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2021年1月29日 

ポルトガルに定住してから、わたしは3度住所を変えた。

最初の6年間は、夫の母やそのおば達との同居。わたしは三ババ殿と密かに呼んでいた。息子はそこで6歳まで育った。 

もいける娘が生まれることになり、同じ通りの同じ側、20メートルばかり離れた、まさにスープの冷めない距離にある、築70年ばかりにもなろうかと思われる3階建ての小さな庭付きの借家に移ったのが二度目の住所。

この通りは緩いカーブがかかっており、義母の家のベランダと玄関がその借家から見えるのであった。

三度目の住所が、現在住んでいる4階建てのフラットで、これが我が終の棲家になる。

家を買う時に、当時は10年来寝たきりの義母の家から遠く離れるのは何かと不便があるのと、長年この通りに住んでいる日本人なので、こちらは知らなくとも周りは皆わたしを知っている、いざと言う時には、言葉の問題で困るかも知れないわたしにとって、住み慣れた土地は安心感がある、と言うことで、結局我が終の棲家もほとんど同じ通り、という事になった。

ある土曜日の午後、義母の家に住む独身の義兄が、わたし宛のものだ、と言って一通の手紙を持ってきた。見ると、義母の住所のわたし宛になっている。つまり、これは20年前のわたしの住所なのである。

いったい誰が、と不思議に思いながら封筒にしたためられた筆跡に目を落としたが、まったく覚えがない。差出人を見ると、「青森県弘前市」と住所にある。名前は「小○セイ」と書かれてあった。

弘前はわたしの故郷だ。脳裏をすぐかすったのが、高校時代の同窓生ではないか?はやる思いで封を切り、その手紙を読み終えたわたしの心は、かすかに震えていた。
手紙には、
    
    6月22日、早朝5時のFM放送で、偶然あなたのインタビューを
    聞きました。
    南高校一期生の仲間として、とても懐かしく嬉しい思いで、高校
    時代の名簿から住所を探して、突然の手紙を書いています。

記憶の向こうから色々な名前がぼんやりと浮かび上がってくる。
団塊世代のわたしたちは第一期生で、、一クラスが45名ほどの全7クラス、弘前南高校の
歴史はそこから始まった。

丸一年間、全校生徒320名ほどの一期生は、今では名前と顔が一致しないことはあるが、ほぼ全員の名前はうっすらと記憶の中に印刷されている。写真付きの名簿を見ると、すぐに思い出すことができるのだ。

高校を卒業して以来、ほとんど故郷の両親の元へ帰ることがなかったわたしは、長い間「行方不明」と名簿に書かれていたであろう。その名簿に、わたしの一番最初の住所が載せられたのが、いつなのかわたしは全く覚えていない。

弘前に住むおじの双子の息子が同じ南高校に入り、おじはPTA会長の役を担ったことがあったそうだ。その時に、何かの拍子で彼の姪が、いったいどこへ行ってしまったか、誰も知らないわたしだと分かり、おじは当時の義母の住所を名簿に登録したのだそうだ。これは、ずっと後になって、帰郷した折に直接おじから聞かされた話である。

わたしは、卒業後36年ぶりに偶然コンタクトが取れた、京都に住む同窓生がわざわざコピーをして送ってくれた写真入りの卒業名簿を開いた。

あった!32ホームルーム、小○セイさん!
わたしは36ホームルームだったが、あぁ、覚えてる覚えてる。

22日のラジオ出演はほんの5分ほど。しかも日本時間の早朝5時、FM東京であった。大阪の仲間からは、「FM東京は関西では聞けへんで」と言われ、わたしは日記にちょこっと書いたきりで、放送局に全国で聞けるかどうかを確認もしなかった。これは、なんと言う偶然だろう。

20年前の住所に送られて来た、40年前の同窓生からの幸運な手紙を手にして、わたしは、じ~んと熱いものがこみ上げて来たのだった。

モンテルランの言葉が、この手紙を通してわたしに囁く。

  人生を前にして、ただ狼狽するだけで、無能なそして哀れな
  青春。だが今、最初のしわが額に寄る頃になって得られるのが、
  人生に対するこの信頼であり、この同意である、
  相棒、お前のことならわかっているよ!」
  と言う意味のこの微笑だ。
  今にして人は知るのだ、人生は人を欺かないと、
  人生は一度も人を欺かなかった。

そう、生きてるってええなぁ、人生はええなぁと、近頃頻繁に高校生時代のことを思い出し、この手紙について書いた15年も前の日記を紐解いた今日である。
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2021年1月28日 

このところ、ブログを書く気持ちが萎えている。

昨年春には早期封鎖が奏功、財政難でも武漢ウイルスによる死者抑制と言われたポルトガルが、今季では今週始め、世界ワーストトップに立った、と、不名誉なニュースが流れた。

24時間で感染者が15000人、死者300人の数に驚くと同時に、この小さな国でいったいどうしてこんなことになるのか、不安と苛立たしさが募る。

慌ててポルトガル、ブラジル間の便を中止と言うが、なれば他の国々についてはどうなってるのか、その変のニュースは流れない。

昨年春にはリスボン、ポルトなど、太平洋沿岸の大きな都市が主だった数字を占めたのだが、今季は全国津々浦々である。
こっちはしっかり自粛しているのに、これはどうしたことなのか?

そう言えば、一週間前の木曜日夜、いよいよ翌日からはロックダウンだというからとて、都市では、今日が最後とばかりに大勢の人のレストラン、バーなどで食事したりたむろしたりの映像が流れたが、あんたら、それ、ちがうやん?と、思わずテレビを前に言っていた。

翌日からロックダウンだということは、もうすでに大変な状態になっているわけで、最後だと言いもって集まるんじゃないよ。たった今、この時からロックダウンと捉えるべきだろうが。

これまでのように、突如の断水だ、停電だ、修繕のお兄さんが約束の時間通りに来ない等には、「ポ~~ルトガル、ポルトガル」と言って自分を抑えてきたが、今回は怒りが腹の底からこみあげてくる。緩みすぎなんだよ!

ひょっとして、一部ではワクチン接種が始まったことだし、なんとかなるわいと、気の早い緩みが露出したのであろうか。そのワクチンも、EUが一手に購入し各国に配布するよていだったのが、契約通りに数が回されてこないとEU。イギリスの大手製薬会社アストラゼネカとEUの対立が深刻化している。

まぁねぇ、EU脱退でさんざん揉めたイギリス、まさかこれで一矢を報いる気でいるのではまさかあるまいと思いたい。

EUに入らないことには、加盟国にも当然回ってこないのである。困ったものだと思っていたら、今度は、ポルトからそう遠くないPenafielの病院で、冷凍システムがうまく作動しなかったとかで、600本のワクチンをダメにしてしまったとのニュース。

かつて、石油会社の技師をしていたおじの言葉を借りれば、もう、たるんどりますね。一概に誰のせいとは言えず、ふつふつと怒りだけがこみあげて参るわたくしであります。

この数日、黙々と孫青空ちゃんの来年用のセーターを編んでおりました。ちょっと模様の刺繍いびつであります。ボタンもここずっと店が閉まっているので入手不可。あり合わせなもので、全部色の違うボタンです。刺繍については後で少し手直しをするつもりですが、ま、これも手編みのいいところかな。笑。

Sweater1.jpeg

本日はこれにて。


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2020年1月22日 

ポルトガルはロックダウン中ですが、学校は対面授業を続けるということだったのが、昨日の武漢ウイルスによる死者221人、感染者約15000人との数字に、ポルトガル政府は、学校も今日から少なくとも2週間閉校と突然発表しました。昨年の3月とは比べ物にならない数値です。

オンライン授業もなし。場合によっては、この2週間が延長になる可能性もあるので、オンライン授業云々については、これから話し合われるのでしょうか。

死亡者の70%が80歳以上の超高齢者だそうです。巷のビル・ゲイツ陰謀論に与するわけではないけれど、人為的に人口を減らすために、用のなくなった高齢者を攻撃する方法だとすると、実にうまい具合だなと想像たくましく、口に出して夫に苦笑されています。

最近は武漢ウイルスに感染し治療のため病院で3カ月もの昏睡状態から目覚め生還したという年配者がテレビでニュースなっていますが、これは非常に珍しいケースでしょう。

わたしはまだ逝きたくない、逝かない。極力外出を控えます。閉じこもりのストレスは、日本語オンライン授業の準備にエネルギーを注ぐことで乗り切ります。

うっかり風邪など引いてPCR検査でも受けようものなら、単なる風邪も武漢ウイルスだと判断されるかも知れないので、この冬は決して風邪をひかないように、寒いのを我慢せず早寝遅起きです。武漢ウイルスを、ただの風邪だとする説もありますが、感染しないにこしたことはない。

この状態だと春になってもウイルス禍の小康化は期待できそうもありません。丸1年を、無駄だったとは言いませんが、びくびくウイルスにおびえて、したいことはほとんどせずに我慢してきたのです。後、もう少し後もう少しと自分に言い聞かせてがんばります。

こんな話ばかりだと気持ちが落ちますね。
今日はちょいと横道おしゃべりということで、下記に。

「全ての道はローマへ通ず」と言う。

また、詩人ゲーテは「ローマ悲歌」の中で謳った。  
「ローマはもとより大世界なれど、恋なくて世は世にあらず。
さればローマもまた恋なくてローマならずも」と。
記憶が間違っていたら、お許しあれ。

隣の共産主義国は、これに倣い「全ての道は北京へ通ず」とでもしたくて、一帯一路なるこ狡い政策を世界に押し進めてきたのであろうか。頼むから来んといて、です。
 
さて、わたしは塩野七生氏の著書「ローマ人の物語」シリーズの愛読者だが、読むにつけ、その政治体系、外交、建築、生活様式には、成熟したローマ人の精神に感じずにはいられないのである。「成熟したローマ人の精神」、これが現在のC共産国にないものである。

ローマ帝政期の地図を見ると、アレキサンドラ、トリポリ、アルジェのアフリカ大陸地中海沿岸はもとよりヨーロッパ大陸一帯にその街道網は敷かれている。イベリア半島もその例に漏れない。

これらの街道網を見て気づいたのだが、現在の主幹道路はこのローマ時代の街道と見事に重なっていることだ。

ローマ帝国で最も有名な人物と言えば、シーザーであろう。

エジプト女王クレオパトラとの恋沙汰と「ブルータス、お前もか」の余りにも有名なセリフで知られるのだが、塩野氏のシリーズ4、5巻に渡る「ユリウス・カエサル(シーザー)」の2巻には、カエサルことシーザーの武将としての度胸、戦略のうまさ、人間味溢れた姿などが余すところなく描かれている。

多くの女性と関係がありながら、どの女性にも恨まれず、スキャンダルにもならなかったと言うカエサルの心憎い配慮には、ただ舌を巻くのみである。
世の殿方、かくあらんことを。などと書いたら、フェミの方たちの反感を買うかもしれないか。笑
お見逃しを。
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2020年1月20日 

少し頭が疲れてます。
いかな嫌いでも国民から選ばれた国のトップに対して、数々の一斉なる偏向報道、生放送すら急停止するわ、Youtube、ツイッターどころか、ビッグ・テックGAFAM(Google, Amazon, Facebook, Apple、Microsoft)の、あそこまでの言論弾圧を見せられたら、空恐ろしいと思うのは自然ではないだろうか。空恐ろしい、変だと思わないのは、己に都合悪く、言論弾圧がなんであるか知らぬふりをしている人たちだろう。

いつの間にか、怖い国になってしまったアメリカの話でありますが、上記、記録しておきたいわたしの独り言と受け流しのほどを。

こんな風に頭が疲れている時は、わたしは数年前の同時期にどんなことを考えていたかと、古い日記を紐解いたりします。今日はそれをさせてください。

2009年の今頃の日記です。以下。

「二番目に言いたいことしか人には言えない」という風なことを詩人の星野富弘さんは、詩に書いていたように思う。

その場その場で自分の意見や思ったことをズバッと事も無げに言ええる人がいるが、蛍光灯タイプのわたしは、少しテンポが遅いことが多く、星野さんの詩にあるように、一番目に言いたいこと、書きたいことをなかなか表現できないでいたりする。

言いたくても、書きたくてもできない一番目のことと言うのは大抵嬉しいことではない。

実は先週からショックが続いておりますんです^^;それで日記やブログに穴を開けていました。「落ち込む」という言葉はできるだけ使いたくないと思うわたし、「こりゃ意気消沈だわな」と、すっかり肩を落としてしまっている自分の姿、やっぱりこれ、「落ち込み」って言葉がぴったりですがな(苦笑)

卒業論文を仕上げるのと、卒業試験を控えてるのと、今春からの関東での落ち着き先を探すのとで忙しそうなモイケル娘(懐かしいな、この頃^^)、あまり邪魔をしないようにと、ここしばらくはメッセンジャーで見つけても「何か特別用事ある?あったら声かけてね。」くらいで終わっていたのだが、今日モイケル娘に、先週ガビーーンと電気ショックもどきの出来事があったことをちょこっと話した。

わたし「ホムペ(ホームページ)、恐ろしいことをしてしまってん・・・」
モイケル「やっぱり・・・。ずっと日記の更新がないからなんとなくそんな気がしてた」

ど、どんな恐ろしいことをしてしまったかは言えなかった・・・口に出したくないのだった・・・口に出したら、またぞろ、ショックがぶり返してきそうで、もう少し自分なりの解決策を考えられるようになるまで、放って置きたいたいたいたい(笑)

で、アクセス数は今のところたいしたことはないのだが、そのうち、大ブレークするかも知れないなんて勝手に夢見て、大事にしてきたホームページサイト「ポルトガル・ロマン」、しばらくそのままにすることにした・・・

「spacesisさん、いったい何やったの?どんなチョンボしたの?」なんて、き、聞かないでくれたまえ、君(笑)→打ち明け話:2020年にも似たようなことをこのブログでしでかして、自分なりに色々手を尽くしてみたのだが、成功せず。しまいには、FCにヘルプのメールを書く羽目になりました。それでようやく解決。拙ブログは元にもどったという次第。


こうやって半分アホ言ってるのは、意気消沈から徐々に立ち上がってきた証拠ではありますが、しばらくは言葉もでなかったのではありました。これがショック①。

ショック②は、これも先週のことで、大急ぎでポルトに駆けつけて来た息子を夜駅へ迎えに行った夫の車が途中で故障し動かなくなってしまったこと。

ついこの間、車検したばかりなのにです・・・ったくもう!と怒っても仕方がない。何しろここはポルトガルポルトガル(笑)
週に二回、わたしの朝の出張日本語教室以外は、目下夫がわたしの車を使っているので、クリスマス以降、ずっと好きな気晴らしのポルト探検をしておらず、息が詰まりそうで、これではわたしにはいかんのです。

ショック③、軽々しく日記やブログで書くことではないのですが、夫の母が身まかりました。享年97歳。14年間の自宅寝たきり生活でした。今宵はその初七日で、近くの小さな教会でミサがありました。わが母が亡くなった時もそうでしたが、夫の母のことも、もっと時間が経たないことには語れそうもないです。

このように人の力ではどうにもならないことはわたしたちの人生にあります。そういう時、ポルトガルの人はこう言います。
「É vida.(エ・ヴィーダ)」 これが人生というものよ。

本日はこれにて。
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2020年1月15日 

ポルトガル政府は今日から再び昨年3月のように、全国的に自粛生活を要請しました。

これまでは週日はそこそこ通常通りの生活ができ(もちろんマスク付きだが)、週末のみ午後1時にレストランを始め商店という商店が閉店してきたのが、本日より2週間、スーパーマーケット、病院、薬局店等を除いては全面閉鎖です。ただし、学校はマスク義務付け、手の消毒をしながら通常通り。

ロックダウンは恐らく更に延長されて一か月に及ぶ可能性大ですが、とにかく、よほどの要件でもない限り、食糧調達以外の外出は控えよ、となりました。

オフィス関係はテレワークが義務付けられています。祝い事、イベント等の集会はもちろん禁止、レストランの営業は宅配もしくはTake awayのみ、文化施設、ジムなども全て閉鎖です。

昨日1月14日の感染者数は1万を越し死者は140人近くに上り、12日間連続で増加です。
昨春、一日の感染者数4000、5000に目を丸くして恐怖感を抱いたのが、とっくにその数を上回ったということです。それでも、3月のような悲愴感があまり見られないのが救いといえましょうか。みなさん、この状態に慣れてきたとも言えます。

感染者数はインフルエンザより少ない等の色々な意見があるのですが、形を変える得体のしれない武漢ウイルスです。注意するに越したことはないと思っています。

ワクチンができたと言われ、目下ポルトガルでは超高齢者や医療関係者から予防接種がはじまりましたが、わたしはいまいち、本当に効くのか?との疑問があり、できるものならまだ受けたくはないと思っているんです。

ただ、誰かが言っていましたが、未来社会は、パスポート同様に、この予防接種を受けることが条件で海外へ行けることになるかも知れない、いえ、もうそうなってる感じですね。

場合によっては、レストランとかカフェとかコンサート、果てはスーパーマーケットまで、人が集うところへの出入りにはこの予防接種の証明を提出することになるかも、と言っているのを目にして、ぞっとしたところです。

腸チフス・髄膜炎菌・黄熱病などの感染リスクが特に有ると考えられるので、これらのワクチン接種をして渡航せよというアフリカエリアと似たようになるのでしょうか。

武漢ウイルスは文明国を奈落に落としたと言えます。昔読んだ本に、人類はウイルスによって滅ぼされると書いてありましたが、まさか、自分がその入り口に立たされようとは想像だにしなかったことです。

生きにくい世界をそれでも無事、生き抜きたいと思っています。
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2021年1月13日 

かつての歌姫バイト先、懐かしいアサヒビアハウス梅新に向かって知人と一緒に歩いていた。
すると目の前に古い木造建築のアパートが現れ、「二階の右端がモイケル娘の、そしてその左となりが我が東京息子の部屋なんです」と、わたしはその知人に語っている。

アパートは道の角にあり、それを左にして通り過ぎようかと言う時に、息子が建物から出てきた。そして、すぐ右隣にある店に向かった。一瞬のことだが息子の横顔をわたしは見た。そして思った。「うん、後でアサヒビアハウスから電話して呼び、一緒に飲もう」

ビアハウス入り口には、もう亡くなったはずの土佐さんがいて、わたしを見るなり、「お~~、ユーコちゃん」と言う。わたしたちは抱き合って再会を喜んだ。

ビアハウスは、わたしが知っている大理石柱がある内装ではなく、なんだか和様の酒場のようで、少しは驚くべきなのに、わたしはどうと思うことなく店内を奥へと入って行った。

進む途中で大勢の客に交じった杉やんと「おぉ!」と軽く挨拶する。わたしが座ろうとするビアハウスの席は、どうしてか座敷になっており席に着こうというところで、目が覚めた。

枕もとの時計を手に取ってみたら、午前4時前だった。
夢で見た息子の横顔を思い浮かべ、なぜだか急に哀しくなり再びとは寝付けなかったので、起きだしてパソコンのスイッチを入れた。息子のことが気になったのだ。

してみれば、大学の講義がない春、夏の休暇時には必ず帰国してきた息子である、わたしの日本行きを入れると、毎年、年に3回は会って来たのだ。それが、昨年からの武漢ウイルス禍で1年以上も会っていない。一年以上会っていないのはモイケル娘とて同じなのだが、彼女とは孫ちゃんの写真やビデオを送ってくるので、スカイプでしょっちゅうやりとりしている。

オン、オフにかまわず、要件がある時はスカイプにメッセージを残すこのごろだ。「元気にしてる?」と書き送ると、すかさず「元気!」と返事が来た。よかった、何事もなかった。

1年以上も会っていないことへの内なる不満が、ああいう夢の形で出て来たのかと分析したりしている。
すっかり冷えてしまった体を、ガウンの上から両手でさすりながら、再び寝床へ。ポルトはこのところ、朝からヒーターをいれずにはおれない、体がちじまりそうな寒さである。
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2021年1月8日

子供たちが小中学生だった頃の帰国はほぼ3年ごとで、国への想いも一入(「ヒトシオ」と読むのだよ、モイケル娘よ。笑)だった。

「あれもあったらいいな、これも欲しいな」と、3年分の想いがあるので、帰国していざポルトに帰って来る段になると、滞在中に買い集めた物の荷造りで毎回四苦八苦していた。

飛行機に送り込むことができる荷物は、二人の子供たちの分物も合わせて、当時はエコノミクラスで60キロなのだが、とてもそんなものでは収まらなかったのがわたしたちである。

子供たちの日本語教育に必携の参考書やドリル類から、自分が読みたい本、文房具(鉛筆、消しゴム、クレヨンなどの筆記用具は日本製が俄然良質なのであった)、和食器類に及び、日用品においては昔はポルトガルであまり見かけなかったプラスティック容器、果ては洗濯バサミまで持ち込んで、夫や夫の家族は苦笑したものだ。

時が移り、ポルトガルがヨーロッパ共同体の一国となりネットの普及等で今では色々便利になり、値段に余り細かくこだわらない限り、大概の物は手に入るようになった。世界的な日本食ブームで醤油、ダシの素、酒等も近頃はポルトで手に入る。

それで、家族から「船便代に10万もお金をかけるなんて、中身とあまり変わらないじゃないの」と呆れられていたわたしだが、近年は船便荷物を日本から送ることもなくなった。

色々考えると、持ってきた和食器も、どうもいまいち、洋風の食卓には合わない気がするし、第一、食材が違うので、和食器に盛り付ける少量多種のおかずが食卓にたくさん乗ることはなく、せいぜい、ほうれん草のおひたし、白野菜の酢味噌和え、豆腐の揚げ浸しくらいである。和食器は専らわたしが手に持って眺めるだけのことが多くなった。

わたしは時々依頼されると日本文化展を開いたりする。なに、自分が長年少しずつ持ち込んで来た日本の小物をベッドの下の箱に仕舞い込んだままではもったいないと、素人がお披露目をするだけのことなのだ。日本から持って来た物の中でも、わたしが思い切って持ってきてよかったと思うのが、これだ。

傘

唐傘、番傘と呼ばば呼べ(笑)、買った当の本人は「野点傘(のだて傘)」のつもりなのである。

これを探し回るには3週間の日本滞在では無理だと思い、野だて傘もどきをネットで探すのも大変だったのだが、やっと見つけてモイケル娘に事前に買って置いてもらったのだ。

危うかったのは、包んていた紙が分厚かったからよかったものの、当時息子と娘が同居していたアパートに着いてみると、モイケル娘の猫たちが早速に爪とぎにしていたことだ!

「ひゃ~~!」と、猫立ち入り禁止の息子の部屋に移したので助かった。息子の部屋は音楽作曲のpc機器が色々おいてあるので猫が入っては何かと危険なのである。

野点傘(妻折=つまおれ、とも言う)は柄がずっと長いが、値段が安くても7、8万から16、7万円、お茶を点てる(たてる)わけでもないわたしが、ほいほいと買うものではない。 が、わたしはずっと長い間、これが欲しかったのだ。「赤は日本の色」だとすら思っている。日の丸だってそうだ^^

野点傘の何に惹かれたかというと、赤色もさることながら、広げた傘の内側、上部のこれだ。
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安物の傘ですら、かがり糸の美しさには目を奪われる。

これを二本、ダンボール紙でぐるぐる巻きにして持ってきたのですが、日本人はよく手荷物を開けられて足止めを食いがちなポルトの空港、「O que isto?(それは一体なに?)」と、きっと呼び止められるだろうと思っていたら案の定、呼び止められた。笑
「日本の紙の傘です。展示会に使います。」と答えると、中を開けて見ることなく、すっと通ることができた。普段はよく呼び止められるのが、本当に億劫だと思うのだが、その時だけはこの荷をほどいて開き、披露してあげたいくらいだった。

こんな伝統的な日本の美も、ずっと日本に居たら気づかなかったかもしれないと、当時は、小さなこの発見に大人気なく得意げになったものである。

してみれば、このところ、日本文化展をしていない。
武漢ウイルス禍が落ち着いたら、頃合いを見て、多分最後の展示会を催してみたいと思っている。
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2021年1月4日 

年が明けて二日目で、ハーフバースデー、つまり生後6か月を迎えた孫娘の青空ちゃん、首も座り、武漢コロナ禍の中で日々逞しく成長しているようです。

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離乳食も嫌がらずに。

我がモイケル娘も、毎日眠い、きついと言いながらも、どうにか子育て6カ月目にこぎつけ、未だ、朝5時ころには起床だそうで。なにしろ、青空ちゃんの「あ~だだだだ~」で起こされるのだとか。

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鏡に映る自分の顔を見る孫ちゃん。この顔はモイケル娘のこの頃とそっくり!

夕方6時ころには就寝の青空ちゃんとは、ポルトガルの時差9時間では、双方の時間帯が合わず、スカイプでのライブチャットは難しいのですが、毎日のように送られてくる写真やビデオで、孫の成長が手に取るように分かります。

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木のおじさん人形に興味津々

モイケル娘、本当は青空ちゃんの世話だけでも忙しいでありましょうに、こうして送ってくれる彼女には感謝であります。と言いながら、実は2日ほど写真が送られて来ないと、「写真くれ!」とねだるんでありますが。笑

モイケル娘が色々な歌を歌ったり(ベートーベンの運命ジャジャジャジャーンとか、映画ロッキーの主題曲などにはわたしも笑った)、いないいないばぁもそのままではなく、うしろ向きになって、「う~ん」、そして、振り向き顔を見せては、「ねこ!」「う~ん、にんじん!」「う~ん、そら!」などとやって、自分の娘の相手をよくしているので、送られてくるビデオでは、しょっちゅう青空ちゃんの笑いじょうごの声が聞けるわけで、夫とそれを見ては楽しんでいます。

さて、しばらく前までの舌べろ~んブームが終わり、「だんだんだんだん」やら「がんがんがんがん」やらが目下のマイブーム。ねる前の独り言の儀式も始まりました。
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彼女のおじさんにあたる我が東京息子に言わせると、「こりゃ、イタズラ坊主の顔だ」笑

その独り言を聞いて、最初は雑音かな?と思ったのがなんと、「むにゃむにゃ」のおしゃべり前に、しばらく「あRRRRRR」と巻き舌おしゃべりをしてます。「これ、わたしができないポルトガル語「RR」の発音ではござらんか。ぎょえ!6か月にして追い抜かれた!笑

実は青空ちゃん、舌が長くて形がモイケル娘と同じなのであります。今から30年以上も前、我がモイケル娘と初めて対面した時の第一印象は「うは!この子、舌が長い~」だったのです。

日本人の舌は平べったく丸い、ポルトガル人のはたいてい細長いんでありますね、とはわたしの説。
さぁて、孫ちゃんの出てくる最初の言葉がどんなものか、楽しみにしているのであります。

それにしても、ピンクを着ていなかったら、男の子に間違えられるな。笑
本日は、初おばばバカでありました。ごめんあそばせ。
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2021年1月2日

新年明けましておめでとうございます。

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我がフラットドアにしめ飾りをかけてみました。

相変わらず誤字脱字が見られる拙ブログではありますが、今年度も、みなさまどうぞよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

正月二日目の今朝、ポルトは零下2度を示し、午後になっても気温は1度。めったにないことですが、空は快晴です。わたしはと言えば、今朝10時から二クラスの日本語授業を終え、仕事始めであります。

元日朝8時から昼食時間の1時半まで、ずっと台所で立ちっぱなしのおさんどんでしたから、さすが、4時ころにはこれぞ寝正月ぞとばかりにベッドへ直行なり。笑。5時間もかけて何を作ったかともうしますと、まぁ、大したものでもなかったのでありまして。

例年なら、元日はアヴェイルの儀姉宅にみんな集まるので、わたしは巻きずしを7、8本用意していくだけでよかったのですが、今回は武漢ウイルス禍で大晦日から明日の三日、日曜日まで居住区を出てはいけないことになっておるゆえ、近く住む夫の独り者の兄を呼んで一緒にささやかな正月祝いの卓をと頑張ったのであります。

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何に時間がかかったかと言いますと、これであります。
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見た目はなんということのないシンプルな豚角煮もどき。これがです、たっぷり4時間近くかかるんでありまして、口の中でとろけるように柔らかいんです^^ 4時間もかかるのは圧力鍋を使わないから。そうでないと冷めて後もこんな風に柔らかいとはならないんであります。

本当は脂身も入るのですが、わたしは脂身、ダメなもので。時々、これが食べたくなって、午後から時間をかけて作ることがままありますが、甘みでおいしいんですよん^^

これをぐつぐつ煮てる間に巻きずしやら鶏肉の揚げ物やら、ごま油たれのオーブン焼きなどなど。豆腐の出し醤油かけも、と思ったものの、時間切れ。おあにいさん、早めにご到着で、日本食もどきのお昼でありました。

さて、今年の願は帰国です。昨年は子供たちにも会えずじまいでした。初孫の青空ちゃんは、日に日に成長し、会えるときはもう歩いているかもしれません。一昨年持ち込んだ日本食も、すっかり切れてしまいましたしね。

なにはともあれ、みなさまにも健康でよい1年になりますように願っております。
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