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2022年9月28日

昨日は朝5時に起床、パソコンで安倍元首相の国葬儀ライブを見ていました。一般献花には行けないので、わたしはデジタル献花プロジェクトサイトでしてきました。興味のある方は下記までどうぞ。9月30日までできるそうです。

安倍元総理デジタル献花プロジェクト (offering-flower.com)
https://offering-flower.com/


日本の立ち位置を国際的に一気に引き上げてくれた安倍氏には3度目の首相をしてほしかった。時に、何もかも首相が独自に進めるわけにはいかないのだと頭で知りつつも、なんでこれを早期に解決しないのかと不満に思った件もいくつかありました。が、その人柄と功績で国内外の人々に鮮やかな印象を残して逝かれました。とてもとても残念です。

国葬では友人代表として菅さんの追悼の辞、最後の句が心に染み、胸が熱くなりました。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

これは山県有朋が盟友伊藤博文を偲んで詠んだ歌だそうです。

安倍元首相は不出世の素晴らしいリーダーだったと思います。安倍晋三氏になら何を言ってもいいと勘違いしている人たちが相手でもののしり言葉で決して返さない。せいぜい「あんな人たち」と、ご自分を制御できる人だったと思います。

上の句、「今より後の世をいかにせむ」とありますが、「今より後の世はいかにならん」と日本の未来に大きな不安を抱く昨今です。

混乱していた自分の気持ちでしたが、国葬儀を見て落ち着いてきたように思います。と言うより、もうこの世にはいらっしゃらないのだとはっきり悟ったと言いましょうか。長いお別れをしなければならないのでした。

本日はこれで。
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2022年9月23日

今日から秋です。日本は3連休ですが、台風15号が発生し新幹線も止まったりしているようです。わたしは来月4日早朝にポルトを出て、順調に行けば翌日5日の朝8時過ぎに羽田到着です。

すでにMySOS登録済みで無事「青色」が提示され、七めんどくさい手続きが済んでほっとしているところです。「んもう!75歳になる年寄りにこんなことさせないでよね、日本政府!」と内心ののしりながらスマホとにらめっこでした。パスポートと切符さえあればとにかく日本に足を踏み入れることができたコロナ禍前の世界が、今にしてどんなにか楽だったかと思い知らされました。

やっと3年ぶりに帰国できるのだ!と、留守中の日本語教室を相棒のOちゃんにお願いするための授業資料作成のため、pcに長時間向かうこの1週間です。普段からきちんとドキュメントをパソコン内で整理してないから、自分は理解しても人様に回すとなるとえらいこっちゃ、なのであります

なにしろ4クラスのうち、中級クラスはできまへ~んとOちゃん、のたまう 中級クラスはわたしも副教材を作成するのに苦労しているのですが、「こんなんしてやろうか」「ここにこの間覚えさせたこういう語彙を出して驚かせようか」なんて考え、一人喜びながら作成するわけです。好きなんですね、教材作成が(笑)

結局Oちゃんには3クラスのグループと、2か月も授業なしでいたら今までの学習を忘れてしまうだろうと思われる二人の個人レッスンをお願いして、久しぶりに日本の地を踏みまする。んで、今日の台風のニュースを聞いて、「あ、この時期は野分(のわき、のわけ)の時期やんか。ガビーン。台風が帰国日にぶつかったらどないしよ・・・」 ま、日本のどっかに降りるやろ、と観念。

で、今日は前に自分のメモとして書いた「野分」を再掲いたします。以下

某月某日

「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」 

鳥羽殿とは鳥羽上皇のことで、この句は鳥羽上皇の離宮へ急を聞きつけた5、6騎の武者が野分を駆け抜けていく様を詠んだ与謝蕪村の俳句なのですが、これを目にして、「おぉ!」と思ったのです。

と、言うのは、拙ブログで何度かとりあげてきた、「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」ですが、我が日本語生徒のアルフレッドさんと一緒にその本を読み始めたのは2016年10月で、ちょうど2年になりますが、ちょうどその時、時代の背景を「保元の乱」とする藤原基俊の75番歌から藤原顕輔(藤原のあきすけ)の79番歌までを5週間かけて詠み終えたところなのです。

雅やかな貴族政治から武家政治へと移る過渡期が歌の背景になるのですが、この時代に登場する白河天皇、崇徳院、近衛天皇の主だった立役者の中に鳥羽上皇の名前は欠かせません。なぜなら、この鳥羽上皇の死が、崇徳院(鳥羽院の第一子)と後白河天皇(鳥羽院の第四子)の皇位継承争いの「保元の乱」の引き金になるからです。

76番歌から79番歌の間には、保元の乱で破れ、藤原忠道によって讃岐に流された崇徳院の歌も含まれています。

「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

多くの百人一首が恋を詠んだ歌だと解釈され、「別れたあの人ともいつかまた逢いたい」と現代語訳にされますが、ねずさんの解釈では、政争の濁流に押し流された二人(崇徳院と後白河天皇)の運命を象徴する歌であろうとされています。

崇徳院崩御の七百年後、明治天皇は勅使を讃岐に遣わし崇徳院の御霊を京都へ帰還させました。それが現在の白峰神宮だそうです。言うなれば、七百年後に崇徳院が詠んだ滝川は再びひとつの川になったといえます。

我が日本語生徒で、80数歳(現5、6歳)のアルフレッドさんが、週に一度、その週の一首をわたしと共に勉強するとて、山を下りてくるのですが、この解釈本を読むことで、日本の歴史の一端にふれ、平安時代の貴族生活、文化、ひいては日本人とはどういう民族なのかを学ぶことができて、とても面白いと言います。

百人一首は恋の歌だものなぁ、などど思って、わたしは、長い間あまり見向きもしなかったのですが、こうしてねずさん(小名木善行氏)の解釈本を手にすることで、改めて日本の歴史に目を向け、思わぬ発見に出くわすことが多いこの頃です。

さて、冒頭の句にある「野分(のわき・のわけ)」ですが、これは秋の暴風のことです。秋草の野を分けて、いずこへともなく去っていく強い風、つまり台風の古い呼び名です。

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Wikipediaより

今ではあまり耳にしなくなった言葉ですが、秋の野の草花が強い風に乱れ吹かれる様を思うと、こんな台風にも風情を思ったいにしえの人々の心にいたく惹かれます。

もっとも、現代の大きな被害をもたらす台風には情緒も風情もありませんが、それもある意味、現代人が文明の利器をひたすら追求し頼り切った偏重の片棒をかついできた結果によるのではないかと思ったりします。かく言うわたしも、その文明の利器を使いブログを書いたりMySOS登録をしたりして帰国できるわけですが^^;矛盾やで~(分かってますがな)


最後に、野分についてわたしが好きな一句を。

大いなるものが過ぎゆく野分かな     高浜虚子

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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2022年9月21日 

25カ月になる孫娘ソラは好奇心旺盛のようだ。10月始めの3年ぶりのわたしの帰国で孫娘とは初対面するのだが、モイケル娘に「おっかさん、ソラは手ごわいぞ」とおどされている。

息子と娘の我が子二人を育てたわたしだが、今振り返ってみればかなり育てやすかった子どもたちだったと思っている。息子は多少破天荒もどきではあったが、「手がかかる」などと思ったことはない。モイケル娘にいたっては、しつけ面でたまに、「お手々を出しなさい。」と木しゃもじで手のひらをぴしゃとすることはあったが、、あまり叱ることがなかったと思う。

二人とも思春期にありがちな反抗期もあったようななかったようなで、ほとんど覚えていない。ゆえに「手ごわい」と聞いても今一ぴんと来ないばあちゃんではある。

「自分に都合が悪いことは聞こえない振りをするんだよ」と、娘のたまう。
10日くらいビデオや写真を見ないと、グンと成長しているのに驚き、「うわ!一段と成長してるね」と言うわたしに、「うん、その分、自己主張もその分成長してるのであ~る」とモイケル娘から返事が帰ってくる(笑) してみればモイケル娘、幼い時には「まいちゃんもぉ、まいちゃんもぉ」とよく言っていたが、あれはモイケルなりの自己主張だったのだろうと、今にして思う母である。

先だって数日ぶりにモイケル娘と文字チャットをしていた時の事。
ちょっと慌てたことがあった、と言う。以下に会話で(笑)

ママが寝床の準備をしている間、ソラ坊は一人で遊んでいた。
と、急にママの側に来て、

ソラ孫:ママ、赤ちゃんのどんぐり とって。
(ちいさいどんぐりをそう呼んでいる)

ソラのママ:どこにあるの?

ソラ孫:はな・・・・

自分の鼻の穴にどんぐり入れよったんじゃ~とソラのママ。ママはかなり焦ったみたいであった。ソラ坊のパパが、鼻の外の上部をググっと押して出せたようで良かったが、場合によっては病院へ駆け込み、手術をうけることになったりするらしい。寝る前だったから、今から病院へ駆け込むのかとげんなりしたわ、とのこと。
  
いったいどういう発想で鼻穴に入れて見ようと思ったのだろうか。どんぐりが鼻穴に魅せられたのか、はたまた鼻穴がどんぐりに見せられたのか。大事に至らなかったから、聞いて笑っていられるが、これって、男の子ワールドではないの?と、思ったりしている。
なんでもやってみたいとの好奇心があるのは至極いいことではあるが、「Curiosity killed the cat」と昔から言われてるように、行き過ぎは危険であるなぁ、ソラ坊よ。

この話を早速所沢の妹にメッセージで送ったら、「悪いけど家族で笑っちゃったよ。いったい誰に似たんだかねぇ」。・・・って?え?わたし?

というので、ソラ坊はただいま一人でドングリ遊び禁止とあいなり、鼻穴にも耳穴にも何も入れていかんとモイケルママに忠告されたのだそうだ(笑)台所で晩御飯を作りながら時にこの話を思い出してはクックックと笑わずにはおられない近頃のばあちゃんである。
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2022年9月14日 

昨日も今日も小雨のポルトです。秋が駆け足でやって来そうですが、みなさま、ご機嫌はいかが?

さて、一時期、ポルトガルのシントラ(リスボンの近く)という町の散りばめられてあるシンボルに興味を持ち、これまで何度も通ってきました。そのシンボルの意味を探るのがわたしの趣味のひとつでしたが、そうこうしているうちに日本語教室の仕事が多忙になり、シンボルをネットで探る時間もなくなって、そのまま今日にいたっています。
今日はシントラのちょっと不思議なキンタ・デ・レガレイラ館の億万長者モンテイロ氏とルロワ01(Leroy01)と呼ばれる世界一複雑な機構を持つ伝説的な時計の話です。

下の写真は我が家にあって誰も使わない安物の懐中時計です。なにかで頂いたものだと思います。オールドファッションですが、わたしは好きでこうして手元に残してあります。

Relogio1.jpg

懐中時計と言うとわたしがすぐ思い浮かべるのはアメリカの作家O・ヘンリーの短編集にある「賢者の贈り物」というそれぞれが自分の大切なものを売る夫婦愛の話です。

註)賢者の贈り物:ニューヨークに住む貧しい若い夫婦がお互いのクリスマスの贈り物を買うだけの余裕もなく、毎日の生活をなんとか暮らしている二人。そこで、妻の贈り物を買おうと夫は今では鎖がなくなってしまった金の懐中時計を質屋に売り、妻の美しい髪をひきたてるであろう髪飾りを買う。妻は夫の懐中時計につける金の鎖を買うために自分の美しい金髪を切って売るのである。

高校時代に読んで心に残った物語ですが、この懐中時計をいつまでも持っているのはその影響があるのかも知れません。

腕時計がいつごろから商品化されたのかと調べてみるとオメガ社が1902年に広告を出しているそうです。当時はまだ懐中時計が主流で腕時計が普及し始めたのは1911年カルティエ社が開発した角形の「サントス」(お、うちと同じ名前だw)だそうです。

ブラジルのコーヒー王の息子で自動車の改造や飛行機製造を趣味とするアルベルト・サントス・デュモンの発案で作られ彼の名前がつけられたそうです。

これが件のルロワ01です(Leroy 01)↓

Leroy01_1.jpg
ー画像はWikiよりー

ルロワ01は「キャリバー89(世界に4個)」「ヘンリー・グレイブス(こちらも世界に4個)」と併せて世界の超三大複雑時計のひとつだそうです。

モンテイロ氏がフランスのブサンソン市にある有名な時計メーカーのルロワ一家に作成を依頼したのは1897年、4年の歳月をかけて完成されました。

全部で975パーツを持ち年月日、曜日、春分秋分夏至冬至等の26の複雑機能があります。興味あるその他の機能としては、リスボンの日の出日の入り、世界1265都市のローカルタイム、天体の12宮、パリで見られる226星、リスボンの560星、リオ・デ・ジャネイロの611星が組み込まれた北半球のスカイマップ。下図がそれです。

Leroy01_2.jpg
ー画像はWikiよりー

直径71mm、重さ228gの純金のルロワ01

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ー画像はWikiよりー

ルロワ01のケースはキンタ・ダ・レガレイラを建築したイタリア人建築家ルイジ・マニニのデザインです。

Leroy01_4.jpg
ー画像はWikiよりー

真ん中にはレガレイラ館でも見られるアントニオ・モンテイロの頭文字AMが、そして左上にはメーソンのシンボル「全てを見通す叡智の目」ことAll-seeing-eye、中央下には同じくメーソンのシンボル「ハンマーと砂時計」が、その下にはポルトガル国のキーナスマーク(ポルトガル王家の五つの盾)も見られます。
Leroy01_5.jpg Reroy01_6.jpg

マニニデザインのこの時計にはもっと意味深いシンボルがあると思いますが、じっくり調べることが必要です。

完成されたルロワ01をモンテイロが受け取る再際のエピソードを紹介します。

1901年、ルロワ01の完成を電報で連絡したルイ・ルロイ氏がモンテイロから受け取った返事は単純に「郵送してくれ」。これに驚いたルロワ氏、「ルロワ社が4年かけて完成した世界でただひとつの仕掛けの、しかも破格の金額を払ってもらった純金の時計をとても郵送などできない」

考えあぐねていたところ、たまたまパリで当時ルロワ家の顧客の一人であったポルトガル王ドン・カルロスに相談したところ、その時計を王に見せることを条件に、王直々にポルトガルへ持ち込むことになりました。つまり、通関せずに今で言う「密輸入」を王自らが手助けしたということですね(^^;)

1904年、ドン・カルロスは宮殿にモンテイロを呼び王直々にルロワ01を手渡しました。

ルロワ01は当時で2万フランをモンテイロが支払ったそうで、今に換算すると億単位。ちなみに上述したヘンリー・グレイブスは1992年にサザビーズ・ニューヨークオークションで約13億円で落札、もうひとつのキャリバーは1989年、ジュネーブのアンティコラム・オークションで
約3億8千万円で落札されたそうです。

ルロワ01はモンテイロ氏の死後、それを創ったルロワ家に買い取られ現在はルロワ家があるフランスのブサンソン、時計博物館に展示されているそうです。シントラのレガレイラ館へ行くと、ルロワ01についての展示場があります。

もうひとつ、面白い話を。
1988年キンタ・ダ・レガレイラは日本の青木建設が所有しており、その間レガレイラは一般人には公開されていません。後にシントラ市が買い取り文化財に指定し、現在はぺナ城に並ぶ観光スポットになっています。

最後になりましたが、regaleiraとは「豊潤なる人生」とでも訳すのでしょうか。莫大な財産を有し経済的な問題を持つことのない人が幸せな人生を送るかと言うと、一概に言えないような気がします。持つが故に抱える問題も多いかも知れないと思うのは、持たないものの僻みかしら。

モンテイロ氏は財力を十分に活用し、自分の神秘思想、その哲学を徹頭徹尾、人生に活かした人なのかも知れません。

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2022年9月12日
  
ポルトガル語が皆目分からなかった頃、それせも少しずつ耳は肥えていき、なんとなく話の内容が想像できるようになり。この段階までの夫のポルトガル人仲間との食事会はちっとも楽しめませんでした。話に加われず、「Sim(ええ)」「Não (いいえ)」「Mais ou menos(まぁまぁ)」の三語以外は黙々と食すのみです。何しろ4時間くらいは続く食事会、「早く終わってくれ~」と、心中叫んでいたものです。

その頃は子育て、主婦、土曜日の補習校の仕事で、時間的にも経済的にも手一杯の毎日でした。子供たちの弁当作りから始まり、学校が私立で遠くにあったため、毎日の送迎(わたしは迎え専業)、稽古事、ポルトガル語や数学レッスンの送迎、学校からの宿題、土曜日補習校の宿題、日本からの4教科の通信教育と、これらを子供たちと共に時間を過ごしていた日々でした。

ゆえに、自分のポルトガル語教育に投資する余裕などなし。好きな読書が就寝前にできたのが嬉しかったものです。いい訳がましくなりますが、そんな事情でポルトガル語をわたしが学習し始めたのは60歳を過ぎてからでした。

やがて、共通の話題が子育てや子供たちの進学、進路のこととなり、わたしもポルトガル社会に慣れて行き、たどたどしいポルトガロ語で少しずつ仲間の話に加わっていきました。今では、文法的な間違いはいいや、ここでは外国人だし勘弁してもらおうと開き直ってポルトガル語を話しています。

ある年の7月も終わる頃、定例の夫の病院仲間たちとの食事会に声がかかりました。久しぶりに会合したのですが、皆、歳をとりました。話題は子、孫の話で盛り上がり、「さぁ、飲めよ食べよ」と勧められるままに、自分の小食を忘れ、飲み食いしたのが祟ったのであります^^;

冷たいVinho Verdeワインもおいしく、コップにつがれては飲みつがれては飲みと、年甲斐もなくついつい・・・そのせいでその夏中はずっと、調子が悪かった(涙)以来、わたしはVinho Verdeトラウマになったんでありますね(笑)自業自得と言わば言え。

わたしは大してできた人間ではないので、体調が悪いときは、まじめに物事を考えないようにします。心と体は互いに影響しあうのです。そして、こういうときは、時折、パソコンの側に置いてあるプラスティックの正六面体に目をやります。

人生色々1

これは我がモイケル娘の手作りです。「作:マイケル・じゃっくそん・コスタ・サントス 11-11-2002」と、別面に書かれてあります。「マイケル、モイケル」は、彼女の日本名を、同級生がポルトガル語で発音すると、そんな風に聞こえることから、彼女に付けられたニックネームなのです。

2002年は、彼女がポルトのブリティッシュ・スクールからポルトガルの私立高校に移った頃で、既に日本の大学で勉強したいとの希望を抱いて、学校環境の変化を克服しようと苦労していました。

幼稚園から中学3年まで、全て授業は英語でなされていたのが、転校することにより、ポルトガル語での授業に切り替わったということで、わたしはこれを「国内帰国子女」だなぁと思っていました。

日本での大学進学のためには父親を説得し学費捻出を何とかしなければいけないと、色々知恵を絞った父親とのバトルの時期です。夏休みに日本へ帰国した折に耳にしたのであろう、お千代さんの「人生いろいろ」の面が上の画像です。

人生色々2
植木等の「金がない奴ぁ~俺んとこへ来い!」の面、

人生色々3
「明日があるさ、明日がある」は坂本九ちゃんの歌です。
「金がないやつぁ、オレんとこへ来い」なんてそう言ってくれる人がいないもんかなぁ、とモイケル娘の切実な願いが込められているようで、おかしいやら気の毒やら。

そしてこちらの面には、ドラマ「一つ屋根の下」の有名なセリフ、「心にダムは あんのかい!」
人生色々4

どれもみな、彼女の年齢にしては古びた歌、ドラマですが、おっかさんであるわたしの影響です。これらの六面体には、日本の大学へ行きたい、及び、合格した後の学資をどう捻出したものだろうか、との、彼女と、彼女の夢実現の手伝いをしたいおっかさんの、毎日毎日、思い巡らしていた希望的観測の思いが表れています(笑)

2006年の「金欠病親子の帰国子女受験奮闘記」にこう書いています。

エピソード2:「お金がないじょ!」

さてはて困ったもんです。
日本へ帰るったって、日本の大学へ行くったって、もいける娘よ、あぁたの親の生活基盤はポ国であるぞ。

物価が安く、それまで日本のほぼ半分の生活費で暮らしができたお国である(当時は)。 日本からポ国へ来るのならいざ知らず、その逆コースであるから、これはあぁた、 並大抵なことではございません。

我が家ではその頃、六つ歳が離れた息子は、リスボンで大学生活です。 リスボンと言えば、住居賃貸料の高さでは、なぜかヨーロッパでも1、2を争うという、 どうでもいいようなことで有名な都市です。 法外な家賃を5年間も払って(当時ポルトガルの大学は5年制)ドブに捨てるよりも、 古いのでいいからリスボンにアパートの一室を買った方がいい、と夫は判断し、ローンを組んだばかりの頃です。ポルトの自宅とリスボンのアパートのローンと・・・・・・
日本の大学行きは無理だってば^^;

娘が父親に面と向かって宣言できなかった理由は、ここにあるのでしたw 夢です。夢ならば見ることは自由だ(笑)。

しかし、かえるの子はかえる。 「いつかアメリカで」と高校時代からの夢を見続け、卒業後都会で一人暮らしをしながら、オフィス、歌バイトと数年間働いて、ついに夢を叶えた、そのおっかさんこと、 わたくしの、さすが娘(笑) もっとも、全て自力だったものでその夢を実現できたのは三十路を過ぎてたが^^;

つまり、どちらもそう簡単には諦めず、頑固に色々計画をコネorごね回したのでありました。


この6面体を見ながら、心で歌いながら、物事をポジティブにとらえて自分を励まし、娘は目標に向かっていたのだな、と思うと、あの頃の娘を愛おしく思い出します。この六面体が作られてから20年になりますが、結局、彼女は父親を説得し東京で大学受験をし、目標大学への入学を果たし、夢を実現しました。

限られた時間でリモートワークをしながら現在子育てをしているモイケル娘にはこのポジティブ思考を忘れないでほしい。

いつでもわたしの目のつくところに置かれた「希望の六面体」は、小雨降る今日のポルトのわたしの前で、歌っています。
「人生 いろいろ~チャチャチャ ♪」

おっかさんも体力がないだの、年とっただの、足がつるだのと愚痴ってばかりおらんと、がんばらにゃ!

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。

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2022年9月11日 

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毎朝7時過ぎに半時間くらい家の近くを歩いている。仰ぎ見る真っ青な空も樹々の葉も空気も、秋の気配です。
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エリザベス女王陛下の崩御、チャールズ3世国王陛下のご即位、その前にはペレストロイカを推し進めたゴルバチョフの逝去、我が国の安倍元首相の暗殺と、私たちはいったいどこへ向かっているのかと、せんないわたしが考えてもどうなるものではないのですが、世の中のこれらの流れに希望よりも不安が重く感じられます。

それにしても、駐日ジョージア大使をして公式ツイッターで 「(故安倍元首相の)国葬をめぐってメディアや日本の一部団体からあれこれと発言が出ていることを残念に思います。それどころか、故人に対する目に余る言動に心を締め付けられております。」と言わしめたメディア、野党等の一部日本人たちの言動にはいったいどないしたん?日本!とわたしは頭をかしげたくなります。

その功績が国際的にも広く認められていたからこそ各国の首脳たちが安倍元首相の死を悼み国葬に出席してくれるのです。安倍元首相の功績を知らない、(知らされていない)のは日本人だけと言われても返す言葉がありませんね。

意見を主張するのは結構なことですが、日本国内外をいとわず、それに被せて己の身勝手な考え以外は全て間違い、他の意見は受け入れられないという人が日本人に増えたような気がします。

さて、我が東京息子、日本に帰る前に「もう少しいたいな」と切符変更手続き10万円という金額を目にしてダァメだと諦め先日帰って行きました。息子の帰省以来ずっと彼の部屋に入りびたりだったゴロー君、今、こんな具合です。
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枕の上はちょっとなぁと思うものの、帰ってしまった息子の匂いでも探しているのでしょうか。
ま、洗濯すれば済むことだからいいか(笑)3年も会っていないと言うのに覚えているんでしょうね。

息子というフラカォン(Fracão=ポルトガル語で台風)が通過し、わたしたちもまた寂しくなりましたが、なぁに、あと3週間ほどでわたしはまた会うことができるのであります。

いつも切符を依頼している旅行社と飛行機の日程、切符の値段等で、すったもんだがありましたが、やっと切符を購入しました。
ポルトガルから日本への直行便がないもので、旅行社から示されてくるフライト日程が3年前と同じなのです。これには驚き!旅行社として失格やないの?

わたしはマイレージクラブに入会しているので、ANAからは色々情報が送られて来ます。そのコロナ禍における臨時のフライト日程と合わない。旅行社から提示されるフライトナンバーも違うので、こと、切符に関しては慎重なわたし、ああでもないこうでもないと旅行社とのやりとりに辟易気味。これもストレスの一因となっていました。

そうこうしているうちに、ビジネスクラスの値段はぎょえ~~と言うくらいに値上がり。こ、これって今までの切符だったら4往復くらいできるやん・・・内心どないしてくれるねん!と怒り狂っていると、息子がまぁ殊勝にも「2000ユーロくらい手伝ってあげようか」(喜々)もちろん、わずかではあるけれど一応仕事している親として受け入れるわけには参らない。気持ちだけもらっておく。

というので、10月始めには日本へ帰国します。今回は、飛行機移動の時間も増えました。上述したようにポルトガルから日本への直行便はないので、ポルトからフランクフルトまで3時間近く、フランクフルトから羽田まで14時間ほど。これは行きです。

が、帰りが恐ろしい。羽田フランクフルト間が17時間ほど、それからポルトに向かうことになるので、待ち時間も入れると24時間はかかります。

これほどの長時間フライト、若い時ならいざ知らず、この年ではもうあきまへん。横になって行けるように、そして、或いは最後になるかも知らんなぁとの気持ちもあり、奮発して参ります。って、支払いは夫の役割だけど。えへへ。

日本語教室は同僚のOちゃんに託し、新コースはわたしがポルトガルに帰ってきた後の2023年1月からと決めたのであります。

既に2歳になってしまった初孫のソラちゃんにもやっと会えることになりますが、それもさることながら、3年ぶりに我がモイケル娘の顔を見るのが嬉しいです。孫は孫で可愛いものですが、大人になっても我が子はまた別の愛しさがあります。

もしかしたらこのブログ記事を日本にいる知人友人が目にしているかもしれません。が、みんな、今回はコロナ状況によっては会えないかもよ^^; うつしたうつされたっていうのは避けたいものね。

夫は同行しません。夫婦と言えどもコロナ禍のもとでは日本国籍者以外はわずかの滞在でも今のところ手続きの面倒なビザが要るのです。
明日からは帰国準備です。

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 某月某日

早朝、近所を歩くと、早や秋の気配を感じます。今年は夏が短かった。ロシアのウクライナ侵攻で、ガスや電力が心配される欧州です。南欧のポルトガルは、ドイツやフランスと比べ多少暖かいとは言え、今年は厳しい冬になりそうです。今はいったんそれを置いて。

秋になるとつい思い出される歌の話を。

荻萩
Wikiipediaより

君がため 惜しからざりし命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
(君のためなら命さえ惜しくないと思ったが、今は君のためにこそ長生きしたいと思う)

小名木善幸氏の本の受け売りですが、類稀な美男子で歌の才能にも恵まれた義孝は、疱瘡で外見を醜い姿に変えわずか21歳で夭逝したと言われます。

50番歌は恋の歌であると同時に作者が夭折したことで、残された人の悲しみをも内包することになったと解説されています。

さて、ここからが今日の本題なのです。この解説の中で義孝13才の時に作ったと伝えられる歌(和漢朗詠集)が紹介されています。

秋はなほ 夕まぐれこそ ただならね 荻の上風 萩の下露

下の句は「おぎのうわかぜ はぎのしたつゆ」と読みます。
荻の上風 
萩の下露

この下の句に惹かれ、ちょっと比べてみることにしました。荻と萩は漢字も読みも似ており、うっかり者のわたしなどは最初同じように見えて冷や汗をかいたのですが、オギはイネ科ススキ属、ハギはマメ科で花をつけ秋の七草の一つです。

二つの似た漢字、言葉を並べ、上風、下露と「上下」の対比、更に風は地上を吹き露は萩の葉から滴り落ちると言う、これもとても面白い対句になっています。古来より荻は「上葉を揺らす風」、萩は「葉に置く露」を詠まれてきたといわれます。

俳人の長谷川櫂氏は「記憶する言葉」の中で、「日本語の中には人々の長い年月にわたるいくつもの思い出がぎっしり詰まっている言葉があります。例えば桜と言う言葉には、王朝貴族の喜びや悲しみ、江戸庶民の浮かれ騒ぎ、それに戦争の忌まわしい記憶までも畳み込まれています。言葉は記憶するのです。俳句を読むのは、季語に内臓された思い出を蘇らせることです。」と書いています。

秋に先駆けこのような美しい歌に触れ、日本語の七五調の「記憶するリズム」が自分の中に組み込まれているだろうことを感じたのでした。俗物のわたしは「ハギ」と言う言葉を目にして、恥ずかしながら一瞬「萩に猪」の花札を思い浮かべたことを白状しまして、 てへへ。

萩イヌ

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2022年9月7日 

日本から帰省中の息子は自分の生活のリズムをこちらに合わせる気は全くない(笑)招待なくしていつでも行きたい時に行くことができる場所、ドアに鍵を差し込んで断りなくそのまま入ることが出来る場所、将来に何の憂いもなかった子供の頃の時間が置かれた場所、それが両親の家というものなんだろな。そう思って意見がましいことはもう云わない。

好きな時間に起きシャワーを浴びて朝食を自分で作りジムへ行く。再びシャワーを浴び自分の昼食を作る。材料があれば時にこんなのまで作っている。
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作ってあげようか?と言うが昼からこんなステーキは胃がたまらないので、味見だけさせてもらった。最近は赤ワインと干しブドウ等を使ったデミグラスソースもどきがステーキの上にかかっていたりする。これが美味しいのであった^^ 我が子とは言えお見それいたしヤンした!
Joaoscook1.jpg

成人形成期までをポルトガルで過ごした息子が日本社会で働くのにそのストレスたるや、かなりだろうなと想像できるので、彼の帰省中は、言いたいこともあるにはあるが余程でない限り黙って好きなようにしてもらっている。

毎日のように友人たちに会って飲んだりするのも日本でのストレス発散になり、東京へ帰って再び何とか頑張れるという源になるのであろう。

日本では年に数回、自分が作曲したトランスミュージックが演奏できる機会があるので、それも日本での生活目的の一つになっているようだ。The RRなる二人組ユニットを結成し10月にはまた都内でコンサートがあると言う。

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その息子、今回はポルト帰省中に、「Serreias(人魚)」なるポルトガルのロックバンドに急遽参加決定(笑)、リハーサルをしていた。写真はクリスタル宮殿公園内でのイベントでの演奏、音出しシーン↓。息子は左端。


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このバンドメンバーのうち二人は息子のBritish School 時代の友達で、帰省する毎に必ずあつまる幼馴染の仲間でもある。

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数カ月前に、新聞数ページを割いて掲載された話題のロックバンドSerreias。ボーカルは歌うというより詩を読むという感じだ。
どこの国ででも音楽で生活していくのは簡単なことではないので、息子を含め多くのミュージシャンは2足のわらじである。それをしなくて済むとしたら、リッチな親を持っていることであろう。

残念ながら私たちは経済的にはリッチから程遠い親なので、息子を援助するのは難しいのだが、仕事を続けながら好きな音楽から離れない人生が送れるのは幸せだと言えるだろう。が、息子のこの先がまだ薄っすらとも見えない不安もあるのだ。

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2022年9月2日 

この4月から、孫娘のソラちゃんを保育園に預けて、将来の本格的な仕事の準備とて、自宅でパソコンを使用した簡単なパートタイムをしている我がモイケル娘だが、この5か月間、実際にソラちゃんを保育園に預けられたのは半分くらいなのだそうだ。熱があったり、手足口病になったりと月の半分は休むことが多かったので、仕事も半分しかできなかったようだが、それでなんとかさせてもらえるだけでも幸運だと思うべきだろうか。

家でもそうらしいが、保育園でも活動的でよく動き回り、おしゃべりも人一倍とのこと。今日でソラちゃんは26カ月。好奇心が強いと見受けられるので、2歳ともなると目が離せないよ、とモイケル娘と話していた。

たまに店などで一瞬見失ったりすることがあって「どこへ行くんじゃ~」と慌てて追いかけたりするというので、そりゃ危ない。連れて行かれでもしたらエライことなので、リードを使うのはどうか(わたしは幼い息子に使った。笑)とわたし。

モイケル娘: リード、あるんだけど、絶対怒るだろうなぁ・・・
        (2歳にしていっちょ前に怒るらしい)
         手をつなぐのも嫌がるんだよ、ボクはジユウだ~ってね。

わたし: どこで「自由だ」なんて言葉、覚えたんだか(笑)
      ちょ、ちょっと待って!「ボク」って言うん?
モイケル娘:うん、ソラが自分のことを「ボク」って言うのだ。
        私がぬいぐるみの役をして相手をする時に、ついボクボクって
        やってたからだろうなぁ。ちがうとも言えず^^;

それを聞いてぎゃっはっはっはとはしたなく笑ってしまったわたしであった。娘、孫、親子二代で「ボクっこ」ではないか(爆笑)思えば30数年も昔の話になるが、以下、いきさつである。

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わたしの気に入りの写真。題して「スーパーサイヤ人Sora」

バイリンガル物語:日本語編「男言葉、女言葉(2)」
(2006年「バイリンガル物語日本語編」から抜粋)

日本語のテレビ漫画があるわけでなし、周囲の遊び友達はみなポルトガル人か英語圏の子供の環境で、日本語の話し言葉が少し頼りないところはあるが、小学校1年生にあがる頃には、息子は、ひらがな、カタカナ、1年生の漢字、簡単な足し算引き算は、すでにできるようになっていた。

当時はまさか、日本人子女のための補習校ができるなど予想だにしていなかったので、わたしは毎日20分ずつ息子とテーブルについて、着々日本語の勉強進めていたのである。

補習校が創設され通い始めた息子、注意してみると、どうやら読み書き、日本語での人の話は理解できるらしいのだが、自分から日本語で日本の子供たちと同じように話せないことをもてあまし気味になっているようだった。男の子、女の子の言葉を初めて意識し、戸惑っていたのかも知れない。

元来が陽気で物怖じしない子である、言いたいことが自由に口から出て来ないそのストレスは日本の子供が海外に来たとき、始めに感じる気持ちと似ていないこともないであろう。     
しかし、こればかりは慌てても仕方のないこと。生活体験をして学ぶのだから時間がかかるのだ。わたしたちは息子のこの難関を、翌年小学校2年生の時に、日本の学校より早めに始まるポルトガルの学校の夏休みを利用して、日本の小学校に体験入学をさせることで、解決しようと試みた。

この時の経験は別の章で述べるとして、こうして息子は日本語の話言葉、またイッチョ前の男言葉をある程度クリアできたと思う。が、完璧を望むのは無理というもの(笑)

「父親を おやじと呼んで 15の夏」
と言う誰かの俳句を覚えているが、中学生ともなると、日本の男子は母親を「おふくろ」父親を「おやじ」、「かあさん、とうさん」と呼び始めるものである。しかし、息子は幼児期からずっと、今でもわたしを「ママ」父親を「パパ」と日本語では呼んでいる。

補習校、息子15歳、中学3年の時である。
校内では、極力わたしのところへは来ないこと、母親がいるという意識は捨てることを長年言い聞かしてきたのだが、校門外でのことであり、うっかり「ママ!」と大きな声で話しかけて来たその瞬間、大の仲良しの一歳下の日本人の男子から、「あ~っはははは。中3になって、ママだとよ~」と笑われたのである^^;

もとより、細かいことは気にしない息子である。さらりと流し、今もってわたしを「ママ」と呼び続けているのだが、いやいや、こうした言葉遣いの機微というものは、なかなか難しいところで、教えてやれば使えるというものではない。

ポルトガル語も英語も日本語の「わたし、わたくし、ぼく、おれ、わし」にあたる一人称の呼び方はただひとつ、「Eu」「I」である。
息子と6歳離れている我が「モイケル娘」、生まれたときから耳にしてきたのは、「ボクの~」「ボクねぇ」の、息子が頻繁に使っていた一人称「ボク」。補習校小学1年にあがるまで、モイケル娘は「ボク=I」だと思ったらしく自分を「ボク」と呼んでいた(笑)

母親のわたしはと言えば、彼女の左利きを矯正しようとして、頑固に反抗され諦めた時のことを踏まえ、無理強いはしないことにした。(モイケル娘は未だに左利きである)日本人の知り合いたちには、
「お宅のモイケルちゃん、ボクって言ってるわよ(笑)」と、ご報告いただいても、 
「そうなのよねぇ。面白いでしょ~、あははは」と放って置いた。

普段耳にしない、「わたし」をしつこく子供に強請することは、下手をすると自分の話す言葉に自信を失い、日本語を話さなくなりかねない。結果は、こちらの思惑通、補習校に入るや、モイケル娘の「ボク」は自然消滅し、今ではわたしたち家族の懐かしい思い出話になってしまった。

男女同権を振りかざして、公共トイレの男女マークまで変更させられるような昨今の世界、ひょっとすると、そういう声が嵩じて、「ぼく、おれ、おいら」などは、差別用語になる日が来ないとも限らない。女性本来が持つ美しさや奥ゆかしさ、優しさがうかがえる日本語の女言葉がわたしは好きなんですがね。

こんなことを書くと、現代では「あなた、認識不足です!」とでも言われるのかしらん。


本日も読んでいただきありがとうございます。
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