fc2ブログ
2021年2月23日

久しぶりにポルトガル案内です。以前上げたのに新情報を加えて書き換えました。

ポルトガルの東北部、山に囲まれた人口5万人ほどの町Vila Real(ヴィラ・レアル)には、我が追っかけの18世紀のイタリア建築家ニコラウ・ナゾニが手がけた建築、マテウス邸があります。

ナゾニは18世紀にイタリア、トスカーナ地方からポルトにやって来た建築家及び画家です。彼の多くの建築作品はポルトを中心にポルトガル北部地方で見られます。ナゾニについては、再度、取り上げていきたいと思いますが、本日はマテウス邸。

Vila Realは「King´s Town」と言う意味で1289年にディニス王一世によって造られた町です。中世期には首都リスボンより多くの王党派がこの町に居を構えたと言われます。

ポルトから自動車道路を車で2時間足らず。

Casa de Mateus
Casa de Mateusことマテウス邸の入り口。駐車はこの中だと有料だが周囲
に無料で止めることができる。


マテウスと言うのはこの屋敷がある地域の名前で、邸を建築したのはこの土地を代々継いでいたモーラォン家の三代目António José Botelho Mourão。入り口で入場料を払って少し歩くと前方に邸が現れます。

Casa de Mateus
大きな人工池に姿を映すバロック建築様式のマテウス邸

Casa de Mateus
ニコラウ・ナゾニの特徴、美しいシンメトリーの階段を備えている。ナゾニの尖塔としてはちょっと見られないデザインです。邸内はガイドが案内してくれます。内部撮影は不可。

Casa de Mateus

邸の一部をなすカペラ(礼拝堂)。下は庭に面したマテウス邸の裏側。


Casa de Mateus

アーチのトンネルが続く↓
Casa de Mateus

casa de Mateus
美しく手入れされた庭園

面白いのはヒマラヤスギのトンネル。
Casa de Mateus

外側からみるとこのトンネルは下の写真のようにこんもりと葉で覆われて、非常に興味深い↓ 

Casa de Mateus

園内にはブドウ畑、果樹園があり、マテウス邸ではここで取れた果物からワイン、コンポートも作られ、売られています。

さてと、そのワインですが、日本で昔から輸入されているのにポルトガルワインの「マテウス・ロゼワイン」があります。

Casa de Mateus

ボトルの形が素敵な上に廉価で手に入りますが、このマテウス邸でわたしは長い間とんでもない勘違いをしていたのに気づきました。

ご覧の通り、ボトルには「マテウス邸」のラベルが貼られていますしマテウス・ロゼという名前からしてもこのワインは「マテウス邸」で造られるものとてっきり思っていたのですが、さにあらずとは!

マテウス・ロゼは1942年に設立されたSograpeワイン会社の最初のワイン、且つポルトガルワインでもグローバル販売ネットを開始した最初のワインだそうです。

ポルトガルではあまり飲まれないワインですが、Sogrape社は今では国内でも最大のワイン青山業者であり、世界120カ国以上のマテウス・ロゼの販売網を持ち、ドウロ川ガイア岸に林立するポルトワインのワインセラーのうち、サンデマン、ポルト・フェレイラ、Offleyの所有者でもあります。

それでは、何ゆえ「マテウス」と名づけたのか。

癪にさわる故、今回は名前の所以を調べてみましたが、ソグラッペ社の歴史を読んでもなかなかに出てまいりません。しつこく検索していくと、とある英語サイトで「ドウロ川上流のブドウを使い、プロセスとボトリングはVilla Realの借用したセラーで成された」との一文を発見しました。なるほど、これで納得と言うものです。

それにしてもややこしいではないか。わたしがVila Realまで足を延ばしてみたのには、ナゾニの建築だということは勿論だが、日本で昔から見かけてきた「マテウス・ロゼ」の酒造現場も見て見たいと思ったこともあったゆえ。

Casa de Mateus
マテウス邸のワイン工場。

危うく、「かの世に知られるマテウス・ロゼはここから!」なんて書くところではありましたっけ。
思い込みは危ない危ない^^;
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2021年2月22日 
毎日のうっとおしい雨天と、コロナウイルス禍の自粛生活とで、うんざり気味、うっかり口に出した「つまんないな」の言葉が滅法気を落ち込ませてしまったようです。 

一度口にすると、ぼそっぼそっと何度も出てきて、日本語授業以外は、「なにもしたくな~い」のここ数日でした。こんな気分の時はブログが書けませんですね。

雨が降らない日は40分ほど歩いて、多少の運動と気分転換になるのですが、このところ、それもできませんでした。天気に気分の良し悪しを左右される自分は、ほんまに人間できてないなぁと、思うんであります。

これも1年間にわたる自粛生活からくるストレスかな。ポルトガルは目下「confinamento=コンフィナメント」中です。つまり、ロックダウンを言い換えての言葉ですが、要は同じ状態やん、新しげな言葉、使うなや・・・

食料品店、薬局、病院、銀行以外は全て閉鎖です。レストランもTake away のみ。できるだけ、Stay homeなんであります。週末にいたっては、散歩と言えども居住区域を出てはならんわけです。

今、学校は全てオンライン授業なのですが、地方によってはそれもできないところがあり、問題がもちあがっています。また、みながみな、パソコンを持っているわけでなし。持っていても兄弟が二人三人といて、親もテレワークだとすると、一家にパソコン一台じゃ取り合いになるでしょ。そういうことを考えると、容易にオンライン授業をせよ、なんて言えません。

ワクチン接種が始まったとは言うものの、まずは老人ホーム入居中の高齢者、医療関係者からで、一般人に回ってくるのはまだまだ先の話ですし、そうこうしているうちに、ワクチン入荷が最初の話と違い、かなり遅れるとのこと。

アストラゼネカは65歳未満、ファイザーは16歳以上となっているので、どこのワクチンでもいいという訳にはいかないようです。不安なのは、ポルトガル政府、親中ですから、C国製のワクチンを入荷したりしないかしらん?と、気になっています。いくらなんでも、それだけは勘弁してほしい。

こんなことをあれこれ考えていたら、うわ、やっぱり来た!と思ったのがワクチンパスポートの話です。コロナワクチン証明書を提示しないと海外旅行ができないとなったら、さぁ、帰国しようかと言う段になってすぐにワクチンはあるのか?ワクチンは感染の重症減少をさせるが、接種者がウイルスを感染させなくなるかどうかは、まだ分からないようです。

できるならば、まだはっきりした結果が出されていないワクチンは接種したくないものの、それなしで帰国できないとなれば、接種しちゃいますね。

あれこれ考えても今はなにもできないことであります。気分転換には笑うべし。以下、2006年ブログ未載の日記から。

3月8日(水曜日) 天上天下唯我独笑

かつて愉快なメンバーで賑わったチャット部屋こと、「不夜城」コミュニティ。そこのBBSに残されてあった我がモイケル娘のメッセージをコピペしているのですが、もったいない、これを公表しない手はないではないか。笑

このコミュニティを皮切りに、わたしのpc歴が始まり、また、もいける娘の口語日本語を身につける上でも、「不夜城」コミュニティは大きな役割をしてくれたと思っています。

「もいけるのどうでもいい話」シリーズで、モイケル娘の高校時代の記録でもあります。ちょっと紹介をば。

その1
久しぶりに母の口以外から日本語が聞きたかったので、人から借りたビデオを見た。いまいち暗い感じで違和感あったけど観続けていると・・そこであるシーン・・男と女がビーチで夕日を見ながら
女「(泣きながら)死にたくないよぉーー!」
「あっはははははは!!」
隣で母がパソコンと向かい合って大笑いしている。
拍子抜けしてしまった。母がチャットしている時は感動的な物は観ないと決意した。

その2
クリスマス。テレビをつけると MR Bean が現れた。ずっこけた後 、母とそれについて話していた。
確か日本人の中では「顔が気持ち悪い。下品」っつーわけで評判が悪い。 すると 母言う。「最近の若者って人の悪いことばっかりいうのね。自分だってどんな顔してるのよ。他人のことを棚に上げて」

ん?と何回か聞き返しても 「他人のことを棚に上げて
 
母ちゃん。自分のこと棚上げるんちゃう?他人のこと棚に上げてどーするねん・・と娘が突っ込むまで気づかなかった母。



こういう調子のがざっと40話ほどあります。
これらを読んで、今日は誰にはばかることなく、唯我独笑、パソコン画面に向かって久しぶりに大笑いしてたのでした。

笑う門には福きたる。
さて、気を持ち直して、元気にコロナ禍をやり過ごさなきゃ!


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2020年2月16日 

数日前、さて昼食でもと腰を上げたとき、スポッとケータイの着信音がした。見ると我がモイケル娘からで、「やっとできたー!」とある。日本時間だと夜10時、いつもだと寝ている時間なのに珍しいなと思ったら、画像があった。それを見て一瞬、わっーはっはっは!

feb13_imomushi_1.jpg

自分の娘の青空ちゃん用に手作りの芋虫を作っていたのだそうだ。いやいや、みなさま、お笑いくださるな。って、母親の自分からして笑ってるやん。笑

ぎゃははは、よく頑張ったものだ、とわたしが言うと、「赤ちゃんにはヘタクソなんて概念がまだないからね。それに、ガムテープは使ってからね」と返事がきたが、それを聞いて懐かしい昔を思い出した。以下。

feb14_2.jpeg
7カ月の青空ちゃん。ママ手作りのイモムシを手に取ってます。

海外の映画を見て気づくことのひとつに、有名な俳優さんに左利きが思いのほか多い、ということだ。今はどうか知らないが、わたしが子供の頃は、左利きは家庭でも学校でも矯正されたような気がする。

亡くなった母は字を書いたりするのは右利きだったが、編み物をしたりご飯を盛り付けたりするのは、左利きであった。わたしの二人の子供は、幼児期は二人とも最初は左手でクレヨンや鉛筆を持ち始めた。

長男の時は、見かけると常に「こっちの手に持って書いてごらん」と注意を促し、息子はその都度素直にわたしの言うことを受け入れ右手に持ち替え、就学年齢に達したころは完全な右利きになっていた。

ところが、娘の場合はこれがなかなか頑固なことに、何度注意を促しても、左手から右手に持ち替えようとしなかった。しつこく言うと終いには、ポロポロ涙をこぼして幼いながらも抵抗するのである。

世の中の多くのものは、人は右利きであることを前提に作られている。わたしは、できるならと矯正を試みたものの、4歳の娘の涙を前にして「これほどまで嫌がるのを矯正する必要が本当にあろうか?」と、とうとう諦めたのである。以来、娘は現在に及んで字を書くのも包丁を持つのも、いわゆる左利きである。

日本の学校と違い、ポルトガルやブリティッシュスクールでは家庭科なる教科はなく、裁縫や料理を教えるのは親の役割である。

わたしは子どもたちの日本語教育は頑張ったものの、肝心の生活基礎のひとつとなる「裁縫」がすっかり抜け落ちたまま娘を日本へ送り出してしまった。

そうしてみれば、わたしの母も左利きだった。右利きのわたしが編み物を教わろうとしたが、2本の棒針の持ち方からして混乱してしまい諦めたのだった。

feb14_1_1.jpg

さて、これはモイケル娘が小学生の頃、夏休み少し前に帰国して日本の小学校に体験入学をするために母娘で妹宅に滞在していたときの話。

いずれ教えるつもりで、その夏は裁縫箱一式を買い求め、彼女に手渡しました。針を持つなど皆目したことがなかった娘はかなり興味を持ったようで、運針用布のプリントされた線に沿って、ひとりで縫い上げに取り掛かったみたいです。

「できた~!」と言って喜んで見せに来たので、我が妹と二人、「どれどれ。おお!上手に縫ってるじゃない」と、布を手に取りお世辞(笑)

しかし、「ん?ちょっと裏がガバついてるね?」と言いもって布をひっくり返して見ると、なんとまぁ、結び目の作り方が分からないもので、糸の先っぽをみんなガムテープで止めていました!それを見て妹と二人、腹を抱えて大笑いしたのでした。

婿殿は日本人ですから、いざという時には彼が針を持ってるのであろうか?と、ふと気になっているのではあります。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2021年2月11日 

40年も日本を離れていると、日本の暦からついつい意識が遠のいてしまいます。
日本の暦が毎年横浜の知人から届けられるのですが、暦に自分が知らなかった祝日を見つけたのにはびっくりでした。

まず、振り替え休日。わたしが日本にいた頃にはありませんでした。そして、みどりの日、海の日、山の日。1月15日を成人の日と信じ切っていたわたしは、それが変更されていたのには、アッとおどろきましたね。

振り替え休日については、それまで諸外国から「働きすぎだよ、日本人たち」と、懸命に働くことはいいことであるはずなのに、それがどちらかと言えばひんしゅくをかって「ワーカホリック」の造語まで与えられた日本のサラリーマンも、いよいよ欧米並みの休日制度をとりいれるのかと、却って安心したものです。

さて、本日、2月11日は建国記念の日。
この日は、「建国された事象そのもの」を記念する日なのだそうです
1966年に祝日法改正で定められ、翌1967年から適用されました。

この建国記念の日ですが、わたしは祖母や母がこの日のことを「紀元節」と言っていたのを覚えています。
「紀元節」は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位された日を日本の紀元の始まりとして、明治時代に定められた祝日だったのですが、戦後GHQの意向で廃止になったのだそうです。

しかし、後に全国民の8割以上が「起源説」を望んでいたことから、復活し名称も「建国を記念する日」とされました。

祖母は明治生まれの人でした。
幼い頃を大所帯で過ごした祖母の家の座敷には、亡くなった祖父の仏教徒としての仏壇があり、更に不思議なことに、神道の神棚もありで、今考えれば、仏教徒、神道、どっちやねん?と問うのですが、これがいわゆる神仏習合の名残だったのでしょう。当時の一般的日本人のおおらかな宗教観が見受けられます。

そして、もうひとつ、座敷の鴨居(?というのでしょうか。ふすまや障子をはめ込むレールとして設けられた上部の横木)には、当時の天皇陛下皇后陛下の写真が入った額が飾られていた記憶があるのです。あれは、もしかするとご先祖さまの写真だったのだろうか・・・・

日本の建国を記念する祝日というのを機に、そのいわれを調べてみました。
日本神話を少しかじることになります。

国生みのイザナキ、イザナミの二神。イザナキから生まれ、高天原(たかまがはら)を治めるアマテラスオオミカミ、ヤマタノオロチを退治したその弟スサノオノミコト。 孫、ニニギノミコトにアマテラスオオミカミは三種の神器を手渡し、下界を治めさせます。

三種の神器(ジンギと読む)とは、日本歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継ぐ三つの宝物のことで、やたの鏡(現在伊勢神宮にあると言われる)、アメノムラクモの剣(名古屋の熱田神社にあると言われる)、ヤサカニノ勾玉(まがたま)です。三種の神器は、平家物語の話のなかにも出てきます。これは現在も天皇家に受け継がれます。

ニニギノミコトはやがて、コノハナサクヤ姫(なんて素敵な名前!)と結ばれ、その子どもが山幸彦、海幸彦。山幸彦とトヨタマ姫の子どもが後の神武天皇になる、という神話でした。

調べて行くうちに、幼い頃、わたしは昔話として、あるいはお伽噺として日本神話を聞かされていたとの思いにいたったのです。

2003年2月に84歳で亡くなった母は、尋常小学校(小学校4年生)を出ただけの人でしたが、歴史のことは実によく知っていて、折に触れてはわたしと妹に、何か用事をしながら、何気なしに話してくれたように思います。「さぁ、お座り。今から日本の起源の話です」と言う風ではないんですね。

母は毎晩軽く晩酌をする人でしたが、夕食後、お腹がいっぱいになるとよく「高天原(タカマガハラ)も~我が腹も~(腹=原にかけてる。)」と言いつつ、満足したとの表現でソファに横になっては、わたしたち姉妹を笑わせていたのでした。
こういう時の母を見るにつけ、昔の人は、科学分野は別として、その教養は現代人を遙かに超えていたのではないかと、ふと思ったりしたものです。

世界史や日本史を、受験科目に入らないからと一部の高校で授業をしないで誤魔化していた題がかつて取り上げられましたが、歴史観を持たずして、人は社会を、人生をどんな風に見るのだろうか、とわたしは考えるようになりました。

「教養」とは色々見方言い方があるでしょうが、わたしは、「正しく歴史を知ることこそが教養である」と言う風に思っています。
ついでに言えば、教育は人間の礎、国の礎。これは、すぐに結果の出てこない一つの投資でもあります。また勝負をはることも許されない長い大きな投資です。行き当たりばったり、余剰感覚でやってると、必ずや15年20年後にそのとばっちりがやってくる。

通説では神武天皇即位は紀元前660年とのこと。今年は神武暦2681年です。かくも長い、世界でも独特の歴史を持つ国の子孫であるのだなぁと、異国にいて、建国記念の日から紀元節へ、祖母へ、母へと、心を馳せた2月11日でした。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2021年2月9日 

拙ブログ、モイケル娘、息子を通していつの日にか、「こんなズッコケばあちゃんやったんやで」と孫に伝えられることを望み、今まで載せていなかった2004年2005年、2年間の日記を今後機を見て、ランダムに記録していきたいと思います。
題してカテゴリ、「spacesisの過去日記」第一弾。

2005年3月11日(金曜日) 底なし沼のポルトガル語

いくつになっても花を贈られるというのは、嬉しいことです。
ドクター・K。 もう80歳を迎えようとする元お医者さま。
現在に及んでも「ショート―カン(松濤館)」なる日本空手ポルト支部で活躍なさってます。
日本語は「ありがとう、○○さん、さようなら」くらいしか話されませんので、日本宛に短い手紙を書くとき、わたしが時々日本語に直してさしあげます。

それで、ついこの間もお手伝いしたのですが、わたしが謝礼を受け取らないものですから、夕べは大きな花束を抱えてやってきました。

謝礼を受け取らないのは、わたしは専門で勉強した翻訳者ではないので、受け取れないのだすwだって、どんな勘違いをして、変な訳になってるか、分からないですね。笑
おかしくっても、知~らないっと、と、それを承知していただきお手伝いしますが、翻訳は原則的にいたしません。
でも、ドクター・Kには断りきれなくて、結局いつもするはめになるのです。

こうして訳をするたびに思うのは、日本語って抽象的な意味合いの言い回しが多いな、ポルトガル語って一文が長すぎや、と言うことです。

文章もっとすっきり短くしようよ、主語が何かわからんやん・・・
英語は主語なしは、まずないでしょ。
ところがポルトガル語、主語は大概飛ばします。で、主語はどうなるかといいますと、ここは日本語と違い、使用されている動詞の活用で分かるんです。

ところがです、コンマ(,)でダラダラ長い文章が続くものですから、読んでるうちに、わたしはだんだん迷子になるのでありまして^^;

こんなことを感じてる間は、ポルトガル語とてもとてもダメですわ。あっははは、と笑いでごまかしてるw

もいける娘がブリティッシュ・スクール、多分4、5年生の頃だと思うが、彼女のポルトガル歴史の成績を上げようと、必死に辞書と首っ引きで、ポルトガル歴史を勉強したことが思い出されます。モイケルは覚えているかな?

彼女が学校にいる間に、母は辞書にしがみつきノートに要点をまとめておき、帰宅した彼女と共に机に向かったのでありました。
なにしろ、歴史は普段の生活で耳慣れない言葉が多く、手持ちの小さな日葡辞書には語彙がのっておらず、難儀したものよ。おかげで、ポルトガル歴史に興味を持つきっかけになったのですけどね。 

jisho
40年以上毎日使ってきた日葡簡易辞書。もうボロボロです。(2021年現在)

日本語は、学べば学ぶほど奥深い言語だと認識させられますが、ポルトガル語はと言えば、わたしには、ぎょえ~の底なし沼そのものであります。いえ、ホンマに。笑
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2021年2月7日 
 
ただいま、武漢コロナ禍で緊急事態宣言下のポルトガルだが、日本も1月に入るや、感染者数が増加し、福岡の老人ホームに入居しているおじのことが気になり、妹に電話してもらうことにした。

おばが亡くなった後も、横浜に一人で住んでいたおじは、自分で老人ホームを探し、2年前に家を売り払い、福岡にある私立施設に入居したのであった。

横浜にいたときは、毎週ポルトガルから電話をして、おじの様子を確認していたのだが、その大きな施設では、電話での呼び出しはないようで、これまでのように毎週海外から電話するというわけにはいかなくなった。そこで、気になった時は所沢に住む妹に電話してもらうのである。

おじとは直接血のつながりはないのだが、思春期時代の1年間を、わたしは大阪の社宅に住んでいて、当時子供がまだいなかったおば(我が母の妹)とおじのところで過ごしたのである。

で、妹いわく、
相変わらず張りのある声で、元気元気。 ゆう(わたしのこと)はコロナでこのところ、帰国してきていない。孫も生まれるのに、予定だった昨年6月に来られなかったと話すと、おじ、えーつ!ホントにおばあちゃんになったんだあ、って笑ってました.

わたしはとうに70を過ぎたというのに、おじにとってはいつまでたっても、何かと世話のやける姪だとのイメージがあるようだ。そのおじも、この4月には88歳、米寿になる。おじの年までわたしが元気で生きるとすれば、あと15年ある。

ふむふむと思っていたこの数日間で、二件の超高齢者の話を目にした。

そのひとつ。
産経ニュースの「世界最高齢の総務部員は90歳 エクセル駆使・定年はない」

大阪のねじの専門商社に勤務する90歳の玉置泰子さんが「世界最高齢総務部員」としてギネス世界記録に認定された。勤続64年。約20年前、社内でIT化が急速に進んだとき、すでに70歳近かったが「わくわく気分で」パソコンの使い方を習得した。


この方の20年前と言えば、わたしがモイケル娘にホームページの設定、作り方を学んだときと重なる。BGMやアカウンター、リンクの設定と、なんだかわけ分からないまま更新でき、いつの間にか楽しむようになったのだが、好奇心があるのは凄いことだと思う。

そして、ここに脱帽の超高齢者の話が出てきた。
パリに住む著名人のブログだが、2年ほど前のブログ記事だとの断り書きがあって、パリから日本へ向かう機内で、北海道からマドリッドにいる娘家族に会いに行って帰途についている95歳の女性に出会った体験談だった。

ひぇ~、95歳で!
この女性は車いすを利用しているのだそうだが、毎年、北海道、マドリッド間を往復しているとのこと。隣の席の人とあるので、察するにプレミアムエコノミークラスだと思う。
70も半ばを過ぎたら、ポルトから乗り継いで日本へ向かうのは、もうエライこっちゃなぁ、と考えていたわたしには、かなりのショックだった。

ただただ凄い!
おじの歳までまだ15年、さきの現役の女性の年まで17年、そして、この95歳で未だヨーロッパ日本を往復すると言う女性の歳まで20年ちょっとあるわたしだ。

feb03_3_1.jpg
生後6カ月半の青空ちゃん。紙をめくることを覚えたようだ。

孫の成長をどのくらい見ることができるのか、何ほどのわたしなりの人生メッセージを届けられるのかと思うと、おのれの寿命と照らし合わせて、少しがっくりするわたしであった。

2021_jan12_1.jpg

わたしの手編み、だぼだぼセーターを着て、真剣な目つき。好奇心が強そうだ。


しかし、上記の人たちのようであれば、それなら、わたしだって孫の青空ちゃんが20歳になるまで行けるぞ、行くぞ! と元気をもらい気持ちを引き締めたところで、ムクムクと希望が湧いてきた。

頑張らなくちゃ!

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2021年2月3日 

しばらく前のことだ。
外国人にとっても日本語が比較的聞き取りやすいとわたしが思った映画、「日日是好日(樹木希林主演)」を、日本語中級クラス生徒に見て欲しいと思って、youtubeで探していた時に、偶然目についたのが「橋の上の霜」という江戸時代のドラマだ。

題に惹かれて何とはなしに開いてみると、原作が平岩弓枝、主演が金八先生こと武田鉄矢で、1986年に放映されたとのこと。
どれどれ、と見ていくうちに、主人公直次郎が狂歌師だと言う。その親しい友人の朱楽 菅江(あけら・かんこう)の名を耳にして、あっと思った。

我がモイケル娘、院では中世文学を選び、狂歌師、山辺黒人(やまべのころうど)をテーマにした卒論に取り組んだのだが、その時に、狂名にはこんなおもしろいのがある、こんなヘンチクリンなのがある、と、話を聞かされたのである。それを思い出したのだ。

狂歌師はしゃれに富んだ狂名を号したと言われ、朱楽 菅江は「あっけらかん」から、頭光は「つむりのひかる」、元木網(もとのもくあみ)など(モイケル娘の受け売りなり。笑)、愉快な狂名が多い。

しからば、ドラマの直次郎とはと言うと、江戸の下級武士太田直次郎で、後に狂歌三大家と呼ばれた、朱楽 菅江、唐衣橘洲(からこもろきっしゅう)らと並ぶ残りの一人、狂名「太田南畝(おおたなんぽ)」更に「蜀山人(しょくさんじん)」と名を馳せる直次郎の若い頃、「四方赤良(よものあから)」と名乗っていた時代を描いている。

下級武士ゆえ金はなかったが文才があったのでパトロンが付き遊ぶ金にはことかかなかったが、吉原の遊女に入れあげ、ひょんなことから分不相応にも遊女を身請けしてしまう。しまいには自分の屋敷の離れに見受けした遊女を住まわせるという、なんともダメな男の話ではある。

後半は、そこそこに狂歌師としての名も売れてきたところで、

白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず

と、狂歌で寛政の改革批判をしたと噂され、危うく首が飛ぶところであった。

この二つの狂歌は、高校時代の歴史で習ったのでよくそらんじている。が、まさか、こんな年月を経て、こういう物語のからくりがあったとは知らなかった。

さて、直次郎は上の2作については自作を否定している。取り調べまで行く以前に、朱楽 菅江のとりなしで、直次郎の歌を読んだ上司が感動し、おとがめなしとなる。その歌が、

「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」なのである。

太田南畝、または蜀山人(しょくさんじん)の歌にはこういうのもある

「世の中は幸と不幸のゆきわかれあれも死にゆくこれもしにゆく」

後に支配勘定に出世、文政6年(1823年)、登城の道での転倒が元で75歳で死去。
辞世の歌は、

「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」

最後まで狂歌の精神、ユーモアを忘れなかった太田南畝ではある。

下記、モイケル娘が、狂歌師院卒論に四苦八苦していた頃の我が日記を抜粋。以下

2015年2月9日 

去年の秋口からずっと、修士論文、狂歌師に取り組んできた我がモイケル娘ですが、しばらく前に口頭面接試験も終わり、なんとか院卒業にこぎつけそうです。

娘から送られた修論の一部を目にして即、「なんじゃいな?この黒人て?江戸時代に日本に黒人がおったとは思えないぞ」と言ったら、笑われた。
「おっかさん、コクジンじゃなくて、クロウドと読むのじゃ」。

そう言えば、江戸時代の狂歌師をテーマにとりあげて、数ヶ月、市立図書館や大学の図書館に通い詰めで、ほとんど悲鳴をあげんばかりの娘であった。それはそうだろう。大学4年間は英語系だったのを、いきなり院で近世日本文学だと言うのだから。

18歳までポルトガル生まれポルトガル育ちの彼女にしてみれば、英語、ポルトガル語、日本語のトライリンガルに、もうひとつ、「江戸時代の日本語」という外国語が加わるようなものです。

古文などは、週に1度の補習校の中学教科書で、「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と言うようなさわりの部分を目にしたくらいで、知らないと同様の状態で取り組んだのですから、その大胆、かつ無鉄砲なるところ、その母の如し。笑

浜辺黒人なんて、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ」の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)のもじりではないか(笑)

狂歌は和歌をパロディ化したものらしい。そこで、ちょいとネットで検索してみると、あはははは。狂歌師たちの狂名に笑ってしまった。

朱楽菅江(あけらかんこう=「あっけらかん」のもじり)、
宿屋飯盛(やどやのめしもり)、
頭光(つむりのひかる)、
元木網(もとのもくあみ)、 
多田人成(ただのひとなり)、
加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、
南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)
筆の綾丸(ふでのあやまる)
↑これなどはしょっちゅうキーボードでミスタイプして誤字を出すわたしが使えそうだ。わたしの場合は、さしずめ、「指の綾丸」とでもなろうか(笑)

筆の綾丸(ふでのあやまる)は、かの浮世絵師、喜多川歌麿の狂名だという。中には、芝○んこ、○の中には母音のひとつが入るのだが、これなどには唖然としてしまう^^;

おいおい、モイケル娘よ、こんなヘンチクリンな狂歌師たちとその作品を相手の修論、資料が少ないともがき苦しんでいたなんてホンマかいな。腹を抱えて笑うのにもがき苦しんでいたんではないか?等と勘ぐったりしているのはこのおっかさんで、当たり前だが修論はいたってまじめに仕上げられている。この研究が生活にはすぐ役立たないが、そういう学業を教養と言うのかもしれない。高くついた教養ではあるが(^^;)


本日は長い拙文を読んでいただき、ありがとうございます。
なお、「橋の上の霜」を見たい方は、youtubeで検索すると、出てきます。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2021年2月2日 

ブログ左欄の月別アーカイブをご覧になればお分かりになるように、拙ブログ開始以来、この2月で15年になります。
が、実はこれ以前の2004年にホームページを開設して、ここには載せていない日記が綴られていました。

homepage3_2.jpg

HP開設が2004年6月18日とあり、最初の日記は同年6月20日に書いています。
お時間あらば、ちょいとお付き合いください。

6月20日(日曜日)/2004  「また拾い物・・・」

いつもの土曜日、補習校の仕事を終えて帰宅し1時半。「しんど~~」(これがただいまの意味でしたw)ということで、またまたモイケルを含む親子三人、近くのレストランで外食をすることに。(当時息子はリスボン大学生だった)

アパートの表ドアを閉めて外へ踏み出すと、先に出ていた夫と娘モイケルがガレージの傍で何やらを見下ろしている。夫の顔は心なしかちょいと不機嫌に見えた。

どうしたのかと思って覗きに行ってみると、翼を傷めたのか、そこには一羽の白い鳩がうずくまっておりまして。
そのまま放置しておくと、犬猫にヤラれますのは目に見えており、あ~ぁ、わたしと娘はとうとうそれを拾い上げてしまいました。

「家のなかには置けないよ。」と夫。当たり前でござんす。何しろ我が家には日がな一日、外出できないで狭い家でストレス発散に一日中悪さをしているネコどもが6匹いるのでありました。

ホントに仕方なさそうに、夫は取りあえずガレージに置いておくことを提案。実を言うと、つい3週間ばかり前にも、モイケルが子猫トラネコを拾ってきたばかりなのに、なんでまたもこういう拾い物の場面に出くわすんかなぁ・・・^^;
周りには他の人もいるっていうのに、みな知らん顔してるかなぁ(半分怒り)ホントにもう、全部を救うことはできないッス・・・^^;


6月29日(火曜日)/2004 「多忙中」

ふつつかな娘が(w)いよいよ日本を目指して旅立ちのため、準備で忙しく、ぼそぼそ言ってる様子を日記に書く暇もありませんでした。

今日は、先日の拾い上げた鳩の報告のみ残します。
結局我が家に一週間居候した鳩でしたが、、6匹もネコがいるので大変でしたわ・・・
うちのねこたちが世話になっている動物病院へ持っていきましたら、鳥類は見ませんと言われました。分かるんですけど、鳥だって動物のうちやで・・・

で、その鳩、羽を痛めていただけではなくて、どうやら目に炎症をおこしていたらしく、両目が薄い膜でカバーされて見えないのでした・・・えさも水もただかごの中に置いておくだけでは食べず飲まずなので、この一週間、わたしは、むりやり鳩のくちばしを押し開いて、いろいろなえさを押しこんでの荒療治。

一週間経った先週の金曜日に、マイア動物園に電話をして事情を話し、鳩の面倒を見てもらうことになりました。このマイア動物園にはペット病院も付随しており、昔、犬のポピーを飼っていた時、夏の家族旅行中には、そこに預けていたものです。
これでめでた一件落着。くたびれ申した。

モイケルめ、日本でこんな具合に野良ちゃんを拾ったりしたら、大変だよん^^;


7月2日(金曜日)/2004 「もいける旅立ちあと始末」

6月30日水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かったモイケル娘。この日はちょうど夫の誕生日で、彼いわく「what a nice present」・・・^^;

わたしはと言えば、一日中、海より深~いため息をついておりました。
しかし、こんなことでしょげてはいられません。これからは仕送りをがんばらなくちゃ!
で、「さて。じゃ、ちょっとあの汚い部屋、少しづつなんとかしてみようか。」と思い立ち、
とりあえず、散らばっているペーパーの類を手当たり次第にくずかごに放り込んでおりました。

ふと、彼女の机の上に見慣れた財布が置かれてあるのを見た。
「なんだ、こんなとこにわたしのお古の財布を置いてるわ。」と、いったんはくずかごに放り込んだものの、虫の知らせと言うのかとちょいと気になり、念のためにと中身を確認しましたらしましたら~。

おお!なんとまぁ、「福沢諭吉さん」が二枚入っているではないの!も、もうちょっとでこれ、捨ててしまうとこだったで・・・^^;この2万円、ポルトガルでは4万円の価値があるのよ~とホクホクホクのわたし。(もとは自分の懐から出たものだが。笑)

モイケルめ、日本では家計簿をつけると言っていたから、そのうち計算があわないことにぶつかるに違いない。黙っていて一旦我が懐にいれ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~」くらい言っとこうか。

しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセで見つけたモイケル娘に言いましたら、「親譲りの天然ボケだ」と言下。笑そ、そうであった。トホホホ・・・



(現在に戻る)
ホームページを開設したほぼ17年ほど前に、我ら夫婦はモイケル娘を日本の大学受験へと送り出したのでありました。

そのホームページも右も左も分からぬわたしに、自分がいなくなった後のこの母の虚脱感を思いやり、ホームページ運営にエネルギーを発散させてもらおうとの思惑で、受験勉強の傍ら、手取り足取り教えてくれたのでしたっけ。

早稲田大学無事合格し、ポルト補習校の星だ!とみなに驚かれながらも、すったもんだで3年目には北九州の大学に転校し卒業。
再び東京に戻り、石の上にも3年だとの母の助言に従い会社勤め。3年したらほんまに辞めよりまして、畑違いも何も、英文科を卒業したのに一体全体どうしてかと父と母は理解に苦しみながらも、「近世文学を勉強したい。学費は貯めてある」との言に、首を縦に振るしかなかったものでした。

17年を経た今、一児の母となり今日で誕生7カ月になる娘の子育てに勤しんでいるモイケル娘ですが、振り返れば、この母にとり、娘、そして途中から息子も渡日し、次から次へとエキサイトに満ちた、話題に事欠かない愉快な17年だったような気がします。

今日も外は雨。雨に煙る景色を窓越しに見ながら、リストの「ためいき」を聴きながら綴った今日の日記でした。


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
2021年1月31日 

時折、なにもしないでぼーっと休みたい怠け病に襲われることがあります。

しょっちゅうじゃないのかって?w いえいえ、とんでもない。嫌いなことにはそうですが、本を読んだり考えたりということに関しては、ない頭なりに毎日のように使ってるもんです。

このところ、日本語の授業準備と編み物以外は、何もする気がおこらず、だらだら生活が続いています。何かすると言っても、酷いコロナ禍でロックダウンがさらに延長され、最初に予測した通り、約一か月の引きこもり生活になり、外出もままならないので、あれやこれやとひらめいたところで、できないのではありますが。

こういう日は、夫には大変申し訳ないが、おのれの心と体の声に耳を傾け素直になることにして、さっさとベッドにもぐりこみまます。充電期に入れ、ということでしょうか。

ベッドで横になり眠るのかと言うと、そういうことはまずなくて、本や雑誌を読みふける(笑)
思うに、夫などは「ワイフ、本が読みたいがためだな」くらいに考えているのではないか。

せんだって、日本語中級クラスの生徒たちと取り掛かった課に、日本文化の「○○道」についての話が出てきました。茶道、華道、柔道、剣道、果てはパチンコ道なるものまで挙げられ、え?と思った私です。
そう言えば、読もうと開いたものの、なにかの具合で読み切っておらず、今日まで開いていなかった新渡戸稲造の「武士道」なる本があったのを思い出し、怠け病に襲われたのとに、日本語クラスでも質問が出てはいかんと再度手に取りました。

開くとページの間に挟まれたメモが目につきました。「意味ある偶然・シンクロニシティ・ユング」と自分の筆跡があります。

これは随分前に、とある雑誌にあった柳田國男氏の体験記事で、ひどく心動かされた言葉です。元々はスイスの心理学者ユングが使った言葉だそうで、「自分が思っている、もしくは思っていたことが、たまたま何らかの形で現実になること」を言います。

これはわたしが日頃思う、「自分はクリスチャンでも仏教徒でもない不信心な人間であるが、大いなるものの力の存在を感じる、信じる、あるいはもっと漠然と、あるような気がする、そういう念が心のどこかにある」ことに通じるような気がしたのでした。

また、本「アルケミスト」の著者として知られるブラジルの作家パウロ・コエ―リュが言っている、「あなたが何かを望むとき、広大な宇宙がその望みを実現しようと協力してくれる」の言葉も「意味ある偶然」に通ずると思うのです。

身近で小さな、しかも頻繁にわたしに起こる「意味ある偶然」の例で言えば、わたしが頭の中で歌いめぐらしていた歌を夫が突然口笛で吹いたりする。この件に関してはいつも不思議だなと思っているのです。

ここ数日、ある人のことをずっと考えていたら、今日、偶然にメールが入った、などもよくあることです。いや、ほんとうに今日そうでした。I氏のことが頭にあり、メールを書こうかと思っていた矢先にあちらから来たのです。

若い頃の、後で考えてヒヤリとするような事々を堂々とやってのけられ、今日に至るのも、このる「意味のある偶然」によるものなのではないか。

しからば、コロナ禍が一日も早く終わることを、わたしたちが心から願い望むのであれば・・・・

科学的ではない、合理性に合わない。そんな風では論理的な説明ができないじゃないかと「意味のある偶然」を否定してしまう現代に身を置きながら、今日はこんなことを考えていました。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ spacesis in ポルトガル - にほんブログ村
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ