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2023年2月27日 

近年よく目にしてずっと心にひっかかっている言葉がある。劣化、老害という言葉だ。特に 「劣化」なんて言葉は人に使えるんだっけ?とあまり頻繁に見かけるもので、物に使う言葉だと思って来た自分が間違っていたのかと、改めて辞書を手に取った。

わたしが持つ三省堂「新明解国語辞典」には「長年経過したり何回も使用したりして、もとの良い性能、品質がうしなわれること」とある。やはりこれは本来物に使う言葉だ。人を含めて生物に使う場合は「老化」でしょう。

よく著名人に対して使われているのを見かけるが、著名人は物扱いか? それとも芸能人や名の知れた人には一般人が何を言っても許されるのか?言ってる当人だっていつか当人が言ってるところの「劣化」になるんやで?なんだかなぁというのがわたしの思うところだ。

「老害」という言葉にしてもそうだが、私など耳で聞いたら「労咳」と思うであろう。公害じゃあるまいし、年とって害を及ぼすって、若くても傍に害を及ぼしているのはいくらでもいるではないかと、夫相手にブツク言ったりしている。え?それが既に老害だってか?

我が辞書にはそんな言葉は載っていないのでネット検索すると、「老害とは、高齢者たちが実権を握り、若年者(若者)たちが充分に活動できない状態を言う。また、企業や政治の指導者層の高齢化が進み、円滑な世代の交代が行われず、組織の新陳代謝(若返り)がはばまれる状態と定義される。インターネット上では、未熟さを指摘された者が相手の年齢とは関係なく発する罵倒語となっている。」とある。

今の日本の若い人たちは、自分たちが充分に活動できないことや世代交代がうまく行かないことなどは、年配者のせいだとでも思っているのだろうかね。言ってる自分も確実に歳をとるんやで?これだって、なんだかなぁ。己の不満を人のせいにするのは簡単だよとわたしは思うのである。

こんなことをここしばらく考えていたら、少し前の某トーク動画で、おでんメガネ(メガネ枠の片方が〇でもう片方が□のメガネ)をかけた30代のエール大学日本人助教が、社会の高齢化対策に関して「唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと」と発言したと言う。

額面通りに受け取れば「なんなん、それ?」と目が点になるような発言で早速炎上したようだ。わたしも活字のぱっと見で「失敬な。自分の親にもそう言えるのか!」と瞬時感情的にとらえてしまったが、動画全部を見てみると、一般的な高齢者を主語にしたわけではないだろうと思われる。本人は社会の指導者層を対象にした例を挙げているからだ。

それにしても、他の言い方があろうと言うものだ。自決、切腹て、おいおい、そういうあんたこそいつの時代の人だ?で、その氏が畳みかけて言うには、「高齢化が進む日本社会、将来的には安楽死の強制みたいなことも議論できるような状況を作っていくべきだと思う」と申す。

なんかなぁと思うと同時に安楽死云々の言及にいたっては脳裏に昨年から観てみたくて探している映画「PLAN75」(カンヌ映画祭受賞作品)が浮かんだ。倍賞千恵子主演だ。

PLAN75あらすじ、以下。
少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン 75>が国会で可決・施行された。 様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる。夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は<プラン75>の申請を検討し始める(filmarks映画サイトより)

この映画が公開された2022年、昨年は自分がちょうど75歳と言う年齢になることもあって、ぎょえ!こんな未来映画なんてぇ~と思いながらも観てみたいと思ったのである。

某氏の言ったことは比喩だと解説する人もいるが、高齢者に自決せぇ腹切りせぇ安楽死強制もありだぞ、なんて比喩はぞっとしない。75を過ぎてもオンラインで日本語レッスンをしているわたしも、若い人からすれば「仕事の場を奪っている老害者」と罵倒されるのだろか。ジョーダンじゃないよ。

更に某氏は続ける。日本のテレビ、政治、経済界のエライ人たちに会うと耳が遠いし滑舌が悪くて何言ってるのかわからない、コミュニケーションも厳しい高齢者が本当に多いのだそうだ。 これは分かる気がする。 

社会のトップに立っている年配者は老年の俳優たちがするようにプロの滑舌トレーニングを受けることで、頭さえしっかりしていればコミュニケーションの問題はある程度解決できると思う。舌が滑り過ぎて禍になることに気をつけなければならないかもしれないが(笑) 

どこの国でも同じだと思うが、批判はいい。が、攻撃的刺激的な言葉での比喩、批判は相手への敬意を失し罵倒語になりやすい。 それくらいでないと聞く人には届かないという向きもあるかもしれないが、日本語は非常に表現豊かな言語だと考えるわたしは、批判するにしろ反対意見を述べるにしろ、必ずや適切な言い方ができるはずだと思うのだが、どうだろうか。

人間を相手に、劣化、老害という言葉は止めて欲しいと思うのである。

今日はこのところずっと考えていたことを文字にしてみたのだが、話で言えば多分滑舌よくないと言われそうな拙文になってしまった気がする。ご勘弁を。

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2023年2月23日 

1年がかりでやっと仕上がった孫、空ちゃんのセーター。

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ソファに座って編むという時間がなかなかなかったもので、今秋から着られるようにとかなり大きめに編んだ。編み始めたのは去年始めで、このセーターは昨年秋の帰国でポルトガル日本を往復もしている(笑)呑気なものだ。

恐らく今どきは入手が難しいであろう100%純毛の毛糸(近頃は綿100%の表示がしてあってもアンゴラが入っている)で、実を言うと40年ほど前のものを使っている。色々な色になっているのは一枚のセーターを編むにはどの色の毛糸も足りないからで、古いがゆえに途中で糸がプチプチ切れて、セーターを裏返せば糸をつないで編んでいる跡

息子が生まれた時(40数年前になるが)、アレルギーを避けるためセーターは純毛を着せてあげたいと思った。が、店ではなかなか見当たらなかったので自分で編もうと決心。それまでは一度も編み物などしたことがないと言うのに無謀である。

当時は夫の家族と同居だったので、わたしがする家事はほとんどなく、日本から持ち込んだ趣味の木彫りをするのと日本へ手紙を書くのがせいぜいだった。英語を勉強するところはあったがポルトガル語を習うところがなかった時代だ(笑)よく、わたしたち夫婦の部屋のベランダの目前にある坂道に続く空を見上げては故国を偲んだものだ。

日本から本を送ってもらい、そして始めた無謀者の編み物は編んではほどき編んではほどきを繰り返し、1枚2枚3枚と愚作品を続けるうちにやがて目が揃って来て模様編みや図柄を入れたセーターが作れるようになった。セーター編みは我がモイケル娘にも続けられた。

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ママのデザインのセーターを着た2歳半くらいのモイケル娘

今回の孫へのセーターは自分が編み物を始めた頃の様に目が揃っていないのは面目ない。子供たちの成長につれて編むセーターのサイズも大きくなり時間なし。6年間の義母たちとの同居生活も終わって家事と子供たちの学校への迎え、日本語教育等で多忙になり、レース編みはなんとか続けられたが、棒針2本の編み物は30年ほどしていなかったのであるから。

40年の前の毛糸ともなると、それなりに我が家の歴史がうかがえると言うものだ。編んだ目が不揃いのセーターだが、空ちゃん、喜んでくれるかな?

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2023年2月20日

明日はカーニバル休日です。先週末までいい天気だったのが下り坂になり、やはり例年の如く今年も雨のカーニバルになりそうです。

カーニバルはポルトガル語ではCarnaval(カルナヴァル)と書きます。これはラテン語の carnem levare(肉を断つ)から来ると言われ、復活祭同様、移動性休日で毎年その祝日が変わります。

季節が夏の地球の裏ブラジル・リオの大々的なカーニバルには足許にも及びませんが、カーニバルのパレードは小規模ながらポルトガルでもあちこちの町で行われます。大きなものとしてはOvar(オヴァール)、Torres Verdes,、Louléなどが挙げられるでしょうか。

特異なものでは北部の小さな町Podenceのカーニバルです。赤、黄色、緑(ポルトガル国旗の色やん^^)の縞模様のフリフリ衣装を着けた鬼の仮装行列が催されます。これはユネスコの世界文化遺産にも登録されています。

Carnaval_poence.jpg
Wikiより
これも小さな町ですが、Lamego近く、人口700人足らずの小さな村Lazarimの仮装。

carnaval_Lazarim.jpg
Wikiより

「明日行こうか」と夫に誘われたのだが、無理っしょ。明日午前中日本語が入ってるし。ここから240キロくらいあるから2時間はかかる。おまけに雨だよ?」と断り。

わたしにとってカーニバルはいまいち乗り切れないお祭りであります。

元来は春の訪れを祝う異教徒の祭りだったのがキリスト教に取り入れられ、一週間羽目をはずした祭りで騒ぎ、終わった後それらの乱痴気行状の罪を大きなわら人形に託して焼き払う、というのが起こりだそうです。

一週間の最後は、必ず火曜日で、翌日の水曜日(2023年は22日)はポルトガルではDia de Cinzas=灰の日)となります。

現在では、すっかり観光化されてしまったカーニバル(謝肉祭)ですが、カトリックの国でこのような、言って見れ、「無礼講・乱痴気」の祭りが取り入れられたのには、ちょっと驚きですね^^

下はわたしが気に入っている娘のカーニバルの王子さまです。この頃飼っていた愛犬ポピーもいっしょに。

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豪華な衣装を買ったり作ったりする人もたくさんいますが、子供の衣装は一度着たら翌年はサイズが合わなくてほぼ再び着ることはないので、これは知人から借りたものです。昔と違い、今は大手のスーパーマーケットなどで、安いのだと7ユーロ(\1500)くらいから、様々なコスチュームが売られています。買った衣装はもったいなくて、今でもとって残してあります。

carnaval_Mariana_2023.jpg

カーニバルと言えば、ずっと昔に見た「黒いオルフェ(Orfeu Negro」なる映画と重なってしまい、にぎやかさとは対照的なラストシーンが思い出され、わたしはどうも陽気に騒ぐ気持ちになれないのです。

1960年のカンヌ映画祭でグランプリを、米アカデミー最優秀外国映画賞を受賞した映画でブラジル語で話されています。ギリシャ神話を原作にした、リオのカーニバルの日の恋人たちの悲恋を描いた物語です。

ギリシャ神話のアポロの息子、オルフェウスは竪琴の名人です。彼の奏でる竪琴の調べは、鳥獣草木さえも魅了するのです。死別した愛する妻ユーリディスをこの世に引き戻すためにオルフェウスは黄泉の世界へ下って行きます。

その美しい竪琴の調べで、冥界王プルートの心を揺り動かし、「決して後ろを振り向かない」という約束で妻を連れ戻すことができたというのに、黄泉の世界の出口で己の心の誘惑に負け、後ろを振り向いてしまいます。愛する妻をオルフェウスは永遠に失ってしまう。これがギリシャ神話です。


映画は、

リオの街、坂の上に住む人々はカーニバルを前に仮装の衣装作りをしています。若者オルフェもこの丘に住む市内電車の運転手ですが、彼がギターを抱えて歌うと鳥も羊も静かになり近所の人々はうっとりと聞きほれます。

田舎からカーニバル見物に来た若い娘ユーリオディスが電車に乗り、オフフェが住む丘の上の従妹を訪ねてきます。隣から聞こえてくる美しい歌声に惹かれて覗いてみると、それはさっき電車であったオルフェでした。

kuroi_olfeu.jpg

オルフェにはカモシカのようなしなやかな体と豊かな胸をもつ美人の婚約者ミラがいますが、気が強いのです。オルフェは慎ましやかな美しさをもつユーリオディスに惹かれます。

カーニバルの前夜、街に出たユーリオディスは死の仮面をつけた不気味な男に追い詰められ、からくもオルフェに救われて気を失います。ミラはそれを見て嫉妬の炎を燃やします。

翌日、カーニバルで群踊のパレードが繰り出します。ユーリオディスは衣装を借りておオルフェの踊りの組に加わりますが、彼女を再び死の仮面をつけた男が追い詰めます。駆けつけたオルフェはユーリオディスを助けようとして高圧線のスイッチを押すのですが、却ってそれがスパークして彼女を焼死させてしまいます。 

ユーリオディスの死体を抱きかかえてさまようオルフェに、ミラは嫉妬で正気を失い怒り狂い、巫女たちとともに石つぶてを投げて断崖に追い詰め、転落させます。二人は屍を重ねます。呪われた悲劇の夜が白々と開け、何もしらない子供たちはオルフェのギターをかき鳴らして踊っています。
(猪俣勝人著:世界映画名作全史・戦後編からの要約)―


映画の中で流れる二つの主題曲がとても美しい。
ひとつはLuis Bonfáの「Manhã de Carnaval(カーニバルの朝)、日本では「黒いオルフェ」でヒットしました。1960年ですから、わたしがやっと洟をたらしていた時期を抜けようとしていた頃です。

オルフェウ・ネグロを小野リサが歌っています。



もう一つが、ブラジルの作曲家アントニオ・ジョビンの「Felicidade(幸せ)」です。ジョビンはこの数年後に、「ボサノバ」を編み出して、世にその名を永久に刻みました。

「Felicidade」を知らない人でも、「イパネマの娘」はご存知でしょう。この作曲家なのです。当時のわたしは英語もよく知らない時代でした。ましてポルトガル語など分かるはずもないと言うのに、「黒いオルフェ」の歌には心惹かれてメロディーを覚えたものです。

ポルトガル語が少し理解できるようになった昨今、「Felicidade」のさりげないブラジルの歌の人生哲学にも少し惹かれるこの頃です。

挿入歌「Felicidade(しあわせ)」の一部をご紹介。
     
♪Tristeza não tem fim      哀しみには終わりがない
  Felicidade sim          けれども、幸せには終わりがある
  A felicidade é como a gota    しあわせは
  De orvalho numa pétala de flor 花びらの露の一粒の如く
  Brilha tranqüila           静かに光り
  Depois de leve oscila       かすかに揺れて
  E cai como uma lágrima de amor   愛の涙のように落ちる 
                -spacesis勝手訳

こちらで聴けます ↓ 

物語は、熱狂的なサンバに浮かれた一夜明けての物悲しさと空しさが感じられるような終わり方です。

そんなわけですから、カーニバルというと、映画「黒いオルフェ」が印象が強く、わたし自身はあまり楽しめる気分にはなれないのです。

ブラジルポルトガル語に挑戦したい方はこちらで映画をどぞ↓


今日の記事は過去記事に手をいれています。
では、みなさな、よいカーニバルを!


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2023年2月18日 

先週のことだが、分厚い郵便物が届けられた。国内郵便なので夫宛てのものかと思ったら
封筒の宛名が自分になっている。ほとんどないことなので、んん?と封筒に書かれてある送り主に目をやると、Ana Rita Ferreiraと女性の名前だ。

Ana Rita なんてポルトガルには同名がたくさんいて、我が日本語学習者のなかにも二人ほどいる。授業では名前を指定して答えてもらうので、新しいクラスだとそれぞれの顔と名前を一致させるのに2週間はかかる(つまり2回の授業)。3週間目にやっと全員の名前が覚えられるというわけだ。はははは。苗字も一緒に覚えるのは、例えばAna Ritaさんが二人いたとき、苗字もともに呼ぶことになる。全員のフルネームなどとてもわたしの小さな頭には入らないのであ~る。

分厚い封筒を開けてみると一冊の本であった。「Duas Esmeraldas no Oriente(直訳:オリエントの二つのエメラルド)」。

DuasEsmeraldas_noOriente.jpg

あっと思い出した。コロナ禍直前まで週に一度、夕方個人授業を受けに来ていたアナさんだ。ポルトから車で40分ほどのところに家族ぐるみでレストランを経営している。大柄な女性だが我がモイケル娘と同い年なもので親近感が湧き、あちらも色々な内輪の話をしてきたりした。

料理学校の講師の話が舞い込み、時間的にも、そして若い子相手なので人間的にも果たしてできるかどうか全く自信がないと聞いたときは、ご立派なことは言えないがわたしが経験したビアハウス時代の初バイト歌姫(たくさん失敗をしたものだ)、補習校講師や2011年のポルトJAPAN Weekコーディネーターを受けたときの話などを少ししたのだった。

冷や汗かいてずっこけて、たじたじで始めた新体験だったが、一生懸命取り組んでいるうちになんとかできた。失敗を通して学ぶことは多々ありそれが今のわたしの一部を作っている。どうしても自分の性に合わないと分かったら、その時には止められると思う。だれにでもなんにでも最初ってあるんだよね。みたいなことを言ったと思う。

翌週、彼女は「ちょっと大変だけど受けてみようと思う」と決心してきた。講師を始めた当初は色々なアクシデントを聞かされた。時には生徒を黙らせるのに「静まれー!黙れ!」の日本語を発し、生徒たちの目を白黒させたの言うのには大いに笑わされたものだ。

自分の楽しみであちこち旅行したことを受けて密かに本を書いていることもわたしに話してくれた。友達にちょっと読ませたら、続けろ、本に出せ。と言うのだそうだ。わたしのようなものが本なんて出せるはずがないよ、という。

その辺のことはわたしも全くの素人だし本など書こうという気持ちになったことはないが、こうしてブログで拙文を綴っている。本を書くには勿論文才は必要だが「継続は力なり」ともいうではないか。

かつて拙ブログを読んだ某会員雑誌の編集者から連絡をもらったことがある。例え小冊子にしろ執筆してお代をいただくなど夢考えたこともなかったので、怖気づいてなかなかOKと言わないわたしに「編集いたしますから是非」と押し切られ、原稿と写真を提供し始めたのが2007年だったから、ひぇ~、あれから16年にもなる!と今、調べて気がついた。道理で、近頃は「もう書くところがありまへん」となったりしている(笑)

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初めて原稿料をもらって書いたのはポルトのレロ書店についてだった。2007年9月とある。この頃のレロ書店は自由に出入りができ店内では頼めばコーヒーも飲めたのだった。今は入場料を払い列に並ばなければならないほどの人だ。

アナさんにはこの話もしたと思う。予想もしていなかったことが向こうから転がり込んできた時は、ちょっとしてみてもいいんじゃないの?と、歳を経て今は思っている。

そっか、アナさん、ついにやったか。そう思いながら表紙を開いた。表紙の裏には私宛に彼女のお礼が直筆で書かれてあった。何気なく右ページの謝辞に目をやると数人の名前の中に突如自分のフルネームが目に飛び込んできて、ぎょえ!「わたしに多くのことを教えてくれ自信を持たせてくれたspacesis Senseiに心から感謝します」 あわわわわと慌ててしまった。

アナさん、それは買いかぶりっす。教えたというよりも教えながらわたしも多々学んでいるのだ。
日本語を教えることによって母国語の美しさ、面白さ、豊かさを再認識しているのである。

さて、この本を読まなければならないなぁ^^;500ページ近くあるのだが、ポルトガル語辞書と首っ引きてか。あははではすまんぞ・・・

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某年某月某日 

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我がフラットの台所のベランダから望まれる夕暮れ景色

このところいい天気が続き夕暮れが美しい。夕日の切ない美しさには心が少し泣くのです。こんな夕暮れを目にするたびに映画「Always三丁目の夕日」のオープニングタイトルが頭の中で流れます。

映画三丁目の夕日 主題曲はこちらで聴けます

今日は昭和時代の過去ブログ記事をあげます。

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Wikiより

ポスタ―は映画「Always三丁目の夕日」です。原作は1955年から1964年までの東京近郊にある「夕日町三丁目」を描いた漫画とのこと。わたしの8歳から17歳までの昭和時代が背景で、東京タワーがまだできるかできないかの時代です。

この映画の町並み、アスファルトではない土の道、オート三輪車、キューピー、フラフープとどれもわたしが子どもの頃めにしたものです。タバコ屋の「新生(しんせい)」にいたっては、名前を耳にしてあっ!です。久しく忘れていたいたことでしたが、亡くなったわが母が愛したタバコの商標だったのです。

青森から列車で上野に着く集団就職の「六子」ちゃん。中学時代のわが友にもこうして集団就職列車で石川県に行った人がいます。なんだか切ないのです。

映画の中心のひとつとなる「鈴木オート」には、母の9人兄弟の中でも一番出世したといわれる弘前の我が叔父の「マツダオート」と姿が重なりました。モダン生活の三種の神器(じんぎ)と言われた、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が少しずつ一般家庭に浸透していったのもこの時代です。わたしも初めてのテレビは、この映画の中にあるように、ご近所へ観に行かせてもらいました。

子ども時代から10代の終わり頃まで自分が生きたのがこんな時代だったとの思いでこの映画を見るものですから、たまらなく懐かしくちょっと感傷的になりました。

わたしが我が子達へのメッセージとして書き留めているエッセイ「昭和時代の思い出:思い出のアルバム」があります。この映画が1955年から1964年までとうたってありますが、丁度その1964年の夏に、わたしは今回の映画を見た懐かしい思いとは別の、挫折したような心地で東京の夕日を眺めたことがあります。

後のわたしの歩く道を決めることになった出来事ですが、この夏の落胆はのしかかる岩のように大きかったです。翌年からのわたしはこれまでの多くの人とのつながりを断ち切ったようなところがあります。

今にして見ればそこまでしなくてもよかったと思われるのですが、若さゆえそうすることで新しい道を自ら切り開くのだとの思いがあったような気がします。

A君という中学時代からのペンフレンドが東京にいました。1964年、高校生活最後の夏、東京の新聞専売店の配達体験中の休みの日を見て、手紙にある住所を頼りになんの前触れもなしにわたしはそのペンフレンドを訪ねたのもその年でした。いいのか悪いのか、思い立ったらぱっと行動に移す落ち着きのない、そんなことを繰り返す10代の頃でした。何年も文通していながらAさんとはそれきりになってしまいました。江東区の夕日が1964年の夏をさらって行ってしまったのです。

「おいおい!優さん、それはないぜ、ったくもう」とAさんの声が頭のてっぺんに落ちてきそうです。はい。落ちてきそうだというのはちょいと現実味があるでしょう?実はそのAさんとは偶然が偶然を呼ぶ形で、ほぼ半世紀ぶりに再会し、文通もメールで再開と相成ったのでした。

だいたいが物事をうまく隠したり、嘘をついたりができない性分です、「半世紀ぶりで昔のペンフレンドが見つかった!会ってくるよ!」と夫、モイケル娘、(息子は母のこういうことにはあまり興味がなさそうでw)に宣言し、所沢に住む我が妹にまで、「ねね。覚えてる?ペンフレンドのA君。今度会うんだべさ~」なんて派手に騒いだわけで。

「おまえさん、そろそろ少しは大人になったであろうか、人生は捨てたもんではないよ。」と、1964年に眺めた江東区の夕日があの頃をもう一度、今度は別な方面からちらっと見せんがために姿を現したような、そんな思いにさせてくれた「Always三丁目の夕日」、いい映画でした。

「一期一会」(いちごいちえ)は茶道の精神性から来る言葉です。わたしたちのただ一度の人生、一度は途絶えてもいつかどこかで再び遭遇し得る、点と点をつなぐ出会いもまた一本の線となる。「一期とはひとつの人生、一会とはその人生で一本の線となる出会い」と言えるかもしれませんね。

わたしのエッセイ「1964年・江東区の夕日」はこちら

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2023年2月14日 

お金で買えないものを切実に知った、時間の買い戻しだ。ゆえにもう自分の時間の切り売りは少し止めようと思った、などと言っておきながら(ん?言ってない?いや、言った、というか書いたと思う。汗)、あああ、頼まれると断り切れず結局自分で自分を忙しさに追い込んでしまうジグなし。(津軽弁:アカンタレの意w 軸、芯がない。あはは^^;)

世界中がコロナ禍にいた中で、このままでは何もかもがダメになると、思い切って日本語授業のオンライン化に挑戦したのが2020年4月だった。最初はGoogle Meetを利用して始めたのだが、なんせ歳、色々もたついてネットで検索し勉強、ようやく何とか授業らしきものを運べるようになったものだ。

現在利用しているのはZoomでのグループ授業が主だ。BC時代(Before Corona. あは)は教室を借りて土曜日の午前中2クラス。後は自宅での個人授業だったが、これが結構あったのである。常に5,6人が出たり入ったりしてそのうち4人はGG´s(ジィジィーズ。70代80代。教えるわたしもGG´sだってば。笑)で、彼らから学ぶことも多々ある。

グループ授業が5クラスに増え金曜日の夜から日曜日夕方まで、AC(After Corona)の現在は日々準備に追われている。が、GG´sはオンライン授業にアレルギーがあるようで、対面授業OKになったら声かけてください。待ってますと言う。

そんな訳で先週まで週日の個人授業は一人のみだったので、時間には少しゆとりがあった。

ところが、先週元わたしと個人レッスンで日本語を学習していた若者が、「先生、アメリカから帰りました。また週2でお願いしまぁす」と来たもので、ぎょえ~。

「P君、あの・・ちょっと考えさせて」と相成り。週2は無理! かといってあの子は週1じゃダメだろうな。結局月6かい、つまり第1、3週目は2回、第2、4週目は一回で了承してもらったのである。

P君は覚えるのに少し手間がかかるが、こと日本語学習者に対しては非常に忍耐力があるわたしである。自分がするしかないだろと腹をくくったわけで。それが、今朝から始まった。P君元気そのもの。昨年10月のわたしの帰国中は相棒のOちゃんに見てもらったのでわたしとは4カ月ぶりだ。

結局自分で自分を忙しさに追い込んでしまうジグなし、とはこういういきさつなのである。ま、できるだけやって見よう。ダメだこりゃとなったらその時にまた考えればよかね(笑)

いやぁ、わたしもすっかりポルトガル人気質になったものである。
今年こそはこれを仕上げようと手を付け始めたんだが、果たしてどうなるんだ?

boushikake_2023.jpg
未完のぶどうの帽子掛け。彫り始めて30年近く放ってあるんだが・・・

我が木彫り作品に興味がある方は下記にて紹介してます。

・ 我が家の猫主権紛争&木彫り
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1033.html
木彫り作品(2)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1034.html
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2023年2月12日

日曜日は夕方5時から授業が終わるとすぐ晩食の準備に入る。それでその日の昼食はだいたい外だ。日に2回台所に立つのは極力避けたいからだ。2回台所に立つというのは、準備、後片付けをピカっとキチンが光るくらいに磨くのも入れると、さっき昼食の片付けが終わったばかりなのにもう晩御飯の準備なの?という感じになるもので(笑)

日曜日はわたしが言う所の日本食レストラン(IchibanとかRinoとか)は営業していないので、日本食モドキレストラン、Shubenshiへ行こうと相成った。行ったのは今回で2回目、まだコロナと言う言葉を世界が知らない頃だ。その時の目的は食べ物より内装を見てみたい、であった。青タイル絵がきれいなSubenshiについては、後ほど再掲したい。

ポルトガル人の昼食時間にしてはかなり速い12時から開店しており、その時間に予約を入れた。案内してもらった部屋は以前と同じでテーブルも偶然同じだった。このレストランはもと小宮殿だったのをそのまま改築して使っているので、大小幾つかの部屋に分かれている。

わたしたちが席に着くとほぼ同時に、入って来た女性の一人客がサングラスをかけたまま座っている。わたしたちは赤ワインで軽く乾杯しながら焼き餃子とシイタケ料理の前菜を口に運んでいた。

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すると、くだんの女性が斜め後ろの席から「日本人?中国人?」と声掛けしてきた。日本人です、とすかさず答える。「わたしはエマと言うの。75才でね。この近くに住んでるのよ。」とサングラスを外しながらどんどん自己紹介をしてくる。「エマと言う名前は昔はとても珍しい名前だったの。」ふむ。エマ嬢か、と勝手に心中呼ぶ(笑) 75才て、わたしと同年じゃん。私も外を出歩くときはサングラスを欠かさないしね。

夫も少し後ろ向きの姿勢になりエマ嬢の話に相槌を入れたりジョークを入れたりする。エマ嬢は白ワインを飲みながら、運ばれてきたメインディッシュに手を付け始めた。わたしたちのは、焼きそばとGunkan(軍艦巻きだろうが、日本のとはちょいと違うな)。

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白煙のようなものは黒いとっくりから出ているドライアイスの煙である。創意工夫は認めるが、6つで20ユーロちょっとは高いだろ!

エマ嬢のおしゃべりは続いている。「すしはあまり好きじゃないの。ほとんど鮭がメインでしょ?
鮭は自己流の料理で食べるのが一番おいしいし」。まさにその通りなのだ。こちらのSushiには鮭が多く使われている。鮭でロールした巻きなどちょっとなぁとわたしはあまり手がでない。

上の画像手前をごらんあれ。やはり鮭巻きになっている。おまけに鮭ロールの上に揚げ物がのってるんすね。こういうのをわたしは寿司とは言わずSushiと呼ぶのである(笑)

一応言っておかなくちゃと、「寿司のタネは日本は本当に豊富で何種類もあるんです。20数種類ほどにもなるんですよ。」と言ってみる。ポルトガルで口にできるのはその3分の1もあるだろうか。

彼女がよく行くレストランはFozにあるフレンチレストランなのだとか。フォアグラが好きでそこのは最高だと言う。フォアグラ、わたしはダメっす。昔、夫の仕事上でパリで開催された国際会議に同伴したときの一流レストランでの前菜で振る舞われたフォアグラ、一口運んだだけで食べられませんでしたっけ。

2007年の「パリ旅行」はこちらで。
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-category-36.html

「夫はね、20年ほど前に他界したんだけどミュージシャンだったのよ」と身の上話の如きに及ぶ。なるほど、それでお一人様で来たということが分かった。街のカフェレストランなどでは年配の女性が一人で食事をしているのをたまに見かけるが、きちんとしたレストランではと言うと、わたしは今回初めて見るのであった。

子どもがいるのかいないのか。いるとしても、わたしたち夫婦の様に遠方に住んでいて週末の食事を共にできないのかも知れない。一人で食事することの孤独ってあるかもな。ご主人がミュージシャンだったということは、エマ嬢もそういう世界を多少知っていそうだ、等々、想像を膨らましたわたしであった。

エマ嬢もわたしたちも食事を終え、エマ嬢は黒いロングコートを羽織る。そしてコートの上に真っ赤なベルトをつける。ステキではないか。写真をとりましょうか?とスマホをかかげると、早速いくつかポーズを取った。

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おしゃれなところからして往年は異性に騒がれた人かも知れない。ご主人を失くしたのが20年前とすると、エマ嬢はまだ55才ほどだ。いくつかの恋をしたであろうか等々わたしは想像を逞しくてしSubenshiを後にした。

もしもわたしが更なる歳を重ねてここで一人になったら、果たしてエマ嬢のようにちょいとおしゃれをして街に出かけお一人さま食事を楽しんだりするだろうか。いや、それはダメだな。ダウンタウンから離れたところに住んでいるし。タクシーを呼ぶことはできるけれど。

いやいや、待てよ。もしも、万が一一人になったらわたしは故国へ帰るんだった。が、一切合切の整理がどんだけ大変だろうか。今のうちにせっせと断捨離をしておかなければ。もし万が一、わたしが一人になった時のために。とまぁ、我が想像は飛躍し続け。こういうオチと相成った(笑)

エマ嬢が黒いロングコートの上につけたベルトの真っ赤な色が鮮やかに脳裏に残り、思わず赤いドレスに手が出たまっこと単純なわたしではあった。

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2023年2月9日

めったにないのですが10年に一度ほどの割でしょうか、ドレスの話を載せることがあります。今日はそれです。

ハイヒールを履かなくなった女はもう女じゃない、なんて言った男の人が昔いたが、「腹の出たあんたに言われてもなぁ」と心中思ったものだ。こんな女がいい、なんて人前で口に出す男は自分のことが見えてないんだろな、で納得することにした(笑)

その男性が女かどうかの物差しにしていたハイヒールとやらをわたしはとっくの昔に止めている。その言葉を耳にしたときも男物のようなランブラーシューズだった。

今、この歳でヒールの高い靴を履いて転びでもしたら場合によっては寝たきりにならないとも限らない。70代以降はとにかく転ばないでいることが元気印の源でもあると言っても過言ではないと思う。もちろん、ドレスコードがある場合は従うけれど、そうでない時の服装、履物は自由でいたいと思っている。

年齢もあるのだろうが、年々着てみたいなと思うような服に出会うことがなくなってきている。特別スタイルがいいわけでもないので、わたしは何を着ても似合うというタイプではない。それに、どんなものでも着るというのでもない。流行は追わない。気に入ったものはずっと着るから同じデザインの服を2枚3枚と持っていたりする。

というのは、近年「定番商品」というものに出会わなくなり、次の年には生産しなくなることが多くなったようだからだ。わたしはパンツなら股上が短いものは嫌い。胴回りが落ち着かないのだ。冬なんかは腰回りがスース―して寒いしね。

ジーンズも手にしなくなってどのくらいになるだろうか。腰回り、両足にもぴったりくっついているのが気になり、これって体によくないってことはないのかな?と思い始めたのが多分30歳過ぎくらいの頃で、以来ジーンズは履かなくなった。パンツはほとんどがコーデュロイ生地だ。これだとポルトガルでは1年中履けるのである。

どこへ行っても気に入った服に出会わないので、帰国の折にちょっと素敵なのを仕入れてこようと思ったのが昨年秋だったのだが、残念ながら到着するなりコロナに感染してしまい、お店巡りなどしてる余裕がなく、今冬はこれまでの服のまま買い足しはなし。昨年帰国前に衣類の断捨離をしたので、セイルダンスもスッキリしている。あははは。

さて、というわけで本日の本題に。

いい天気が続いている。真っ青な空をカモメが海岸から離れたわたしの住んでるところまで来て翼を広げている。午前中に週末の授業準備を終え、余りの空の青さに誘われて昼少し前に思い立ってFoz(海辺の通り)へ車を飛ばした。

Foz_1_1.jpg

裏道に車を止めて坂道を降りる。目前に空と同じ真っ青な海が見える。この日一日の幸福な時間のかけらだ。この通りにはわたしが時々ウインドーショッピングで気を紛らわすブティックがある。高いので買うのは年に2回ほど、季節の変わり目で少し値引きされる時期だ。

年齢もあるのだろうか、年々着てみたいなと思わせる服に出会うことがなくなってきている。
特別スタイルがいいわけでもないので、わたしは何を着ても似合うというタイプではない。それに、どんなものでも着るというのでもない。流行は追わない。気に入ったものはずっと着るから同じデザインの服を2枚3枚と持っていたりする。

というのは、近年「定番商品」というものに出会わなくなり、次の年には生産しなくなることが多くなったようだからだ。わたしはズボンなら股上が短いものは嫌い。胴回りが落ち着かないのだ。冬なんかは腰回りがスース―して寒いしね。

ジーンズも手にしなくなってどのくらいになるだろうか。腰回り、両足にもぴったりくっついているのが気になり、これって体によくないってことはないのかな?と思い始めたのが多分30歳過ぎくらいの頃で、以来ジーンズは履かなくなった。ズボンはほとんどがコーデュロイ生地だ。これだとポルトガルでは1年中履けるのである。

散歩して後、例のブティックを覗いてみると、うひょ~~、時季外れだけどスッテキなドレス!
しかも、赤は赤でも色々な赤があって、私好みの赤ではないのん?ぎょえ!値段もしっかりしとるわ。試着してみると悪くはない。下にレギンス履くもよし。というので、大枚をはたいた(わたしにしては、だ。笑)それが下の画像。

dress2.jpg

少し派手めの色だけどいいじゃないの?しばらく前に出会ったドナ・エマの姿が頭をかすめた。

つづきます。

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2023年2月8日 

本日は思い出話です。

プンプンしていると、気持ちがささくれだって来ます。こういう時にわたしがするのは、子供たちが日本へ行った最初の頃に聞かされた数々の面白話を再読することです。

日記の年月を遡笑っているうちに嫌な気分も少しは失せるという訳でして。以下。

もうかれこれ一昔以上も前になります。

初給料なるものを手にした我がモイケル娘、げへへへ、とスカイプで喜んでおりました。今月だけは諸費がほとんど差し引かれずにいただけたのだそうです。来月からは保険やらなんやらと色々差し引かれ、手取りはぐんと少なくなることでしょうが、やはり自分が汗水流して得たものは、うれしいことでしょう。

その彼女、先だって組合入会勧誘の話が来、と言う。彼女、色々質問をしてみたが、勧誘しているご本人もよく分からずに入会しているようで、話に埒があかない。そこで、サインする前に規約書を読ませてくれと頼んだのだと・・・

モイケル娘の言うのがもっともな話なのですが、どうやら普通は皆さん、質問などせずに入るらしいのです。読んでみた結果、月々3000円も払うのは低額所得者としては痛い、それで、「わたしは加入しない。」と言います。

それで、思い出したのが、東京のW大学から3年目に編入した九州の大学での学生支援協会の会費徴収の連絡が来たときのことです。年に一括して数万円の会費を払うのですが、よく案内内容を読んでみると、入会は義務にはなっていない。

曰く、「第一おかしいじゃないの。学生支援協会なのに、モイケル娘のような苦学の現役学生から(笑)なんで何万円も会費を徴収するのよ。これじゃどこが学生支援なのだ」とわたしたち親子。

案内の手紙は、保証人である所沢の我が妹宅へ行ったのですが、その妹いわく、「一応みんな黙って払って入っておくのが常識なのよね。就活の時とか、いざとなるとヘルプしてもらえることもあるし。」

しかし、わたしと娘がカチンときた手紙の一文に、「入会されない場合は、就職の際などお手伝いできない。」とはっきり書かれてあったこと。

こういうことにはすぐ意固地になるわたしたち母子です。
「おお、そうかいそうかい!誰が入るかい!」と相成ったのでありましたが、正直、その時おっかさんのわたしは、「ちょっとまずいかな?やっぱしここは、日本的に黙して従った方が身のためかも?」との思いが頭をかすめたのですが、モイケル娘、「いや、入らん!」

ま、日本の現状を知らなかったもので、就活も出遅れて少し苦労しましたが、なんとか今の会社に採用してもらえたわけでして。しかし、くだんの「学生支援協会」に入会しなかったがために、その後、プレミアをもらい損ねたのでありました。

そのプレミアとは、英語能力TOEIC試験で学内トップのスコアをとったらしく、講師から「賞金がもらえるはずだ」と言われ、喜んで大学の事務局に申請に行ったところ、なんと、学生支援協会に入会していないからもらえないんだと(笑)

残念なことではありましたが、娘、「いいわ。もらうプレミア賞金よりも年間に払うことになる会費の方が高いわい。」^^;

こんなんで、組合には入らないと言っていると今度は、社内で「部費」なるものを徴収されることが分かった、「2000円もよ!」(笑) 

部費って@@学校の部活じゃあるまいし、わたしの時代にはそんなの聞いたことがなしw
「結局、日本て、なんだかんだとかこつけて、いつでもどこでもお金がもって行かれるようになってる・・・」とモイケル娘、ぶつぶつ言うこと言うこと。

おまけに自分が属するセクションの部費はモイケル本人が徴収することになるのだそうで(笑)

おしまいに、すでにこんな失敗をしておりますです。
「ダンボール箱に自分とこのセクションの名前をでっかくマジックで書いてたのよね。じゅん・び・しつ・って。 そしたら、その字、間違ってた~~~。がははは」
順備室・・・・・  

き、帰国子女だからね、なにしろ。それで勘弁してもらおう^^;モイケル娘の名誉のために言っておきますれば、その後、3年務めた会社を退社し東京のとある大学院で、2年間日本近世文学を専攻したのだから、今はそんな間違いはないはず。いや、ないと思う、ないんじゃないかな(笑)

あの頃は、きっとこれから色々しでかすんだろうなとの楽しみが心配を上回ってしまった母でありました。こんな風に、笑い箱から過去の話を一つ取り出しては呵々大笑、嫌なことが忘れられるという「福」があるのは幸せなことです。笑う門には福来る、でありますれば。

ではみなさま、本日はこれにて。
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2023年2月6日 

あはは、約半世紀ほども前になるのだが、ポルトに来て最初の6年間は子育て、家事一筋のいわゆる専業主婦の毎日だった。それでも、当時、私は既に日本語を教え始めていて生徒は一人(笑)。ブラジルからポルトガルに嫁いだ年配の素敵な女性で、彼女は週に一度、ポルトから離れたPovoa de Verzimから電車に乗って通ってきたものだ。

我が東京息子が6歳になったころ、ポルトガルに日系企業がたくさん進出するようになり、家族を伴って数年滞在する駐在員が増えた。かれらの子息のためについにポルトガルの第2都市であるポルトにも補習校なるものが設立された(リスボンにはそれ以前から補習校があった)。

それはちょうど息子が就学年齢に達したときだった。それまでわたしは我が子の日本語教育は自分がしようと決め、幼児期から少しずつ準備してきたのだが、補習校が設立される段になって講師の話が舞い込んできたのである。我がモイケル娘がまだ1歳になるかならないかの時で、幸い土曜日なので夫がモイケル娘の世話を引き受けると言ってくれた。わたしは教壇に立つことに興味があったので、教師の資格は持っていないこと、高卒であることを承諾してもらった上でこの話を引き受けた。

それは2009年の3月に引退するまで22年間に及んだのだが、アサヒビアハウス時代や大阪のオフィス時代、アリゾナ、ツーソン時代同様、補習校講師の仕事をわたしは大いに楽しんだと言える。善き同僚にも恵まれた。たかが週に一度の補習校と言え、意見を交換し合い折り合い、補習校に対するみなの熱い思いが感じられるような取り組みがなされていたと思っている。

日本国内の学校では恐らく実施できないかも知れないであろう斬新なアンディアも多々実行された。もちろん楽しいことばかりではない。その間の同僚間父母間の喧々諤々なるものもあった。人と人とのふれあい、ぶつかりあい、誤解、陰口、陰謀如きものと。その都度わたしは思ったものだ。長い間の深窓の奥方(笑)から自分は社会復帰したんだなぁと(笑)

漱石先生が「草枕」でおっしゃっているではないか。
智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい、と。これこそ、人の世、社会なのだとわたしは思う。

さて、ここまではわたしの過去の社会復帰を綴ったが、我がモイケル娘、娘のソラをお腹にいた時から育てて3年半。昨年4月から娘のソラに保育園に通ってもらい、手始めに在宅パートの仕事をしていたのだが、この2月一日(いっぴ)から通勤し始めた。モイケル娘の社会復帰であ~る。

9時半から4時半まで働き大急ぎで保育園で待つ娘を迎えに行く。帰宅して家事。娘の相手もしよう、洗濯物も取り入れるのか干すのか(笑)、夕食を作り、娘をお風呂に入れ、後片付けをして云々・・・・と、これが週5日間繰り返されやっと週末になるというわけだ。

ソラちゃんが熱でも出したらエライこっちゃ、と思った矢先に、モイケルから「ソラさん、本日高熱であ~る」と来ました!あちゃ~。仕事中、保育園から呼び出され早速中途退勤だと(泣)

わたしの補習校は週1だったので、気持ち的にも時間的にもかなり余裕があったが、日々の事である故、モイケルよ、大変だな。せめて日本国内にわたしが住んでいたのなら、そういう時はなんとでも手助けができるであろうにと娘も孫も不憫に思う母及びばぁちゃんである。

幼子をもつ女性の社会復帰にはなかなか厳しい現状がある。婿殿、ソラの三人四脚で頑張ってほしいと願うばかりだ。

下記に補習校の最後の日について綴ってあります。
さらば、補習校! https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-722.html

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2022年2月5日 

久しぶりにチーズケーキを作った。わたしのはべークトチーズケーキと言ってスポンジが固めだ。

bolo_3.jpg

この3分の1はいつも夫を通して近所に住む義兄に届ける。焼き型に流し込む前に生地にホンの少しだけわたしはポルトワインを加える。ポルトワインは我が家では常備のスピリッツであり、ウイスキー等と共にリビングのキャビネット棚の中に入れてある。

sala.jpg

赤矢印のつまみを持って戸を手前におろすと出てくる。さて、生地に入れてポルトワインを元の場所に戻して閉めようとした時なのだが、一瞬はてな?と思ったことがある。(←これ)
carvados_2023_2.jpg

ぬぬ?カルヴァドスのボトルが開いてるぞ?カルヴァドスと言うのはわたしのほろ苦い思い出がからむフランスのブランディ、りんご酒である。カルヴァドスについては後記するとして、栓が開けられていない状態がこれだ↓
calvados_2014.jpg

自分では開けた記憶がないので、私が寝入った後、夫が開けてチビリチビリ楽しんだのかな?珍しいこともあるものだと思い、夜聞いてみた。いえね、別に楽しんでくれてもいいんです。が、できれば自分が開けたかったのであ~る。「ボクは飲んでないよ」と夫が言う。
おろ?わたし、自分が開栓したのを忘れたって?ウ、ウソだ・・・が、ただいま日本から持ち込んだ文庫本「長いお別れ(中島京子著)」読んでいるわたし、き、気になる。(この本は認知症になった父親を取り巻く家族の戸惑い、混乱が描かれている。文章そのものは少しも難しくないのだが、自分の歳で読むのはちょっと焦ったりする感じだ。読み終えたら拙ブログで取り上げてみたいと思っている)

で、思い出したのが我が東京息子の若木の至りだ(笑) 親が寝静まった後、密かに飲んで、飲んでまた飲んでを何日か続けていたようで、気がつけば中身が半分のところまで減っていたスコッチウイスキーLogan。後で思い出話として本人から知らされて、気づかずのほほんとした自分に多少呆れたものだ。

うん、アヤツかも知れない。ほぼ間違いなかろう。自分が開けたのを忘れるほどまだボケてはおらんわい。今は聞かんとこ。3月に帰省するからその時まで口にせんとこう。まぁ、飲んでもいいんだけどね、もう立派な大人だし。わたしの大事なボトルだということを知らずして開けたんだろうと思っている。どのくらい大事かと言うと、以下に。

2014年2月10日 「凱旋門」再会とカルヴァドス

先週土曜日は図書館での日本語教室を終え、別クラスのポルトガル人生徒5人を引き連れて漢字検定試験場である我が古巣、「ポルト日本語補習校」へ行ってきました。

この学校で創立時の1987年から2009年の3月まで22年間毎週土曜日に通いました。もちろん、わが子たち、東京息子もモイケル娘もです。

「土曜日の 補習校までの道のりは 母の説教 9年間」とはモイケル娘の中学卒業時に残した短歌であります。うちでの説教もままありましたが、補習校までの20分ほど、後座席に座る彼らにそれとはなしに軽い説教をよくしたものでした。が、当のわたしはどんな説教をしたのか覚えてはおりませんです、はい。

そんな古巣に足を踏み入れると、我が子たちのみならずそれまでの22年間で受け持ってきたたくさんの子供達の顔も蘇り、少しジンと来ます。これまでで最長年勤めたというので、学校を退いた後も一応顔パスで出入りできるのですが、物欲しそうに見えるのも不恰好であり、年に一度の漢検に生徒を連れて行く以外は顔を出しません。

ともに仕事をしたかつての同僚も現在何人かいますが、新しい人たちもおり、行くたびに補習校から感じ取られる雰囲気は違います。時代が変わりつつあるのだと思います。

さて、1時半から試験開始です。連れて行った生徒達が終了するまで補習校が図書室として使用している教室で控えて待とうと椅子に座るや、すぐYY塾のパートナーでもあり補習校でも教えているOちゃんがやってきて、「これを」と何やら、プレゼントらしきものを差し出されました。

誕生日でもなし、バレンタインデーでもなし、なんで?といぶかっているわたしに、いつもお世話になっているからと言います。断るのもなんですしねw、頂いて帰りうちであけてみると、おお!なんと懐かしや、「カルヴァドス(Calvados)」ではありませんか!

ひぇ~、Oちゃん!今でこそ、飲むものと言えば赤ワインかビールに落ち着きましたが、若い時分は結構酒豪でいろんなお酒に手を出しました。日本酒から始まりウイスキーは全部ストレート、ブランディ、ビンごと凍らせて飲むドイツのお酒シュナップス、そしてほろ苦い思い出がからむフランスのブランディ、
りんご酒のカルヴァドス。

ビールを好むようになったのは当時大阪の梅田新道にあったビアハウスの老舗「アサヒビアハウス」で留学資金作りにバイトで歌うようになってからです。このビアハウスは現在も同じ場所にありますが改築されて同和火災ビルという名もフェニックスタワーとなり、「アサヒビアハウス」も「アサヒスーパードライ梅田」に変更されました。店内も改築と同時にガラリと変わりましたね。
往年のアサヒビアハウスについては拙ブログ「あの頃、ビアハウス」で綴ってありますので、興味のある方はどぞ。


あの頃、ビア・ハウス (fc2.com) https://spacesis.blog.fc2.com/blog-category-54.html

さて、話をカルヴァドスにもどして。Oちゃん、なにかの折にわたしが話したカルヴァドスのことを覚えていてくれたのでしょう。このお酒の名前を知るきっかけになったのは20代に読んだレマルクの名著「凱旋門」でした。

gaisenmon.jpg

カルヴァドスは物語の最初の場面ででてきます。フランスに不法入国し身分を隠して闇の手術を請け負ってその日暮らしをして生きているドイツ人外科医ラヴィックがこれまた異国人でよるべない端役女優ジョアン・マズーに夜更けのパリで出会う。うつろな表情の彼女を放っておけず、タクシーの運転手達のたまり場のビストロへ誘う。夜も遅いそのビストロで二人が注文して飲むのがカルヴァドスです。

今回改めて読み返してみようと手にとったのですが、記憶違いな部分や忘れていた部分がたくさんありました。長い間、この本の舞台は第二次世界大戦中のパリだと思っていたのですが、旅券を持たない避難民で溢れかえっている大戦勃発寸前のパリでした。

「凱旋門」は2度映画化されています。ラヴィックをシャルル・ボワイエジョアンをイングリッド・バーグマン(1948年)が、 1984年にはアンソニー・ホプキンス主演ですが、どちらも原作には歯が立ちません。

最初のはメロドラマ的でわたしは途中で投げ出し、アンソニー・ホプキンスのはと言うと、いい役者さんではあるけれど、「ハンニバル・レクターのイメージが強烈でダメでしたw光が消えた暗いパリ、人々の果てしない恐怖と絶望が渦巻く大戦勃発前夜のパリを描き出している原作にはかないようがありません。

わたしは本の虫ゆえ、読書そのものは常にしているものの、若い時に読んだ多くの文学作品からは長い間ついつい遠ざかっていましたが、60も半ばを過ぎた今、改めてそれらの文学作品を読んでみようと思っています。Oちゃんのカルヴァドスがきっかけです。

そうそう、今回発見したことがもうひとつあります。カルヴァドスはりんごを原料にしますが、いわゆるアップル・ブランディーとは一線が引かれ、フランスのノルマンディー地方で造られたもののみを指すのだそうです。

このお酒の名前を「凱旋門で」知って以来、20代の頃に勤めていた会社の東京本社上司が頻繁に仕事でフランスへ行くのをいいことに、わたしはその都度、当時国内では入手不可だったこのお酒を買ってきてもらったものでしたが、これがなんとアルコール度数40度だったとは!こんなのを20代でちびりちびりと飲んでいた自分を思い出して、あはははは、ではあります。

ポルトガルに来て以来、アルコール度数の強いお酒といえば20度前後のポルトワインしか口にしてきませんでしたので、こんな強度のお酒は?味は?と多少躊躇するところがあるものの、Oちゃんからいただいたこの一本のカルヴァドス、過ぎし青春の日々に思いをめぐらしながらじっくり、ゆっくり、この先の一生をかけて飲み終えようと思っています。


とまぁ、こんな風に思いあれから今に至る10年ほど、栓をしたままなのだった。息子め、あははは。ま、いっか。

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2023年1月31日 

終活ばっか考えとってもしようがおまヘン。夕べなんぞそれで寝付かれなくなり久しぶりに催眠剤に頼ったものの、それでも時間がかかり寝付いたのは多分午前1時過ぎだと思われ。
床に就いたのは10時過ぎだと言うのに、です。

で、いつもはわたしの方が7時前と起床が早いのに今朝は夫が先に起きてました。ベッドサイドテーブルに置いてある時計に目をやると、うは!もう8時半過ぎてまっせ!今朝は10時半の個人レッスンがあるんでありました。

このところ寒い日が続き、こんな日は暖かいものが食べたいなと、今日の晩御飯は手間のかからない豚肉ポトフと決定。が、冷蔵庫を覗くと食糧がほとんどあれへんやん^^; ササっと昼食を済まし車で10分ちょっとのところにある大手のスーパーまで車を飛ばしてきました。

帰るなり、ゴロー猫、寒いから寝よう寝ようとしきりにベッドに誘うんであります(笑)待てぃ。その前にせっかくのいい天気だ。土日は仕事で歩く時間がないゆえ、40分ばかり近辺を廻って来るぞと言い残し一歩きして、ゴローの希望通り、一緒にベッドに横になったのが、いつの間にか寝てしまったようでした。

玄関のベルで眠りから呼び戻され、すわ!と飛び起きたんであります。こうして日中ベルで起こされるのはほんと!嫌なことを思い出すんであります。あの時も猫たちと一緒に睡魔に負けて寝てたんでした。それで、まさか!二度目の悪夢か!と玄関に飛んで行きますと(衣服を着たまま寝とったw)、「ルーターお届けに来ました」との声がマイクを通して聞こえます。そうだった、Wifiルーターを買い替えるから今日届くと夫が言ってたんだったわ。よかったぁ、悪夢の再来でなくて!どんな悪夢かって?それを再掲いたしますれば。以下。


某年某月某日
近頃でこそポルトガル国内の雨による被害は一時のようにあまりニュースでとりあげられなくなったが、相変わらず雨は降り続いている。

それで、こんな時こそ少しでも部屋を明るくしようとカーネーションを一束買ってきた。我が家は生花を置けないと承知していながら、迂闊に手を出してしまったのが運の尽きであった。

花瓶に花を入れておくと五匹ネコが早速に味見に行くのだ。茎の葉、花びらまで食べるのでひとつにはねこたちがお腹をこわしてはいけないのと、もうひとつは花を食べるときに花瓶ごとひっくり返されたことが度々あったことから生花を置くのは諦めて、不本意ではあるが好きでもない造花を少し置くことにしたのである。

毎日買い物には行かないので、一度行くとまとめ買いで結構荷物を抱えて帰宅することになる。食料買出しは車でするとは言うものの、台所に運び入れたあとはどっとくたびれるのが正直なところだ。

その日もワーッと怒涛のごとく、袋から取り出した食料をそれぞれ冷凍庫、冷蔵庫に放りこみ、とりあえず花をこんな風に水に浸して台所に洗い場に置いた。

水害1

少しの間、台所を離れて戻ってみると、あれ?水がでてますやん??閉め忘れたかしら?と水栓を閉めましてん。
そうしてパソコンに向かい仕事をしていたところが、数日の夜更かしが祟り強烈な睡魔に襲われてついにそれに負け、これでは仕事にならん。よし、ひと眠りしようとベッドに潜り込む^^電気毛布はおこた(コタツ)の如くホカホカあったくて、だれ~っとしてしまいがちでありますな。

どのくらい眠ったのであろうか、玄関ドアのベルの音で半目が覚めたが、もうちょっと放っといてんか~と知らぬ振りを決め込もうとすると、再びベルが鳴る。こんな時間に郵便やもあるわけなし。午後の日本語もその日はなし。なんでんねんいったいと仕方なしに起きて、部屋を出てトイレのとこに来ると、ぎょえ!な、なによ、これ!

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部屋を出た短い廊下。向こうは玄関ホールとドアがあるのは夫の書斎。

この辺りが↑水浸しーーー!ホールもどっぷり水に覆われており、咄嗟にわたくし、靴と靴下をぎズボンの裾をたくし上げ、ひゃ~、水の冷たいこと!玄関ホールも水浸しで自慢のアライオロシのカーペットもプッカリ浮いていそうな~~。
uchi1.jpg

ドアをあけるどころか咄嗟に台所に飛び込むと、こりゃまた見事に水浸し~水の出所はちゃんと水道の蛇口から^^;センを止めて、ドアを開けると階下の若いお兄ちゃん、「うちに水が漏ってますねん!」

いや~、もうそれからが地獄。謝るのもそこそこに、まずはこの水をどうにかしてさらわないと!と、水さらいに1時間ほど奮闘である。もう泣きたかった・・

お掃除のおばさんが、その日はすぐ近くの義兄宅に掃除に行ってるはず、すぐ手伝いにきてもらおうと電話せど、その日に限って曜日を変更していたのだとさ(泣)

大きなバスタオル3枚で水を吸い込ましては絞り吸い込ましてはしぼり、これを何回となく繰り返し、一通りそれが終わったところで階下へ掃除の手伝いとお詫びに^^;幸いにして、水漏れと言ってもたいしたことはなく、ただ、廊下と収納部屋の天井が濡れるに終わったので、掃除はいらないとのこと。

自家に帰り、それから更に廊下、台所、台所ベランダ、玄関ホールの客用トイレと自分達のトイレをもう一度掃除をし、台所などは洗い場から溢れ出た水が下のカッボードの中まで浸透しており、全部入れ物をとりだし、何も考えずひたすら大掃除をした。
uchi3.jpg

う~~~、大変なことをするとこだった・・・(恐怖)あたいってなんて恐ろしい~

んでね、考えてみたのであります、どうしてこんな状態になったのか。今日は凹んでいた気持ちから立ち直り、撮影で現場再現を(って、オイ!)んで、これしか考えられない。

洗い場の水道栓なのだが、我が家は古いのでこういうことが起こるのは普通なのだが、なんどもの水道配管修理にタイル床や板床を引きはがさなければならないのにうんざりして、床下や壁に埋め込まれた水道管を全て目に見えるように壁の外に出す工事をしたのである。

その際に、台所の水道管も同じく、そして工事を請け負った人が取り付けてくれたのがこれ↓
水害2

水を出すためにはこの取っ手を矢印の方向に開くようにする。そして手前に引くと水が出て、向こうに押すとお湯がでるという具合だ。これはひねる栓とちがい、非常に楽ではあるが大丈夫かな?となぜか知らぬが最初気になったのである。しかし工事さん曰く「これしかない」・・・・

思うに、久しぶりに花の匂いを嗅いだネコたち、ここで食べている間に、なにかの拍子でこの取っ手が回ったのであろう。ネコのことだ、食べた後は水が出ていようといまいとお構いは当然なし。平気な顔して、わたしと一緒に寝ることに決め込んだのであろう。ク●!役立たずめ!街が水害と騒がれているのに、自らが水害を引き起こすことはあるまいて^^;

これって、物忘れかなぁ、歳かなぁ、生活が忙しすぎるのかなぁ、あぁ、我ながらなんとも情けない。水さらいでタオルを何度となく絞ったのと、普段はしないかがんだ格好を続けたのとでその夜は右腕が痛みだし、翌朝は足腰の筋肉通に悩まされ、夫には、「今後水を使わない間は元栓を止めるんだね」と宣告され^^;

そんなんで、実はこの一週間落ち込んでおり、ブログ更新も手に付かない状態であったとさ。トホホホホ。

gato2014-1
愛しくもこにくたらしい我が猫たち一番右がたった一匹残ったゴロー君

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