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2023年4月26日 

3月下旬、我が東京息子がポルトに帰省したのを利用して親子3人で小旅行をしてきたのだが、そのとき訪れたエスピシェル岬とキョウリュウの足跡化石を紹介したい。ユーラシア大陸最西端のロカ岬(Cabo da Roca)は多くの観光客が訪れるが、リスボン近くにあるセトゥーバル半島のエスピシェル岬はあまり知られていないようだ。

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後方にアラビダ自然公園を控えたエスピシェル岬には聖母マリアさまが出現したという伝説がある信仰の岬だ。

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15世紀には小さな礼拝堂が建てられ、多くの巡礼者が訪れるようになった。
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礼拝堂外壁のアズレージュ絵は朽ちかけてしまっている。
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↓ Casa da Água. カーザ・ダ・アグア(Águaは水のこと) 。巡礼たちの休息のために1770年ドン・ジュゼ一世王により建てられた。2016年~2017年に修復された。
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Igreja de Nossa Senhora do Cabo
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18世紀に建築されたノッサ・セニョーラ・デ・カーボ教会。修道院でもあった。手前両側に長く続く建物は巡礼の宿にもなったようだ。下は教会の一角。かなりさびれている。
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教会の反対側に建つ灯台。
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切り立った断崖のエスピシェル岬は古代から船乗りに取って危険な場所であり、船乗りを導く灯りが何もなかったのでCosta Negra(コスタ・ネグラ=黒い海岸)の呼び名で知られていた。

18世紀の終わりごろ、海洋の安全性を高めるため、時の権力者ポンバル侯爵の命で国内沿岸に灯台網建設が始められた。1790年に建てられたエスピシェル灯台はポルトガル最古の灯台の一つである。2011年から、この灯台は一般公開されている。

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岬で見かけたただ一羽のあしゆびの片側がないかもめ。

この一帯は、実はキョウリュウの足跡の遺跡がたくさんあるのであった。その話は次回に。
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2023年4月25日 

息子と娘が千葉で同居し、日本社会に溶け込もうとてまじめに仕事に取り組んでいた頃のことだ。ある日、仕事から帰ってきたモイケル娘がスカイプに顔を出し曰く、「知り合いのお母さんから誕生日のプレゼントにと佐賀牛(肉)が届いた」!!!

そのお母さん、モイケル兄妹が切り詰めて生活していることをきっと慮り、栄養満点の牛肉を届けてくれたのであろう。その日の夕食は、兄妹で早速すき焼きと決め込んだようだ。

この話を聞いたわたしは思わず「あっはっは!」と笑わずにおられなかった。咄嗟に自分に起こった同じような出来事を思い出したのである。

かつて、大阪で一人暮らしをしていたわたしは渡米留学資金を作るため昼のオフィスでの仕事が退けてから、梅田新道にある「アサヒビアハウス」で歌姫のバイトをしていたことは、折に触れてブログで書いているが、その頃の話で、これはビアハウスエピソードの番外編にでもなるだろうか。

愉快な常連客が多いその中には外国人客もたくさんおり、ヘタな歌姫であるにもかかわらず彼らはわたしを応援してくれていた。

キャセイパシフィック航空のクルー仲間たちは、便が大阪に入るときは閉店9時半間際にど~っとグループでやってきてビアハウス閉店後はデキシーランドジャズの生演奏が聴ける、すぐ側の「シェイキーズ・パブ」へと一緒になだれ込んだものです。ここにはわたしたちのひいきの女性クラリネット奏者がいたのだった。

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当時のシェイキーズ。

インターナショナルスクールの先生をしていたウォルター氏は誰がつけたか、「Mr.Walter」から「Water」ともじり、アサヒでの通称は「清水さん」!わたしたちが「しみずさ~~ん」とマイクで呼び出すと、出てきて歌う十八番が「瀬戸の花嫁」だ。日本語で歌う「外国人清水さん」は毎回ホールの客に大うけだった。ウオルターさんは決まって金曜日に来る人だった。

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清水さん

日本女性と結婚し、当時わたしが住んでいた京阪沿線にベーカリーのお店を持つドイツ人菓子職人トムセンさん。わたしのおかっぱのヘアスタイルから「アサヒの、ミレーユ・マチュー(フランスのおかっぱ歌手)と呼び、照れくさくて照れくさくて入る穴を探し回ったものだ。

彼と一緒に歌ったのがドイツ語の曲で、わたしも好きな「Du Kanst Nicht Treu Sein」。邦題は「お前は浮気者」。 こんな陽気な歌なんです。

Youtubeより

そして、梅田の語学学校の経営者、オーストラリア人のご年配のブルーノ・マーチン氏。彼の持ち歌はお国の「ワルツィング・マチルダ」である。わたしのファンだと言っては、バッグなどの贈り物をよく携えてきたのだが、本職の歌手じゃあるまいし、その辺は分相応にわきまえることができたので、わたしは物品の受け取りを遠慮。

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右手前がマーチンさん

すると、わたしの誕生月の11月に、「もっと太りなさい」と届けてくれたのが「極上生ビーフ、神戸肉(爆)! 留学資金を必死で稼いでいた時期でしたから、わたしが家でゆっくり料理なぞする暇はなかったもので、それには、もらって困惑するわたしをよそに、周囲の常連仲間たちは大笑いしたものだ。因みに当時のわたしの体重は42キロ。今とは比べ物にならないほどスッキリしておった。

わたし 「おっかさんも誕生日のプレゼントで肉をもらったことがあるぞ!」
モイケル 「へぇ~。わたしのは九州の肉だじょ^^おいしいんだじょ^^」
わたし  「おっかさんのは神戸肉だぞ!どうだ、参ったか!」

と、二人で他愛もない「もらった肉比べ」(爆) 誕生日のプレゼントに「肉」というのも珍しいと思うのだが、これが親子2代でとなると、なんだか可笑しいったらない。

忙しくて気晴らしもできないこの頃、こんな他愛もないことを思い出して、自分を元気づけている。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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某月某日 

桜への思い入れは、日本人独特のものだろう。そうして見ると、秋の紅葉や真っ白い雪の中に映える「寒椿」等にも、わたしたちは心惹かれるように思う。このような情景を思い浮かべるだけでもわたしの胸には美しき天然へのなんとも言われぬ懐かしさがこみ上げてくる。

詩人、大岡信さんが京都嵯峨野に住む染色家、志村ふくみさんのことをかつて綴っていた。美しい桜色に染まった糸で織ったその着物のピンクは、淡いようで、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでいながら深く落ち着いている色であった。その色に目と心を吸い込まれるように感じた詩人は、桜から取り出した色だという志村さんの言葉に、花びらを煮詰めて色を取り出したのだろうと思ったのだそうである。

しかし、それは、実際には、あの黒っぽいごつごつした桜の皮から取り出した色なのだった。しかも、一年中どの季節でもとれるわけではなく、桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると言う。

「春先、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿。花びらのピンクは幹のピンク、樹木のピンク、樹液のピンクであり、花びらはそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものに過ぎなかった」(要約)

この詩人は、「言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だと言ってもいい。これは言葉の世界での出来事と同じではないかという気がする」と言うのですが、わたしは詩人のエッセイにも、そして嵯峨野の染色家にも、いたく心惹かれて、ずっとこのエッセイに書かれてある言葉が心に残っている。

日本ほどではないが、ポルトの町にも、それなりの季節の移り変わりを見せてくれる景色はある。車を走らせながら、目前に広がる大きな並木道に 「あぁ、きれい。春やなぁ。秋やなぁ」と、思わずその移り変わる季節の匂いをかいでは心が揺れたりする。

とは言え、ひとひらの花びらを、一枚の紅葉を拾い上げて日記や本にに仕舞い込む、こんなことをする人は幾人いるだろう。ましてや異国に暮らして。

そんな時、わたしは自分の中の日本人という心がふと顔を出すように思う。密かに語りかけてくる自然の声が聞こえる気がするのだ。大自然が広がるアメリカやカナダにも、そういう人はいるだろうが、わたしのような極々一般の人間でも、日本人は自然に対する畏敬のような憧憬のような感覚を持っていると思う。
花を愛で、はらはらと散り逝く花の潔さと儚さに美学を見るのは日本人の特性なのだと異国に長年住んで思える。

我が故郷弘前公園の桜は18世紀の初期、津軽藩士が25本のカスミ桜の木を京都から取寄せて植えたのから始まるのだという。明治にはソメイヨシノが千本、更に千本植栽され、現在ではソメイヨシノを中心に、枝垂桜、八重桜の役50種類2500本の桜が春爛漫と公園に咲き乱れる。3000本の桜花の下を歩くなんて、なんと贅沢なことだろう。



これまで弘前の桜見たさに何度か春の帰郷を試みたが、満開の桜を見ることは叶わなかった。もう一度、もう一度、このさくら吹雪、花筏をこの目で見てみたいと夢見ている。日本の春は美しい。
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2023年4月20日 

我が父は岩手県雫石出身で、若い頃は地方競馬の騎手をしていた。家族のわたしたちを弘前に残したきり、自分は雫石に住んで好きなことをしてきた人だったが、歳をとり体重も増え、いよいよ馬に乗れないとわかったわたしが中学生になる頃に、やっとこさ、弘前に来て共に暮らすことになったのである。

仕送りもなく、母、妹、わたしの親子三人は弘前の祖母の大所帯の家に同居し、ずっと苦労をしてきた母の姿を目の前でみてきたので、父にはどうしても気持ちを開くことが出来ず、わたしはどこかで他人のような目を父に向けていたところがあった。

加えて酒癖が悪く、すぐに手があがる人でもあり、思春期のわたしはそういう父が嫌いだった。

わたしが高校生の頃だ。酒癖の悪いのにとうとう辛抱の緒が切れ、わたしたち母子3人は、父が酔いつぶれて寝ている間に、身の回りの物と一式の布団をリヤカーに積み、母はそのリヤカーを引きわたしと妹は後押しをして、母の知人の屋根裏部屋に逃げたことがあった。

その時に、わたしと妹は母に勧めたのだ。「おかあちゃん、親父と別れちゃいなさい。生きていくのは3人で何とかなる」と。一ヶ月ほどその屋根裏部屋で生活して、結局わたしたちは父の元へ引き返すことになったのだが、それを決心した母はこう言った。
「戸籍が片親となると、就職でも結婚でもお前たちが苦労することになる。」

母のあの決心が良かったのかどうか、わたしには分からない。当時母は保険の外交員をしていて、なんとかわたしたちの日々の生活は成り立っていたのだが、やがて高校を卒業したわたしは、チャンスとばかりに父のいる嫌な家を飛び出した。わたしの2年後には東京の夜間大学へ進むことで妹が家を出た。

父の元に残った母は保険の外交員を続け、60歳の定年を機にもらった退職金の一部を父にあげて、当時既に結婚して東京に住んでいた妹夫婦の元へさっさと移ったのであった。その話を聞いたとき、母のしたことにわたしは笑ってしまった。これは逆・三行半(みくだりはん)じゃないか!と

今思うに、母は「熟年離婚」のハシリだったのだ。夫の退職金を待って離婚をつきつける現代の熟年女性と違って、母の場合は逆に、たかが知れてる自分の退職金の一部を夫に手切れ金として手渡して別れたのだから、堂々たるものだ。誰にも文句を言わせない。

別れたといっても戸籍はそのままだった。女性関係も多かった父に、「あなたに好きな人ができて結婚するという時はいつでも籍をぬくから」と結局別居の形になったのだが、父が亡くなった時には喪主として、借金しか残していなかった父の葬式をちゃんとあげたのであった。

ポルトガルに住んで子どもが出来、少し自分のポルトでの生活も落ち着いてくると、わたしは、父が自分の故郷ではない弘前という異郷に一人住んでいるを時折思い出した。異国に住むということが父との距離をほんの少し縮めたような気がする。古いしきたりの田舎で父は父なりに気苦労があったのだろう。そのストレスが父を酒に向けたのであろう。ストレスと言う言葉がなかった時代だ。

そして、それまでは一度も書いたことがなかった手紙に我が子たちの写真を入れ、年に2度ほど航空便で送った。ローマ字を読めない書けない父からは一通の返事も届いたことはない。そんな父は36年前に60代後半で亡くなったのだが、母の兄弟の間でも評判は悪く、わたしは時々親族が口々に父の陰口をいうのを耳にしたこともある。

親族が言うことは普段からわたしも思っていることで、もっともな話なのだが、忌み嫌う父ではあれど、その父を他人が悪く言うのを聞くのには、家族の血のなす業だろうか、「分かってるけど、人には言われたくない」と、わたしは無性に腹が立ったものだ。

同じように異国にいて同国人や現地の人間から母国のことを酷く言うのも耳にするのは嬉しくない。国あってこそのわたし、家族である。批判は受け止めるが、自分が少しでもその批判に対して言い訳できる知識がある場合はそれを知ってもらうよう努力する。

さて、その日本だが、「リベラル市民として言えば、せめて(安倍晋三氏)暗殺が成功して良かった」と作家兼法政大学教授がテレビで発言したとの記事を今朝目にして、なんたる暴言、その品格の無さに、何がリベラル市民や!リベラルは暗殺を是とするんか!と久しぶりに怒りがこみ上げた。

これが言葉を大切にすべき作家が発する言葉であろうか、大学で教鞭をとる人であろうか。こういう発言をインターネット上とは言え、放言できる日本、本当に大丈夫か?政治家、自称知識人、評論家等の近頃の大人たちの発言のセンスのなさ、語彙不足には「発言の自由」、日本人が不得意だと言われて来た「はっきり意見を言う」を誤解してないか?と思わざるを得ない。

しばらく前に書いた社会の高齢化対策について「唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと」との某日本人発言や小西議員の「サル発言」に続く今回の「暗殺、成功してよかった」には怒りを通り越して、高等教育を受けて来たであろう大人たちに深い失望を感じているわたしである。


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2023年4月16日
  
このところ、毎日の授業準備と授業とでパソコンに向かって長時間を費やしており、かなり目が疲れているんではないかと感じることがある。かつてはポルトの街をあちこち歩いて、お、こんなところにこんなものが!とか、え~っとあれはこの辺にあるんではなかったっけ?などと独り言ちながら散策していたものだが、その余裕を失ってしまった昨今ではある。

初夏のようだった今日、やおらポルトのリベイラの景色が眺めたくなって、我ら夫婦習慣の日曜日昼食を隣町ガイアにあるWOW(World Of Wine)まで行って来た。本当はドウロ川沿いのリベイラへ行きたかったのだが、きっと込んでいるに違いないというのでリベイラは止めてWOWにしたのである。

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WOWの広場にはまだイースターエッグが置かれたままになっていた。思ったほど人が多くなく、澄み切った真っ青な空の中に立つクレリゴス塔の姿がひときわ目立ち、ポルトの象徴であることを塔自らが主張している。
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心に染み込んでくるポルトの段々畑の景色だ。昼食は値段の割には今一であったが、この景色を眺めながらのランチと思えばまぁ、それでよしとしよう。

以下、WOWの案内をしておきたい。

ドウロ川をはさんだポルトリベイラの対岸、ガイア市には多数のポルトワインセラーが林立し、毎年多くのツーリストが訪れる。特に町の名前を持つポルトワインの赤は「ポルトガルの宝石」と呼ばれ、古くからヨーロッパで愛されてきた。そのワインを中心にしたワールドオブワイン(WOW)が2020年に1億500万ユーロをかけてガイア市歴史地区に誕生した。約4万㎡のWOW敷地は様々なアトラクションに分けられる。ポルトワインを始め、国内各地の数種のぶどうがワインになるまでの過程を見聞できるワインエクスペリエンス博物館、世界の50%以上の生産量を誇るポルトガルのコルク産業のコルクプラネット博物館、意外と知られていないが、実はポルトワインと相性がいいチョコレートの博物館、ファッションファブリック博物館等だ。これにレストラン、カフェ、ワインバーが数店加わる。まさに複合文化施設なのだ。

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WOWの見どころは、誰もがアクセスできる大広場から展望できる対岸ポルトの街の絶景である。ひときわ目立つポルトのシンボル、クレリゴス塔を中心に段々畑のように重なった赤レンガの街並、その横のポルトとガイアを結ぶドンルイス一世橋を赤や黄色のメトロがゆっくり渡って行く様はさながら一枚の絵のようだ。WOWはワインストーリーだけではなく、時代を超えたワイン造りの町の歴史とその人々の冒険物語をも語っているのである。 

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2023年4月12日 

3月の始めころにGG`s(ジィジィズ=我が日本語塾の70才以上の生徒たち)の一人であるマリアさんについて書いた。その時に我が教室の最高齢者アルフレッドさんの話が出たのだが、今日は彼のその後の話だ。

「 帰ってきた日本語教室のGG`s」

実は3週間前から我が家に通ってきている。ドイツから帰ってすぐレッスンを始めたいと電話連絡をもらった。コロナの4年間、日本語の本を読んだり読まなかったりだったので、簡単なものから始めたいと希望された。

わたしはと言えば、何よりもまず山から下りてくる際の1時間半の車での道のりが気になるのである。が、ゆっくり運転するから大丈夫だと言う。アルフレッドさんはポルトにも家があるので、週末山を下りて月曜日に我が家で日本語を勉強し山へ帰ると言う。う~む、なにしろ90歳になるので心配なんだよね。

いっそのこと、お代は要らないからそれをタクシーにあてると言うのはどうだろうかと思っているのだが、お金には困らない人なので断られるであろう。

我が家のベルを押す前に、向かいのカフェでしばらく時間を過ごすのが習慣らしく、そこで夫が、あのご老人はどうしているのかと聞かれるのだそうだ。今回再び顔を出し始めたアルフレッドさんを、カフェの常連客は大歓迎したと言う。ここに通ってくるのは常連客としてカフェに寄り顔見知りと出会う楽しみもあるのであろう。

その彼が主治医にもう腰をかがめたり土を耕したりするのは止めなさいと言われたと言う。山ではインターネットはもちろんテレビすら持たないアルフレッドさんは、晴耕雨読の人である。広い山の土地には桜の木、コスモスの花なども植えている。毎夏の山火事を防ぐためもあり、その土地を毎日掃除したり樹々花々の世話をしたりしてきたのである。

そう遠くないうちに恐らく山からおりるのではないかとわたしは思っている。年齢を考えると、家族がいなかったら別だが、もう一人でなにもかもできる歳ではない。山の家でなにかあったら問題ではないか。

ご子息はポルトにいるしドイツには娘さん家族が住んでいる。成長した孫たちも時々ポルトを訪れて来ると言う。自分の親だったらとうに仙人のような生活を止めて山を下りるよう説得しているであろう。「生涯現役」という言葉を何度か使って来たが、わたしはこれを「生涯自分に関する基本的なことが自力でできること」と意味合いを広げて使っている。が、残念ながらそれにも人には限度がある。

わたしは今のところ自分のことは自分でこなせているが、今までできていたのにできなくなったものもある。ビンカンの蓋開け、早歩き、急なつま先での背伸びなどがそうだ。また、スーパーでのプラスティック袋を開くこと、キチンヒーターにタッチしてもオンにならないことと言うのもある。この二つなどは加齢による指先の乾燥だそうだ。記憶力はまだ大丈夫だと自分では思っているが、これが案外あてにならなかったりして(苦笑)

アルフレッド夫妻に出会ってかれこれ30年になろうか。彼らがドイツに移った後も交信はしていたが、その間に奥方は亡くなり移住の理由だった彼の孫たちも20歳を過ぎた。90歳という年齢だと周囲にも行き来する知人が随分と減るであろう。

日々の生活の中で今までできたことが出来なくなっていく、自分が知っている人が少なくなる、歳をとるというのはこういうことなのだと感じる昨今、わたしが出した課題「短歌・その心」の語彙を調べてきちんとノートに書いてきたアルフレッドさんの今も学ぼうとする姿勢に脱帽である。

大海の底に沈みて静かにも耳済ましいる貝のあるべし  久保田空穂

世間から離れて、静かな瞑想者のように人生を思い、耳を澄ましている貝の姿が我が老齢の生徒となぜか重なるのである。

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2023年4月7日

「着いたよ」と東京息子からメッセージが入った。イスタンブール経由の昨日の午後の便で再び日本に帰ったのだが、3週間夜は殆ど家にいたためしがなし(苦笑)

今日の夜8時ころに到着して明日の午後には大学のオリエンテーションがあるとのこと。もうちょっと余裕をもって云々とは思ったものの、もうそんなことを親が言う年齢でもあるまい。出かかった言葉を飲み込む。

すると、ポルトを出発する前日、British School時代の1年先輩であるA君と小1時間ほど羽田空港で会うのだと言う。おいおい。息子は到着、A君はたまたま出張で日本へ行っており、本日夜ポルトガルに向かうというではないか。A君は空港内で会うためにわざわざ便をキャンセルして1時間遅いのにしたのだと言う。

発着のターミナルも違うでしょうが!会わずじまいになる可能性もあって気になるが、1時間のおしゃべりで済まず、A君、うっかり便を逃したらえらいこっちゃ、とこちらは気が気でならない。

しばらくして「えへへ」 と空港の寿司カウンターで二人ビアジョッキを傾けてる写真が送られてきた。あはは。二人ともまったく嬉しそうな顔して、「することがスーパー過ぎるで!」と思わず我がモイケル娘にも写真を送る。モイケル曰く「ぐは!」と呆れながらも、フットワークが軽いのはいいことだと(爆)

母:そ、それもいいが、そろそろ歳を考えて欲しものだ。
モイケル:(75過ぎて次から次と日本語レッスンを受けてる)おっかさんがそれを言うか・・・
母:ぎゃふん

言われてみればそう言える。今日は聖金曜日で休日。今週末は復活祭で今は学校も休みなのだが、我がYY塾は休みなしの開講中である。2クラスが「休みた~い」と言い出し、仕方なく許可を与えたが、実は今日も明日もクラスはある。夫が「今日はSexta Feira Santa(復活祭の前の聖なる金曜日、イエスの受難と死を記念する日)だよ?」と呆れているが、金土日と休日が続くからこそしっかり勉強したいというクラスもあるのである。

さてと、東京息子は無事日本に帰国したはいいけれど、こちらにはまだ問題が残っている。ネコのゴローである。食べるときとトイレの時以外はずっと息子のベッドから出ない。息子が夜出かけてなかなか帰ってこない日には、夜中にガォンガォンと鳴くので夫とわたしも目が覚めてしまうのだ。

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息子の枕に乗ろうとするので布を敷いた。嬉しくない顔のゴローです

今日の明け方のガォンガォンは大変だった。去る者日々に疎しと言う。徐々に忘れてくれるといいのだが、中には人恋しさに病にかかるペットもいると聞く。16歳の高齢ねこゴローと東京息子、ゴローの飼い主はわたしなんだがなぁ・・・・

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2023年4月4日 

先週夕方の日本語グループ授業も終わろうかと言う時、それまで座っていたイスがガタンと音を立ててガラガラ崩れ落ち、生徒からすれば先ほどまでこうだった画面が、

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突如、こういう感じになったんであります。
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あれ?先生、どこ?ってな具合(笑) そりゃそうですよ。椅子が崩れ落ち腰かけていた自分も床に尻もちをついたものですから。背板だけ残して見事にバラバラになったイスを前に、ひゃ~、なにこれ!このイス!と蹴飛ばしたい気持ちになりましたっけ。

しかし、即座に立ち上がり何事もなかったかのように画面の下から顔を出し、「ではみなさん、今日の授業はこれでおしまいです。お疲れさまでした。また来週~」と、そこはそれ、年期が入ったものです。

終わるなり部屋に夫が入って来て、「あ~ぁ、またイス壊しましたね」との最初の一言にカチンときたわたし、「壊すというのは、脚で蹴飛ばすとか投げつけるかしてイスを破壊することである。この場合は、壊したのではなく壊れたんすよ!座っていたのに突然、壊れたという自動詞である。他動詞にあらず。」 夫、ぽか~ん(笑)

こんな時に及んでまで、自動詞だの他動詞だのと持ってくる自分が可笑しくて、実は内心ひとり笑いをこらえていたのであります。笑いをこらえながら、向田邦子氏のエッセイの一編を頭に浮かべていました。以下、あらすじ。

小学生だった筆者が父親に買ってもらったガラス製の筆立てを落として割ってしまった。ある日、その筆立てがなくなっているのに気づいた父親にどうしたのかと聞かれ、軽い気持ちで「壊れました」と答えたところ、父親にいきなり頬を張り飛ばされた。唖然とする筆者を父親はにらみ下ろし、「ちゃんと言ってみろ。お前が壊したんだろう。それともジーッとみているうちに、 筆立てが自然にパカッと割れたのか」と、とてつもなく威圧的な声で言った。

のどをひくつかせながら、つまる声で「落っことしました」と答える筆者に「そんなのは、壊したというんだ。壊れたと言うのとは全然違うんだ」と紙に鉛筆でその二つの言葉を書き、筆者の顔に突きつけると、「どうだ、違うだろ、ハッキリしろ、これからも、ずっとそうしろ」と命令した。

格別な教養もなかった父親だったが、決して子供に媚びず、手加減しなかった父親の生き方は、筆者に自分で考え行動する習慣をつけることになった。

と書いている。わたしは、この父親の言う「ジーッとみているうちに、筆立てが自然にパカッと割れたのか」の箇所でクックックと笑ってしまったものだ。

さて、そこへ、別部屋でなにやらしていた息子もやってきて、バラバラのイスを目にし「うは!」 つなぎ貫(イスなどの脚元をつなぐ床に平行な棒状の部材のこと)は折れておりました^^;

いえね、ここまでバラバラにならなかったものの、どのイスも40年以上経つ古いもの、毎日腰かけてきたものでグラついてきて夫が何度もトンカチで打っては持ちこたえさせてきたのです。それで、一度イスを全部修理に出したところが、ポルトガルの職人さんのすること(笑)、クッションになっている四角い座板の布を張り替えてくれたはいいけれど、夫が言うのは、「ちょっと大きいんじゃないか?」です。座板が大きめだと、長い間座っているうちに段々グラついてくるということであります。

後で思ったことですが、突然ガラガラという音と共に(多分音が聞こえたと思うのだが)画面から消えたと思ったらすぐさま顔出して、何気ない顔で「今日もお疲れさまでした」というわたしをみな何ととらえたであろうか。

「ジーッとみているうちに、筆立てが自然にパカッと割れたのか」を読んだ時同様、その時の生徒たちの気持ちを思い浮かべてはクックックと密かに笑わずにいられなかったのでした。

ほんとにね、今回のことは、「イスを壊した」とは言えないでしょう?危うく怪我をするところでしたよ。翌朝は腰が痛かったです。

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2023年4月2日 

ともすれば、いつもの散歩コースを歩くのが億劫になったりします。たかが45分ほどなのですが、授業準備と授業とで時間がとれないことがあります。それと、そそっかしい私の事、雨天の時は滑って転んだりすることも考えられるので歩きません。食料の買い出しもあるし、これに洗濯料理が加わると、あっという間に1週間が終わるように感じるこの頃、後期高齢者の身としては頑張ってるなぁと自画自賛(笑)

息子や我がモイケル娘に、少し授業をやりすぎじゃない?と言われますが、去る1月に日本語新コースを開講する際、この1年は目いっぱい働いてみようと決心したのです。で、復学したいと言うコロナ前の個人授業の生徒さんは断れず、いいですよ、いいですよで引き受けていたら、あれ?一週間働きづくめじゃん?休日がないのに気づきました。ま、どうしても休みが必要だとなった時には、話して休みをいただくことにしましょう。

さて、毎金曜日は夕方6時から1時間半のグループ授業があります。通常はそれが終わってから、急いで前もって準備しておいた晩御飯を作るのですが、先週は目下帰省している東京息子が、「晩御飯、オレがカルボナーラ作ってやるよ」と申し出。昼のうちに食材を買ってきていたようです。うわ!ありがたい!とお任せです。

授業が終わり手伝おうかと台所へ行ってみると、息子の姿あらず。あれ?まだ作り始めてないの?と今は自由活動部屋と化した元モイケル娘の部屋で何やら仕事をしている息子に聞くと、「大丈夫だよ。20分でできるから」と言う。

どれどれお手並み拝見とばかりに、おっかさん台所で見てますと、おお、本格的ではないか!そして、あったかいうちに食べないと美味しくないからとせっつかれ、夫もわたしもそそくさとテーブルのセッティング。そうしてできた東京息子のカルボナーラ、これです。

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わたしの分ですから少量にしてもらいました。チーズをすりおろしてトッピング、カルボナーラの盛り付けもグルグルっとスプーンで巻いて。えらいえらい。味も上々。2時間かけてコックオーヴァンを作ったり手作りのデミグラソースをかけたステーキを焼いたりと、食べ物はできるだけインスタントを避けているようです。

これは将来ポルトに帰ってきてくれた暁には助かるなぁ、なんて勝手に喜んでいる母であります。

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