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2024年1月24日 

独身で今年81歳になる義兄がアルツハイマー認知症だと夫から聞いたのは1年くらい前になろうか。わたしたちの家のすぐ近くにある亡くなった義母の家でこれまで一人で暮らしてきたのだが、数年前から、わたしは義兄が家族の集いやわたしたちと一緒に食事に出かける時など、ほとんど口を開かなくなっていたので気にかかっていた。あれはこの病の予兆だったのだろうと今では思っている。

料理もしなくなったし、家からも出なくなった。夜何時に寝入るのかは知らないが、起きるのは午後2時3時と言う具合で昼夜が逆になったようだ。

しばらく前から、食糧は夫が買い出しするようになり、今では火の元が危ないので台所のガスコンロは元栓を止めてある。食事については、週1で我が家に来てもらっているお手伝いさんに、この間まで義兄のところを週2だったのを先週からは週3回の通いにしてもらい、彼女に作ってもらうことにした。

車の運転について、も昨年12月に出かけたら危ないと思っていたところを、いつの間にか必携であるべき免許証、車の保険証を持たずしてダウンタウンに行っていたので、夫は説得して車のキーを取り上げた次第だ。本人が納得したかどうかは分からないが・・・

アーティストだったおしゃれできれい好きな義兄が、夫が催促しないとシャワーもしなくなったようだ。ひげも剃らなくなったので、あごひげがかなり伸びて、先週は夫が理髪店に連れて行ってさっぱりしてもらった。

その日の午後、夫が義兄を訪ねると毛布をかけてソファに寝ていたので、ふと毛布をあげてみると、なんとまぁ、上体はパジャマを着ていたが、下はズボンと靴を履いたままだったそうだ。それを聞いて思わず「あっはっは」と笑ったのだが、いやいや、そのうち、笑っては済まされなくなる日がくるであろうと気づいたら、笑いも引っ込んでしまった。

65歳以上の高齢者の6人に1人は認知症を発症すると言われる。この病気の進行を少し遅らせる薬はあるようだが、治す薬は今のところない。

アルツハイマー型認知症、その他の認知症はやがて正常な判断ができなくなるのが普通で、そこが介護の難しいところだろう。わたしが嫌いな(笑)キッシンジャーなどは100歳までボケずに生をまっとうしたそうだが、そういう人はまれだろう。

今日は義兄に今後起きるであろう症状を、できれば掴んでおきたいとネット検索をして、自分の身にこれが起きたら、もうなんもできへんなぁと諦めの気持ちになり、検索ストップ。

人にはあらがえない運命がある。ボケずに長寿を全うする人は幸運だ。できるものならば、その幸運に恵まれたいものだと切実に思ったspacesis。今年は喜寿と迎える。

ではまた。

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2024年1月23日 

土日も授業を入れてあるので、週末の昼食はTake awayか外で食べるかです。先週の日曜日はショッピングセンターのフードコートで、となりました。車で20分足らずのところです。

車を運転しながら、何を思ったか夫がふと「モイケルが日本へ行って今年で20年になるねぇ」と言い出しました。わたしもつい先だってそんなことを思っていたのです。娘20年、そして東京息子は在日生活15年になります。

東京息子は、ネクタイを締める仕事はイヤだと言って、大卒後リスボンで一時期中学生にITの授業をしたりしましたが、結局日本での職を見つけてモイケル娘の大学卒業の年に東京で共同生活を始めました。

モイケル娘の場合は、18の夏に日本へ渡り大学受験、会社勤め、大学院、結婚、娘誕生と、生まれ育った祖国のポルトガルでの時間より日本での時間が長くなりました。

ということは、わたしも拙文ながらブログとやらを書き始めて20年近くになるということです。最初はホームページ開設からなのですが、自分がいなくなった後のおっかさんの寂しさを思ってかモイケル娘がノーハウの手ほどきしてくれました。言うなればホームページ運営は彼女の置き土産なのです。

本日はそのホームページ、ブログ履歴で、忘れないうちの我が記録です。画像はパソコンを通してのものですから画質が悪いのですが、ご勘弁願います。

拙ブログの開始は2006年2月となっていますが、ブログサイト以前に2004年に開設した無料ホームページ「Spacesisのホームページ」がありました。

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サイトのタイトルがいかにも初心者のもので、これではアクセス者が少ないだろうことは今ならわかります。が、もともと、モイケル娘やチャット仲間を対象にした初めてのホームページ(以下HP)でしたから、それでよかったのです。BBS(HP内の掲示板)も備えて、結構盛り上がっていました。

HP運営はブログと違い、無料作成ツールを自分で探して設定しなければならないので手間暇がかかったものの、反面、一つ一つのアイコンを見つけては、これをこんな風にHPで使わしてもらおうと楽しんでいました。

酷い失敗も多々ありましたが、モイケル娘の手ほどきを受けながらなんとか開通にこぎつけ、1年もするとある程度スムースに各記事もあげられるようになったところで、無料の容量を超えそうになり、新たに有料HP「ポルトガル・ロマン」開設に及びました。下はウエブサイト「ポルトガル・ロマン」の各ページの一つ、「ポルトガルよもやま話」トップページ。

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おマヌケのわたし、肝心のポルトガル・ロマントップページの写真を取り忘れていたのでした。

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モイケル娘の日本の大学へ行くまでのいきさつを綴ったページトップ、「めざせ夢、日本の大学」です。

大変でしたぁ。いえ、エピソードを書くのが大変だったのじゃなくて、日本の大学へ行くまでが、です。大変でしたが、この頃は日本の大学の学費、生活費となる仕送りをどうやってひねりだそうかと来る日も来る日も、考えていました。モイケル娘はモイケル娘で父親の説得に頭を悩ましていたのですね。

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30代始め、砂漠の町ツーソンにあるアリゾナ大学でESLコースを取るために半年滞在した時のエピソード。拙ブログのカテゴリにあげてあります。

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アメリカ留学の資金作りのためビアハウスでの歌姫バイト時代の楽しいお客さんたちのエピソード。梅新にあった旧アサヒビアハウス(後にアサヒスーパードライ梅田と変更)も昨年10月をもって開店87年の歴史を閉じました。歌っていた時は、かほどの老舗とは知らず(笑)

オフィスでの給料では貯金もできずオファーされて恐る恐る始めたバイトでしたが、ここは関西の著名人が集い環境もよく、夜9時には終われる実に楽しいバイト先でした。

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子ども時代からの思い出をつづったページ「思い出のオルゴール」。これはタイトルを「思い出のアルバム」と変えて拙ブログ左カテゴリにあげています。

HP時代は、読んでくれるのがほぼ仲間うちという意識でしたので、思いついたまま書きなぐっていましたが、書き直しが必要とされるページが多々あり、いずれ手をつけるつもりでいます。

これらのHP記事は廃止され今では見ることができません。「ポルトガル・ロマン」などは有料だったのに廃止によりすべて削除されたのは、なんだか納得がいかないなぁと思ったものです。

それで、現在のブログに引っ越しと相成ったのですが、このブログはモイケル娘を始め、息子(全部読み通せるかな?笑)そして、孫娘のソラが中学生くらいになったら読んでもらえると嬉しいなぁと願いつつ、これからも続けて行くつもりです。

成長した孫娘に笑われないように文を推敲しなくては、と思う反面、「ばぁちゃん、こんなとこで色々誤字をまき散らしていたんだね。そそっかしいばぁちゃん。」と笑われるのもそれはそれでいいかなぁ、なんて思ったりしますが(笑)

後10年、気の長い話ではあります。

ではまた。

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2023年12月12日

このカテゴリ記事はあまり気が進まないのだが、自分のメモに、あるいは誰かの参考になるかも知れないと思い、書くことにした。

夫は消化器専門医なのだが、内視鏡検査の仕事はかなり減らして、現在はその分野のコンサルタントとして患者と接することが多いようだ。頑固なところがあるがいたって温厚な人で、30代頃から夫のファン(と言っても患者ですw)はお年寄りが多かった。

田舎から来る患者にも親切だったようで、受診料を取らないことが度々あったと思う。12月ともなるとそういう患者たちから謝礼として愉快な贈り物が結構届いたものだ。下記のエピソードの懐かしい一つだ。
七面鳥のアフォンソとマチルダ
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2411.html

さて、その温厚な夫が近頃あまり機嫌宜しくない。 仕事を減らしたのに他の仕事が肩にのしかかってきたのである。

夫は3人兄弟の末っ子だ。10歳上で現在85歳の姉と独身で81歳の兄がいる。姉は数年前に連れ合いを亡くし、今は独りで別の町に住んでいる。体が大きい人でポルトガル人にありがちな膝の病気を抱えているが、手術で大分痛みがなくなったようだ。

が、住まいが日本で言う5階のフラットである。古い建物でエレベーターがない姉宅を訪ねるたびに、わたしはあの階段を上ることを考えると気持ちが萎えるのである。わたしですらそうなるのだから、まして当人は独りでの上り下りはできまい。食糧買い出しの外出時はお手伝いさんと一緒に行くことにしているのだそうだ。

終の棲家である現フラットを買う時にわたしが夫に頼んだのは、2階(ポルトガルでは一階に相当する)以上は困る、であった。エレベーターが苦手なわたしはできるものならエレベーターなしのフラットが望み。2階までならそれなしでも買った食糧の袋を老体でなんとか運び上げることができる。

当時は寝たきりの義母がいたので、毎晩食後に彼女を訪れる夫の負担にならないように同じ区域がよかろうと思った。それでその二つの条件を満たすフラットが見つかったのは幸運であった。義母の家(つまり、現在は義兄が住んでいる家)は徒歩で2分もかからない通りにわたしたちが住んでいる。見晴らしは期待できないが2階は泥棒も入りにくいし、これでよかったとわたしは満足している。

さて、高齢者問題は夫とわたしについても考えるべき時期なのだが、81歳で独身の義兄が認知症だと分かったのは今年に入ってからだ。美大で長年講師をしていた彼、退職後はボランティアで教授のアシスタントをしてきた。義母亡き後、わたしたちのすぐ側にある彼女の持ち家だった家に現在は一人で住んでいる。 

それが、家に閉じこもりきちになりほとんど外出しなくなった。恐らく引き金はコロナ禍だとわたしは推測しているのだが、現在は軽度の認知症だ。料理が上手でよくしていたのに、今は全くしなくなり、夫に言わせると、冷蔵庫がほとんどカラになっていたりしてるという。ということは、食糧買い出しもしなくなったということだ。

そこで、夫が買い出しである。そのほかにやれ床屋、やれ検査、やれ病院、銀行と今では夫がすべて同伴でしている。危険が危ぶまれるので本人に車を運転して欲しくないのである。

食事については週1で掃除に来てもらっていたお手伝いさんに料理もしてもらうために、週2にした。理由は義兄が料理をしなくなったからだけではなく、ガスを使ってもらわないためでもある。

お手伝いさんからはわたしたちにその日に行った時の義兄の様子を聞かされる。元来が夜更かしが多い人だったが、今は昼夜がほとんど逆になり、夜中までテレビを見て午後も遅い時間にに起きだすようだ。寝るときも起きている時もほとんど寝間着トレイナーで、ベッドを利用せず応接間のソファで寝ていると聞く。

夫は仕事の合間を見ては日に2度3度と義兄の様子を見に行く。晩御飯後は毎日必ず行って1時間以上を義兄と過ごしてくる。と言っても話をするわけでもなし、ただいっしょにテレビを見るのだそうだ。

夫があまりご機嫌よろしくないのは、自分の仕事の外にこれら義兄の生活環境のことを全て代理でしなければならないのと、恐らくこの先どうしたらいいのだろうかとの心配があるからだと思う。

義兄の認知症が現れるかなり以前から、わたしには彼が借りて長年そのままにしてあるアパートのことが気になっていた。独身の義兄ゆえ、何かことがあった場合は一番年下の夫がすべて担うことになるのは目に見えている。

外から来て家族の一員となったわたしが余計なことを言ってはなるまいと控えてきた。彼のアパートは、独り身であるのに3部屋には家具がすべて整えられ、本と言う本が所狭しと並べられていたのには驚いてしまった。その蔵書の山はポルトガル人にしては珍しいと思う。そのアパートに加えて、本人が今住んでいる義母の家、ここも自作品や本、その他でもう一杯だ。

人間80歳近くにもなると、断捨離も面倒になり結局その日その日を何とはなしに送ってしまいがちだ。お義兄さんも考えてそろそろ断捨離しないとねぇと、何度か夫には言ったのであるが、今となってはもうどうにもなるまい。

本人の目の前で兄弟があれこれ彼の持ち物を整理しようとするのもどうかと思うし、夫にもそんな時間はない。夫にはまず、自分の書斎に手を入れてほしいくらいなのだ。

帰国したI氏が下した余生の過ごし方の判断にしろ義兄のことにしろ、色々身につまされて、迫りくる高齢問題をひしひしと身に感じるている。人も猫も認知症で、ほんまになんだかなぁ・・・。

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2023年12月9日 

数えきれないほどのネコを飼ってきたがこんなおしゃべり猫は初めてだ。部屋を出たいからドアを開けろ、入りたいからドアを開けろ(オンライン授業中は困るのだ)と鳴く。 

ある土曜日夕方、日本語教室の終わりに、いつもの通り「最後に、質問はありませんか」と生徒たちに聞くと、
「はい、あります」
「なんですか」
「せんせい、今日はネコ、一度も鳴きませんでしたね。どうしたんですか?」
と言う具合だ。

ガスストーブのまん前で暖を取るのにすっかり味をしめて、小寒いとこもストーブをつけろとうるさい。ストーブがついていなi
と、今度はベッドの電気毛布のスイッチを入れろと、わたしたちを部屋に誘う。食事時間はもちろんだが、朝、窓辺にやってくるスズメたちにパンくずをあげるのをうっかり忘れていたりすると、これまた窓辺に誘うのである。

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ネコか、おまえ!と、召使の如く使われるのに、時にののしりたい衝動にかられたりする。そう言えばあったよねぇ、「Cats own us」って。We own casじゃないんだってさ(笑)だが、窓を開けてパンくずを置いた後のこんな姿を見ると、可哀想になったりする。すずめがパンを食べに来るのを待っているのだ。あのね、お前がそこにいたら、食べに来ないんだよ。
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表通りに面したベランダのこの席は、大先輩猫ゴンタの特等席だった。わたしに拾われた頃、一番最初に痩せて小さかったゴローをネコ仲間に受け入れたのがボスネコのゴンタだった。ゴンタ亡きあと、この席を引き継いだのはゴローだ。この後ろ姿も心なし寂しそうに見える。

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これまでは猫たちは台所の大きな猫かごの中で一緒に寝ていたのだが、一匹になって以来、よく鳴くもので、寝室に入れてみたりした。これがまた他の猫たちと違って、ゴロゴロと喉を鳴らす音がうるさい。夜中に何度も寝る場所を変えるし、その度に鳴かんでもええのに「ニャゴニャゴ」と言うもので、こちらは一晩中寝た気がしない。その度に寝不足の我らだ。黙って寝とけ~。

朝は起きたら起きたでその日の第一声、「飯くれ」「トイレ片付けろ(きれいにしないと入らない)」ニャニャニャンニャニャニャン。言われなくたってするんだよ。まったく、注文の多いネコだ、と言いながらも、いいよ、16歳て人間で言えば80歳ほど、後どのくらいわたしたちの元にいてくれるか分からないと甘やかしている我らだ。

こう書いてあれから1年の今、夜中に突然大声で鳴くのが頻繁になり、実は困ったちゃんのネコなのである。突然仲間と一緒にいた頃を思い出し、寂しくてたまらなくなるのかなと思い、我らの寝室ドアを開け放していつでも来られるようにした。

が、いっこうに夜中のそれはおさまる様子がない。むしろひどくなり泣き声が時に遠吠えのようであったりする。はて?と疑問に思いネット検索をちょいとしてみた。すると、この症状は認知症の気が大いにあると言う。ぎょえ~!

ゴロちゃん、認知症なのん?と、思わずここ2日ほどの自分の態度が頭をよぎった。実は鳴き声のあまりの酷さに、ガバと布団をめくってベッドからおり、真夜中に逃げる猫を追いかけ、寝カゴに入れてその前で仁王立ちになり、低い声でしばし説教を垂れてしまったのである^^;

すると、カゴの毛布の上でべったりと腹ばいになり顔も伏せてなが~く伸びたので、一瞬ドキッとした。

可哀そうに、認知症だったら叱ったって分からんわいな。あぁ、気の毒なことをしてしまったと反省しきり。認知症に薬はないのである。

これまで飼って来た猫で認知症であろうと思われた猫は2匹いた。食べても食べてもそれを忘れるのであろう、いくらでもエサをせがむのであった。これは亡くなった我が母が軽い認知症になったので分かったのだ。

タバコを多少吸う人だったのだが、次から次へを吸おうとするのでどうやらさっき吸ったのを忘れるらしい。しまいにはわたしと妹はタバコを隠す羽目になったのだが、これがまた、必ず見つけ出すので呆れたという経験がある。

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若かった頃のゴロー君

人間で言えば齢80過ぎのゴロー君だ。人間も認知症が始まっておかしくない年齢、説教垂れてごめんよ。なぁに、寝不足だったらわたしは日中ちょいと昼寝して夜早めに就寝するとよろし。
が、夫はそうはいかんのであった・・・

続きます。

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2023年12月7日 

今日は、残りの人生を日本で過ごしたいと11月に帰国したI氏と話したことについて。
創立当時から22年間携わって来た補習校を退き、その後はボランティアで運営に関わり、午後の運営委員会に出席した、とある日のこと。

当時は日本語授業はオンラインではなくてクリスタル宮殿公園内にあるポルト、アルメイダ・ガレッテ市立図書館の一室で午前中日本語を教えていた。それを少し早めに切り上げての会議出席でした。 

その会議が終わり、「しんどいので、今日は帰って寝るぞ!」と思って帰りかけると、後ろから同僚I氏、「ユーコさん、久しぶりにお茶でも飲まない?」と声がかかり、一瞬、どないしょ?と迷ったものの、そうしてみれば、このところずっと同国の人と話していないなと思い、久しぶりにI氏と話して気分転換が必要かもしれないと思い、「行きまひょ!」と調子よくまぁ(笑)
今日は帰って寝るぞ!と言っていたのに、まったくダメなヤツです^^;

I氏とは長年の同僚づきあいで、補習校時代は午後の会議が終わった後はきまって近くのカフェへ出向き、生ビール一杯で「かんぱい!」とやっては、しばしおしゃべりするのが習慣でした。

I氏もポルト在住が長く、わたし同様、連れ合いがポルトガル人です。自分の子供たちを補習校に通わせながら、自らも長年講師として携わってきたことと、同世代だということで、もちろん、意見の相違はありますが、結構話がはずみます。

で、その時はたまたま日本で亡くなったI氏の兄上の話から、「では、我ら老後はどないする?」との話に及びました。

ま、どないするったって、大金を持たないわたしのこと、こうしたいなんて贅沢なことは望めそうもありません。ポルトガルの土になるとして、墓地はあるの?で始まったわたしたちの会話は周囲が聞いたらまったくもって顰蹙をかったことでしょう。こういうときに傍に分からない日本語での会話は助かるのであるw

さて、ここから先は、ちょいとお墓の話になります。

ポルトガルで教会敷地に墓地を購入するには、カトリックの洗礼を受けていることが条件だと聞きます。洗礼を受けるのに年齢は関係ないわけでいつでも受けられるのですが、わたしはカトリック信者ではないし、自分の墓のためにだけ洗礼を受けるということはしたくない。

夫も子供の頃に洗礼を受けてはいるが、カトリック信者ではない。となると我らは共同墓地に入ることになります。共同墓地に埋葬されると、5年間ほどそこで仮眠できる)。5年経つと掘り返され、共同墓地にある土地を買うか、今風のロッカー式納骨室(ポルトガル語でColumbárioと呼ばれる永眠場所を買うかになるのだそうだ。「ロッカー式」はいただけないな、と見て知っているわたしは思う。

で、I 氏曰く、実は、先だって亡くなった女房の父親の棺を掘り返すことになった。わたしは見なかったが、彼女その棺の蓋を開けたんです。女房曰く、「あれは二度死ぬのと同じだ。(掘り起こすってことでしょうね)土葬はごめんだ」。それを機に夫婦で話し合い、我らのはこちらでは一般的な土葬でなく火葬にしてもらうことに決めた。わたしの灰は自分の畑に撒いてもらおうと思っている。火葬は結構費用がかかるのではあるが、それくらいは仕方あるまい。
I氏、この時点では日本帰国を考えていなかったんやなぁ。)

意外とノー天気なわたしは、ロッカー式はいやだなぁと、夫とたまに話はすれ、ではどうするかとの先を考えずに、延ばし延ばしにして来たのだが、「その日」はいつ来るか、誰にも分からないのだ、少し考えて見てもいいかも知れないと、I氏の話を聞いて思ったものだ。(夫はわたしの日本滞在中に勝手に我が家の近くのColumbárioを購入したいたのでした^^;)

かつてのI氏とわたしは、子供の日本語教育、通信教育、補習校について、あぁだこうだと、熱い意見交換をしたものだが、子供たちが高校生になるあたりから、「老後はどないするん?」の話にいつの間にか変わり、その日はついに「永眠地」の話に及んだのでありました。

その類の話がこの頃よりももっと身近に感じられる今だが、わたしは、しっかり生きようではなくて、「うん。しっかり死のう」などと思い巡らしているのであります。

ではまた。

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