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某月某日 

日本に住む子供たちと3人で日光江戸村へ家族旅行し、一番喜んでたのは実は母親のわたしだったりして(笑)

江戸村1

日光江戸村内では、こんなお侍の姿も見られ、時間をうまく使いこなせば、村内の数箇所の劇場も見て回ることができる。

下は雨さえ降らなければ観劇できる野外劇場。今回は「ねずみ小僧」。ユーモアもあってなかなか面白かった。
江戸村2

一緒に見ていたモイケル格さん、「なに?ねずみ小僧って?」と問う。
「諸説はあるけど、金持ちの大名屋敷から小判を盗んで、貧乏人にそれを施したという、まぁ、いわゆる義賊と呼ばれた江戸時代の大泥棒、ねずみ小僧次郎吉さんよ」と、おっかさんの黄門さま。

そう言えば、しばらく前にポルトガルで読んだニュースに、警察に捕まったのが、富者から盗み貧しい人たちにその盗んだ金品を与えていた泥棒がいたというのがあったが、これなどはさしづめ「現代ポルトガル版ねずみ小僧」と言えましょう。

↓入った村内劇場のひとつ、お大尽(だいじん)の花魁(おいらん)遊び。
江戸村5

花魁もさることながら、その豪華絢爛な衣装の美しいことったらない!
江戸村4

思わず、「きれいだなぁ~」と声に出さずにおれませんでした。西洋宮殿女性の衣装も素敵でしょうが、花魁衣装には適わない
気がしますね^^

ちなみに、ここでのお大尽は観客の中から一人選び出され、「苦しゅうない」「よきに計らえ」のセリフを言わされる(笑)

こちらは、「水からくり」こと江戸伝統の水芸。
江戸村6

そして最後がこれ!ご存知北町奉行、遠山金四郎「お白州」の場面。
江戸村7

ありもしない嘘で言い逃れようとする悪党どもに、出た!胸のすくような金さんの啖呵(たんか)!

江戸村8
「おうおうおう!!!あの日あの時あの場所で、うぬらの悪の一部始終、この遠山桜がしっかと お見通しなんでえぃ。おぅ、これでもシラァ切ろうとでもぬかしやがるのか!? どぉなんでぇい。さっきまでの威勢のいい剣幕、どこいっちまったんだょおぅ!」

カッコいい~~(笑)

こういう訳で、入場料4500円は少し痛かったけど、よしとしましょ!

日光江戸村ホームページはこちら→http://edowonderland.net/

またこの時は、入場券を江戸村ホームページで「手形割引」をプリントアウトして持参すると10%割引とのことで、我ら親子3人で1350円の節約になりました^^

今ではモイケル娘も一児の母となり、この時のような親子3人旅はもうできなくなりました。次の家族旅行はもっともっとにぎやかになりそうです。それが日本になるか、はたまたポルトガルになるか・・・

それでは、江戸村話これにておしまい。

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某月某日

日曜日夕方の日本語教室中級クラスで、テーマパークの話に及び、思い出したのが幼い頃の子供たちと行った東京ディズニーランドよりも大人になった息子娘の親子3人で行った日光江戸村のことだ。

日光江戸村7
日光江戸村入場券こと「通行手形」
 
かれこれ一昔ほども前のことで、わたしが帰国する前に、「母子三人でどこか旅行しなさい」と夫から一泊旅行のプレゼントをもらった。

一泊旅行なら関東に限る、というので、自分がまだ行ったことのない日光東照宮をあげてみた。しかし、日本歴史に疎い我が子たち、これだけでは面白がらないだろうと、日光江戸村をコースに入れて見た。大の大人3人が、わたしの日本滞在中に「江戸村」を楽しんで参ったときのことだ。

↓お供のお調子者の助さん息子とモイケル格さん
日光江戸村5

助さん格さん(すけさんかくさん)って、だれですか?→https://en.wikipedia.org/wiki/Mito_K%C5%8Dmon

北千住から特急スペーシア列車内ではず~っとモイケル格さんをからかい続け、格さんいい加減げんなりしてふくれておりました。

さて、降りたのはわたしたちだけの、江戸村へのアクセスとなる小さな新高徳駅で、改札口を出ようかとの段になり、助さん息子、突然「あっ!」と声あげ、「いけね、切符がねぇ!」と今降りたばかりの向こうホームの電車めがけて、階段上って突っ走る。

「いつものおふざけだね、ったく。」と言う女黄門さまに、モイケル格さん言う。
「いや、あれは本物だ。必死で走ってるもの」・・・・

あぁぁ、しかし、公共交通機関時刻も含めて何事も「まぁ、いいではないか」のポルトガルと違い、非情なるは時間きっかりに発進する日本の電車(笑)、助さん後に残し行ってしまった。

すごすごと引き返してくる助さん息子に、女黄門さま、
「おアホ。だいたいがいい歳して、昔と変わらず、妹をからかって喜んでおるから、こういうことになる!」

で、無いのは切符だけかと問いただすと、
「切符と財布とケータイっす・・・」と青くなっている。
財布の中には、健康保険証、ポルトガルのIDカード(ポルトガルでは常時携帯すべき身分証明書)が入っていたと言う。

こうなると、「おアホ」が「どアホ」になりますって^^;

横で一部始終を見ていた改札口の駅員さん、座っていた指定座席番号を黙って書きとめ、即、たった今発進した列車に電話連絡。
しばらくして、
「ありましたよ。車内に落ちてたそうです。申し訳ないですが、終着駅まで受け取りに行ってください。」
・・・・・・・・・・・

てな訳で、行く予定もなかった「鬼怒川温泉駅」まで行く羽目に!

子供たちが小学生の頃は、長い夏休みは車で随分あちこちを家族旅行したものです。
ポルトガル国内はもちろんのこと、マドリッド、バルセロナ、サンタンデール、アンドラ王国からピレネー山脈を超えてフランス、果ては、ジュネーブと、ヨーロッパは陸続きとは言え、今振り返ればまったくよくできたものだと思いますが、それらの道中、車の後座席で、モイケル娘をからかう息子の度が過ぎるのに、「こら!いい加減におし!」と、幾度車を急停止したことだろう・・・

あの頃と変わらぬ成長のない助さん息子には、女黄門様も叱るのを忘れ苦笑の至り。

どなたか、しっかりした日本のお嬢さん、紹介してくれないかしらん^^;

以下、日光江戸村の写真を一部、ご紹介。

日光江戸村2
江戸村入り口。

日光江戸村2
入り口で控えるお侍。カメラを向けたらポーズをとってくれ、手に持つ脇差を「持ってご覧」と言ってくれました。ズシリ。刀というのは、思いの外重かった。

日光江戸村6
江戸村内。

日光江戸村3
旅籠(はたご=昔の宿)の前で。助さん、ここでもおふざけ顔^^;



本日もお付き合いいただきありがとうございました。
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2021年7月23日 

リスボン大地震時の崩壊した姿をそのまま留めるカルモ教会の横道を進んで行ったところが、なんと知らなかった迂闊、そこが有名なリスボンのショッピング通りにある「サンタ・ジュスタ・エレベーター」に直結でした。
    
Elevador_of_Santa_Justa_platform.jpg
上の写真のみWikiより。

エレベーターの扉
リスボン

これまで何度か訪れたリスボン。その都度このショッピング通りを歩いては横目で見てきたサンタ・ジュスタ・エレベーター(Elevador de Santa Justa)、別名Elevador de Carmo(カルモ・リフト)とも呼ばれます

ポルトもそうなのですが、リスボンも坂道が多くカルモ教会周辺へ行くには上り坂です。このリフトを利用すると楽に行けるというわけです。リフトの高さは45m。カルモ周辺の丘とダウンタウンとの落差が以下に大きいかがこれで分かります。
リスボン

1898年に着工、完成は1902年、ネオゴチックスタイルのこのリフトはフランス建築アエッフェルの弟子だったと言われるポルト出身のフランス系、ラウル・ポンサルド。道理で鉄骨の構造をむき出した様は、エッフェルの作風をかもし出しているはずです。

Lisbon_sanataJusta1_2021use.jpg

リフトのトップから下をのぞいてみた。
リスボン
高所恐怖症気味のわたしには、こわぁ~、です。

リスボン
向こうに見えるはサン・ジョルジュ城。ポルト同様、段々畑のような家並み。

ポルトガルの地方もいいが、大きな街リスボンにはまだまだ冒険すべきところがあります。ポルトからはさほど遠くないことだし、今後は時々ツーリストとして訪れてみたいと思ってます。

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2021年7月22日 ケーキを作った

どういう風ふきまわしだ?と、焼きあがって台所の白いテーブルに載っているチーズケーキを目前にした夫の意外そうな顔ったらなかった(笑)

bolo_3.jpg

もっと手軽に作れる柔らかいチーズケーキも作るが、これは固めのベイクトチーズケーキ。中にはポルトワインに浸したレーズンが入っている。カットした写真を撮りたかったのだが、近所に住む夫の兄にも分けて、気が付いたらもうわたしたちの腹の中に納まってしまっていた(笑)

子供たちが我が家にいた頃は、時々ケーキを焼いていたものだが、元来がバターを基にしたケーキよりも餡を用いた和風菓子が好きな方なもので、彼らが家を出てから、夫の誕生日とクリスマス以外はケーキを作らなくなってしまった。

バイオ食品売り場へ行くと、今では小豆が手に入るので、わたしはときどき餡を作って食べるが、夫も息子もそれが苦手なので、おすそ分けはない。

実は朝方5時には起きてしまい、することがないわけではないのだが、久しぶりにしてみようと思い作ったチーズケーキではあった。

bolo_1.jpg

写真の型だが、わたしの手元に来て32年ほどになる。それ以前の夫の母たちとの6年の同居生活中にも使われていたから少なくとも42年以上の年期が入ったものだ。

bolo5.jpg

二人目の子供、モイケル娘が出来た際に目と鼻の先に引っ越したのだが、その時に姑に頼んでもらってきたのである。ケーキはこれで焼くに限る。
ネタをざっくり混ぜてオーブンに入れ35分ほど待つことになるので、その間、どれ、網掛けのセーターを編もう。孫の青空ちゃん用だ。

そう思ってリビングに行くと、あれぇ~!やられた!

bolo4.jpg

猫のゴローの仕業だ。うっかりイスの上に置きっぱなしにしたのがまずかった。結局、ケーキが焼けるまでの35分間は、この毛糸のもつれと格闘したのであった。

こういう日もあったりする。
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2021年7月20日 

家で一日中じっとしていることができない夫に促されて、日曜日の昼食はよく外で食べることが多い。するとどうしても生ビールの、あるいはワインの1、2杯は飲むことになる。

近頃はそれらを口にすると、アルコールが体内を駆け巡り、まるで体中の筋肉がほぐれるようで動きが鈍くなる。 歳だなぁと自覚しているのである。

日曜日の夕方は中級日本語クラスがあるので、酒類は控えたいのだが、アルコールなしの外食にまだ抗っている。ま、帰宅後小1時間も休息すれば抜けてしまうアルコールの量ではあるが。

そういうわけで、夫に促されるまま、手の消毒液、マスクをバッグに入れてぼぉ~っとついていった。予約していった先は、海岸近くにあるレストラン「Terra」だ。

入り口の階段を上ると、夫がなにやら書類を見せている。あ、あれ?それで思い出した。

あ、そうやった!日曜日はワクチンパスポートが要るんだった!

先週、ポルトガル政府は段階的緩和の見直し発表しました。
それにより、リスクが高いと思われる60市(リスボン、ポルト、コインブラ、ガイア、シントラなど主だった町はほとんど入る)では、金曜日夜から週末、祝日のレストラン店内での飲食には、EUデジタルコロナワクチン証明書、もしくは72時間前までの陰性証明、48時間前までのスピード抗原検査の場合は、保健当局員、認証薬局員の証明等の提示が求められます


4、5日前に自分で上記の如く書いたところやん。なのにコロッと忘れてたのだ。家を出る前にそう言ってよね・・・自分が思いつかなかったと言うのに、内心不満げに文句を言ってたりしてる(笑)

夫がわたしの分もちゃんと用意していたので良かったが、そうでなかったら、ワクチンパスポートを取りに家へ引き返さないと、週末はどこのレストランにも入れないのである。

そそっかしいわたしのことだ、こんなことが起こらないように早速、携帯にそのパスポートをセーブして置いた。こんなことが本当にお上からのお達しになるなんて、誰が想像しただろう。
もういい加減にして欲しいわ。

おまけに、行く先々のレストランでは、もう従来のようなメニュー一覧は出されず、QRコードメニューだ。あの、スマホにかざして読み取る四角い迷路まがい模様のメニューなのだ。これだって、スマホにQRコードを読み取るアプリをダウンロードしないといけないんだ。
code.jpg

先の日曜日には、わたしはさっとできたが、夫のはなぜだか知らないがうまく機能しなかったもので、機嫌が悪くなったではないか。

レストランへ行くのに、消毒液、マスク、ワクチン証明、スマホが必携だなんて、気軽に外食もできなくなった。まだなんとかこのIT社会もどきについてイケてるからいいようなものの、そう遠からず、弾き出されるであろう。

なんだかんだと、年配者にはずいぶんと生きづらい世の中になってきたものだ。
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某月某日 

息子も娘もとうに30を超えましたが、昔から言われる通り、幾つになっても子は子。親にとっては可愛く、なにかと気になる存在です。

そんな訳ですから、日本とポルトガル、遠く離れたわたしたち親子は、親子でスカイプを通じて文字チャットをします。

娘は大学生だった頃、また、息子は時間的に余裕があった日本の生活が始まった頃には、毎日のように親子チャットしたものですが、その頃に比べ、息子は仕事を、また、娘は子育ての現在、日常生活が忙しくなったようで、近頃は、以前のように毎日ではないのですが、ポルトガルに住む私たちを気にかけてくれてるのでしょう、スカイプやで二日置きぐらいに声をかけてくれます。

ある日のこと、スカイプで声をかけて来た息子曰く、「今日の仕事、あがった。二度も電車の方向間違ったアホ(笑)」と来た。「ふ、二日酔いじゃぁないのん?」と言う母親に、「平日や次の日仕事がある日は飲まない」。

ふむふむ、いい心がけだ。もう家なの?と聞くと、「えへ。帰宅前にちょっと一杯ひっかけてる」
おい!花金は明日だよ。平日や次の日仕事がある日は飲まないと言った矢先ではないか(笑) すると、たまたま翌日は仕事がなくなったのだそうだ。なぁんだ。

「帰宅前にちょっと一杯ひっかけてる」なんて、すっかり日本のサラリーマンもどきではないの、と実は苦笑した母でありました。
仕事が終わったらまっすぐ帰宅するのが習慣のポルトガルにはない表現だからねぇ。
「ちょっと一杯ひっかける」・・・なんて日本的な響きだろう^^
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某月某日 

mosteiro_jeronimo

歴史を知らずして観光に行くのはもったいないと思う性質なもので、ポルトガル案内がついついクドくなりがちです。今回もそのパターンを外れることなく参りますので、ご勘弁のほどを。

ジェロニモス修道院を最初に訪れたのは、35年ほども昔になります。今は幼かった我が子たち、それに亡き我が母をともなって家族で行きました。

当時は今と違い、パリー成田間が17、8時間もかかり、そこから更にポルトへ飛ぶわけですから、その長旅は30代のわたしでもかなりきつかったものです。その次の年には70になろうかと言う母、旅程を考えると何かあったらどうしようかとの思いが強かったのですが、どうしても娘のわたしが住む国を一目見たいというので、帰国時に一緒に連れて来ました。

当時の母の年代で一般人がヨーロッパへ出かけることは稀だったと思います。よくぞまぁ、はるばる来てくれたものだと、ジェロニモス修道院を見ると母のことが思い出されるのです。

また、補習校時代には修学旅行で子供たちを連れて行きましたし、日本の妹夫婦ともと、何度かあります。

mosteiros-dos-jeronimos1.jpg
大きなジェロニモス修道院の全容は我がデジカメには納まらず。写真はWikipedia からです。

ジェロニモス修道院の正式名はサンタマリア・ド・べレン修道院です。
ここには15世紀の半ばに既にキリスト教騎士団団長のエンリケ航海王子がジェロニモス教団のために建てた教会がありましたが、ローマ法王の許可を得て、大航海時代の巨万の富を元に莫大な費用をかけて、「幸運の王」との別称を持つ、ドマヌエル1世が大きく完成させました。1502年に建築が始まり完成には100年の年月を費やしたといわれます。

俗に「ジェロニモス修道院」と呼ばれるのは、ドン・マヌエル一世が、王の永遠の魂と世界の大発見の航海に出る船乗りたちに精神的な援助を与えるために祈ることを条件として、ジェロニモス教団を住まわせることにしたからです。この約束はポルトガル王国が崩壊する1833年まで400年もの間続けられました。

さて、写真はテージュ側に面した南門、サンタ・マリア教会の入り口です。
mosteiro_jeronimo

これから、ジェロニモスとは、そしてわたしがここで発見したことを書いてみたいと思います。

ジェロニモと聞けば、わたしなどは「ジェロニモ太郎」が先ず浮かんでくるのですが、皆さんは知らないか(笑) 「ジェロニモ太郎」はわたしの記憶では、テレビがなかった我が子供時代のラジオドラマのひとつだったと思います。アメリカへ渡り西部を冒険する日本少年の話で、頭のどこかに未だ、

「♪馬にまたがり 縦横無人 強く正しくたくましく 正義の人とうたわれん。 その名を呼んでジェロニモ太郎、 あ~あ、テキサス快男児~♪」

ちゅう、テーマソングが残っているのです(笑)

さて、南門、二つの門の間に立つ像はエンリケ航海王子ですが、その上部画像を拡大して、あれ?と思ったのは、ライオンとともにいる人物像でした。
mosteiro_jeronimo

更に拡大してみましょう。
mosteiro_jeronimo

あらま、これは「荒野の聖人ヒエロニムス」ではありませんか。ヒエロニムスと分かるのは側にライオンが見られるからです。(←1の部分 )ヒエロニムスは4世紀 の神学研究者であり、シリアの砂漠で隠遁生活をしながらヘブライ語を学び、聖書をラテン語に翻訳します。中世から現在まで、彼のラテン語訳聖書はカトリック界のスタンダードになっており、後に聖人、もしくは教父とされます。

ヒエロニムス像にいつもライオンが描かれるのは、彼の前に現われたライオンの前足に刺さっていた棘を抜いてあげ、以来ライオンはヒエロニムスの側にはべるようになったという伝説から来ます。
jeronimos9.jpg

ヒエロニムスが描かれる絵のもうひとつの特徴は、赤い衣と赤い帽子です。

そこで、今回、インディアン・ジェロニモとこのジェロニモスとの関連があるか否かは置いときまして、そんなことを思い出しクックッと笑いを嚙みしめながらポルトガル語のJeronimosを引いてみると、正にヒエロニムスのポルトガル語でした!

そして、ジェロニモス像にある帽子(2→の部分)と上の絵の帽子、これを見て、あっ!と思い出したのがこちら!

mesquita17

2010年にコルドバのメスキータ内で見た「不思議~」と思っていたシンボルが、その時はっきり解明したのであります。ヒエロニムスの独特なデザインの帽子は枢機卿の帽子とのこと。

コルドバの不思議記事はこちら→「メスキータで見つけた面白いもの

なるほどなるほど。この紋章が果たして誰のものかは分かりませんが枢機卿の帽子ねぇ。それを、「ばいきんまんUFO」と比べるなんて、トホホホ^^;

というわけで、ジェロニモス修道院はヒエロニムス修道院、荒野の聖人ヒエロニムスとの関連が判明し、すっきりしたのでありました。

ジェロニモス修道院に彫られた絵から、このような展開になった過日の記事でしたが、みなさまはご存知でしたでしょうか。

では、本日はこれにて。

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2021年7月14日 

今は東京に住んでいる息子がリスボン大学で学んでいた時の話。以下。

台所に立って夕食を作っていたら、息子から電話です。「携帯の金、ほとんど入ってないから、そっちから電話して!ピッ!」 家の固定電話もなぜか壊れて繋がらないという。

なんちゅう生活をしてるのよ、と思いながら、こちらからかけ直しました。

その週は大学の卒業試験の結果が出ることになっていました。パスしなかった場合は、9月に再試験があるのだが、その申し込みが前日までした。

それなのに、いまだ結果が発表されないのはいったいどういうシステムなのよ@@ 息子は、多分大丈夫だと思う、とは言うものの、そんなことはふたを開けて見ないことには分からない。

その朝は、メッセでおはようの挨拶代わりに「大学へ行って再試験の申し込み、念のためしとけよ~」と言っておいたのでした。

電話で息子、「さっき試験の結果が出た。2点・・・」(←20点満点の)
思わず受話器を落っことしそうになり、大声で「に、2点!!」頭上にゴ~~~ンと大きな鐘が鳴った、ゴンゴンゴン。「・・・・・・・・・・・」口をついて出る言葉もなく無言の母。

間をおいて息子、「えへへへへ。通ったぞぉ。全部終わったぞぉ~」 オバカ!いっつもこれなんだから!と、息子相手に悪態をつきながらも、思わずヤッター!と喜びの雄たけび、いえ、雌たけびを上げたのでした。


ポルトガルの大学は当時五年制だったのだですが、途中の1年間は、息子め、ほとんど授業に出ないで試験を受けていたらしい^^;馬鹿者めが、あなどってはいけません。

子供の頃からずっと、高校時代の試験ですら2時間ぶっ通しで勉強したことがないヤツだ。
「アンタ、勉強してるよりも、ギター弾いたりして休憩してる時間の方が長いじゃない」と苦笑したものです。

それでも成績はそこそこだったので、もう少し力を入れればもっといいのが取れるのにな、と残念な思いで見ていました。

しかし、大学受験に相当する国家試験の時は、さすが息子のその様子が気になり、夫に
「あんなんで大丈夫かしら?」と心配をぶつけると、「集中して勉強するのだろう。時間が長ければいいというものではない。放っておきなさい」

ふ~~ん。頭は切れないが、目標がある場合は目いっぱいの努力、勉強をするわたしには、
なんだか納得できないものの、放っておくしかない。

その息子がこの卒業試験前の2ヶ月ほどは、数学に苦闘しておった。そして、やっとその日コンピューターサイエンスのコースを終了。無事卒業なのであった。

卒業式もなにもない、終了証書が出るだけの(それも数年後だった。笑)、まことに味気ない卒業です。

この6年間の仕送りは長かった。特に夫にとってはそうだったと思います。。リスボンのアパート事情は今でも大変なのだが、当時もヨーロッパの都市で、最も家賃が高い一つに数えられていた。因みに近年のポルトガルの最低賃金は700€くらい。1ベッドルームとリビングルームで月700€はくだらないような気がする。

大学1年目は湿気が多い劣悪な借家を友人とシェアしていたが、健康を害するのではないかと心配で、結局、リスボンの目抜き通り、リベルダーデ大通りの横道を入り石段を上ることになる、昔からの古い家並みが立て込んでいる小さなアパートをローンを組んで買うことにした。

リスボン家2 リスボン家1
   
アパートのドアをくぐり、急な階段を上った最上階の小さな窓の部屋が息子の住居でした。息子はここに10年住み、彼が日本へ行った時点でわたしたちはアパートを売ってローンを清算しました。

今朝はモイケル娘の小さい頃の夢を見ました。夢の中で娘の名前を呼んでいるのです。しょっちゅうしなくてもいい冗談でわたしをギクリとさせていた息子は、今年の夏も帰って来ない。

思い起こすのは、子供たちが残して行ったできごとです。親って切ないな。
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2021年7月11日
 
3月中旬からコロナ禍対策非常事態を徐々に緩和してきたポルトガルは、このところデルタ株感染者が急増し、死者数は一桁で済んでいるものの、感染者数はここ1週間で毎日平均3000人を超えているようです。

先週、ポルトガル政府は段階的緩和の見直し発表しました。
それにより、リスクが高いと思われる60市(リスボン、ポルト、コインブラ、ガイア、シントラなど主だった町はほとんど入る)では、金曜日夜から週末、祝日のレストラン店内での飲食には、EUデジタルコロナワクチン証明書、もしくは72時間前までの陰性証明、48時間前までのスピード抗原検査の場合は、保健当局員、もしくは認証薬局員の証明等の提示が求められます。

また、ホテルチェックイン、イベントや結婚式洗礼式においても同様だとのこと。(ただし12歳以下は対象外)
今年2月、ワクチン接種をするかどうか、迷っていた時に、

あれこれ考えていたら、うわ、やっぱり出た!と思ったのがワクチンパスポートの話です。コロナワクチン証明書を提示しないと海外旅行ができないとなったら、さぁ、帰国しようかと言う段になってすぐにワクチン接種はできるのか?2回目も終えるとなるとほぼ一か月は待つことになります。

まだはっきりした結果が出されていないワクチン接種はできるならしたくないものの、それなしで帰国できないことになるかも知れないと考え、接種することにした、

と書きましたが、その頃も、ワクチン証明がないと帰国はおろか、レストラン、カフェ、スーパーにも入れなくなるなんてことは冗談だよねぇ、などと夫と笑っていたのが、本当になるなんて、なんてことでしょう。

今のところ、カフェやスーパーはこの新規規制がありませんが、この先、感染者数が激増するとどうなるだだろうか。

行きたい時に行きたいところへ自由に行けなくなる生活が、コロナとの共存生活ってことになるのは誰しもがごめん被りたいところです。これがいつまで続くんやろかと考えてもしょうもないことなので、今日のブログ日記もグダグダ書く前に。この辺で止めときましょう。

ほんま、ワクチンパスポートて、なんやねん?
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2021年7月9日
 
「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、1996年に放映されたとある向田邦子ドラマ劇場シリーズのひとつ、「風たちぬ」のラストシーンで使われる言葉だ。

堀辰雄の小説、また近年ではジブリアニメで最初の部分がタイトルになっているが、わたしはどちらも読んでいないし見ていない。
今回見たドラマでも「風立ちぬ」だけで終わっていたら、確認することもなかったと思う。わたしは「いざ生きめやも」に惹かれて意味を辿ろうとした。

すると、あらま、このフレーズは堀辰雄が翻訳したフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の最後の連(?)にある始めのフレーズなのであった。

ヴァレリーのこの詩は長編詩なので載せるのを省くが、わたしの持つ詩集の翻訳には、

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
「風が起こる・・・・・いまは生きなばならぬ」とある。(1969年出版マラルメ・ヴァレリー詩集) 人それぞれ感じることはあるだろう
が、わたしには堀辰雄の翻訳の方が遥かに素晴らしいと思われる。

この詩の墓地はヴァレリーの生まれ故郷で、南フランスの地中海に臨んだ町セートだ。ヴァレリーの先祖の墓があり、彼自身もその墓に眠っていると言う。

Umibenobochi.jpg
Wikipediaより。ヴァレリーが眠る南フランスの海辺の墓地。

ところで、ヴァレリーの「海辺の墓地」で思い出したのが、長年過ぎてついにその詩にわたしがたどり着いた英詩の一行、「とどろく海辺の妻の墓」がある。以下に。

「とどろく海辺の妻の墓」

海の上で太陽が光を雲間に閉じ込められながら、かろうじて姿を見せている一枚の写真があります。

roca.jpg

これは撮った写真を白黒にしてみたわけではなく、目まぐるしく天気が変化するロカ岬でスマホを利用して撮影したものです。暗い画像に、わたしはある詩の一行、「とどろく海辺の妻の墓」を思い出したのでした。

ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアは詩人のみならず作家、翻訳家でもあり、エドガー・アラン・ポーの訳詩もしていました。

高校時代には、苦手な理数系の勉強はほったらかしに、フランス文学、ロシア文学、ドイツ文学の著名なものを図書館から借り出しては、外国文学の起承転結の明確なところにわたしは心を躍らし、片っ端から読みふけったものです。

そして、20歳頃にグワッとのめりこんだのに、松本清張シリーズがあります。「黒い画集」から始まり、清張の作品のかなりを読みました。
「社会派推理小説」と当時呼ばれた清張の作品は、大人の匂いがプンプンして、20歳のわたしは世の中の理不尽や犯罪に駆り立てられる人の心理を、こっそり覗いたような不思議な刺激を覚えたものです。 

それらの中でも特に心に残ったのは、霧の旗、砂の器、ゼロの焦点です。つい先ごろ、この「ゼロの焦点」をもう一度読み返す機会があり、思い出したのです。20歳の頃、気になりながら当時は調べようもなかった詩の1節がその本の中にあったことを。

In her tomb by the sounding sea. とどろく海辺の妻(彼女)の墓

訳が素敵だと今も思います。

戦後の混乱期の自分の職業を隠し、今では地方の上流社会で名を知られている妻が、過去を隠さんがため犯罪を犯す。やがて追い詰められた彼女が、冬の日本海の荒れた海にひとり小船を出して沖へ沖へと漕いで行く。その愛する妻をなす術もなくじっと見送る年老いた夫の姿を描くラストシーンに出てくる英詩です。

当時、この詩がいったい誰によって書かれたものなのか分からないまま長い年月が経っていたのでした。改めてこの本を読み終わりgoogleで検索してみようと思いつき英文でそのままキーワードとして打ち込みました。

おお、出たではないか!一編の詩に行き着きました。
この詩は、「Annabel Lee=アナベル・リー」と題されるエドガー・アラン・ポーの最後の作品なのでした。(詩全部をお読みになりたい方はWikipediaでアナベル・リーと検索すると出てきます)

「アナベル・リー」は、14歳でポーと結婚し、24歳で亡くなった妻、ヴァージニアへの愛を謳ったものだそうで、ポー最後の詩だとされています。

「とどろく海辺の妻の墓」は、その詩の最後の1節です。エドガー・アラン・ポーといいますと、わたしなどは、「アッシャー家の滅亡」の幽鬼推理小説家としての一面しか知らず、詩人でもあったとは、無知なり。

Wikipediaで検索しますと、ポーの大まかな人生が書かれていますが、残した作品に違わない(たがわない)ような激しい愛の一生を終えた人です。

50年近くも経ってようやく、「ゼロの焦点」のラストシーンと、このポーの人生の結晶である「アナベル・リー」の詩がつながったのでした。

ロカ岬の暗い画像から、リスボンの詩人フェルナンド・ペソア、そして、ポーのアナベル・リー、松本清張の「ゼロの焦点」のラストシーンにつながるとは奇遇なことです。

う~ん、これは清張ばりで行くと「点と線」が繋がったとでも言えるかしら。(註:「点と線」は松本清張の推理小説)


向田邦子のドラマからこんな話に及んだのですが、ドラマや推理小説から学べることが大いにあると感じたこの数日でした。
おかげで頭の疲れは治ったものの、ドラマの見過ぎで今度は目が疲れて、クマができたわけで。

何事も、過ぎたるはなお及ばざるがごとしでござる。

ではみなさま、また。
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2021年7月7日 

やれ、コロナ変種デルタ株だ、ポリティカルコレクトだ、ジェンダーレスだ、ルッキズムだ、果てはトランスジェンダーの女子競技参加だ等々、毎日こういうニュースを目にしていて、もうついて行かれへんなぁと、気持ちと頭が疲れ気味のこの頃。

そうでなくても、コロナ禍で家にとじ込みりがちな日々だ、気持ちを切り替える必要があると判断し、ここ数日、日本の古いドラマを見ていた。

たまたまYoutubeで「向田邦子ドラマ劇場」を見つけたのがきっかけでもある。このシリーズは1990年代後半に放映されたようで、運よく結構な数のエピソードが載せられてある。

向田邦子の文体が好きなのと、話が昭和10年代を中心にしているので、わたしの子供のころの記憶と重なるものがあって懐かしいのとで、彼女の短編集を初めて手にして以来のファンである。

彼女は1981年に台湾の飛行機墜落事故で亡くなっているので、その原作をもとに久世光彦が演出している。

ドラマ題「空の羊」では、三人姉妹の吃音性の三女が、詩の朗読の練習をしている場面がある。それが「空の羊」と言う詩なのだが、聞きながら、「あれ?この詩、西城八十の詩風みたいだなぁ」と思い、調べてみると、なんと!ズバリだった。

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「空の羊」  西城八十

黄金(きん)の小鈴を頸(くび)にさげ
唖の羊は群れ過ぐる。

昨日も今日も夕月の
さむきひかりの丘の上。

ありし日君とうち仰ぎ
青き花のみ咲きみちし、

空はろばろとわかれては
悲しき姿(かげ)のゆきかよふ。

ちぎれて消ゆる雲なれば
また逢ふ牧は知らねども、
こよひも寂し鈴鳴らし
空の羊ぞ 群れ過ぐる。


現代詩も嫌いではないが、七語調の律を持つこうした日本の詩は美しい。ドラマからは外れるのだが、西城八十の詩については、もうひとつ、ブログに書いてあるので、再掲したい。以下。

2015年2月18日 推理小説で出会う詩たち

取調室の床いっぱいに落ちた、無数の羽根のような感情の残滓。一美の掌から舞い上がった心の断片。嘘と真実。武上の目の裏で、そのイメージが、頼りない蝶の羽ばたきと重なった。寄る辺なく孤独で、真っ白で。
「やがて地獄へ下るとき・・・」わずかに抑揚をつけて、呟くように徳永が言った。
「そこに待つ父母や友人に、私は何を持っていこう」
「何を持っていくんだ?」
「え?確か・・・・」徳永は考えた。「あおざめ破れた蝶の死骸・・・」

つい、先だって読み終えた文庫本宮部みゆきの「R.P.G.(Roll Play Game)」の最後の場面の書き抜きなのですが、こんなところで、西条八十の詩にめぐり合おうとは思いもしませんでした。

やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人にわたしは何を持って行こう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだろう。
そうして渡しながら言うだろう。

一生を
子供のように、 さみしく
これを追っていました、と。

父母や友人たちが待つ場所を「地獄」とうたうところが、とても斬新に感じられ、夢を追う人の一生の儚さ、淋しさが摘み取られる心に残った詩のひとつです。西条八十と言えば、そのほか心に残っているのは小説「人間の証明」に出てくる「ぼくの帽子」です。

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。


本やドラマ、映画に、自分が知っている忘れかけていた詩に出会うは、とても嬉しいものだ。

過去に、長年かかってやっと詩の出所を発見したという経験があるので、明日はそれをあげたいと思う。

ではみなさな、また。
      
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2021年7月5日
 
今秋74になるが、次回帰国した折には2,3カ月滞在し、してみたいことがある。

一つは、一時期没頭していた木彫りだ。何年も彫刻刀を手にしていないので感覚を忘れてしまった。3、40年ほど前にポルトガルに持ち込んだ材料はまだ何枚も残っている。木彫はこの先の手慰みにできたらいいなと思っている。

もう一つは、パソコン教室で基礎を習いたい。今こうして訳も分からないまま適当にクリックしては勝手気ままに使っているが、ひょっとして恐ろしいことをしているのではないかと、思ったりする。基本的なことをきちんと学んでいたら、使い方も丁寧になるのじゃないかな?なのである。

三つ目だが、これは長年してみたいと思いつつ、ついぞ今まで実現できなかったこと、ダンスを習いたい!今風のじゃ、リズムについていけず、ズッコケるのが目に見えているから、わたしの場合は、ソーシャルダンスだ。

このダンス、ポルトで一度夫と教室を見学に行ったことがある。
乗り気じゃない夫の尻を叩き、ある日の夕方7時からポルトのダウンタウンにあるダンス教室を見学した。夫の同僚夫妻が通っていて、わたしが社交ダンスに興味を持っていることを知った彼らが呼んでくれたのであった。

週に一度、日曜日の夕方とのこと。これならなんとかなりそうと思ったのだ。紹介してもらったダンスの先生、「ヒェ~~、背が高い・・・」オーストリア人で、ウインナーワルツのコンテストでも受賞した方だと言う。

ワルツを夢見るわたしではあったが、イングリッシュ・ワルツとウインナー・ワルツのステップが違うとは!見学に行って初めて知った。

わたしはとうとう夫の同僚のご主人に引っ張り出されて、ステップをろくすっぽ知らないのに、踊らされてきた。タンゴもワルツも何と言ってもその音楽にもあらためて魅せられたのであった。

が、夫、いまいち乗り気ではない・・・でも、分かるのだ、わたしたち二人がパートナーを組んで踊ると、いったいどういうことに
なるのか(笑)

音楽も歌うのも、家中いっぱいに流れるようにやるのがわたしの流儀。夫は逆ですがな。聞こえるか聞こえないかの音量だ。いつも、外から帰ってくると、「声がでかい、音量が高い・・・外まであなたの歌が聞こえてる」

レストランでは、「さっさと食い物飲み物、持ってこんかい!」と待つのが嫌いなわたし。夫は逆ですがな。「まぁ、急いでいるわでじゃなし。いいじゃない」

口笛は天下一品!子供のころから自慢で、リズム感も抜群のわたし。(いや、ほんま^^。口笛はさすが歳でさびれてきたが)
夫は逆ですがな。口笛、いいんだけどね、なんか、なんかが違うのだ・・・それで夫が下手な口笛を吹き始めると、わたしはイラつき、心中は「はよ、その口笛止めれ~」(笑)

ざっと三つ上げただけでも、わたしたちのこの性格の違い(笑) その他、先日もブログにあげたが、「アリとキリギリス」の話がある。https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2487.html参照

更に、息子、娘が呆れたバター戦争の件だってある。
夫は固いバターを頑張って薄~くナイフでのばして取り、パンにつける。片やわたしは、「それなら、冷蔵庫の外に出しておけばいいじゃない。固いバターは、バターそのものを食べてるみたいでいや!」(もちろん、夏は別)

それで、どさくさにまぎれて外に出して置くと、「バターを冷蔵庫に入れておくべし」と夫が抗議する。毎日食べるバターだ、冷蔵庫外に置いたとて、いたんでしまうところまで行く以前に食べてなくなってしまうでしょ(←わたしの言い分)

要は、彼は固バタ党、わたしはソフトバタ党。んじゃ、今日からバターは二つにすれば?こっちの箱にはyuko、そっちの箱にはCarlosと名前を書く。これでどうよ!とまぁ、こんな具合だ。

面白いもので、家から目的地へ着くまでの車で走る道もわたしたちは違うのに気づいた。「時間的にはわたしが通る道の方が早く着くけどね」と言っても、「僕が運転するときは僕の勝手だぞ」と、テコでも変えない夫。おかしいったらないよ(笑)

つまり、わたしたちは真逆の夫婦ということだろう。これが40数年続けられたのがエラいと思う(←自分で言うか。笑)
だから、こんな二人がダンスで組んだら、どんなことになるか目に見えている。結局、ダンス教室の件は流れてしまったのだが、やはりステップをちょっと踏めるようになりたいと、わたしは未だに思っているのだ。

結婚して40数年にもなると、上にあげたような痴話喧嘩もなくなると思いきや、そうではないのがわたしたちだ。上の例以外にも、いずれ、機会があれば言ってやろうぞ、と思うことは、まだいくつかある。笑。 この辛抱がいつキレるか、あるいはキレる以前に、自分がお陀仏となるか、はははは。

チャンバラも意外と活力が出て元気になったりするのである。この手の怒りは活力につながるようだ。プンプンしながら、意外と姿勢がシャキッとしたりしている。
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2021年7月4日 

2日前になりますが、孫ちゃん、とうとう一度も会わないうちに1歳になりました。コロナめ!であります。

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モイケル娘が30数年前に着た洋服を青空ちゃんも着て^^

写真やビデオをしょっちゅう送ってもらっているので、孫ちゃんの成長の様子は分かりましが、実際に会ってスキンシップするのとは、やはり違うでしょうね。

いつ帰国できるか目途が立たないこの頃、なんだかエイヤ!の気合も薄れて、ダレ~としているこの頃で、イカンのぉでございます。

下の写真は生まれてあまり日数がたっていない頃の青空ちゃん。7月2日午後10時半に誕生。
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こちらは、11カ月少し。つかまり立ちが始まりました。ママのマネでもして、テレビの画面を拭いているのかな?
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ただいま、水を飲む練習です
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我が日記を見ると、モイケル娘もこのことから伝い歩きが始まり、1歳になると同時に歩き始めています。その頃の彼女の興味の対象はトイレと台所(笑) 母親が自分の側からいなくなる時に行っている場所だと理解していたのでしょうかねぇ。

ついでに、モイケル娘の12,3カ月ころの写真も。
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んまぁ、「見てみて。鍵、ちゃんと持ってるよ」とでも言ってるのでしょうか。危ない危ない。
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今日は親バカの類でありました。
では、また。
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2021年7月1日 

朝、パソコンを開くとスカイプに東京息子からメッセージが残っていた。
「ポルトガルから日本に戻る時のことを調べているんだけど、云々・・・」
わたしが母国日本へ帰国したいのと同様に、息子も生まれ育ったポルトガルが恋しいのだろうな。

日本に憧れ日本の大学を目指し18歳で渡日したモイケル娘と違い、27年間をポルトガルで過ごした息子だ、ポルトガル気質がどっぷり入っている。

一昨年までは日本の大学が休講に入る春と夏休みの2度はすかさず帰国してきていた。ここでの友人が多い彼は懐かしいその友人たちや幼馴染たちに会いしゃべりまくって、ここで異国日本社会でのストレスを解消していたことであろう。

それが武漢ウイルス発生以来、この夏でもう2年帰国していないことになる。アパートでも人を集めて小さなパーティーを開くくらいだから、人との接触を避けなけらばならないコロナ禍には、うんざりしているだろう。

今日は、その息子が日本に住み始めた当時の話をば。以下。

見通しがつかないポルトガルの将来に愛想を尽かし、結局、もっと実入りがいいと言うので、ついに彼も妹に遅れて日本上陸を果たしたかれこれ13年前のこと。

当時、モイケル娘は正社員として採用され、社会保険等の問題はなく安心できたのだが、息子の方、某有名語学学校での仕事はあくまでも契約社員であった。社会保険等は、役所まで出向き申請して、受け取る謝礼の中から自分が支払うことになる。

わたしが特に心配したのは「健康保険」だ。
人間、こればかりは予測がつかない。いざと言うときに全部自腹を切らなければならないというのは恐ろしいことである。

子供たちが幼かった頃は、帰国時に所沢の妹宅に滞在したわたしが、まず最初にすることは、市役所へ出向き海外からの転入届けと同時に、国民健保に加入することだった。

やれ風邪をひいただの、怪我をしただの、歯が痛いだの、腹が痛いだのと子供というのは小学生のうちはしょっちゅうそういうこなものである。他に関してはおっちょこちょいでズッコケてるわたしだが、母親としてのそういう点は、自分でも意外なくらい慎重すぎるタチなので、健保加入なしで、一ヶ月もの滞在などとても怖くてできるものではなかった。幸いにして、一度もその制度を利用するようなことは起こらなかったのだが。

息子と娘が合流し、日本での社会人デビューをした年に、わたしは3週間ほど帰国し、子供たちの住む千葉県のアパートに滞在した。その時に、日ごろ、スカイプで子供たちとはよく話しているので、一応確認済みではあったが、息子に聞いてみた。

「健保はちゃんと手続きしてあるのね?」
「うん。まとめて請求書をもらってるし、隣のコンビニから払えるし」と息子。
「どれどれ、見せてご覧」


年間分綴られた請求書カードをパラパラめくったところ、あれれ~?@@6才年下の妹であるモイケル娘が世帯主になってるじゃん!

母「モイちゃん、あんた世帯主だってよ~
 (世帯主=主に生計を立てていてその世帯を代表する人)」
モイケル「ぎょえーーー!」


笑ってしまったわたしたちであった。
英語とポルトガル語のバイリンガルはばっちりの息子だが、日本語はと言うと、週に一度の補習校には中3まで通って修了したものの、以後、大学はリスボンだったので、日本語からすっかり離れてしまい、見る間に彼の頭から漢字は蒸発、一応読めていた中学生の教科書もその後は一度も開かれることなく、いつの間にか息子からは「難しい本」の部類に押しやられてしまっていた。

その息子が日本にわたり、当日はモイケル娘が仕事で同行できないものだから、一人で市役所へ出向き、住民登録してきたと言う。自分の名前と住所を漢字で書けただけでも増しというものだ。

あ、そう言えば、どっかで世帯主モイケル娘の名前の一字が抜けて印刷されていたぞ(笑)

「主としてその世帯の生計を維持している者、及びその世帯を代表する者として社会通念上妥当と認められる者」という2つが世帯主の要件になる。「生計を維持している者」は息子の方が収入が多いので当てはまらないが、「世帯を代表する者とし(日本)社会通念上妥当と認められる者」という点では、モイケル娘の方が妥当だろうと思った次第だ。

本当は同居していても、それぞれが世帯主にはなれるのだが、わたしはうっかりそれを子供たちに話すのを忘れたのであった。

役所でも「妹さんが世帯主ってことでいいんですね?」とか言って、確認しないのかな(笑)

6才年下の妹が世帯主というのもなぁと気になっていたので、
「一度役所に行って確認しておいで」とモイケル娘に言っておいた所、平日に休みを利用して行って来た彼女の報告は、

「おっかさん、やっぱりわたしが世帯主になってた~~。
んもう、(兄貴に)インデペンデントしてほしいわぁ。」(笑)


えらそうに、よぉ言うわ、モイケルよ(笑)

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ポルトの海岸で。

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2021年6月30日 

2004年年6月30日、水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かったモイケル娘でしたが、この日はちょうど夫の誕生日で、曰く「What a nice present」と夫。わたしはと言えば、一日中なんだか深いいため息ばかりついておりました。

しかし、今からこんなことでしょげてはいられませんわ、と己を叱咤激励。で、「さて。じゃ、娘が去った後の部屋を少しづつなんとかしてみようか。」と思い立ち、とりあえず、机上の散らばっていたペーパー類を手当たり次第にくずかごに放り込んでおりました。

すると、見覚えのある財布が目につきました。「なんだ、こんなとこにまだわたしの使い古しの財布を置いてるわ。」と机の上に見つけたそれをいったんは紙くずと同じくくずかごにポイと放り込んだものの、「ん?」とちょいと気になり、念のためと中身をあらためましたらましたら~。

おお!なんとまぁ、「福沢諭吉さん」が二枚入っているではないの!もうちょっとでこれ、捨ててしまうとこだったで・・・^^;この2万円、ポルトガルでは4万円の価値があるのよ~(当時の話です)。ホクホクホク。
モイケルめ、きっと今頃、家計簿の計算があわないでいるに、違うない。黙って我が懐にいれ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~~」くらいに言っとこうか。

しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセで見つけ彼女に話しましたら、「親譲りの天然ボケだ」と言下、そ、そうであった。トホホホ
と、日記に記して早や丸17年、夫の誕生日と重なったもので、娘が旅立った日付を忘れることはないのであります。

ついこの間まで娘の姿が見られた家の中が、穏やかな明るい昼下がりだと言うのに、まるで空間が閉じられてしまったような静寂さには、しばらく参ったものです。それでも、当時は一か月に2回ほどリスボンから帰省してきた息子がいたもので、大いに気持ちを救ってくれました。

子育てが済んだらその時間であれができよう、これができよう。6匹のネコたちがいなかったら、朝一番、眠気まなこでトイレの砂を片付けんで済むし、日本語教室で生徒が家に出入りするので、匂いを避けるために日中しょっちゅうトイレを洗い、エントランスと教室に使うリビングを掃除しなくて済む。我が家では大トイレが二つ、小トイレが一つあるのでありまして、人間のトイレですら、二つというに。笑

そう考えたことは度々ありました。子供が巣立ったからと言って、これで親としての役割が終わりだとは思っていないけれども、多分一区切りついたとは言えるでしょう。
さぁ、あれもできるし、これもできるぞ!好きなことをして充実した時間を持とう!人生はこれからだ!の、はずだったんです。

ところがですね、なんといいましょうか・・・そう行かないんですよね。もう、毎日昼ごはんを食べに学校から戻ってくる子がいないし、食事をつくる手間がはぶけて、時間は十分あるはず。それなのに、当初はなぜかウロウロばかりしていて、どこが充実しているのだ?でしたね。

最多6匹いた猫ちゃんたちも、歳の順に天に上り、目下ゴロー君だけ。気が抜けて、寂しいったらありやぁ、しません。話が違うじゃないか?です。

それで思いました。生きる、って毎日の生活の中で、たいして取柄のないような、無駄のようなこともどこかわたしたちの人生と繋がっていて、おろそかにプチッとスイッチを切るようなことはすべきだはないのかも、と。

しかし、子はいずれ巣立っていくもの。ともに暮らし育てて18年、この18年は色々あったけど楽しかったなぁ、あの子たち、と思えるものになったのが嬉しいこの頃です。

今日は夫の誕生日。久しぶりに子供たちがいた時は、よく作ったパイナップルケーキを焼いてみました。

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子供たちから誕生日のメッセージをもらった夫、やっと今日からわたしたちは同い年でござんす。
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