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2020年12月30日 

好きな作家向田邦子の作に「眠る盃」と言うのがある。
「荒城の月」の「春高楼の花の宴 めぐる杯 かげさして」の「めぐる杯」を作家は少女時代からずっと長い間「眠る杯」だと思っていたというのである。

よくありがちな話で、おっちょこちょいなら氏にひけをとらないであろうわたしだ、同じような経験をしており、これを読んだときには、向田邦子という作家がなんだかとても身近に感じられ、以来ファンになったのである。

かごめとかもめを同じ鳥だと思い、「かごめーの水兵さん、ならんーだ水兵さん」と歌っていたし、かごめが鳥などではなく、竹で編んだかごの網目だと知ったのはずっと大人になってからだ。

また、愛唱歌「朧月夜」にある、
「菜の花畑に入日うすれ、見渡すやまのは~」と、これは大好きな歌のひとつなのだが、おっとっと、補習校の朝の歌に選択し子供たちに教えるまで、「見渡す山野は(Yamano wa)」と歌っていた。

「見渡す山の端」だと歌詞を文字で見て知り、冷や汗をかいたことがある。以来、ソコツな自分だからこそしていたかも知れないその間違いを、しばらくの間は聞かれもしないのに会う人ごとに解説をしたものであった。子供たちには「ここは、こういう意味でこう歌うんですよ」と、勿論さも知ったように話したわたしではあった。

おなじみの歌、

夕やけ小やけのあかとんぼ、
おわれてみたのは いつの日か

漢字で歌詞を書くと「負われて見たのは」となるのだが、大人になってもずっと「追われて見たのは」と歌っていた。よく意味を考えると、「追われてみたのは」ではおかしいと気づくはずなのだが、子供のころの刷り込みは疑ってみようとも思わない。

「洗脳」というのはこういう怖いことだとこの時改めて思った。

さて、どうしてこんな話かと言うと、わたしの日本語教室のことになる。

対面授業ができず、オンライン授業になってしまった我が日本語教室なのだが、オンライン授業のマンネリ化を避けたいと思い、何か面白い教材はないかと色々考えて、これはイケルかも知れないと思ったのが、Youtubeにあったドラマ「日本人の知らない日本語」だ。

全12エピソードで、画面下に英語字幕が出る。元々は海野凪子氏の漫画作品だったのをドラマ化したもので、わたしは漫画を数年前に読んでいる。これを中級クラスで取り上げてみることにした。

それぞれのエピソードが30分ほどで、我が中級クラスの生徒にとり、ドラマ中の会話はかなり速いので、全部掌握するには少ししんどいであろう。そこで、楽しんでもらうためにも、宿題としては全部聞き取らなくてよろし。次のことを翌週まで準備すべし。

1)ドラマ中に出てくる言葉を三つ、まず聞き取り、それをクラスで質問すること。
2)ドラマの流れに沿ったわたしの質問に答えること。
3)辞書にはない言葉、聞き取りにくいが日本人がよく耳にするいくつかの言葉、文を各エピソ ードから選び、わたしがクラスで説明する。

というので、毎週クラスの始めに、宿題確認として生徒たちと話し合うことにした。今週はその3回目、第3エピソード「自己紹介」が宿題である。このドラマを見ながら、わたしは生徒たちへの宿題としてファイルを作成するのだが、今回は、なんと「花札」が出て来るのであった!

うげ、あれか、あの赤タン青タンの「あのよろし」「みなしの」っちゅうの。このアナログゲームは子供のころ、よく家族で正月に遊んだもので、花札の一通りの役をわたしは教わっている。展示会用にとわたしは2セットの花札を日本から持って来てある。

と、ドラマを見ていくと、あららのら。「あのよろし、みなしの」じゃない?ちがう?

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wikipediaより

赤タン青タンとは「赤短冊、青短冊」のことだ。

hanafuda.png
wikipediaより
字が書かれてある赤タン、松梅桜の3枚の札。

わたしが「あのよろし」と覚えていたのは、実は「あかよろし」で、「みなしの」は「みよしの」なのだそうな。
ドラマでは意味まで明かしていないので、意味を探ることになった。「みよしの」は桜のカードゆえ、奈良の吉野山のことであろうと今なら分かる。

が、「あかよろし」は、と言うと、明らかの「明か」と短冊の「赤」にかけて、意味は「実に素晴らしい」なのだそうな。

つまり、実に素晴らしい→明らかによろしい→明かよろし→あ可よろし(当て字)→あかよろし、となる。 って、変化しすぎやろ!

ところで、「シカト」なる言葉の語源、ご存じかな? 意味は知っているものの、わたしが日本にいたころにはなかった俗語で、使ったことはないが、実はこの俗語は、花札十月の絵札、鹿の十(しかのとお・この絵札は十点の点数を得る)からくるのだそうだ。 
鹿が横を向いている絵から、「そっぽを向く、無視する」ことを「シカトする」と言うようになったと言う。

shikato.png

「しかとう。とぼける。花札の紅葉の鹿は十点であり、その鹿が横をむいているところから」と警視庁刑事部による「警察員後類集・1956年」には書かれてあるとのこと。元々は「しかとう」と使われ、賭博師の隠語だったのが、「しかとう」から「シカト」に変化し、現代の若者言葉になったようだ。

賭博師の隠語がねぇ・・・冷や汗と、ぎょえ~ではある。いやぁ、これぞ日本人のわたしが知らない日本語ではあった。
この言葉、知っていて損も得もないが、一生使うことはあるまいぞ、のspacesisではあった。
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2020年12月28日 

土曜日は午前中のグループ授業が二つあるのだが、クリスマス後の26日は初級3のクラスが休講にしてほしいというので、いつもより早い11時半に授業を終えた。夫と簡単な昼食で済ませ、最近できたガイア市ドウロ川対岸づたいの、海とは反対の方向、川を上ることになる道を歩こうということになった。

ドン・ルイス一世橋をわたるとすぐ、左にBurmesterセラーがある。その横から始まるのだが、
どうもまだきちんと整備されていないようだ。

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26日は久しぶりにいい天気で、リベイラリから見るポルトの景色が真っ青な空に映えて、地元の人たちで少しにぎわっていた。
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川面では水上モーターバイクが数隻、唸るがごとくしぶきとモーターの音を立てて、穏やかな川面をしばらく波立てていた。
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ドン・ルイス一世橋を挟んだ、ポルトリベイラと反対側のAvenida Gudtavo Eiffel通りに林立する家並みを川向うに眺めながら歩く。午後3時半ころ、既に日が傾きかけて。
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Ponte do Infante(インファンテ橋)が前方に見える。
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インファンテ橋を超えると、あった!わたしが何年も前から来てみたいと思っていたのだが、道が分からず対岸から眺めるのみだった長年見捨てられて廃墟となっていたCapela do Senhor d´Além (Além=向こうの、遠くの)
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川べりへ降りる石段があるのだが、目下修繕中でさえぎられている。下は何年か前にわたしが対岸から眺めて撮った写真。
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このカペラこと礼拝堂には伝説があるようなので、いずれ拙ブログで取り上げてみたい。

ポルトの街がこんなに上に見える。始めてみる景色だ。
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写真を横切る細長い黒い影は、頭上の橋の影。

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この道は冬の午後はあまり薦めない。日陰になり、寒い日は結構こたえるかも知れない。この日は天気よく暖かかったのでよかったが、わたしたちは往復40分ほど歩いて、夕日を後に我が家へと引き返した。

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2020年12月25日 

2300年ほど前の中国戦国時代、盧生(ろせい)と言う青年が、人生の迷いを晴らしたいがため、楚の国、羊蹄山の聖者に会わんと遥か旅をして、趙(ちょう)の国の都、邯鄲(かんたん)に宿を求める。 宿のおかみが出してくれた枕で昼寝をするうちに、盧生は出世し、その内、冤罪で投獄され、疑いが晴れ、やがて栄華を極め、楚の帝となる。子にも恵まれ、50年を過ごし、ついに年老いて死を迎える夢を見る。

覚めてみると、寝る前に仕掛けられた宿の粟粥が、まだやっと炊きあがろうとしているところだった。盧生は、人生は束の間の夢だと悟り、故郷へ帰っていく。

これは中国の故事のひとつで、「邯鄲の枕」とも呼ばれ、日本では能の演目のひとつとされているそうだ。故事では宿のおかみが、仙人になっている。ちなみに「邯鄲」は小さいコオロギをも意味し、中国では「天鈴」と呼ぶと言う。

この話を知ったのは数年前の、とある本でだが、わたしはその時下の歌を思い浮かべたのだった。

Row, row, row your boat,
Gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream.

英語を習い始めて、誰もが耳にする子供の歌だが、これはメタファー(隠喩)だと思ったのはずっと後、大人になった時である。 Boatはわたしたちの人生を指し、 Streamはわたしたちが逆らうことのできない時間の流れだ。最後の「Life is but a dream」は他の説もあるが、わたしは「人生は束の間の夢のように短いものなのだ」と訳している。

上述の盧生が、人生は束の間だと悟り帰郷したのをなるほどと頷けるのは、わたしも70の齢を越したからであろう。

しかし、盧生のように人生を悟り、故郷へ戻ると言うのは、若い者には似合うまいとも思う。人生に迷いあり、夢あってこそ若さだと言えよう。故事に異を唱えるつもりは決してないが、若いうちに人生を悟ってしまうのは面白くないような気がする。

と、こんな長い前書きと故事まで引き出して何を言いたいかと言うと、人生とは何なのかと自問して生きてきたわたしは、前へ前へと、なりふり構わずやって来たものだから、今になってあちこちに置き忘れて来たものを懐かしく振り返り、記憶の糸を探り、手に取って眺めてみたい気持ちがあるからである。

我が右足かかとに一文字の傷痕がある。小学校に上がって間もない頃であったろうか、さだかではないのだが、おじに自転車に乗せてもらった時に起こった事故の傷痕だ。

わたしが中学に上がるくらいまで、盛岡で競馬騎手をしていた父は家にいることがなかった。母と妹とわたしは弘前の下町にある祖母の家に同居していたのである。

9人兄弟だった母の長兄はすでに戦死しており、母の弟の一人と妹一人は結婚して別に所帯を構えていた。わたしが物心ついた頃には、母の未婚の弟が3人、家族ぐるみで同居していたのがわたしたち母子3人のほかにおじとおばの二家族がおり、頭数を数えれば一つ屋根の下に14人が住むという大所帯だ。

そんなにぎやかな暮らしのある日、おじの自転車の後ろに乗り、新町坂(あらまちさか)をおりていた時に、子供のわたしは右かかとを車輪に取られてしまった。

新町坂と言うのはS字型で急勾配の長い坂である。城のある上町(うわまち)と低地帯の下町を結ぶ坂のひとつだが、坂の降り口から見る岩木山の姿は実に美しい。そして、坂を下りきるとその山がグンと近づいて見えるのである。

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子供のころは、雪が積もると大きな荷橇(にぞり)に数人で乗り込み、みんなで奇声をあげながら、この坂を何度も滑ってはS字のカーブでひっくり返り、大いにスリルを楽しんだものだ。先頭でそりの手綱を取るのはわたしであった。

さて、パックリ開いたかかとの傷口は、今なら縫うのであろうが当時はそれをしなかったらしく、その怪我でしばらくは歩けなかった。ぐじゅぐじゅぐといつまでも治らないかかとの傷を湯治で治してやろうと祖母「タマあばちゃ」は思ったようだ。初孫のわたしを連れて田舎バスに揺られて行ったのが岩木山ふもとにある嶽温泉の湯治宿だった。

湯治先で、祖母は、日中、山菜採りに山に入るので、その間わたしは宿に一人残された。部屋に押入れがなかったのであろう、畳んだ布団が部屋の隅に寄せられていた。

テレビなどない時代だ。大家族の中で、妹やいとこたちが常に周りにいる生活が普段である。突如、一人で過ごすことになってしまったわたしは、心細さに日がな一日、隅に寄せられた布団にしがみついて泣いていた。

昔の造りの部屋は襖ひとつで仕切られただけである。わたしの鳴き声を聞いた隣の部屋のに逗留していたお年より夫婦が声をかけてくれ、飴玉やらを差し伸べるのだが、わたしはそれも受け取らず、祖母が帰るまでシュンシュンと泣いていたのであった。

旅館の名前も場所も記憶していないのに、隅に畳まれた布団のある安宿の部屋の光景は今でも妙に覚えている。

5年ほど前に、わたしは妹夫婦と故郷を訪ねた際、岩木山神社(いわきやまじんじゃ)へ詣でる途中で、祖母を偲び昔日を偲び、その宿を探してみることにした。

ところが、何しろ60年も昔のことで嶽温泉はすっかり様変わりしており、記憶もおぼろのわたしには、数軒ある宿のどれなのか、わかるはずもなかった、ここかあそこか?で、結局分からずじまいだった。

このかかとの怪我で強烈に記憶に残ったのは、痛さよりも物心ついて始めて知った「人恋しさ、寂しさ」であった。

今、こうして自分の子どもの頃を辿っているわたしは、いまだ邯鄲の夢の中であろうか。夢を見ている私の横で今にも栗粥が炊きあがろうとしている様子を想像するわたしは、その夢のまた夢の中であろうか。

盧生の悟りには足元にも及ばぬ我が人生70年ではある。
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2020年12月24日 

反トランプ大統領の方がおられましたら、失礼!

でも、このメッセージのBGM、なんと山下達郎の「クリスマスイブ」英語版ですぞ。
クリスマスシーズンにこの歌は最高だなと思い、毎年日本語生徒にも聞いてもらいます。また、オンライン授業になった今では、ルームでこの歌を流しているので、入室するや生徒はこれを耳にするわけです。もちろん日本語版です。



トランプ大統領の大ファンではありませんが、今回の米国に於ける民主党、メディア共謀のあの不正、アンフェアは受け入れ難いものがある。 トランプ大統領がして来た善策は何一つ取り上げないという民主党メディアの社会的な集団いじめに、アメリカがこんなことをする国になるとはなぁ、と金に転ぶ人間の多いのにも大なる失望を味わっている昨今であります。

トラさんはチャイナマネーにもハニトラにも転ばない。安倍元首相と同じですね。
日本もしっかりせんと!

と言うので、本日はトラさんこと、トランプ大統領のクリスマスメッセージを取り上げてみました。
とても分かりやすい英語のメッセージです、よろしかったらどぞ。

では、ポルトから、みなさま、ハッピー・クリスマス!
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2020年12月23日 Tapada Nacional da Mafra(マフラ狩猟地パーク)

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Tapadaとは「山林の中に壁をめぐtらした狩場」と言う意味。マフラ狩猟地は18世紀から20世紀初期まで王族の狩りが行われた地で、1200ヘクタールの広さがあり、現在は周囲21キロに渡る石壁で囲まれている。シカ、猪、きつね、野鳥が放し飼いにされている。

武漢ウイルス禍のせいであろうか、その日このパークを訪れたのは夫と私の二人のみで、山中の散策には4キロから8.5キロの2コースがある。一つはガイド付きなのと、4キロを自由にあるくというものだ。わたしたちはガイドなしで1時間半の山道を歩くことにした。

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目の前で鹿が道を横切る。

パーク内には宿泊施設もある。
人なれしたシカが荷車の運転手にまとわりつき、なにかねだっていたようだが、ようやくトラックが発進した後のシカちゃん。

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私たちの前方を鹿がゆっくり歩いている。
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途中、猪のカップルにも出くわしたが、カメラを向ける前に山の中に入ってしまった。ゆるい下り坂上り坂の一時間半の道程で出会ったのは、一台の荷車と鹿と猪だ。

エレクトリックバスツアー、トレインツアーなど普段は色々なアクティヴィティやイヴェントがあるようだが、このご時世ですべて中止。
と、この記事をまとめている最中に耳に入ったニュースで、3日間、手が止まってしまった。

まず最初にFacebookで目にした写真に、ぎょえ!

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右奥に白い建物の前も動物たちの死骸の山が見られる。

この数日、ポルトガルはTVもラジオもこの話題でもちきりだ。

ニュースはリスボンから60キロほど北にあるAzambuja(アザンブージャ)のQuinta daTorre Beladeは1000ヘクタールほどので狩場でもあるのだが、そこで行われたハンターツアーで、16人のスペイン人ハンターがパーク内の鹿、猪540頭を殺したと言うものだ。

Express紙によると、このイヴェントは猟ファンのカップルが経営する(おそらくスペイン人?)Hunting Spain Portugal Monteros de La Cabraと言うスペインの会社の企画だとのこと。

大きな見出しで、「ポルトガルにおける野生動物540頭の虐殺」と出たりすると、あたかもポルトガル人がやったかのような印象を与えるので、メディアはハンターが16人のスペイン人であること、企画した会社がスペインの会社であることをしっかり報知すべきだ。

このユースを聞いた当初は、げ、一人で33頭も打ち殺すなんぞ、どういう神経してるのだ?ポルトガル人、と、自分がこれまで持っていたポルトガル人に対するイメージがどどっと崩れんばかり。信じられぬ思いであちこち検索したのだった。

やはり、裏が出てきた。

まずこの16人のスペイン人ハンターたちはこの所有地から野生動物を根絶するための狩りをすることで7、8000ユーロの報酬を得ていたという。それというのも、この土地にソーラーパネルを設置する計画があるのだと言う。

自然環境保護派は当然、野生動物を他の場所に移動させることを推薦するだろうが、手っ取り早くと殺してしまったということだろう。しかも動物たちは逃げられないように高い囲いの中なのである。

540頭の獲物はスペインに運送されたそうで、くだんのハンターツアーを企画したスペインの会社は、アクセス不可。

これは猟ではない、殺戮だとの国民の声が多く、ポルトガルの環境大臣曰く、「環境に対する犯罪だ」

太古の昔じゃあるまいし、人はなぜ不必要に動物を殺すのか?動物を娯楽として殺すことが正当化されるとは思わない。狩猟は一つの文明だって?どこが文明なのだ?生物のことは自然淘汰に任せるべきだとわたしは思うのだ。この三日間、ブログ更新も忘れて、追っていた出来事ではある。

お口直しに、Tapada Nacional da Mafraの映像をどぞ。残念ながら、ここでもある一時期、狩猟が許されるのだとか、知らずに行ったわたしたちではあった。


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2020年12月18日 

「群盲(ぐんもう)象を評する」という諺がある。

盲人たちが一頭の象に触り、それぞれが象とはいったいどんな動物かと語ることを言う。英語では、It´s the elephant in your living room.となる。

足に触る者、耳に触る者、鼻に触る者と、触る箇所によって色々に言い合うのだが、全体像が見えない。同じものを論ずるにしても、その印象も評価も人によって違い、一部分だけを取り上げただけでは、全体は見えないぞ、ということを言っているのである。

随分前の話になるが、日本人の怒りを買ったマッカーサー発言の「日本人は精神年齢12歳」の真意は侮蔑ではないと、前バンクーバー総領事多賀敏行さんという方が書いてあった。

この方は国立国会図書館へ出向き、その言葉が書かれてある箇所の前後10数ページを読み、日本人を侮辱したというニュアンスで引用されているこの証言が、どのような文脈で飛び出したのかを調べたのである。

証言録を読んだ氏は、「マッカーサー本人は、主観的に日本を守ろうとして、日本を軽蔑するつもりがなかったのは、文脈から明らかである」との結論に達したそうだ。

日本だけに限らないが、近頃の報道をみていると、人が言った事の一部を取り上げて節度なく騒ぎ立てる、つまり、揚げ足をとるとは報道関係者として余りにも品がないではないかと、わたしは少々うんざりしている。
センセーショナルな見出しで読者を惹きつけたいのは職業柄理解できるが、報道関係者も故意に切り取り見出しをつけていることが多い。自分の発言に責任を負うべきは当然だ思うのだが、それをスッポリ忘れていませんか、てんです。

わたしたちは、こういうエレファント的な情報を見、それによるエレファント的な判断を毎日のようにしているのかも知れない。瞬時に視覚に入ったもの、耳に入ったものを通して、浅はかな自己判断をしているのかも知れない。

言葉尻をとらえて人を批判、攻撃する節が多いことにも眉をひそめるにいたる。全体像を見せずに、こっそり悪意を吹き込んで言葉尻だけ垂れ流されたらたまらんだろうなぁと、そういう批判にさらされた人を気の毒に思うのである。

こうなってくると、報道のエレファント的吹込みにとらわれないで全体像を見るように、わたしたちも賢くならなければならない。

また、発言するときに、安易な言葉を使って人の気を引くような物事の例え方には気を払うべきだろう。あっという間に発言が拡散されてしまうツィッターのようなSNSなどは危険性を含んでいるものだと思う。

我がモイケル娘の高校時代の愛読書に「シッタカブッタ」シリーズと言うのががあった。どれどれ、どんな本かなと、娘がいない時に手に取り、偶然開いたページに実はドキリとして、象に触る群盲の一人のように、いとも簡単に物事を判断、評することを控え、全体像を見ないといかんなぁ、とその時思った次第である。

なかなか難しいことではあるのだが、それを切に感じるこの頃である。

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小泉吉宏氏の「シッタカブッタ」より。
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2020年12月17日 

昨日の感染者はなんぼ、今日はなんぼと騒がしいご時世に、ポルトガル案内もないだろうと書かずにきたのだが、そうしているうちに印象が薄れて、はて、どうだったっけ?となってもいけない。

そこで、本日は今夏訪れたマフラ(Mafra)を。

武漢ウイルス禍であま気乗りしない夏の旅行だったが、人が少ない所を選んだと夫に引っ張られて行ったのが ポルトガル国内のマフラ(Mafra)だった

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夕日を浴びて赤く染まる宮殿。

マフラは何年か前の夏季休暇時に一度立ち寄ったのだが、目的のマフラ国立宮殿がなにかの催しで入ることができず、諦めたことがある。

リスボンから30キロ足らず、人口75000ほどの小さな町で、宮殿とかつての王家狩猟地を除けば、特別なものはこれと言ってないように思われる。 が、少し足を延ばすとサーフィンで名を知られるエリセイラがある。(既に紹介済みなので、後記にて案内)

バロック建築様式のマフラ国立宮殿は、現在UESCOの暫定リストに登録されている。また、ポルトガル人のノーベル文学賞受賞作家ジュゼ・サラマーゴは「修道院回想録」で、宮殿の後ろにあるマフラ修道院の建設を中心に、18世紀のドン・ジュアン5世王家の生活や、宗教裁判等について描いているという。(わたしはジュゼ・サラマーゴは苦手なので読んでいない^^;)

ドン・ジュアン5世によって計画されたマフラ国立宮殿は完成までに13年かかり、国内から52000人もの労働者が動員されたとのこと。

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バシリカ内、6つのパイプオルガンの2つ。イタリアから運ばれたと言われる。

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また宮殿内には4万冊の蔵書がある王室図書館をも含む。

ここでわたしの興味をひいたのは下にある錬金術古書である。
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ラビリントス(迷路)

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ユニコーンは錬金術、ヘルメス(またはメリクリオス)の象徴である。

因みに、ドン・ジュアン5世は、16世紀から18世紀の蔵書30万冊があるコインブラ大学ジョアニーナ図書館も建てている。
さて、もうひとつ、マフラ国立宮殿の鐘楼には、92個の鐘を組み合わせて、音楽が演奏できるようにした「カリヨン」が設置されてある。

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丁度マフラを去る日曜日に、カリヨンによる1時間ほどのコンサートが中庭で聴けると言うので、二人して行ってみた。音には結構うるさい方なので、鐘による演奏は音が不安定にならないのかと、気にはなったのだが。笑

コンサートはクラシックからポップまでで、ビートルズの「へい、ジュード」などもあった。中庭に座って鐘楼から流れてくる音楽を聴くのだが、思った通り、不安定な音ゆえ、コンサート開始30分後、「サウンド・オブ・ミュージック」が始まったあたりで頭痛がしてきて、中庭を後にした。音程に敏感な人にはおすすめできないな。

というので、不思議な音程の音楽によるふらふら頭で、帰路寄ったのが、かつての王家狩猟場であった。

次回に続きます。

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2020年12月16日

ジョアキンおじさん生存中に書いたもので、当時の現在形で綴られています。
以下。

ポルトガルは「鍵社会」だ。何しろ持ち歩かなければならない鍵が多いのである。下はわたしが外出時に肌身離さず落ち歩くキーホルダーだが、この鍵をうっかり家の中に置き忘れ、ドアを閉めてしまったがためのハプニングは数々あり、後に記しますが、参ったものである。

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開くと中はざっとこんな感じ。
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フラットの建物に入るためのメインドアの鍵、自分のフラットドアの鍵二つ、車庫通路の門の鍵、それに郵便箱の鍵。この中に車のキー、車庫のキーは入っていない。キーホルダーを開いたときのジャラジャラ感が重ったらしい。

この鍵類なのだが、つい最近、このホルダーに夫に内緒の鍵が一つ、加わったんであります。え?spacesisさん、そんな秘密、ブログであげちゃってええのん?
ええのええの、ドンドンあげちゃうの(笑)

なんの、どこの鍵かと言うと、ジョアキンおじさんの鍵なんであります。

わたしの好きな古いコメディ映画に「アパートの鍵かします」なんてのがあります。これまた、わたしが好きな二人の俳優さん、ジャーリー・マクレーンとジャック・レモンなのですが、自分のアパートを上司の浮気場所として提供し昇進するちゃっかり者が、あろうことか上司の浮気相手に恋するという話。興味ある方はおググリ(googleでの検索)遊ばせ。

で、小金持ちのジョアキンおじさんから合鍵、もらったの?
はい、そうなんであります。勘違いしてもらっては困りますぞ。鍵は鍵でもおじさんとこの畑に入る鍵ですがな(笑)

古くから拙ブログにお出で頂いている方はご存知でしょうが、我が家で買っている5匹猫のほかに、数年前からご近所のジョアキンおじさんの畑に棲みついている猫たちのエサのめんどうをみているのだが、これが半端な数じゃない。多いときで10匹以上、現在は黒い子猫も入れて8匹、健在なのであります。

自分とこのねこの数を上回っており、夫にときどき一言二言いいたそうな目で見られるのですが、放って置けない性質で、雨の日も風の日も、自分が風邪で寝込んだ日も、餌を待っている姿を想像すると可哀そうでたまらず、決まった時間に出かけます。

かつては開け放しにしていたおじさんの畑、ブタドロボー、ニワトリドロボーに何度も入られるもので、ついに頑丈な鉄のドアを取り付けてしまいやんした。

それで、エサやりは畑のそばの歩道の隅で、となっていたのですが、わたしが合図の呼び声をかけても塀にのぼって出て来られないのもいるわけです。そういう猫には、仕方ない、アルミホイルで包んだエサを塀の外からポイと中に放り込むのであります。

ジョアキンおじさん、見かねたのか(と言うけど、自分とこの畑の猫やからねぇ^^; でも、今、おじさんはエサをあげません)、「ドナ・ユーコ、いつでも畑に入っていいぞ。」と、なんとまぁ、合鍵をくれたのでしたっけ。結局エサやりはわたしなのね、と笑うっきゃないです。

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新米の黒猫子猫がまだ来ていませんが、ご覧のように後方には鶏どもがネコが食べ終わるのを今かと待ち構えております。わたしが少しでも帰る素振りを見せると、脱兎の如く押し寄せ、猫を押しのけ来るもので、まったくもう、「あんたらまだよ!シッ、シッ」とネコたちが食べ終わるまでそこに立って待つことになります。

ところが、です、最近、わたしのエサの合図を聞き込んでいつの間にかやってくる常連客がもうひとかた増えたのであります。

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カ、カモメちゃん^^; 畑の中の木柱てっぺんにいて猫が食べている下界を見下ろしています。
無理もない。海辺でエサを得ることが難しくなったのでしょう。海岸からかなり離れたこの区域にも最近はカモメがたくさんやってきます。

ネコたちが残したエサ、全部下においたままだとニワトリ達が全部食べますので、塀の上におすそ分け。

joaquimojisan3.jpg
 
ニワトリも羽があるとて、ここまでは飛べまいて、おほほほほ。


下記は鍵にまつわる失敗エピソードです。よろしかったらどぞ。
自分、どんだけ失敗やらかしとるねん^^;

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2020年12月15日

生存中のジョアキンおじさんを綴っていますので、現在形で書いています。

senhor_joaquim1[1]
元気だった頃のジョアキンおじさんと愛ロバのマリア・リタ嬢

あんなにたくさんいて、毎晩の餌時には二皿三皿運ぶこともあった野良猫たちが、気がつくといつの間にかかなり数が減っており、あれ?と思っていたこの頃。それもそのはず、数十匹という猫が、土地成金の小金持ちジョアキンおじさんの畑に住み着いていたのですが、その畑の真ん中を市道が通ったのでした。

市道と畑を仕切るのに、こんなに高くしなくたって・・と思われるほど高い石塀を建て、聞くところによると、塀の向こうは地面が道路よりずっと低地になっているのだそうな。

それはつまり、ドロボーが塀を乗り越えて入っても、内側から簡単には這い登れないようにしたのだとか。ジョアキンおじさん、これじゃ、猫もそう簡単に出入りできないでしょ・・・

joaquim3[1]

写真の家畜小屋には、ジョアキンおじさん、今時このあたりでは珍しくブタと鶏を飼っているのです。で、どうやら寒い時は猫たちもそこを宿にするようです。

小金持ちのジョアキンおじさんは、我がフラットの斜め向かいにカフェを持ち、そこを食堂代わりにして食事しているのですが、ちゃんとした大きな家を近所に2、3軒持っております。そのひとつがわたしたちの住む同じ通りの角っこ。写真で言うと家は写していませんが、右側の車が止まっているところであります。

さて、つい先ごろ、夜も11時を過ぎ、いつものように2、3匹になってしまった野良猫たちにご飯を運んでいきました。ねこたちは、ジョアキンおじさんの家の庭の中や家の塀越しの外で食べるのです。

その日はどういうわけか、呼んでも猫たちが現れない。畑からの帰りがけ、ジョアキンおじさんの家の庭をちょいと覗いてみました。

ん?いつの間にか広かった庭が狭くなり、車庫と隣り合わせにアルミサッシとガラスを使った高い小屋のようなものができております。曇りガラスが使われており、「へぇ、なんでまたこんなのを?」と不思議に思い、目を凝らしてみると、ふむ・・中でなにかがたくさん動いているような気がしないでもない。

噂ではお金を出したがらないお方らしい。そんなジョアキンおじさんが、いくらなんでも野良猫たちのためにこんな小屋を自分の家の庭に造ったわけではあるまい。しかし、小屋の中で何かが動いているのは間違いない。

そこで、週に二回我が家に掃除をしに来てくれるベルミーラおばさんをひっ捕まえて聞いてみました。

「ドナ・ベルミーラ、ジョアキンおじさんの庭に新しくできたあの小屋の中、何か生き物が入っているようなのだけど、まさか猫たちじゃないわよね?」

ベルミーラおばさんは、実によくご近所のことを知っており、「ペドローソス新聞(ペドローソス=わたしたちが住む区域)」との異名をとっております(笑)

ベルミーラおばさん、その言葉を聞くや、待ってましたとばかりに手にしていた掃除機のホースを放り投げ、「オ・ドナ・ユーコ!」と言うことにゃ、

つい先だって、あの高いレンガ塀を乗り越えて、ジョアキンおじさんの畑からブタと鶏20羽を盗んだヤツがいたのだそうな。

わたし:  「あら、ブタは騒ぐでしょ?」
ベルミーラおばさん: 「それが ドナ・ユーコ。そのドロボー、ブタをその場で
             見事に始末して、持っていったのですよ。」

ベルミーラおばさん: 「それでね、セニョール・ジョアキン、すっかり怒って、
             自分の家の庭にあの小屋を造って畑からブタと鶏を
             移したんでやんス」

わたし: 「う、移したって・・・だって、あんなとこで飼ってたら畑と違い、匂いが
      ご近所迷惑ではないの?第一ブタはどうしたのよ?

メルミーラおばさん 「ブタはね、車庫なんざんス!」

えーー!車庫にブタってあぁた、聞いたことありませんぜ・・・車庫に入れる車を持たないからってジョアキンおじさん、なんぼなんでもそりゃないぜ。それに、町の家の庭でそういう家畜、飼えないと思うがなぁ、と言うと、ベルミーラおばさん、

「だから外から見えないように曇りガラスでゴマカシテルですよ。ドナ・ユーコ!」 笑

ブタをその場で始末して盗んでいくドロボーもドロボーだけど、ジョアキンおじさんのドロボー対策もなんだかなぁ^^;

ひとつ所に長年住んでいると、中にはトラブルメーカーもいたりするのですが、することが突飛だとは言え、これと言って他に迷惑をかけるわけではないジョアキンおじさん、色々話題を振りまいてくれた元気だった頃が懐かしいです。

時代の移り変わりを感じる今日この頃です。

では、みなさま、また。
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2020年12月14日
 
近所に住む夫のいとこ、プリモ・カルロス(Primo カルロス=従弟のカルロス。カルロスが何人もいるので、この年配者のいとこはそう呼ばれる。Primoはいとこの意味)が、一昨日、やってきた。

夫に薬の処方箋を頼みに来たのだが、家に入ってしばらく話し込んで行った。もちろんマスクをしながらである。ちょうど台所で片づけ物をしていたので、わたしは挨拶だけして席をはずしたのだが、プリモ・カルロスが帰るなり夫がやってきて、「おい、ジョアキンおじさん、亡くなったってよ」。他人事なれど、ちくりと胸が痛んだ。

ジョアキンおじさんとは、何度も拙ブログで取り上げてきた近所の小金持ちおじさんで、この辺りでは知らぬ人はいない名物男だったが、愛ロバと連れの奥方を亡くしてからは、娘さん夫婦が家に移って来て同居していた。年々体力の衰えが目に見え、一昨年秋口あたりから姿が見られなくなったのである。

カフェはこのり一帯の噂が耳に入る場所でもある。夫がそれとなしに聞いてきたのが、老人ホームに入った、(もしくは入れられた?)とのことだった。

以来、わたしは一度も会っておらず、今回の武漢コロナ禍による老人ホームのクラスターがあちこちで出ているので、夫と、ジョアキンおじさんとこは大丈夫かしら、と話していたところであった。

根ほり葉ほり聞くのもいかがなものかと夫も思ったのであろう、あまり詳しいことは聞き出せなかったようだが、自宅から葬式らしき車も見かけていないことから、老人ホームから葬式会場へ直行したのであろうか。武漢コロナで感染したかどうかは知らない。

しかし、感染していたら別だが、例え死んだ身であっても、一度、自分の家に帰りたかっただろうなと思った。

年寄りは、って、自分もそうなのだが、老人ホームに入れられると途端に弱くなるようにわたしは思う。何しろ、周りはみな年寄りばかりだ、普通の社会とは違い若者がいないので、活力が感じられないのである。

わたしは絶対入りたいところではない。生涯現役で、迷惑がられてもポルトガルの若者相手に日本語を教えていたいものだと思っている。若いというのは、それだけで素晴らしいことであり、彼らと触れ合えるのは嬉しい。そして、わたしの持ってる日本語知識を受け取ってもらえるのなら、これほど嬉しいことはない。

夫の母は80歳で脳溢血になり寝たきりだったが、94歳で身まかった。14年間も自宅介護だったわけだが、もし介護ホームにでも入れていたら、そんなわけには行かなかったであろう。

夫は3人兄弟で共に協力し合い、費用もお互いに出し合ってお手伝いさんを雇い、諦めずにリハビリ士にも週に2回来てもらい、夫などは毎晩欠かさず、晩食後、母親の家を訪ねていた。老人ホームではそうは行くまい。

さて、夫が続けて言うには、ジョアキンおじさん、娘さんには遺産の20パーセントしか残さず、後は全部孫たちに分けたもので、娘さんはカンカンなのだそうだ。

うむ。人様にはそれぞれ事情があるものなのだなぁ、と思った次第である。
コロナもぶっ飛びそうな元気で大きなあなたの声が聞けなくなって、寂しい限りです。
さようなら、ジョアキンおじさん。

次回はジョアキンおじさんの過去記事を二つほどあげて、お別れにしたいと思う。
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2020年12月13日 

武漢ウイルス禍やら、決着のつかない米国大統領選やら、おまけに、連日の雨で洗濯物は乾かないし家の中の湿気は多いし、散歩はできないし、となんともうっとおしい12月ではあります。

米国大統領選については、日本も含めて海外で意外と無関心な様子であるのが気になります。情報を追っていくと、これはもはやトランプvsバイデンの選挙ではなく、C国と手を組んだグローバリストと愛国者との闘いの様相が見えてくるような気がします。
4年前、トランプ政権が誕生した時、ヒラリー氏は鼻から嫌でしたが、トランプ氏にしても、う~ん、もうちょっと品性のある・・・なんて思ったりしたものです。

が、「アメリカファースト」を掲げたその行動的な政策の多々については、やるやん!と、自分の思い違いを即、訂正したのでした。

今回の米国大統領選は、C国があらゆるところで、長い時間をかけてマネトラ、ハニトラとあの手この手を使い浸食し、一つ国の分断を策謀してきたかをあぶりだしたように思います。

これは米国に限らず、世界中で使われている策略でしょう。我が母国、日本も例に漏れず、何とも甘く金、女に弱い政治家たちが多いのには焦燥を覚えます。ほんまにもう、男はあかんなぁ。笑

安倍元首相の打ち明け話には、C国訪問時、美女が送られてきたことがある。追い返すと今度は美少年が送られて来た、と、なんとも笑えない話がありますが、さもありなん。うっかり嵌ったが最後、骨の髄までしゃぶられるのです。

おっとっと、話がめったに書かない政治畑に及んでしまいましたが、ここから今日の本題です。
今回はリスボンのニュースです。

リスボン、Avenida da Liberdadeにあるレストラン「JNcQUOI」では、2019年2月から毎週金曜日を「Big Bottle Day」と定めているとか。その日には珍しいワインが提供されるのだそうです。

去る12月11日の金曜日には、世界でも最良のワインのひとつと数えられる「Barca Velha(バルカ・ヴェリャ)2000」が出されたとのこと。その値段が、ワイングラス一杯、ぎょえ~の140ユーロ(約17400円)!

Barca Velhaはドウロのワイン業者Casa Ferreirinhaによる特産赤ワインです。
barcanegra.jpg

通常の値段は1ボトルが700~1000ユーロ。
ワイン業者Casa Ferreirinhaについては、過去記事であげていますので、興味ある方は後記からどぞ。

さて、グラス一杯が140ユーロもさることながら、このリスボンのJNcQUOI なるレストラン、なんと読むのか、疑問に思い調べたところが、「je ne sais quoi」 なるフランス語から来るそうで。

意味はと言えば、直訳はI don't know what。しかし、言い表しがたい良さ、とか、何かたとえようもないもの、とかの意味を含むのだそうです。もし、間違っていたらごめんなさい。

JNcQUOI_sala_1.jpg
レストラン内。 Wikipediaから。

ちょっと面白そうなレストランです。T‐レックスの遺跡もどきが中央に置かれてあるのがわたし好みです。値段はかなり張りそうですが、次回、リスボンへ行く機会あらば、是非よってみたいスポットではあります。願わくはそれまでに武漢ウイルス禍で、閉店しませんように。レストランJNcQUOIについては、まだ述べることがあるようですが、実際に行ったしたときにでもご案内したいと思います。

世知辛い今の世の中、こんな話題で少しは気を紛らわしています。

下記、Casa Ferreirinhaとかんれんするワイン業者Ferreiraについて
・ワインセラーFerreiraの女主人(1)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1508.html
・ワインセラーFerreiraの女主人(2)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1509.html
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2020年12月10日

二人の子どもが家を出て独立し日本で職を得ているので、家族揃ってと言っても夫婦二人きり。ウィークデイの朝は昔から夫はポルトガル式の朝食を好み、焼きたてのパンにバターとジャムをつけ、Café com leite(カフェ・コン・レイテ=ミルクコーヒー)を自分で淹れる。わたしはと言えば、近頃は、ご飯に味噌汁を中心の日本食もどきなのである。

週日は日本語を教える仕事があるので、晩御飯はあまり凝らずにできる食事を作るが、日曜日の昼食は少しだけ気合を入れて作ったりもしする。そんな時は、朝食が遅いので午後2時ころからワインかビールを開けてゆっくり食べるのが慣わしだ。それが、たまに途中からゆったり昼食というわけにいかなくなることがある。

我が家は、ポルトガルではCondominioと呼ばれる分譲フラットである。各フラットのドアを開けて話そうものなら、エコーで響き、家の中に居ながらにして、聞きたくもないのに全てを聞き取ることができるのである。

ある日のこと、昼食をとっていると、階下がなにやら騒々しい。
「何だろうね・・・」と夫と話しながら食べていたのだが、そのうち姦しかった声が更に大きくなり、どうやら女性二人の応戦抗戦が始まったようなのだ。おおおお、やっとるやっとる(笑)

階下、向かい合ったお宅二人の奥方同士は反目する仲なのである。やりあっている現場を目前にしたことはないが、お二方がそれぞれの窓から顔を出して激戦している様を二階の我が窓から、こっそり身を乗り出して見たことはある(笑)

こういう場合、典型的なポルトガルおばさんなら一言二言言って間に割って入るであろう。が、こちらは日本人おばさん、あちらのお二方が派手にガナルほどに、我が家はシーンと静まりかえり、思わず聞き耳を立てていたりする。そしてこういう時は、なぜだか知らないが、我が動きはおのずと自分の家なのに、抜き足差し足状態になっているから不思議だ。

聞き耳を立てるのは最初の頃だけで、後は聞きたくもないののしり合いであるからして、後半は、わたしは窓をピシャンとしめて、激戦終了を待つのみ。

向かい合ったフラットのドアを開けてガンガンやっている階下の隣人の姿を想像しながら、これでストレス発散し、また当分はやりあいがないだろうと思った次第。日本の「騒音おばさん」たちよりは大分マシであろう。

それにしてもお二人の夫たちが口を出さないで放っておくとは。笑 
犬が食わないのはどうやら夫婦喧嘩だけではないようだ。はははは。

お粗末さまでございました。
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2020年12月7日
 
12月ともなれば、大手のスーパーマーケットの店頭に設けられるのが、Cabaz(カバス)コーナーです。日本で言えばお歳暮コーナーに相当します。

お歳暮

Cabazは果物かごを意味するのですが、その籠にワインを始め、缶詰、ハムソーセージ類、チーズ、ジャムなど自由に選んでいっぱいにし、届けます。値段はと言うと、40ユーロくらいから上は300ユーロ(35000円ほど)を超えたりします。

cabaz1.jpg
Wikiより

日本と少し違うところは、職場の上司や仕事関係のお得意先などへの義理がらみの付け届けではにという点です。一年を振り返ってお世話になったと思われる人に感謝の印としてクリスマスの贈り物を届ける、という具合です。

この他に届け物としては、生ハムの脚一本とか、この時期には欠かせないバカリャ(Bacalhao=大きな干しダラ)などがあります。

生ハム
(Wikiより)
サポーターに立てかけられた黒ブタのpresunto=プレズントこと、生ハムです。
生ハムを写真のように薄くきって食べます。

生ハム切り身

わたしは生ハムが大好きなのですが塩気が多いので近頃は血圧の関係上、極力避けなければならないのが残念至極。

大きなバカリャウ一枚は5キロ前後、42x92cmの大きさで、厚みは一番分厚いところで5cmにもなります。
バカリヤウ

上の写真は一枚のバカリャウの切り方を示しているのですが、切り売りも多いです。なにしろ、一枚全部は値もはりますからね。

バカリヤウはポルトガルではクリスマスイブと年末の伝統的な定番料理で、 この時期は値段も上がります。我が家でも師走ともなると、付け届けでこの生ハム一本や大きな干しダラのバカリャウをいただくことがあります。

さて、今回、夫がもう定年退職した知り合いのご年配の女医さんで患者でもあるという方からのお歳暮を開けてびっくり。うわ~!と驚いたのがこれです。ご自分の作品だそうです。

tree4_1.jpg

額に入れられたクリスマスツリーなのですが、よく見ると、大小のブローチを両側にひとつずつ使っているのが分かります。
少し拡大してみました。
tree5_1.jpg

黒のビロード画面に花と動植物、それに、踊り子だけがひとつ貼り付けられています。

tree1.jpg

踊り子のブローチ、もう一つ見つからなかったのかしら?それとも何か意味でもあるのでしょうか。(左側、タツノオトシゴの側)こ、これが全部スワロフスキーのクリスタルブローチだったらどないしよう、なんてしなくてもいい心配を一瞬したのでありました。

額を壁にかけてしまったもので、額表面のガラスの光線具合が悪く写真がどうしてもうまく撮れないのが残念です。これは我が家のお宝のひとつになるなぁ、と先日から眺めているのであります。

我が家のクリスマスツリーのお宝、もうひとつ。

xmastree-michiko1-2_2020.jpg

我が親友、和歌山の工房「かつらぎ山房」の主、木調家である堺美地子の作品です。毎年この時期に我が家の壁を飾ります。

ポルトガルは12月23日まで緊急事態で自粛が続きます。現時点ではクリスマスの家族集合の不可はなんとも言えません。

例年ですと各々がプレゼントを持ってアヴェイルの義姉宅に一族が集合するのですが、例え、政府がこの緊急事態を緩和して10人くらいまでは集まってもよ、としても、恐らく集まらないと思います。

義姉81、義兄78、私たち夫婦73歳ですからね。オンラインで、クリスマス頃には6カ月ちかくになる孫の青空ちゃんの顔でも見せてもらいましょうか。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
では、また。
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2020年12月4日 

朝4時半ごろに目が覚めた。一度目が覚めると起きないでは済まない性分である。カフェオレを淹れ、昨夜しのこした日本語教材を仕上げるためにパソコンを開いた。

外は真っ暗だが、天気が荒れているのが分かる。強風とともに降っていた雨が雹(ひょう)に変わって暗い窓を打ち付けている。
雨は日中も降り続け、今日の午後は気温が4度に下がった。12月のこんな低気温は珍しい。

明日から水曜日の朝まで、ポルトガル政府は再び国民に自粛を要請し、居住区域を出てはいけないし、店と言う店は13時で閉められる。その間、取り締まりのためパトカーが巡回する。

人間と猫、4日間の保存食糧の買い出しに行かなければならなかったのだが、もうこんな天気の日はハイパーマーケットまで足をのばすのはイヤだな。と、言うので、近場のスーパーで間に合わせることにした。
この調子では、思ってはいたものの、やはりクリスマス、正月は無きに等しいだろう。せめて、家の中だけでも、気持ちを明るくしようと、午後は恒例の如くクリスマスツリーを出し、飾りつけをする。

natal2.jpg
おっと、黒板が写ってしまいました。笑  
重いので動かすのにちょいと苦労します。ご勘弁願う。

natal1.jpg
ソファもクリスマスの赤でカバー。本当は家中を赤にしてみたいところだ。

さて、12月は何と言っても七面鳥の時期です。
これはわたし達一家が現在の我が家、フラットに引っ越す前の古い小さな庭つきの家に住んでいた時の出来事で、子供たちが小学生だった頃のこと。

夫の仕事柄、この時期にはお届け物が参ります。12月のある日のこと、田舎の方と思し召すセニョールが玄関の前に立ちました。
「だんな様に大変お世話になった。どうぞこれを。」と言って大きなのダンボール箱を置いていきました。

「あらら、なんでしょ」と、中身が生ものであっては後で困りますので箱を開けてびっくり、玉手箱!ナマモノもナマモノ、二本足を紐でくくられた生きた二羽のトリではないですか!一羽は真っ赤なトサカを冠しており、もう一羽は見事な七面鳥です。

これ、どうするのよ?自分・・・
よく見ると可哀相に、この2羽、足をくくられたままでとても辛そうです。で、いやだったんですが、恐る恐る両手を差し伸べて抱きあげようと両手を出しましたら、騒ぐこと騒ぐこと、そのけたたましさといったらありません。こちらの方がビビッてしまいましたが、思い切って抱き上げました。その柔らかい体を通して体温が伝わってきます。

庭には昔の鳥小屋がそのままほったらかしでありましたから、庭まで運び、くくっていた紐をほどき、二羽を庭に放して見ました。子供達が帰宅して、特に動物好きの娘は大喜びです。

早速にこの二羽に牡雌も分からないと言うのに「アフォンソ」「マチルダ」と名づけました。アフォンソとはポルトガル王の名前ですから、ひどい話ではあります(笑)

夕方になると、今度は庭中追い掛け回して二羽をひッ捕まえ、一時しのぎの鳥小屋に入れるのですが、これがまた一仕事です。

あちらは必死で逃げ回るし、こちらはこわごわ追いかけ回すわけです。バラをたくさん植えてましたし、大きなあじさいの木もありましたから、それらの陰に入ると捕まえるのにこちらは手や腕が傷だらけです。

こういう悪戦苦闘の日がしばらく続いたのですが、さて、クリスマスがいよいよ近づいてくると、さて、ここで問題が持ち上がりました。

こうして名前までつけてしまうと、とてもとても潰して食卓にのせることなどできましょうか。娘など、よもやそういうことには考えが及ばないでしょう。夫もわたしも、つぶせるわけはない。困ったものです。

しかし、このまま庭で飼っておくというわけにもいかないのです。なにしろ、我が家には犬のポピー、そして数匹の猫たちもいるのです。これらからアフォンソとマチルダを守るために四苦八苦、そのせいで毎日クタクタでした。

一日一日と延ばし延ばしになり、ついに決心を迫られる日が来ました。
我が家でするわけには参りません。ネコや犬たちが騒々しさや血の匂いできっと怖気づいてしまうに違いありません。

これは、裏に大きな畑を持つジョアキンおじさんの飼っているブタが、悲鳴を上げて鳴くことがままあるのですが、わたしには何が起ころうとしているのか想像できます。そのときの我が家の犬猫たちは「なにごと?!」とでも言うかのようにみな揃ってあっちへすっ飛びこっちへすっ飛び。その不安な様といったらありません。

「これはアフォンソとマチルダです、おいしく頂きましょう」と言えるくらいの気概が哀しいかな、わたしにはありませんでした。

結局、週に2度、我が家の掃除にくるお手伝いのドナ・ベルミーラに2羽とも上げました。不意に手に入った素晴らしいご馳走に、嬉々として2羽を抱えて帰って行ったお手伝いさんの後姿を見ながら、わたしは複雑な思いでした。

こんな気持ちになるのなら、肉類はもう口にしなくてもいいや、なんて偽善的な思いが頭を横切ったものです。生きる、ということは、そのために生かされてる命があるのです。

子供達にはなんて言ったのか?「お手伝いさんにあげましたよ。」の一言。それで伝わったでしょうか。

モイケル娘の複雑な表情を打ち消すかのように、わたしはクリスマス・ソングのCDをボリュームアップでかけたのでした。

natal2020.jpg
今年もクリスマスツリーに定番の反応を占めるゴロー君。
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2020年12月3日

ある日、「関西弁6段活用」というのをたまたま読んで、「あはははは」と一人大笑いしていたのであります。

・「関西弁6段活用 」

知らん:本当に知らない
知らんわ:「私も知らない」というあいづち
知らんし:「どうでもいい」という意思表示
知らんねん:「知らなくてごめんね」
知らんがな:「関係ない」「興味ない」「どうでもいい」
知らんけど:「確かではない」「責任は持てない」

実に的を得ていると思う。

大阪に10年ちょっと住んだとは言え、わたしが関西弁で話すことはあまりない。が、世代が同じで気さくに話せるポルト郊外の大阪出身の友人と電話で話すと、ついつい関西弁が口をついて出る。なにしろ、彼女はモロに関西弁イントネーションなのであります。

彼女と話して受話器を置くと子どもたちには「ママ、関西弁になってるよ」とよく言われたものです。

我が子や夫との会話では、関西弁が出ることは、まずない。しかし、わたしは、それとなしに「いけないよ」と人に注意するときは、よく関西弁を遣わしていただく。

「だめよ!そんなことしたら!」よりも、「あかんやん、そんなんしたら。止めときぃ」。
「だから言ったじゃないの!」よりも、「せやから、言うたんや。見てみぃ」
「ちょっと話があるから、こっちへ来なさい。」も、「あんな、ちょっと話があんねん。こっちぃ来てや」という具合でなにやら優しい。

こういう場合に関西弁は、ごっつぅ(「凄く、大変に」の意味)都合よろしい。何故だか角が立たない気がするのですね。柔らかく聞こえるような話し方は、大阪がもともと「商人(あきんど)の町」だからでしょうか。

もちろん、本気で怒ったらキツイを通り越して、恐ろしいと感じそうなものもあります。

・「ヤダぁ、怖い~の関西弁」

しばいたろか?
自分、何言うてんねん!
何さらしてけつかんねん!
いてまうど、オラぁ!

あ、いえいえ、誤解せんといてくださいよ。これらは女性は遣いませんから、わたしもこういうのがあるというのは知っていますが、遣ったことはありませんよ。

それでこの友人がらみで、かつて毎土曜日補習校で教えていたときの出来事を思い出し、噴き出していたのでした。

ある朝、出勤前に自分のホームページ画面がえらいことになっているのを発見、真っ青になり大急ぎで対処を試みたのですがきちんとできないまま、時間切れ。というより、対処の仕方がよく分からない初心者でありました。これはYahooホームページ閉鎖で今はありませんけどね。

その日、職場にはちょっと遅刻して到着であります。我が校は授業前に朝のラジオ体操を含む朝礼から始まるのであります。

丁度それが終わったところでして、着くなり大阪出身の同僚が「アンタ、何しとったん!事故起こしてるんやないか思うてみんな心配してたんやで!それでアンタのうちへ電話したとこやった」わたしは職場に遅刻などまずしなかったものですからね。

す、すんまへん、と答え、まさか、ホームページの具合が悪くて、なんて言えませんでして、言い訳をネコにしようか、寝坊にしようかと思って迷っていたもので、とっさに口をついて出たのがこれ。
「ネ、ネ、ネコが寝ぼうしてん」・・・

ホンマ、嘘つけない人間ですわ。「ネコが寝ぼうて、なんやねん、それ・・・。知らんがな」と同僚にはギロリと睨まれた次第でありました。

こうしてみると、関西弁、楽しいと思わへん? 知らんけど(笑)

本日は過去記事の再掲でした。
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2020年12月1日 

3月に非常事態宣言が出され、ロックダウン。夏場はなんとか超えたものの、ツーリストは少なく、11月に入ると再び非常事態宣言で、経済は大きな打撃を受けています。

特に飲食業やショップ関係はいったいどうなるのか、他人事ながら不安が大きいです。リスボンでは、店主たちが国会の前でハンストをして5日目くらいです。

今週来週は、12月1日と8日が、週末明けの月曜日を間に挟んで連休にあたるもので、クリスマスの買い物による武漢ウイルス感染者増加を防止するため、政府は更なる2週間の自粛を打ち出しました。

この間は午後1時以降、緊急な用事でもないかぎり、居住区域を出てはいかんとのお達しです。この状態では恐らくクリスマス、正月の家族集合も規制がかけられると思われます。

73年も生きて来ましたが、世界中が武漢ウイルスの被害で経済不況に陥るなど、なんちゅう不幸でしょう。
怒りのぶちまけようもなく、今はひたすらじっと我慢するしかないのありますが、発祥元のC国には、どないしてくれるねんと、ふつふつ怒りが湧いてまいりますわ。

仕事をオンラインに切り替えられる職種の人はまだいいとして、工場関係者、飲食業関係者を始め、販売に携わってきた人たちにとって、武漢ウイルスは命取りになりますね。
こんな状態ですから、今朝は老舗の「カフェ・マジェスティック閉店、再開店はいつになるか不明」とのニュースです。

ポルトはここ数年ヨーロッパで訪れたい街のトップの座を占めてきました。新しいカフェ、レストランもどんどん増え、街へ出るたびに新発見でした。そうそう、ホテルもそうです。わたしなどは、ひゃ~、こんなにホテルができて大丈夫なんか、ポルト、と思ってた矢先にこれです。

カフェ・マジェスティックも、かつては地元のファンが多く、静かで落ち着いた、まさにマジェスティックなカフェだったのが、ツーリストの占領されてしまい、地元の人間は行けない状態になっていました。

Stay Homeさえなかったら、結構、昔の地元ファンが訪れて、あるいはなんとかしのげたのかもしれませんが、残念なり。また、市庁舎通りにあり「カフェ・グアラニ(Café Guarany)」も同様に閉店です。同じ持ち主ですからね。
日本語教室で忙しくなる前は、ポルトの街散策後、よく独りで訪れ、カフェとスコーンを注文したものです。

再び、マジェスティック・カフェが開店することを願うのみです。

下記、某雑誌で執筆したマジェスティック・カフェ(Majestic Café)についてです。

ベル・エポック(フランス語、belle epoque )と言う言葉をご存知だろうか。パリを中心に新しい文化や芸術が栄えた19世紀末から20世紀初めにかけての時代を言う。女優のサラ・ベルナール、ロートレック、詩人ランボー、ボードレールなどが活躍した時代だ。
 
パリの一番最初のカフェのお目見えは1667年と聞く。1715年には300ほどのカフェがパリにあった。これらの中でも最も有名なのは「カフェ・ド・プロコープ」。ボルテールやルソーが常連客だった
 
フランス革命時期には、政治家やマラー、ロベスピエール、そして若き日のナポレオン・ボナパルトも集っていたと言われる。このカフェは現在では「ル・プロコープ」としてパリでも老舗のレストランとして営業おり、筆者は2007年秋にパリを訪れた際、そこで夕食を楽しんで来た。(後記にて紹介)

さて、ポルトの最初のカフェは「Café Lusitano」と呼ばれ1853年に開店した。パリにはかなり遅れてではあるが、ポルトの目抜き通りSanta Catarinaに建築家ジュアン・ケイロス(João Queirós)によって開店された「カフェ・エリート」がMajestic Caféの前身になる。(1922年改名)

20年代には文人や芸術家たちが集い、討論に花咲かせたマジェスティックは、ベル・エポック時代の歴史を語る「ポルトのエスプリ」とも言えよう。マジェスティックはその古きよき時代の名残を今に継いでいる。

マジェスティックカフェ

2016年1月現在 

しかし、60年代に入ると、時代の変化に抗えずに衰退。80年代に入って詩の文化遺産としてポルトっ子たちの関心を集めるになった。10年の年月をかけてオリジナルの華麗なアール・ヌーボースタイルを見事に復元した。(わたしがポルトに来たころで、まだ開店していなかった)


マジェスティックカフェ
美しいファシャーダ(正面入り口)をくぐると、店内には小さな白大理石のテーブルにアンティークの椅子、木彫り細工の大鏡が訪問者を別世界に誘う。

マジェスティックカフェ

マジェスティックはシラク元大統領を始め国内外の著名人が多く訪れている。かのJ.K.ローリングは、ポルト在住中にこのカフェを気に入り、第一巻「ハリー・ポッターと賢者の石」の一部をここで書いたと言われる。

カフェ

ローリングがどのテーブルに着いてどの章を綴ったのか、とエスプレッソをすすりながら想像してみるのは魅力的だと思うのだがいかがだろうか。

★パリ旅行から「カフェ・ル・プロコープ」
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-405.html#more



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