fc2ブログ
2022年7月31日

コロナ禍以来、わたしのポルトガル語学習はストップしたままだ。日本語授業は、ポルトガル語で説明するのだが、決まった語彙決まった文型を使用するので、学習を止めてしまうと新しい語彙が増えなくなる。

母国語の日本語だってこうしてブログやたまの雑誌記事依頼などで書くには書くが、話す機会となると、スカイプを通してモイケル娘や時折東京息子、そして2週間に一度の妹との電話会話くらいである。

Dias先生とのポルトガル語学習は、恐らくもうできないであろうと思っている。わたしは75歳になろうとする老生徒で先生は80歳ほどだから、対面授業はお互いのことを思えば、コロナ禍の今、いくら規制が緩和されたとは言え、しない方が安全であろう。

先生なしでなんとかできることをしてみなければいかんだろうと近頃思うのだが、かつてのような気合が入らないのはどうしたことだろうか。コロナ禍の3年間で喪失したものがここにもあるような気がする。70代の3年間は貴重な時間だったのである。

下記、ポルトガル語学習に関したある朝のこと。

起きてリビングルームを覗いた夫が、息子の部屋で机に向かっているわたしを見つけ、「ど、どうしたの?パソコンをつけてないじゃない。大丈夫か!」

大丈夫かってなんでんねん、そりゃ。あたしゃ、ちゃんと正気ですって。

いつもなら起きては真っ直ぐバスルームに行き、シャワーを浴びて歯磨き、洗顔。 で、行儀悪いことに、歯磨きをしながら夫がまだ寝ている部屋は別にして、家中の窓という窓のブラインダーを上げ、空気入れ替えに窓を開ける。

次にリビングにあるデスクトップpcのスイッチを入れる。わたしのpcは少し古いのと、多分ファイル等をきちんと整理していないのと、大きな画像が多く入っているのとで、立ち上げに時間がかかるのだ。いや、元々は買った当初から多少欠陥のpcではあったのだが^^;

そして、ブログで度々書いているように、その後は朝の小一時間ほどコーヒーをすすりながら日本のウエブ新聞に目を通すのである。わたしがこうしている最中に夫が起きて来る。
「おはよ~」と声をかけられ、振る向くわたしの顔で、いい知らせか悪いニュースかが分かるという具合(笑)

それが、その朝に限っていつもpcの前に座って、時にはハシタナく膝を叩いては一人ガハハハ笑ったり、ぶんぶん怒ったりしているはずの妻の姿がない!どう言う風の吹き回しか、その妻、息子の部屋の机にかじりついているではないか。こんなことは今までついぞなかったことだ。それで、「大丈夫か、お前!」となったのであります(笑)

通常は、ポルトガル語レッスンの課題を寝床に持ち込んでざっと目を通す。朝から日本語授業や準備があるので、時間の使い方が下手なわたしは、日中ポルトガル語の予習のための時間がとれないことが多い。そこで、寝入る前に、となるのだ。そして、Dias先生宅に出かける前の1時間ほどを机に向かい予習に充てられるよう時間繰りを頑張ってみる。

今まではそれである程度、テキストの理解ができたのである。ところが、新しい本は「お、結構むずかしいじゃん」となり始め、寝床で目を通すや、「げ!なんだこの単語は。耳にしたことがないのばっかりやん!文体も固いじゃん!」とあいなった。

いくらお代をお渡しするとは言え、学習している努力が見られない老生徒のお守りをさせるようでは先生に申し訳ない。それに、こんな状態では自分自身、悔しいではないか。

というので、寝床でテキストに取り組むのは諦め、早朝にしっかり取り組んでみようと早々に爆睡に入り、翌朝起きて洗顔歯磨きの後、pcをつけるとそちらの誘惑に負けてしまうのでつけずに真っ直ぐ息子の部屋の机に向かって、辞書と首っ引きになっていたと言うわけである。

それを夫め、いったい妻に何が起こったのかと早とちりしたらしい(笑) ああ、この頃の気合の半分でも欲しい昨今、日々なんとか日本語教室をこなしてはいるが、悔しいけれど体力もこれが目いっぱいのような昨今ではある。勉強するとは実に体力を要するものなのだ。

本日も読んでいただきありがとうございます。ではまた。
ランキングクリックでブログの応援、お願いできますか?
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年7月28日 

日本から郵便物でも送られて来ようものなら、とにかく通関税をかけようとするポルトガルの郵便局だ。今では公民連携事業となった郵便局だが、サービスは以前と比べ格段の差で悪くなった。それについては、再度書くとまたもや腹立たしくなってくるので、興味のある方は下記にてどぞ。

https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2592.html
「やっとこさの東京息子からの贈り物」


そういうポルトガルの郵便事情なので、日本に住む子供たちには小包などは間違っても送るなよと伝えてある。

以前なら帰国毎に持ちきれなかった買い物は、自分宛に船便でどんどん送り、多い時には大型の箱10箱なんて時もあり、当時存命だった母には、荷物の中の買い物に費やしたお金より郵送料の方が高くついてるんじゃないの!と言われたり、所沢の郵便局員をビックリさせたりしたものだ。

今では、それも日本から送るのはいいとしても、ポルトガルで受領するのが大変なのが目に見えているので、それはすっかりなくなってしまった。が、問題はかさ張り量も増える本である。本の虫であるわたしは本なしの生活など考えられない。と、言いながら、この3年間帰国ができなかったので、読んだ本を再び手に取り「考えられない生活」をしのいできた。

文庫本を一冊ずつ封筒でモイケル娘に送ってもらおうかとも思うのだが、彼女も子育てと仕事で忙しいのを知っているので、そうそうには頼めない。

こんなことを考えなくて済んだ頃の話である。以下。

ある日のこと、リビングのテーブルの上に小包が乗せられておりました。わたしたちの旅行中、ネコの世話をしてくれていたベルミーラおばさんが受け取ったもので、3ヶ月前の帰国時に持ちきれなくて船便で送ることになったわたしの本の到着です。
その中の大切な一冊をここで紹介しようかどうしようかと多少迷ったのですが、拙ブログは我が子達(今ではこれに孫のソラも加わる^^)に残す「母の歴史ブログ」でもありますし、上げることにしました。

弘前南高校花序
我が高校時代の生徒会誌1964年(昭和39年)発行第一号です。

グラビア、詩、エッセイ、先生たちの開校裏話座談会(これはわたしが苦労してテープから原稿を起こしたw)や学校の行事記録、クラス、担任やその他教科別の教師紹介まで掲載されてある100ページ足らずの懐かしい青春時代の一冊です。

昭和38年(1963年)に開校された我が母校、わたしたちは第一回生なのです。開校して間もなく生徒たちが手がけた会誌になりますが、我が同窓生たちの果たして何人がこれを今だに持っているだろうかと思われる60年ほど前の貴重な代物です。

白状すると、恥ずかしいことにこの「花序」なる会誌のことを、とある人から言い出されるまで、いえ、言い出されて実際に目にし手に取るまでわたしは全く覚えていなかったのです。この一冊、中学時代から高校時代にかけての我がペンフレンドだった東京在住のアイ君の手元に半世紀近くもの間、眠っていたのでした。

高校卒業と同時に家を出たわたしは、その後ほとんど故郷に帰ることはなく、アイ君ともいつのまにか音信を絶ってしまいました。そのアイ君がネットで偶然わたしのホームページに辿りつき、青春時代のように再び文通、と言うか、メール交換が開始されたのは、音信不通以来40数年も経てからです。

「アイです。幽霊ではありません」の件名に心臓がバクつき、目を一杯に開き受信箱に書かれたその名前を食い入るように見つめたものです。

帰国時に再会することになっていたのですが、アイ君から、「浦島太郎の玉手箱、この花序をお返ししましょう」と手渡された冊子を目にして、ん?と見たことがあるようなないような、それを見ても最初はピンとこなかったのでありました。 トホホ^^;

16歳のわたしはこの一冊をわたしはアイ君に郵送したようです。記憶力がいいと自負しているわたしですが、高校時代までの弘前での記憶は朦朧としています。楽しいこともあるにはあったが、辛いことが多かった青春時代でもありました。どこかで、「えぇい、忘れてしまえぃ!」という声が未だ聞こえているところがあります。

アイ君から受け取ってからもすぐにわたしはそれを開くことをしませんでした。表紙は覚えていないけれど、自分のいくつかの詩と随想が載っているのは知っていました。わたしが詩作をしているということを知った古文の先生から、習作帳を見せてくれと言われ、その中から彼が2編ほど選択し随想は原稿依頼を受けたと思います。

50年近くも経って青春時代のセンチメンタルな作品をここで目にするなど思いもしなかったのです。なんだか怖いような恥ずかしいような、そんな気がして、アイ君から受け取った「花序」をわたしはそそくさにポルトガル向けの船便の箱にしまいこみました。それが、3ヵ月後、手元に届いたのです。

今日は少し、その「花序」に沿った昭和38年の我が母校「弘前南高校」を古い写真と共に少し紹介させてください。

「花序(複数の花が集団をなしているものを花序という)」の名称ついて、今は亡き小野正文初代学校長が書いています。

「花は美しいものの代表選手である。いかにも自由に咲きほこる。しかし、それはやがて実を結ぶための準備の時期である。そのためであろう、花は軸にしたがって秩序正しく配列されている。花の美しさは、咲き乱れているようでも、順序良く並んで、天の摂理にしたがっていること、言うならば、自由と規律の調和、解放と緊張の結合にこそ、その秘密があるのではなかろうか。」
小野正文氏は東京帝国大学(現在の東京大学)法学部卒業、太宰治の研究家として知られる教育者でした。

第一回生のわたしたちの学び舎の初年度はここでした^^この頃は舟木一夫の「高校三年生」が流行していました。この歌を耳にするときまってこの校舎が浮かんできます。

弘前南高校花序

古い木造建ての仮校舎です。1年間、ここで学びました。新校舎よりもなんぼかたくさんの思い出がつまっています。同窓生の一人、津軽弁でおしゃべりコンサートをすることで知られる「いなかっぺい」さんは会誌の詩「春ど夏ど秋ど冬」の中でこのように詠っています。

春は桜が咲き乱れ
少し校庭ガチャメグけれど(校庭が少しグチャグチャになるが)
長靴はげば いいでばな(長靴はけばいいんだよ)

夏だきゃ講堂さ座っていでも
天井から青空みえるだぞ

秋は弁当持ってくな (弁当を持って来るな)
リンゴはあるし カギあるし(柿あるし)
カバンさ 胃薬入れで来い(カバンに胃薬入れて来い)
デリシャシあるどご 教えらね(デリシャスがあるとこ、教えるよ)

冬はわんつか さびばって(冬は少し寒いけど)
石炭ストーブあるでばな (石炭ストーブあるんだよ)
窓をしめでも 入てくる
カギをかげでも 入てくる
そったら雪だば めごいでば(そんな雪なら 可愛いというものだ)

詩の一部、拝借しました。かっぺいさん、当時から絵も文章もユーモアがあってピカいちでしたね。

弘前南高校花序
床に座ってみんな何をしてるかって?実験室なしの校舎、机もなく、これは生物解剖実習風景^^;廊下は歩けばギシギシと音とたててきしんでいたものです。

弘前南高校花序
体育祭でリレー。日の丸が掲揚。今の学校はどうでしょうか・・・わたしは体育祭とか修学旅行とか、こういう団体行動が苦手でした^^;

弘前南高校花序
年に一度のマラソン。男子10000m、女子5000m(と思う)。これはホントにきつかった。どうやってゴールインしたのか覚えてまへん

弘前南高校花序
雪に埋もれた冬の校舎。

校舎のすぐ側はりんご園でした。一度などは頻繁なりんごドロボー出現で、とうとう園主が学校に苦情を持ち込み、全校生徒が講堂に集合、学校長から説教を受けたものでした。かっぺいさんの詩に見られるように、君たち、やってたのねん^^;

「浦島太郎の玉手箱、開けたらたちまちおばあさんよ。」とアイ君に言い、開くのが怖くてそれでも「開かれるのを待っているよ」とでも言いたげな赤い表紙の誘惑に負け、おそるおそるページを開いてみたのでした。「生徒会設立準備委員会」「高校祭・音楽創作発表」、会誌の「編集あとがき」など、そこかしこに自分の名前が見られます。

「花序」はまぎれもないわたしの高校時代初期の記録であり、アイ君を経て半世紀もの旅をして元の持ち主のところに帰還しました。アイさん、50年以上もの長い間、持っていてくれて本当にありがとう。心から感謝を込めて。素晴らしい返還物です。

もしも、この記事を南校第一回生が目にすることがあり、もし「花序」が手元になかったとして、ご希望があれば是非ご一報ください。コピーしてさしあげます。また、その後「花序」第2号3号の発行はあったのか、ご存知の方がいれば、ご連絡いただけるととても嬉しいです。
註:その後、南高校後輩の方から、「花序」は今も年に1度発行されているとの連絡をいただきました。

本日はわたしのBack to the Highschoolってことでした。ん?わたしの詩は?エッセイは?いえいえ、気恥ずかしくてとてもとてもご案内できませんです^^;子供たちにもわたしが存命中は閲覧禁止ですわ(笑)

本日も読んでいただきありがとうございます。ではまた。
ランキングクリックでブログの応援、お願いできますか?
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年7月26日 

古い日記にこんなことを書いている。

―それにしても家の中の静かなこと・・・
モイケル娘、または息子がいる、寝ていると分かっての家の静寂と、もうおらんのだ、日本へ帰ったのだ、の静寂は大違い。

「お~い、いつまで寝とんのよ~」「ちょっとくらい部屋整理して!」
「整理のコツ!使ったものはすぐもとあった場所に戻す!」
「テーブルセッティング、早よ、せ~」(昔からこれは夫、もしくは子供たちのルーティーンであ~る)
「パソコン、まだか~」(夫のPCは重いので誰も使いたがらない。結局わたしが日常的に仕事で使用しているPCの取り合いになるのであ~る。

こんな取るに足らない小言を言う相手がいないというのは、ほんま、わびしい、寂しい^^;この寂しさは、4、5匹の愛猫相手で間に合うもんではありません。かつては5匹飼っていたんであります。

夕べから「あ~あ、つまんない」を連発して、夫に「だから言わんこっちゃない。日本に送り出すからだ」と言われては、表面は「フン!」、内面は「しゅん・・・」

お掃除のおばさんが来て、もぬけの殻になった娘や息子の部屋を見て、「あらら、もう日本へ行ってしまったのですね」の言葉には、おっかさん、うかつにも泣きだしそうになったりする^^;―

子どもたちが日本へ帰った後の抜け殻感にはどんなに月日が経っても慣れるものではありません。

さて、モイケル娘が一時帰国したある年の彼女の言葉で、印象深かったのがひとつありました。

「おっかさんと親父、性格の違いだけじゃなくて、文化の違いもあるんだねぇ。一緒に住んでいた時は気づかなかったけれど、数年ぶりに来て見て分かった。」

うほほほほ。あんた、ちょっとは大人になったじゃない(笑)惚れたはれたの間は見えないのだけれど、これが一緒に暮らすとなると、国籍の違う者同士、どうしても文化の衝突はある。

わたしたち、派手なやりあいはしないけれども、個人的な些細なことがきっかけで終いには、

「日本のこんなところは、よく目にしたよ。そういうところは、ああだらこうだら」
「なによ、ポルトガルだってこういうところがあるじゃない!」
と、日本対ポルトガルの国同士の言い合いに高じることは、時々ある(笑)

個人の趣向の違いももちろん、出てきます。例えば、音楽を聴くとき。わたしはボリュームを大きくして、音楽を満喫したい方。片や、夫は、かなり低いボリュームで聴きます。わたしから言わせると、「そんなんじゃ、その音楽のよさがわからんじゃん!」です。

息子や娘、友人たちが呆れる「バター戦争」もそうです。夫は固いバターを、うす~くナイフで抉り取り、パンにつける。片やわたしは、「それなら、冷蔵庫の外に出しておけばいいじゃない。固いバターは、バターそのものを食ってるみたいでイヤ!」(もちろん、夏は別です)

それで、どさくさにまぎれて外に出して置くと、「バターを冷蔵庫に入れておくべし」と、夫。
毎日食べるバターです、冷蔵庫外に置いたとて、夏は別にしてイタンデしまうところまで行く以前に食べてなくなってしまうのです。(←わたしの言い分)

要は、彼は固バタ党、わたしはソフトバタ党。んじゃ、今日からバターは二つにすれば?こっちの箱にはyukoと書いて置く。外だ、冷蔵庫に入れるなよ~。そっちの箱にはCarlos!これでどうよ!」とまぁ、こんな具合で(笑)

近年はこれにりんごも加わった。りんごの里弘前で育ったりんご娘のわたしは見た目でそのりんごが私好みかどうか大体わかる。

かじったときの固い歯ごたえが好きである。近頃はりんごの匂いがしないのが残念だ。と、言っても最近は歯がもろくなったので、さすがかつてしていたような、りんごそのものにかぶりつくことはしなくなった。が、夫が買ってくるりんごはいつも柔らかい。んもう、これ、りんごじゃないよ。煮るか焼くかしないと、とがっかりするのだ。

子供たちはそういう親のヘンチクリンなやりあいを見てきており、恐らく「なんでこうなるのか?」と思っていたことだろう。

育った国柄が違う夫婦がひとつ屋根の下で生活するとなれば、多かれ少なかれ大げさな文化の衝突はあるわけで、そのバックグラウンドの違いを越えて、ある程度譲り合わないとうまくやっていけない。

モイケル娘がそういうところに目が届くようになったのは、やは、日本の生活を通して自分も少なからず経験するところがあったからに違いない。息子も娘もちっとは大人になったと思った年であった。

我ら夫婦の些細な文化の衝突は同居生活40年以上経た今でも小憎らしく顔を出してくる。それを口に出すか飲み込むかは、その時の、多分わたしの虫の居所次第なのかも知れない。夫から言い出すことはあまりないのだから。はははは。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ランキングクリックで応援をお願いできますか?
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年7月25日 

ずっと意気消沈の日々でした。身内でもない政治家の死去にこんなに胸が痛み、写真を目にするたびに落涙しそうになるとは。安倍元首相も志半ばであったろうと思います。して見れば、ジャーナリストたちに騙られ表面上は無念の自死を遂げた中山昭一氏のことが思いだされます。今でもネットなどで写真に遭遇すると、さぞかし無念であったろうと思わず目頭が熱くなります。

今回の安倍元首相の件は海外メディアでは「assassinated」という言葉で報道されています。1963年11月にダラスで暗殺されたJFK とも重なり、今の世界情勢に胸騒ぎを覚えてしまいます。

たかが市井の一人である自分にできることはさほどないと悟っています。人生は続く。どんなに大きな衝撃を受けても少しずつ平常の生活に戻らなければなりません。2週間ほどブログの更新ができない状態で参りましたが、再開しようと思います。これまで通り、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、表題「今も昔も」。
先だって息子から「こんなのしてきた」と写真と共にメッセージが入った。連休に行ったらしい。

July16_1.jpg

荒川、長瀞(ながとろ)で急流を下るゴムボートクルージングだと言う。写真でみる川の流れはかなり荒れている。加えてこんな写真も送ってきた。

July16_1_2.jpg

これを見て即、息子の子どもの頃の印象深い写真を思いだし、危ないじゃないかと思う以前にぷっと吹き出してしまった。「ゴレンジャー!」とか、「イエローレンジャー!」とか言いもって飛び込んだのだろうか、まったくもう・・・・

dragonJoao_1.jpg

昔、家族旅行でアルガルブに滞在したときのだが、三つ子の魂百までとは言うたものだ。今も昔も変わらぬ息子の行動に、多少呆れると同時に、わたしの教育方針であった「家でも外でも同じくあれ」をここでも披露してるようで、この方針は成功したとみるべきか、失敗だったとみるべきか、ちょっと困ってしまう部分でもある。

日本の知人たちには、「J君、原始人みたいだね(ワイルドという意味だろうかw)」とよく言われる始末だ。ま、人様に迷惑だけは今のところかけていないようなので、これはヨシとすべしであろう。租にして野、が、卑にはなるなよ。

その息子が8月中旬、3年ぶりにポルトガルに帰省してくる。
本日も読んでいただきありがとうございます。ではまた。

ブログの応援、お願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
某月某日

アヴェイロ市の南にあるピラミッデス運河にかかる橋を渡ると、海岸通に並ぶストライプ、縞々模様の家並みが開ける。Ria(リア=河口)のこの一帯は19世紀に開発が始められ、Costa Nova(コスタ・ノヴァ。Costa=海岸 Nova=新しい)、正式には「Costa Nova do Prado」と呼ばれる。

何度か訪れており、人さまの家にカメラを向けるのはいかがなものかと思いながらも、可愛らしさについ。

costanova2014

costanova2014

縞模様はかつて漁師たちが魚を保存していた小屋の外塗りのデザインとしてよく使われたのだが、後にこの辺りの住居にも使われるようになり、現在にいたる。これらの家々は見せるために美しく演出しているきらいがあるというもの!そう考えて夫の「おいおい」とでも言いがちな顔を尻目にパチリパチリ写しました。

costanova2014

costanova2014

costanova3.jpg

costanova2014

costanova2014

土産物屋のおばさんに、どこのレストランがおいしいかと聞いて紹介された「Canastra do Fidalgo」と言う食事処。

costanova2014
レストランも青のストライプ模様です。

canastarafidalgo3.jpg
前菜の酢だこ。            

costanova2014

マッシュルーム入りのクリームソースがたっぷりかかった牛肉。そしてもちろんまずはビールで乾杯、その後赤ワインです。
このレストランのナプキンが面白かったです。 布のひとすみに穴が開いており、ボタンにかけるのだそうです。

canastrafidalgo5.jpg

ナプキンに描かれているのが「Canastra」、荒く編まれた大きく浅いかごのことです。「Fidalgo」は貴族の意味。

妹をモデルに^^ ナプキンはこんな風に使われます。
costanova2014
 
妹夫婦とここで昼食をとったのはもうかれこれ7、8年も前になるでしょうか。その彼らともコロナ禍で3年以上会っていません。なんだか日本がとても遠くなってしまった気がします。

こちらは、先だって義兄の80歳の誕生祝で、アベイルの姉も誘い我ら夫婦合わせて高齢者(笑)4人で行って来たコスタ・ノヴァのレストランでの一品、saldinhaことイワシの炭焼きです。

2020Costanova_1.jpg

一皿に12尾のせられていたのを、80歳と84歳の義兄、義姉二人でぺろりと食べてしまいました。いつも思うことですが、ポルトガル人の胃袋にはたちうちできないなぁ。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。



にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
某月某日

「Arco das Verdades」への道は、Séこと大寺院の左横の小さい通り(Rua Dom Hugo)を入ります。
この通り右手のGuerra Junqueiro博物館を通り過ぎると写真に見るように左に狭い石段の道があります。

ポルト
背後に見えるのは大寺院の一部。

石段の途中にある古い共同水道。
ポルト

そしてArco das Verdadesが目の前にありました。
ポルト

写真から分かるように家が門にしっかりくっついており、こういうのは許可がでてるのかなぁ、と思ったり。

一つ思ったことは、ここに住む人達、一歩家を出るとすぐ石段ですから、買い物にしろ仕事に行くにしろ、随分と運動になるなぁ、です。

小っちゃいじゃん?はい、小さい(笑) ↓下は門を通り抜け別の通りの石段から撮りました。
ポルト

この近辺は別にして、地元の人間が結構知らない「真実の門」ですが、んまぁ、朝から訪れて来るツーリストがたくさんいます。
ポルト

ポルト

Arco(アーチ型の門のこと)を見上げると、こんな具合ですから、ちょっと危ないなぁ、の感。何しろ14世紀に造られたのです。これまで数箇所が修繕されて来たでしょうが、そのうち工事が入って通行止めになる可能性もあります。

「真実の門」の歴史を紐解くと、大寺院一帯を包囲する「Cerca Velha(古い石塀の囲い)」の4つの門の一つだそうで、先に述べたように14世紀のことです。

面白いのは、「真実の門」は当初はアーチだったわけではなく、大寺院一帯と外界を行き来する門だったのですね。門は4つあったと言われますが、高い石塀の囲いをやがて市内を囲む大がかりな城壁が取って代わり、残ったのが「真実の門」だけになりました。 後に水道橋としても使われました。

この門についてもうひとつ面白いことを。
Arco das Verdades、つまり「真実の門」は最初、「Porta das Mentiras」、「嘘の門」と呼ばれていたとはこれいかに!嘘つきや泥棒がこの門をしょっちゅう出入りでもしていたのでしょうか。

こんな恥知らずな名前で呼ばれては住民が困る、とでも言うかのように、やがてこの門はいつ頃からか、「Porta de Nossa Senhora das Verdades(聖母マリアはいくつも呼び名を持っており、これもそのひとつ)」と呼ばれるようになり、今に至っています。

最後におまけ。ポルトガルの古い通りでは必ず見かけるネコ。この黒猫はわたしにまつわり付いてしばらく離れませんでした。
ポルト

本日も読んでいただきありがとうございます。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よろしかったらランキングクリックで応援をお願いできますか?
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
某月某日

ダウンタウンをポルトガル語では俗にBaixa(=バイシャ。下の意味)と言います。 そのダウンタウンの目抜き通りが歩行者天国のサンタ・カタリナ通り。わたしがポルトに来たばかりの40年ほど前は、ショッピングと言えばこのサンタ・カタリナ通りでした。

特にクリスマスの時期には人でごった返し、通りは身動きができないほどのにぎやかさでしたが、その後、郊外に、コンティネント、IKEAを始め大手のショッピングセンターが何軒も出現し、往年の賑やかさはなくなりましたが、ポルトは2014年に、ヨーロッパで一番訪れてみたい都市に選ばれるなど、ここ数年、観光客がうなぎのぼりに増えています。サンタ・カタリナ通りには、ブティックが軒を並べている中、古い歴史を持つハイライトも幾つかあります。そのひとつが、Capela das Almas(カペラ・ダス・アルマス。Capela=礼拝堂 almas=魂、精神)です。

capela das almas
capela das almas

18世紀初期に建てられた小さな礼拝堂ですが、外部を覆うAzulejo(=アズレージュ。青タイル絵)が完成したのは20世紀に入った1929年。総数15947枚のアズレージュが語るは、サンタ(聖女)・カタリナとアッシジのサン・フランシスコです。
 
capela das almas
capela das almas

capela das almascapela das almas

さて、聖女カタリナとは?と、わたしはこういうことにすぐ興味をそそられるのです。カトリック信者が多い国には、聖人聖女がたくさんおり、これらの名前と伝説を整理して覚えるのは生半可なことではありませんが、それを知らずしてこのアズレージュを見てなんとしよう!というので、以下。

サンタ・カタリナとは?

聖人、聖女の名はあまたあり、国によっては同じ聖人聖女なので呼び方も違います。わたし自身はカトリック信者ではありませんが、現代に残る気になる名前の由来をたずねるのが好きで、よく調べます。さて、サンタ(聖)・カタリナですが、どうも二人いるようです。

その一人は、アレキサンドリアの聖女カタリナ、もうひとりがイタリア、トスカーナ地方、シエナの聖女カタリナです。二人の物語は一部似通ったところもあり、混乱を招くようです。

アレキサンドリアのカタリナは名家に生まれ、高い教育を受けました。才女と美貌の誉れ高く、皇帝からの改宗命令を拒み投獄されます。車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問が命じられますが、カタリナが車輪に手を触れると車輪はひとりでに壊れてしまったがため、斬首、19歳で殉教しています。サンタ・カタリナのシンボルは、壊れた車輪、足元の王冠、剣、本、異教の哲学者と論争する女性、などなど。

この伝説は、場所がアレキサンドリアということ、才女と美貌の誉れが高い、ということ、惨殺されたという点から、わたしは、4世紀のアレキサンドリアの数学者、天動説に疑問をいだいた天文学者であり、新プラトン主義哲学者でもあった女性「ヒュパティア(Hypatia)」をキリスト教徒のサンタ・カタリナとしてすり替えたのではないかと思ったりします。キリスト教には異教の行事がたくさん取り入れられて今日に至っているわけですからね。

ヒュパティアが生きていたアレキサンドリアの時代、分裂していた東西ローマ帝国を統一して治めたローマ帝国皇帝テオドシウス1世はキリスト教徒であった。哲学学校の校長であり、学術的、科学的な哲学を持つヒュパティアはキリスト教徒からすると、異端とみられていた。皇帝の異端迫害方針により、エジプトの非キリスト教宗教施設や神殿、有名なアレキサンドリア図書館と共にヒュパティアの学校も破壊され、彼女は修道士たちに惨殺される。これにより、多くの学者たちがアレキサンドリアを後にする。これが学問が繁栄していたアレキサンドリアの凋落となったのである。

ヒュパティアについては、2009年カンヌ映画祭で受賞した「Agora」(芳名:アレキサンドリア)があります。タイトル「Agora」についても、知ってみるとなかなか面白いですぞ。 「アゴーラ」と読み、語源はギリシャ語。古代ギリシャの政治的人民集会や、その広場の意味になりますが、スペイン語では「予言する」の動詞、さらにポルトガル語の「Agora」は「今、現在」の意味です。なんとも意味深なタイトルではありませんか。 下記、予告編です。



あだし事はさておき、さて、もう一人、シエナのカタリナは14世紀の人で幼児期から幻視体験を持つといわれ、長じてドミニク修道女となります。興味のある方は検索してみてください。

で、件のアズレージュ絵は下図のシンボルから、アレキサンドリアのサンタ・カタリナと判断します。

capela das almas
シンボルの剣と本をもっている。      

capela das almas
こちらは異教の哲学者との論争場面と推察。

真実を求め、科学的な結果による持論を他者に広げられるヒュパティアのような女性が遥か遠くの歴史の中にいたことに大いなる賛美を惜しみまずにおられません。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年7月10日 

安倍晋三総理ご逝去に言葉がありません。しばらくブログは過去記事投稿か休むことになると思います。申し訳ございません。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年7月4日 

今朝はいつもより早めに目が覚めて7時少し前に散歩に出た。まだ誰も歩いていないいつもの散歩道をとっとっとと歩いていると、ふと空の景色に目を引かれた。羊雲を抱え込んだの朝の夏空だ。こんな空を遠い昔に見たことがあるな。中学生の頃だろか、と思いを巡らしながらカメラに収めて見た。

June-sora1.jpg

何気なく後ろを振り向くと、旭日が放射線の光を放って私の背中を照らしていた。
june-asahi2_1.jpg

早起きは三文の徳というが、何だかいい拾い物をしたような気分だった。

羊雲と言えば、向田邦子の「空の羊」という古いドラマを思い出す。わたしは向田邦子の文体が好きなのと、彼女が描く昭和初期の時代がわたしの子どものころの記憶と重なる部分があって懐かしく、彼女の短編集を手にして以来のファンである。彼女が1981年に台湾の飛行機墜落事故で亡くなっているのは残念だ。

ドラマ「空の羊」では、三人姉妹の吃音性の三女が、詩の朗読の練習をしている場面がある。それが「空の羊」と言う詩なのだが、朗読を耳にした時、「あれ?この詩、西城八十の詩風みたいだなぁ」と思い、調べてみると、なんと!ズバリだった。

「空の羊」  西城八十

黄金(きん)の小鈴を頸(くび)にさげ
唖の羊は群れ過ぐる。

昨日も今日も夕月の
さむきひかりの丘の上。

ありし日君とうち仰ぎ
青き花のみ咲きみちし、

空はろばろとわかれては
悲しき姿(かげ)のゆきかよふ。

ちぎれて消ゆる雲なれば
また逢ふ牧は知らねども、
こよひも寂し鈴鳴らし
空の羊ぞ 群れ過ぐる。


七語調の律を持つ日本の詩は美しい。西城八十の詩については、もうひとつ、記憶している詩がある。文庫本宮部みゆきの「R.P.G.(Roll Play Game)」の最後の場面で詠まれるのだが、その場面を抜粋してみよう。以下、引用。

取調室の床いっぱいに落ちた、無数の羽根のような感情の残滓。一美(かずみ)の掌から舞い上がった心の断片。嘘と真実。武上の目の裏で、そのイメージが、頼りない蝶の羽ばたきと重なった。寄る辺なく孤独で、真っ白で。
「やがて地獄へ下るとき・・・」わずかに抑揚をつけて、呟くように徳永が言った。
「そこに待つ父母や友人に、私は何を持っていこう」
「何を持っていくんだ?」
「え?確か・・・・」徳永は考えた。「あおざめ破れた蝶の死骸・・・」


やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人にわたしは何を持って行こう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだろう。
そうして渡しながら言うだろう。
一生を
子供のように、 さみしく
これを追っていました、と。

父母や友人たちが待つ場所を「地獄」とうたうところに意外性があって、夢を追う人の一生の儚さ、淋しさが摘み取られる心に残った詩のひとつだ。西城八十にはこんな詩もある。小説「人間の証明」に出てくる「ぼくの帽子」だ。

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。


本やドラマ、映画の中で、自分が忘れかけていた詩に出会うのは嬉しいものだ。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年7月3日
 
コロナ禍に関してEUは入国条件をどんどん緩和しています。空港内また機内でもマスク着用義務は解除されているようです。ポルトガルでは7月1日付で、入国の際のワクチン接種証明書、PCR検査の陰性証明書も撤廃されました。これで海外からのツーリストたちも元のように入国が簡単になりました。

果たしてこれでいい目がでるのか否かは夏が終わってみないと分かりませんが、ヨーロッパも日本もどんな状態になっていのでしょうか。

さて、昨日の7月2日は日本に住む孫娘の空ちゃんの誕生日でした。が、可哀想なことに数日前から熱が下がらず保育園もずっと休んでいるとのこと。少しだけビデオで様子を見せてもらいましたが、お目目がとろんとしていていつもの小生意気な元気さがまるで見られませんでした。

それでも、手を叩いて「や~っちまった!」を披露してくれました(笑) どこでそんな言い回しを覚えたのかと我がモイケル娘に聞くと、どうやら自分が時々言っているようです。が、自分のとはイントネーションが違うのだとか。モイケルのは「やっちまった!」ソラ坊のは「や~っちまった」と「や」にアクセントがあるのだそうな。 

婿殿にソラ坊を預けて外出から帰宅したモイケル娘、ソラ坊の相手を交替したのだが、少し眠気に襲われて「5分だけ寝るね」と言うと、「ママ寝てばっかり!」ってぷんすか怒るのだとか(笑) モイケル曰く「 寝てばっかりとはなんじゃ〜〜」 そう言いながらも翌日には自分で「そら、5分だけ寝るね」と宣言したらしい(爆)驚く速さで言葉を吸収しているソラ坊であります。

5カ月の空ちゃんが、
2020_dec2_1_1.jpg

2歳。こんなに大きくなりました。

June26_2_2.jpg

ビデオチャットで会うたびにカードゲームをして覚えた、ママのマ、パパのパ、そしてソラのソ。
katakana1.jpg

遠い昔に、東京息子やモイケル娘にしたと同じようなことをしたくてむずむずしているばぁちゃんであります。孫の教育にはできるだけ口出ししないようにしてるのですが、ついつい(笑)

果たして今秋には会えるでしょうか。空ちゃんの相手をする体力があるうちに行かなきゃ!

本日は孫自慢になりました。
それではまた!

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
某月某日

夕方7時、晩御飯のため台所に立って野菜を刻んでいました。ポルトガルはただ今夏時間で、空がまだ真昼間のように明るい時間です。

かすかに猫の鳴き声を聞いたような気がして、慌てて我が家の猫の数を確認しました。全員います。なんだ、気のせいかと思い、再び台所であれこれしていると、やはり聞こえるのです、ねこの鳴き声が。

いったいどこからだろうかと、まず、台所のベランダから顔を出し、上を見上げると、ぎょえ~!子猫が上の階の洗濯物にぶら下がってるじゃん!

okyakusan5.jpg

写真はこの事件後に撮ったのですが、子猫は干してあるジーンズにぶら下がって必死に助けを求めた鳴いていたのです。「おーい、カルロスさん!てぇへんだぁ!」と、早めに帰宅していた夫を呼び、「見て見て!子猫が!」

下はコンクリのパテオですから、落ちたら小さい猫は恐らくひとたまりもないと思われ、慌てふためいてイスを持ち出してくるわたしに、「おい、これこそ今度は君が危ないよ」とたしなめられ。

そのうち、階下の住人も気付き、車庫の前のコンクリ庭に集まってきました。その間も子猫は必死に鳴いています。
咄嗟に夫は小さなカーペットを持ち出し、図のように三本連なる洗濯ロープの上に広げました。

okyakusan4.jpg

しかし、カーペットだけでは心もとない。そこで大急ぎで我が家の猫の寝カゴの小さいほうを持って来てカーペットの上に置き、夫はそれを手で押さえました。下では見上げているアパートの住人たちが「Coitadinho!(可哀相に)」を連発しています。

いよいよ、力尽きた子猫、ついに落ちました。しっかりポーンと寝カゴの真ん中に!夫からそれを受けとり、ひとまず安心してもらうためダッコしました。小さな心臓がドキドキしていましたが、やがて少し安心したのか、のどをゴロゴロ鳴らし始めました。下がその寝カゴとともに、すぐ我が家の台所に入った子猫です。

okyakusan3-1.jpg

律儀子猫で、まずは自分と同種のペトにご挨拶の様子(笑)

okyakusan1-1.jpg

ちゃんと相手をしてあげたのは、ペトだけで、我が家のほかの3匹は、チビの新参者はかなわん、とでも言うかの如く、そそくさとどこかへ姿を隠しました。

okyakusan2-1.jpg

我が家は2階のフラットなのですが、3階で子猫を買っているのをこのことで知りました。猫は身軽ですばしっこい動物です。何匹も飼ってきて、我が家の猫たちも一通り窓から落ちて慌てふためいた経験をしていますから、わたしは、ペットを飼っている時に気をつけるべきことの一つとして、窓を開け放して出かけないことを挙げます。

きっと子猫だから、まさか窓までよじ登るとは思いもしなかったのでしょう。夜、10時ごろ、我が家のチャイムが鳴り、若いお母さんと子どもが「すみません」と受け取りに来たときは、子猫ちゃん、我が家での冒険をさんざんして、ご飯も済み、猫ベッドで寝ていたのでした。 小さなお客さま、お帰りです。

上の階の人、子猫が必死にぶら下がった爪あとだらけのジーンズを手にし、がっかりしていることでしょう。
この落下した子猫が先日の一匹なのでありました。2018年のできごとです。

一件落着なり。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ