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2022年7月26日 

古い日記にこんなことを書いている。

―それにしても家の中の静かなこと・・・
モイケル娘、または息子がいる、寝ていると分かっての家の静寂と、もうおらんのだ、日本へ帰ったのだ、の静寂は大違い。

「お~い、いつまで寝とんのよ~」「ちょっとくらい部屋整理して!」
「整理のコツ!使ったものはすぐもとあった場所に戻す!」
「テーブルセッティング、早よ、せ~」(昔からこれは夫、もしくは子供たちのルーティーンであ~る)
「パソコン、まだか~」(夫のPCは重いので誰も使いたがらない。結局わたしが日常的に仕事で使用しているPCの取り合いになるのであ~る。

こんな取るに足らない小言を言う相手がいないというのは、ほんま、わびしい、寂しい^^;この寂しさは、4、5匹の愛猫相手で間に合うもんではありません。かつては5匹飼っていたんであります。

夕べから「あ~あ、つまんない」を連発して、夫に「だから言わんこっちゃない。日本に送り出すからだ」と言われては、表面は「フン!」、内面は「しゅん・・・」

お掃除のおばさんが来て、もぬけの殻になった娘や息子の部屋を見て、「あらら、もう日本へ行ってしまったのですね」の言葉には、おっかさん、うかつにも泣きだしそうになったりする^^;―

子どもたちが日本へ帰った後の抜け殻感にはどんなに月日が経っても慣れるものではありません。

さて、モイケル娘が一時帰国したある年の彼女の言葉で、印象深かったのがひとつありました。

「おっかさんと親父、性格の違いだけじゃなくて、文化の違いもあるんだねぇ。一緒に住んでいた時は気づかなかったけれど、数年ぶりに来て見て分かった。」

うほほほほ。あんた、ちょっとは大人になったじゃない(笑)惚れたはれたの間は見えないのだけれど、これが一緒に暮らすとなると、国籍の違う者同士、どうしても文化の衝突はある。

わたしたち、派手なやりあいはしないけれども、個人的な些細なことがきっかけで終いには、

「日本のこんなところは、よく目にしたよ。そういうところは、ああだらこうだら」
「なによ、ポルトガルだってこういうところがあるじゃない!」
と、日本対ポルトガルの国同士の言い合いに高じることは、時々ある(笑)

個人の趣向の違いももちろん、出てきます。例えば、音楽を聴くとき。わたしはボリュームを大きくして、音楽を満喫したい方。片や、夫は、かなり低いボリュームで聴きます。わたしから言わせると、「そんなんじゃ、その音楽のよさがわからんじゃん!」です。

息子や娘、友人たちが呆れる「バター戦争」もそうです。夫は固いバターを、うす~くナイフで抉り取り、パンにつける。片やわたしは、「それなら、冷蔵庫の外に出しておけばいいじゃない。固いバターは、バターそのものを食ってるみたいでイヤ!」(もちろん、夏は別です)

それで、どさくさにまぎれて外に出して置くと、「バターを冷蔵庫に入れておくべし」と、夫。
毎日食べるバターです、冷蔵庫外に置いたとて、夏は別にしてイタンデしまうところまで行く以前に食べてなくなってしまうのです。(←わたしの言い分)

要は、彼は固バタ党、わたしはソフトバタ党。んじゃ、今日からバターは二つにすれば?こっちの箱にはyukoと書いて置く。外だ、冷蔵庫に入れるなよ~。そっちの箱にはCarlos!これでどうよ!」とまぁ、こんな具合で(笑)

近年はこれにりんごも加わった。りんごの里弘前で育ったりんご娘のわたしは見た目でそのりんごが私好みかどうか大体わかる。

かじったときの固い歯ごたえが好きである。近頃はりんごの匂いがしないのが残念だ。と、言っても最近は歯がもろくなったので、さすがかつてしていたような、りんごそのものにかぶりつくことはしなくなった。が、夫が買ってくるりんごはいつも柔らかい。んもう、これ、りんごじゃないよ。煮るか焼くかしないと、とがっかりするのだ。

子供たちはそういう親のヘンチクリンなやりあいを見てきており、恐らく「なんでこうなるのか?」と思っていたことだろう。

育った国柄が違う夫婦がひとつ屋根の下で生活するとなれば、多かれ少なかれ大げさな文化の衝突はあるわけで、そのバックグラウンドの違いを越えて、ある程度譲り合わないとうまくやっていけない。

モイケル娘がそういうところに目が届くようになったのは、やは、日本の生活を通して自分も少なからず経験するところがあったからに違いない。息子も娘もちっとは大人になったと思った年であった。

我ら夫婦の些細な文化の衝突は同居生活40年以上経た今でも小憎らしく顔を出してくる。それを口に出すか飲み込むかは、その時の、多分わたしの虫の居所次第なのかも知れない。夫から言い出すことはあまりないのだから。はははは。

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2022年6月14日 

4人家族だったのが、二人の子供たちが日本に住み着き今では夫婦二人暮らしだ。5匹いた猫たちも順番にお迎えが来て、16歳のゴローネコ一匹になってしまった。

子どもたちがいたころは、掃除、洗濯、アイロンかけを毎日のようにしていたものだが、それも回数がぐんと減った。それでもコロナ禍以前は、土曜日のグループ日本語クラスは借り教室でしていたが、週日は毎日のように個人授業の生徒さんが出入りしていたので、入り口ホールとリビングルームはしっかりと掃除していたものだ。

なにしろ、5匹も猫がいたので猫の毛も生徒さんが気にならないようにせっせと掃除。と言えば聞こえがいいが、あの・・・^^;週に2度、掃除のおばさんに来てもらってたのである。

今は、上述したように夫と二人、ネコも一匹、それに日本語はオンラインにしてしまったので、生徒さんが家に入ることもなくなった。で、我が家の3代目もお掃除のおばさんは、週に一度やってくるドナ・アナ・マリアだ。

2代目のおばさんは我がモイケル娘が誕生する前、つまり夫の母たちと同居していた頃からの人で、遠方へ引っ越しするまでの20年以上も我が家に出入りしていたのである。今日はその2代目の掃除のベルミーラおばさんの話だ。以下。

某月某日 ポルトガルのコネ社会
 
今の若い人については、家を訪問したことがないので分からないけれども昔のポルトガル女性のきれい好きは半端ではなかった。

現代と違い専業主婦がほとんどだったこともあるだろうが、それにしてもその徹底さには感心を通り越して、そこまでやる意味がどこにあるんだぃと時に反発を覚えたくらい、亡くなった夫の母や叔母たちは家の中をピカピカに磨いていたものだ。

台所にいたっては、本当に先ほどまでここで料理し汚れた食器が重ねられていたのかと思われるほど台所は片づけられる。調理台にはきれいなレースが置かれて、その上には台所に相応しい陶器の果物入れや置物などが飾られるのだった。流し場には水滴ひとつ残さない。

3時間もすれば再び台所で料理をすることになるのだというのに、いい加減な片付け方をしないのである。嫁いできた当初それには驚いた。 ある日、手伝いをせねばなるまいと思い夫の母やおば達と一日中一緒に台所に立った日のこと、残念ながら修行の足りないひ弱な我が両脚は大根のようにパンパンに腫れ上がったものだ。

ピカピカに磨かれた家中の家具にはたいてい手製のレース編みのテーブルセンターやテーブルクロスなどが敷かれる。わたしがポルトに来た40年ほど昔は、バスの中で、電車の中で、病院の待合室で、果てはいかがなものかと思われたが、公の場での、例えば郵便局、市役所などの窓口でさえも女性職員が暇を見てはせっせと編み物に手を動かしていたのさえ、目にしたものだ。

さて、話を戻して。週に2度、もう解雇したくも解雇できず(倹約のためなんですが^^;)ずるずる今日まで20年間午前中の3時間、大きくもない我がフラットの掃除を頼んでいる、Dona Belmira(ドナ・ベルミラ)というおばさんがおります。

Donaと言うのは、ポルトガル語で既婚女性の名前の前につけられます。例えばわたしの場合は、「Dona Yuko」と言う具合に。ま、奥さんということでしょうか。

さて、そのD.(Donaの略)Belmira、今朝我がフラットのドアを入るなり、自分が先日行った血液検査クリニックでの不満をまくし始めた。

ポルトガルでは血液検査は病院ではしない。それ用の場所があり、そこで採血してもらい、後日検査結果を受け取りに行き、それから、その結果を病院の担当医にもって行って診断を仰ぐのである。

D.Belmiraが何に立腹してるかといいますと、こうです。

どこもそういう検査のクリニックは人でいっぱいになるのは目に見えているので、家を朝早く出た。それでも自分の番号札は44番。じ~っと我慢の子、自分の番号が呼ばれるのをまだか まだかと待っていたのだそうです。

だんだん44番に近くなり、いよいよ42番が呼ばれた。彼女の番号札は44番だ。いよいよ次の次だ。すると、42番から43番、44番をすっとばして50番54番を看護婦さんが呼んだのだそうだ。こういうことはよくあるのです^^;これは看護さんが番号を間違えるのではなくて、間に知り合いとか、知り合いの紹介とかの人をサーッといれるのでして^^;言うなれば、コネですね(笑)

D.Belmira、黙っておりませんです(笑)なんでよ。なんで43の次が50になるの!と、早速その場で看護婦をひっつかまえて、一席ぶった。

「ちょっと、看護婦さん、お待ちよ。今、呼んだ番号、何番と何番?
この番号札、順番でしょ?」
「そうですよ」と看護婦。
「あたしゃ、44番なのよ。43の次がなんで50になるの?」
「あたしの里じゃ、43の次は44が来る。50は49の後と学校で
教わった。ここは違うのかい?」

ここまで聞いてわたしはキャハハハハと大笑いしてしまった。
更にD.Belmiraは続ける。

さすがの看護婦もこれには抗しきれず、仕方なく43、44と呼びなおし(笑 )しかし、その後がいけまへん^^;

「見てくださいよ、D.Yuko!」と採血の痕がついてる腕をわたしの目前に突き出し、「あの看護婦ったら、腹いせに2度も間違った振りして、針が通らないとこに突き立てて!」見ると、腕の同じ箇所に3つの注射針の痕が(爆)

必ずしも故意にしたとは思われないが、なんともわかりまへん^^; えらい気の毒なことではありましたが、わたしは、D.Belmiraがプリプリ怒っているのに拘わらず、「あっはははは」と大声で笑わずにおれないのでした。

こういう小さなことから大きなことまで、ポルトガルがコネ社会であるのは間違いない。フェアじゃないと知っていながら、時々わたしも夫の七光りを受けて、43番の次に50番が来るようなことをしてもらってることが残念ながら・・・ある^^;

そのようなことを自ら頼みはしないが、日本から日本人の妻を連れてきたというので、夫を知っている人たちは、知らぬ間にそういう計らいをしてくれてるはずです。そう思ったら、「あっはははは」と笑った後で、気がひけてしまいましたっけ・・・

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2022年6月5日 

ポルトガルに来て、わたしたち家族は2度の引っ越しをしました。
最初の6年間は、夫の母、夫のおばとわたしたち3人家族で小さな家でした。モイケル娘が誕生する少し前に、夫の母たちが住む同じ通り、言わばスープの冷めない距離にある借家に移りました。

そこに16年ほど住み、それから終の棲家となった今のフラットを得たのですが、ここも夫の母たちが住んでいた家のすぐ側です。要は40数年同じ地域を居にしているわけです。

物が増えると引っ越しは大変になりますが、子どもがいるとどうしてもそうなり、彼らがいなくなった後も、子どもたちの物は使わないと言うのに夫婦二人の家で、それらはふんぞり返っているのであります。

何とかしなくちゃと思いつつ、子どもたちの思い出がつまっている部屋、家具、細かい物たちを思い切ってパッと処分できないでいます。断捨離するぞぉと宣言してこのざまです。あはは。

引っ越しと言えば、息子とモイケル娘の日本でのこんな笑ってしまう話があります。

2011年某月某日

何かにかこつけて、少しでもお金をふんだくるのが日本であると、こと大学入学費や引越し代が身にふりかかる度に思います。入学金が高すぎる、こんなにとらんでもええやないの、とモイケル娘の大学入学の時には本当にそう思いました。若い時、日本で2年ほど留学したことがある夫でも「君、桁ひとつ間違ってるんじゃないの?」と言ったくらい、ポルトガルとは二桁も違う入学金額でした。

賃貸アパートについても同様です。
「アパートの方が安いね。アパートとマンションとなんで値段がちがうのかな・・・?」なんて、すっかりポルトガルボケしてしまったわたしに、今じゃいっぱしの日本人になりつつあるモイケル娘が言う。

「おっかさん、マンションはアパートより壁造りがしっかりしてるんだぃ。」
「兄貴のように音楽をするのには、マンションじゃなきゃどんなことになるやら」

こんな話を切り出すのは、我がモイケル娘と東京息子、先週土曜日に引越ししたからであります。理由は、今まで住んだちっちゃなマンションが2年過ぎたので契約更新となり、またまた更新料の15万円、出費になるのだそうな!

いったいそれはなんやねん! ということは、月々の家賃が実質、今現在払っているのに+6000円ということじゃん!と怒ってみても、今時はどこも2年ごとの更新だと言う。そうでないところはそれなりに何かあるのだそうな。たまったもんではありません。それでも仕方がないので、黙って更新料を払うか、「もうええわ、こんなとこ。出てったる!」となるかです。

で、結果、我が子たちは「出てったる!」を選んだのであります(笑)

今まで息子の部屋として使っていたのがどうも日当たりが悪く、一日中暗い。「日本でお金を貯めてくるよん^^」などと調子のいいことを言って2年前にポルトを後にした息子はそれが気に食わない。

引越しするには新たに礼金やら敷金やらが必要になります。二人で分担するとしても、東京息子はあるの?と聞くと、

「ない。でも、
モイケル銀行がローンで貸してくれるのだ」 あっはははは!当時、モイケルは働きだして2年、既に大学院で勉学するために貯金し始めていたのだろ。

引越し先は今の住居から5分ほど離れたところだと言う。引越し前夜の金曜日も深夜近くだというのに、東京息子はご帰宅していないとモイケルが言う。「こういうヤツだ~。もう当てにしない!」と多少おかんむりだ。それにしても引越し荷物は4階から運びおろすのだ。息子、どないする気やねん?

もちろん引越しやの手配はしてあるのだが、聞くと「安いのを頼んだから何時に来るのかわからない」・・・・・その間に旧マンションと新マンションを行ったり来たりの荷物運びをするのだと言う。てっきり引越しやがいっぺんに荷物を全部運ぶものだと思っていたおっかさん、

おっかさん: 自分で運ぶって、じゃ、引越しやは何を?
モイケル:  冷蔵庫とか洗濯機とかの重いものだけ運んでもらう。
        後は段ボール箱に詰めたりして、自分でレンタルの台車で運ぶ
おっかさん: だ、台車?
モイケル:  うん、ほら、これだ。

2022_daisha.jpg

おっかさん: ・・・・・・・・たった5分の距離とは言え、こ、これで
       人通りをガラガラ押して運ぶん?(爆&汗)

モイケル: ええのだ。だって、全部運んでもらうと、近距離とは言え、
       4、5万とられる。重いものだけ頼んだら17000円で済む。

日本の大学を目指したとき、バイトは極力避けて学業第一にせよ、との親の忠告を聞き、バイトは殆どせず足りなげの仕送りでやり繰りした大学生活4年間、耐乏生活から娘が学んだことは、「自分でできることは、なるべくお金を払わずにする」であろう。えらい!

と思いながらも、ガラガラ台車で段ボール箱を積んで押していく姿を想像しては、クックックッ・・・と笑いをかみ殺していた母でありました。


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2022年5月31日 在住44年目に:月日は流れわたしは残る(3)

大阪でのビアハウス歌姫バイト時代から今に至るまで、わたしは色々なことに携わるチャンスに恵まれて来たと思います。

息子が日本の就学年齢に達した1987年にポルトに進出してきた日本企業の児童たちを中心にポルト補習校が開設されました。当時ポルトに在住する日本人がほとんどいなかったため、運よく講師の仕事を依頼され22年間続けました(2009年退職)。これはわたしに教えるための工夫を考える楽しさを与えてくれ、同時に自分も学ぶことが多くあるということを気づかせてくれました。

校則もない、ちいさな塾のような11名の生徒とガイアのCanelasにあったThe Oporto International School校舎の教室を借用して、複式授業が始まりました。あったのは教科書のみで、なにもかも手作りの教育現場でした。

1987_1_1.jpg
1987年ポルト補習校の設立祝い。生徒父母ともに借用校のパテオにて。この子たちは今どうしているだろうか。

この15年ほどでポルトに在住する日本人は随分増えましたし、みなさん、高学歴をお持ちです。今なら、補習校の仕事は学歴不足のわたしには声がかかってこないでしょう。講師を体験できたのは幸運なことでした。

また、補習校の出現は我が子たちの日本語教育にも好影響を与えました。息子などは、これまで母親からしか耳にしなかった生の日本語が、毎週土曜日、日本から来たこどもたちと教室で学習しながら聞けるのです。

我が子の日本語教育は母親であるわたしがしようと生まれた時からそう決めて、家庭で工夫して教え始めていましたが、この時期、海外子女教育財団の通信教育をわたしは既に息子のために申し込んでいました。

補習校通いの子どもたちは高学年になって行くと、普段毎日通う現地校の宿題、補習校の宿題、毎月の通信教育を併せて三重苦と俗に言われた、子にとっても親にとってもなかなかに厳しい学習環境でした。

家庭では我が子たちには机に向かう習慣をつけてもらうために、幼児期からわたしが準備し一緒に座ってわずか15分ほど学習するというのから始めました。息子は9年間以上、モイケル娘はそれ以上これを継続しましたが、この経験は今の彼らの礎の幾分かになっているはずだとわたしは確信しています。

我が子の日本語教育の事始めについての日記を下記に。

某月某日

ポルトガルでの我が子たちの日本語英語教育は、35年ほども前の昔のことですから、社会の状況も変わり、そんなに興味の湧かない話ではあると思います。
幼児、小学校低学年向けの、英語教育教材も、ひらがなカタカナ漢字、さらには計算習得の
教材は、現在では数多くあって、どれを選べばいいのか選択にとまどうほどです。

わたしの場合は、それらがなかったので手元にあるもので間に合わせ、後は「自分がアレンジして作成する」これのみです。

British Schoolは当時はまだ5歳児のPrep(5歳児の小学校準備クラス)しかありませんで
したので、息子が4歳になると、ポルトにただ一校ある私立のイギリス・キンダーガーデン
に一年間午前中のみ通わせました。

今とは交通の便が違います。朝のラッシュ時は恐ろしいものでした。今なら市内を巡る自動車道路を走らせて20分ほどで行ける海の近くのその幼稚園が当時は朝、交通停滞が故、車でゆうに1時間はかかったのでした^^;

息子を送り出した後は、午前中時間ができました。義母さん、ふたりの年取ったおばさん、それに我ら3人家族が同居していた当時の家は、週に2度、お手伝いさんが来て掃除をして行きます。

義母さんを始め同居のおばさんたちも、一緒に掃除に動き回りますから、小さな家はいつもピッカピカです!わたしの役目は、と言うと、どうやらあまり手を出さないほうがいいらしい(笑)というわけで、さよう、時間だけはたっぷりあったのでした^^

息子がいないその午前中たっぷりの時間を使って、わたしは教材作りに励みました。それがまた、楽しかったのです。1ページ1ページ、鉛筆の手描きですぞ(笑)ご覧あれ、この写真!

kikoku1-note_1.jpg
35年ほど前の4歳の息子のための手作り練習帳の一部。

中身はこんな感じ。

kikoku2-note_1.jpg

オリジナルの一冊に、子供がそのまま書き入れると、一回書き込んで終わりです。日本から取寄せるのも簡単に頼めない、コピー代もべらぼうに高かった時代で、とてもそんなことはできない。

入手したオリジナルの絵を写し、マスを書き、クレヨンで色付けします。このようにして、絵を見て物の名前を覚え、ひらがなで書き込めるように、毎日2ページほどを手描きで写しました。

読みは3歳で、英語の真っ赤な文字から入って、4歳にはこんな風に日本語の生活に密着する言葉の、「見ながら書きながら覚える」を導入。これをたゆみなく続け、5歳では、足し算を始めました。

覚えてもらうのにかける時間は「ゆっくりと、急がず」。そして、決してイライラして怒らないこと。
何度も何度も同じことを繰り返し手描きし、子供と一緒に必ず机に向かって座り、時間は長くてせいぜい15分!

褒めますと喜んで、「もっとしたい!」と言い出します。でも、ここがコツ。「今日の分はこれで終わりよ。また明日よ」で、終了です。

夫が仕事から帰宅しますと、今日はこんな文字を覚えたとわたしたちの話は盛り上がる。こうして少しずつ少しずつ夫の日本語の域を子供は超えて行くのでありました。

世の中、グローバル化して便利になりその気になればポルトガルにいながらにして、日本のテレビも見ることができ、欲しいものもたいていは日本から取寄せがきく現在、こんなことに自分の時間をつぶすなど、ちょっと考えられないでしょう。

子育てから開放されてもっと自分の時間が欲しい、自分の好きなことがしたいという母親の話はよく耳にします。わたしも、これやってみたいあれやってみたい、こんな勉強したい、できれば大学の通信教育も受けてみたいと語れる夢や希望はたくさんありました。

が、あの頃のわたしは子供の手描き教材作りに彼らの将来の姿を重ねて喜びを感じていたのでした^^


補習校関係の話はもう少し続きます。
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2022年5月26日

昨日に引き続き。

無一文で嫁いできたもので、飛行機の切符を買うこともできず、帰るに帰れなかった状態を今振り返るとなんと無謀なことをしでかしていたものかと(笑) 昔からの無鉄砲な性格そのままでした。

しかし、それが却ってよかったのでしょう。そうこうしているうちに息子が、娘が生まれポルトガルに住んでいることを忘れるほど、家族や猫たちとの生活に日々おおわらわ、10年経ち20年経ち、ぐ~るぐ~ると4周りもしました。

来ポしてからの最初の孤独感と子育ては自分を忍耐強い人間にしたような気がします。夫の家族との同居6年間で、一度だけ、もうアカン、子どもさえ連れて行けるならポルトガルを捨てて日本に帰ろうと思い、夫に切り出したことがあります。結果は、今ご覧の通り別れることもなく、たいした喧嘩をすることもなく、無事、夫婦で子供たちを育て結婚も今年の3月で44年目に入りました。

息子と年が6歳離れたモイケル娘が生まれようとする頃、夫の母の家が手狭になり、同じ通りのスープが冷めない場所の借家に引っ越しました。結婚6年目にして、自分の台所が持てたのです。当時で築70年は経っていると思われる家でしたが、小さいながらも庭があったのが嬉しかった。好きな紫陽花とバラをたくさん植えてもらいました。そして、たくさんのネコと犬一匹を飼い出しました。

子供たちが幼かったこの借家にはたくさんの思い出があります。その一つを紹介させてください。以下。

桃ノ木

借家だった古い我が家の小さな庭の、一本の桃の木の話です。
ほったらかしで手をかけたことがありません。それでも一年おきに甘い立派な見事な桃の実を提供してくれました。最高で80個ほどの実を収穫したことがあります。自分の庭でもぎとった果物を食卓に運ぶのは格別な幸せがあります。

ところが、この桃の木を私たち家族は誰も植えた覚えがないのであります。庭の真ん中に、ある日、ひょろりひょろりと伸びている植物を見つけて、始めは「抜いちゃおうか。」と思ったのですが、庭師のおじいさんがやって来る日が近かったものでそのままにしておきましたら、おじいさん、抜かないで行ったんですね。庭師が抜かないというのは何かの木であろうかと、のんきなものです、そのままにして様子をみることにしました。
   
それから丁度3年目!見上げるような一人前の木になり、ある早春の朝、二階の我が家の窓から木の先々に薄ぼんやりと見えたもの、「あれ?なにやらピンクの花が咲いてるぞ?」と発見。時節柄からして、ひょっとすると桃の花?」と、あいなったのであります。何しろ床にゴミが落ちていてもかなり大きなのでない限り、見えないほどド近眼のわたしです。
   
さて、台所の出入り口から庭に続く外階段を下りていくと、案の定、まぁ、ほんとに桃の花でありました。桃の実そのものは食べても、桃の花なども、最期に見たのがいつであったかを思い出せないくらい長い間目にしていません。小枝を少し折っては家の中に飾り、子供たちと多いに喜んで観賞したのでした。

その年の夏は、気づかないうちにいつのまにか面白いほどたくさんの見事な実がなり、子供たちと木に登りワイワイもぎとりました。ひとつひとつの桃を枝から手で摘むその感覚ときたら、それはもう、童心に帰ったような嬉しい気持ちと満足感がありました。我が家にあるカゴも箱もいっぱいで、80個以上も摘んだのです。
 
とても食べきれず、生ものですから長期保存はできないので、階下のマリアおばさんにもおすそ分け。で、「本当言うと、植えた覚えがないんですよ。」と言いましたら、おばさんいわく、 「あら、じゃ私が食べた後に窓から捨てた桃の種の一つがついたんじゃなぁい?」
「え?・・・・・・」   

あらま、道理で。わたしたちの借家は3階建てで3家族がそれぞれの階を借りていました。庭の敷地も低い石垣で三つに区切られ、各々使っていたのですが、車庫つきのわたしたちの庭はそのなかで一番大きい庭でした。

引越しする前からカーラがたくさん植えられてあり、それにわたしが大好きなバラと紫陽花をたくさん加えて、季節になるときれに咲いていました。が、りんごの芯やらタバコの吸い殻やらが、庭を掃除しても後から後から落ちているのです。
   
ははん、これは階下のおじさんだな・・・ひょっとして灰皿の吸殻を窓から全部庭に捨てているのかも。自分の庭がうちのすぐ横にあるんだから、なぁんでそこに捨てないのかね。自分のところはこれでもか!というくらいきれいにしといて、ゴミ、ガラクタ類はみな、よそ様のところへ押しやって、って輩が結構こちらにはいるのでありましす。

家の入り口を掃除するも、ゴミを箒で通りへ掃きだすのが、こちらの普通のやり方ではありました。チリさらいひとつで内へ持ち込んでゴミ袋に入れればいいのにと、何度も思ったことですが(笑)

でもまぁ、こうしてマリアおばさんが食べた桃の種を窓から我が家に放り投げたお陰で今まで持ったことのない桃の木の所有者になった訳だし、今回のところは帳消しにしとこう!と相成ったのでした。

2年続けて桃の木は、立派な実をわたしたちにくれました。我がモイケル娘などは、木登りをし、車庫の屋根づたいに裏にあるだだっ広いジョアキンおじさんのCampo(カンポ=畑)の大きな大きな木にまでたどり着き、際どい遊びを楽しんだものです。

そうそう、我が家の子猫がその木のてっぺんに上ってしまい、それにはホトホト手を焼いた。一晩木の上で過ごし、翌日、モイケル娘が木の枝ギリギリのところまでのぼって、ようやっと胸に抱きしめることができたのでした。

3年目にも入ると、桃の木は以前ほど実をつけなくなりました。何しろまったく手をかけなかったものですからね。すると、我が家のお掃除のベルミーラおばさん、

「ドナ・ユーコ、これはお仕置きをしないと!」
お、お仕置き?木にですか?
   
「そうです。木の根元に大きな石を置くのです。」
んまぁ(笑) しかし、その大きな石をどこから手にいれまする?ろくすっぽ世話をしないのですから、毎年たくさんの実をもらおうとすること自体厚かましいと言うもの。結局、お仕置きはなし。


もう随分昔の話になります。その家から数メートル離れたフラットがわたしのツイの棲みかです。庭がありませんから桃の木は我が家の所有物ではなくなりました。

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