fc2ブログ
2022年3月30日 

ポルトガルは先週末から夏時間に変わり、日本との時差は9時間から8時間になりました。夏時間に変わると2、3日は、あ、10時だけど冬時間の9時だと言うので、つい映画を見たりして夜更かしになります。

昨夜、晩御飯の後片付けも終わりソファに腰かけて見た映画でしたが、心に重くのしかかるような作品で、今朝もまだその気持ちを引きづっていました。
2020年に上映された「The Father」。認知症の兆しが見えはじめ、記憶が徐々に失われて行く高齢の父親をアンソニー・ホプキンスが演じて、アカデミー賞主演男優賞を獲得した作品です。

最初は場面の変化が謎めいていて少し混乱したのですが、実はこれは「認知症を患った人の頭の中の世界」を描いているのだと気づきます。過去と現在が入り混じり、記憶の断片が取り出され、時間の感覚も失われていく父親ですが、一人暮らしができると思っています。パリに住む娘のアンは看護人をつけるのですが、父親は看護人にあらぬ盗みの疑いをかけるもので(これも認知症にはよく起こりがちなことだという)、看護人はやめてしまいます。

パリからロンドンに一時的にもどり父親の世話をする娘のアン。記憶を喪失していく父に心を痛めながら、介護の問題に直面し、やがて認知症施設に預けパリへ戻って行きます。
施設の看護人相手に父親ことアンソニーのラストシーンの言葉です。

アンソニー:I feel I´m losing all my leaves.
看護人:What do you mean?
アンソニー:The branches, the wind and the rain. I don´t know what´s happening anymore. Do you know what´s happening? Who exactly am I?



認知症が進む人間の老い行く姿をラストに見たこの映画は辛かったです。そして亡くなった母のことを思い浮かべました。偶然にも、この映画の中では母が好きだった「真珠採りのタンゴ」が何度か流されていました。アンソニーがレコードを聴いているのですが、ビゼーのオペラ「真珠採り」のアリア「耳に残るは君の歌声」が「真珠採りのタンゴの」原作であることを知りました。


アルフレッド・ハウゼ、真珠採りのタンゴ


オペラ「真珠採り」より大瀧賢一郎氏 「耳に残るは君の歌声」

映画の主人公が81歳て言うと、後6年やなぁ、自分にこんなことが起こらないとは誰にも分からない。果たして何か準備の仕様があるのだろうか。なんだか悲しい気持ちがくすぶっており。気分を変えなくちゃ、とこんな日は久しぶりに我が家の小さなベランダの植物いじりです。

Mar_5.jpg

まだ気温が下がる日もあると言うのにブーゲンビリアの葉が色づき始めました。
Mar_3.jpg

台所横のベランダ
mar_1.jpg

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

下記、亡き母の思い出をつづっています。よろしかったらどうぞ。
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2590.html
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2020年3月28日 

夫と二人で毎日曜日の昼食を外でするようになってどのくらいだろうか。気に入った店の数軒は、日曜日閉店だったりコロナ禍で閉めてしまったりしたこの数年だ。

日曜日は夕方5時からオンラインでグループ日本語教室がある。それが終わるとすぐ晩御飯の準備にとりかかるので、せめて昼ご飯は作らずに済むようにと夫の気配りからなのだ。

が、残念なのは昼食時にアルコールが口にできない点だ。例えアルコール度数の少ないビールであっても、口にすると近頃はその後ほわ~んとなり、授業に気合を入れるのにどうもよろしくない。それで、水かアルコール抜きのビールである。とほほほ。

さて、日曜日こと、ダウンタウンのスペイン系タパスレス(https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1881.html)を目指したのだが行ってみたら休み。では他を当たろうとぶらりぶらり、人影の少ないダウンタウンを歩いていると、やや?「A Regaleira」が小ぎれいになって再び同じ場所にできているではないか?

「A Regaleira」は元祖フランスズィーニャのレストランで、2018年に閉店、その時に一度も足を運ばなかったことを悔いたのであった。そこで、「今日はここで!」と入った。

regaleira3.jpg

肝心のフランセズィーニャは夕方仕事がある身には胃に重い。前菜にエビのクリーム煮と Peixe de Horta(畑の魚)と呼ばれるサヤインゲンの天ぷら。(天ぷらがころもが多すぎと思われw)

restauranteregaleira2.jpg


メインディッシュはタコ。これもわたしの胃には結構重かった。
regaleira1.jpg


店内ではほとんどの人がフランセズィーニャを食べていた。

では、フランセズィーニャとは?以下。

ポルトを代表する伝統料理はと言えば、まずあげられるのが「Tripas(トゥリッパス)」、そして「Francezinha(フランセズィーニャ)」でしょう。息子も大好きで、ポルトに帰ってくると必ずフランスズィーニャを食べに行っていました。フランセズィーニャの本場はポルト。

YUKOfrancesinha
レストランYUKOのフランセズィーニャ
食パンの間には、ハム、ソーセージ、肉、チーズが挟まれており、その上にたっぷりのとろけたチーズがかけられています。中身はこういう具合い↓
YUKOfrancesinha

おいしいものをありったけ詰め込んだようなボリュームたっぷりの、言うなれば、特性サンドイッチです。
好きな人はこの上に更に目玉焼きを載せ、フライド・ポテトをつけます。ビール、ワインには最高!カロリーも最高のワッハッハ!フランスズィーニャのお値段の程は、7ユーロ(\1000ほど)。

さて、ポルトガルなのなぜ「フランセ」とつくのか、どなたも不思議に思うのではないでしょうか。そこで、今ではポルト料理を象徴し、世界でも十指に入るサンドイッチのひとつに数えられるフランセズィーニャのストーリーを紹介します。
元祖フランセズィーニャがメニューに載ったのは1952年、ポルトのRua do Bonjardim(ボンジャルディン通り)に開店したA Regaleira(ア・レガレイラ)レストランです。

ある年のこと、A Regaleiraレストランの店主は、フランスに立ち寄りホテルで一人のバーマンに出会います。今でもそうですが、よりよい生活を求めてポルトガルからフランスへと出稼ぎに出るポルトガル人はとても多く、彼もその一人でした。
このバーマンを見込み、店主はポルトの自分のレストランに誘います。Daniel Davide Silvaというこのバーマンがフランセズィーニャをつくった人なのです。

Daniel氏はレガレイラ・レストランで働き始め、フランスの「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」というサンドイッチにインスピレーションを得て、肉とポルトガルのハム、ソーセージをパンに挟み、独得のピリ辛ソースを発案し、店のメニューとして出します。
YUKOfrancesinha「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」Wikiより

さて、この名称ですが、Daniel Davide Silva氏、フランスではバスに乗っては、小奇麗でシックな服装のフランス女性を観察するのが好きだったとのこと。このソースを思いついたときに「フランス女性はエキサイティングである」との意味で「Francesinha(フランス女性)」とつけたとか。

YUKOfrancesinha
レストランYUKOのピリ辛ソース。好きなだけフランセズィーニャにかけて食べられます。
ピリ辛ソースをポルトガル語ではmolho picante(モーリュ・ピカンテ、molhoはソース、picanteはピリ辛)と言うのですが、picanteはそのまま「刺激的」と言う意味につながりますね。

フランセズィーニャはソースがポイントで、レストラン・レガレイラのソースのレシピは門外不出、金庫の中に保管されてあるとのこと。
わたしがポルトに嫁いできたのは1979年ですが、フランセズィーニャはレストラン・レガレイラで既に出されていたものの、名前すら耳にすることはありませんでした。フランセズィーニャを耳にしたのは、息子の口からでした。

ボリュームたっぷりのピリ辛フランスズィーニャは若い人に人気があり、一軒のレストランから口コミで広まったDaniel Davide Silvaのサンドイッチは、今ではポルト郷土料理「Tripas料理(トリッパス)」に継いで、ポルトを象徴する一品になりました。

ポルトガル国内の大きな都市ではメニューに見るでしょうが、食べるなら、やはり本場のポルト、それもできれば、フランスズィーニャが美味しいと評判の店をお勧めします。レストラン・ア・レガレイラは当然のこと、レストランYUKOもそのひとつです。

1934年に開店されたA Regaleiraは、80年以上の歴史をもつレストランです。古い街並みの良さが魅力のポルトですが、コロナ禍以前は、観光ブームにより、ホテル、カフェ、レストランの増設がさかんになり、古いものが姿を消していくのは、街の魅力を失うことにつながらないかとの心配が大きかったので、古きものを維持しながら街が発展する方策を是非探って欲しいと望んでいます。

新装「A Regaleira」
regaleira4.jpg


本日はこれにて。
ランキングクリックをしていただけると嬉しいです。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月25日

コロナやらウクライナの戦争やらで帰国できず、誕生して以来スカイプビデオでしか知らない孫娘は後一週間ほどで21カ月になります。

我が息子やモイケル娘はイヤイヤ期もあったかどうか覚えていないくらいで、それなりに多少のオイタはあったとしても、総合的に育てやすかったと記憶しているのですが、ソラちゃんはママが手こずりながらも楽しんでいるようです。

以下、今日はモイケル娘からの孫の話です。

先日のこと。
今日は大泣きしながらスーパーのフロアに寝っ転がって駄々をこねてた。レジの列に並んでいるのにプイと買い物かごを持ってどっかへ行こうとするから引き止めたら、うぎゃーー!店内にソラの泣き声が響き渡ってた。

これは、ポルトガルではよく見かける光景です。我がが子たちは家でも外でも一度もしたことがありませんが、こちらでは子供と言えど自己主張の強い子が多いんですね。わたしの故郷弘前では、これを「ゴンぼ掘り(ごぼう掘り=地中に埋まったごぼうを掘るのは骨の折れることから来ている)」と言います。

モイケル娘曰く、お店を出てからも地面に寝っ転がって「歩かない!」と言い張り、可愛かったわん(笑)。最後は泣き疲れたのか、ぼ~っと地面に座ってね。通りがかりのおばあちゃんに「泣かないでね~、かわいいお顔なんだから」と声かけられてた、と言う。

最近は自分で買い物かごを持ちたがるらしい。ママがするように自分でかごに欲しいものを入れてお買い物気分を味わいたかったのでしょうね(笑)

今の時期の口ぐせは、「だめっ」なんだそうな。 こっちの言うこともちゃんと聞かずに、とりあえずだめと言う。だから時々、自分のやりたい事でも「だめっ…あ、観る」となる(笑)

モイケル娘とビデオチャットをしながら、画面に映るソラちゃんの様子を見てると、よく動き回り、おもちゃ相手によくおしゃべりをしています。

幼児番組のラジオ体操を見て、パパもママも一緒にすると、自分はついて行けない。すると、寝っ転がって、「できないの、できないの」と言っておりました。で、寝ながらラジオ体操もどきをしているわけです(笑)

モイケル娘に言わせると、我が強いところは誰に似たんだろ。一筋縄ではいかんわい、ですと。
うふふ。自分たちは一筋縄で行ったと思ってるんでしょうなぁ(笑)この性格を上手にいい方向に向けてあげられたらいいなぁと、遠くから願っているのです。

いっちょ前に、こんなポーズを取ってます。
Mar5_2_2.jpg

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月21日  

いざという時にはいつでも日本へ旅立てるようにと、コロナ感染を避けるため念には念を入れて、我が日本語教室は相変わらずオンライン授業に徹しています。帰国できるよ!となった時に検査したら陽性だった~なんて、もうシャレにもなりませんからね。
 
が、オンライン授業ができないのがGG´s(70歳から87歳までの年配者たち4人)の個人授業です。2020年3月始めに借り教室でのグループ授業も自宅での個人授業も閉鎖して2年以上になります。

みなさん、PCは持っているのですが、せいぜいメールのやりとりに使ってるくらいなのでしょうか。オンライン授業はどうですか?と水を向けてみるのですが、GG´sたち、ぎょぎょぎょ!なんです。 かく言う教える側のわたしも年齢的に彼らの仲間に入るんですけどね(笑)

中で最年長(多分86歳にはなっている)のアルフレッドさんはポルトの自宅を捨て、山奥にある家に住んでいるがため、携帯電話で連絡がつくもののPCは置いていません。日中は自分の林や庭の手入れをし、雨天の時は読書と日本語の勉強に勤しむという晴耕雨読の生活で、まるでeremita(隠遁者)の如し。

これまでも、日本語授業がある日に車で山を下りて来ていたのです。彼は一人で住んでいるもので、人様のことながら少し気になるわたしは様子を見に時々電話を掛けてみます。昨日はそんな日でした。

お元気そうで、滅多に山を下りず、聞けば目下日本語の勉強としてはわたしと少し読みかけた吉川英治の「宮本武蔵」を読み続けているとのこと、わたしの日本行きが叶いポルトに帰って来、ココロナ禍がある程度落ち着いたら、まだ授業を再開しましょう。アルフレッドさん、それまでお元気でおられますようにと願っているのです。

アルフレッドさんについては拙ブログで何度か取り上げていますが、今日は2014年の過去記事から。この記事に彼を80歳と書いていますから、アルフレッドさん88歳になる?え~!!

以下。

日本語生徒と平家物語「扇の的」を読む (2014年9月)

個人授業の生徒さん、80歳、最高年齢の生徒さんのアルフレッドさんの話です。

彼の日本語学習暦はかれこれ17、8年になるでしょうか。自宅外でわたしが初めて教えた、とある小さな日本語教室で出会ったのが最初です。その時既に60歳を少し越えていました。1年少しほどして、その日本語教室は閉鎖に追いやられ、その後、アルフレッドさんは夫人と一緒に、ポルトの自宅をそのままにして、娘さん家族が住むドイツへ孫の世話の手伝いに引っ越して行きました。

引っ越した当時は、メールや葉書で連絡を取り合っていたのですがそのうちに音沙汰が途絶えてしまっていたところ、二年前のある土曜日に、日本語コースを開いていた市立図書館の教室にひょっこり顔を出したもので、ん、まぁ、驚いたこと!

その日の出会いは下記に。
「It´s been a long time」
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1282.html

聞けば夫人が亡くなり、半年くらいずつ、ドイツ、ポルトを行き来している現在とのこと、もう一度日本語を教えてもらいたいとの申し出でした。ドイツにいた数年間は、親切な日本人のご婦人に、その方は文法の説明はできないので、ドイツへ引っ越す際にわたしがお別れにとあげた日本の中学生の国語教科書を中心に、日本語の本を一緒に読んでいたのだそうです。

漢字検定試験は5級までパスしていますので、漢字の指導はしませんが、日本語中級の読解力テキストを中心に目下進めています。しかし、これだけでは飽きてくることもあり、間に時々、日本語での短編やエッセイを取りいれることにしています。

こういうときにわたしが取りあげるのは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、向田邦子の作品、太宰治の「走れメロス」、翻訳物になりますが、O.ヘンリーの「二十年後」などなどです。「蜘蛛の糸」などは仏教も関連してきますので、背景を説明するのにこちらもとても楽しい勉強になります。

少し、難しいかな?と思いながら今回取り上げたのが、中学2年生の国語教科書にある「平家物語:扇の的」です。

扇の的Ⅰ

この教科書には、かの有名な平家物語の冒頭部分、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」が、載せられていないので、それから始めました。

現代文と古文とを照らし合わせての源平合戦屋島の戦い、那須与一が小船に揺れる平家方の扇を見事、射落とす場面ですが、アルフレッドさん、教科書にある鎧兜の名称についても質問してくるものですから、わたしもネットを活用して当時の平家方の衣装や日本古来の色彩の呼び名の勉強をすることになり、さてもさてもいったい喜んでいるのは生徒か先生か、ではあるけれど、大いに楽し^^ 

扇の的2
ネットからのイラストも利用しました。

那須与一や平敦盛のエピソードは亡き母から昔話として小さい頃に聞かされていて記憶があるので、小難しい古文も何度も朗読して読み返しているうちに、なぁんとなく分かってきた、という高校時代のわたしではありました。

今回は教科書に載っている場面のみならず、那須与一のその後の説明を下のように試みてみました。

屋島のこの活躍にも拘わらず、与一は義経の手勢だったがため、合戦後、頼朝からの褒賞も少なく、頼朝の御家人だった梶原景時に、「忠義の侍とは、鎌倉殿のおんために射てこそ真の御家人。美しい女性が掲げた扇などを見世物のように射たとて、なんの自慢ぞ。武者の命を誰のものと思う。言語道断な」と、その誉れを罵倒されたとの話があります。与一はやがて出家し34歳で亡くなったとの説があります。

エピソード「扇の的」では、那須与一が、見事扇を射落とすところで終わるので、勢力を上げてきた源氏側の手柄話と捉えられがちですが、教科書にはできればこの余談についても触れられていればいいのになぁ、与一のこのオチはいかにも「諸行無常」「哀れ」を語るではないかと思われるのですが、いかに。

とは、読後感としてアルフレッドさんと語りあったのでした。


本日はこれにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月20日 

冬から春への季節の変わり目は時にグンと気温が下がったりするが、その寒い空気がかすかに春の気配を伝えてくれます。春到来を待ち焦がれる身には、寒さにブルブルッとくる感覚もいいなぁと思ってきたものですが、来る日も来る日ものどんより天気には辟易。

真っ青な空に木蓮の鮮やかなピンクや白が映える中、春の訪れに胸を膨らませて車を走らせる今頃であるのが、コロナに加えてロシアのウクライナ侵攻、ポルトガル南部の旱魃、サハラ砂漠の砂嵐が引き起こした大砂塵と、今年は異常なことが多く、3月も下旬に入るというのに、ベランダの花々も咲けや咲けの花の勢いが感じられません。

吉野山の桜を生涯愛してやまなかった西行は、

ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月のころ

と歌いましたが、詠んだ歌のように、桜咲く頃に入寂したといわれる。

北面の武士、佐藤義清(のりきよ)は23歳で出家し西行と名乗りました。裕福な家に生まれ幸福な家庭生活がありながら、何もかもかなぐり捨てて出家するに至ったその動機は今も謎です。

わたしは異国に住んで43年になりますが、春が来るたびに思い浮かべる花吹雪、落花、花いかだ、花衣、花冷などの桜に寄せた言葉を使えずにもてあましている我が才の無さよ。

せめてはと、花にまつわる短歌を探っては読んでいるポルトガルでの春です。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月17日

アフリカのサハラ砂漠で起こった巨大な砂嵐の影響で大砂塵がスペイン、ポルトガルに到達。

昨日は午前中の日本語クラスがキャンセルされ、週日パソコンに向かって週末にある4クラスの授業準備をしており、外へでていなかったので気づかなかったのですが、夕方台所に立ち、ふとそこのベランダから見上げた空が、こんな感じ。

poeira_da_africa.jpg

うわ!なにこれ?と思いカメラにおさめました。これがサハラ砂漠の巨大砂嵐でヨーロッパに到達している塵雲だと夜のニュースで知りました。春先に日本に飛来する黄砂のようなものでしょうね。昨日は雨がふったりやんだりの天気だったもので洗濯をしておらず、もし干していたら洗濯物が汚れていたことでしょう。

わたしの写真では見ての通りの空色ですが、この砂塵はpoeira laranja(オレンジ色の砂塵)と呼ばれ、多くは空がオレンジ色になります。今回の塵雲は過去最大級のものだそうで、今朝もそのpoeiraに覆われてポルトの空はどんよりしています。
 
2年以上のコロナ禍からウクライナ戦争、昨日の日本の地震、そしてサハラ砂漠からヨーロッパに飛来してくる大砂塵と、今年はまだ3カ月だと言うのに、なんだか凶年の兆し。イヤですね。

余談ですが、大砂塵と聞けば私には亡き母が思い出されます。そのまま映画の題名でもあるのです。母が他界してかれこれ20年ほどになりますが、生きていたら100歳を超えています。大正生まれで尋常小学校しか出ていませんでしたが、洋画が好きで幼いわたしたち姉妹を連れてよく映画館に足を運んでいました。

「道」「ノートルダムの背むし男」「空中ブランコ」「シェーン」等々。その中にこの一本「大砂塵」がありました。多分わたしが小学校低学年のころでしょうか。母が口にしていた「ダイサジン」という言葉を覚えているのでした。他の映画のストーリーはおぼろげに記憶しているのに、「大砂塵」はストーリーの記憶がないのです。

が、主題歌「Johnny Guitar」のちょっと哀しめのメロディーを覚えています。母が口ずさんでいたからです。今日、どんなストーリーかと思い検索してみたら、名女優ジョーン・クロフォード主演で、なんと女同士の拳銃決闘場面もある映画でした。Youtubeから拾ってみました。映画の原題は主題歌同様「Johnny Guitar」。邦題の「大砂塵」は、オープニングシーンの砂嵐から始まるからでしょうか。



わたしたち姉妹を家に残し母が一人映画を見に出かけるわけには行かなかったのでしょう、けど、このストーリー、小学校低学年には早いで、かあちゃん、と今更ながら苦笑しております。母に連れられて見た上記の古い名画を理解できる年齢になかったわたしたちでしたが、音楽も併せて大人のストーリーの切なさは幼心に残った気がします。

飛来してくるサハラ砂漠の砂塵から、こんな昔の思い出話になってしまいました。
本日もお付き合いただきありがとうございます。

では、また。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月16日 

ずいぶん前のことですが、東京駅で外国人に間違えられた経験があります。

ガラガラとキャリーケースを引きづって今と同じく度付きサングラスに茶髪です。大阪駅で友達のゴッチと待ち合わせしていたのですが、予定の新幹線に乗り遅れてしまいました。

当時は今のようにスマホも日本でのレンタル携帯電話も持ち合わせておらず、仕方ない、公衆電話でゴッチの携帯に連絡しようと、東京駅構内を探したものの、なかなか見つからず。

ちょうど、新幹線構内の広場の真ん中で立ち台の上に立って案内をしていた制服の駅員さんがいたので、
「すみませんが、公衆電話はどちらにありますか?」と訪ねたところ、返ってきたのがなんと!電話のある方向を指さして、「It´s over there!(あっちだ!)」

返答が英語だったのに一瞬のけぞったわたし、「さ、サンキュウー」と答えたのでありました。
後で思うに、あれはわたしの姿格好もあるだろうが、もしかしてわたしの日本語だったのかもしれないと。

どちらかと言うと早口のわたしが、できるだけゆっくりはっきりした発音で日本語を話すことを意識しだしたのは、土曜日の補習校で講師をし始めてからです。また、日本語を教え出してからも、もぐもぐ言っていたのでは、生徒たちに分かってもらえないので、ゆっくりはっきりとした発音で日本語を話すように努めました。

説明はポルトガル語、もしくは英語ですが、こちらのほうは話す時、文法を頭に置かないもので言葉が出るに任せ(笑) 生徒たちには、理解できない際にはわたしをストップして質問してねと前置きしてあります。

もちろん、友人たちと話すときはいつもの自分の早口にもどっていますが、日本では店員さんや見知らぬ人には、無意識に日本語学習者に話すのと同じになっているのに気づきました。

当時はデパートの売り子さんからも、「きれいな日本語を話しますね。」とよく言われたものです。しかし、これもまた、ひょっとしてわたしは日本人ではなくて、日本語を学習しているアジア系外国人だとでも思われたのかな?

少しゆっくり話すというのは、近頃、会話の途中で適切な日本語単語が口から出てこなかったりする時、ちょっと助かったりします。早口だと、そこでパタッと話が止まってしまうもので(笑)

さて、本題ですが、日本の子どもたち相手の補習校も12年前に退いたもので、現在は日本人社会ともあまり接触がなく、日本語で話す相手と言えば、コロナ禍以前は2、3カ月に一度の割合で気の合う仲間4人との食事会くらいです。たまに電話で話すこともあるのですが、それも用事があるときで、意外と稀です。夫との会話は一応日本語ですが、至極相手不足(笑)

ブログを極力続けるように心がけているのは、我が子たちへのメッセージも含め、なんとか自分なりの日本語力を落とさないようにとの目的もあるからです。読書はそれを担う一方法だと思います。読書で心に残る文を片言隻句として書き留めておきます。

毎晩、就寝時に小一時間ほどしていた読書ですが、歳でしょうか、近年その力が衰え、よほど興味を引く内容ででもない限り、ものの20分もすると、本を顔に載せたまま寝入っていることが度々です。

若い時は翻訳文のような文章にも興味を持ちましたが、今は俄然、美しい日本語の文章に惹かれます。

美しい日本語、美しい物腰、たおやかな美、どれもわたしが持たない独特な日本美です。そして、季節の変化や忘れ去られんとする古い言葉・・・

齢70を越した数年前に、自分の中にある限りない日本美への憧憬に今更気づいて、実は自分でも少し驚いているのです。

「何事の おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

武士を捨て出家した漂流歌人、西行が伊勢神宮を参拝した時に詠んだとされる歌ですが、この歌に無宗教のわたしが感じ入るのは日本人の心でしょうか。

何十年と海外に住めども、生まれながらにして備わった日本人の血が体内にひたひたと流れていることを改めて感じ、自分は永遠に日本人なのだと。それを感じればこそ、近年の日本政府の緩慢さ、隙だらけに、頭から湯気が立っているのです。

え?それを言いたかったのかって?あは。それも言いたいがためにウダウダと長く書いちゃったんです。

本日はみなさま、これにて御免。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月15日
 
今日は、このところ自分の頭を占めている思いを文字起こししてみました。政治について発信するには、語彙不足、勉強不足があるのを十分承知の上です。この時、こういうことを考えていたとのメモとして、ブログにあげてみました。以下。

ロシアのウクライナ侵略を見ながら、日本とソ連の間に相互不可侵、相互中立条約を締結したに拘わらず、ヤルタ会議におけるルーズベルトとの密約で、一方的にそれを破棄して、8月9日、アメリカが長崎へ原爆投下した日に突如参戦、日本の降伏後に満洲・樺太・千島を侵攻して暴虐の限りをつくしたと言われる77年前のソ連と重ね、色々思っている。

だまし討ちで60万人もの日本人をシベリアに抑留し、奴隷のごとく労働を強い日本人5万人もの命を奪った国だ。有事には「話し合うんです」とお花畑の輩たちは叫ぶが、話し合いで事が解決に及ぶのは、双方とも文明国であればの話だ。これは個人の付き合いでも同じだと思う。相手が自分の言い分に傾聴してくれない場合は、相手の誤解を解くのが不可。

わたしたちの国は、戦後の77年間、国防のためにどんな対策を考えてきたのだろう。終戦の混乱中はまだしも、経済発展を遂げた後、なぜそういう事案が国会で話し合われずに今日まで来たのだろうか。

日本人は戦後GHQに洗脳され続けてきたという意見は多いが、77年もすれば、いかな人でも、少し勉強することで歴史的に色々納得がいかない点が見つけられると思う。未だに洗脳云々は、言い訳のような気がする。

国民のためにと政治家たちが二言目には発するが、今回のウクライナでの戦争のようにすぐ隣にある国がある日突然侵攻したきたら、有事の時には国民を守るためのどんな対策を持っているというのか。

日本が陸続きの大陸にあるならば、ウクライナのように女子供はなんとか近隣国に逃れることができるが、四方を海に囲まれた我が国にその道はない。

北海道、沖縄、長崎、新潟、果ては首都の東京までと、中国による土地買収については、10年ほど前から既に深刻な問題になっているというではないか。北海道、沖縄で我が国への挟み撃ちが想像できるというもの、この案件を国会で持ち出す議員もいるにはいるが、一向に国会で話し合われる様子は見られない。あるがままに任せているではないか。

下図を見るまでもなく、日本の防衛に於ける現状はわたしでも想定できることだ。

302bf064-s.jpg

今年2月3月でこんな状態だと言うのだ。つい先だってもロシア艦艇10隻が津軽海峡を通過し、日本周辺での活動を活発化させているとのニュースも報道されたと言うのに、私の国はいったいどうなってるのだろう?

ロシアのウクライナ侵攻を見、ふっとこれがヨーロッパを舞台にする第3次世界大戦にでもつながったりはしないだろうかとの思いが頭をかすめた。ロシアに中国、北鮮が参戦すれば残虐3兄弟国の日本侵攻は免れないだろう。と、日本にいる我が子や孫、家族、知人友人が直面するであろうことを想像するだけでも恐ろしい。ここずっとこんなことを考えていた。

無防備で、気が付けば勤勉さと探求心で得た日本が誇っていた技術力もいつの間にか盗まれ利用され、今では他国に追い越されつつある。日本が浴してきた豊かさと平和は、今にしてみれば砂上の楼閣に思えてくる。

昔は眠れる獅子と世界に笑われていた中国だが、今はあらゆる手段を使っては国力をつけ世界に不信感と脅威を持たれるまでになった。日本こそが、今日では「眠れる国」なのだ。

目覚めた朝が、時すでに遅し、とならんことを願いつつ焦燥の念に駆られる昨今だ。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月14日 

若い頃、邦楽はあまり聴かなかったのだが、好きな歌に中山ラビの「人は少しずつ変わる」がある。

♪人は少しずつ変わる これは確かでしょう
  わたしを育てた季節が 変わるように



こんな歌を今日持ち出すのは、最近身の回りで起こったことでこの一節を思い浮かべたからだ。

コロナ禍の下、とある出来事をきっかけに、「ん?わたしは友だちではなかったのだ?」と思わされることに出会い、軽いめまいを起こしたのだった。今迄友達だと思ってきた人がそうではないと知らされるのはかなり嫌な思いだ。

楽しい話ではないので詳細は控えるが、わたしは嘘がつけない人間だ。人をだますことも陥れることもしないし、人様の悪口に関しては、ちょこっと愚痴が出たりはするだろうが、しない。嫉妬もまずない。同様な人と付き合いたいものだ。

相棒のOちゃんには「人がいいから、以前、何かあった人とでも、物事を頼まれたらついOKしそうですね、ソデさん」と言われる。そういうこともあるにはあったのだが(笑)、同じ人にこのような思いをさせられたのは2度目なので、3度目はごめん被りたい。

接触を試みられてもOKしない。・・・しないつもりだ・・・しないと思う^^;って、だんだん不確かな言い方になってます(笑) こうしてわたしも少しずつ変わる。いくつになっても交友関係から学ぶことはあるものです。

以下、お口直し。

かつては補習校講師が5人集まると、話題は各々の子供や日本の子供に関する教育の話、そして今のように簡単に入らなかった日本のニュース、ついでに連れ合いの家族の愚痴話(笑)、果てはポルト市のどこどこの店で日本食を見かけたとか、今度スペイン系の大きなデパートがどこそこにできる、等等で、交友を深めるとともに情報交換の場にもなっていました。

それでも主だった話は、みなが子育てに必死になっていた時期でもあり、しつけや学習のことが大方でした。

それが、いつのまにか、老後はどうするかに話が及んで行きました。みなさん、子育てが一段落したということです。わたしはと言えば、我がモイケル娘はホームページを開設したと同時に東京の大学受験を目指して日本へ行き、息子はリスボンに住み、当時は夫と猫6匹との生活でした。

下記記事の赤字はあれから10数年たってのツッコミです。

やっぱり、老後は日本!と言って、帰国して自分一人老人ホームに入る、というI氏。(彼はかなり真剣に考えてました)→それが今は、孫も3人でき、帰国はなし。ポルトに骨を埋めるとのこと。

持ち家を売っぱらって大阪かイタリアに住みたいというKさん(日本語通じないイタリア行ってどうするんや~~^^;)→それが今は、日本はセワシナイ。歳とったら落ち着いたポルトの方がずっといい。

子供がいないから、多分日本でしょうね、というRさん。

もしかしたら、既に家族で日本帰国を計画しているかも知れないK氏。→今は日本。ポルトガル人の奥方と子どもを連れてとうの昔に帰国。

どうなるか全く決められないでいるわたし。→ 老いた身一人で異国に住むのはいやだ。が、どうやって日本へ帰られるかだな。

こんなことをカフェでワイワイにぎやかに話し合ってるうちに、日本で一軒家を借りて、Vila Portugal(ヴィラ・ポルトガル)とかなんとか名前付けて、みんなでいっしょに住むのはどうか、なんてところに話が及びまして(笑)

「お、それいいじゃないの。」
「どのあたりにするね?」
「親友が和歌山の片田舎にアトリエと称して、古いけど物凄く広い土地屋敷を持ってるから、その畑の一隅を借りるのはどう?春にはあそこ、桃源郷だよん」とは、わたし。

「いいね。けど、その親友にもしものことがあったら、遺産相続なんやらでわたしら年寄り、おんだされるよ」
「あ、それもそうだ」
「証書、とっといたらどう?」(←まだ、貸せとも貸すともなってない話ダスw)

「でもね、そんなド田舎に年寄りばっかり住んで、食料買い出しはどうするのよ?」
「う~~ん、車一台いるね。しかし80過ぎての運転はちょっとこわい」
「自給自足はどう?」「うん。Iさん、農学部出だしね、そっちはお任せ」

「よっしゃ。料理は好きだから、わたしがする」我が友。
「キレイ好きなRさんはお掃除係だね。うんうん」
じゃ、わたしの役割は・・・ぼけ~~としておもろいことばっかりやってるから、それでだけでも十分存在価値はある、って、なんでんねん(笑)

「でも、アンタ、年金あれへんやん」(←ほっといてくれぃ、人のこと^^;)
「あ、いけない。ど、どうしよう・・・」
「ご主人の遺族年金があるから心配いらんか。仲間になんとか入れたる」
(↑入れたる、って和歌山はうちの親友がらみだで・・・w)

ここまで来てわたしはハタと気づいた。
「ちょとまてぃ!」

みんな、自分は、絶対連れ合より先に逝かないという前提で話してますわ(笑)厚かましいったらありゃしない。この一言で爆笑です。そして全員しみじみしましたです。なんの因果でか知らないが、みんな長い間ポルトガルに住んじゃったね、と・・・

こうやって和気あいあいとつるんで来た仲間が、補習校を一人二人と去り3人になり、そこに年齢が離れたOちゃんが加わり、気の合った仲間同士4人が食事会で時々集まってきたのです。それが、コロナ禍でかれこれ2年以上も顔を合わせることができないで来ました。

ポルトガルは今年の1月終わりをピークに、現在の感染者数はピークの20%少しに減少しています。この状態が続いてもう少し暖かくなったら、2年少しぶりに気の合った人たちとの食事会ができるかな?と期待しているのですが、果たしてどうなるでしょうね。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月10日 

ウクライナでの戦争やコロナ禍を引きづって、いつものように、「なんだ、これ!」と吹き飛ばす気分になれない自分がいて、厄介な昨今です。

これではいけない、自分ではどうにもできないのだからと知っていても、色々なことを考えます。それがまとめられずにいるのです。

さて、昨年12月のリスボン旅行も、まだ拙ブログに上げきれていないのですが、先週は夫に引っ張られて「アーモンドの花」を探しに行ってきました。ポルトガルにもう40年以上も住んでいるというのに、まだ一度もこの花が咲き乱れるのを見に行っていなかったのです。

戦争やコロナに気おされてあまり気が進まないと言うのに、夫の行こう行こうと言うのに根負けして、しぶしぶ出かけたというのが本心ですね^^;

実はこんなのを思い描いて行ったのでした。

Fundao.jpg
ネットで見つけた写真です。

しかし、甘かった~(笑)こんなんでした^^;↓
Moncorvo9_1.jpg

おまけに、写真でお分かりのように、雨が降ったりと天気も悪く、いっそのこと、南へ行くべきだったと思いましたね。わたしたちが向かったのは、何年か前に先史時代の岩絵が発見されたドウロ川上流Foz Côa(フォス・コア)の近くにあるTorre de Moncorvo(トーレ・デ・モンコルヴォ)と呼ばれるちっちゃなちっちゃな町で、週末などは通りにほとんど人も見かけません。

町の名前に由来するTorre(塔)とは、この教会のことです。
Moncorvo5_1.jpg

町の郊外でかろうじて、お!と思われる桜に似たアーモンドの花を見かけました。
Moncorvo6_1.jpg

これは町の小さな広場でみられたアーモンドの白い花。ポルトガル語では、Amendoeiras em floresと言います。
Moncorvo2_1.jpg

アーモンドの花には白と桃色があり、桜の花に似ていると言われますが、日本一の桜で知られる弘前出身のわたしです、違いが分かります。
moncorvo1_1.jpg

Moncorvo4_1.jpg

この花がどうやってあの殻の固いアーモンドに?と不思議に思い、画像をネットで拾ってみました。ここからの画像はWikipediaからです。

amendoeira1.jpg

やがて果実が割れて↓
amendoeira4.jpg

この通り。アーモンドの実がそのままやんか(笑)
amendoeira3.jpg

2月終わりから3月上旬に花が咲き、実は夏に収穫するとのこと。アーモンドの実は自然に落下しないので、機械で気をゆすり実を落とすそうです。

さて、ポルトガルのアーモンドの花についての伝説を載せておきます。

イベリア半島がまだムーア人(イスラム教徒)に占領されていた7、8世紀のこと。ムーア人の王は北欧から妃をアルガルブに迎えました。妃は雪に覆われて真っ白になる故国の平野を恋しがり、やがて病に伏せがちになります。王はこれを知り、アーモンドの白い花で雪のように平野を埋め尽くし、妃の望郷の思いを和らげようと思いつきます。こうして冬の2月になると、アルガルブの平野は白いアーモンドの花が咲き乱れるようになりましたとさ。

伝説の妃が故国の雪に覆われた真っ白な平野への思いは、春になると桜に思いを馳せるわたしの思いと同じでしょう。
今回の北のアーモンドの花探しは失敗でしたが、来年は是非、ポルトガルを南下してみたいと思っています。

では、本日はこれで。


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月10日

ポルト路地を歩いて写真を撮り始めてから、10数年になるでしょうか。 当初は人影もないもので、治安は大丈夫だろうかと心細い思いで歩いたものでしたが、「一度は訪れてみたいヨーロッパの街」のトップにポルトが選ばれて以来、ツーリストの姿は路地でもたくさん見かけられるようになりました。

今日は写真を掲載します。

ダウンタウンへ行く時に利用するメトロのイエロー線。
ポルトの路地

ポルトの路地

ポルトの路地
窓辺。下は同じ場所。昔ながらの人々の生活がうかがえる。

ポルトの路地

今日の路地はサンベント駅からドウロ川べりリベイラに向かう長い坂道、Rua Mouzinho da Silveira(Rua=通り)から、この噴水(ポルトガル語ではChafariz=シャファリス)があり場所を入る小さい坂道、Rua do Sotoです。

Rua Mouzinho da Silveiraですが、この通りは19世紀半ばまで「Rio da Vila(ヴィラ川)」だったと、わたしはポルトガル語のDias先生と読んでいる本で学びました。ですから、通りの下を今も川が流れているということになります。

ポルトの路地

ここの噴水を見るといつも思い出される一人のおばあさんがいます。過去に取り上げて書いていますが、再度、掲載します。

2013年7月

古いミュージカルに「メリー・ポピンズ」と言うのがあります。
 
1960年代の作品でジュリー・アンドュースが主演。わたしは20代始めに見たのですが、ジュリー・アンドリュースの話す英語が美しく分かりやすいので英語の勉強を兼ねるのと、ストーリーも歌も気に入ったのとでその後も何度も見てきた映画です。

MaryPoppins.jpg
Wikiより

物語の内容はGoogleのここに出てきます。

挿入歌の「チムチム・チェリー」は日本でもヒットしましたし、どんな苦しいこともひとさじの砂糖で楽しくなるものと歌う「Spoonful of Sugar(お砂糖ひとさじで)」も知られた歌です。また、この中で乳母のメリー・ポピンズが子供達に教えるおまじないの言葉「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリアドゥシャス」はわたしも必死に覚え今でも言うことができます。

それらの挿入歌の中でも今に至ってわたしの心に残っているのが「鳩に2ペンスを(Feed the Birds)」です。手にした2ペンスを銀行マンの父親に「銀行に貯蓄せよ、そうすると利息が入る」と諭された子供たちに、魔法のガラスのボールでメリー・ポピンズがセントポール寺院で鳩の餌を売る老女の姿を映して見せるシーンに使われます。

「鳩に餌をあげてください。お腹が空いているのです。一袋2ペンスです。あなたが鳩たちを気にかけていることを示してください。寺院に立つ聖人像たちは老女が鳩の餌を売るのを見下ろしています。あなたには見えないでしょうが、誰かが一袋買うたびに彼らは微笑んでいるのです。一袋たったの2ペンス。鳩に餌をあげてください」

ざっとこんな風に歌っています。下記Youtubeでこのシーンが見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=Nm_BW1Vy6Zw

何故こんな話に及んでいるかと言うと、先日回ったダウンタウンはリベイラへと続く広い道Rua Mouzinho daSilveiraを歩いてあれ?と気づいたことがありました。その時間帯には必ず見かけた老女の姿がないのです。

ポルトの路地
Rua do Sotoへの坂道。このすぐ左に噴水がある。

坂道の上り口に座り、売り物を広げて売っているおばあさんです。売り物といってもそれを見た人はお世辞にも買おうかと言う気持ちは起こらないであろう古い壊れかけた使いようのないような代物ばかりです。日曜日と雨の日を除いては冬の寒いときでもここで物を広げてはこうしていつも座っているのです↓

ポルトの路地
2006年撮影

よくこの通りを降りてリベイラへ向かっていたわたしは何年も彼女と顔見知りです。見かけるたびに昼食の時間にはいつもここに座ってスープをすすっていました。そしてまたその時間には決まって鳩がたくさん彼女の周りに寄って来、彼女が分け与えるパンをつついているのです。スープはわたしの推測ではこの辺にある食堂からいただいているのではないか、でした。

貧しい自分の食事から鳩に分け与えているその姿にわたしは昔見たミュージカルの鳩と老女のシーンを思い出し小さな感動を覚えたのでした。

顔見知りになったきっかけは、そんなおばあさんを何度か見て、「こんにちは」とわたしが声をかけたことでした。最初はひとつ買おうかと商品らしきものをざっと見回しましたが、どうも使えそうなものがあり
ません。これでは誰も買わないな、と思いました。

そこで、失礼なことだとは思いながら「コーヒーでも飲んでください」と少しお金を差し出すと、とても喜んでくれ、なんども礼を言うのです。

かつてはわたしも今のように忙しくなくよくポルトのデジカメ探検隊と自らを称して街を歩き回っていたので、しょっちゅうここでおばあさんと挨拶をかわすことになり、おばあさんの服装は冬は冬なりに一応寒くないように見えるものの、大分擦り切れて薄汚れています。

ひょっとするとホームレスかも知れないとの思いもあり、言葉を交わす都度5ユーロ、10ユーロと何かに役立ててもらいたい思いで差し上げていました。

「本当にいつもありがとうね。神のご加護がセニョーラにありますように」と開く口は何本も歯が抜け落ちたのが見えていました。

ポルトの路地
2007年撮影。同じ服装だがショールと靴が違っている^^

見かけないのが気になるもので、直ぐ側にある小さな雑貨屋へ入って「あそこにいつも座っていたおばあさんはどうしたの?」と思い切って訊いてみました。すると「ぐうたらな息子がいて苦労ばかりしてきたのさ。息子は稼がず、あの母親からなけなしの金をふんだくっていくんだよ。Coitadinha(可哀相に)。とうとう病気になって老人ホームに入れられたよ」と返事が返ってきました。

そうか。ホームレスではなかったにしろ、春夏秋冬ひがな一日あそこに座ってスープをすすっていたのは、それなりの苦しい事情を抱えていたのだな。寒さはあの歳では堪えよう、今年の秋口には毛布の膝掛けを持って行こうと思った矢先だったこともあり、病気になったのは辛いだろうけれど、老人ホームに入れられたのは案外良かったのかもしれない。

少なくとも食事にはありつけ、夜露雨露をしのぐことができる、とわたしは少し気が安らいだのですが、あれほど定時間におばあさんに群がっていた鳩たちは、さて、どうしただろうか。

それではまた。
お時間あらば、下のランキングクリックをひとつして応援をお願いできますか?
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年3月7日 

ブログが一週間もあいてしまいました。こんな本でも読んで憂さ晴らしでもしないとやってられません。ひどく憂鬱です。以下、少し古い本について過去の日記から。

この手の本はめったに自分では買わないのだが、今回はどういうわけか、自分でも分からないまま手にしてしまっていた(笑)
近頃の隣国の嘘八百を並べて何がなんでも我が国を貶めようとするのに対する、日本政府の曖昧な態度に辟易している自分の心情が影響しているのかも知れない。「遺憾である」ばかりじゃイカンで!

日本アホバカ

しょっぱなからカンヌ国際映画祭で作品「万引き家族」で最高賞を受賞した是枝裕和監督の「勘違い」をこき下ろしているのだが、かの作品を文化庁所管の日本芸術文化振興会から2000万円の助成を得て作って置きながら公権力とは距離を保つ、と発言し文科大臣の祝いの申し出を拒否したことへの「勘違い」への批判だ。

この話はわたしも知っていたので、カンヌ映画際はフランスの公権力であるフランス政府が深くかかわった映画際であり、そこで受賞しながら、同じく公権力である日本政府からの祝福を拒否するとは矛盾してる、国民の税金である文化庁の助成金を即刻返せ、勘違いめ、と言っているのには、あっはっは、然り、と笑ってしまった。

まぁ、その他、勘違いの政治家、スポーツ選手、テレビ局、マスコミ、芸能人、コメンテーターと、出るわ出るわ。読み進めながら、日頃ニュースを通して、ふ~ん、この人でもこんなことを言うんだねぇ、なんだかストンと胸に落ちないや、との自分の思いが重なる。

人を批判のまな板に乗せるには、自分のことを棚に乗せないとできないことなので、不出来なわたしはあまりしないが、読んで可笑しいと言おうか、ふむふむと納得すると言おうか。こんだけバッサバッサと人を批判できたら愉快やろうな、とは思った。

勘違い人間について書き始めると、次から次と対象者が出てきた、という最後の談には、今の日本人をして「なんだかなぁ」と思うことが多いわたしは、さもありなん、と同意状態である。石川五右衛門の「浜の真砂はつきるとも、世に盗人の種はつきまじ」なんて書いてるが、まさに、「世に勘違いの種はつきまじ」であろうか。

最後に著者・北岡敏明氏は平成30年8月に行方不明の2歳の幼児を発見した大分県の尾畑春夫さんを取り上げ、勘違いのまったく逆の人と取り上げて賛美している。

まぁ、人の悪口は蜜の味というけど、今の私のように癪で不穏な世の中だと思うことが多い人には少しの間でも笑えて、読むのもいいかも知れない。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2022年2月28日 

3月1日から日本入国の規制が緩和されると喜んだのに、その日の「日本が感染流行国に指定していない国」リストにポルトガルが含まれておらず、宿泊施設で6日間の待機を要請されると知り、ひどく落胆して、拙ブログで愚痴ったのは先週火曜日のこと。

初孫ソラちゃんはどんどん成長しておしゃべりが始まり、もうダッコはできないかもしれないが、それでもこの時期の成長を目の当たりにできたら嬉しい、御の字だと思っていたのだ。

「6日間から3日間に変更する」という国リストにも入ってないんだぼん^^;3日間の待期期間なら、なんとか頑張って行けるかもと思ったりしていたので、本当にガッカリだった。

木曜日にその旨、Youtubeを通して子供たちに伝えるために、「ほらね、ここにこうやって書いてあるんだよ」と、外務省の海外安全ホームページにアクセスしながら、ポルトガルなしと文字チャット。

と、待期期間変更の2行目が目に入ったその瞬間!あ、あるやん!ポルトガル、待期期間なしになってる!でへでへ^^と相成ったのである。

空港に着いてテスト結果が陰性と出れば、24時間中なれば空港から公共交通機関もOKですと。ひゃっほ~と喜んで、まずはどういう書類が必要なのか、あちこち検索しまわっていたのだが・・・

それがなんでやねん、プーチンさん、ウクライナと戦争を始めちゃって、今日現在では日本は含まれていないようだが、ロシアは欧州36か国対象にロシア領空を禁止したとある。

せっかくポルトガルが待機期間なしで入国できるようになったと言うのに、とまたまた愚痴ることになってしまった。

入国するにしても、これまでのように、何はなくともパスポートと切符さえあれば!と言うわけには行かない。何種類もの証明書を取りそろえ、指定の箇所でのPCR検査を受け陰性証明書をもらうことになる。日本出国の際の準備も行く前からする必要がある。

わたしの場合、日本に到着してからいくつかのアプリのダウンロードを要請されるようなので、今まで使用してきたスマホでは容量が間に合わない。よって、スマホの買い替えもしなければならない。

JAL, ANAはどうなるのだろう?南回りか、それとも半世紀前にケンブリッジの英語研修の際に利用した昔のアンカレッジ経由が復活か?さすれば、飛行時間も長くなり、更に日本に到着してから入国まで7、8時間要するとなると・・・考えただけでうわ~んである。

果たして今春、帰国できるんであろうか・・・前が見えないこの頃だ。

と書いていたら、「フランクフルト―羽田便が離陸後引き返す」とのニュースが飛び込んできた!帰国時にわたしが利用する便はフランクフルト経由なんだわ・・・だめだ、こりゃ~(泣)

人間の思惑など知らぬがごとく。公園に春がやってきた。
jardim.jpg

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ