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2023年1月29日 夫の終活2

なにもこんな寒い季節に車庫で断捨離しなくてもいいんじゃないの?と思うのだが、なにも言わないでを置くことにしている。近頃の義兄を見て思うことがあったのだろう。

我がモイケル娘が生まれるにあたり、6年間同居してきた義母の家から引っ越ししたのは、1986年のことだ。以来、義母が寝たきりになったときも含めて亡くなるまで毎晩食が済むと義母の家を訪ねた。彼女が亡くなった後は義兄がそのまま家に住んだので、今度は義兄の様子を見がてら、これも毎晩食後に行く習慣は続けられ、それは今も現在進行形である。

親孝行兄弟孝行である彼の性格は、長年共に生活してきて分かっているので今ではわたしにとってどうと言うことのない夫の習慣なのだ。「じゃぁ、いつ夫婦で話し合ったりするの?」などと野暮なことを聞かないでおくんなさいまし(笑)肝心なことは時間を作って話し合ってきたつもりである。

なぁんて、悟ったようなことを言ってるが、最初の頃は、「これじゃぁ、いつ、話し合うねん?」とわたしも思ったものだ。しかし、人間、何もかも思うように好きな生活は手に入らんでしょ。義母宅から引っ越して、6年目にして、夫、子供たちとの核家族生活ができるようになったと言うだけでも感謝すべきかなと思い直し、今日まで来ている。

食後は夫がいなくなるというのにすっかり慣れた今、夫の出かける時間が遅くなったりすると、あれをこれをしようと思ってるのにね、と却って落ち着かなかったりするので可笑しなものだ。あはは。

さて、先週土曜日の昼食後、「3時頃ちょっと出かけてくる」と言う。義兄が家に閉じこもりきりなので、海岸まで行ってカフェを飲み、軽く散歩するのだそうだ。わたしはその日の1時過ぎまでのオンライン授業が終わり、夕方もう一クラス入っているので、お供はできない。体力もないのであ~る。分かった、二人でいってらっしゃ~い。

コロナ禍による封鎖、閉鎖生活は義兄の人生に大の影響を与えたと言えるだろう。すっかりやる気をなくしてしまった感がある。わたしは日本語教室をオンライン化することで、人との接触を最低限保つことができ、かろうじて閉鎖生活の虚無感から逃れることができたと思う。

高齢者の義兄を通して考えさせられているのは夫だけではない、わたしも然り。今、自らに言い聞かせている。思考力を止めるなよ、掃除、洗濯、料理、パソコンに向かうのだってよし、とにかく何かせよ、行動せよ、と。それらができることをありがたく思うべしだと。

夫の終活もどきが、わたしの終活にもなっている。さてもさても果たしていかなることになろうか、我ら高齢者。
「高齢」と言う言葉が今少しずつ覆いかぶさってくる現実にひるむなよ、と思うのだが。

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2023年1月28日 

夫の書斎に書棚が三つあるのだが、そのどれにも上に大きな空き箱がのせられている。大きすぎて棚からはみ出ているものもある。コピー機とか電子レンジが入っていた箱だ。

夫の書斎だから、わたしがとやかく言うべきではないのだが、何かの用事で書斎に入ると上でドッカとエラそうにふんぞり返っている箱が目障りでしょうがない。で、つい言いたくなる。「あの箱、何に使うつもりなの?」と。

終の棲家はこのフラット、今更引っ越しなどするつもりはないので、あれらの箱を一体夫は何に使用する気なのか。故障した時の修理のために運ぶ箱?いやいや、今どき、電子レンジを修理に出す人はいませんて。寿命だから買い替えることになるでしょ。コピー機などは重いから修理人に来てもらうことになるでしょ?と、何年も前から言ってきたのだが、処分する気配がなかった。

それは、車庫に入れられている書類やら医学関係の本やらその他もろもろのガラクタ類も同じで、わたしはほとんど諦めの気持ちで、もはやうるさく言わなくなった。が、時にふと、わたしたちに何かがあった際には日本に住む子供たちが物を整理することになる。仕事をもっているのだから、その整理のために長期間ポルトに滞在しなければならないようなことは避けなければいけないと思うよ、と口から出る。

我が母と横浜のおばの遺品整理の経験があるから言えることなのだ。これが大したものでもないのに山のようなものを逐一見て確認し捨てることになるので、実は大変な作業なのである。夫の母の時はその家に義兄が同居の形だったし、その後も義兄はそのまま家に住んでいて義母の遺品整理なるものをしていない。ゆえに夫は遺品整理の大変さを知らないのであろう。

今年81歳になる義兄は美大を出たアーティストなのだが、壁と言う壁は隙間がないくらい自作品が飾られているし、別宅の自分のアパートはと言うと、最早足の踏み場もないほど、書籍の山、そのまた山となっている。

義兄に関してなのだが、人の事なのでで終わるわけにはいかない。誰が整理するかというと、独身を貫いてる彼、その整理は夫の肩にかかってくるであろう。口にこそ出さないが、それを想像するとわたしは頭を抱えたくなる。

人の物を整理しているうちに自分のお迎えの番が来て、己のものの整理を子供たちにどっさり残して逝くというのは避けたいものだ。何も残さないというのもあまりに味気ないだろうから
その辺は適度に、などと考えている(笑) 遺品の整理は故人への思い出を語る最後の別れであろうから。

ところが、である。しばらく前から義兄の物忘れが気になってきたわたしたちだ。コロナ禍前までは頻繁に母校の美大に足を運んで、教授の手伝い等をしていた義兄だが、それが出来なくなり、以後ずっと家に閉じこもりがちになった。

我が家に週に一度来る掃除のおばさんは、義兄のところにも行っているのだが、話を聞いていると、なにやら様子が気になって仕方がない。これはちょっと覚悟をしておかないといけないなと私は思っている。

義兄のアパートの様子、彼が今住んでいる3人兄弟の名義になっている家の様子を思うとげげげ・・・と思考停止してしまいたくなるのである。

思うに人間80才も過ぎると、動くのが億劫になり整理整頓などだれもしたくなくなるよ。するなら今のうち!と自分に時たま声に出して(夫の耳に入るように。笑)いっているのだが、しばらく前から、仕事から早めに帰宅すると必ず「ちょっと車庫にいるからね」と言い始めるようになった。車庫で自分のガラクタの整理をし始めたのである。

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ガラクタの中から「こんなのがあった!」と夫が見つけた子供たちの成績表

それより先に、書斎の大箱を捨ててくれ~と内心思っているわたしだが(笑)

この話、続きます。
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2023年1月26日

久しぶりに真っ青な空を見せた天気に誘われて、夫と二人ランチがてらダウンタウンに足を向けたある日。夕方にはもう一つ授業が控えているので多少急ぎ足だったが、改築で4年以上も閉鎖されていたダウンタウンのブリャォン市場がしばらく前にオープンされたと言うので、それを見たかった。

私がポルトに来た1979年(!もう44年も前になる!)当時、スーパーーマーケットもハイパーマーケットも、勿論ショッピングセンターもなかった時代だが、街の真ん中にある二つの大きな生鮮市場は週末の土曜日には多くの市民でにぎわっていたものだ。 

平日も昼休みを利用して寄る人、一日の終わりには食材を求めてダウンタウンで働く女性たちがひしめき合っていた。今でこそ大概の野菜や果物は年中スーパーで見ることができるが、当時は季節外れの野菜は手に入らず、この市場まで来てようやく見つけるということもあった。

わたしのつわりの時はトマトが食べたくて仕方がなかったのだが、季節外れなので高いこともあって当時は近所の小さな食品店で売られるようなものではなかった。ようやくここで見つけて買って来てくれた夫に感謝感激、トマトにかぶりついたのはもう40年以上も昔のことだ。

もう一つの市場、Mercado Bom Sucesso(メルカード・ボンスセッソ)。2013年まで、Bolhão(ボリャォン)市場に継ぐ生鮮市場として、1952年来、オフィス街で市民に利用されてきた。老朽化に伴い、大胆に改築されて地階は軽食グルメスポットに、そして上階はホテルとしてオープンした↓

★ Hotel da Musica (音楽ホテル)の新年会 (fc2.com)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2084.html

↓ブリャォン市場のすぐ側はホコ天、サンタ;カタリナ通りだ。冬の風物詩、焼き栗売り。
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件のブリャォン市場。
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↑できるだけ原型をとどめるようにしたブリャォン市場の外装。出入口は三か所ある。
↓こちらは前の市場。上の写真は下の向かって左側になる。

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わたしは以前の外装色の方が俄然好きだ。新色は夏場は暑苦しく感じるし雨の多い冬場は暗く感じられる色だと思う。

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↑新しい市場の中。↓

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↓昔の市場の中

Mercado do Bulhao

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かつてはこのスペースは野菜や果物売り場に占められていたが、新しい市場は両脇にはレストランが入るようだ。この正面玄関に面した広いスペースはイベント会場にも使われるとのこと。
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私が知る旧市場の様子。

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このアズレージュ絵はそのまま残されていた。
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改築市場階段に座り込んでいるツーリストたち。もはや市民の市場というよりツーリスト用の市場?ツーリストで賑わうのは結構だが、彼らが市場で食糧を買うとは思えない。

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聞くところによると、出店代はこれまでの5、6倍になるのだと言う。長年出店で頑張ってきた店子たちはこの家賃に太刀打ちできないであろう。彼らはどこへ行くのであろうか。

老朽ゆえ改築はやもえないのだが、実を言うと元の市場の持ち味が大きく失われたことにわたしは失望している。再びかつてのように市民でにぎわう市場になるのだろうかと不安は大きい。

これはポルトの街全体に言えることだ。ダウンタウンへ行くと新しいカフェ、レストラン、宿泊施設が未だに次から次へと出現し、果たしてこれってツーリストが見たいというポルトの街なのか?と思わずにはいられない。ポルトの持ち味は古い街だと思うのだが。

また、あちこちで多くのイベントも催されている。「人生、イベントやあれへんで。インバウンドばかりにフォーカスを絞ってると本当の生活を見失うよ、ポルト」とわたしは心中ボヤいているのである。

このところずっと思っていることだ。
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2023年1月21日 

しばらく前からこれでもダメかこれでもアカンか!とスマホアプリの使い方に苦戦している。

これまで日本語学習者用に短編小説を使うときには小中学校の教科書や手持ちの本の中から選び、それをコピー、スキャン、PDFにして生徒に配布してきた。

そのためにはスキャン機能を備えたコピー機が必要で、我が家にあるのがそうなのだが、もともとは夫の仕事用だった。それがいつの間にかわたし専用になっている

書に厚さがある場合は上からコピー機の蓋を抑えたりするので結構手間がかかるのと、できあがりがきれいでないのが気に入らない。おまけにコピー機のインク代がバカにならないのである。これを相棒のOちゃんに愚痴ったところ、「ソデさん、スマホのこれ、いいですよ。今、大学生はみんな使ってます」と教えてくれたのが、Adobe Scanだ。

スキャン機能がなくてもスマホにこのアプリあると、写真を撮るのと同じやり方で自動的にスキャンされPDFができる。それを自分宛に送ればいいのだ。書類だけでなく本も同じ要領でスキャンできるというので、ほぉほぉと使って見る気になった。

Oちゃん、このアプリの話を何度か既にしてくれていたのだが、旧式な人間のわたし、コピー機でスキャンすれば済むじゃん、今まで通りでエエわと、これまで見向きもしなかったのであった。

さて、えーっと、最初はPlay Storeに行って、と・・・Adobe Scanはすぐ出てきた。インストールも済まして、どれ、使ってみようかと試しスキャン。写真を撮るのと同じなんだからとまずは一枚の書類をしてみた。ホォホォ、なるほど、コピー機でのスキャンよりよほどきれいに仕上がってるではないの。書類のできあがりはいい。

が、いざ、肝心の本の一部をと写真を撮り始めてみると、これがです、本の見開きページを撮ることになるので紙面が少し反り曲がったり、開いた真ん中に影が出来てそこだけ薄黒くなったりする。

Adobe Scanには便利なことに紙面上の汚れ等を指でなぞって消す機能もあるので、それをしてみる。が、我が指は細くて長くて美しいものではないので、横の文字に指が触れてそれも消すことになるので、何度もすることになり埒があかない。Oちゃん、これはスキルがいるぞ、と思わず独り言(笑)

これをこのところ毎日試していたのである。で、一昨日の朝、もう一度、件の本を窓辺にちかい机の上に開いて置いた。はっ!もしかして本を逆さまに置いてみたらどうよ?つまり、ページ数の少ない方を光源に向けるのだ。おお、見よ!影が写らなくなったぞ!うふふ、頭はつかわないといかんわな、といい気分の朝になったのである。

逆さまに写して大丈夫かって?大丈夫だぃ!ちゃんと画像の回転機能もあるのだ^^
そうやって作った苦心のPDF短編小説、生徒にメールで配送したら、生徒から「書面がはっきりしてきれい。読みやすい」と言われたう、うん、ありがと。

今どきの若い子たちが利用するアプリをなんとか使いこなそうと数日失敗しながら頑張ったのだボン。もちろん、使いこなせるとこまでは行くにはまだ時間がかかる。ほんと、肩が凝った~~。凝り性は肩凝り性とも言えそうだ。

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2023年1月18日 

このところ、ポルトガルでは公立学校の教員ストライキが大きな問題になっています。「STOP=Sindicato de Todos os Professores全教職員組合」の呼びかけで、給料値上げと待遇改善を求めて、数千人から数万人(取り上げるメディアとSTOPが伝える数字に差)の教職員が各地から参加し、リスボン、ポルトなどの主要都市で大きなデモになっています。

このデモは昨年12月に既に始まっていて、多くの学校は閉鎖されています。我が家の表通りにも通学の子どもたちの姿が見かけられません。

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Wikipediaより

我が子たちは中3までBritish Schoolに通っておりポルトガルの学校は高校3年間のみ。それも私立学校だったもので、公立学校の様子はあまり分からないのですが、わたしたちが、身分不相応にも我が子たちをBritish Schoolに通わせたのには、すぐ側にある当時の公立学校の様子を外から眺めていたからこそです。

しょっちゅう校内でトラブルがあり、当時はパトカーがよくやってきていました。ドラッグの問題もありました。また、バス停でタバコを吸う生徒に先生は注意するでもなし。教師の仕事は学校で教えるのみとでも言わんばかりに、一歩校内を出たら関係ない。

このような環境に我が子たちを送りたくないと強く思ったからです。もちろん、そういうなかでもしっかり飛び立つ子供はたくさんいたはずですが、その手のリスクを避けたいと思いました。

幼稚園から中3までの12年間は膨大な学費と親の仕事だった送迎に多大なエネルギーを費やさなければなりませんでしたが、あれはあれで良しとしている現在です。私立学校ですからストで閉鎖などは一度もありませんでした。

今回の教職員のストはもっと長引くことも辞さないとSTOPが強い姿勢を見せています。私は興味本位から彼らの平均賃金がどのくらいなのか、また彼らが不服だというその他の待遇とはどんなものなのか知りたいと思った次第です。夫に聞いても職種が違うのでよく分からないと言うので、自分で調べてみることにしました。

まず、賃金ですが、平均月収が1100ユーロ(約15万円)、最高でも2000ユーロ(約28万円)に満たないとあります。世界の教師平均ランキング調査(2011年)によると、ポルトガルは16位です。上10位に入っている国はスイス(年間830万以上)をトップにオランダ、ドイツ、ベルギー、アイルランド、フィンランド、デンマークと続きます。
ほとんどヨーロッパの国が占めていますが、この中に5位の韓国、7位の日本、8位のオーストラリアが入っています。意外なのが、16位のポルトガルの後に、フランス、スウェーデン、イタリアが来ていることです。

教師の年間平均授業時間については、上位はチリ(1100時間以上)、ポルトガルはフランス、オランダ、ニュージーランドなどの後の6位で約900時間。因みに日本は年間平均授業時間は約750時間。

授業時間数に関しては、補習校での講師、日本語を教えている現在の経験からわたしが言えることは、先生の仕事は授業時間だけではないということです。授業の準備、宿題やテストのチェック、学校の先生であればそれに会議の時間等も入って来ます。これらは目に見えない時間なのです。日本の教師は、部活、生徒の進学受験、就職等の書類準備、校外の生活指導の時間も入って来ます。この点はポルトガルの学校と違う点です。

やはりポルトガルの教師のサラリーは他のヨーロッパの国に比べて大分低いことになります。
このデータは今から10年ほど前ですが、EUの他の国と比較したポルトガルの平均給与は1266ユーロと2022年のデータにあります。 低いのは教師のサラリーだけではなく、すべての職業に言えることです。

また、特に若い教師は毎回1年契約となり、翌年学校に空きがなかった場合、遠方の学校で教えることになるのはざらにあるそうです。日本語学習者の中にも平日は地方の学校で教え、週末に5、6時間ほどかけてポルトの家族のもとに戻るという生活をしている人がいました。わたしの授業がオンラインでよかった。前の学習者の時は対面授業だったので、体力と時間が持たず、日本語学習を諦めてしまいました。

現在の日本学習者の中にもポルトからアルガルブ地方へ移って、月に2度の週末にポルトに帰るという先生がいます。こういう制度も改善されて然るべきです。今回のデモで教職員が更に求めているのは「Respeito(敬意)」です。これは多くの国の問題でもあるのではないかと思います。

教育は国の礎、国の未来を作ります。誰しもが人生の始めに先生という人を通して学びます。その先生の生活が給料で食べていくのが厳しいというのではダメでしょう。事情をよく知らなかった間は、あらら、先生方、権利を主張してるけど、生徒にも学ぶ権利ちゅうものがあるんだよね。それはどないなるの?と思ったりしたのですが、こうして知ってみると改善の必要は大いにあり、STOPの要求も理解でき同情します。昨日は教育大臣とSTOPをはじめとするその他の教育団体との間の話し合いがありましたが、果たして政府側の提案に彼らはどう反応するでしょうか。

教師のデモ問題は国が孕むその他多くの問題の一つに過ぎず。ポルトガルでの生活はいざ住んでみると、物価が安いので住みよいという外国の見方とは大分違うと思われます。

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2023年1月17日 

さぁ、洗い物をして朝のオンライン授業の準備をしなくちゃ!と水道の蛇口を開けようとしたら、台所のベランダの外を数羽のスズメたちが騒がしく飛んでいる。あっ!今朝はバタバタしていてまだエサをあげてないんだった。

近辺のスズメたちは、ここの窓辺に来るとなんとかエサにありつけるということを知っているのだ。昼近くまで餌を置きわすれて居ようものなら、その中の勇気ある1、2羽が窓辺の洗濯物干しのところに止まって、チュンチュンと催促までする。カワイイやつらなのである。

下には階下の住民の犬がオレたちにもくれと言わんばかりに口を開けて行儀よく座るから参ってしまう。家の反対側の通りには野良猫、そして、このスズメ、犬と我が家にはゲストがたくさんいるという訳だ。

スズメのエサは、前日の残りパンをちぎってベランダの窓辺に並べる。時にはご飯粒だったりする。うちのご飯粒はすし米だから上等なんだぞと一言添えて置くのであ~る(笑)冬場はエサにありつくのが難しいものね。

家の中では飼い猫ゴロー君がいるのだが、近頃グンと甘えん坊になってしまいわたしの側を離れたがらずずっと側にいる。

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わたしの仕事場。ここで授業準備していると膝にのってこようとするので実は困ってしまう。膝にのられるとタイピングができないのだ。それで、pcの横に彼の席をこしらえた。これだと授業中でも生徒たちからはゴローの姿が見られずに済む(笑)

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こんな幸せそうな顔をしてるんだものね、追い出せないや。

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ブログも一緒に書いてますってか(笑)

今年17才になるが、人間でいえば80を超えるのだそうで飼い主のわたしたちと同年代である。スズメのエサを窓辺に置くとこうしてやって来る。5匹いた仲間たちも一人また一人といなくなり、今は自分だけになってしまったのを知っているのだろう、その仲間と一緒にまるでパズルのようにひしめき合って寝ていた篭に、絶対入らなくなった。

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クッションもカバーも替え、カゴも勿論あらったのだが・・・彼の孤独を背中に感じる。

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ゴローよ、生きとし生けるもののさだめさ。
ポルトでは珍しく、外でヒューヒュー風が鳴って、窓をガタガタ震わせている今日、春はまだまだ遠い。

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2023年1月12日 

初級から中級まで、我が日本語教室は相棒のOちゃんと開講して12年目に入る。教室の宣伝はほとんどしていない。我がYY-Nihongo Jukuは大使館サイトでポルトガル国内の国立大学コースの下にひっそりと(笑)名前が掲載されているのと、あとはFace bookにサイトがあるくらいだ。

それでも、口コミなどで申し込みがあり、厚かましくもウエイティングリストなるものを作り、1年ほども待ってもらう生徒さんも結構いるのである。が、1年も待たされると、いざ開講しますよと案内しても返事が来ないのが半分以上で、あとはその年の開講をFBで知り申し込んでくる生徒さんを入れて、Oちゃんとわたしが担当する2クラスができる。

オンラインコースだからと言って欲張らずに一クラスの最高人数を10人まで、できれば8人くらいが理想だと考えている。新コースが始まった後に問い合わせしてくる人たちがウエイティングリストに載せられて行くのである。

宣伝なしで生徒が集まってくるのには、授業料が手ごろだということ、週に1回の授業だということだと思っている。YY塾の発端は、「お金はないけど時間はたくさんある」と言うポルトガルの若者に、日本語日本文化に興味を持ってもらえないかな?というものだった。10年も前のことで、当時の失業率は13%から17%と高かった。

借り教室を利用すると、借代、交通費、領収書を発行するので税金などが差し引かれ手元に残るのは得た授業料の3分の1くらいになる。更に、授業がある土曜日は昼食を作らないので外食となり、結局、とんとん?状態なのだが、それでも教えるのが楽しいわたしたちという具合で12年間続いてきた。

我が塾は苦学生には学費免除までするのだ。エヘン。あまり安くしない方がいいですよ、とか直接生活がかかっていないからだろと言われたりしたが、わたしは気にしない。もう少し生活に余裕があったら、あれをしてみたいなこれをしてみたいなと貧乏青春時代に思うことがあったから、そういう若者が目の前に現れたら、そして自分が手助けできるのならしたいと思うからだ。

1月にコースを開講するのは初めてだが、今回も2クラスの人数が集まりOちゃんと先週末に始めた。わたしが持つ他のクラスは日本語学習歴2年、3年、5年、更にその上の中級の4クラスである。

大学の日本語コースのように、我が塾のは大学の単位取得にはならないし、純粋に日本語や日本文化に興味がある人が、数年の学習歴者として続いて行く。学習者人数はコース開始時の半分に減るのが通常である。5年経ても3分の2が残るのは嬉しいものだ。

さて、そろそろ生徒たちに授業料を請求しないとと思っていた昨夜、男子生徒L君からこちらが請求する前に授業料が振り込まれて来た。ん?多いいじゃないの? L君、なにを勘違いしたのかな?と返信した。「L君、授業料は〇〇ユーロですよ。多いですね。この分は、次に回したいと思いますが、今、返金した方がいいですか」 すると、即、L君から「先生、You are a very good teacher. それはボーナスです」

えーーー!!せ、生徒からボーナスもらうって!!
いやぁ、大阪のオフィス時代以来、ボーナスなんてもらったことがない。L君は「ボクの感謝の気持ちを表したいんだ。どうか受け取ってください」というのだが、そうと言ってもらえるだけで十分っす。と、勿論うけとれまへんがな。

なんだかこそばいな(笑) そう思いながらまんざら悪い気でないもので、夕食時夫に、「生徒からボーナスもらっちゃったわよ」と言てみる。「おいおい、そりゃよっぽど気に入ってもらったんだね」。我が東京息子なら、すかさず「いくら?!」と来るだろう(笑)額ではないぞ、息子よ。生徒からボーナスもらえる先生なんて、そうザラにはおらんと思うぞ。この青年が更に日本語への興味を深めてくれることを望んでやまない。それこそがわたしへのボーナスとなろう。

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5匹ネコたちがいた間は、花びらを食べるのでずっと猫にとっては危険ゆえ、ずっと花を買わずにきたが、ネコのゴロー君は食べなかったと思う。今日は大好きな黄色いバラの花を買って来た。わたしへのボーナスなり。てへへ

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2023年1月11日

先日、日本から小包みが送られて来ているとCTT(ポルトガルの郵便局の略称)から手紙で連絡がきた。

受け取るには更にCTTのウェブサイトにアクセスして内容申告をし、現物の値段と郵送料を加えた合計金額にかけられる税金を払って後、やっと配達されることになる。送料も徴税対象とは、恐れ入り谷の鬼子母神!あきれてしまった。

送り主の名前で内容がカレンダーだと分かったのは、毎年その知人が送ってくれているからである。受け取って判明したのだが航空便なのに手元に届くのに1カ月半もかかっている。知人には申し訳ないが、送っていただくのを辞退する由、メールしたのだった。

昨年10月の帰国時に機内で読む本にと我がモイケル娘に文庫本を2冊送ってもらったのだが、9月に送られたその本は未だに届いていないという有様だ。多少送料にも税金がかけられ高くつくのは受け入れるとして、届かないのは問題だ。そんな訳で今後は本すら送ってもらうのも諦めなければならない。

残された方法は、読みたい本をこれまで通りモイケル娘に買ってもらい、息子がポルトに帰って来る際に運ぶ、これしかあるまい。

さて、11月にポルトに帰ってくるときは、モイケル娘が買っておいてくれた数冊の本を持って来た。その中に扱うのに気をつけるべき一冊が入っている。

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同じ本だが、左はわたしが長年愛読してきたもの、右はモイケル娘に頼んでAmazonから取り寄せてもらったものだ。愛読書にはカバーがかけられていたのだが何度も手に取り読んでいるうちにボロボロになりその役割をなさずついに外す羽目になってしまった。

下図、左の本がそのカバーだった。
book

中のページは黄ばんで印刷された文字も次第に薄くなりつつある。いつの日か判読できなくなるのだろうか。なにしろ昭和34年、1959年出版になっているのだ。そう思って同じ本が見つかったらもう一冊手に入れておこうと思い、モイケル娘に頼んだのである。その一冊が上の写真、右にあるプラスティック袋に入った本だ。もしかすると、いつの日にか我が息子が、娘が、そして孫のソラが手にとってくれるかもしれない。そんな思いもあるのだ。

book

「フランス文学散歩」は、「ラ・フォンテーヌ」「星の王子さま」、コレットの「青い麦」、「狭き門」「赤と黒」「谷間の百合」、そしてわたしが高校時代夢中で読んだサガンの「悲しみよ今日は」エトセトラエトセトラ、フランス文学のさわり部分が読め、同時にパリに留学していた著者のフランス文学への思いがうかがえる。

ヴェルレーヌ、ボードレールからアラゴンへ、そしてヴァレリー、エリュアールへとパリを舞台にした詩人たちにも少しだが触れることができる。この本と手にすると、久しく忘れていた胸高ぶる青春時代の熱い思いがよみがえってくるのだ。

本の中にある、わたしが18、9の頃、まだ意味を漠然ととらえただけなのだが、好きだったモンテルランの言葉。

     人生を前にして、ただ狼狽するだけで、無能なそして哀れな青春。
     だが今、最初のしわが額に寄る頃になって得られるのが、人生に
     対するこの信頼であり、この同意である、「相棒、お前のことなら
     わかっているよ!」と言う意味のこの微笑だ。
     今にして人は知るのだ、人生は人を欺かないと、人生は一度も
     人を欺かなかったと。

17、8才で、人生の意味など分かろうはずもない。しかし、あれから半世紀以上たった今、改めてこの言葉に感動する。著者は言う。「文学は青春の生命を謳いあげる」と。わたしは何度もこの言葉を思い浮かべる。

漫画、ゲーム、パソコンに取り囲まれた今の若者たちが、いったいどんな本に手を伸ばすのか、わたしは大いに興味がある。時代も風俗も違う現代の若者たちにとって、古典作品を手にして、ゲームや映画のように血わき肉踊るというような喜びはないかもしれないが、「古典を読む喜びは、川の流れで身を洗う喜びだ」と、哲学者ショーペンハウアーは言っている。

16、7の頃、わたしはレマルクの「西部戦線異状なし」にすっかり引き込まれて、嗚咽しながら読んだものだが、わたしの読書の原点はその本にあるのだと思う。そして、多くの古典読書を通して今の自分が培われたような気がする。

一冊の本が与えるものは、大きい。

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2023年1月9日 

先週の金曜日夕方6時からの日本語グループ授業を皮切りに、今年もオンライン教室が始まりました。グループ授業が毎年一クラスずつ増えてきて、今年は5クラスになりました。

土曜日は既に3クラスあり、これ以上はわたしの体力が持ちません。日曜日には夕方の中級クラスがあり、さすがこれ以上はスケジュールに入れられない。夫から不満が出そうです。それで、一クラスを金曜日の夕方に移してみました。つまり、金曜日からの週末は教室があるので、他はなにもできないということになります^^;

でも、老いたりともすることがしっかりあるというのはいいこと。ポルトガル語英語日本語と、頭を常に切り替えるので、ボケ防止には最良だと思っているのであります。

土曜日の授業が終わるのは1時15分で残念ながら夫は料理ができない人ですから、その日の昼食はこれまでずっとTake Outです。前もって注文し夫が取りに行きます。

先週の土曜日もそうで、授業が終わりテーブルのセッティングをしていると、「もっのすごい雨だ!」と言って家の中に入って来ました。ポルトガル北部はこのところ毎日毎日が雨でしたから、それを聞いても「あら、大変だったわねぇ」と、その時は軽く聞き流したのですが、これがあなた、ダウンタウンがエライことになっていたのですね。

昼ご飯を食べながらテレビニュースを見ていると、「もっのすごい雨」どころか、それが驚異の瞬間豪雨だったことを知らされました。特にポルトのサンベントメトロ駅とリベイラへ降りていく長い道Rua de Mouzinho da Silveira辺りが洪水の如し。ニュースで流された動画では通りの真ん中を人が流されて行くのが見えました。幸いにもその男性は助けられましたが、こんなのは見たことがありません。

そして、メトロ駅のサンベントは外から流れ込む雨で写真のようにすっかり水浸しです。階段やエスカレーターを滝のように水が流れ落ちる光景にはゾッとしました。
Estacao_S_Bento1_1.jpg
Wikipediaより

下記はYoutubuからの動画です。
https://youtu.be/ZI71ayaxn_4


今回のこの通りの水害は恐らく新しいメトロ戦工事が関連していないかとわたしは推測しているのです。と言うのは、このRua de Mouzinho da Silveira(Rua=通り)は19世紀半ばまではRio da Vilaという川であったとわたしはポルトガル語のDias先生といっしょのポルトの歴史本を読んでいた時に知ったのです。今でもこの通りの下をその川は流れているのですね。豪雨と水害で一時メトロイエロー戦線は普通になりましたが、同日7日の夕方には市職員の清掃で復帰しました。

Chuva1.jpg
Wikipediaより

今週も引き続き雨天だと天気予報が言っていますが、今日は雲が多いものの青空が見えています。昨秋まで旱魃だ、雨が降らなくて困ると大騒ぎしていたのが、冬に入ると今度は雨が降り続いて各地で水害に見舞われ、科学の力をしても大自然の営みに人間の力は及ばないことを思い知らされます。

Rua de Mouzinho da Silveiraについては下記で取り上げていますので行実のある方はどぞ。

「メリーポピンズとRua de Mouzinho da Silveira通りのおばあさん」↓
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2023年1月5日 

クリスマスも過ぎたある日、「Yuko, I need to see you!」とマリアさんから固定電話に連絡があった。 マリアさんというのはポルトガル人の友人であり、長年の日本語生徒さんでもある。今年は85才にもなろうかと思うのだが、年の差関係なく妙に気が合い、日本語授業中に時に脇道にそれて、話題にお互い意見を言い募ることになったりする。気が合うのだから意見も似通っていることが多い。

わたしは彼女の気取らない、そして多少頑固なところが好きなのである。心のどこかに少年期を(少女期と言わず敢えて少年期と言わせる人だ)隠し持っているような愉快な友なのだ。

どうしても渡したい本があると言うのだ。少し前にH君を3年ぶりに家に入れたことだし、既にコロナ感染済みだと聞く。そうしてタクシーでやってきたマリアさん、この3年間、お互いに思い出しては電話のやり取りをしていたのだが、顔を合わせるのは3年ぶりで、思わず挨拶はハグハグであった。

「開けろ開けろ」と急かされたプレゼントの本とはこれだ。

Dec28_1.jpg

キター!ポルトの歴史家エルデル・パシェコ市の新刊本だ。

インバウンド増加のポルトは、しばらく足を運ばないでいると新しい店やカフェレストランがあちこちに出現していて、その変化に驚かされる昨今だ。が、わたしは時々思う。ツーリストは新しいポルトが見たいのではなくて、古い、懐かしさが残るポルトに惹かれて来るのではないの?と。ポルトのような小さな町がカフェやレストランに溢れ、ついこの間までそこにあった古い建物が消えてホテルになっていたとか、古びた歴史的な建物もピカピカに磨かれてお目見えってどうなんよ?などと不満に思ったりする。

わたしがポルトの歴史に興味を持つきっかけになったのはマリアさんが貸してくれたこの氏の本による。氏の本を開くと半世紀前の自分が目にしてきた光景写真が見られ、「あっ!」と郷愁の思いに誘われるのであった。わたしのポルト散策はそうして始まったわけだが、日本語教室が多忙になるにつれ段々おろそかになり、その散策をすっかり止めてしまって久しい。

3年間のコロナ禍による運動不足と人と、接するどころか人の姿を目にする機会がめったに減ったことの弊害を味わったわたしは、これまで訪ねてブログにあげてきた所々の再訪を今年はしてみようと考えていたところだった。そんなところにいただいたパシェコ氏の本だ。んまぁ、マリアさん、ツーカーやないの!

それと一緒にある小さな本、ハットの絵を見て「おろ?フェルナンド・ぺソア?(ポルトガルの人気ぴか一の20世紀の詩人)」、いや、待てよ!本のタイトルが、うわっはっは!「The Adventures of Arsène Lupin, Gentleman-Thief(ルパンの冒険)」とあるではないの!

マリアさん曰く、「ね、、この本を本屋で見かけて、あ!これはYukoにって、すぐ買ったのよ。これ英語版だからすぐ読めるでしょ?」 マリアさん、わたしとルパンの出会いを覚えていたのね(笑) 

詳細はこちら → 綴り方教室

い、いや、わたしの英語はもうしっちゃかめっちゃかでして、やっぱり本なら日本語がいい~とは言えず(笑) 今年は日本語の個人レッスンを二名ほどにして、贈られた本でポルトガル語と英語を学んでみようかと思っているのである。

因みに、コロナ禍前まではポルトガル語のDias先生と読んで来たポルト歴史本は全て、もう一人の歴史家German Silva氏が書いたものだった。読みやすいんです(笑)パシェコ氏の本に手を出したことがあったのですが、そのポルトガル語の格調高さに、「ぐは!」とまさにお手上げ。 Dias先生に、「これは今のわたしのポルトガル語理解力では困難であります」。で、Dias先生「うむ。分かる」と一言(爆)

しかし、今年はDias先生なしだが、挑戦してみようか?

わたしからは、日本で買って来た2023年のカレンダーと手持ちの茶の湯に用いる茶器と茶せん一式をマリアさんにさしあげた。

以下には、愉快なわが友マリアさんのエピソードを過去記事から。
興味ある方はどぞ。
  
某年某月某日
そんなこんなで、我がアリゾナ時代の話で盛り上がり、日本語文字がびっしりの3ページを辛うじて2ページ終えた今日の授業の終わりに、マリアさん(当時80才近く)曰く、

昨日、街を歩いていると簡易健康診断車の側を通りかかった。と、中年の係員に年配者に受けて欲しいとマリアさんは声をかけられ、結構ですというのに強引に誘われ健康検査をする羽目になった。

その中に引っ張る力の強さを測るバネ式の引張力測定器があった。取っ手を持ち、グイと引き上げたが幾ら引き上げようと思っても上がらない。すると記録用紙とペンを手にした係員、まじまじと彼女の顔を見、「セニョーラ、もうそれ以上上がりません。測りを壊してしまいましたデ。」 (爆)

最初のグイで力余り、既に測りを壊していたって、マリアさん、ギャッハッハの大きな笑い声でその日の授業は終了したのです。いやはや、体力ではマリアさんにわたしは太刀打ちできないでしょう。

もちろん、彼女のその他の検査は全て問題なく健康体そのものだと太鼓判を押してもらったのだそうな。心のどこかに少年期を隠し持っているような、気が合う愉快な我が友です。


ではまた。
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2023年1月3日 

「紅ショウガ、どこで手に入るか知ってますか」と、元日本語生徒のH君からメッセージが入ったのは数カ月前だ。紅ショウガじゃなくて寿司についてるガリこと甘酢生姜じゃないの?と返信すると、日本では焼きそばについてると言うので、やはり紅ショウガだ。ガリの瓶詰が売られているところは知ってるが紅ショウガはポルトでは見たことがない。 

H君は数年前ワーキングホリデービザで1年間日本にいたことがある。保証人としての責任があるのと週に一度顔を合わせるだけの生徒の本質は分からないので、わたしは個々の日本語学習者の世話には手を貸さないようにしてきたが、H君の熱には心を動かされた。

45年も昔のことになるが、わたしが当時のアメリカに憧れて渡米するのに全て自力で準備したので、少し苦労した経験があった。日中は大阪堂島にあるオフィスに勤務しながら、運よく転がり込んできた梅田新道アサヒビアハウスでの歌姫バイトを数年してアメリカでの学費とビザ取得のための貯金額を稼ぐことができたのだが、夢が果たせた時は30歳を過ぎていた。

ワーキングホリデービザを取得するには日本円で100万円ほどの口座預金額を提出しなければならなかった。 我がモイケル娘と同い年のH君、高卒だがまじめに働いていたものの、両親同居の家には食い扶持も入れるので、本職の他にバイトをするなどの口があるわけでもないポルトガル、安い給与では貯金もままならない。

できれば日本で働きたいと夢見ているH君が、そんな中から日本語授業のレッスン代を払っているのを知ったのは教え始めて3年ほどしてからだ。昔、自分がアメリカを夢見ていた頃、誰かの手助けがあったらわたしの渡米はもっと早くに実現していたであろうと考えたら、この青年に一肌ぬいでみようと思ったのである。

この時のことは下記に綴ってある。

・ 夢をおいかけて https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1799.html

・ 旅立て、若者よ https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1813.html


工員としてのワーキングホリデービザを取り渡日したのだが、例え工員であっても大学卒でなければ日本ではワーキングビザ取得ができない。さもなくば不法滞在で働き口を探すことになる、と分かって1年後、H君はポルトガルに帰国した。

偽の大卒証明書で滞在し働いている工員はたくさんいると聞くが、それをしないで潔く帰国した彼である。帰国した当初は、それならワーキングビザのために大学進学も考えたようだが、家庭の事情がそれを許さず、現在は職を得て働いている。その彼の「紅ショウガ」なのであった。

わたしと同じ誕生日を持つH君に今回はそれを日本から少し持って来た。「誕生日のプレゼントに紅ショウガがあるけど、送るから住所を知らせて」とメッセージすると、取りに来ると言う。

いつものように小ぎれいな服装でやって来たH君は「母からです」と両手にりんごが入った大きなカゴを抱えてやって来た。コロナ禍以来3年間、日本語の個人授業の生徒を含め、誰も我が家に入れないで来たが、初めて他人を入れた日であった。そして、この後もう一人、我が家にやってきたいわゆる「他人」がいたのでありました。これは明日に。

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我が家の籠に入りきらずテーブルにのったH君のりんご


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2023年1月1日 

新年明けましておめでとうございます。みなさまにとっていい年になりますよう願っております。

ポルトを含む北部都市は大晦日の夜から年明けにかけて荒天の注意予報が出され、各市は準備していた3年ぶりのイベント、花火打ち上げ、野外コンサート等を全てキャンセルすると言う前代未聞の大晦日になりました。

元日の今日もずっと雨ですが、料理係に天候は関係なしです。例年は夫と二人の元日昼食なのですが、今年はすぐ近所に住む義兄が来ることになりました。独身の義兄は80才、いつもならアヴェイルの彼の姉宅で過ごすのですが、今年は行かないとのこと、お正月に男一人にはしておけないです。

ケーキは昨日のうちに作り、今回は巻きずしを外して、白身魚のグラタン、鶏のから揚げ、紅白なます、サラダ、その他おつまみですが、9時から始めて4時間くらい台所で立ちっぱなしでしたが、巻きずしを作らないことで少しゆったりできたでしょうか。

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が、義兄、時間を勘違いしたのか夫が1時にと言ったはずなのに、玄関のチャイムが鳴ったのが1時間早い12時、元日の訪問客などありませんから、夫と顔を見合わせて、「まさか?」と思ったのですが、やはり義兄でした。

どうも近頃、勘違いや物忘れが増えてきたらしく、独り暮らしの義兄の高齢化に伴う症状が少し気にかかっているのであります。う~む、大丈夫かな?

シャンパンとワインをいただき、食事を終えるごとにせっせと食器を食洗器に放り込んで、デザート後はわたしはグロッキー(笑) 早く来いと呼び続けて待っていたゴロー君とベッドに入り、そのまま読書時間。義兄が帰ったのは夜7時過ぎ。

これが、ポルトガル式の元日昼食というものです。多くの場合は、昼食の残りとデザートであるケーキやつまみ、ワインで更に晩御飯もとなりますが、わたしはそれが堪りません。ひとしきり食べ終わった後もテーブルに残った食べ物をのせたまま、ダラダラしゃべるのは嫌いなのでして(笑)

我が家の2023年はこうして始まりました。
拙文ではありますが、本年もお付き合いいただけますよう、宜しくお願いいたします。

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