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2024年1月31日 

せどり界(「せどり」については、本日記事の中ほどに)のカリスマと呼ばれていた、「たそがれ親父さん」こと吉本康永氏が亡くなられて12年になります。

その後もブログはずっと残されてありましたので、時々思い出しては拙ブログ右のリンク欄から氏のサイト「たそがれ親父の人生ノート」を訪問していました。お会いしたことはありませんが、氏の著書の一冊にわたしたち母子は大きな勇気をもらい、金欠でありながらもモイケル娘の日本での大学受験に挑戦できたと言えるのです。

お会いしたことはありませんが、一つはリンクの許可をいただくために、そして無事、日本の早稲田大学入学を果たしたこと、また、途中で北九州大学へ転入して学部を変え、晴れて大学卒業を果たしたことをしたためたメールを送っています。

今日久しぶりに氏のサイトをクリックしてみると、「Not Found」と表示されて寂しい思いをいだいたのでした。サイトが消却となった上は、わたしもリンクを外していよいよお別れをしなければなりません。

本日はたそがれ親父さんの本との出会いとリンクすることになった時のエピソードを再掲してお別れにしたいと思います。

2017年1月29日 たそがれ親父の吉本康永さん

間もなく受験シーズンがやってくる日本ですが、この時期になると決まってモイケル娘が日本の大学受験を目指し学業と父親のゴーサイン獲得に奮闘していた日々のことが思い出されます。

長年、拙ブログにおいでの方々はすでにご存知のことだと思いますが、夢を目指して彼女が日本へ行ってから、早や13年になろうとしています。「日本へ行こう!」と娘が決心したであろう中学3年から、最終的に早稲田大学への入学を果たし一人住まいを始めるまでのいきさつは「ズッコケ親子の受験戦記」(後記)にて記録していますが、時々、一人クスクス笑いながら拙文を読み返しては、娘の夢の実現を目指して、いつの間にか自分も彼女とともに煌いていたあの頃を懐かしんだりしています。

もしあの本に出会っていなければ、どんな風になっていただろうか、もしかすると父親を説得できず、モイケル娘はおっかさんのわずかばかりのヘソクリを持って、強引に家出という形で日本へ飛んでいたかもしれないなぁ、と思ったりします。それはそれで面白い展開になり、物語性に富むのですが。あははは。

さて、金欠病の親子がいかにして受験、入学した場合の学費、日本での生活費を工面できるかと、暗中模索のひと夏に偶然出会ったのが、たそがれ親父さんこと、吉本康永さんの本でした↓

ただで大学を

出会いについてはエッセイ「ずっこけ親子の受験戦記」のエピソード6「運命の夏の出会い」と7「ただで大学を卒業させる法」に書いておりますが、ここに2エピソードを載せてみます。

「ずっこけ親子の受験戦記」  

娘が無事合格し、すっかり有頂天のわたしは調子付いて、件の軽薄な「ズッコケ親子の受験戦記」なるエッセイを書くに至ったのですが、彼の本へのお礼を兼ねて、著作権の関係上、吉本氏の著書写真と文引用の許可お願いのメールを厚かましくも送ったのでありました。
氏は快く承諾してくれ、「お互いのサイトリンクをすること」が条件でした。ついでにメールの返事には、「吉永」ではなくて「吉本です」と書かれてあり、あちゃ~~、名前の「吉本康永」の最初と最後をくっつけて「吉永様」なんてやっていた粗忽者のわたし、入る穴もなし・・・。トホホホ

氏は「たそがれ親父」のハンドルネームでホームページ「たそがれ親父の人生ノート」を運営しており、そのような訳で右の我がリンクサイトに名が上げられています。2006年のことでした。

以来、時々、サイトを訪問していたのですが、それが2008年頃だったでしょうか、突如「お知らせ」と称して、

管理人の個人的事情により休止中です。休止しましたた4月以降何度か皆様から病気でもしたのかとメールによるお問い合わせをいだだきましたが管理人はいたって元気であります。
残念ながらはっきりとした再開の目処はたっておりませんが機会があればまた再開したいとも考えております。

との告知があり、新しい本の執筆か、もしくは塾講師の仕事が忙しくなったのだろうな、くらいに思っていたのでした。

そうして月日が流れ、久しぶりに氏のサイトを訪れてみたのですが、相変わらず更新はなく、ふと思いついて、グーグル検索を試みました。飛び込んできた最初の文字が「たそがれ親父さん、逝去」 えー!嘘やん!しかも亡くなられたのは2011年、随分前ではありませんか!ああ、なんと言うこと。

たそがれ親父さんは「せどり」の仕事をしていたようですが、「せどり」とはわたしにとり初耳の言葉です。調べてみると、「せどり」は「競取り」と書き、主に「古書店で安く売っている古書を買いとり、ネットで売ること」とあります。その世界ではかなりの知られた人だったとのこと。プロフィールを拾ってみるとわたしと同年、1947年生まれでした。

存命だと思っていた人が実は既に鬼籍に入っていたという話を近頃耳にすることが多くなってきたような気がします。自分のをも含めて、人生は一寸先は見えないものなのだと知らされたことではありました。

最後に失礼ながらネットにあげられている著書「大金持ちも驚いた105円という大金」にあるプロフィールを。

■吉本康永(ヨシモトヤスナガ)1947年生まれ。東京外国語大学中退。現在群馬県の予備校で教鞭をとっている。歯に衣着せぬ物言いに隠れる圧倒的な愛情に、学生のみならず父母の間からも信望が厚い(らし)かったが、少子化と不況の影響を受け、還暦直前にして授業数が激減。月々のローン返済40万円を抱えた中で見いだした答えが「せどり」だった。

その笑いと涙の闘いの二年間を著書、『大金持ちも驚いた105円という大金ー救われたローン人生』にまとめた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) ローン地獄/アマゾンへの出品/せどり生活のスタート/訪れる失敗/アコーディオン買い/せどりの日々/著名人本の価値/車の買い替え/パソコンと本の分類/アマゾン一人勝ち/せどりのジャンル/税理士登場/古物商許可証取得/さまざまなお客様/売り上げ記録は更新中だが…/せどりの技術/ある日のせどり旅/ローン地獄からの脱出/本の運命 どんなピンチだって、ちょっとの工夫と行動で乗り越えられる!リストラ間近・還暦直前・月々ローン返済40万円…!崖っぷち予備校講師が選んだ手段は、ほんのちょっとした事だった。ヒント満載の、貧乏克服ノンフィクション。

我がモイケル娘に頼んで、この本を購入することにしました。

たそがれ親父の吉本康永さん、あなたの本にあやかり、なんとか大学と院まで修めることができた娘がここに一人おります。何年もと遅くなりましたが、感謝とともに心からご冥福をお祈りいたします。

2006年3月65日 「タダで大学を卒業させる法」  著者:吉本康永 (三五館)

夏休みを利用して日本に帰国していた時の事、ブックオフ書店で上記のタイトルが目に入り思わず買って来た本。当時はワラにもすがる、という思いでした。
扉を開いたら、

この本は、経済的に厳しい問題に出くわし、子供の大学進学を断念しようと考えているお父さん・お母さん、また受験生に捧げたものである。血を吐くようなわたしの経験から紡ぎだされた「実用書」なのだ

と、書かれてありました。

「お金と教育」のプロローグから、第一章「大学生になった息子への手紙」まで読んだわたしは、そのユーモアに溢れた飾らない文体に、そして、著者の親としての、これから大学生活を始めようとする息子さんへの、誠に実際的な暖かい応援メッセージがこめられた教育思想に惹かれ、そこから一気に読んで行きました。

「受験するだけでもけっこうお金はかかるのだ」
「初年度納入金、入学時の住居費はいくらかかるのか」
「全国の仕送り平均は」「大学生にかかる一ヶ月の生活費」

金欠病の国に住む、金欠病一家の、金満国受験志望娘を持つ親が得たい全ての疑問に、実数値をあげて、逐一答えてくれているではないか!そして、わたしにとっての極め付きはこれです、これ!
        ↓
子どもを「タダで大学を卒業させる法」ベストファイブ!

その中の第3位、
「何がなんでもがんばって早慶大学入学をめざせ」!ウワッ!高嶺の花だぁ~笑。 (←著者がそう書く理由は本に書いてある^^)

そして最後の第5位、
「子どもを働かせろ・新聞奨学生だ」!(←親の究極の選択だ、と著者は言っておられます。誠にその通りで^^;モイケル娘は最後の手段はこれだ!と。トホホホ。

かつてこの方法をとって大学進学をしようと、高3の夏休みに上京して体験をしたことがわたしはあるのでした^^;ゆえに、究極の選択、というのは頷ける。わたしの場合夢は破れたが。あは。この後には、「タダ卒経験者」の経験談、また「家族の絆」についても書かれてありました。

この本を読み終えたわたしは、大学へ行きたい!勉強したい!と懸命に思った17歳の頃の昂揚感をまざまざと思い出したのでした。

よし!ポルトガルからだって不可能ではないぞ!なんとかできるかも知れないぞ!そ、早慶だーーー!(この時わたしはまだ、海外に住んでいる日本人でも「日本学生支援機構、つまりかつての育英会の奨学金を受けられるということを知らなかったのでした)

この一冊の本は、わたしに大きな夢の実現可能性と智恵をくれたのでありました。あれれ?いや、その、わたしはその夢を持つ受験生本人ではなくて、受験生の親の方でありました(爆)

読み終わって即、我がもいける娘に、「この本を読んでみ。日本の大学進学の夢に近づくヒントはここにあり!」と言って、翌日彼女に手渡したのでした。


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某年某月某日

海の上で太陽が光を雲間に閉じ込められながら、かろうじて姿を見せている一枚の写真があります。

ロカ岬


これはわたしが撮った写真ですが、白黒にしてみたわけではなく、目まぐるしく天気が変化するロカ岬でスマホを利用して撮影したものです。暗い画像に、わたしはある詩の一行、「とどろく海辺の妻の墓」を思い出したのでした。

前回フェルナンド・ペソアの紹介で述べたように、彼は詩人のみならず作家、翻訳家でもあり、エドガー・アラン・ポーの訳詩もしていました。かなり以前にブログで取り上げた松本清張の本につながるのでした。

以下、過去の日記の書き換えです。

―とどろく海辺の妻の墓―

高校時代には、苦手な理数系の勉強はほったらかしに、フランス文学、ロシア文学、ドイツ文学の著名なものを図書館から借り出しては、外国文学の起承転結の明確なのが好きで心を躍らし片っ端から読みふけったものです。

そして、20歳代にのめりこんだのに、松本清張シリーズがあります。「黒い画集」から始まり、清張の作品のかなりを読了しました。「社会派推理小説」と当時呼ばれた清張の作品は、大人の匂いがプンプンして、20代のわたしは世の中の理不尽や犯罪に駆り立てられる人の心理を、こっそり覗いたような不思議な刺激を覚えたものです。 

それらの中でも特に心に残ったのは、霧の旗、砂の器、飢餓海峡、ゼロの焦点です。つい先ごろ、この「ゼロの焦点」をもう一度読み返す機会があり、思い出したのです。あの頃、気になりながら当時は調べようもなかった詩の1節がその本の中にあったことを。

In her tomb by the sounding sea. とどろく海辺の妻(彼女)の墓

訳が素敵だと今も思います。

戦後の混乱期の自分の職業を隠し、今では地方の上流社会で名を知られている妻が、過去を隠さんがため犯罪を犯す。やがて追い詰められた彼女が、冬の日本海の荒れた海にひとり小船を出して沖へ沖へと漕いで行く。その愛する妻をなす術もなくじっと見送る年老いた夫の姿を描くラストシーンに出てくる英詩です。

当時、この詩がいったい誰によって書かれたものなのか分からないまま長い年月の記憶の彼方に押しやられていたのでした。改めてこの本を読み終わりgoogleで検索してみようと思いついた。英文でそのままキーワードとして打ち込みました。

おお、出たではないか!一編の詩に行き着きました。
この詩は、「Annabel Lee=アナベル・リー」と題されるエドガー・アラン・ポーの最後の作品なのでした。(詩全部をお読みになりたい方はWikipediaでアナベル・リーと検索すると出てきます)

詩、「アナベル・リー」は、14歳でポーと結婚し、24歳で亡くなった妻、ヴァージニアへの愛を謳ったものだそうで、ポー最後の詩だとされています。

「とどろく海辺の妻の墓」は、その詩の最後の1節です。エドガー・アラン・ポーといいますと、わたしなどは、「アッシャー家の滅亡」の幽鬼推理小説家としての一面しか知らず、詩人でもあったとは。無知なり。

Wikipediaで検索しますと、ポーの大まかな人生が書かれていますが、残した作品に違わない(たがわない)ような激しい愛の一生を終えた人です。

40年近くも経ってようやく「ゼロの焦点」のラストシーンが、このポーの人生の結晶である「アナベル・リー」の詩につながったのでした。

う~ん、これは清張ばりに言うと「点と線」が繋がったとでも言えるかしら。(註:「点と線」は松本清張の推理小説)

ではまた。

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某月某日

ポルトガルの書店、みやげ物店などポルトガルのあちこちで似顔絵がよく見られるほどに、フェルナンド・ペソアは国内で人気がある詩人です。少し、詩人のおいたちを紹介してみます。

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Wikipediaより

1888年にリスボンで生まれましたが、少年期を英国領だった南アのダーバンで過ごし、英語で教育を受けています。これは後に英語ポルトガル語の翻訳家の道へもつながります。

17才で南アからリスボンへ帰国後、リスボン大学で学びますが中退し、やがて文壇の世界に入っていきます。ペソアがよく通ったカフェ「A Brasileira」の店先では彼の像が椅子に座っています。

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リスボンのシアードにある1907年にオープンしたカフェA Brasileira

イスに座るフェルナンド・ペソアの像
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生前のペソアは詩人としては一般にあまり名が知られていませんでしたが、O・ヘンリーやエドガー・アラン・ポーなどの作品、ナサニエル・ホーソンの「緋文字(高校時代にわたしが読んで衝撃を受けた本)」など多くのポルトガル語翻訳を手かげています。

ペソアはまた、神秘主義思想やヘルメス主義の熱狂的な支持者でもあったようで、占星術や錬金術にも強い興味を持っていました。案の定、宗教はNeo Paganism(異端教)、 Gnosticism(グノーシス主義)とあります。

サラザールの時代(1933年ー1974年)、1935年には、ファシズムへの批判を書きフリーメーソンを擁護したかどで、ペソアの作品は全て出版禁止の憂き目にあい、同年肝硬変で47歳で亡くなっています。

生前出版されたのは英語で書かれた4冊の本とたった一冊のポルトガル語詩集「Mensagem(メッセージ)」のみです。

Pessoa_2023_4.jpg
手元にあるフェルナンド・ペソアの詩集Mensagem

詩集は3部に分かれた44篇の短い詩からなっています。第一部は「Brasão(紋章)」、第二部は「Mar Português(ポルトガルの海)」、第三部が「O Encoberto(隠されたもの?)」

詩人としてフェルナンド・ペソアが世に名を馳せるのは、死後50年が経った1980年代半ば、サラザールの時代が終わり、彼が残した木製のトランクに入った、25000ページ以上に渡る遺稿が発見されてからです。

ペソアの詩については、詩の解釈は人それぞれにあるでしょうし、まして原語となると、ポルトガル語を専門に学んだことがないわたしにはとんでもないことですから、言及しないでおきます。興味のある方は、ネットで是非検索してみてください。

ペソアがグノーシス主義だという点は、大いにわたしの興味を惹くところです。

この項、まだ続きます。
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2023年10月17日 

「見終える」じゃなくて、「読み終える」ではありませんか?とつっこまれそうですが、いや、ほんま、「見終える」なんです(笑)もちろん、著者小名木義行氏の解説部分は読むことになりますが、その解説部分とて会意文字、形成文字の勉強が入ります。

第1章の古事記序文に始まり、第2章は創世の神々、第3章伊耶那岐神(イサナキノカミ)、伊耶那美神(イサナミノカミ)二神の国生み、神生み、最後の三貴神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)に至るまで、果たして何柱(柱とは神を数えるときに添える言葉)の神々の名前が出てくることか!とてもとても覚えられるものではありません。

漢字だらけの原文をじぃ~っと見る(笑)何が書かれてあるのか分からんな。知ってる漢字、言葉はなんぼほどあるやろ、と見るしかありませんねん(笑)

このようにして、就寝までの20分ほどを毎夜続けて、ようやく見終えたのであります。自分に読めるかどうか分からなかったので、手に入れたのは第1巻のみ、かれこれ6年ほども前になります。第2,3巻も是非手に入れて見終えたいと考えていますが、第1巻をもう一度時間ををかけて見返します。

以下にわたしがこの本を入手した時のことを書いてあります。

2017年6月5日(月) 

我がモイケル娘に頼んで手に入れた本を、4月の帰国時に受け取って、勿論ポルトで読むつもりでしたが、期待感大きく、とうとう我慢できずに滞在先の妹宅にいた時に開きました。

と、途端に「ぎょえ!」とはわたしの口から出た悲鳴。側にいた妹が「どうしたの?」と驚いて聞きます。 どしたもなにも、これ見て、と見せたのが下の画像であります。

こじき

漢字だらけではないか、と、まるで漢字嫌いの日本語の生徒さんが言うようなことを思わず口走ったのでありました。

「并序」は「あわせはじめ」と読み、現代語で言えば「序文」ということなのだそうです。「原文」とあるように、これは「古事記」の原文序文なのです。「古事記に託されたメッセージは現代の日本人にこそ伝えたい」との謳い文句があった小名木善行著「古事記(壱)」なのであります。

kojiki3_2023.jpg

現代文の解説で読めると勝手に思い込み、開いた途端にこんな原文を目にするとは、トホホ。読み下し文で書かれてあるだろうくらいには想像していたのですが、原文からだとは!

古事記は日本最古の歴史書で平仮名カタカナが使われるようになった平安時代以前のことゆえ、少し頭をめぐらせれば知って当然のことなのですが。テヘッ。

知らない漢字も結構あるなぁと、開いたページをしばらく睨む・・・・ちんぷんかんぷんとはこういうことでありましょう。幸いにして直ぐ横に「読み下し文」がありますが、これとても、声に出して読めど分かったような分からないような(笑) なんだか、モイケル娘が院にて近世文学をとったころに、これはなんと読むんだろかと、親子して頭を寄せ合い四苦八苦した始めのころを思い出しました。

ようやく現代語訳、最後に解説が書かれています。原文は無理として、せめては、分かるようで分からない読み下し文を朗読し、現代語訳、解説だけを読んでいくのはどうかとも思いましたが、それも悔しいではないかと、ここ数日、一日の終わりにベッドに入ってはこの原文とじぃっと睨めっこしていたのであります。

分かってますてば、睨んでリャなんとかなるなんて奇跡は起こりません(笑) しかし、じぃっと見つめているうちに「懸鏡」「「吐珠」「喫剣切蛇」の箇所、これは皇位継承に代々伝えられてきた三種の神器こと、八咫鏡(やたのかがみ)・八咫勾玉(やたのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)だということが読み取れました!うほほほほ。

何も分からないとて降参してすぐ現代語訳や解説を読むのよりも、こうしてまるで謎解きでもするように本を読むのは数年ぶりで、結構楽しいものです。

わたしはかつて平家物語を読んだ折、壇ノ浦合戦で二位の尼は幼少の安徳天皇と共に入水したのですが、では、三種の神器はどうなったのだろうか、海に沈んだままかと疑問を持っていたのですが、今回は検索してみました。

勾玉はいったん沈んだものの箱に入っていたので海上に浮かび上がり現在は皇居に、草薙剣は入水により関門海峡に沈んだとありますが、沈んだ剣は形代(かたしろ=神霊の代わりのもの)で、本物は熱田神宮のご神体になっているとのこと。

八咫鏡についてはこれも壇ノ浦に沈んだのを源義経により回収され、現在はその形代が皇居に、ご神体は伊勢神宮に奉納されているとWikipediaには書かれてあります。

三種の神器は皇族はもとより天皇でさえも実際に見ることはできないと言われるのですから、日本には神代の昔からのミステリアスなものが現存すると言われるのは、とても興味深いと思います。

自分の勉強のために、古事記序文でわたしが調べ面白いと思った部分を今日は取り上げてみました。


ではまた。

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2023年9月22日 

日本から本を送ってもらうのも、ポルトガルでは税関を通し通関税を支払う。それはいいのだが手続きが厄介なのと空港便なのに1カ月以上もかかったりする。下手すると腹立つことに予告なしで返送されるのだ。

それで、子どもたちに本さえも送ってもらうのを諦めた。その代わり、モイケル娘に買いだめしてもらい、息子がポルトガルに帰省するとき、あるいはわたしが帰国したときに持ってくる。今回は、10冊ちょっとの本を東京息子が運んで来てくれた。その中の一冊に随分前から再読したいと思っていた「ラングストン・ヒューズ詩集」がある。
LangstonHughes.jpg

この本はわたしの愛読書の一冊だったが、1978年のアリゾナ留学でアパートの家財道具一切合切を処分するにあたり、他の本と一緒に人にあげてしまった。残したのはジャニス・イアンのソングブックだけだった。何しろ、全財産をスーツケース一つに詰め込んでの留学だった。

さて、ラングストン・ヒューズだが、彼はアフリカ系アメリカ人で1925年、21歳の時に船の下働きの職を得、西アフリカ、ヨーロッパをほぼ無銭で放浪した詩人である。

古本なので少し色あせている。開いて今でも記憶に残っている詩を探してみた。

きみの靴の みぎひだり
両方とも 紐が切れ
だのに 急がにゃならんなら
―― それが ブルース。   「ブルース」

      
その角を曲がって きみ
きみじしんのなかに 
かけこむときは
そのときは わかるんだ
残された角という角を
曲がってきたんだって   「さいごの曲がり」


みんな、云っとくがな、
生まれるってな、つらいし
しぬってな、 みすぼらしいよ――
んだから、掴まえろよ
ちっとばかし 愛するってのを
その間にな。       「助言」


墓場はいちばん
安上がりの 下宿屋だ。
そのうち  みんな
いつか そこで 間借り。
金持 貧乏人 おなじように 
仕切られる     「下宿屋」

おれは人生ひろいあげ
はこんでいって
おろすんだ
シカゴ デトロイト バッファロー スクラントン
北部や 東部の
どこにでも――
が、南部(ディキシー)はいけねぇ。

訳者は全て木島始氏。

ラングストン・ヒューズのパリ滞在はお金に事欠きずっとひもじい思いをしたようだが、彼の自伝に描かれているパリは、EUの移民受け入れ政策ですっかり様子が変わってしまった今と違い、高校時代にわたしが憧れ、密かに雑誌から切り抜いたパリの町の写真を生徒手帳に挟み込んでいたた街とも重なる。

半世紀を経て再び手に取ったラングストン・ヒューズ、木島始の訳詩は心に響いてくる。いいものは時を経ても決して死なないのだ。

ではまた。

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