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2022年4月28日 

EUの欧州委員会ウルズラ・フォンデアライエン委員長は27日に、欧州での新型コロナウイルス感染状況が、緊急対応から持続可能なコロナ管理へと移行、パンデミックの新たな段階に入りつつあると述べ、危機的状況を脱したとの認識を声明しました。

イギリス、フランス、スペイン、ドイツ等、ヨーロッパはコロナウイルス感染対策の行動規制をほぼ撤廃し始めています。イギリスに至っては18日から水際対策を全てなくしたとのこと。ワクチンを接種していない人でも入国前や入国時の検査が必要ない、入国時のオンラインでの情報入力も不要、ヒースロー空港は16日からマスク着用義務がなくなったと聞きます。

これまでは、路上でのマスク義務はありませんでしたが、スーパー、ショッピングセンター、レストラン、カフェ等の閉鎖空間ではしなければならなかったポルトガルも、先週末4月22日から、ごく一部の公共施設を除いてマスク着用義務が解除されました。

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写真奥のフードコート部分はいっぱいの人であふれている

マスクを着用しなければならないのは、メトロ、バス等の公共交通機関内、病院等の医療機関、そして老人ホームなどです。老人ホームや入院患者面会時に要求されたワクチン証明書の提出もしなくても良いとなりました。

コロナ禍3年目の春にして人々はマスクからの解放感を味わっています。先週末のショッピングセンターでは恐らく8割がた、マスクなしでした。しかし、我ら夫婦のような高齢者はやはりマスクを着用しています。若い人たちの中にも一部そういう人がいます。

政府がマスク着用しなくてもいいと声明したからといって、コロナが消えたわけではありませんものね。その辺のところは各自が判断するのでいいと思います。

マスクの着用義務がなくなったことにより、日常生活が取り戻され、数カ月先どんな結果になるのだろうかという不安があります。場合によっては再び厳しい対策が発令されないとも限りませんが、経済打撃、行動制限に政府も国民ももううんざりなのでしょう。

手探りしながらも経済、生活の正常化を目指す欧米と対照的に、重症者よりも感染者の数を重視する日本は未だ、厳しい水際対策を続けています。1日当たりの入国者制限を1万人に引き上げたようですが、この数字はコロナ前の7%に過ぎないとのこと。日本は観光客の書き入れ時もこの鎖国状態で行くことになるのでしょうか。 「SAKOKU」と言う言葉がこんな形でこちらの人の口から耳にすることになるとは意外でした。

コロナ対策は杜撰なのもダメですが、あまりにも慎重しすぎるのも・・・と言いかけて、自分の用心ぶりがいかにも日本人的な事に気づき(笑)。言うのを控えることにいたします。

本日もお付き合いいただきありがとうございます。
ではまた。

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2022年4月25日 

宮沢賢治ではないが、「注文の多い料理店」ならず、本日は「注文の多いネコ」であります。
賢治の「注文の多い料理店」は、少し恐ろしくもある話だが、我が家のゴローネコのはその類ではない。

ポルトガルに来て間もなく44年目に入ろうか。この間飼った犬は2匹、ネコはと言うと両手の指では納まらない。これに家には入れなくとも毎晩せっせとエサを運んだ野良ネコちゃんたちもいれたら、いったい何匹の数に上るのか自分でも分からない。

庭つきの小さな借家に住んでいた頃は、近所の札付きネコまで我が家に顔を出す始末であった。わたしが追い払ったりしないのを猫たちは知っていたのだ。子供たちも母親の血を受け継ぎ動物好きだ。夫はと言えば、わたしに反対することはなかったが猫が大好きというわけではなかったはず。が、近頃はわたしに感化されてか、すっかりゴローネコに相好を崩している始末で、おかしいったらない。

庭付きの小さな借家から、終の棲家になるフラットの我が家に引っ越す頃には6匹の定住ネコがおり、一緒に連れてきた。4人の人間の数より猫の頭数の方が多かったわけで。

気位の高い真っ白ネコのタンポポちゃん、面倒見がいいボスネコのゴンタ君を始め、ネコもそれぞれいっぱいあってね、性格、好み、甘え方が違い、数が多いと人間の社会に似たようなものだと思わされたものだ。

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フラットに移ってきた20年ほど前には6匹いた猫たちも、老齢で順次にあちらの世界へ逝き、昨年の今頃逝った黒猫ぺトを最後に、一番若い、と言ってももう16歳なのだが、トラ猫のゴロー君一匹になってしまった。このゴローだが、実におしゃべりなのである。あたかも今では自分が一人っ子だということを知っているかのようだ。わたしたちが甘いのを見越して自分の欲しいものをゲットするまでニャニャニャンと鳴きやまない。数多く猫を飼ってきたがこんなしゃべり猫は初めてだ。

部屋を出たいからドアを開けろ、入りたいからドアを開けろ(オンライン授業中は困るのだ)と鳴く。 ある土曜日夕方、日本語教室の終わりに、いつもの通り「最後に、質問はありませんか」と生徒たちに聞くと、
「はい、あります」
「なんですか」
「せんせい、今日はネコ、一度も鳴きませんでしたね。どうしたんですか?」
と言う具合だ。

ガスストーブのまん前で暖を取るのにすっかり味をしめて、小寒いとこもストーブをつけろとうるさい。ストーブがついていないと、今度はベッドの電気毛布のスイッチを入れろと、わたしたちを部屋に誘う。食事時間はもちろんだが、朝、窓辺にやってくるスズメたちにパンくずをあげるのをうっかり忘れていたりすると、これまた窓辺に誘うのである。

ネコか、おまえ!と、召使の如く使われるのに、時にののしりたい衝動にかられたりする。そう言えばあったよねぇ、「Cats own us」って。We own casじゃないんだってさ(笑)だが、窓を開けてパンくずを置いた後のこんな姿を見ると、可哀想になったりする。すずめがパンを食べに来るのを待っているのだ。あのね、お前がそこにいたら、食べに来ないんだよ。

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16年前に拾われて以来今日まで、常に数匹の仲間と生活してきたので、寂しいのはないと思う。以前はこんな風にここにいたりはしなかったから。

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上、表通りに面したベランダのこの席は、大先輩猫ゴンタの特等席だった。わたしに拾われた頃、一番最初に痩せて小さかったゴローをネコ仲間に受け入れたのがボスネコのゴンタだった。ゴンタ亡きあと、この席を引き継いだのはゴローだ。この後ろ姿も心なし寂しそうに見える。

これまでは猫たちは台所の大きな猫かごの中で一緒に寝ていたのだが、一匹になって以来、よく鳴くもので、寝室に入れてみるのだが、これがまた他の猫たちと違って、ゴロゴロと喉を鳴らす音がうるさいのだ。夜中に何度も寝る場所を変えるし、その度に鳴かんでもええのに「ニャゴニャゴ」と言うもので、こちらは一晩中寝た気がしない。それを何度か試しているのだが、その度に寝不足の我らだ。黙って寝とけ~。

朝は起きたら起きたでその日の第一声、「飯くれ」「トイレ片付けろ(きれいにしないと入らない)」ニャニャニャンニャニャニャン。言われなくたってするんだよ。まったく、細かい注文の多いネコだ、と言いながらも、いいよ、16歳て人間で言えば80歳ほど、後どのくらいわたしたちの元にいてくれるか分からないと甘やかしている我らだ。

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若かった頃のゴローネコ

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2022年4月24日

孫のソラ坊が馬を見たいというので、我がモイケル娘夫婦は馬が見られる近郊に連れて行ったと言う。ソラちゃんがそこへ行くのは2度目で、しばらく前に行った時は、遠くから草原(くさはら)の馬を見ている分には興味津々と眺めていたらしいが、馬が側に来るとその大きさに圧倒されるのだろう、馬を見上げず視線をずっと地面に落としていたのだそうだ。

一度だけ乗馬体験をしたことがあるわたしは、「うんうん」とその話にうなづいたのであった。馬に乗っかろうとした時わたしは、まず、馬の背中の高さにうわ!と思った。手伝ってもらいやっと馬の背中に座れたのだが、地上からのあまりの高さに、ぎょえ!となり、できるものなら馬から降りてしまいたい気持ちになったのをかろうじて抑えたのではあった。

見に行ったついでに、ソラ坊をポニーに乗せてみようと思ったらしい。ところが、その結果がご覧の下の写真だ。大泣きしているところだそうだ。

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「お馬さん見る~」とは言うものの、近づくとダメなのだそうだ。分かるよ~、ソラ坊。ポニーと言えど2歳未満児のソラ坊にしてみたら、馬上からは驚異の高さになるものね。いつもは元気いっぱいの孫も、これには大泣きで抵抗したようだ。

実は我がモイケル娘、一時期ポルトで乗馬クラブに通っていたのである。我が一族には誰も馬に乗りたいなどと言い出した者がいないのだが、そういう分けでか、小学生だったモイケル娘が、ある日馬に乗りたいと言い出した。そこで、ポルト市内にある乗馬クラブに行かせてみることにした。

指導員に手綱を持ってもらいゆっくり歩くのから始まり、一人で馬に乗って歩けるようになるまでの最初のうちは、こちらものんびりと、彼女の楽しむのを見ていました。

が、初歩の練習を積み、やがてトロット(速歩)に入り、ギャロップという駆歩(馬が一歩ごとに足4本全部を地上から離して走る最も速い走法。)になると、もう、怖くて怖くて(って、なんでわたしが怖いねん?^^;)、いえ、娘の落馬が心配で心配で、練習馬場を見下すことができるカフェから見ているこちらは心臓バクバク。

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9、10歳のころのモイケル娘。乗馬の後、愛犬ポピーと。

本人はけろりとして馬場を出て、馬を厩に連れていっても、こちらは手に汗にぎったまま、緊張がほどけない(笑)顔もこわばっていた。

すると、娘、次はとんでもないことを言い出した。「障害飛越をやりたい」 えー!どっからそんな発想が出て来るのよ!しょ、障害レースってあぁた、昔、我がオヤジ殿がやっていたあれじゃん!と、もはや絶叫の心地だった。

鬼籍に入って30余年になるが、我がオヤジ殿は、その昔、岩手の地方競馬の騎手だったのである。日本に帰国したある日のこと、妹が嬉々として「面白い写真を見つけた」と持ち出して来古い写真の一枚にこんなのがある。

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右が親父殿。

私たち姉妹が一度も目にした記憶のない、オヤジ殿の馬上姿です(向かって右側)。レースで優勝したこともあると自慢話は聞かされていたものの、実は一度もその晴れ姿をわたしたちは見たことがない。見たのはと言えば、埴生の我が家には似つかわしくない立派な額に入った競馬服に身を包んで馬の手綱を引いて立つ優勝時の一枚の写真のみ。

その写真も、オヤジ殿の火の不始末から出た火事で焼けてしまい、残っていたこの写真は、どう言うわけか、今は亡くなった横浜のおばが保存していたのだった。

さて、モイケル娘はその後、どうしたかと言うと、その障害飛越とやらを始めたのであった。

当時まだ元気だった母に国際電話でそれを話したら、四人いる孫の内、モイケルはただ一人の孫娘です、即、「止めさせよ!落馬して怪我でもしたらどうする!馬はおどさま(オヤジ殿のことです)だけで十分である」とのたもうたのでした。我が親父殿の血が孫に出たでありましょうか、トホホ。

目をそむけたい気持ちを追い払い、馬場で障害物をジャンプするモイケル娘の姿を、しっかと見ることができず、怖くて見ていたのは馬場の土のみ。こちらは毎度生きた心地もなくひたすら、止めてくれることを願っていました。これは、ソラ坊が側に来た馬のあまりの大きさに見上げることができず、地面にずっと視線を落としていたのと同じ姿だと気づいた。

幸いにも何度か失敗して落馬の仕方も上手になったかと思ったころに止めてくれたので、ひそかに胸をなでおろしたわたしではあった。

東京の大学に入り、娘は再び乗馬を始めたいと言って来たののだが、乗馬どころか数年間は彼女の大学生生活のための厳しい送金が待ち構えており、済まぬとは思いながらも聞こえぬふり素知らぬふりしていたおっかさんであった。しかし、いつの間にか日本でサラブレットに乗ってみたという白状には驚いた。

ついでにわたしの乗馬体験も。

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写真は後年、ポルトの修学旅行時に乗馬を楽しんだときのスナップ。

修学旅行で生徒たちには全員強制的に乗馬体験を。しかし先生方のダレもが乗らず。こういうときの役どころはいつもわたしだったっけ(笑) 生徒たちの手前、がんばって乗ってみたが、見た目と自分が乗った時との高度感覚の差で、正直大いにビビッた。馬場を一周し終えるまでの長かったこと!乗馬はこれが最初で最後となった具合である。

モイケル娘よ、次回はお主のカッコいい馬上姿をソラちゃんに見せてあげるのはどう?それで、いっしょに馬に乗ってみるという手があるぞ^^

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2022年4月22日 

「弘前、着いた?」とメッセージを送ったら、「うん、今、銀杏の大木のところ。桜満開、花筏も少し。」と、妹から返事が来た。22日の早朝に車で所沢を出発し午後には着いたであろう、ちょうど夜桜を見ていたところだと思われる。

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花筏。桜は散って後も美しい。Wikiより

本当ならわたしも一緒に行っていたはずなのだ。これまで何度か桜の季節を狙って帰国帰郷してみたのだが、人間の都合に合わせて咲いてくれるわけではない。高校を卒業し故郷を後にして以来、弘前の桜は1度見ただけだ。

母国を離れて25年ほども経った頃から無性に故郷の桜が恋しくなったのだ。子供の頃は公園からさほど遠くない所で育ったので、桜の季節の思い出は多い。高校時代もよく一人で公園を散策したものだ。帰郷するたびに集まってくれる同窓生たちもいる。思い出を語り合える人がいるからこそふるさと、と誰かが言っていたが、それを実感する年齢に到達した。

今回はコロナ禍とロシアのウクライナ侵攻で帰国を見送ることになったが、来年もう一度桜の季節にと考えている。

丁度、今頃、桜の季節に因んだ我が子供の頃の、妹ともよく話に出る思い出を再掲したい。以下。

「鬼さんこちら、手のなる方へ」

酒癖の悪い父のていたらくを見ては思ったものである。自分は飲む人になるまい。酒を飲む人を生涯の相手には絶対選ぶまいと。

しかし、人間というものは年月を経てコロッと考えが変わったりする。わたしもその例にもれず、二十歳ころから飲み始めたお酒歴は恥ずかしいながら、ちょっと自慢できるかもしれない。

日本酒、ひれ酒から始まって、ストレートウイスキー、カクテル、アブサン、ブランディ、カルヴァドス、シュタインヘイガーシュナップス、そして最後に辿りついたのが、生ビールだ。

シュタインヘイガーシュナップスはドイツの焼酎とでも言えばいいのだろうか、男性的なお酒だ。わたしがバイトの歌姫として歌っていたアサヒ・ビアハウスで時々味わった。これはビールの合間に飲むのであって、凍らんばかりに冷えて氷霜で真っ白になった陶器のボトルから、ぐい飲み盃くらいの大きさの小さなグラスに注いで一気に飲む。胃がクァー!と熱くなるくらいに強い!それもそのはず、アルコール度数は40度なのだから。

カルヴァドスは我が日記でしつこく何度も出てくる思い出の酒である。フランスのブランデー、りんご酒で、「Pomme d‘Eve、イヴの林檎」と言われるそうだ。

レマルクの書いた本、「凱旋門」に度々出てくるお酒の名前だ。「凱旋門」は、ドイツの強制収容所から脱走してフランスに不法入国し、その練達の腕を見込まれ、闇の手術を請け負って不安な生活を送っている医師ラヴィックと、失意に生きる端役の女優ジョアンを中心に、第二次世界大戦中のパリを描いた物語だ。

この本を読んでカルヴァドスというお酒があるのを初めて知った。そして、一度は口にしてみたいと望んだものの、それが国内では不可能と分かり、ある日、仕事でパリへ寄ると言う勤め先の本社の上司に無理矢理頼み込んで、買って来てもらったのが始まりであった。

その後、海外に出る機会があるたびに、上司は土産にと持ってきてくれたものだ。この上司は、当時社員として初めてイギリス語学留学のため、一ヶ月の休暇を申し出たわたしに、その許可が出されるようにと色々アドヴァイスをくれた人でもある。カルヴァドスは甘酸っぱい林檎の強い香りとともに、わたしには苦い恋の味もしたお酒である。

わたしが幾つの時なのだろう。覚えていないのだが、小学校にあがった頃ではないかと思う。当時、父は岩手の競馬場で走っていた頃で、母とわたしと妹の母子3人は弘前の下町にある祖母の家にたくさんのおじおば、その家族たち12人ほどと同居していた。裕福ではなかったが、その日その日の食うことだけはなんとか困らないで生きれた頃だった。

4月の終わりから5月初めにかけての、弘前の「観桜会(かんおうかい)」、今で言う「さくら祭り」の頃である。祖母はその頃、観桜会の期間だけ公園内で蕎麦屋の屋台を出しており、母を含めた他の大人たちも、それぞれに仕事をもっていて外へ出ていた。その日はわたしの従兄弟にあたる他の子供達も家におらず、わたしと妹だけだった。

ふと水が飲みたくなったのだが、当時の田舎にはまだ水道というものが通っていなかった。台所の水場には長い取っ手を上下に動かして水を汲みあげるポンプがあった。まだ小さいわたしと妹の力では水を汲み上げることができなかったのであろうか、わたしたちは家の中のどこかに水はないかと、探し回った。

と、「あった、あった!」机の上の高い棚の上に、瓶に入ったきれいな水を見つけたのだ。妹と二人で頭を使い、机の上に椅子まで乗せてやっと手が届き、一息にグーッと飲み干したその水・・・・その後のことをわたしは全く記憶していないのである。

結論を言えば、水と思って飲み干した瓶の中身は、実は日本酒だったのだ。外へ出て、自分と同じ年頃の近所の子供達を追い回し、「鬼さんこちら、手のなる方へ!」と囃し立てられ、フラフラ千鳥足でふらついていたわたしを見つけ、自分の家に運び込んで医者を呼んだのは、はす向かいの畳屋のおばあちゃんだそうだ。

わたしは「急性アルコール中毒症」で危うく命を落とすとこだった。かすかに記憶にあるのは、明るい日差しを浴びた縁側のある広い畳の部屋で、自分が布団の上に寝かされて、冷たい手ぬぐいを額に当ててくれている畳屋のおばあちゃんが、ぼんやり見えたことだけである。後はなにも覚えていない。

後年、時計屋をしていた人のいい叔父が、保証人として判子を押した相手が夜逃げしてしまい、その負債のため祖母は下町の家を売り払わなければならなくなり、わたしたち大家族は以後ちりぢりになった。
少し大きくなってから時々下町を訪れると、わたしは決まって畳屋のおばあちゃんや近所の人たちから言われたものだ。「あの時の酔っ払ったゆーこちゃんがねぇ~」

「自分は酒飲みにはなるまい」とはよく言ったものだ。6、7歳にして既にわたしは酒飲みの洗礼済みであった。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
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2022年4月22日

「断捨離」なる三字熟語のこの字から「思い切って物を捨てることだろう」と想像していたが検索してみると、「断捨離とは、断行、捨行、離行というヨガの行法であり、人生や日常生活に不必要なものを断ち、捨てることで物への執着から開放され、人生に調和をもたらそうとする生き方」を言うのだそうだ。なるほど、単なる整理整頓とは一線をひくということである。

しばらく前からそろそろ我が家のガラクタの類を処分しようと思い、暇を見て整理しては人にあげたり捨てたりしているのだが、当時起こした小火(ぼや)で、我が家に半年ほど同居していた義兄が、家もやっと修繕できところで整理を思ったのであろうか、家の屋根裏部屋の整理をし始めたときのことだ。

母親が生きていたころは彼女に会いに、その母親が亡くなり、次はその家にひとり住んでいる兄の話し相手にと、毎晩食後そちらへ出かけるのが習慣の夫だが、ある夜、中サイズのなにやら古びた箱とプラスティック袋を手に提げて帰ってきた。「兄貴がこんなのを屋根裏部屋で見つけたよ。」と言う。

箱を開けてわたしは思わず「うわ~!」と声をあげずにはいられなかった。目の前に姿を現したのは我が東京息子の赤ん坊時代から幼児期にかけての玩具であった。
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懐かしさに、授業準備をしていた手も止めて、ひとつひとつ箱から取り出し、手に持っては眺めたわたしだった。特に記憶に残っているのはケロヨン人形と、息子を風呂に入れる時、毎回風呂場の水槽に浮かべた黄色いアヒルのゴム人形だ。息子のお気に入りで、キャッキャ喜んでは風呂に入っていた遠い昔の息子が思い出された。

こんなものを屋根裏部屋に保存していたことすらとっくの昔に忘れてしまっていた。目の前で突然タイムカプセルが開けられたような思いだ。この中のひとつでも息子の記憶に残っているものがあるだろうか。

モイケル娘が生まれるまでの6年間をわたしたちは夫の母の家に同居していたのだが、嫁姑事情はポルトガルと言えども同じ。周囲に愚痴こそもらさなかったが(日本人がおらず愚痴をこぼそうにも相手がいなかったのではあった。笑)、こ6年間はわたしなりに大変だったものだ。息子の誕生はそんなわたしと義母や当時同居していた夫のおばたちとの潤滑油になっていたと思う。

不意に現われた息子の赤ん坊時代の玩具を目の前にして懐かしさと同時に「もう日本へ帰ろかな、帰るのよそうかな」と日々悶々としていた若かりし自分の姿が思い出されもした。

だが、振り返って見れば、義母たちと同居の6年間こそ実にわたしがポルトガル人の生活と言うのに直にふれた期間であった。たまの行き来だけでは分からないことが大いにあるのだ。

それらの経験も今になってみれば全てよし。思い立ったら一目散のイノシシの性格そのものだった自分に「辛抱」ということを知らしめてくれた貴重な時期であったと今は思える。

断捨離も家の中がすっきりしていいけれど、すっかり忘れていた思い出が古い物を通してこんな風にふいに蘇る時に出会うのもいいかも知れないなぁ。

開けたおもちゃの箱はあたかも竜宮から帰った浦島太郎の玉手箱のごとし。太郎が開けた玉手箱に見たのは、遥かな昔にまつわる、取り戻すにも取り戻し様がない時間だったのかも知れない。

「たちまち、太郎はおじいさん」と、ふとそんな歌が耳をかすったような気がしたが、なんの!とそれを振り払った。時の流れはそれなりに認めるが、まだ逝かないわよ!と、授業のやりかけのテキスト作りで再びpcに向かった。

本日も読んでいただきありがとうございます。
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2020年4月20日

コロナ禍以前は、Aveiroにある夫の姉宅に兄弟、家族が集ってPascoa(パスコア=イースターのポルトガル語。日本語では復活祭とも言いますね)を祝っていたのですが、一昨年昨年に引き続き、今年もなしでした。夫の姉の次男夫婦は北部にある大学の化学教授なのですが、大学では南米との交流があるとのこと。そのせいとは言い切れないのですが、二人とも同時にオミクロン感染で自粛。

今年のパスコアは集まる家族も多かったようですが、我が一族は今回も核家族ひっそりとしたパスコアでした。

さて、先週日曜日で過ぎてしまったのですが、今日はポルトガルでこの時期によく見かけられる「パォン・デ・ロ(pão de ló)」というケーキについて再掲します。

日本語の外来語には多くのポルトガル語が見られます。カルタ、メリヤス、ボタン、コップ、パン、カッパ、キャラメル、テンプラ、ビロード、タバコ、金平糖と身近にある言葉でもこんなにたくさん挙げることができます。

この中には、語源から離れてほとんど日本語として一人歩きし定着したものもあります。例えばメリヤスがそうです。メリヤスはmeiasが語源でmeia=靴下の複数です。当時の靴下のポルトガル語がそのままメリヤスという生地名になったのでしょうか。

テンプラは日本では揚げ物を意味しますが、ポルトガル語のtemperarは、肉をやいたり、魚を料理したりするときに、塩、胡椒、レモンなどで「下ごしらえをする」という意味です。

少し面白いところですと、京都の花街「先斗町=ぽんとちょう」はどうでしょう。この名の由来説は、オランダ語、ポルトガル語、英語が語源だと色々に別れていますが、ポルトガル語のponto(=地点、終わり)が有力説だそうです。

厚かましくわたしの説を述べますと、もしかしてポルトガル語の「ponte」(=橋)」は関係ないか?です。

先斗町の側あたりには鴨川に並行する形で高瀬川が流れており、三條小橋 、 大黒橋 、材木橋を始め小さな橋がたくさんかかっています。橋がたくさんある花街で「ポント町」、という意味も考えられるのではないでしょうか。

本題です。
南蛮菓子の「カステラ」がポルトガルから伝わったということは、あまねく知られるところです。フランシスコ・ザビエルを代表とするスペイン、ポルトガルの宣教師たちが日本にもたらしたと言われます。ところが、「カステラ」というお菓子、ケーキはポルトガルにないのです。こはいかに?

・ポルトガル語にあるcastelaは強いて言えば、ポルトガルが独立する以前のイベリア半島北部、今のスペインにあったカスティーリャ王国castelaを指します。カスティーリャ王国は、キリスト教徒によるレコンキスタ運動、つまり、イベリア半島をアラブ人からキリスト教徒の手に奪回する戦いを推し進める主導国であり、後のスペイン国の中心になりました。

子どもたちが小さい頃、家族旅行で、アルタミラ洞窟画を見るために、スペイン北部にあるカンタブリア海に面したサンタンデールへ行く途中で、カスティーリャ地方を通ったことがあります。

その時に一泊した小さな町の店先で見かけたケーキが、色は濃い黄色だったものの、形も長崎のカステラそっくりでした。その地方の名前からして、もしかしたら、これが日本でいうカステラの出所ではないか?と思ったものです。

・歴史を紐解けば、かつてはイベリア半島の南半分はイスラム教徒に支配されていました。ポルトガルも北部のギマラインスやポルトを中心とする「portucalense=ポルトカレンス」と呼ばれる伯爵領土にすぎない時代でした。

ポルトカレンスの貴族たちが、隣接する大国のレオン王国やカスティーリャ王国の姫君たちと政略結婚しないはずはありません。
カスティーリャ王国のお姫様がポルトカレンスに嫁いで来たときに、きっと料理やお菓子も一緒に持ち込んだことでしょう。カスティーリャのパン、pão de Castelaがやがて庶民の間の浸透し、形を変えて「パン・デ・ロ」のポルトガルのお菓子になり、定着した、という説。

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わたしが好きな日本のカステラによく似た、ポルトガル、アロウカ地方のパォン・デ・ロ。

・もうひとつの説は、日本に浸透しているものと形は違いますが、16世紀にポルトガル北部の修道院を発祥の地とする「パォン・デ・ロ(pão de ló)」というケーキです。

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パォン・デ・ロ。真ん中に穴が開いている。直径26cm、高さ6cm。直径40cmのも中にはある。

「パォン」はパン、「ロ」は柔らかい絹織物のことで、焼き上がりのふわふわした感じを薄い絹の布地に例えて名づけられたと言います。パォン・デ・ロは小麦粉と砂糖、卵のみで作られますが、日本人にこのケーキの作り方を教えるときに、「卵白をお城のように高く十分に泡立てる」という意味で使った「encastelar(エンカステラール)」が語源に因む説が有力です。

・もうひとつ、発祥がドイツ人の”Ló”という菓子屋が作ったという説です。

Lóという名前は、旧約聖書にも見られる名前「ロト」のドイツ語、ポルトガル語です。 ソドムとゴモラの町を神が滅ぼすときに、信心深いロトの家族に町をでるように、そして、決して後ろをふりむいてはならぬと伝えますが、ロトの妻は見たい欲望に逆らいきれず、とうとう後ろを振り向いたところが、一瞬にして塩の柱になったという有名な話がロトの物語です。

ドイツ系の貴族家系、ハプススブルグ家は16世紀には、強大な勢力を誇り、スペインを含むヨーロッパを手中に収め、皇帝の家系になりました。16世紀、ハプスブルグ家出身の神聖ローマ皇帝、カール5世は、スペイン国王カルロス1世です。「ドイツのロト」が作ったケーキは、ハプスブルグ家とともにスペインへ、ポルトガルへと渡ったといいうのはどうでしょう。

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17世紀の女流画家、ジョゼファ・デ・オビドスによって描かれた絵の中に四角いカステラが見られる。

パォン・デ・ロ(pão de ló)は、かつては貴族や裕福な宗教関係者が口にし、庶民はイースターやクリスマスにのみ食べた贅沢なお菓子でしたが、現在では多種多様、大衆的なケーキになり、年中ケーキ屋の店先でみられます。

また、ポルトのダウンタウンにはパォン・デ・ロ専門の老舗「Casa de Ló(カーザ・デ・ロ)」がありますが、そこではお茶、赤ワインとともにで店内でそれを食べることもできます。
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黄金の国ジパングを目指し、2年半の大航海を経て日本に渡来、秀吉も献上されたものを大いに喜んだとされるカステラ。ポルトガルからアフリカ、アジアへと通じた航路は、シルクロードを倣えば、さしずめ「カステラロード」と呼ぶことができますね。カステラロード航路に入る東南アジアでも、日本のカステラのようなパォン・デ・ロ(pão de ló)の変化したものが見られるような気がします。

本日もお付き合いいただきありがとうございます。

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2022年4月18日 

2020年の春以来、わたしたちの生活は変わった。会いたい時にはいつでも会えたはずが、行きたい時にいつでも行けたはずが、叶わなくなったのである。ロシアのウクライナ侵攻はわたしたちに更なる打撃を与え、便利だったヨーロッパ日本間、11~12時間の飛行時間も、ロシア上空を通過できないので飛行時間が40年前の昔にもどってしまった。

これらのことは何とか我慢できる。怖いのは、先日、とあるブログで目にした記事、世界の海に張り巡らされている海底ケーブルを、もしロシアが切断した場合、どんなことが起こるかと言う話だ。今ではわたしたちの日常生活に欠かせない通信手段が全て使用不可能になるのだそうだ。

海底ケーブルは世界に447本あり、このうちの10本を切断されるとヨーロッパでは通信不可になると言うのだ。ATMやネットも使用できなくなり、飛行機も離着陸できない。メールが来なくなりニュースも入らない。もしかして、船舶がなんとか動くとして、音沙汰を連絡し合う手紙も2か月3カ月かかる?

コロナ禍とロシアのウクライナ侵攻でそう簡単に帰国はできないが、それでも今はどうしてもという時の帰国の手段はある。が、海底ケーブルが切断されたら、子どもたち、孫、妹、友人たちにいつ会えるか全く分からなくなるということだ。日本の食べ物よりなによりそれが一番辛い。考えたらゾッとする話ではないか。

「待てば空路の日和あり」だ、がんばろ、なんて書いたのは数日前のことじゃん。あはは ウクライナのネット網を使えないようにしたプーチンのことだ、何をしでかすか分からんと、こんなことを考えては、また気持ちが揺らぐ自分にうんざりしているのだ。

わたしは毎朝、ネット上の新聞やブログを通して日本のニュースを見聞きしているのだが、その中にYAHOO!JAPANがあった。ネット新聞は肝心の読みたいニュースが有料だったりしてがっかりすることが多いのだが、YAHOO!JAPANは盛りだくさんのニュースで海外在住の日本人のニュースソースに役立って来たと思う。
それが、今月上旬を持ってヨーロッパからはアクセスできなくなってしまったのである。たったそれだけの不可なのに、随分と不便になってしまった感がある。

ましてケーブル切断でインターネットが全く使えなくなったとしたら、と想像するだに恐ろしい。

また、ポルトガルでは人々は現金を持ち歩かない。カフェを除いてはほとんどがカードでの支払いだ。夫にこの話をして、「あのね、万が一ATMやカードが使えないってことがあったりしたら大変だから、ある程度の現金を用意しておかない?」ともちかけたのだが、あははと笑ってお仕舞い・・・

いいのだ、あたしはちゃんとヘソクリで現金を隠し持ってるのだぞ、へへ。とはわたしの内心のつぶやきだ。我が東京息子は、友人が税金の支払いを溜めていたがため、ある日突然、口座が差し押さえられてカードが使えず手元に現金を置いていなかったので、えらい目にあったとのこと。息子が貸したお金でしばらくなんとかしたらしい。その話を聞いて以来、息子はある程度の現金を持って置くことにしたのだそうな。

本当は、コンピューターのなんたるかを知らずしてパソコンを使っているわたしなのだが、この歳になって便利さに振り回されているのが時に頭にくるのである。頭に来ながらも、傍に置いて行かれるのも癪なのであって、知らなければ心が乱されないのに、あちらこちらでニュースを拾っては、怖いかもなぁと今日もつぶやいているわたしだ。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。

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2022年4月16日 

今週はイースターウィークで、昨日の金曜日はポルトガルでは「Sexta Feira Santa(聖金曜日)」で休日だった。ダウンタウンに用事があり、昔から贔屓のレストラン「Buraco」で昼食をしがてら行って来た。が、目抜き通りサンタ・カタリナの人の多かったこと! ポルトガルもコロナ規制は緩みに緩んでこんな人出だった。

downtown_april_1.jpg

と、自分たちもこの中に入るのを忘れて行っているわけで(笑)

リスボン、ポルトを始めアルガルブ地方のホテルはイースター休暇のツーリストで100%満室だそうで、この2年間、観光施設は大きな経済打撃を受けてきたわけで、イースターから夏休み明けまでが書き入れ時になる。が、果たして喜んでばかりでいいのか、これが秋口にまた多数の感染者を出す結果にならないかとの危惧もあり、複雑な気持ちだ。

結局、わたしの今年の帰国は未定ではあるものの、今月22日から四日間の弘前でのホテル滞在は、わたしの分だけキャンセルしてもらい、妹夫婦だけが行くことになった。こういう状況下だから仕方ないよね、「待てば空路の日和あり」だと、海路をもじって冗談で気を紛らわしているのだが、内心はがっくりだ。

ま、いっか、仕方ないのだ、と言っていたところへ入ってきた電話連絡にぎょえ~。

毎週月曜日に我が家に来てくれているお掃除のおばさんから珍しく電話が入り、「陽性です。家族も含めオミクロンにかかった。自粛になるので来週はいけません」・・・・・

え~っとえっと、おばさん、この月曜日はマスクしてたっけか? 掃除している間に暑くなるのだろう、途中でマスクをはずし、そのまま最後までってことがよくあるのだ。わたしは彼女が押す玄関ベルを聞くなり、すぐマスクをして家の中に迎える。彼女が掃除している間は、お茶を用意してあげるとき以外は、5時の日本語授業まで極力リビングに詰めている。コロナ禍の元ではその方がお互いにとって安全だからだ。

しかし、話をすることもあるわけで、この月曜日は彼女の姪にと、買って置いた大きなイースターの卵チョコレートを手渡したので、その日の働いてもらったお金も手渡ししてるし、大丈夫か、わたし?

待てよ待てよ。帰国時に機内でマスクを付けっぱなしになるのだから、数時間継続でマスクをつけるって果たしてどんな感じなのかと、実験的にしてみたのは、確か月曜日だったと思う。 大丈夫かな・・・そうこうしているうちに、なんだか熱っぽくなってきた気がしたり、鼻水が出そうな気がしたり。なんかもう、すぐ暗示にかかりやすい性格なんです。あはは。

と言うのも、最近身近に陽性になったと聞く人が結構増えているからである。直接接触していないからいいものの、感染したくないと、手洗い、うがいをして気をつけていても、こんな風だと自分もいつオミクロン感染してもおかしくない。さぁ、日本へ出発だという段になって72時間前にPCR検査をしたら陽性だ、なんてこともありうる。

もうあれこれ迷うのを止めよう。行けそうだという時が来るまで、今できることを懸命にし体力をつけることに心を配る。待てば空路の日和あり、だ。

今日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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2022年4月13日 

桜への思い入れは、日本人独特のものだろう。そうして見ると、秋の紅葉や真っ白い雪の中に映える「寒椿」等にも、わたしたちは心惹かれるように思う。このような光景を思い浮かべるだけでもわたしの胸には美しき天然へのなんとも言われぬ懐かしさがこみ上げてくる。

詩人、大岡信さんが京都嵯峨野に住む染色家、志村ふくみさんのことをかつて綴っていた。美しい桜色に染まった糸で織ったその着物のピンクは、淡いようで、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでいながら深く落ち着いている色であった。その色に目と心を吸い込まれるように感じた詩人は、桜から取り出した色だという志村さんの言葉に、花びらを煮詰めて色を取り出したのだろうと思ったのだそうである。

しかし、それは、実際には、あの黒っぽいごつごつした桜の皮から取り出した色なのだった。しかも、一年中どの季節でもとれるわけではなく、桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると言う。

「春先、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿。花びらのピンクは幹のピンク、樹木のピンク、樹液のピンクであり、花びらはそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものに過ぎなかった」(要約)

この詩人は、「言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だと言ってもいい。これは言葉の世界での出来事と同じではないかという気がする」と言うのですが、わたしは詩人のエッセイにも、そして嵯峨野の染色家にも、いたく心惹かれて、ずっとこのエッセイに書かれてある言葉が心に残っている。

日本ほどではないが、ポルトの町にも、それなりの季節の移り変わりを見せてくれる景色はある。車を走らせながら、目前に広がる大きな並木道に 「あぁ、きれい。春やなぁ。秋やなぁ」と、思わずその移り変わる季節の匂いをかいでは心が揺れたりする。

とは言え、ひとひらの花びらを、一枚の紅葉を拾い上げて日記や本にに仕舞い込む、こんなことをする人は幾人いるだろう。ましてや異国に暮らして。

そんな時、わたしは自分の中の日本人という心がふと顔を出すように思う。密かに語りかけてくる自然の声が聞こえる気がするのだ。大自然が広がるアメリカやカナダにも、そういう人はいるだろうが、わたしのような極々一般の人間でも、日本人は自然に対する畏敬のような憧憬のような感覚を持っていると思う。
花を愛で、はらはらと散り逝く花の潔さと儚さに美学を見るのは日本人の特性なのだと異国に長年住んで思える。

我が故郷弘前公園の桜は18世紀の初期、津軽藩士が25本のカスミ桜の木を京都から取寄せて植えたのから始まるのだという。明治にはソメイヨシノが千本、更に千本植栽され、現在ではソメイヨシノを中心に、枝垂桜、八重桜の役50種類2500本の桜が春爛漫と公園に咲き乱れる。3000本の桜花の下を歩くなんて、なんと贅沢なことだろう。

これまで弘前の桜見たさに何度か春の帰郷を試みたが、満開の桜を見ることは叶わなかった。もう一度、もう一度、このさくら吹雪、花筏をこの目で見てみたいと夢見ている。日本の春は美しい。


高校時代一人でよく歩いた公園。本丸からは四季を通じて岩木山の見事な姿が見られる。

弘前2013_1
20113年。この年もまだ蕾であった。



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2022年4月11日

ハムレットじゃないが、決心がつかず迷っている。自分としては珍しいのだが、帰国の長旅に体力が耐えられるかというのがネックだ。

ロシアのウクライナ侵攻勃発以来、これまでフランクフルトから北回りで飛行していた便が南周りになってしまい、ポルトから出発すると飛行時間だけで行きは約16時間なる。

帰りはと言うと、これがわたしにとって問題で、羽田フランクフルト間がANAだと直行にならず、ウィーン経由となり17時間から19時間の飛行時間を要する。その後、ポルト行きに乗り換えるので、飛行時間だけで少なくとも20時間以上になる。

2時間前にはチェックインするので、それに乗り換え時間も加えると、24時間以上、マスクをすることになるのも、ぞっとする話ではないか。無事に日本に到着したとしても厳しいコロナ政策検査が待っていて、これまでのようにスイスイと税関を出られるわけではない。また、フライトが突然キャンセルされる可能性を考えると、気持ちが休まらないであろう。こうなると、今回は日本へ帰るのを我慢しようとの結論に至る。

が、オミクロン株の新系統が出てきているようだし、ウクライナ侵攻問題も長期に及ぶと推測される。今回帰国を諦めてもこの次の機会が今よりいい条件で来るとは限らない。やっぱり今できるうちに帰国した方がいいのじゃないか、と、毎日気持ちがメトロノームの如く変わり悶々としているのである。

ほんまにもう!どないしてくれるねん、プーチン! この2年間世界が自由に移動できないのいいことに、その間にひょっとしてウクライナ侵攻の悪事をせっせと計画していたんではないかとさえ、勘繰りたくなるのである。

本来のわたしの予定では、日本語教室を相棒のOちゃんに任せて、今頃とっくに日本におり懐石料理を~~と考えるだに悔しい話ではある(結局、食い意地が。笑)

妹が今年の3月末のわたしの帰国を予定して、1年前に弘前のホテルの予約をしてあったのも、ついにキャンセルすることになった。今年は弘前公園の桜が満開でありますように、もしくは、花が舞い散るのが見られますようにと、4日間のホテル滞在を予定していたのであった。

行きはよし。飛行機便の予定も出ていない2カ月先の帰りが怖いのである。モイケル娘曰く、なんだったら、コロナもウクライナ侵攻問題も落ち着くまで日本にいたら?ですと(笑)

仕事を引退していたらそれも悪くはないが、いつ収束するとも知れない二つの大事を目前にしていては、そう簡単に思いきれないのだ。だって、日本語教室を止めてしまってごらん?ポルトに帰って来て後、わたしは何をするのだ?日本語教室は頭がしっかりしている限り生涯続けるつもりでいるし、ひょっとして、それを続けることによって頭もしっかりし続けると思ったりする。

まぁ、いざとなったら日本からオンライン授業をする手もあるにはあるが、夫は、猫のゴローはどうするか?迷いは尽きない。最悪の場合、切符とパスポートさえあれば何とか帰国できた、そんな時代が再び来るのだろうか。今週はもう一度旅行社でフライトスケジュールと切符の値段を見て、帰国するか否かを決めるつもりなのだが。

本日はspacesisの愚痴でございました。
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2022年4月8日 

このところ、毎日のように朝早く我がモイケル娘と文字チャットしている。一歳8カ月の孫のソラちゃんが今月に入って保育園に行き始め、慣らし保育の期間なので、色々気になってしまうばぁちゃんである。

ソラちゃんが通う保育園は慣らし保育が最初の三日は1時間、次の段階は昼飯を入れて12時まで三日間、そして、3時、それから4時となるらしい。

我が子たちの幼児時代を振り返れば、わたしは専業主婦だったので子どもたちを保育園に預けた経験がなく、どんな風になっているのか気が気でならないのが正直なところだ。側にいて実際孫を見ることが出来ない分、その気持ちは大きいのかも知れない。
それで、ついつい文字で「お~い」とモイケル娘を捕まえては「今日の様子はどうだったの?」という具合だ。

さて、慣らし保育の第2段階に入ったその夜、発熱、くしゃみ、鼻水、咳に襲われ、その日はお休みし病院に連れて行ったという。送られてきたヨーグルトを食べている写真は、いつもの元気いっぱいのキリッとした顔つきが、どことのぉ、ほわ~んとしてほっぺたが赤かった。

第2段階に入った日に帰宅した後のビデオが送られてきたのだが、その時の会話;

保育園から帰って疲れたのかソラちゃんはだれれ~~ん。

モイケルママ:くつした、自分でぬいでくださ~い。
ソラ坊:とれな~い(だれ~んとフロアに寝っ転がって両足を上げたりしてる)
モイケルママ:自分でぬげるぅ?
ソラ坊:ぬげないの。あのねぇ、ソラ、ぬげないのねぇ。
モイケルママ:今日、保育園、楽しかった?
ソラ坊:たのしかった~ おともだちに アンパンマンかしてあげたのぉ
(向けにゴロゴロ寝っ転がっていたのが、腹ばいの姿勢になって)
    タ~ラ、タ~ラ、タララララ~ラと、アンパンマンの曲を歌い始める。

保育園で歌ったのだそうで、上下に軽く頭を振りながらなんどもこの箇所を歌う。
「タララララ~ラ」の箇所を早く歌えなくて、そこだけゆ~っくり舌足らず状態で歌ってる(笑)

モイケル娘がかなり音感がよかったので、彼女に似たかな?と思ったり(既に親バカの類ww)
この歌がとても気に入ったようだ。

してみたら14カ月で所沢の妹宅へ行った時、ズンチャッチャかけて、とQueenの「We will rock you」を甥に頼み、イントロのリズムに合わせ椅子の上にのり、体を揺り動かしながら手を打っていたのを思い出す。

一昨日のだれれ~んの様子を見て、行き慣れない場所で幼児なりに気をつかい疲れたんだろうなと思ったのだが、案の定の発熱であった。

今朝は熱もすっかり下がり元気だったので、園へ連れていったところが、保母さんと話ししている間、半べそだったそうだ。登園してきた同じグループの幼児が、そんなソラの頭をヨシヨシして行って笑ったとか。

結局、コロナ対策で熱が下がってから24時間は登園できないとのこと。
「じゃぁ、今日は買えるよ。先生にバイバイね」と言った瞬間、半べそ顔がケロッとして元気よく「バイバイ!」。

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今日の散歩先でねこちゃんを見つけたソラ↑
追いかけてます~↓

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モイケルママ保母さんのおうち保育園ですっかり活力を取り戻したソラちゃん、ビデオ会話で元気よく歌ってくれた。
♪あん・ぱん・アンパンマ~ン や~さしいきみは
 (あ、あ、アンパンマンを間違って覚えてるww が、はっきり、優しい君は、と聞き取れた)

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このはち切れんばかりの笑顔にいつ会えるだろうか。

これから1年は、俗に「病気の洗礼」と言われるのだそうだが、仕事を持つ母親もそのたびに保育園に呼び出されるわけです。モイケルママ、ソラちゃん、そして婿殿もがんばってね!

本日は孫自慢のspacesisでした。

では、みなさま、また。


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2022年4月4日 

ウッソ~と言われるやもしれません^^; 2020年初頭に始まったコロナ禍以来、夫以外の人とは外で会うことがなくなり、それがずっと今まで続いてきました。

なんとなれば、このまま子どもたちや孫に会わずして逝くわけには行かないと、ヤングオールド(それも今年はオールドオールドに突入するのだが^^;)と言えども一応高齢者に数えられる年齢なので、感染したらどうなるか分かりません。それを避けるために極力人と直接会うことを避けてきたです。

と、先週金曜日のこと、「国際会議でVigo(ポルトガルとスペインの北部国境)からC夫妻がくるから、土曜日の晩御飯を一緒にしないか?」と参りました。

土曜日は、朝10時から1時まで、そして間を置いて夕方6時から7時半とグループも3授業があり、一週間でわたしが一番忙しい日です。「ど、土曜日の夜?」とびびりました。スペイン人のC夫妻とは夫の病院時代からの付き合いですが、最後に会ったのはスペインの国境の町Tuiで、かれこれ6年ほども前のことです。

夫はわたしが色よい返事をしないのを予測し、Yukoは仕事が終わるのが7時半になるから、難しいかも知れないと言ったらしく、「なんとか説き伏せて連れてこい」と命じられたとは後で聞いた話です(笑)

感染者数も減少しコロナ制約は随分緩和されて、街も少しずつ活気を戻しつつありますし、今の飛行機の状態ではよほどでない限りなかなか帰国できそうもありません。これ以上の事故隔離は精神的によくないな、ギリギリまで考えて行くことに決めました。

お寿司が好きなご夫婦なので、日本食レストランへお連れしようと予約の電話を入れたところ、3月の初めころまでは予約が簡単に取れたはずなのにもう満席!なれば、ポルトガルレストラにと思い連絡をいれたものの、そこも予約不可でした。ぞろぞろと土曜日の夜を外で楽しむ人が増えたのでしょう。

そこで、はたと思いついたのがWorld of WineことWOW敷地内にあるレストランです。WOWは新しいスポットなので、レストランのみならずポルトの夜景も見てもらえるわけです。私たちも日中の景色は知っていますが夜景は初めてです。

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WOWからのポルト、火ともしごろ。

お連れした先はレストラン「T&C」。
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入り口

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こうして写真を見たら、カルロスさんよ、お互いに歳をとりましたな(笑)

C夫妻はわたしたちより若いので3人の子どもたちも一番下が14才。が、彼らの子どもたちの話やら、我が子たち、孫の話で盛り上がりました。

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WOW広場からの夜景

9時前の食事が終わって、ホテルまでお送りし帰宅したのは、うは!零時過ぎ。食事はともかく、頼んだ赤ワインも美味しくて、コロナ禍以来初めての楽しい夜遊びでした。

ガイアSerra do Pilar(セーラ・ド・ピラー)のイルミネーションが美しい
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WOW周辺の路地
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WOWについては次回改めてご案内します。

ではまた。

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2022年4月1日 

ほぼ3年近く勤務活動を中止してきた我がモイケル娘が、そろそろ社会復帰しようかと考えている。その第一歩が、自分の娘をどうするかであったのだが、今日から保育園へ通うというのだ。

孫のソラはこの7月始めにようやく2歳になるので、せめて3歳になるまでは自宅保育園、つまりモイケル娘に面倒をみてもらいたいと思っていたのだが、わたしのポルトガルでの子育て時代と、今の日本での子育てとは色々違うであろうから、あまり余計な口出しは祖母と言えどもしないように心がけている。と、思いながらも、娘夫婦が決める前には、あれやこれやともう言っていたのであったが。ははは。

ソラちゃん誕生以来、当たり前のことかも知れないが、ビデオを通したり話を聞いたりして思ったことは、我がモイケル娘、実によく子どもと向き合い世話をするだけではなく、しっかり相手をしてるなぁ、であった。手作りのおもちゃもそうだし、大き目の段ボール箱を使ったお店ごっこやおうちごっごなど、アパートの部屋はソラちゃんが中心のそれこそ、子ども館と言えようか。よく話しかけているせいか、孫の言葉も早く。おしゃべりも多いように思う。

「今からお風呂入るよ~」と言えば、「ソラはお留守番~」と返事するらしい。お風呂が嫌いなんですね(笑) しかし、お留守番とは(笑)

さて、今朝の登園を控えて今週はしょっちゅう保育園の前を通り、ここに来るんだよと何度も説明してきたらしい。本人は「ほいくえん、いく」と言っていたらしいが、果たして母親が預けるなりすぐ退散するとは思っていないだろう^^;

そんなわけで、おむつと着替え等が入ったバックパックを背負って、今朝は元気よく初登園。

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ところが保育園に着いて親とバイバ~イとなり、職員さんに抱っこしてもらって中に入る段になると、不安になったらしい。ソラちゃんの口から出た言葉が「ママ、たすけて~」(爆)

これは、しばらく前にテレビの幼児番組で「たすけて~」と言うのを見て、それを自分で真似したかったらしくも、ソファの下に潜り込んで「たすけて~」とやっていたビデオを目にしている。

ソラよ、今日の保育園での「たすけて~」はちょっと違うが、本当にいざという時には、しっかり大声で叫ぶんだよ、と内心話しかけたわたしであった。

子どもたちが園に少しずつ慣れるため、最初は1時間、そして3日おきに時間を増やしていくのだそうな。わずか1時間のことなのだが、幼児にすれば慣れない環境でそれなりに気をつかったり落ち着かなかったりしたのであろう、帰宅後、写真のごとくこんな格好のまま寝てしまったとのこと。 あららら(w)

Apr1_3_1.jpg

ソラちゃん、今日はおつかれさんだったね^^

お付き合いいただきありがとうございます。
ではまた。

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