちょうらい


毎年こう唱えながら目の前を通り過ぎていく白い行列、子供心に神聖なものを感じてはこのお唱えをいつの間にか諳(そら)んじていたのである。この御山参詣が終わると津軽は秋が深まる。

長い間、そのお唱えの意味など気にしたこともなかったのだが、帰国したある年亡くなった母が残した着物を妹と二人で整理しながら、子供の頃の思い出話の中でひょっこり出てきたのがこの「サイギサイギ」だった。

亡くなった母は津軽で生まれ育ち、60まで住んだ。その後は妹夫婦の住む東京へ移り所沢の夫婦の家を終の棲家とした。妹の連れ合いも津軽衆なので、東京にありながら夕食時の食卓はおのずと津軽弁が飛び交おうというもの。帰国した時のわたしは母と義弟が交わす津軽なまりを聞くのが懐かしく楽しいものだった。

その母が、「時すでに遅し」の意味でよく使っていたのが「イッツニナノハイ」である。 はて?いったいこれは元来がどういう意味合いなのであろうかと、妹とそのとき、疑問に思ったのである。

たまたま、当時わたしは我が母校の後輩で「サイホウ」さんと言う女性仏師と時々メールのやりとりをしており、聞いてみたところ、これが元になっていますと教えていただいのが下記。

懺悔懺悔(サイギサイギ)  
過去の罪過を悔い改め神仏に告げ、これを謝す。

六根清浄/六根懺悔?(ドッコイサイギ) 
人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てて汚れのない身になる。

御山八代(オヤマサハツダイ) 
観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王

金剛道者(コウゴウドウサ)  
金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味す。

一々礼拝(イーツニナノハイ)  
八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。 
          
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ) 
身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。

唱文のカタカナの青部分は津軽弁の発音である。

どこの方言もそうだが、津軽弁は独特のなまりが多い方言だ。我が同窓生である伊奈かっぺいさんは津軽弁でライブをする人で有名だが、彼いわく、津軽弁には日本語の発音記号では表記不可能な、「i」と「 e」の間の発音があり、津軽弁を話す人はバイリンガルである、とさえ言っている(笑)。因みに、伊奈かっぺいさんは高校の同窓生である。

わたしと妹が笑ってしまったのは「六根懺悔」が何ゆえ「ドッコイサイギ」になったのかと、津軽人の耳構造はほかとは少し違うのであろうかとの不思議にぶつかったのであった。

大人になったわたしたちにしてみれば、「どっこい」という言葉はなじみであるが、とても唱文の一語になるとは思われない、なんで「ドッコイ」なのよ?と言うわけである。

実は「さいぎさいぎ」も「懺悔」ではどうしても津軽弁の「サイギ」に結びつかず、わたしは「祭儀祭儀」と憶測してみたのであった。そして、数日の検索で、ついに語源をみつけたぞ!

「懺悔(ざんげ)」は、仏教ではサンゲと読むの一文に出会ったのである。「サンゲ」が津軽なまりで「サイギ」になったと思うのだがどうだろうか?

御山参詣は日本人の山岳宗教につながるものであろう、修験者が霊山に登るのが弘前に行事として定着したと思われる。

子供のころは、祖母の家があった弘前下町から、高校生になると、父と母、わたしと妹の4人家族が住んだ桔梗野のたった二間の傾きかけた埴生の家の窓からは、岩木山の美しい姿が日々仰げたものである。

お山参詣2
wikiから

テレビやパソコンからの情報入手方法がなかったわたしの子供時代、空耳で覚えていた唱文も今となってはいい思い出につながり、ふと頭を横切るたびに笑みがこみ上げて来て、懐かしい人々の顔が浮かんで来る。

正規の唱文の発音よりも300年も続いてきたであろう津軽弁の唱文に耳を傾けながら、修験者を受け入れてきたお岩木さんは、津軽弁がそのまま誠に似合うようだとわたしは思うのである。

♪「さいぎさいぎ ドッコイさいぎ おやまさはつだい こんごうちょうらい イッツニナノハイ なのきんみょうちょうらい」
(と、わたしは覚えている)

下町を歩いていく白装束と幟と、「イッツニナノハイ」と言う母の姿が浮かんで来るようだ。「一々礼拝」がどうして、「イッツニナノハイ。時すでに遅し」の意味になったのか、謎は解けていない。我が母は既にみまかり、ほんま、「イッツニナノハイ」でございます。
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2023年5月12日 

5月10日は我がモイケル娘が生まれた日です。面白い子に育ったなぁと母の目で見て思います。生まれてこの方18年間をポルトで過ごし、ちょうどそれと同じ年月を日本で過ごしたことになります。

今でも彼女の補習校の中三卒業式の答辞ははっきり覚えています。「わたしは日本へ行くのではありません。日本へ帰るのです。」には、ぎょえ!でした。当時わたしは父母の一人であると同時に補習校講師でもありました。この答辞を聞いて、横にいた同僚は「あんた、聞いた?行くんじゃなくて帰るんだってよ!覚悟しときや」とわたしを突っつきながら言ったものです。その宣言通り、3年後にポルトの高校を卒業し大学資格試験の結果を持って彼女は日本へ向かったのでした。

そのモイケル娘も日本在住19年が経ち目下子育てと仕事、家事で日々頑張っているようです。わたしの子育て時代とはかなり環境が違います。時代も違うので当然と言えるでしょうが、ポルトガルでの子育ては何と言っても刺激がなかったことです。それは我が子たちにとってよい環境だったと今にして思います。何しろ目移りするものがないのですから。あはは。

日本に比べたらあれもないしこれもない。週末は店と言う店は閉まっており、言葉が分からなかったのでわたしは仕事もない。ひたすら家事と子育てに心を注いだものです。子たちの日本語教育は自分がするぞと決めていました。子どもたちのことをじっくり考える時間がありました。

東京近郊に住むモイケル娘たちですが、大人になってから都会に住み始めた私や娘と違い、我がモイケル娘を母に持ち都会に生まれ都会で育つ孫のソラ坊はどんな娘に成長するのか、深い興味を持っているわたしです。

5月の真っ青な空のもと、12時半ごろに生まれたモイケルよ、誕生日おめでとう。5月のように爽やかで健やかに育って欲しいと願いましたが、そのように成長したと思っています。母親譲りの粗忽さも少し備わり、なかなかにいい。それに頑張り屋で芯が強い。どうか、わたしたちがしてきたように娘のソラ坊と物事を思うまま話せるような親子になりますようにと願っているのです。

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今日はすっかり親バカをしてしまいました。

本日も読んでいただきありがとうございます。
それではまた。


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2023年5月8日 

朝早く散歩に出て、あれ?と気づいた。すぐ側のジョアキンおじさんの畑の横を通るのだが、この通りでよく目立ち鳥たちの憩いの場にもなっていた大きな木が、ない!変に見通しがよくなって、彼方の団地が目に入るのだ。

え~!切り倒されたのである。もう一本の木がか弱そうにぽつねんと立っている。ジョアキンおじさんの畑の周りは少し高めの石壁で囲われているので、中の様子はよく見えないのだが、ところどころに木の枝などが放置されているのが見える。いよいよこの畑の土地が売られるのだろうか。

ジョアキンおじさんはご近所の誰もが知る名物男の農夫だった。よく大きな声でわたしにも話しかけてきたものだ。その大きな木があった畑には動物愛護グループから「コロニー」と呼ばれるほど野良猫が多く住んでいた。わたしも自前で何年も猫たちのエサ運びをしたものである。ジョアキンおじさんのエピソードはいくつもこのブログであげている。

奥さんに先立たれ、このところしばらく見かけないなぁと思っていたら、老人ホームに入れられ亡くなったとの噂を耳にしたのは2020年のことであった。以来、我がフラットの通りの角にあるジョアキンおじさんの家にはそれまで別居していた50代の娘さん夫婦が住み始めたが、娘さん夫婦は畑仕事をする人たちではなかったようだし猫が好きということでもなかったようだ。ジョアキンおじさんが貸していた斜め向かいのカフェも娘さんが経営し始めたが、やがて、そのカフェを人に貸したようであった。

この3月、我が東京息子が帰省していた時期だが、界隈で大きな事件が起きた。夜も11時ころ、パーンパーン!という音が通りから聞こえたそうで、夫も息子も聞いている。

わたしはと言えば、通常はわずかな物音で目がさめるのだが、この頃は5カ年計画(https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2741.html)をたてた後で、今年は仕事をがんばろう!と決めて、日本語のグループ授業以外に個人レッスンも増やし、授業準備と授業に追われ夜9時半には疲れて就寝、珍しく熟睡していたようで、パトカーや救急車が来たらしいが、熟睡のわたしにはパーンのパも聞こえなかった。あははは。

それが、朝起きると斜め向かいのカフェにTV局の車は止めてあったり近所の人たちがジャーナリストのインタビューを受けたりと、なにやら騒がしい通りになっていたのである。

その「パーンパーン」は銃声で、最初のはジョアキンおじさんの娘さんに、2発目はその連れ合いが自分に向けたということであった。わたしが夫婦だと思っていたのは、実は娘さんと内縁の夫だったようだ。不法所持の拳銃が入手できると言う点で、もはや怪しい人物であろうと思われる。

その日はテレビ、新聞でもニュースが報道されAveiroに住む義姉からは電話があったりして、この通りでそういう事件があったということに、しかも全く知らない人たちではないということになにか気持ちが落ち着かなくて、わたしはブログにあげることもしなかったのである。結局二人は亡くなり、しばらくの間、この通りでもカフェでももちきりの話題になったのである。

ジョアキンおじさんの家は今そのまま放置され庭の草が伸び放題になっている。畑に猫は一匹もいなくなり囲いのドアが開けられることもなくなった。近所の人と通りで話すジョアキンおじさんの大きな声も聞かれなくなった。

近頃やたら静かになったと思われるこの界隈、一所に40年以上も住むと、世の移り変わり人の移り変わりがよく見える。わたしたち一家が今のフラットに移る前のすぐ側にある古い家に16年間住んだときの思い出もジョアキンおじさんの畑にはある。この畑はこの後どんな風な姿になるのだろうか。

ジョアキンおじさんの畑については下記にて。
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2179.html
(2005年記事の書き直しです)
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2023年5月4日

ゴールデンウィークを利用して日本に住んでいる子どもたちが、昨日所沢の我が妹宅にオジャマしたそうだ。西武沿線の副都心近くに住む東京息子は午前中仕事があったので夕食に、モイケル娘は娘のソラを連れて千葉から泊りがけで。

妹の手作り料理に美味しい美味しいと舌鼓をうちながら、さぞかしにぎやかな昼食夕食になったことであろう。そんなところにメッセを送ったらヤボかなと思いつつ、ついモイケルに「今、○○かな?」と声掛けしてみると、「うんうん、兄貴もいるよ」と言う。ほどなくして写真が送られてきた。

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ソラを相手にからかって楽しんでいるのである(笑) お前、ネコのゴローにするのと同じようなことをしてるではないか^^;そんなことをしても姪にもネコにもなぜか好かるのが不思議だ。

そうそう、ネコのゴローは息子が日本へ帰った後も10日くらいは彼を待って息子の部屋から出なかったが、主はついに帰って来ないと悟ったのか、諦めて今では以前と同じくわたしたちの部屋で日がな一日過ごしているのである。

「ジュアンジー(息子をそう呼んでいる)、予約する」と、前日に言っていたソラだが、「予約」ってどこでその言葉を覚えたのか(笑) 新語をどんどんを吸収して使っているようだ。近頃の彼女のマイブームは「どうして?どうして?」だそうだ。

元がひと時もじっとしていない孫である。たくさんの大人に相手をしてもらい、さすが疲れたようで、モイケルからはこの後、いびきをかいてソファに寝ている動画が送られてきた。いびきも豪快だわぃ。あっはっは。

と、これは昨日のことである。
そろそろ千葉の自宅に着いたであろうかとメッセを送ると、「まだ所沢にいる~」ですと。聞けば、ソラ坊、発熱で近所の病院へ連れて行ったところが3時間も待たなければならなかったと言う。ポルトガルの国立病院並みやん!

発熱状態では電車で帰るわけにも行かず、結局今日もモイケルママと孫のソラは我が妹宅にお泊りだそうだ。保育園に行き始めて1年を過ぎる孫だが、やれ熱だ、風邪だ、下痢だと色々な洗礼を受けた1年であった。恐らくそれで月の半分は登園できなかったであろう。それはつまり、母親のモイケルも月の半分を欠勤せざるを得なかったということになる。トホホホ。子育てに理解がある会社で本当によかったと感謝する母である。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。

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2023年5月1日 

近頃はすっかり遠ざかっているが、ボランティア活動の一環として子供向けにポルトの図書館、小学校などで影絵上映をしていた。

影絵の作成は、まずストーリーを書きそれをポルトガル語に訳す。それから各場面を考えそれに合わせて影絵となる切り絵作成に取り組む。切り絵をしながら背景に合う音楽を探すのである。これがまた楽しいのだ。

切り絵そのものの出来具合は素人の腕であるから知れているがBGMが入ることで受け止め様は随分違う。BGM決定後はそれを聞きながら切り絵をして、一人盛り上がることこの上ない。あはは。

影絵のスクリーンは縦110センチ横87センチとかなり大きいので書く作品に登場する切り絵もスクリーンに合わせて大きくしている。これくらい大きいスクリーンだと一人では上映が難しいので、YY日本語塾のOちゃんにいつも手伝ってもらってきた。

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我ら影絵の最初の作品が「Crónica de Dinossauros(キョウリュウ年代記)」。補習校時代に日本の子どもたちに教えた経験、そして我が子たちを育てた経験からして言えるのは、子供はキョウリュウが好きなのである。大人のわたしも好きなのであった。(笑)

スティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスが制作した「The Land before Time(邦題:リトルフット)」は、子どもたちと何度ビデオを見たことであろう。サウンドトラック中のThe Great Migration とIf we hold on togetherの2曲は影絵にも使用させてもらった。


影絵の上映中は両膝をついて頭がスクリーンに映らないように背中を曲げて左右に移動したりするのでこの歳ではもう難しいかな?と最近思い始めてる。しかし、2歳10カ月になる孫のソラ坊もキョウリュウに興味を示しているので、これらの影絵作品を是非見せてあげたい。

いかにしたら、ばぁば一人でそれができるかとずっと思案中なのだが、なかなかいい案が浮かばないでいる。いっそのこと絵本にしようかとも思うのだが影絵の面白さには及ぶまい。

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迫力あるTrexは怖がりながらも子供には常に大人気。

さて、3月下旬のエスピシェル岬を目指していた途中で、キョウリュウの足跡化石の立て札が目に入った。これがまた目立たないので、よくぞまぁ見つけたものだと我ながら感心するのである。ぼぉーっと座っていたら標識を見過ごしてしまうところであった。

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今回の旅行では不満顔はすまい、文句は言うまいと決心して、車中ひたすら黙していたわたしであったが、突如の「止めて止めて!」とのツルの一声で狭い横道に入ってもらった。セジンブラのCastelo区域Monumento Natural da Pedreira de Avelino だ。

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1980年代に発見されたPedreira de Avelinoのキョウリュウの足跡化石は1億5500年前、ジュラ紀後半、Sauropoda(ディプロドクス、アパトサウルス、ブラキオサウルスなどの首の長いキョウリュウ)の種類のものだと言う。

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Sauropoda(竜脚類)は体長30メートル、小さいのでは5メートルのものもいると言う。Pedreira de Avelinoのは上の図で行くと体長20メートルほどだろうか。

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キョウリュウの足跡は上図に見られるように5か所の方向に追跡できる。

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足跡化石の大きさは最大級で後ろ足が1mX1m、前足が30㎝X 46cm。最小のものでは、地上からの高さ推測が1.2m、後ろ足30X25 cm、前足18X13 cm。このことから、まるでThe Land before Timeで見た親子のキョウリュウのシーンが浮かぶのである。

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私たち家族の3人以外誰もいないこのキョウリュウの足跡化石を前にただただ圧倒されるのみだ。1億5500年前!想像もできない時間の流れの結果に大きな感動を覚えてきたのである。

この感動を、そして、最初の人類出現が500万年前、クロマニヨン人などの新人が4万年前、今、生を受け生きているいるわたしたちにたどり着くこの壮大な地球の歴史を、少しでもかまわない、孫のソラ坊に伝える術を是非考えなくては、と本日のブログを記録しながら思ったのである。

本日もお付き合いいただきありがとうございます。
ではまた。




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