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2021年11月26日

ドウロ川に面した小高い丘にあるミラガイア地区はポルトでもっとも古い地域で、古くからユダヤ人コミュニティがあります。

ユダヤ人通り5
Rua do Monte dos Judeusの石の階段。下まで降りると見慣れたドウロ川沿岸の家並みに出ましたが、上るのに多少息切れしました^^;
                            
ドウロ川とは反対側のポルト旧市街、Rua da Restauracaoから入ったユダヤ人通り。
ユダヤ人通り

使われなくなった共同泉。水は出ておらず、周囲には古い石のかけらがたくさん転がっています。これはかなりな年数を経たものでしょう。
ユダヤ人通り6

ユダヤ人通り7

ユダヤ人通り4
ポルトはどこでもそうだが、古い裏通りは日中でも人通りがない。この区域でも、撮影しながら1時間以上うろついたのだが、出会ったのは数人。

ユダヤ人通り9
                  
我が家の辺りもそうだが、ポルトの街は本当に黒猫が多い。
ユダヤ人通り3

猫にカメラを向けていると、中年女性の住人が顔をだして、「ね、この猫たち、可愛いでしょ?うちのじゃないんだけど餌をあげて
るの。こうして玄関に集まるもんで、近所で迷惑がる人もいるんだけど、猫だって食わなきゃ生きていけないんだよ。」

こちらが聞く前に話し出しました。いや、まったく、その通り。わたしと同じことをしている人が、結構いるようで^^;よかれと思って餌やりをしても、迷惑な目で見る人がいることも承知で、この奥さんもわたしと同じくがんばってまする(笑)

ミラガイア地区で同輩に出会った気分の散策でありました。


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某月某日

小雨ふる中、ポルトの街へ「A Casa Escondida」を見に行こうと相成った日のことであります。
Casaは家、escondidaは動詞escondirの変形で「隠れた、隠された」の意味です。

ポルト 隠れた家

写真は並んだカルモ教会とカルメリタ教会で、前者18世紀、後者17世紀に建てられました。この斜め向かいは4頭のライオンの噴水があるPraça dos Leões( 正式名 Praça Gomes Teixeira)です。

「隠れ家」はこの二つの教会の間にあるのです↓(黄色の線で囲まれた箇所)。ふたつの教会は既に見学しているのですが、この狭い家は気付きませんでした。

casaescondida_2.jpg

ポルトで一番小さい家であるだけでなく、恐らくポルトガル国内でもそうではないかと言われています。入り口で切符を買い入ってみました。写真は入り口の前にある階段を上って撮りました。

ポルト 隠れた家

2階はベッドルームと小さな書斎に、3階はリビングルームと小さな台所になっています。

ポルト 隠れた家

写真を撮ってしまってから、夫に「あ、撮影禁止とあるぞ」と言われ、「えー!ちゃんと言ってよね」と自分の不注意を棚に上げて(笑)

幅は2メートル少しでしょうか、更に上階がありましたが、公開は2、3階のみ。250年もの間、ほとんど人に知られずに来た家ですが、ツーリストが増えたところで、公開に踏み切りました。

では、何ゆえ二つの教会の間にこんな狭い家が建てられたのか。調べてみたら面白い理由が見つかりました。先に建築されたカルメリタ教会の隣にカルモ教会を建てるにあたり、二つの教会が並んで建設されるのをバチカンが許可しなかったとのこと。そこで取られた苦肉の策が、間に作られたこの狭い家です。

この家は教会の医者、また教会の建築装飾に携わるアーティストなどの住まいに提供されたとのこと。

また、ナポレオン軍が侵入してきた19世紀初期、同じく19世紀初期の自由主義者と保守主義者との間に起こったポルトガル内戦時などには、この家は密会の場でもあったと言われます。

狭い家は外部からは教会の建物の一部に見えるのでそういう場所にはもってこいですし、小さな窓からは、下の写真で分かるように、広場がよく見渡せることから、いざという時には、カルモ教会に続く廊下から教会内部に逃れられたことでしょう。

ポルト 隠れた家

ポルトの歴史が垣間見られる小さな空間です。


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2021年11月22日 

「元気に自我が育っております」、「毎回行き倒れのような寝かたをしてるよ」と我がモイケル娘が報告してくれる初孫ソラちゃん。あと10日もすれば15カ月になります。

送られてくるビデオを見ると、よく体を動いているのが分かります。しっかり食べるようで、食べ終わると、「ないない」と言うのだそうです。「ないんじゃありません。あったのを食べたから、なくなったのです」とママであるモイケル娘(笑)

うっかり目を離すと、ママの皿のを、食べて空になった自分の皿にいつのまにかのせて食べてるのだそうな(笑)
せんだっての写真には、え?と思ってしまったわたしでした。

sorachan_1.jpg

こ、転んじゃったの?それにしては泣き顔じゃありません。お散歩に出かけ、突然、道路の上で腹ばいになり、体を左右に揺らしてるのだとか。あっはっはっは。道行く人は、あらら?この子、どうしたの?という感じで見るでしょうか。
どこでも思いついたら行動に移す、そんな自由を人は本来持っているのですね。今のうちにそんな自由を思いきり満喫してね、と思っているばっちゃんであります。

さて、子供の服は、特に幼児時代はドンドン成長するもので、あっという間に着られなくなります。が、新品とは行かないまでも、何回も洗わないでお蔵入りがほとんどです。

こちらではあまりリサイクルしないようですが、わたしなどは捨てるのがもったいなく、ついに30年40年と使わなくなった旅行かばんに入れて取って置いたもので、結構いい状態で息子娘の子供時代の服が残っているのであります。下の写真でソラちゃんが着ている上着とシャツ、実は40年ほど前の息子が着たものです。

nov16_3_1.jpg

赤ちゃん服も丁寧に洗い、ソラちゃんに着てもらいました。わたしが取ってある服の中にはこんなのもあります。

coat.jpg
我がモイケル娘が小学生のころ着たコート

ソラちゃんが12歳になるくらいまでの服はだいがい間に合うよん、と娘に言ってあるものの、小さいうちはファッションなど気にせず着てくれるでしょうが、さて、小学校に上がる頃になるとどうでしょうか。

母親が子供のころ来ていた服を、お下がりで娘も着ることができるなんて、いいのじゃないかなぁ、なんて思うのはわたしだけだろうか、昔の人はこうして「きもの」を着廻したのではないかな?と思ってみたり。

昔見たのに、セーターをほどき、その糸を使ってわたしや妹用のセーターを編んでいた母のいた光景があります。今、我が子たちに昔編んだセーターの残り糸を使って、ソラちゃんのセーターに挑戦しているのですが、さすが30年も経つと、毛糸はプチプチ途中で切れ、四苦八苦。セーターはダメかと諦めかけています。

どこからか懐かしい母の匂いがしてくるようです。
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2021年11月20日

結局野良猫アタマォンは、保護した三日目には全く横になったきり水すら飲まなくなったので、点滴で栄養を補ってもらおうと思い、獣医に連れて行き診察してもらいました。

獣医が言うことには、胸部に触ると痛がるので、車に当たった可能性があるとのこと。それならば、道路の真ん中で動けかずにいたのが分かると言うものです。前足云々ではなかったのでしょうね。

鎮痛剤を打ち、点滴をしてもらうのためにクリニックに置いて来たのが、昼前にダメだったと電話連絡が入りました。可哀そうに、もう少し早いうちに保護してあげたら、こうならなかったかも知れないと後悔しきりです。わたしの手に頭を摺り寄せる様子が思い出されてなりません。

が、わたしの人生は続く。話題を変えましょう。


ポルト補習校の講師時代には、直ぐ側を車で通るので、毎度この教会を目にしており、その古いながらも美しい姿に心惹かれて来たセドフェイタ教会を案内したいと思います。

romantico_cedofeita3.jpg
ひっそりとたたずむロマネスク風のセドフェイタ教会の正面で、同じ敷地内には、現代建築で建てられた大きな新セドフェイタ教会が建っています。

igrejanoba_cedofeita.jpg

さて、旧教会の559年に造られたとされてます。当時、ポルトガル国は未だ誕生しておらず、現在のポルトガル北部はカルタゴを破ったローマが進出し、その後、ゲルマン民族大移動により、古代ヨーロッパ民族のスエヴォ族が支配しました。

スエヴォ族の王テオドミーロは、多くのゲルマン諸族に広まっていたアウリス派(後に正統派から異端とされる宗派)を信仰していましたが、559年に正統カトリックに改宗しました。これについては次のような伝説があります。

王は息子のアリアミーロ王子の病の治らないのを苦にし、フランス、トゥールの聖マルティーニュに願をかけ、王子の体重と同じ重さの金銀を託し、使節を送ります。聖マリティーニュの遺骨を持って戻ったブラガ司教がそれを王子にかざすと、王子の病気は瞬く間に治り、テオドミーロ王は謝意を表すために、自分が支配する民を全てカトリックに改宗させ、聖マルティニュに捧げる教会を建築します。

その建築期間が短く、あっという間に出来上がった教会ゆえに人々にはラテン語で「Cito Facta」、つまり、ポルトガル語では「Feita Cedo(はやく完成された)」と知られました。これが現在の「Igreja de Cedofeita de Sao Martinho」の名の由来です。

igreja_cedodfeita
セドフェイタ教会の花崗岩の正門。上にはラテン数字でこの教会が建てられた年号559と彫られてある。

igreja_cedodfeita
 
正面入り口の3本の円柱に支えられた動物、鳥、草木の装飾の中に面白いものが見られる。真ん中は二頭のドラゴンに見えるのだが。右側の彫刻はなにを伝えようとするものなのか。

igreja_cedodfeita

北側上方に小さな鐘が二つ。その横にあ入り口にはモチーフAgnus Dei(=アニュス・デイouアグヌス・デイ)がある。

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Agnus Deiはラテン語で、「神の子羊」ことイエス・キリストを表し、洗礼者ジョン(ヨハネ)がイエスに与えた名称だと言う。

夏にはこの教会で時々結婚式をここで見かけられることがありますが、普段は閉め切ったままのチャペルまがいの小さな教会です。が、2014年に、わたしは偶然の幸運に恵まれ、中に入ることができました。

その日、わたしは教会をカメラに収めるためパチパチやっていると、中年の一組のカップルと鍵を携えた教会関係者がやってきて戸が開けられました。それで遠慮して写真を撮る手を止めて見ているとカップルの男性が手招きして「どうぞ、入ってみませんか?」と誘ってくれるではないか!

うわ~、チャンスが転がり込んできた!この教会に入れる人はざらにいるものではありません。ひょっとするとわたしはこの教会の内部を見る最初で最後の日本人かもよ!と、男性の親切に大いに甘えて、撮影許可も得て内部を見学させていただきました。

igrejadecedofeita_dentro
 
さて、めったに見られる機会がない質素なプレ・ロマネスク建築のセドフェイタ教会内部ですが、概観同様、装飾を殆ど持たないシンプルな建築様式に却って祈りのためだけの教会の美しさを感じました。あちらをパチリ、こちらをパチリ。内部撮影のチャンスをくれた男性が写っています。

セドフェイタ教会は559年に建設された後、8世紀初期には、スペインのサン・チアゴ・コンポステラに向かう巡礼の宿泊所や避難所として利用され、12世紀には修道院になり、その都度、建物の様式は少しずつ変わり、18世紀に入って初期の教会をもとに現在見られる形になりました。

内部には初期の教会のオーナメントが幾つか置かれています↓

igrejadecedofeita_dentro
トップに十字架を頂いた石版。十字架の上三方それぞれが丸みを帯びており、これはテオドミーロ王が改宗した正統カトリックの十字架でしょうか?

igrejadecedofeita_dentro

ほとんど装飾がない中で目に付いたのは柱のトップにある鳥のシンボル。
igrejadecedofeita_dentro

が、その横の石壁に刻まれた記号にわたしは大いに惹かれました。

igrejadecedofeita_dentro

意味するところは何なのか、検索すれど引っかかって来ず。大体が、「画像」を検索してもヒットするのは、外部の画像のみで、内部写真はほとんどありません。何しろ通常は内部見学ができないのですから、無理からぬこと。一件、内部撮影できた人のブログにあたったのですが、この方は残念ながらこのシンボルを見逃していました。

そこで、今回、画像をアップロードするにあたり、ポルトガル語で画像タイトルをつけて見ました。

数日の検索を続けてこれは「イエス、マリア、マルティーニュ(聖マルティーニュ。この教会が彼に捧げられている)」を意味するのではないかとの解釈に到達しました。

少し説明を試みてみましょう。まず、右から三つ目。これは「A.Ω=アルファ、オメガ」の古い文字ではないか。新約聖書黙示録にある次の神もしくはイエスの言葉から来ます。

I am Alpha and Omega,the beginning and the ending,the first and the last。
<訳>:わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。

アルファはギリシャ語のアルファベットの最初の文字、オメガは最後の文字です。

一番右上のOもしくは円も永遠を表すもの。或いはヘブライ語からくるかもしれません(疑問)。右下は三つ目と同じ「オメガ」。真ん中は数字8で無限∞とどれも神、イエスのシンボルと言えます。

さて、では一番左はと言うとどうもどこかの古代文字に思えて仕方がなく、ヘブライ文字をさぐって見たのですが、迷路にはまり込んで疲れました(笑)

自分の性分としては、「イエス、マリア、マルティーニュ」の説明だけでは足りないのです。どの文字が誰を意味し、何語なのか知りたい虫が頭をもたげ、よっし!と5日ほど取り組んで見たものの素人の手に負えず敢えなく撃沈と相成りました。

こういう時は少し間をおいて再びトライすると、案外ヒットすることがあります。初期建設が6世紀という時代から、わたしはヘブライ語だと判断し、向かって右側から文字分析に取り組んだのですが、もしかするとイエスのシンボルは左側からと言う可能性もなきにしもあらず。

この謎の文字を、実はこの間、わたしがポルトガル語を習っているディアス先生と話し合ったのですが、右から三つ目の「アルファ、オメガ」については同意見。しかし、一つ目と二つ目は意見が違いました。先生は二つ目は「時間(これはわたしも考えてみた)」、一つ目は「人間」だと推測。

つまり、神が天地、時間、そして、人間を順に創造し、この人間の出現が「終わり」である、と^^;
え~~~!と異を唱えたいと思う反面、20世紀から21世紀の世の移り変わりを見るにつけ、人間が現れた時が、「Endingである」との黙示録の言葉に重なるような気がしないでもなく、なんだかガツンを頭を殴られたような気がしたのでした。

もし、考察できる方がおられましたらご一報を。

というわけで、この一件、再び棚上げと相成ります。新しいセドフェイタ教会内には博物館があるようで、この謎解きのヒントがあるかも知れない由、いずれ、訪れてみようと考えています。

今日は長い勝手考察、推理にお付き合いいただき、ありがとうございました。お口直しに、わたしの好きなクラリネット奏者アッカー・ビルクの「Aria」を聴いていただきご勘弁願いたい。

素晴らしい宇宙の画像とビルクのアリアの組み合わせは、無宗教のわたしでも思わず、かの聖書の言葉を思い浮かべ、the Almightyこと「大いなるもの」の存在を意識せずにはおられません。

I am Alpha and Omega, the beginning and the ending,the first
and the last, saith(said) the Lord, which(who) is, and which(who) was,
and which(who) is to come, the Almighty.
Revelation 1-8

「which is, which was, and which is to come 」は「King Jame Bible」より。 多くは「who is, who was, and who is to come」とされている。



聖マルティーニュについてはこちら↓
ポルトガルの小春日和「サン・マルティーニュの日

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2021年11月17日 

若い頃は、これを「情けをかけるのは、その人のためにならない」というような意味だろか。それにしても「渡る世間に鬼はない」と言うではないか。ちょっと納得しかねるのだが、と思っていた。

が、真実はその逆の意味で、これは「武士道」の著者、新渡戸稲造の言葉だと後に知って、なるほどと納得したものだ。

全文は「施せし情は人のためならず。 おのがこころの慰めと知れ。我れ人にかけし恵は忘れても人の恩をば長く忘るな」である。

へんに情けをかけると逆恨みされたりする世知辛い今の世の中、わたしの場合は「情けは猫のためならず」とでも言えようか(笑)

この辺りのコロニーの野良猫たちに、毎晩エサ運びをして15年ほどになる。ポルトガルでは、来年からペットにマイクロチップの装着が義務付けられるようだが、動物愛護協会が野良猫たちを捕獲しては去勢手術を施して、また元のコロニーに戻す運動をし始めて、近年は猫の数も随分と減ってしまった。

それでも、3,4匹に毎日エサを届けている。内2匹は、わたしの住むフラットを知っていて、夕方6時から7時の間、駐車してある車の下に隠れてわたしが下りて行くのを待っている。

もう一匹は昔からジョアキンおじさんの畑コロニーに住むオスの黒猫君で、頭が大きいのでわたしと夫の間では、日本語とポルトガル語を合わせて「アタマォン」と呼んでいる。

これが、寄る年波には勝てないのだろう、夏を境にどんどん痩せ始め、エサを持って行くとわたしの手に体を摺り寄せてくるようになり、このままではこの冬を越せないのではないかと、このところずっと気になっていたのである。

「おまえ、うちに来るかい?」と猫に話しかけながらも、なにしろ長年の野良暮らし、果たして家に居つくだろうかという不安と、もう一つ、家に入れるとなると、まずは病気がないか検査をしてもらうのに獣医に連れて行かなければならない面倒がある。夫にはなかなか言い出せないでいたのだ。

が、今週月曜日の朝、路上に座ったまま動かないアタマォンを見て、連れてきてしまった。衰弱しきっている。夫はそんなわたしを見て、何も言わず車庫から猫用のケージを持ってきた。

もしかしたら動けず、一晩中寒い中、地面に座っていたのかと思うと、もっと早くに行動を起こすべきだったと大いに後悔している。

シャワーを浴びせたいところだが、弱っているのでとにかく暖かくして静かに様子をみてからに。

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一日目。おいおい、トイレ砂の上に座っちゃって。違うんだってば(笑)

この日は砂糖水をよく飲んだのだが、翌日から飲まない食べない、動かない状態になった。外猫独特の体の匂いを少しでも消そうと、泡石鹸で体を拭いていたところで、右前脚、肉球の一つに怪我を見つけた。土がこびりついて取れないのだ。

夕方、帰宅した夫が消毒液等を持ち出し、結局、肉球の一つが剥がれてしまうことに。少量の抗生物質を飲ませ、一晩経った今朝、食べない飲まない動かないので、これ以上は何もできないと思い、動物病院にただいま入院中なのである。

この数日中の先住猫ゴロー君の様子が、これです。
Oct15_1.jpg

アタマォンはベランダがある我がモイケル娘の部屋にいたのだが、日中は眠りをむさぼっているはずの寝室サイドに行かなくなり、わたしたちの手の届かない場所に行くようになった。そして、食べなくなったのである。

ははぁ~ん、見知らぬ輩が入って来て、我ら夫婦が盛んに面倒をみてるので、ハンストだな。おかしなもので、最後に一緒に残っていた黒猫ぺトが、いよいよと言う時にも、この猫は同じ行動パターンを取っていた。

アタマォンは助からない可能性大であろう。ゴローの行動からそう覚悟しているのだが、「頑張っておいで。そしたら、晴れてうちで過ごせる残りの人生があるんだよ」と心の中で応援している我が誕生日の本日である。
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2021年11月15日

開校以来21年間、日本の子どもたちに国語と数学を教えてきた毎週土曜日の補習校を2009年に退いて、今度は、時間はあるけれどお金はないと言うポルトガルの若い人たちに日本語を教えられないだろうかと思い立ち、市立図書館で始めたのが、気がつけば10年が経っていました。

biblioteca1_2021.jpg

補習校退職と市立図書館での日本語教室開講の間に、ポルト市と日本のIFF国際親善協会との提携 による第35回「Japan Week」のコーディネーターなるものを依頼され、Oちゃんを引き込んで冷や汗をかきながら、メールのやりとりとポルト市の各施設訪問に追われた準備期間の1年間がありました。

JW2_1_2021.jpg

これについては、拙ブログ左カテゴリ欄の「Japan Week」でエピソードをいくつか紹介していますが、実はこんなものでは語り切れない話が山のようにあるのでして(汗)。イヴェントが終わった後の脱力感と疲労感とで、しばらくはその話に触れたくない思いが強く、書き足すこともなく今日まで来てしまったという具合です。

さほどに、Japan Weekのコーディネーターはわたしにとり衝撃的、躍進的な出来事ではありました。いずれ、綴ってみようかという気持ちがやっと最近起きてきた感じです。

図書館での日本語教室を皮切りに、Oちゃん宅のリビングルーム、借り教室、そしてオンライン教室と移ってきたのですが、ここにきて、マンネリ化の日本語の進め方を変えてみようと一念発起のわたしであります。

このところ、ブログ記事の間が空いたのはそれが理由の一つであります。この案はボツ、このやり方はイケルと長い時間をかけて自分が作り上げたものをうっちゃるのは勇気と根気がいるものだと思いました。

対面授業の方がオンライン授業よりいいとは一概に言えないことに気がついたように思います。それで、思い切ってやり方を変えてみることにしたわけです。

目下、土曜日に3クラス、日曜日に中級の1クラスを持ち、週日は個人授業が4回、その改革授業準備なわけですが、大変だ大変だと言いもって、どこかでその改革を楽しんでる自分がいます。

ブログの間が空いたのには、も一つ理由があるのだけど、それは、きちんと解決を見てから、記事にあげようと思っています。もうちょっとのことなのです。怒りの出来事なのであります。

本日はこれにて。
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某月某日

朝一の血液検査をしにダウンタウンのクリニックに行った帰りのことです。

Sá da Bandeira通りに停めてあった車の助手席にわたしは乗り込み、運転席に座ってハンドルをにぎろうかという夫が、「はい」とわたしに差し出してくれたのは、少し大きめの美しい2枚の落ち葉でした。

落ち葉の季節には、出かけた先で時折地面に落ちている枯葉の美しいのを見つけては、拾い上げて持って帰るわたしの習慣に夫は気づいていたようです。「もうちょっと小さい葉が・・・」と可愛げのないことを言いかけて、その言葉を飲み込みましたっけ。はははは。

oshiba

その場で、持っていた黒いバッグの上に載せてスマホで写してみると、思いがけなくきれいな画像になりました。拾い上げた落ち葉をどうするかと言うと、今では日記とは名ばかりになってしまった、記録の始まりが1978年11月17日の古いノートの間に挟んで押し葉にするのです。

oshiba

中には小さな押し花もありますが、写真の銀杏の葉は日本時代のものでしょう、ポルトガルに銀杏の木はほとんどありませんから。

下の紅葉は2005年にコペンハーゲンを訪れたときの散策中に拾ったものです。

oshiba

北欧の秋は本当にきれいでした。

コペンハーゲンのを除くと、これらの押し葉、押し花をどこで拾ったのかどんな思い出があったのか、40年近くも日記に挟まれいると言うことと、日本から持ってきたと言うこと以外は、記憶にありません。記録の主であるわたしが、時折、手に取ってみる押し葉は、色褪せながらもその乾いてしまった葉脈の中に、40年の時の流れにじっと堪えてきたのでしょう。

その日に夫に贈られた2枚の落ち葉を挿し込もうと、何年ぶりかにノートを本棚から取り出して開くと、ひらりとページの間から落ちた一枚のアジサイの花びら、指で拾い上げたら、粉々に崩れてしまいました。

oshiba

あら~、と言いようのない残念な気持ち。ふとその時、西条八十の「蝶」という詩を思い浮かべたのでした。

やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や友人に
私は何を持つて行こう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだろう。
そうして渡しながら言うだらう。

一生を
子供のやうに、さみしく
これを追つてゐました、と。

これはわたしの最初のホームページ、今はもうないのですが、2005年の「片言隻句」の中に書き取ってあった詩です。父母や友人たちが待つ場所を「地獄」とうたったところが、とても斬新に感じられ、心に残った詩のひとつです。「蝶の死骸」は、「破れた」よりも「粉々」になって、彼の手のひらにのっていたのではないかと、その時、わたしは思ったのでした。

押し花のなんて儚い。もしかしたら、40年の時を含んできた押し花は、ページから滑り落ちて粉々になるこの日を待っていたのかしら? こんなロマンチックなことをわたしに綴らせた(自分で言うかw)夫からの秋の贈り物でした。

本日もお付き合いくださり、ありがとうございます。
では、また。

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