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2020年7月30日 

いつもは5月ころからちらほら咲き始めるブーゲンビリアですが、今年はやっと今咲き始めてきました。

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例年に比べ咲くのが遅いのは武漢ウイルスのせいではないかと思ったりします。

ブーゲンビリアをベランダの鉢植えで大きくするのは無理かな?と思いながら、育て始めたのは2005年ころ、我がモイケル娘が憧れの日本へ大学受験でポルトを去った翌年です。ブーゲンビリアももう15歳になります。

お金の問題もあるのでそうそう帰国はできないだろうが、2、3年後に娘が帰ってきたときに、ベランダでブーゲンビリアが咲き乱れていたら、どんな顔をするかなぁと想像するだに、咲くのも子供たちの帰国、帰省(当時は息子はまだリスボン住まいだった)も待ち遠しかったものです。

下は娘の部屋のベランダに置かれたまだ小さいブーゲンビリア。7月に生まれ、生後一か月になる孫娘こと、青空ちゃんのために用意したブーゲンビリアです。

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今年、コロナ緊急事態が緩和された時に、海の近くにある園芸場で仕入れてきました。
これが大きく伸びて、わたしたちのベランダにあるようなブーゲンビリアになるまで15年から20年待つことになります。自分、なんぼになるねん?その頃?(笑)

のんきな話ではありましょうが、コロナ禍がいつ治まるとも分からない今の時代、これくらいの長いスパンで物事を考えていかないといかんと思い。

これまでは、青空ちゃんの写真や動きを送ってもらった動画で見てきたのですが、今朝は、ビデオカメラを通して、少しの間ですが初めて青空ちゃんにわたしの声を聴いてもらいました。

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間もなく誕生一か月の青空ちゃんに振り回されながら、我がモイケル娘は頑張っています。どうか心身ともに健やかに育ちますように。

本日は、孫の話でした。
では、また。
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2020年7月27日 

今朝はご機嫌だね、と台所で起きてきた夫に言われ、うへ!と思った。
この数日、自分はいったいどんな顔をしていたのだろうか、です^^;

「コロナ時代の生活に対する考え方をちょっと変えることにした」と説明すると、夫すかさず、「じゃ、アソーレス行くのどう?」
まだ、言うてるんか~。

休暇旅行にスコットランドはどう?南フランスはどう?と誘うもので、飛行機はイヤだと言ったのに、先週あたりから、ほなら、アソーレスに鯨を見に行くのはどないや、と水を向けて来た。

アソーレス島だって飛行機じゃないの。 何がイヤかというとコロナ感染を恐れると同時に、空港内で機内でとずっとマスクをつけなければいけないこともある。あれは暑くて息苦しくてたまらんだろな、と推測している。

それに、アソーレスは4年前に一度行ってる。天気が悪く海が少し荒れていたので、鯨こそ見られなかったが、サン・ミゲルはあれで十分だ。景色は素晴らしかったが、食べ物がわたしにはダメだった。
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アソーレス

おまけに、帰路は空港で足止めを食うこと4時間、何のアナウンスもなく狭いラウンジで満杯の人の中、待たされた。マデイラ島、アソーレス島の便はしょっちゅうこんなことがあるようだ。

ここ何年もゆっくり旅行してないよ、休みがないのと同じだと夫が言い出したもので、何言ってるの、去年はサンタクルス、ナザレ、一昨年は東京息子、それにモイケル娘も帰国してサラマンカまで家族旅行、その前もどっか行ってる!毎年出かけてるで。
それに、昨年まではわたしが日本へ帰ってる間は、口うるさい女房がおらんで、十分休んでるでしょうが、と言うと、それは別問題なんだそうだ(笑)夫の頭、どないなっとるのだ? 

アソーレスの鯨、見たいんだったら独りで行ってきてもいいよん。わたしは猫と留守番してるし、と言ったら、毎度、喧嘩旅になると言うのに、独りでは行かないと来た。

なんとしてでも、夫はわたし同伴で数日家を離れたいらしい。クワバラクワバラ、と思いながらも、車で回るポルトガル国内なら、仕方ない、付き合ってあげるかと思っている。

万が一、感染した場合のためにと、あれこれ整理する時間もないだろうなと考えたら、気も楽ではある。
朝起きて、モイケル娘から孫娘の写真が数枚送られてきており、それもまた嬉し。今朝読んだエッセイであっはっはと笑ったのもまた嬉し。

日日之好日。今朝はなんだか憑き物が落ちたような気分だ。

下記にて過去の旅行を案内してます

アソーレス諸島:http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-58.html

・スペイン、サラマンカ旅行:http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-63.html
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2020年7月26日 

今でこそ、飲むものと言えば赤ワインかビールに落ち着きましたが、若い時分は無鉄砲にいろんなお酒に手を出しました。日本酒から始まりウイスキーは全部ストレート、ブランディ、ビンごと凍らせて飲むドイツのお酒シュナップス、そしてほろ苦い思い出がからむフランスのりんご酒、カルヴァドス。

ビールを好むようになったのは当時大阪の梅田新道にあったビアハウスの老舗「アサヒビアハウス」でアメリカ留学資金作りにバイトで歌うようになってからです。

このビアハウスは現在も同じ場所にありますが、改築されて同和火災ビルという名もフェニックスタワーとなり、「アサヒビアハウス」も「アサヒスーパードライ梅田」に変更されました。

店内も改築と同時にガラリと変わりましたが、アコーディオン演奏でビアポルカのライブはコロナ禍以前までは週2回聴けたようです。

なにかの折にわたしが話したカルヴァドスのことを覚えていてくれたのであろう、Oちゃんから数年前に贈られた懐かしいカルヴァドスが一本手元にあります。
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このお酒の名前を知るきっかけは20代に読んだレマルクの名著「凱旋門」でした。
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カルヴァドスというお酒は物語の最初の場面にでてきます。

フランスに不法入国し身分を隠して闇の手術を請け負ってその日暮らしをして生きているドイツ人外科医ラヴィックがこれまた異国人でよるべない端役女優ジョアン・マズーに夜更けのパリで出会う。うつろな表情の彼女を放っておけず、タクシーの運転手達のたまり場のビストロへ誘う。

夜も遅いそのビストロで二人が注文して飲むのがカルヴァドスです。この本の舞台は第二次世界大戦中のパリだと思っていたのですが、旅券を持たない避難民で溢れかえっていた大戦勃発寸前のパリでした。

「凱旋門」は2度映画化されています。ラヴィックをシャルル・ボワイエ、ジョアンをイングリッド・バーグマン(1948年)が、1984年にはアンソニー・ホプキンス主演ですが、どちらも原作には歯が立ちません。

最初のはメロドラマ的でわたしは途中で見るのを投げ出し、アンソニー・ホプキンスのはと言うと、いい役者さんではあるけれど、見た当時は「ハンニバル・レクター」のイメージが強烈でダメでした

光が消えた暗いパリ、人々の果てしない恐怖と絶望が渦巻く大戦勃発前夜のパリを描き出している原作にはかないようがありません。

若い時には知らなかったことがあります。カルヴァドスはりんごを原料にしますが、いわゆるアップル・ブランディーとは一線が引かれ、フランスのノルマンディー地方で造られたもののみを指すのだそうです。

このお酒の名前を「凱旋門で」知って以来、20代の頃に勤めていた会社の東京本社上司が頻繁に仕事でフランスへ行くのをいいことに、わたしはその都度、当時国内では入手不可だったこのお酒を買ってきてもらったものでしたが、これがアルコール度数40度だったとは!

こんなのを20代でちびりちびりと飲んでいた自分を思い出して、あははのはは、であります。

ポルトガルに来て以来、アルコール度数の強いお酒といえば20度前後のポルトワインしか口にしてきませんでしたので、こんな強度のお酒は?味は?と多少躊躇するところがあるものの、Oちゃんからいただいたこの一本のカルヴァドス、過ぎし青春の日々に思いをめぐらしながらじっくり、ゆっくり、この先の一生をかけて飲み終えようと思っているわけですが。

3月以来のコロナ禍による引きこもりもほぼ5カ月に渡り、いい加減ブルーになってきた昨今でしたが、この凱旋門にある時代の前後を思い比べれば、心の中に、この先いつ、何が起こるか分からないという不安はあるけれど、手洗いに勤しみマスクをし、人混みを避けることで何とか日常生活を保てる今は、はるかにいい時代だと言えるのではないか。

そう思うことにしました。
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2020年7月24日 

3月以来の武漢ウイルスで、わたしの日常生活はかなり変わりましたが、みなさんのも多かれ少なかれこれまでとは違った生活をせざるを得なくなったと思います。

わたしの場合は、週2、3回の某企業での日本語授業、土曜日の借り教室での授業、毎日のようにあった自宅での個人レッスン、それに、週2で出かけていた買い物(これは再開です)、気晴らしのウインドーショッピング等が、全部チャラになり、今はひたすら我慢して、閉じこもっています。

時間はあるわけなので、勉強でもすればいいのに、気合が入らないのです。好きで夕食後よく見ていたFox Crimeも、リピートが多いのと、「Endeavor」や「第一容疑者」などの面白かった社会事件シリーズが再放送されず、いまいちつまらない。最近は夜10過ぎには、寝ているという始末です。

ベッドに入って寝入る前に、モイケル娘から送られて来る一か月足らずの孫の動画を、「あははは、カワイイな」と毎晩繰り返し見ては寝るんです。

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お腹が空いて、ゆでだこちゃんになって怒ってます(笑)

だもんで、朝5時、早い時は4時過ぎに目覚めてしまいます。一度目が覚めると再び寝付かれない性分なもので、仕方ない、起きだします。

ネコもわたしが起きると、台所から出してくれとうるさく鳴きます。まだ眠っとけ!と思うものの、夫の寝ているのを邪魔することになるので、これも仕方ない、台所のドアを開けます。

こんな早くに起きてどうすんだ、と自問するのですが、嬉しいことがひとつあります。夕方になると忙しくてスカイプでのわたしの相手が難しいモイケル娘が、午後に入った頃は、赤ちゃんも少し寝てくれるみたいで、この間、スカイプで文字チャットです。

婿殿は仕事で都心に出勤するので、毎日のようにネットで報告される東京の武漢ウイルス感染者数が気になるわけです。それで、丸一日、モイケル娘からメッセがないと、「もしや何かあったのではないか?」と、すぐ悪い方に考えてしまいます。

息子にいたっても同じで、例年ならもうそろそろポルトに帰省してくる頃なのですが、今春も今夏も、それができません。あんまり遊び歩くなや、手洗い、シャワーをせよと口うるさく言う母親に、「俺をいくつだと思ってんだか」と、さぞかしうんざりしていることでしょう。

息子からも数日音沙汰ないと、もう心配で落ち着きません。

毎日早く起きて、せっせと掃除洗濯をし、ベランダの植物の水やりを終え、週日2回、週末の2クラスの日本語準備をすると、後は自由時間がたっぷりあるというのに、ふと気が付けば何もせずに家の中をウロウロしている自分・・・・

いつもなにかが心の中にひっかかっていて落ち着かない、不安が淀んでいるのです。これって、ひょっとしてコロナブルー(コロナ鬱)じゃないのかなぁ? なんだかうっとおしいのです。

手消毒、うがい、マスクをしても感染するかもしれないという不安をぬぐえない生活をいつまで続けられるだろうか?
もうこんなのはイヤだ、わたしゃPCR検査を受けてでも、旅行に行くねん!好きなことする。死んでもええわ!と豪語して、飛行機に乗らんとする友のようには、なれまへん^^;

マスクをせずして、かつてのように好きな時に好きなところへ行ける日が再びくるのだろうかと思うと、この先の数年をこうやって過ごすのはやばいです。

何かしなければ。焦らずに、もう少し時間をかけて、その何かを見出さなければと思っている昨今です。

今日は愚痴っぽいものになり、相済みません。
では、また。
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2020年7月20日 

武漢ウイルスで気晴らしの外出もままならず。

自宅での日本語個人レッスンも土曜日のぶっ通し3時間のグループ授業を除けば、オンラインでしているのは二人だけです。GGs(ジィジィズ=年配者の意味で勝手に使ってます)4人にはオンラインはどうも向かないようです。

こんな風にわが身も確実に収入減の波をモロの被っております。

自宅に出入れするのは、やっと3週間前から週1で掃除とアイロンあてに来るおばさんのみで、しかも用意したマスクをしてもらってます。と言うのは、ずっとこのままだと彼女も仕事にあぶれる形になるもので、やはり働き口が欲しいところでしょう。

そんな訳で、現在少し時間があるのです。ただ、気持ちが落ち着かないものですから、なにかを勉強するというのは、こんな状況ではいささかしんどいのであります。

思い立ち、可愛い孫が秋に着られるようにと先日30年ぶりに棒張りを引っ張り出してきました。

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見ると、なんとまぁ、網掛けのセーターが2枚ほどありました。これらの毛糸も30年前そのまんまです。

わたしがよく使った毛糸は極細の純毛です。当時、ものの本で、アクリル毛糸が赤ちゃんの指に絡みついて、そのまま指が駄目になったという、合成毛糸の危険性を促した記事、また、アレルギー体質の原因にもなるとの記事を目にし、想像するだに怖くて、子供達のセーターは全て秤売りしていた純毛を買って編みました。

手作りのみのセーターを子供達に着せたもうひとつの理由は、純毛のセーターはあったものの、当時のポルトガルのはどれも「袖がやたら長く、背丈がやたら短い」ということを発見したからです。

これはセーターに限らず下着類もそうでした。これでは袖口は汚れるし、ヘソが出て、どうも着具合はよろしくない。
        
こうして子供達がいない間の暇に任せて(棒針は子供が家にいる間はかなりの危険物になりますから、いない時間にせっせと^^)編んだセーターやズボンはいったいどのくらいの数になったでしょう。

残り毛糸の色を使ってあれこれ面白い組み合わせをして編むのも、また楽しいものでした。

と、書くと、いかにも編み物が得意に思われるでしょうが、実を言えば、何枚も毛糸のセーターや靴下等を我が子のために編んでくれた義姉に触発され、わたしも一念発起して、日本から送ってもらった編み物の本と睨めっこ、生まれて初めて棒針2本で悪戦苦闘の毎日を繰り返しました。

同居していたお姑さんや夫のおあばさんたちに教えを請えばいいものを、すぐ人に教えてもらうのが嫌いなわたしは、聞きもせず、編んではほどき編んではほどきを日々繰り返し、肩を凝らしながらひたすら研究したのでありました(笑) 今にして思えば、可愛げのない嫁でしたね。

自慢じゃないが、高校時代の家庭科の成績は、どの学科より常に最低。「2」より上を取ったことはない!何しろ生まれてこの方、棒針を持ったことなどなかったのです、それを独学ってねぇ。

しかし、努力というものは続ければ実る!最初は何枚も不恰好なセーターを編んでいたのが、少しずつ編み目が揃うようになり腕は上達し、やがてこのようにオリジナリティある独自のデザインのものも作られるまで行きました↓

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写真ではデザインがよく見えないのが残念です。真ん中ピンクのぞうさんが赤い車に乗っている図が入っていてズボンも同色で編みました。息子と息子の従兄弟にお揃いのを編みました。このセーターは人気があり、友人の子供達にも数枚作って贈ったりしたものです。

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↑左、モイケル蒸すものセーターは肩の目の増減なし。着易いのです。右は、わたしが「大きな木」と名づけた残り物の色毛糸を使って編んだ気に入りのセーター。

どれどれと、ろくすっぽ考えずに適当に目を作り編み始めたものの、あははは、目が全く揃いませんです。おまけに糸が30数年も前のものとあって、途中でプチと切れたりするんですね。

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当時、参考にしていた子供用編み物の本ももう見当たりません。 はて?サイズも測らず見ごろの長さ、首回りなどどうであったっけ?昔取った杵柄はいずこに?と、はてなマークのまま、そのところまで行けば、なんとかなるわいと、どんどん編み進めているわたくしであります。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
では、また。



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2020年7月19日 

今年の夏はスコットランドへ行こうか?と、夫が言いました。
え~、何言ってるの。メトロも電車も飛行機もホテル宿泊も、ヤダッたら嫌です。

じゃ、君が行きたがってたピレネーを超えて南フランスへ車でどう?
け、結構です。今はどこへも行きたくない!飛行機もホテルもコロナウイルスに万全を期してると宣伝してるものの、要は人間の移動がコロナ禍を終わらせないことだとわたしは思っているのです。ですから、大きな移動は避けたい。

長い間、異端シンボルに興味を持ち、少し探ってきたわたしにとり、スコットランドのロスリン礼拝堂と南フランスのレンヌ・ル・シャトーは、この目で一度見てみたい最後の夢のようなものです。

けれども、コロナウイルスに世界中が振り回されている今、行くべきではないと思っています。どこかへ行くとしてもせいぜい日帰りできる範囲内です。夫からすると、これだと車の運転で疲れるだけだぁ、となるんですけどね。

本音を言えば、わたしだって今のこの生活はつまらない。食糧買い出し以外は、未だにずっと家にとじこもりなわけで、いつ日本に行けるかも皆目見当つかず。東京の感染者数のみならず、ポルトガルの感染者数も毎日300~400人前後を行ったり来たりしている現状です。この数字の中に運悪く自分が入ってしまわないとは、誰にも分からない話です。

これじゃぁ、とてもじゃないが、秋の帰国もダメでござんすな。「つまんないな」と思わず口から出た言葉ではあります。

んで、昨日はTake awayの昼食が遅かったこともあり、晩御飯は簡単に済まそうというので、隣町のMatosinhosのPraia Boa Nova(ボアノヴァ海岸)に落日を見に行こうとなりました。

日の入り時間は午後9時過ぎとのこと、我が家の猫たちと外猫たちにいつもより早い時間に
エサをあげ、出かけました。

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Capela da Boa Nova. 礼拝堂の起源は14世紀終わりに遡る。1475年までフランシスカノス(アッシジのフランシスコが開いた宗派)の隠遁所とされていたそうです。

この礼拝堂の裏へ回ると小さな岩場があります。

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この岩場に上り、水平線に沈む夕日を眺めることができます。
数日30度を超える暑さでしたが、8時以降にここにしばらく立っていると涼しい風が吹き付け、薄着だとやがて寒く感じるほどです。

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15分かけて、夕日が彼方に少しずつ沈んでいきます。

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白みを帯びて辺りをグラデーションの色に染めて。

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沈みゆく太陽に言葉もなし。ただ眺めるのみです。

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日没後、霞がかかり、薄明るい海上を今日と言う時間を惜しむかのように何羽ものカモメが飛び交っていました。

ここの落日は5年ほど前の冬が初めてで今回は二度目です。岩場のすぐ側には、ヨーロッパで名の知られたポルト出身の建築家シザ・ヴィエイラが手掛けた最高級レストラン、著名シェフ、ルイ・パウラ氏が営む「Casa de chá da Boa Nova 」があります。

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予約を入れることによって、内部建築の見学ができるようです。

では、みなさま、また。
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2020年7月16日

我がモイケル娘の「いいよ」との許可を得て、これまでは拙ブログの最後にちょこっとそれとなしに述べた初孫のことを、今日は少し。
7月2日午後10時過ぎに2670グラム、49㎝の女の子が生まれました。ほぼ予定日通り。
今日で2週間になります。

出産予定日3週間前になって、臍帯の動脈血管が一本足りないと、それまで通っていたクリニックで言われ、急遽、中央病院へ移され、精密検査のため一週間入院した時には、本当に不安で眠れない夜が続きました。
自身は東京息子もモイケル娘も安産でしたので、それがどういうことか分からず、情報を得るためずっとネット検索し続けたものです。
モイケル娘も不安であったと思いますが、健気にも、「大丈夫。母体が不安だと赤ちゃんにも影響すると思うから、わたしは大丈夫だと信じる」といい、まるで、おっかさんと娘がひっくり返ってしまったような状態ではありました。

一週間悩んだ末、万が一のときには、自分は娘夫婦を手助けするために、完全帰国しよう、そして、これまで自分がしてきた日本帰国を今度は逆に年に1、2度ポルトガルに帰国しよう、と決心したら、よし、なんでも来い、と気持ちが楽になりました。

こうした状況の元で無事生まれた初孫ちゃん、少し小さいけれども元気に成長しているようです。

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コロナ禍でフライト難しく、手助けに行けないわたしですが、婿殿のご両親が感染を避けるため関西から車で高速道路を飛ばして、しばらく娘夫婦のところに滞在していただけ、モイケル娘も不安から解放され、子育ての基本的なノーハウを学んでいることでしょう。心から感謝しております。

あちらのご両親にとってもわたしたちにとっても初孫ちゃん、多くは望みません、周囲の人々の愛情を受けて、すくすく成長することを願うのみです。

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娘たちのねこ、みかんちゃん、興味津々です。

ではみなさま、また。

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2020年7月13日 

気のあった者同士、2、3カ月に一度、4人仲間でポルトのダウンタウンにあるレストランで昼食をするのが習慣です。が、コロナ禍で今年に入ってから一度も会っていません。

よく利用するポルトガル伝統料理のレストラン「Solar Moinho de Vento 「風車」の意味。
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ポルト在住期間長老(!)のわたしを始め、30年程の同年代二人、それにおそらく20数年の若いOちゃんと、各々、ポルトガル人の連れあい抜きの会食ですから、みな本音がでることでること。そんな間柄ゆえ、久しぶりに会っておしゃべりするのが楽しいのです。

が、コロナ禍で今年に入ってから一度も会っていません

かつては子育て、子達の日本語教育等が我らの話題の中心でしたが、やがてその子どもたちも、Oちゃんのを除いては独り立ちし、うち、我がモイケル娘を含む3人は既婚者です。

そうこう話しているうちに、話題の行き先が老後を越えてその向こう、つまり終活となるのが、近頃定番になって来た我らであります。仲間の一人、Kさんが、実は時間的、距離的に墓守も大変なので兄弟で話し合った結果、日本での墓地を売ろうとしたところが、お寺から「では、土地を平地にして返してください」と言われ、その費用に200万円かかると言われた、とのこと、なんとまぁ!!

してみると、亡くなった我が母の実家、弘前にある先祖代々の墓も、おじたちの連れ合いたちが分骨などして、現在墓守をする従弟も子供がいないもので、先の問題がもちあがっているのを耳にしました。

核家族化し、少子化になり、古い慣わしが消滅しつつある事態が、都会のみならず田舎にも押し寄せているのだなぁ、と思わされた一件でした。

ポルトガルと言えば土葬の習慣でしたが、近年はCremaçãoと言って火葬を望む人が増えて来、古い習慣の変化はこの国にも色々現れてきています。で、わたしたち仲間の終活話で持ち上がったのが、ロッカー式納骨堂です。

ポルトガル語でColumbário(コルンバーリオ)と言います。先祖代々の墓地があれば別ですが、それも田舎にある場合は、新しく墓地を買い求めたりします。 日本同様、高いのです。それで、近年出てきたのがこのコルンバーリオです墓地の一角にこんな感じで設置されています。

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う~ん、あまり入りたないな、と見た目に思ったものですが、同じポルトに子供たちが住む友二人と違い、夫とわたしの場合は娘はもう日本在住確定ですし、息子も今のポルトガルの状況では帰ってこない確立が高い。

ならば、誰も来ぬ墓地などあっても仕方あるまい、あるいはこのロッカーも要らないかもね、と夫と話していたのくらいです。

すると、数年前の春先、突然夫が「買ったよ、将来の家」と言うではないですか(笑)

えー!、どこに?いつの間にそんなお金、持ってたの?と問うと、
「だから、ほら、近くの墓地に」

がーーーん!何が将来の家よ、冗談きついよ。

聞くと義兄も義姉も同じブロックに買ったという^^;我が家から徒歩で5、6分ほど、夫の母が眠っているところでもある。 なんだかなぁ、と思いながらもさすが仲のいい兄弟だわい、と受け入れざるを得ないのでありました。

わたしたちからするとまだまだ若いOちゃんそっちのけで、年配者の我ら3人、レストランで食事しながらこんな話に、わーっはっはと大笑いして盛り上がっていたとは、満席の周囲の客たちはつゆ知らなかったであろう。

どうもどうも皆様、昨日に続き、滅相もない題材でごめん遊ばせ。
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2020年7月11日 

去る5月で、ポルトガルに在住すること丸41年、今年の誕生日を迎えると齢73になります。

10数年前には、「これまでの人生で、わたしはお葬式に出た回数が3回しかない」と言ったことがありますが、それは日本にいる身内が長寿で未だ元気だというのではないのです。

我が母を含め母の8人兄弟はみな既に鬼籍に入っています。日本を遠く離れているもので、おいそれと葬儀に駆けつけることができず、せいぜい帰国したときに墓参をすることになります。これは海外在住者にとって、多くの場合、そうではないのかと思います。

しかし、この歳になると、夫は親戚も多いので、知人も含めると、この10年ほどでたくさんの人が旅立ちました。が、わたしはどういうわけか、日本へ帰国中だったり、また夫の親戚知人であっても一度も面識がなかったりという理由で、ポルト在住だった日本人女性の友人、夫の母、義兄、夫の親友の時以外は葬儀出席を経験していません。

ほとんどがカトリック教の洗礼を子供時代に受けるポルトガル人は、おのずと葬式は教会でとなります。子供の時に受けていなくても結婚式は教会で挙げますから、神の前で誓約するにはカトリック信者として洗礼を受ける手はずになります。

洗礼を受けていない場合は、教会での挙式はできませんから、結婚する前に、にわか洗礼を受ける人も多いです。

では、洗礼を受けていない場合はどうなるのか・・・わたしの場合などがそうです。
宗教には興味があるものの、わたしはカトリック信者ではありませんし、にわか洗礼も嫌なので、教会での挙式をしていません。

婚姻書類の手続きをし、自宅で親戚一同が集まって簡単な祝いのパーティーで済ませています。近年では、その形式をとる若い人たちも増えて来ています。

さて、話を結婚からお葬式に話をもどしまして。
日本だと大概は先祖代々の菩提寺があり、仏教徒云々に拘わらず、そこに墓地があって入れるわけです。

こちらでは、ある特定の教会に墓所を持つ場合、まずは洗礼を受けていること、その教会に信者と認められていることなどが条件になり、初めて墓所となる土地を買うことができるようです。

先祖代々が、とある区域の教会に墓地を持っている場合は別ですが、ポルトガルも昨今は日本同様、墓所を買うには相当な経済準備をしなければならないようです。実は10年ほど前に夫とお墓の話をして初めて知ったわけです。

そうして見ると、よく外国映画で、死の床で神父さまから慌てて洗礼を受ける場面を見かけますが、あれをわたしは、「なんでかなぁ。やっぱり人間死を目前としたときは、神の存在を信じたいと思うんだろうか。天国の存在を信じたいと思うんだろうか」と不思議に思っていたのです。

つまり、こうしないと教会で葬式をあげてもらえない、墓地にも入れないと言う現実があったのですね。

「え!じゃ、カトリックじゃないわたしはどこへ行くのよ?」
「共同墓地・・・」と夫。
「ええ~~@@ でも、行くとこないよりはいいか^^;」と言いましたら、
「5年したら掘り返されて、他の人が入る」
「ゴーーーーン」 まさに頭の中で鐘がなりましたです・・・

わたしがポルトガルに来た頃は、ポルトでは火葬場がなかったのですが、今では一部の大きな墓地にその設備があります。

上述の我が友はポルトで火葬となりました。しかし、その後、わが身はどこへ?
う~~~ん・・・・

無意識に、死は他人事であって自分はまだまだだ。下手すると、まだまだず~っと自分は生きるのだ、というような錯覚意識が自分の中にあったように思います。

これはちょっといけないな、人間家業を70年もしたら、そろそろ考えてみなければいけない事柄ではあります。予測通りにその日が来る事は、恐らないであろう。

しからば、明日のことを思い煩うよりも、今日をめいっぱい生きよう。初孫ができて、少なくとも、後20年はなんとか頑張りたいものだと、欲が出てきた今ですが、実はそうやって、なんだか考えなければいけない事柄をごまかしているような気が自分でもしないでもないです。

逝去と新生と、人間は古代からこれを繰り返して歴史を刻んで来たわけですが、時に、いったい「時間」とはなんであろうかと、考えます。

時間とは永遠の点である、と言った人がいますが、その永遠の点にわたしたちはどんな風に関わり合っているでだろうか。
こんなことを考えて、あれこれ手がつかなかったりしています。

本日は取り留めのないことを綴りました。
では、また。
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2020年7月8日

今日は猫の話です。 

17年ほど住んだかつての借家は小さな庭に一本の桃の木があり、季節になるとバラとアジサイとカーラが咲き乱れ目を楽しませてくれた。子供たちが成長した家でもあるのだが、今でも目と鼻の先にある。

念願の自分たちのフラットをやっと手に入れ、現在の家に移る際に連れてきた猫が今は亡き真っ白ネコのタンポポちゃんとゴンタ、それにクルルだ。

たんぽぽちゃん

↑わたしが飼った猫で一番美しいと思われる「たんぽぽちゃん」。威厳があり他の猫たちも一目置いていたが当時は避妊手術をしていなかったので次から次へと子孫を産んだものだ^^;子猫たちの引受人を探すのに苦労したが、貰い手がなく結局家に残ったのも何匹かいる。

その一匹がクルル猫で我が家で親子3代目の猫。
クルルとチャバ
母さんネコの「チャバ」と一緒に写っているクルルの子猫時代。

何ゆえ、今日突然こんな猫たちの話をする気になったかと言うとこうなんです。

飼い主同様、ネコも年齢を重ねてきました。すると、これもまた飼い主同様、体のあちこちに避けようのない支障が出てき始めます。ガタが来たってことです。

いえね、70代初期のわたしたち夫婦は今のところなんとか大きな支障なくして生活でき、それなりの仕事で頑張っているのですが、ネコの年齢は人間とは比べられない。ネコの10歳ともなると人間の70歳に相当するそうです。

ちびねこ
表情に乏しいチビではあるが、独特の甘え方があります。

すると、我が家で一番若いゴローでももはや60歳、チビが実年齢15歳で76歳、黒猫ぺトは先日、入院した時に獣医に、106歳で亡くなったマヌエル・オリヴェイラ映画監督だね、と言われたほどの よぼよぼご長老猫さまです。日本社会の将来の姿、高齢社会がまさに目前にあるのであります。

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わたしの気に入りの写真のゴロー

ぺトテーブル
オレさまはつまらない、と若きときの黒猫ぺト

老齢による白内障でもうほとんど目が見えなくなったゴンタですが、勝手知ったる家の中、どこに何があるか、ちゃんと記憶しているようで、用を足すのにも問題はありませんでしたが、歩くときは壁沿いに歩いています。高所に上るときは時々感覚が狂い失敗もしていました。
ゴンタ
ゴンタ熟年の頃。ネコとは思えぬほど賢かった。

ある日、若いゴローがどうも調子悪くなり病院へ行くと、どうやら歯が問題らしく抜歯しました。モイケル娘に話すと「お前、腰抜けじゃなくて、歯抜けか」^^;

歯抜けになって帰ってきたゴローは、しばらく元気がありませんでした。この後、ゴローは原因不明の大病をし、もうダメだろうと覚悟を決め、大学病院の獣医科に一週間入院したところ、奇跡的に回復したことがあります。たくさんの検査をした結果、恐らく感染病であろう、とのことでした。

さて、抜歯のためそのゴローをクリニックに連れて行った日のことです。今でも覚えているのですが、手術に関して一筆取られていたときに、突然、年配の女性が「うちの犬が!」と駆け込んできました。

病院では顔見知りの人らしく受け付けの女性はすぐ彼女が外に止めた車に走って行き、中から一匹の白い小型犬を抱きかかえて獣医室へ運び込みました。抱きかかえられた、首がぐったりしているワンちゃんを見て、ペットも人間もこういうときは同じだな、と一瞬思ったものです。

受付の女性が戻ってくる間、「O meu Kiko, o meu kiko(わたしのキコちゃん)」と女性は人目もはばからず大粒の涙を流し顔をくしゃくしゃにして泣き出し、わたしも思わずもらい泣き。

犬、猫、何匹かのペットの死にわたしも出会ってきましたが、自身はあまり人前で泣くことはしません。生き物のことゆえ死は何ものも避けることはできないと、淡々と受け入れ、わたしは一人こっそり隠れて涙を流すタイプです。

家族の如く一緒にくらしてきたワンちゃんでしょう、どんな事情かは知る由もありませんが、口からわずかに血を流していたことから、おそらく手遅れだろうと推察しました。ペットを喪失する哀しみは痛いほど分かります。

その日はゴローを受付に預け、女性の手を握り、「どうか気をしっかりもってくださいね」としか言えないわたしでした。ペットはともに暮らすうちに家族同様の存在になりますね。

我が家猫たちがホームレスにならないよう、彼らを全員見送るまでは、わたしもあちらの世界には行けないな、なんてことを考えるこの頃、東京息子よ、モイケル娘よ、万が一のときにはちゃんと面倒を見てくれますように、なんまんだ、と祈っているのであります。

クルル2
春間近。外の空気にその匂いをかいでいる、今は亡きクルル。

mansbestfriend.jpg
ネットでぶつかった心が泣かされるような写真です。

Man´s best friendは本来は人間であるべきだと思うのですが、人が癒してあげることができないものを無言のペットは持っているのでしょうね。

本日はこれにて。

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2020年7月6日 

最近でこそ惹かれるような映画が現れなくなったので、あまり観なくなったが、わたしは映画ファンだ。本同様、いい映画は人生を潤すとわたしは思っている。映画の中でつぶやかれる珠玉のフレーズに出会ったりするのも楽しいものだ。

・Death is just another path, one that we all must take. 
(The Lord of the Ringsのガンダルフの言葉)

・I am the master of my fate.
 I am the captain of my soul.
(映画Invictusの中で獄中のマンデラの支えになった詩の一節)

・There is no present like the time.
(映画、The Best Exotic Marigold Hotelで老婦人がラストシーンでつぶやく言葉)

・Stay Gold.
(永遠の青春映画、The Outsidersでとりあげられているロバート・フロストの詩の一節、Nothing gold can stayから、主人公の親友が最後に遺した言葉)

・希望はいいものだ、なによりいいものだ。そしていいものは決して死なない。
(スティーブン・キング原作の映画、ショーシャンクの空に、から)

・世の中にはすぐ分かるものと、すぐ分からないものの二種類がある。すぐ分からないものは長い時間をかけて、少しずつ分かってくる。
(日本映画、日日之好日から)

・毎年、同じことができるというのが本当の幸せ。(同上)
70代に入ってから実感する言葉である。

挙げて行けば切りがない。そして、いい映画には総じていい音楽が組み込まれている。
中でもイタリアのエンニオ・モリコーネの音楽には心を揺さぶるものがある。映画「ミッション」の挿入曲、「ガブリエルのオーボエ」、「海の上のピアニスト」「マレーナ」「ニュー・シネマパラダイス」「オペラ座の怪人」と、わたしが観たものだけざっとあげてもこうだ。

これはわたしがモリコーネのファンになってから知ったことなのだが、クリント・イーストウッド主演のマカロニウエスタン映画、荒野の用心棒、夕日のガンマンなどの音楽も作曲していた。

モリコーネの音楽はどれも好きだが、特にわたしの心に残っているのは1984年制作の映画「Once upon a time in America」だ。
1920年代のニューヨークを舞台に、ユダヤ移民の幼な馴染みの仲間たちがやがてギャングになる、友情と恋、裏切り、挫折の20代から60代の男たちの人生が描かれている。

once-upon-a-time.jpg
Wikipediaより

忘れ去られていた古代ギリシャの楽器パンフルート(パンパイプとも言う)を使ったモリコーネのこのテーマ音楽は少年ギャングたちの人生を予測させ、切ないこと限りない。もう一曲、同映画の「デボラのテーマ」も美しい。

下記で聴くことができます。
Once upon a time in Amerika  https://www.youtube.com/watch?v=Jj5Xczethmw
デボラのテーマ https://www.youtube.com/watch?v=-Ruz1VJQyqc

素晴らしい音楽の数々でわたしたちを楽しませてくれたエンニオ・モリコーネ。
May you rest in Peace.
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2020年7月5日 

世界が目まぐるしく変転しています。
5月からの武漢ウイルス緊急事態が徐々に緩和され、このまま気をつけて行けば、秋にはひょっとして帰国できるかな?などと期待したら、とんでもない間違いでした。

ポルトガルは、3月に北部から多くの感染者が出たのですが、今はリスボン周辺で毎日のように200人300人と確認感染者が報告されています。

感染者数のグラフを見ると緩いながらも未だにずっと右上がりですから、第二波もなにも、これは第一波が終わったということにはならないんじゃないかと思い始めています。

ここ数年、うなぎ上りに観光客を迎えていたポルトもすっかり閑古鳥が鳴いています。市内のあちこちにあまた建てられた宿泊施設の行く先はどうなるのか。

だから、言わんこっちゃないのだよなぁ。安い宿は大学生向けの下宿に転化可能ですが、ブームはいつか去るもの、その時、小さなポルトの街にこんなにいっぱいのホテルをどうするというのだと、他人事ながら気になります。

下は先日紹介したポルトガル文学「破滅の愛」の舞台となったモンシーク修道院跡に建てられた五つ星のNaya ホテル。ドウロ川沿いです。

cidade9_1.jpg

こちらはサンベント駅真向いから始まるRua das Flores(花通り)のホコ天に出現したPortoBay Floresホテル。こちらも五つ星です。

casamaias4_1.jpg

この家はCasa dos Maiasと昔から呼ばれ、1989年にわたしがポルトに来たころには、既に廃屋になっていたマイア一族の小宮殿でした。この通りを通るたびに、崩れかけた家をかろうじて支えでもしているかのような石の家紋(Brasão)に興味をもち、なんども撮影してきました。
rua-flores-fachada3_old.jpg


ホテルになるとの話を耳にした時は、宮殿の一部である石の家紋と聖カタリナの車輪(後記にて案内しています)をなんとか遺して欲しいものだと切に願っていました。何と言っても500年の歴史を持つ建物なのですから。

また、裏庭にはニコラウ・ナゾニに手による礼拝堂もあったとされ、できるものなら庭を一度見てみたいと思っていたのでした。

通りに面した小宮殿、つまりホテルの一部である正面は、もとのゴチック建築をできるだけ変えずに工事を進めたようです。ですから、このPortoBay Floresホテルは古い歴史を物語る建物と、スパ、ジム、インドアプールなどを備えた二つの建物からなっているそうです。

石の家紋と聖カタリナの車輪はどうなったかと確認に行ったところ、大丈夫、ちゃんと残されてありました。

casamaias2_1.jpg
建物の左端にある聖カタリナの車輪

マイア一族から引き継いだFerrazes、 Bravo両家の紋章は、ホテル入り口の中央上にそのまま遺された。この家紋左の塔と雲にわたしは錬金術の匂いがしてならないのだが・・・
casamaias3_1.jpg

下の画像はシントラ、キンタ・ダ・レガレイラの礼拝堂外壁横に見られる錬金術のシンボル。
regaleira-capela-tangue-1-2020.jpg
二つの塔と真ん中にあるのは雲だ。

まだ他にも紹介したい新しい宿泊施設はあるのですが、今日はこのくらいにて。

このように、世界の観光国の例に漏れずポルトガルもオーバーツーリズムだったのが、突然の武漢ウイルス感染のアタックをもろに受け、今は息も止まらんばかりの不況に襲われ、目まぐるしい変転を強いられています。

3月以降、国家、個人のイベントは全てキャンセルされて夏を迎えたわけですが、我が家も 今月初めには大イべントがありました。しかも、このイベントはキャンセル能わずでした。

7月2日、初孫が生まれました。6月から3カ月程の帰国予定はその手伝いのためであったのですが、武漢ウイルスのため帰国叶わず、落ち込んでおったわけです。無事に誕生したことに感謝の気持ちでいっぱいです。

励ましてくださった皆さん、そして、必要あらばいつでも手伝いを、と申し出てくれた友人たちにこの場を借りて心からお礼申し上げます。

気軽に拙ブログに綴れなかった事情も、いずれ、落ち着いたときに書きたいと思っております。
本日はこれにて。

・Casa dos Maias  http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1772.html

・聖カタリナの車輪 http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2065.html
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