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2022年1月30日 

日本に住む子供たちと、しょっちゅうスカイプで文字チャットしていた、特に我がモイケル娘の独身時代のこと。

「ただいま」「おかえり~」で始まるチャットは子供たちの日々の安否を確認するためであるが、それだけではない。補習校を退いて以来、めっきり日本人と顔を会わせることがなくなったわたしにとり日本語そのものを話すこと機会を失ってしまったので、子供たちと日本語でのやりとりは、母国語が話せないストレスからわたしを解放してくれるのである。

夫の気の会う仕事仲間との会食でも、
「近頃は日本語を話す相手はもっぱら日本語教室のポルトガルの生徒よ」と冗談のような本当の話をしては、「おお!いよいよYukoもポルトガル人の域に入ってきたのだね」と褒められた(?)のだが、三つ子の魂百までと言う。いくらポ国で暮らした年数が日本での年数より長くなったとは言え、母国語で思いのたけを語るように、ポルトガル語で語れるわけはございません。日本人気質も変わるわけはない。

そんなわけで、子供たちにしてみたら親とのスカイプチャットもこうるさかったことかも知れませんが母親のわたしにとっては一石二鳥の役割をしてくれている。

さて、当時のある日曜日のチャット。

モイケル:あ、そういえば歌舞伎の写真、ブログに乗っけたどーw
(註:「歌舞伎」とはモイケル娘の近辺のノラ猫。後半に写真あり)
spacesis: おお、みてみよう。わたしも歌舞伎の記事をと思ってるのだ
モイケル: あはは
spacesis:ところで、JRはどう?(JR:我が息子でモイケルの兄)
モイケル:今日なんかダンボールの中、仰向けになって寝てた
spacesis: だ、ダンボールの中?
モイケル:昨日仕事が終わってからパーティがあって帰って来てない
spacesis: ダンボールって、どしたん、それ!変じゃないの・・・
モイケル:今日は外があったかかったんだよw 
       で、気持ちよさそう~に寝てた
spacesis: おいおい、ホームレスじゃないか、それ。歌舞伎と同じw
      なんちゅうことを^^;
モイケル: ・・・・・・ちょっとまてぃ!
モイケル:歌舞伎の話じゃいw
モイケル& spacesis: ・・・・(沈黙)ぎゃはははは!
spacesis: JRがダンボールの中で寝てたんかと(爆笑)
モイケル:さすがに兄貴もそこまではやらんわw
spacesis: がはははは。おかしぃ~。おナカがよじれる~
                 (↑笑いすぎて)
spacesis:ああ、平和な日曜日の朝だ

ちょっとした会話のすれ違い、ボタンを掛け違えたようなやりとりで、我ら慌て者親子の他愛ない会話なのだが、こういう何ということもないように見える笑いの一瞬が心にポッと灯をともしてくれる。そんな一瞬が生活には必要だ。昔から言います、「笑う角には福きたる」 それがしみじみ感じられる日々だ。

さて、その「歌舞伎君」ですが、登場願いました。

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真っ白ネコなのになぜか顔の模様が歌舞伎キャラ。そして、先ほど、息子が寝ていると勘違いしたダンボールでの歌舞伎ネコの寝姿がこれ↓

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「ねこ共も気持ちよさそうにお昼ね。平和だねぇ。我が物顔でベランダを占領する歌舞伎。油断しきってるなおぬし。」とは、モイケル娘の言(笑)

何ゆえダンボール箱でうたたねをしているかと言うと、歌舞伎君、モイケルのベランダにやってきてはエサを待つ常連ノラちゃんなのです。これからは寒かろうとベランダに応急ハウスとして設置したのがこのダンボール箱(笑)

ちゃんと小さなカーペットも敷いてます^^写真のプツプツはエサをもらうの常連だと言うのに、断固、人を未近づけない歌舞伎君、ベランダのガラス戸越しに撮影したからに他ならず。

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リラックスしてるねぇ(笑)

ご近所では快く思っていない隣人もいるかも知れないと思いつつ、放っておけないのはこの母の血です。右や左のみなさまがた、どうぞご勘弁を。

既に元ノラ養子一匹と保健所から引き取った2匹の計3匹をすでに飼っている娘、いくらなんでもこれ以上は増やせません。が、いつのまにやら、こんな世話焼きをしています。しかし、こんな風にすっかり「油断しきって」寝ている姿、可愛いではないですか。

大人になってからのわたしの人生で、ネコが身の回りにいなかったなんてのはアリゾナに住んでいた時だけです。 それが、あんなにたくさんいたジョアキンおじさんの畑の野良猫たちも今では消え去り、毎日我がフラットの前に来てはエサをせがむ猫ちゃんはたったの2匹。

5匹いた飼い猫もゴロー君を除いては皆見送りました。なんだかね、こら~と大声で怒鳴るオイタ 猫こたちがいなくなって、このところ、人生さびしくもあり、ですな。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。


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2022年1月26日 

さて、下がJardim do Passeio Alegre園内にあるSanitario Publicoこと公衆お手洗い。1910年に造られました。

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こちらは女性用。中は絵タイルで装飾され、古いけれれども清潔感に溢れています。

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そしてこれ↓がくだんの紳士用トイレ、市の文化財なのであります。ご覧ください。豪華!立派!堂々!の言葉がピッタリ、ここで用足しをするわけです。

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Wikiより

Spacesisさん、この撮影に紳士用トイレに入ったのかって?い、いや~、あぁた、それはいくらわたしでもちょっとしないってば!いかな興味津々のわたしでも撮影のためとは言え、紳士用のトイレと知ったうえでは中に入れませんて(笑)

で、以前、お目当てがこれで、夫を散歩に引っ張り出し、トイレに入って写真撮ってきて~なんでありました。「ジョーダンでしょ、トイレで写真を撮れなんて!」と彼。
「ほんじゃ、わたしが入ってくる!」と半ば脅し、悪妻は行けー!とデジカメを持たせてビビる夫の背中を押す。

その間も何人か用足しに入る男性がいたもので、夫は出たり入ったり、ウロウロしており、「君はあっちに行っててよ」(笑)

そうしてヤットコサ得た貴重な一枚が、焦点がぶれているので気にくわない。ま、雑誌記事に使うわけではないから、いっか!と妥協したのでありした。

こちらがかつて夫が撮った写真。へたくそめ~(笑)

Foz

ではまた。
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2022年1月24日

このところ、ちょっと目がいたいなと思いながら日本語教材作りに追われ、気が付けば、ぎょえ!依頼されていた原稿の締め切り日やん!と慌ててそちらの仕事にとりくんだのですが、これが、今回は天気があまりよくなかったせいで、写真がどうもいまいち気に入らない。と、自分の腕の悪さを天気のせいにしておりますわ(笑)

かといって、リスボンですからね、じゃ、も一回撮影に行くかというわけにはいかないのであります。
なんとか原稿を送付した後、もう目がショボショボでいけません。歳と近ねんパソコンでの仕事が増えたのとで、これはドライアイだな、と思いました。

土日のオンライン授業をキャンセルすることもできないので、金曜日夜はパソコンに触らず早めに就寝。そんなわけで、昨日一昨日の週末は、パソコンをつけるのはオンライン授業だけにしてなるべく触らないようにし、海を眺めようと夫と二人して海辺の近くを散歩に出かけました。

車を駐車していると、うわ!ダウンタウンのサン・フランシスコ教会からPasseio Alegre(直訳:陽気な散歩道)やってきた赤い路電! おぉ、いつの間にか赤い色になってるではないか。以前からリスボンの路電は色が可愛いのに、ポルトのは地味だなぁ、赤とかまっ黄色なんかがいいのになぁ、と思っていたものです。ついにやった~、ですね(笑)

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海岸沿いを散歩すると時々見かける白馬のお巡りさんたちにも出会いました。

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左に半分見える建物は、ポルト市の文化遺産、男性用の公衆トイレなんです。通りかかると中でなにやら喧嘩口調でやりあってます。夫が用足しに入って出てくると、「20セント払うんだわ、今は」とのたもう。

以前は無料だったのが有料になったので、それで、用足しに入った人が文句を言っていたらしい(笑)まぁねぇ、分からなくはないけど、市だって掃除人の費用や手入れなどのお金はかかるわけですから、20セントくらいはいたしかたないでしょうよ。

コロナだオミクロンだと言いながらも、Ria(川が海とであるところ)から海に沿った散歩道は穏やかな地平線を眺めながら歩く人、自転車で行く観光客もいて結構な人出でした。

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次回は、ポルト市の文化遺産トイレについて、ご案内しましょう。
では、みなさま、また。
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前回は愚痴ってしまいやんしたので、今日はお口直しに。

某月某日

ポルトガルに住んで40年を数年超えた。この間、自分がしでかした失敗は自慢にはならないが、両指の数を遥かに超える。今日の話はそのひとつである。

とある年、深夜も3時を回ったころ、電話が鳴った。そういうときのわたしはガバと反射的に起   き上がる。当時は、我が家に3箇所に親子電話を設置していたので、さっさと電話にでないとそのうちのひとつがFaxにつながってしまい、ピーピーと鳴ってうるさいことしきりなのだった。

真夜中の電話はだれしもが不吉な思いにかられるもので、この時間帯に入る電話は、たいがいアメリカからのアイツであった。酔っ払って人恋しくなり、時差もかまわずかけてくるのである。その酔っ払い電話が途絶えて久しい。まさか、ヤツではあるまいの?そう思い応答した。(ヤツとのエピソードはこちら→spacesis in ポルトガル アリゾナ留学記:Ep,21 「mori 」

「Dr.Santosのお宅ですか?」と女性の声。「あのぉ、お宅、水出っ放しになってません?外の車庫のところに水がずーっと落ちてきてるのですが・・・」

なんだとて?水が?バスルームを見たら異常なし。台所へ行くと、台所は異常な・・・おろ?なんかすごい音がしとるぞ。ゴワーッと音のする先は台所の横にあるベランダであるよ!えええ!足を踏み入れようとしたら、おーっとっとっと、水浸しだ!

ぐは!ベランダの洗濯場タンクの水道から水が音を立ててゴワーゴワーと・・・・・床はタイルばりになっているのだが、その床を洗った後、ふき取る必要がないように水を流し出すために床と外壁が接する所に小さな水出し穴がある。タンクから水が溢れ出てその穴から下の車庫のある庭へと雨が降る如く落ちていたのでございますよ。

お~~い、ダンナ!と夫を起こし。小さな穴から水が落ちきるまでにはかなりの時間がかかりそうです。とりあえず洗濯たらいで床に溜まった水をちょぼちょぼと汲みあげること半時間(どんだけ溜まってたのだ?)、仕上げはモップでふき取った。

台所に寝ていたネコタチ(当時は5匹いた)は「なに?なに?どったの?」とこわごわ覗いていましたが、あんたらね、水が出てるの気づかなかったノン?んもう、役立たず!

「君、ねる前にここの水道、使ったの?」と、夫。
「え~っと、コーヒーを沸かすのに、ここから水を汲んだ。でも栓を閉めたと思うがなぁ。それは12時近くで、その後、エデンの東=映画、を見て、5匹ネコたちを台所に運んで来た時は、こんな水の音、しなかったと思うがなぁ」←いかにも自信なげだ(笑)

変だなぁ。それにあんなふうに 目一杯に水道の栓をひねらないと思うがなぁ。なにかの拍子で、ネコでもやったんだろか・・・さっぱり覚えてないや。起こっちゃったことは、ま、仕方ないか。

「で、君、なんでコーヒーのお湯を沸かすのに、台所の水道からじゃなくて、ここから水を汲むわけ?」と夫が聞く。
「あらん、だって、あなた、台所の蛇口にはフィルターを取り付けられないからって、こっちの方に取り付けたでしょ?だからよ。」
「開いていた栓は、フィルターの方の栓じゃなくて、台所の水道の水と同じのが出る栓だったよ」
「そんなことないわよ、これがフィルターがついてる水道の栓でしょ?」
夫「・・・・・・・・・」沈黙。「フィルターの栓は別にあるよ。ほら、上のこれだ。」
フィルターの上に栓のようなものがある。
今度はわたしが「チ~~~ン・・・」沈黙。

ベランダ

なに?それじゃ、わたしはここへ引っ越して以来ずっと、そこからのをフィルターの水だと思い込み、やっぱり台所の水道の水とは違うわねと、せっせコーヒー飲んでたと言うのぉ?
「そう言うことになるね」  

なんてこった、 どーーーん。奈落に蹴落とされた・・・・ちゃんと説明してよね!と無理を吐いたあと、己のバカさ加減が可笑しくて真夜中に大声出して笑ったのでありました。あほらし。
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2022年1月18日 

モイケル娘相手に夫への愚痴はこぼしたりするが、人様の陰口悪口は言わないタイプだ。が、そうだからと言って他人にもそれを望むことは無理のようだ。

もう随分昔のことだが、のほほんとして脇が甘い、人のいいところがあるので、自分の人生でこんなことありか!しかもポルトガルで!と、かつては人の罠にはまってしまったことがあった。その時は正当な自分の評価を取り戻すのに3年はかかったものだ。日本人社会で、である。

これと言って人を傷つけたりした覚えはないのだが、(第一、日本人とあまり付き合うことがないのだから。あはは)ポルトに住んでまで、個人的に話したこともない人間から、あることないこと、再三再四物語の如く書かれるのは嬉しいものではない。

悪意の根深さを垣間見るが、家庭生活がうまく行っている幸せな人間が、ろくに知りもしない人のことを後ろで口をゆがめて、いや、筆をゆがめて悪しざまにを書くはずもない。

自分の人生がうまく行かないので、目立つ人間を(と言っても、目立ってるのかなぁ、わたし。笑。だって、今年は齢75になるのだよ)攻撃してるのだろうか。

これが、かれこれ2年以上も続いているのだが、今日はこんな言葉に出会って、ストンと胸に落ちた。

「陰口や悪口が聞こえてきたら(わたしの場合は、書かれたらだが)、あら、意識されてるんだと、まずはあしらってスルーすべき。同じ土俵に降りる必要は一切ない。勝負は上の土俵で、戦う価値のある人たちとやればいい。

もしも悪口を誰かに言われて苦しんでいる人がいるのであれば、簡単なことだ、もう気にする必要なんかない。因果応報、ほっておいても悪口言っている人々は自滅していくだろう。一緒に滅びる必要はないので、さっさと離れて、先に行こう。」

そうだ、自分の信じる道だけを正々堂々と胸を張って歩けばいい。
はい、そうします。

ほんと、朝ドラの「カムカムエヴリバディ」じゃないが、On the Sunny side of the streetだね。


♪♪Grab your coat and get your hat
Leave your worry on the doorstep
Just direct your feet
To the sunny side of the street

朝ドラ、世良公則氏のOn the Sunny side of the streetシーンです。
https://www.youtube.com/watch?v=ot_Xxa5lhUk

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2022年1月17日 

ポルトの目抜き通りサンタカ・タリナのホコ天にあるカフェ・マジェスティックは拙ブログで何度か取り上げているお気に入りの老舗カフェだ。

今でこそあまり行かなくなったが、ポルトがオーバーツーリズムになり、店に入るのに観光客が列を作る前は、ポルト散策後一人で入ったものだ。メニューはエスプレッソにスコーンと決まっていた。わたしが入っていた頃は、いつも午前中であったので、客と言えば数えるほどでカフェをすすりながら新聞に目を落としている人が多かった。午後に入ったりするとピアノ演奏が聴けたりした。

ポルトの老舗のカフェと言えば、1903年に開店、一番古かったCafé A Brasileira(カフェ・ア・ブラズィレイラ)があった。そのうち入ろう入ろうと思いつつ前を通るごとにカメラにおさめていたのだが、ある日閉店になってしまい、ひどく残念に思ったものだ。

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昨12月に夫に引っ張られてリスボンに3日ほど滞在した際、同じく目の前にあるのに通り過ぎてきたCafé A Brasileiraに入ってきた。実はリスボンのA Brasileiraはポルトより2年あとに開店している。そのためか、リスボンの方はかなり小さいカフェになっている。オープンした当初はシンプルなカフェだったようだが、1922年に今観られるような緑色の入り口を持つアールデコ調に改装された。

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カフェの前はA Brasileiraの番地120から122のモザイクタイルほどこされている。
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店内
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ポルトのマジェスティック同様、イスは細工の入った革張りだ。
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しかし、内装の華麗さではマジェスティックに比べられない。A Brasileiraを有名にしたのは、ポルトガルの詩人、フェルナンド・ぺソア(Fernando Pessoa)であろうか。ポルトガルの書店、みやげ物店などポルトガルのあちこちで似顔絵がよく見られるほどに、フェルナンド・ペソアは国内で人気がある詩人である。

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Wikiより

1888年にリスボンで生まれたが、少年期を英国領だった南アのダーバンで過ごし、英語で教育を受けている。これは後に英語ポルトガル語の翻訳家の道へもつながる。

17才で南アからリスボンへ帰国後、リスボン大学で学ぶが中退し、やがて文壇の世界に入る。ペソアがよく通ったカフェ「A Brasileira」の店先では、彼のお気に入りの場所だったところにぺソアの像が椅子に座っている。

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生前のペソアは詩人としては一般にあまり名が知られていなかったが、O・ヘンリーやエドガー・アラン・ポーなどの作品、ナサニエル・ホーソンの「緋文字(高校時代にわたしが読んで衝撃を受けた本)」など多くのポルトガル語翻訳を手かげている。

ペソアはまた、神秘主義思想やヘルメス主義の熱狂的な支持者でもあったようで、占星術や錬金術にも強い興味を持っていたようだ。宗教はNeo Paganism(異端教)、 Gnosticism(グノーシス主義)とある。サラザールの時代(1933年ー1974年)、1935年には、ファシズムへの批判を書きフリーメーソンを擁護したかどで、ペソアの作品は全て出版禁止の憂き目にあい、同年肝硬変で47歳で亡くなっている。

生前出版されたのは英語で書かれた4冊の本とたった一冊のポルトガル語詩集「Mensagem(メッセージ)」のみ。
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手元にあるフェルナンド・ペソアの詩集Mensagem。

詩集は3部に分かれた44篇の短い詩からなっており、第一部は「Brasão(紋章)」、第二部は「Mar Português(ポルトガルの海)」、第三部が「O Encoberto(隠されたもの?)」

詩人としてフェルナンド・ペソアが世に名を馳せるのは、死後50年が経った1980年代半ば、サラザールの時代が終わった後で、彼が残した木製のトランクに入った25000ページ以上に渡る遺稿が発見されてからだ。

ペソアの詩については、詩の解釈は人それぞれにあるでしょうし、まして原語となると、ポルトガル語を専門に学んだことがないわたしにはとんでもないことゆえ、言及しないでおく。興味のある方は、ネットで是非検索してみてください。

ペソアがグノーシス主義だという点は、大いにわたしの興味を惹くところである。

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2022年2月16日 

もう随分前ですが、かつて日本語を教えたポルトガル人の生徒さんにひょんなことで再会したことがあります。

当時彼女はポルトの私立大学で教えていたのですが、そこで日本語教室を開講するかもしれない、話に乗ってくれないかというので、手始めに日本文化の紹介と称して展示会で人集めをしてみてはどうかとなりました。

何を展示するかというと、自分の好みで日本へ行くたびに持って来たものを展示するのでありまして、○十万円もするものではありません。展示のディスプレイと後片付けが大変なのですが、ついつい引き受けてしまうのは、こういうことをするのが好きだからです。

展示会2012

これらの写真は、Almeida Garrett図書館での展示会の時のです。
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そこで、彼女と事前に大学の文学部長にご挨拶に行ったのですが、その折、咄嗟に聞かれたことで、後で我ながら面白い答えをしたものだと思ったことがあります。

突然、わたしのポルトガル語の苗字「Costa Santos」を、日本語に訳せと学部長は仰せられる。Costaは日本語だと「背中、海岸」の意味があります。Santosは聖人Santoの複数形です。そこで、「海岸を歩く聖人」ですね、いかがでしょう?いい名前でしょう?わっはっは、となったのですが、咄嗟に訳したにしては、なかなかではないかと、我ながら後で一人喜んでいたのでした。

で、「海岸を歩く聖人」にしようか、「散歩する聖人」にしようかと、その後考え始めたものの、未だ未決定であります。

中国の唐の時代、科挙の試験を受けるため、長安の都にやってきた賈島(かとう)が、ロバに乗り詩を創作していたのですが、「僧は推す月下の門」がいいか、「僧は敲く(たたく)月下の門」がいいかと迷っているうちに、上層役人の行列に突っ込んでしまい捕えられました。 そこで、行列の主に詩の話をしたところ、「敲くがよかろう」と忠言をもらい、これが現在わたしたちが使うところの「文の推敲」という言葉の語源になったとの話があります。

こんな立派な故事としょうもない我がことを比べるつもりはありませんが、わたしにとってはこれも推敲だぞ、と思っているのであります。

さて、学部長に聞かれ咄嗟に「海岸を歩く聖人」と言ったのには、かつて我がモイケル娘と観た映画「Mr. Holland´s Opus」(直訳は「ホランド先生の作品」邦名は「陽のあたる教室」)の中で聞かれるクラリネットの曲のタイトルが知りたくて、母子して色々探し回り、ついにモイケル娘が発見したといういわく付きの「Stranger on the Shore」が頭にあったからだと思います。

映画は、音楽教師(リチャード・ドレイファス)が作曲をするために時間を欲し、音楽教師ならもっと自由な時間がもてるだろうと安易に公立学校の教師の仕事を得るのですが、教師の仕事がそんな甘いものではないと気付き、いつの間にか、教師の仕事に熱を入れて、色々な奇策を打ってはダメな生徒たちをひっぱって行きます。ホランズ先生の作品とは彼が育て上げた生徒たちのことでしょうね。

1960年代が舞台で、当時のヒット曲がたくさん出てきます。その中の一つがStranger on the Shoreだったのです。

ついでにもうひとつその映画で知ったのが、ジョン・レノンの歌、Beautiful Boyの歌詞、
「Life is what happens to you while you're busy making other plans.
(人生とは、君が色々な計画をたてるのに夢中になっている間に、君に起こることなんだ。Spacesis勝手訳)でした。

素晴らしい一文だと思います。

閑話休題、件の「Stranger on the Shore 」はイギリスのクラリネット奏者、Acker Bilk(アッカー・ビルク)が作曲したミリオンセラーだそうです。素晴らしいクラリネットの音です。よかったら聞いてみてください。

そうそう、結局日本語コース開講の話は、彼女がイギリス人であるご主人と英国へ帰国するというので流れてしまったのですけどね。



ではみなさま、また。
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2022年1月13日 

寝床から出て、ネコのゴロー君の朝ご飯を器に入れてあげ、家中のブラインダーを上げ、歯磨きしながらパソコンをつけるのが朝の習慣だ。

前日買ったパンを4枚にスライスしトースターに放り込む。焼きあがったら柔らかいバターとイチゴジャムを塗り、その上に薄切りの生ハムをのせる。朝のコーヒーを淹れる。それをお盆にのせてパソコンの前に運び、その日のニュースを読みながらの朝食だ。

と、ここまで書いて、初級の日本語生徒に、「朝ごはんはなんですか?パンとコーヒーです。」「パンとコーヒーを食べます」は、ダメですよ、と授業をしている自分を思い出した(笑)これは動詞を習い始めた日本語学習者がよくする間違いなのだ。

ところが、今朝はパソコンをつけるにはつけたが、朝食の前にあれやこれやとしていて、何気なくパソコンの前を通った折に、ヒョイと目を向けると、我がモイケル娘からメッセージが入ってる。

「えらい目にあったど~」
ぎょえ!な、なにがあったの? もう20分も前のメッセージだ。慌ててレスを送る。

ど、どしたん?
こんな時は数分がとてつもなく長い時間に感じられ、待てど暮らせど、娘からレスが来ない。え~~、なにがあったんだろか。普段はのんびりしているわたしだが、ろくなことを想像しない。

なんですぐ返事が来ないのだ?もしかして、今頃、孫のソラちゃんともども病院へ走ってるんじゃないか?ひょ、ひょっとしてコロナ感染して隔離されたんじゃないのか?コ、コロナめ~~!と勝手に決めつけて、心中、既にコロナを罵倒している。

スカイプで電話呼び出しをしたが応答なし。よし、いよいよ電話だ。こんな時は通話料など皆目頭にない。ケータイから国際電話する。が、こちらも応対がない。最後は息子だ。「いる?」とスカイプで声掛け。モイケル娘から2,3日声掛けがない時は、何事もなさそうかと息子に問い合わせる母である(笑)

すると、モイケル娘が「ほいほい、ごめん」とやっとの返事だ。ソラを寝かせていたと言う。「昨日から母子ともどもゲボゲボで、今日病院に行って来た」と続ける。

ぎょぎょ!いよいよオミクロンか!と思ったら、病院の診察結果は今流行の「胃腸風邪」とのこと。下痢も加わり、何度もの嘔吐は小さな体にさぞかしつらかったろう、可哀想に、吐くときも泣きながらしていたと言う。無理もない、嘔吐は大の大人でも辛いものだからね。

医者からは、子供が元気そうだから大丈夫だろうと言われたらしい。ソラは今のところ少し症状が落ち着いて、夕方には起きだしてご飯をねだったと言う。食べさせようとすると「ダメ」と、食べないそうで、パンとヨーグルトで済ませたようだ。

何かあってもすぐに飛んで行ける距離じゃなし。ましてコロナ禍の今、日本に着くなり陰性であっても6日間の隔離だ。子どもたちよ、孫よ、頼むからくれぐれも気をつけておくんなさい、と、母はポルトから祈る思いなのである。口には出さねど彼らの父も思いは同じであろう。

びっくりしたぜ、もう!
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2022年1月10日 

昨日は葬式がありました。ポルトから高速を車で2時間近く走らせる田舎ででした。夫のいとこにあたる人で、若い頃はアメリカでも医学を勉強し、ポルトガルでは地方で長年医者をしていた人です。

いとこと言っても、夫の母親は9人兄弟だったもので、歳の差も随分あったりして、このいとことは20歳くらい離れていました。わたしと夫の姉は葬式に出席しませんでしたが、夫と夫の兄が行きました。施設に入っていて94歳でした。

振り向けば、わたしが初めてポルトの土を踏んだ1979年5月19日、着くなりそのまま夫の母の家で披露パーティーがなされ、その日に出会った多くの夫の親戚の一人でした。それが今から43年ほど前になりますから、当時の彼は50代にはいったばかり、わたしは30代あたま。それが94で逝き私の今は74ときます。

長い時が流れましたね。してみれば、ポルトに到着したときからわたしは夫の母と夫のおば、時にもうひとりのおばが加わり、60をとうに越した女3人がまぁ、にぎやかだったこと。そこにわたしが加わったわけで、小さい家に女4人とは、今の若い人から見ればどんなものなんでしょうか。わたしはひそかに彼らを「3ババたち」と呼んでいたんです(笑)

その夫のおばなる人はジョアキーナおばさんと言って夫の母の姉に当たり、どういうわけか、同居して夫が面倒をみていたのでした。脳溢血で寝たきりになるまで、地方にいる医者の一人息子の家族とは住みませんでしたが、さて、寝たきりでは家が小さくて部屋が足りず。

また、では、誰が介護するのか、かかる費用はどうするのか等の問題がもちあがり、私たちには息子も生まれていたこともあり、つまるところは実子である息子に引き取ってもらうという結果になりました。  

例え自分の息子やそのつれあいととうまく反りが合わなくても、兄弟が多い場合どこか行く場所がある、ということでしょうか。核家族中心の日本では考え難い広い家族愛の表れともいえるのでしょう。

50代の頃の彼は家族を連れて、しょっちゅうポルトにやってきたものですが、今のように携帯電話もなく、突如の彼らの訪問に夫の母はその都度、顔をまっかにして食事の準備でてんやわんやでした。嫁のわたしはそれを側で見ながら、「突然の客たちを一言の文句も言わず迎えるこの人はエラいものだ」と感心したものの、その大変さは推して知るべし。わたしはこれをしないと密かに思ったものでした。

全くもって人の良かった夫の母が自宅で14年寝たきりのまま亡くなって14、5年ほどになります。ジョアキーナおばさんはトウの昔に亡くなり、その息子がこの度94歳で旅立ちました。夫の母を中心にした兄弟、いとこという古い大家族のほとんどが、今は鬼籍に入ったと言えます。

近頃は人の訃報を耳にするたびに、わたしと同じ歳だとか、わたしよりずっと若いのにとか、この歳までわたしはあと10年ちょっとあるとか、孫のソラちゃんがせめて15歳くらいまではがんばりたい、さすれば後14年ほどあり、ひゃ~、わたしゃ88歳だよと、残された時間を数えるようなことを、思わずしている自分に気が付きます。
その思いをいかんいかんと頭から振りはらい、物語のこの一節を思い起こしています。

You were not afraid when Spring became Summer.
You were not afraid when Summer became Fall.
They were natural changes.
Why should you be afraid of the season of death?
-The Fall of Freddie the Leaf-

カナダのレオ・バスカーリアによって書かれた絵本「葉っぱのフレディ」の中の、今にも散ろうとする葉っぱのダニエルが恐れるフレディにいう言葉です。
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うむ、わたしの人生は今、秋、一日で言うならば日暮れ時。春から夏にかわるように、夏から秋にかわるように、命は自然の変化、朽ちるのを恐れることはない。

さて、今日も日本語、がんばりましょう。
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2022年1月6日 

昨日今日とポルトも寒いが、東京は雪が降ったと聞く。
我が故郷の弘前も雪に覆われて真っ白になっていることだろう。

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Wikiより

40年来ポルトに住むが真冬と言えども積もる雪など見たこともない。

わたしが子供の頃、故郷弘前は真っ白な雪景色に覆われ、路面が凍結し、その上にまた雪が降り、積もり、降り、積もる。積雪の一番下の層、つまり地面と接する層は一面氷になるのだ。昭和2、30年代のことだ。

春が近づくと徐々に上層の雪が溶け始め、やがて最下層の氷道が現れ一面氷で覆われた表面をご近所みなでツルハシを振り上げ、その氷を割るのである。

今のようにアスファルトの道ではなく、土ゆえ溶けると泥土が跳ね上がり色々不便ではあったが、それが春の訪れを告げることでもあった。
弘前も雪が降っているだろう。故郷の冬から遠ざかり、本格的な雪景色を見なくなって半世紀が過ぎ去ろうとしている。雪の降らない異国にいて、雪国を恋うている今日です。

さて、関東圏に住む我がモイケル娘、寒いねぇといいながら、ソラちゃんを外へ連れだし初雪体験をさせたそうだ。送られてきたビデオを見てると、ソラちゃんは被っていた帽子を自ら取り、

降る雪に両手をあげて感じようとしているみたい。「はい、はい、」「わぁわぁ~」と言いながら。
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頭に雪が降りかかり、地面に落ちてはすぐ消える雪をしゃがんでみている。こうして、初めての雪、初めてもなになに、と赤ちゃんから子供になって行く毎に、人として初めてする体験が増えていくことだろう。

願わくは、心根の優しい子に育ちますように。

本日はここで。

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2022年1月4日 

かつては5匹ネコがいてにぎやかな我が家だったが、ここ数年、老齢で順番にあちらの世界に逝き今は一番若い、と言っても今年で16歳になるのだが、そのゴローだけになってしまった。

ネコ

飼い猫の老いて行く姿は自分の老い先に重なったりする。介護の手を必要としたのは、白黒のハチワレ猫、弱虫クルルだった。

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ふっくらしていて抱き心地がいいのだが、10秒と抱かせてくれなかった。

2022ゴンタ
視力をほとんど失いながらも、わたしたちに手間をかけずに威厳を保ち静かに逝った親分ネコのゴンタは猫と言えども立派なものだった。推測年齢20歳。

たった一匹の雌猫ちゃん。遠慮がちでいつもいるかいないか気づかれないようだったチビちゃん。
チビ

いたずらの痕跡を見つけると、つい、「おぬしだな?」と言わせた黒猫ぺト。
ぺト

そして、残った一匹がこのゴロー君である。
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これが、実はこのところずっと寝不足の原因になっている。

一番最後に我が家のネコ仲間に入ったのが2006年の11月。子猫のゴローを最初に受け入れたのが親分のゴンタだった。食事のときも寝るときも大いににぎやかだった仲間たちが、一人旅立ち二人旅立ち、ついにエサを取り合う相手もいなくなったところで、ふと気が付けば、寂しい毎日になったというのであろう、これまでなかったことが起こったのである。

毎晩夜中に寝室側のドアの前でニャオニャオと鳴くのである。些細な音で目が覚めるわたしはたまったものではない。かといってドアを開けっぱなしにして寝ると、やはり夜中に何回もベッドに乗って来ては、ゴロゴロの大きな音でのどを鳴らし、中に入って来ては出る、また入るのくり返しで、一緒に寝るんか出るんかどっちやねん! と怒鳴りたいところを我慢している毎夜。

ご当人はこうやって日中ず~っと寝っぱなしができるからいいだろうが、わたしはそうは行かない。
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眠った気がしない、困ったちゃんなのだ。はて、どうしたものか・・・
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2022年1月2日 

明けましておめでとうございます。

クリスマス、年越し正月と夫と二人の静かな、と書きたいところですが、たった二人でも量こそ違え、あれこれ料理することに変わりはなしです。それでも日本のおせち料理を作ることを思うと楽なのかな。

さて、料理はさして得意とはいえないわたしですが、今年はスズキをオーブンで焼いてみました。ベーコン、レモンをたっぷり使いジャガイモ玉ねぎも一緒に焼きました。ジャガイモは太るのを恐れてかなり少なめの量(笑)

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鳥肉ふわふわ揚げとインゲン豆のバルサミコ炒め。
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巻きずし。この辺になると疲れが出てきて、大分手抜き(笑)それでもいつもは6,7本作るのところを今年は3本。
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運よく大根が手に入ったので、大好きな大根とニンジンのナマス。これは美味しくできました!
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そして、我が十八番のパイナップルケーキとスポンジチーズケーキ(写真撮り忘れw)
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と、これだけ作るのに出来上がるころにはヘトヘト。夫はソファに座ってテレビ見てるじゃん~~!!いえね、テーブルセッティングはしてくれましたよ。ま、いいか。正月中、プリプリしても仕方なかけんね。

さて、今日の夕方からまた日本語教室が始まります。1年生なのですが、生徒たちには「あけましておめでとうございます」と新年の挨拶をしてオンラインにあがってくることを宿題にしてるので、それが楽しみです。その後で、あまり使うのは勧めないけど、「あけおめ、ことよろ」の意味を教えましょうかね(笑)

それではみなさま、今年も拙ブログではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
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