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2021年6月29日 

ワクチン接種が拡大され、これまでの自粛政策も少しずつ緩和されて、夏を前に、ようやく以前に近い生活が取り戻せるかと思いきや、何と言うこっちゃ!このところ、急速に広まってきたデルタ株(インド型)に欧州はとまどっています。

デルタ株は家庭内感染が100%に近い割合で起きているとのこと。これまで武漢ウイルスに関しては優等国だったオーストラリアでは、今回ロックダウンに入った町もあり、シドニーでは、住民500万人に自宅待機が発せられました。

また、ワクチン接種が進み陽性者の減少も続いて、マスクを着用しなくてもいいとされたイスラエルも、デルタ型感染者100人以上が三日続き、とうとう再度のマスク着用が義務付けられました。 この変異ウイルスの感染者の半数が子供だそうです。

イギリスでも全面的なロックダウン解除が延期されました。一日の感染者が1800人となれば当然でしょう。
ポルトガルはと言えば、約1000万の人口で、昨日は1500人の感染者を出していますから、イギリスを上回ることになります。昨年の今頃はどうだったかと調べてみると、今年はなんと5倍にはねあがっており、この異変株の感染力が強いことが分かります。

日本は大丈夫か?わたしはオリンピック開催が実行されてもいいのではないかと思ってきたのですが、こうなると話は別です。
すでに、成田空港で入国したウガンダ選手団に感染者が見つかったと聞きますし、今後、世界中から選手団がのりこんでくるわけで、入国時もそうですが、滞在中の選手たちへの対策はどうなっているのでしょうか。

選手たちは競技が終了次第、すぐ帰国することになっているという話を聞いていますが、このデルタ型ウイルスとでは、果たしてどうなるのか、オリンピック後を想像すると憂鬱です。まさか、日本株がなんて言われることにならないのを切に願っています。

オリンピックが7月23日から8月8日、その一週間後、8月14日から9月5日までパラリンピックと中お一週間を除いて40日もの期間に、世界中の選手団が出入国するのですから、ことが穏やかでは済まないと見ています。

わたしは自己判断で接種し、証明書も持っていますが、するのも不安、しないのも不安のコロナワクチン、我が子たちには周囲の様子を見てから、した方がいいよと言ってみたものの、若い人も感染しやすいなどのデルタ型ウイルスの話を聞くと、とても心配になります。

まだまだ予断が許されない世界のコロナ禍状況、いい加減にしてくれと叫びたい思いであります。そんなこんなで、いったいっこの先どんな世の中になるのかと考えると、憂鬱になるこの頃ではあります。ほんまに。
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2021年6月23日 

ポルトガルは、しばらく前から徐々に緩和されてきたコロナ禍に対する自粛が、かなりの面で解放されつつあったのだが、気が付けば、昨日6月22日には1000人以上のコロナウイルス陽性者を出してしまっている。

ワクチン接種者数は6月21日現在で、一回目が49%、2回目接種者が28.7%とあるが、ワクチン接種が始まって、皆の気が緩んだのであろう、ここに来て、リスボン、アルガルブを中心に陽性者数が増え、先週末、金曜日から月曜日間のリスボンは、ロックダウン。市外から入ること、市内から出ることも禁止された。

ドイツのメルケル首相には、「ポルトガルは、特にイギリス人を入国させなかったら、今の状態を避けられたはずだ」と批判される始末だ。今から一か月後には、2000人以上の陽性者数を出すであろうと予測されている(泣)

「自粛が緩和されては陽性者数がまた増え、再度自粛」が、今後数年繰り返されるとすれば、たまんないぞ、と思う。

ここしばらく続いたうっとおしい天気も、今日はカラりと晴れ、まさにこれからポルトガルの夏が始まろうとしているのだが、今日6月23日は、ポルトのサン・ジュアン祭だと言うのに、昨年に続き、コロナ禍で中止だ。40年以上いるが、祭りが中止、しかも2年連続で中止だなんぞ、あった試しがないわ。

いつもなら、あちこちからピコピコハンマーの音が聞こえてきて、庭やパテオで鰯の炭焼きパーティーがにぎやかに始まるところなのだが、この静寂は薄気味悪く、2年も続くとなると、なんだか先に不安を感じる。パーッと騒がないことにはポルトの夏はやってこない。

というので、今日は昨年、拙ブログで取り上げなかった「サン・ジュアン祭り」について。以下。

ポルトのサン・ジュアン祭り

これなくしてポルトの夏は始まらない。6月23、24日の洗礼者ヨハネことサン・ジュアン祭。24日は祭日だが、祭の見どころは23日の前夜祭だ。

その数日前から街ではプラスティックでできた大小色とりどりのピコピコハンマーやマンジェリコの鉢植えが売り出される。独特の香りを放つマンジェリコは魔除けになるとの迷信がある。

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この季節に町中で売れれるマンジェリコの鉢植え

前夜祭、11時ともなると、ピコピコハンマーを手に老いも若きも行き交う人々の頭をピコピコ叩きながら、ドウロ河畔リベイラに繰り出す。この夜は誰の頭を叩いても無礼講だ。また、6月はイワシの旬である。その炭焼きの匂いとピコピコの音とでポルトの街は祭一色に染まる。

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サルディーニャことイワシは炭焼きに限る

ぺナ城

ダウンタウンの路地裏は音楽に合わせてダンスに興じる人々やイワシを食べる人々で盛り上がる。ポルト市庁舎前やリベイラ広場ではライブコンサートが催され、押すな押すなの人ごみの中、ハンマー、マンジェリコに加えて祭の三種の神器とも言える熱風船があちこちで打ち上げられる。ゆらゆらと夜空を渡っていく熱風船はまるで星のようだ。

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ピコピコハンマーを手に、熱球を空に上げるのに夢中。このサン・ジュアンの風船は夜空をフワフワ飛びながら、やがて地上に落ちる。翌朝、あちこちで目にするのは風船の一夜の夢の残骸である。

0時ともなるとドンルイス一世橋から盛大に花火が打ち上げられ祭の佳境を迎える。賑わいは一晩中続く。昔ながらのサン・ジュアン祭を楽しみたければ、一夜明けた24日に、祭の発祥地フォンタイニャス地域を訪れるとよい。「リスボンは遊び、ブラガは祈り、ポルトは働く」とポルトガルでは言われるが、その働き者のポルトっ子が熱狂するのがサン・ジュアン祭である。

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リベイラへ続く道は人、人、人で身動きができなくなる

では、みなさま、本日はこれにて。
来年の夏は、是非サン・ジュアン祭りに行けますように!

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2021年6月22日 

我がモイケル娘が、日本での大学受験を目指して旅立ったのは2004年のちょうど今頃の季節でした。無事、大学入学を果たし、ポルトに帰郷したのは2年と少し経ってからです。最初が肝心、行って一年もしないうちに帰ってきてしまったら、お軽い感覚のホーム・シックで終わってしまいます。

共に暮らしてきた家族、お気に入りの猫たち、見慣れた町の光景、どれもかれも、18年間、自分の身から切り離されることなく続いてきた、恐らく住んでいた時は、欠点ばかりが目についたであろうポルトガルの日々の生活です。
良きにつけ悪しきにつけ、自分を培った故郷の姿が少し分かり始めるのに、時間はかかるものです。

わたしについては、アメリカに滞在した半年間、当時の恋人だった夫に逢うことができなかったのは辛かったけれど、両親が、故郷の弘前が、青春時代を過ごした大阪が、祖国日本が恋しい、などと感じることはありませんでした。

なにしろ、昼夜問わず数年働いてやっと貯まった大枚を払って取ったアリゾナ大学のESLコースです。新しい環境の刺激と勉強に追われたのとで、感傷に浸ってる間などなかったのです。

そして、コース終了の半年後には、アメリカ移住の夢を中断し、ポルトガル人の夫の帰国を機にさっさと日本に引き返したのでした。

わたしが、生まれて初めて、「故郷」というより「日本という国が恋しい」と言う感情を知ったのは、異郷の地ポルトガルに嫁ぎ、3年間里帰りできなかった時です。当時、話せる言語は英語と日本語のみでポルトガル語はできませんでした。

ポルトガルでは今でこそ、他の英語圏外の国同様、英語が第二外国語になり、簡単な英語であれば、なんとか通じるようになりましたが、今から40年前は、ドイツ語フランス語が第二外国語であったをみても分かるように、英語が少々話せても、通じる相手は周囲にザラにいたわけではありません。同居していた夫の家族とは身振り手振りで、会話は成り立ちませんでした。

当時はポルトでたった一人の日本人でしたから、町を歩くと、すかさず[Chinesa, Chinesa」(=シネーザ・中国人女性の意味)と指差され、それが「死ネー、死ネー」と聞こえたのには、こたえたものです(笑)

昨今のように、大学には外国人向けのポルトガル語コースもありませんでした。自分が日本から持ち込んだたった一冊のブラジルポルトガル語の文法本が、あっただけです。

当時のポルトガルはカーネーション革命から、まだ5年しか経っておらず、国全体が暗くてとても発展国とは思えない時代でした。日本、ポルトガル、双方の国柄の余りの違いにすっかり意気消沈し、何年も何年もその本を使って独学することを怠惰してしまった、愚かな自分ではありました。

旅人である間は、一時しのぎの滞在である間は、そして、年に一度の割でせっせと帰国の切符を手に入れている間は、「自分の国も一番いいな」と言う安堵感と同時に、空気の違うポルトガルに住むのもそれなりにいいかもしれないと思うもので、「ノスタルジア」という感情は、なかなか生まれてこないような気がします。

幼い息子を連れて、2日かけて3年ぶりに日本の地を踏んだときは、誠に感無量でした。機内から眼下に見える自分が生まれた国の地、飛行機が着陸する間、滂沱の涙が頬を伝い、隠すのに困りました。「息子よ、見てごらん。わたしの国、これがわたしが生まれ育った国」と、この言葉が頭をぐるぐる回って、湧き上がる感情をどうにも抑え切れなかったものです。

10年を一昔とすれば、あれから昔が四つ過ぎました。
ポルトでは、わたしは一番古い日本人で、ポルトの昔を知っている「生き字引」などと言われたりしましたが、当時の昔を語ろうにも、昨今の若い人たちはきっと興味のない話だろうと、めったに語ることはしません。

ポルトガルの男性を夫に持つ若い日本女性も随分増えました。「年に一度は日本へ里帰りさせてくれることを条件に」などの話も聞いたりします。それを羨ましいとは思わなかった、と言えば少々嘘になるけれども、今日のわたしを築いた背景に、最初のちょっと辛かった3年間、夫の家族と同居した6年間がチラチラと見え隠れする、それがわたしのポルトガル人生の始まりでした。

ブラジルに移民として船で渡った日本人や異国へ渡ったポルトガル人たちの「ノスタルジア」の思いがわたしは今分かるような気がします。優しい記憶も苦い思い出も入り混じって、それらを超えたところに「ノスタルジア・郷愁」はあります。

詩人星野富広さんがその花の詩集で言います。
「引き返す距離が長いほど、力を蓄える波の激しさ」

この言葉にあるように、じっと我慢して久しぶりに帰国する喜びは、きっと大きいだろう。

わたしが日本を離れて異国に住ようになったのとは真逆に、子供たちはポルトガルという生まれ故郷を離れて日本に住むようになったわけですが、彼らも二昔近い年月を迎えて、自分の生まれた国を恋ゆることがあるだろうと想像します。

子供たちを連れてわたしが日本へ帰国したように、今度は彼らがその子たちを連れて、自分たちの祖国ポルトガルへの郷愁を抱えて帰国する日が遠くないような気がします。帰国も実は体力が要るもので(笑)

ポルトガル語では、「ノスタルジア・郷愁」を「Saudade」(=サウダーデ)と言います。
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某月某日

近頃、わたしの餌を待っている野良ネコちゃんが5,6匹になりました。餌は一匹ずつアルミホイルに入れて用意します。外が明るいうちに持っていくと、カモメのヤローども(失礼!)も待ちかまえていて、カモメも食わずばなるまいに、とは思うものの、わたしの姿をみるなり騒ぐもので、ご近所迷惑だろ。少し日が暮れかかったころに、ネコエサを運びます。

夏場はできるだけ、猫たちが食べ終わるのを待って、アルミホイルの包みを片付けるようにしています。なぜかと言えば、猫たちが食べ終わったのをそのままにして置くと、アリの行列ができるのです。まぁ、カモメ同様アリとてこの時期、冬に備えて食べ物を蓄えるのが仕事ですからね、「ご苦労さま」と思い、時にそのままにして、すっかり暗くなってから片付けに行ったりします。

イソップ(あるいはラ・フォンテーヌ)の話にある「アリとキリギリス」はあまりにも有名で、今更披露する必要もないのだが。

夏の季節を歌って遊び暮らすキリギリスとは対照的に、暑い日差しを受けながら汗を流して冬の準備にせっせといそしむアリ。それを見て笑うギリギリスではある。が、やがて冬が到来し、食べ物もなく寒さに凍える日々に、思わずアリの家のドアを叩く。今度はアリが笑う番だ。

この教訓話にはなるほどと思わされるのだが、わたしはもうひとつの「アリとキリギリス」を知っている。もう40年も昔に、当時は恋人だった夫から贈られた英語版のサマーセット・モーム短編集に収められている「アリとキリギリス=The Ant and the Grasshopper」がそれです。

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先のことに思い巡らし定職に就きせっせと働いて貯蓄に精出している兄と、それとは真逆、ろくに仕事にも就かずその日その日を遊び暮らしている弟の兄弟がいる。時々呼び出されては弟に金を無心される兄は、その都度将来のことを考えろ、もっとまじめな生活をしろと説教を垂れる。兄はこの弟を心のどこかで見下げている。

ある日、友人からの又聞きで、弟が先ごろ大金持ちの未亡人と結婚したのだが、未亡人がみまかり、その遺産全てを弟が相続したということであった。

この時の兄の「It´s not fair !」の悔し紛れに叫ぶ気持ちが分からないではないが、わたしは、「へぇ~、人生って案外こんなものかも知れないな。」と、変に納得いったような読後感を当時もったものだ。

この40年間、もちろんわたしは遊び暮らしてきたわけではない。私たち夫婦は子供達の教育費は分不相応にかけたので、先を考えて貯めたいにも貯めようがない状態でずっと来た。

老後、何が一番必要かと言えばやはり金だ、と言ってはばからない人は周囲に結構いる。夫は別だが、どこからも年金の入ってきようがないわたしは、この言葉を耳にすると、うなだれるばかりだ。そして、お金は確かに必要だが、「一番」という言葉に、心のどこかで反撥するわたしがいる。

息子も「アリとキリギリス」の話は知っていて、
「パパの年金があるから、少しは大丈夫」と言うわたしの言葉に、
「ボクもそうだけど、ママもキリギリスタイプだね。」と息子に・・・言われた・・・
そして「パパは典型的なアリタイプだ」と彼は付け加えた。

その通りです、息子よ。しかし、人生はunfair(アンフェア=不公平)なことの方がfair よりも多いかもしれないから、あんたとわたしの人生もまだどう転ぶかは分からへんよ。

それに、アリとアリの夫婦なんて、しんどいかもよ。キリギリスとキリギリスもこりゃ破綻で大変だ。アリとキリギリスの夫婦、これでなんとか帳尻が合うのであるよ^^

冬が到来したら、夫と言うアリのドアを叩く、わたしはキリギリスですぅ。てへ。

ではみなさま、また。
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2021年6月14日

一昨日、一昨昨日の、夕方の天気が凄かった。夕方と言ってもポルトガルの夏時間は8時でも明るいので、夕方だと思っている。

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一昨昨日の空 

空が異様な赤色に染まったと思ったら、稲妻が光り雷雨が降ってきた。
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一昨日の空

1人で別部屋で寝ていた猫のゴロー君が、こわかったのだろう、稲妻のピカ!と、雷の音とで、わたしたちがいるリビングにやってきた。
日本の梅雨期はこういうのが結構あると思うのだが、ポルトガルでは珍しい。後のニュースで知ったことだが、ポルトより北方では、一瞬の大雨と雹とで農作物が被害を被ったそうだ。こんな夏の時期に雹だなど、異常だ。

さて、ポルトガルのコロナ状態はどうなっているのか。
このところ、死者数は0の日も多く、1,2を繰り返しているが、感染者数はと言うと、昨年の今頃に比べると、むしろ増えている。

6月に入ってから、500,700,800となり、900を超えた日もある。 このまま他国からのツーリスト入国を制御せずに行ったら、秋口にはまた緊急事態宣言を発令することになるのではないかと、心配している。だって、それだと、帰国できないではないか。え~~~ん。

来月初めには、初孫の青空ちゃんも満一歳になる。近頃モイケル娘から送られてくる写真やビデオを見ると、もはや赤ちゃんの顔にあらず。幼児だ。とうとう赤ちゃん時代に抱っこできなかった。

できないことを今考えてもしようがないので、なるべく日々、帰国のことは頭からふり払うようにしているのだが、時には落ち込むこともあるぜ。 どうすんだ、このマスクの世の中。

比較的よい条件付きで帰国できたとしても、ポルトから日本に着くまで、待ち時間も入れるとほぼ24時間だ。この間、マスクをずっとするのに耐えられるかな?いやいや、今は考えるのを止めとこう。

かつては、ダウンタウンに出るのに、近くのメトロ駅に車を駐車してメトロで出かけていたものだが、それが今では怖くなった。それで、夫の仕事がない日に車で送ってもらうことが続いている。

先だって、基礎化粧品を買い足す必要ばあり、久しぶりにダウンタウンへ行って来た。観光客がいるにはいるが、それでもかつてのようなごった返しではない。それで、これなら長い間、ツーリストが列を作って入店を待っていて入れなかったお気に入りのマジェスティック・カフェで、ちょっとお茶でもできるかと思って行ってみたら、あらま、コロナで閉店したままになっていた・・・

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人がわんさか訪れるマジェsティック・カフェよりも、この方が昔ながらのカフェでわたしはすきなのだが。もちrん営業していれば、の話だ。

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コロナ禍が世界中に与えた経済打撃は本当に大きい。コロナウイルスは次から次へと変異化し、この数年は私たちの生活を脅かすかもしれない。果たしてわたしたちは以前のような生活ができるのだろうかと思う一方で、わたしたちは負けないはずだ、希望を持とうとの気持ちが湧く。
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2021年6月10日 

デザインした人には悪いけれど、つい先だって発表された東京オリンピックの表彰式コスチュームにはガッガリした。

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人それぞれセンスの違いはあるだろうが、わたしの中ではなんだかなぁ、なのだ。
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特に履物。もうちょっとなんとかならなかったの?である。
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これってサンダルの種類でしょ?公の場で履くもの? どこに違和感があるかというと、全体的にシマリがない。なんとなくだらしないのです。

夏に伝統の和服を着るというのも大変だろうが、表彰式会場内はエアコンがあるところもあるのではないだろか。全ての人を満足させるデザインというわけにはいかないのは分かるが、わたしはこれはイヤだな。

我が国たるものが、ガッカリだと思っていたら、こんなプロジェクトがあったのを知った。
【The dream comes true】 KIMONO PROJECT

今回の東京オリンピックの向け、世界206国と難民選手団併せて216着の着物を制作したのだと言う。
着物作成に当たっては各国大使館で各々の文化をヒアリングし、着物作家がそれに沿ってデザイン。
大使館で下絵を確認し、織り、染めをして着物と帯を仕立てあげたのだそうだ。素晴らしい!







それこそ、表彰式には、例えば代表して金メダルを取った国の着物を表彰式に着るというのはどうなのだろうか。暑いだろうが、表彰式の間だけだ。そんなに長い時間にはならないと思うのだが、酷かな?

などと勝手に頭を巡らしている今日である。
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2021年6月8日 

昨日の拙ブログに書いたいきさつで、中学時代の親友と連絡がとれて以来、わたしたちは時々電話でお互いの近況を語ってきたのだが、その2年後の2009年9月、わたしが帰国した折に40年ぶりにわたしたちは再会することができた。

みなさま、40年ですよ、40年!10年ひと昔で、20年がふた昔、そのふた昔が二回繰り返す月日の流れですぞ。

ところがですね、このわたしのすることと来たら、まったくもって情けない。いやもう、毎度のことではあるが、我ながら今回はがっくりコウベも双肩に陥没、入る穴を探す気力も失うほどの大失敗をしでかしてきたのでした。誰だい!今回は、じゃなくて、今回も!だろ、なんて言ってるのは。

約束の当日、「ああ一体、彼女はどんな風に変わってるだろうか」と胸膨らませて、西船橋で電車を乗り継ぎ、当時、息子とモイケル娘が住んでいたアパートからかなり近いところに住居を構えているという彼女の家の駅へ向かった、電車を下りた、待ち合わせ場所の改札口へゆっくり足を運んだ。

改札口には・・・・誰もいない・・・・ひとっこ一人いない・・・・ふむ、ちょっと遅れてくるな?と合点し、ドキドキしながら改札口の内側でしばらく待った。が・・あれ?現れんぞ^^;

ケータイを持ってないわたしだ、赤電話でまずは彼女のケータイへダイヤルを回すが、応答なし。次には自宅へ電話をしたが、ウンもスンもない。 おい!と少し胸騒ぎがした。もしかしたら、電話番号を間違って控えたのかもしれない。

そこで、都内の会社で仕事をしているモイケル娘のケータイへ確認してもらおうと電話を入れたのだが、こっちもウンもスンもない。何度電話しても出ない!後で娘が帰宅して分かったことだが、この日に限ってモイケル娘、ケータイを家に忘れていったんだと~!出るわけがございんせんわい。

何度も何度も我が友モリのケータイに電話を入れ(これも呼び出し音なしにしとったってかや。泣、やっと出た彼女に
「今、あなたの家の駅にいる」と言うと、
「え、駅ってどのえきぃ~?」
「だから、ほら、○○○駅よ」
「あ、あぁた・・・」
@@@@@@!!!

待ち合わせ場所はそこじゃなくて
船橋駅じゃとーーー!



脳内で鐘が鳴ります、ギンゴンゴ~~ン。
もう慌てました!足がもつれるほどに走って来た道を電車で逆戻り!あぁあぁあぁ、これだもんなぁ、わたしって^^;これが40年ぶりの再会に起こることか。

ようやく我が友に40年ぶりに再会したのは約束の時間を過ぎること一時間とは、なんちゅう情けなさ。

行き交う人の多い船橋駅で、それでもわたしたちはすぐにお互いを見つけることができた。わたしの中の彼女のイメージは、「背の高い大柄のモリ」だったのが、その記憶を訂正しなければならなかったのでした。

「あなたがアメリカへ渡ったと風の噂を聞き、カリフォルニアへ旅行に行った時もこの広いアメリカのどこかに、あなたがいるんだと思ったものよ。ホントにずっと探してた。こうして再び会えたなんて夢みた
いだ」声も話し方の癖も中学時代の名残があり、わたしたちはお互いの過ぎ越しを交歓しながら40年という時空をまるで取り戻しでもするかのように、ひたすらおしゃべりしたのでした。

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あれから40年も経ってしまったのが嘘のように、あの頃の親友同士時代に戻れたわたしたちでした。もう行方がわからない、なんてことはないよね。こうして、お互いが無事今日まで生きてこれたことに、そして再び会えたことに、心から感謝して。

うん、人生には凄いカラクリが仕込まれてあるもんだなぁ。
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2021年6月7日 

亡くなった写真家の星野道夫さんは書いている。
「人生はからくりに満ちている」と。
その言葉を直に感じて、ひとり胸にジンと来た15年ほど前の出来事を今日は綴ってみたい。

いつもの習慣で、朝メールボックスを開くと弘前の高校時代の友人から一通入っていた。彼女からは二日ばかり前にメールがあったばかりで、まだ返事を書いていなかった。書き忘れたことでもあったかな?と思い、目を通したメールには、

あすなろのママ(同じく同窓生で弘前の彼女のスナックあすなろは、第一期南校卒業生たちの集いの場となっていた。数年前に閉店)にお願いされました。

あなたの中学時代の友人、森○江美子さんって覚えてますか?
昔、手紙をもらったのだけど返事が書けないまま、住所も分からず
ずーっと気になってたとのこと。
連絡欲しいそうです。


近年メールを受け取ってこんなに驚かされたことはない。彼女の名をこんなルートで聞かされるとは、想像だにしなかったのである。

あの頃の彼女の呼び名を呟いてみる。13、4のわたしたちが浮かんで来て、懐かしいほろ苦い思いがこみ上げてくる。音信が途絶えてあれから幾星霜過ぎただろうか。

彼女は中学時代の仲良し友達三人の一人であった。中学3年でわたしは大阪に向かい、彼女たちは弘前に残った。 わたしは中3の三学期も半ば過ぎた頃に帰郷したのだが、入学した中学校は以前の中学校とは違った。我が家は引っ越ししていたのである。
受験した高校もお互いに違い、三人仲間のもう一人は、中卒後就職列車の乗り北陸へ。わたしたちは離れ離れになったのだ。

やがてわたしは大阪へ、森は東京へと故郷を後にした。
その後、21の歳に大阪で一度再会したきり、わたしたちはそれぞれの都会での生活に忙しく、いつの間にか音信を絶ってしまった。メールで彼女の名前を目にした時は、既に40年近くの歳月が流れていた。

青い夢を、憧れを語り合いわたしたちはいつも三人でつるんでいた。歌真似もよくしたものだ。わたしの大阪への家出の片棒だって担がせたことがある。

その友の名が、記憶の向こうから時を飛び越えて今わたしの目の前に現れた。メールに記されてある電話番号のダイヤルを回す手が思わず震えた。
0081の047の○○○○・・・・
国際電話の向こうで呼び出し音が鳴っている。
心臓がドキドキしている。

「もしもし」と受話器の向こうからあの頃と同じ、彼女の太い声。
「森○江美子さんのお宅ですか?」と、わたし。
「ええ。そうですが・・・あ!」
森○は、彼女の旧姓である。「わたし、ソデ」


この一言で、「ぅわぁ~~~~~!」とお互い言葉にならない歓声をあげた。

どのようにわたしに辿りついたかをかいつまんで友は説明する。

先ごろ、弘前で中学時代の同窓会があったので、現在住んでいる千葉から出かけた。そこで集まったなかに「サンペイ」がいて(これがちっともわたしの記憶にない^^;)彼いわく、「あの頃、ソデに世話になった。会いたいなぁ」との話になった。どんな世話をサンペイ君とやらにしたのか、全く記憶にない。

その同窓会では、同じ南高校卒業生でわたしを覚えていた一人がいて、どうやら、ソデは生きているらしい。高校の同窓生のあすなろのママが知っているかも知れない、となりスナックへ彼らたちは足を運んだ。

行くや、
「うん。この春会ったよ。ほら、これ、ソデからもらったのよ。」

こうこうしかじかあすなろのママに事情を話し、パソコンを持たないママは、わたしたとメールのやりとりをしている我が友にメッセージを託したのだと。

人の世は不思議な縁だな、とわたしはここまでの糸を手繰り寄せてみる。

もしも、わたしがかつてyubitoma(今でもあるのだろうか?)の南高校卒業生欄に登録しなかったら、わたしを覚えていた同窓生の一人からメールをもらうことはなかっただろう。

もしも、彼が他の同窓生たちに声をかけなかったら、わたしは京都で高校時代のかつての親友に会うことはなかったろうし、懐かしい同窓生たちに会うこともなかっただろう。

もしも、そのわたしのニュースが広がっていかなかったら、弘前までわたしが出かけて36年ぶりに第一期生同窓会に顔を出すことはなかっただろう。

もしも、あの時「明日には東京へ帰るから。」と2次会であすなろへ皆と一緒に足を運ばなかったら、そこで新たに今メールのやりとりをしている友とはつながらなかったであろう。

もしも、・・・・このひとつでも欠けていたら、その日、中学時代の親友にめぐり合うことは恐らくなかったことだろう。

かつて我が日記に書いたように、一つ一つの、今、自分がすることはそれぞれが小さな点である。それらがわたしたちの気づかないうちにどこかでつながり、一本の線になるのだと感じられる出来事にわたしは遭遇したのである。

このような人生のカラクリは、なんとなく頭では分かっていても、ある程度の年齢に到達しないと見えて来ないであろう。

自分が残した足跡を誰かが辿り、行き着いた先で友と再会できたり、或いは新たな出会いがあったりするのには、不思議な喜びがある。

あまりの興奮に、うっかり結婚後の彼女の苗字を忘れているのに気づかず、聞きそびれてしまった。 メールアドレスをもっていない彼女に手紙を送るため、翌日もう一度国際電話を入れたのであった。
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2021年6月5日 

んまぁ、とにもかくにも段取りが悪いというかシステムが悪いと言うか、決められた12:38の予約時間に行ったと言うに、それが何ゆえ3時半に終わることになるねん?という2度目のワクチン接種でした。

順番が呼ばれる様子を見ていると、どうも数人が同じ予約時間にあててるようなのだ。キャンセルなどでワクチンが余って捨てることにならないようにとでもいうのだろうか。

あまりにもひどい段取りの悪さに、他人とも平気でおしゃべりして時間をつぶすのん気なポルトガル人だが、さすがキレたのがいて、呼び出し係に食ってかかっていた。

前回はワクチン接種が終わるまで2時間半かかったが、時間通りに始まらないのがポルトガル、長年住む間にある程度の覚悟はできていたが、それでもまだ日差しがきつい夏時間の夕方に立ったまま日陰なしで1時間半待つのは、日射病で倒れる年寄りが出ることを想像できないのかと思ったものだ。

あれから4週間、会場スタッフは毎日接種をしているわけだから、きっと2度目の今回は手際よく事が進むだろうと期待して行ったわたしが甘かった。やっぱ、ポルトガルだった!

予約時間12:30より30分前に着いてワクチン会場を後にしたのが3時40分。ほぼ4時間かかったことになる。もちろん昼食抜きだ。曇りだったが、それでも日に弱いわたしは、持っていた薄いショールを頭から被っ、じっと待つこと待つこと、ホンマ、アタマに来ますやん。

長くても1時間半、すると2時で、まだレストランで食事がとれると甘く見てしまったのだった。そそ、猫のゴロー君のご飯もすっかり遅くなり^^;

猫殿のご飯を先にし、大急ぎでサンドイッチを作り、昼食はそれで済ましたが、そうしているうちに頬っぺたがかなり赤みを帯びてきて、「あ、こりゃ熱がでるな」と思ったら案の定。台所の後片付け後、バタンキュー。

接種した腕は痛むわ熱はどんどん上がり39度近くになるわで解熱剤を飲みましたが、結局水曜日の夕方から金曜日の夜まで、ベッドに伏せることになってしまった。

土曜日朝の2クラスの授業準備ができず、3時間通しの授業はきつい。無理をしてへたばったら今度は日曜日の授業が結局できなくなるので、キャンセルの運びに。土曜日のクラスのキャンセルなど、長年してきてるが初めてだ。みんな、ごめんよぉ。先生は年とった~~。

そして、接種者の95%に「モデルナアーム」と言って、ワクチン接種から5~9日後、注射した箇所に赤い発疹がでるのだそうだが、わたしの場合、1回目はほとんど見られなかったのが、今回3日目にして見事(笑)出ましたぞ。この発疹は消えるそうだ。

下にWikiから拾った、比較的わたしの発疹に近いものを載せました。かゆみがあります。

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下記はわたしが目にしたワクチンメモです。これから接種する方の参考になれば。

1 2回目は一回目と同じワクチンを接種すること
2 1回目に注射した際、腕に赤い発疹が出たら2回目は別の腕にした方が良い
3 2回目の接種2週間後から効果が出る。今のところ、接種後6カ月は安全との情報あり
4 接種しても無症状陽性になる可能性があるので人にうつさないためにもマスクを着け、ソーシャルディスタンスは守る

4は大事な点だと思う。ワクチンをしたからと言って、必ずしも感染させないということにならないからだ。

あ~あ、ワクチン接種で日本に今まで通り簡単に入国できたら、こんなに嬉しいことはないのだが、まだまだ我慢の日々は続きそうだ。


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2021年6月1日

先週の日曜日は、取材がてら、隣町ガイアで昨年7月末にオープンしたWOWことWorld of Wineへ写真を撮りに行ってきました。

原稿締め切りは6月20日なのですが、明日は2回目のコロナワクチン接種があるので、体調を崩して外出できないとなったら困ります、今のうちにということで。

昼食をとりにこれまで2度ほど行っていますが、55000㎢の敷地です、まだ全域を歩いていませんでした。

WOWの敷地内には現在のところ、レストランが9軒ほどあるのですが、今日はそのひとつ、レストラン「T&C」をご紹介します。

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店内には大きなワイン樽(ポルトガルではPip=ピパ呼ぶのですが)を模した席もあります。
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勿論、普通のテーブル席も。かつてのワインセラーをレストランに改造したとのこと。緊急事態がかなり緩くなっている今、気を抜いてはいけないと思い、ポルトガルではランチにはかなり速いと思われる12時半ころに入りましたので、わたしたちが一番最初の客でした。

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いつもの通り、軽い前菜(黒豚の生ハム、オリーブの漬物)、それにPeixinhos da horta。庭の小魚の意味で、ポルトガルの昔からの料理の一品ですが、実はサヤインゲンを天ぷらにしたものです。

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見た目が小魚のフライのようなので、そんな名前がついたのです。タルタルソースをつけていただきます。写真では、ビールの後ろになってて、よく見えず。そこでWikipediaから写真を借りてきました。小魚のフライみたいでしょう?

ビールはもう一杯欲しいところを我慢しました。夕方5時から1時間半、毎日曜日は教えるのが楽しい中級日本語クラスがありますからね。ほろ酔い機嫌ではいけません。笑。わたしたちが引き上げるころには、店も立て込んできましたので、思った通り早目の時間に来てよかった!

WOW内にはたくさんのレストランがありますが、T&Cはワインスクールの地階です。

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アズレージュの石段を登り広場に出、WOWの広場からポルトのドン・ルイス1世橋を目に。

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天気はよかったが、空は少し霞がかかっていた。ポルトの景色は何度見ても美しい。

ではまた。
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2021年5月31日 

いえね、わたしのことではなくて、我が家の猫、ゴロー君のつぶやきです。

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ポルトガルに来て以来、家族のメンバーとして常に猫や犬が身近にいました。この20年近くは6匹で、メンバーも変わりなく来たのですが、ここ数年で、ねこたちも寄る年波には勝てず、1匹逝き、また一匹と身まかりました。

血液の不治の病気を抱えていた12、3歳のタンポポちゃんを除いては、ゴンタ19歳、クルル19歳、今年に入ってからはチビちゃんが15歳、そして、先週が黒猫ぺト君、19歳ほどで、みな老衰と言っていいでしょう。

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び、びっくりするやん!人がパソコンで仕事してるのに。ひょうきんだった黒猫ぺト。

猫の19歳は人間で言うと90歳以上とのこと、中で一番若いのが残ったゴロー君ですが、これとて拾ったのが2006年秋でしたから、早や15歳近く、76歳にあたいするので、飼い主のわたしと近い年齢ですわ。あは。

家の外に出ない猫の寿命は平均16歳ほどだと言われていますから、さすれば我が家の猫たちはみなそれ以上生きたわけです。

手がかかったのはクルルでした。これは世話が大変でした。
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アルツハイマーもあったと思います。なにしろ、食べたばかりなのに、「まだ食ってない」と、いくらでもねだったものです。食べれば食べるだけ痩せていき、その点は今回のぺト君も同じでした。時々、ぽつねんと変なところに座って動かないでいるのですね。思うに、自分がどこにいるのか分からなくなっているんじゃないだろうかな、と。

でも、それ以外はわたしたちになんの手もかけず、前日まではわたしにくっついていたのが、最後の日はずっと台所の寝床の上で横になり、静かに逝った黒猫ぺトでした。

ペットを飼っていると、これは避けられないことで、むしろ、飼い主より先に逝ったほうが幸運なのだとわたしは思っています。

ゴローは、ぺトがいなくなった翌日、分かるのでしょう、普段はしつこく鳴かない時間なのに、落ち着かず、あちこち鳴きながらうろうろしていましたが、今日は大分落ち着きました。

1人っ、て飼い主を独り占めできるけど、寂しいことなんだなぁと分かるんだろか。

ポルトガルに来て以来、飼ってきた犬猫はどのくらいいるのだろうか、ゆうに15、6匹はくだらないな。喧嘩や粗相をされては、怒って追いかけたりしたものですが、旅行に出かけ家に残していくと、人に世話を頼んではいても気になり、一刻も早く家路につきたい気持ちにさせられたものです。

ありがとう。みなわたしの人生の楽しい思い出の一コマです。

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5匹猫のパズル
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