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2023年10月4日 

先日、ポルトガルのニュースでトマール市にあるテンプル騎士団修道院(これは旧称だが、歴史のいきさつがあり現在はキリスト騎士団修道院が正式名)のマヌエル建築様式の大窓(Janela de Capìtulo)を洗い終わり一般公開するというのを聞いて、ぎょえ!と思うと同時にがっかりしてしまった。
下はわたしが知っていたかつてのマヌエル建築様式の大窓。ぼ~っと見てるだけでは気づかないたくさんのシンボルが含まれているのである。

Janela_do_Capítulo_2_1

この大窓に憑りつかれてわたしは何度もトマールに足を運んでいる。拙ブログ、左欄のカテゴリ「spacesis、謎を追う」でもテンプル騎士団記事は多くつづっており、某会員用の小冊子でもわたしは3度ほど取り上げて書いている。

ポルトガル語を学ぶことになかなか興味を示さなかったわたしが、修道院の歴史と建物全体に示されている謎を少しでも知りたいがため、独学でポルトガル語を勉強し始めたきっかけでもある。もっとも、もともとのきっかけはというと、「ダビンチ・コード」ではあったが。

ダビンチ・コードでテンプル騎士団を初めて知り大いに興味を惹かれ日本から色々本を取り寄せていたところが、ん?ポルトガルの独立歴史にも関係してくるんだと?と言うことを知り、シンボルコードやグノーシス主義まで探るにいたった。
その我が愛するドン・マヌエルの大窓がなんとまぁ、こんなことに~~。

Janela_2023_1_1.jpg

しっかり白くなって、何と言うか、石そのものが持つであろうそして重厚さ、歴史の重さが感じられなくなった・・・ファンのわたしからすると、これは冒涜のようなものであって・・・・なぁんでこんなことになってしまったん?なのであ~る。

そこで、今回から時々ではあるが、トマールのテンプル騎士団修道院の大窓を中心に再度このテーマを取り上げてみようと思う。本日はテンプル騎士団修道院の紹介にて。

 テンプル騎士団(聖堂騎士団)について
              
聖堂騎士団(テンプル騎士団)にまつわる話はその結成から終焉に至るまでミステリーに満ちている。

聖堂騎士団は西欧中世期に於ける宗教三大騎士団の一つであり、正式名を「キリストの清貧騎士団・ソロモン神殿の騎士団」(The Knights of theTemple ・the Poor Soldiers of the Temple) と称される宗教的軍事的団体です。(註:Templeとは古代エルサレムにソロモン王が建設し、後に破壊された神殿のこと)

2020_solomontemple1.jpg
ソロモン神殿画像の一例。神殿正面の二本の柱は右がヤキン、左はボアズと呼ばれ、フリーメーソンのシンボルでもあります。

12世紀の初めにフランス人ベルナール・クレヴォー(後の聖ベルナール。シトー会クレヴォー修道院の創立者。)により任命を受けたユーグ・ド・パイヤンをグランド・マスターとする9人(11人と言う説もある)からなるこの騎士団が後に聖堂騎士団として知られるようになります。

表向きは聖地エルサレムへの巡礼路警護としていましたが、彼らの行動はその目的から逸脱しており、専ら彼らがしたことは、ソロモン神殿の跡地に宿営して、9年近くもの時間を神殿の丘の地下発掘に費やしたことだと言われます。
 
生涯独身であることを強いられた聖堂騎士団は、やがてフランスのプロヴァンスを始め、シャンパーニュ、イングランド、トスカーナ(イタリア)、更にアラゴン、ガリシア(スペイン)、スコットランド、ノルマンディ、ポルトガルが騎士団勢力の主だった中心地となり、騎士団に寄進された彼らの不動産はバルト海から地中海、大西洋岸から聖地にまで及ぶ広大なものでした。

しかし、聖堂騎士団が大きな城を所有できたのは、アラブ人との戦い(アラブ人からの国土奪回戦争=レコンキスタ運動)の中にあったスペイン、ポルトガルに限られていました。トマールの「テンプル騎士団修道院」がそのひとつで、ポルトガルに於ける騎士団の総本部でした。

ポルトガルの歴史で「テンプル騎士団」の名前が言及されるのは、ポルトガルがまだ独立国として建国されておらず、「ポルトカレンス」と呼ばれていたスペイン・レオン王国の領地だった1120年代のことです。

当時ポルトカレンスは、領主亡き後で、後にポルトガル建国初代王となる「ドン・アフォンソ・エンリケス」(D.AfonsoHenriques)王子の母、ドナ・テレザが統治していました。

1120年代のとある日、ドナ・テレザは、徐々に騎士修道会として頭角を現してきたフランスのテンプル騎士団初代グランドマスター(総長)「ユーグ・ド・パイアン」から、「ポルトカレンスでのテンプル騎士団居留地の提供依頼」の書状を受け取ります。

イベリア半島は、レコンキスタ運動と称して(レコンキスタ=国土を再び征服する)イスラム教徒からの国土奪回戦争がこの時まで既に400年近くも展開されており、ドナ・テレザはこの要請に応じて、中部、現在のコインブラ近くのSoureに駐屯地を与えたことから、ポルトガル・テンプル騎士団の歴史が始まることになります。
 
テンプル騎士団の総長、グランドマスターは終身制、各国にはマスター(管区長)が置かれ、ポルトガル初代のマスターは、トマールの銅像に見られるように「Guardim Pais(グァルディン・パイス)」です。

GualdimPais.jpg

テンプル・キリスト騎士団修道院は12世紀の初期テンプル騎士団時代から16世紀まで4世紀を経て増築され、ロマネスク建築、ゴチック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築の不思議な併合は訪れる人を飽きさせないでしょう。


ではまた。

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2020年8月24日 ドン・マヌエルの大窓・鈴の謎

下の図はバチカンで見られるラファエルの有名なフラスコ画「アテナイの学堂」である。

atenainogakudou1.jpg

この中でわたしが分かるのはピタゴラス(1)、ヒュパティア(2)、プラトン(3、ダヴィンチを重ねていると言われる)、アリストテレス(4)、ミケランジェロのモデル(5)くらいだ。

登場人物が古代ギリシャ哲学者が多いので、それがカトリックのバチカンにあるのは不思議だと思ったのだが、この絵はキリスト教神学と非キリスト教のギリシャ哲学との融合を意図して描かれたものだと言う。

さて、トマールのドン・マヌエル大窓にある鈴の謎をを調べるにあたり、なんでここでピタゴラスやねん?と思うであろう。
しかし、この鈴とピタゴラスは秘儀参入の原理を象徴し、「天体の音楽」理論で知られる哲学者ピタゴラスは、ヨーロッパ史上最初のエジプト神殿の謎を伝授されたものとして確認されている人物だ。

「鈴」のシンボルは何を意味するかと検索すると、日本語では簡単に出てくる。
古来より鈴には「邪なるものを祓う力」があると考えられてきた、鈴そのものにではなく、「鈴の音」に力があるということでするということだ。

日本では土鈴が初めで、古墳時代中期の5世紀ごろになると金属製の丸い鈴が出現したと言う。鈴は、縄文時代にクルミなどの木の実やマメを振ると外殻や鞘の中で種子が動いて鳴ることに着想を得て作られた道具ともいわれる。マメや木の実の種子が殻や鞘とはくっついておらず何処にもつながれていないのに外殻とともに成長するというのは、人間にとってこのうえなく神秘的であった。(Wikipediaより)

鈴の音が「邪なるものを払う力をもっており、魂を清浄する」となると、日本で神具として使われている理由が分かる。

ところが、鈴を「bell」で検索すると出てくるのは「鐘」だ。(ポルトガル語ではguizoと言う)この時に、ピタゴラスが鐘を使って実験し「ピタゴラス音律」を導出したことに行き着いた。

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鐘を使って音律を探るピタゴラス

しかし、これは鈴ではない。更に調べていくと、ヨーロッパでは鈴が出現したのは中世期(14~16世紀)だそうだ。ふむ、ドン・マヌエル一世国王と時代が重なるではないか。

あれこれと検索の回り道をせざるを得なく、ある日「鈴、鈴」と探してふとたどり着いたのがタロットカードである。

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これはわたしが持つマルセイユ版とユニバーサル版(ウエイト版を現代風の図風にしたもの)の2種類のタロットカード。

ちなみに、わたしはこれで占いはしない。これを入手したのは随分昔で、「シンボルコード」を読んでいた時に、タロットカードは、輪廻、再生、霊的復活、変容といった異端のテーマ(神秘主義・ヘルメス思想=錬金術)に触れており、あきらかにローマカトリック教会の教義に反する精神性を説いているとあったもので、しからば、是非直接目にしてみたいものだと、ポルトのダウンタウンMistic Shopで手に入れたものだ。

14世紀に出現したタロットカードは、カトリックから抑圧された「聖杯信仰をする教会」のための教義問答書のようなもので、聖杯を崇拝する中世の異端と間違いなく関連すると思う。

下はタロットカードの中の一枚、「愚者」。すなわち「0」である。

tarrocard2.jpg

「0」は卵で覚醒への秘儀的な道を経て霊的な再生を果たす可能性のシンボルだと言う。犬(Dog)は中世イギリスのシンボリズムでは「神(God)」のアナグラム。愚者にはわたしが検索してきた「鈴」が腰にも胸にも数個ぶら下がっている。

愚者の逆位置、つまり、逆さまになったカードは「終わりからの再生、精神的な目覚め、悟りを開く、知識を求めての旅」を意味し、行く先々での聖職者の詮索(異端審問)をごまかして、神秘主義の教えと伝える役目を負っていたと言われる。

鈴の数は、この人の「輪廻転生の数だ」との文に行きついた。
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ポルトガルのテンプル・キリスト騎士団修道院には、この大窓に限らず、ポルトガル王、ドン・マヌエル一世の大窓に彫られてある鈴、その他、諸々のシンボルも併せてみると、カトリック国にあって、王は神秘主義者であったことを表しているのだとは、わたしの推測だ。

カトリック信者にあらずんば人にあらずと、ヨーロッパ中世の異端審問は12世紀からガリレオ裁判の17世紀に至るまで、国王、著名な芸術家たりとも恐れたほどの強力さ、時にはその権力を残酷にローマカトリック使用したのである。

ウンベルト・エーコ原作で中世の修道院を舞台にした映画、「薔薇の名前」でも、異端審問の恐ろしさが見られる。

宗教にあまり敬虔でない日本人のわたしには、想像し難いヨーロッパの中世社会だが、そういう環境から、タロットカードや大寺院に彫られた不思議なシンボルメッセージが生まれたと思うと、ローマカトリック教がいかに凄惨な歴史を刻んできたかを知ることができる。

というので、今回はドン・マヌエル大窓の「鈴」の謎が数年ぶりでわたしなりに解けたことにしたいと思う。

ただし、これはあくまでもわたしの推測だということを付け加えておきたい。

なお、下記では、ミケランジェロの頑固なバチカンへの精いっぱいの反抗について、書いています。興味がある方はどぞ。

・システィナ礼拝堂の隠されたミケランジェロ暗号(1)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1893.html

・システィナ礼拝堂の隠されたミケランジェロ暗号(2)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1895.html

・ミケランジェロのポルタ・ピア門
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1907.html
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2020年8月21日 ドン・マヌエル大窓の様々なシンボル

暇をみてはパソコンに向かい、探し物をしている。

自分が撮影してきた画像、特にトマールやシントラなどの資料となるべき写真は、時にじっくり眺めたりする。なにしろ窓が大きくて、その場では細部まで気づかないのである。

何度か訪れてきたトマールの元テンプル騎士団修道院、現在はキリスト騎士団修道院にあるドン・マヌエルが造らせた「大窓」の写真を大きな画像のまま、既に紹介済みの「ベルト」や「ドラゴン」などを眺めながら、面白いものだなぁ。大の大人、国王たる者にこのような不思議な建築様式をさせるその根本はいったい何なのだろか、とそこが知りたくて追っかけをしている。

今回は大きくした画像を眺めながら、ふと長方形の大窓の上にある丸窓に目を移した。
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ゴチック様式建築ではよく見かける丸窓です。窓にある渦巻状模様がひとつ、ひっかかってはいたのだが、これまであまり気にとめずにきました。

しかしですぞ、わたしとしましては心踊る発見をこの丸窓にしたのであります!拡大した画像にみえたのは、これです↓

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こ、これはなに?よくよく見ると人間の顔、そして前に両手。。。スフィンクスではない?

画像を拡大してよく見ると羽を持っているように思われます!「翼を持つスフィンクス」には、アッシリアやペルシャ王朝時代のスフィンクスがあります↓

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ペルシャ王朝のダレイオス・スフィンクス(480BC) 
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トマールのキリスト騎士団修院は12世紀にテンプル騎士団によって建てられ、17世紀にかけて増築を重ねたものです。

特にこの大窓を造らせた16世紀のドン・マヌエル王の時代は大航海がもたらす巨万の富によりポルトガルが栄華を極めた時代。ドン・マヌエルはポルトガル歴史上、最もリッチな王と言われます。

このマヌエル建築様式の大窓に何が故、スフィンクスが置かれているのか。この丸窓の渦巻き模様の外にもまだ面白いシンボルがあるのです。↓

tomar
樹の根を両手で支えている帽子をかぶった男の顔。

suzu.jpg

↑わたしがずっと検索していたものの、未だにひっかかってこなかったシンボル「鈴」の意味。鈴のシンボルは大窓の他の箇所でも見かけられます。

ドン・マヌエル王はこの巨大な窓にこれほど多くのシンボルを隠して一体後世の人々に何のメッセージを残したかったのか。或いはこれらのシンボルはそれを解読できる極一部の人たちに残したメッセージなのか。だとすれば、それは誰になのか?

キリスト騎士団の総長の名を冠した王だが、これらのシンボルから見える王のプロフィールは、カトリック教会から見れば「異端」と糾弾されてきた、秘儀参入者そのものとわたしには思われるのです。

ドン・マヌエル王の謎に挑戦するわたしは、あたかも「朝には四足、昼には二本足、夜には三つ足の生き物はなにか」と謎を投げかけては、それを解けない旅人を殺していたと言われるテーバイの美しいスフィンクスの前に立つ凡な旅人のような気がしないでもない。

この謎解きにはとても時間がかかり、多くの資料に目を通すことになるのですが、ポルトガル語やえいgダヴィンチ・コードから発したライフワークです。

次回は、鈴のシンボルの謎について。
本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。

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2020年8月17日 聖ジョージの黄金伝説

下の絵はラファエルによる「聖ジョージとドラゴン」です。聖ジョージの象徴は白馬、竜、赤い十字。

SaintGeorg2_2020.jpg
wikiより。

聖ジョージはカッパドキア生まれでローマの軍人ですがキリスト教徒だったと言われます。伝説には、ある村を聖ジョージが通りかかったとき、竜のいけにえとして王女が差し出されるところを、聖ジョージが竜を退治し、村人たちがキリスト教の教えを受け入れたとされています。聖ジョージは後に異教徒に捕らえられ、棄教しないがため斬首され、殉教者になっています。

さて、上の絵の足の部分を拡大してみましょう。画像があまりはっきりしていませんが、左足にはガーターが見えます。
SaintGeorg1_2020.jpg

こちらの絵は19世紀の英国画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティの聖ジョージを描いたロマンチックな絵です。抱かれているのは助けられたサブラ姫。
Saintgeorg3_2020.jpg

この絵では聖ジョージの膝にはっきりとガーターが描かれています。
(ここでは天使(?)が小さなベルを鳴らしています。そしてそれぞれの胸にある大きなX文字、更にその天使の顔の横のX文字、それと聖ジョージの右肩にあるマークは何なのか、気になっているですが、今回はそれを置いときます)
    
1348年にイギリスのエドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの守護神とし、ガーターをシンボルに、ガーター騎士団を結成しました。男性の団員は左ひざに、女性の団員は左腕にこのガーターをつけます。

janela_garter

↑“Honi soit qui mal y pense”(悪意を抱く者に災いあれ)と書かれてある。
また、金の首飾りに下がる記章は白馬に乗り、竜を退治する聖ジョージが象られています。

ここでガーターと竜のシンボルが結びつき、トマールの大窓の右の大木に巻かれているのはガーター騎士団の二つのシンボルに8割がた間違いないと思いました。しかし、これはイギリスの話であって、ポルトガル国王とはどのようなつながりがあるのか。

ガーター勲章の叙勲はキリスト教徒のヨーロッパの君主に限られていたとあります。ポルトガルとイギリスの両国は14世紀にランカスターのフィリパ王女とポルトガルのドン・ジュアン一世の婚姻以来、常に同盟関係にありました。
さすれば、ポルトガル王たちがガーター騎士団に入団していても不思議はないはず。

因みに、ドン・ジュアン一世とランカスターのフィリパ王女との間には3人の王子がおり、その一人が後のエンリケ航海王子です。

さて、そこで、仕上げとしてドン・マヌエルが果たして本当にガーター騎士団メンバーであったのか、この確認には日本語ポルトガル語では出てこず、時間を要しました。

これを追ってずっと検索し、ついに英語サイトでガーター騎士団の過去から現在に至るナイト(騎士)とレディーのリストをゲット!

そして、ビンゴ!ヘンリー8世(1509-1547)の時代のリストに「Manuel I, King of Portugal」の名前を見つけました。こういう時は本当に嬉しい!

これで、大木に記されたシンボルの謎解きはできたことになります。

テンプル・キリスト騎士団修道院は現在では世界遺産に指定されています。「ただ古いだけでなんだかあまり面白いと思わなかった」という人もいるのではないかと思いますが、何世紀もの建物をそのままにしてあればこそ、古さのなかに秘められた遥かな人間の歴史、人間の思想が潜んでいるのを知ることができます。

それらを追い求めて調べていくうちに多くの伝説や歴史的な物語に接することができます。西洋の歴史はキリスト教を知る必要がありますが、信者でないわたしの目からみる宗教の歴史は面白く、また、キリスト教が絶対宗教だった中世にあって、それとは別の異端思想を密かに守り通そうとした人々の存在がうかがわれるのには、多いに興味を惹かれます。

自由な思想を表現できる現代にこそ、歴史を学ぶことで、自由とは何かを少し理解できるような気がします。

最後にもうひとつ、面白い発見を。

エリザベス女王をマスターにいただく「ガーター騎士団勲章」ですが、日英同盟の関係で例外的にアジアの国の元首として初めて、明治天皇に叙勲され、大正天皇、昭和天皇も同じく叙勲されているそうです。しかし、第二次世界大戦では敵国となったため、名簿から削除。

1971年に復帰、1998年のイギリス訪問で明仁上皇(当時は明仁天皇)も、メンバーに記録されており、遡れば大正天皇、昭和天皇と、ヨーロッパ人以外でこのガーター騎士団メンバーになっているのは日本の天皇のみとなっています。
(wikiからの参照)

「何がなくても誇りだけは」と陰口を叩かれるイギリス人ではありますが、古い伝統を頑固に守り通そうとするのには、尊敬の念を抱かずにはおられません。

トマール大窓、片方右側の大木にあるベルトの謎はこれで一件落着です

次はこのわたしがこの意味ではないかと、つい先だって閃いた謎解きを書いてみます。

ではまた。
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2020年8月15日 ドン・マヌエル大窓の謎・木の幹のベルト


マヌエル建築様式の特徴は石細工に見られる下記に示す例のような様々なシンボルです。

1 船や航海に関係するもの。錨、鎖、地球儀。特に地球儀はドン・マヌエルの紋章で、「コスモス=宇宙」を意味し、現在もポルトガル国旗に使われている。

2 海に関係するもの。貝、真珠、珊瑚、海草が連なったもの。

3 テンプル騎士団/キリスト騎士団のシンボルの十字

4 繁殖のシンボルのざくろ、再生のシンボル、アーティチョーク、不死のシンボル、松かさ。
 
5 結ばれた太縄、鈴のついた首輪。
                       
6 乾いた大きな木。これは後期ゴッチック建築にも見られますが、フランシスコ会や自然主義者の象徴だと思われるが、他説もある。

などなど。

マヌエル建築様式の代表的建物としては、べレンの塔、ジェロニモス修道院、シントラの王宮、バターリャ修道院などがあり、いずれもよく目を凝らしてみると、数箇所に隠れるかのように不思議なシンボルがあるのが分かります。

今回はこの大窓の目につくミステリアスなシンボル、木に巻かれたベルト紹介。

右側の木から。

garter1_2020.jpg

乾いて根をむき出しにした大木の巻かれたバックルつきのベルトです。最初の訪問時にはこれを見逃したのでした。

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更に根元の下に目をやると↓

dragon1_2020.jpg

これはドラゴンの顔だと言われています。
dragon2_2020.jpg


ベルトの意味は?ドラゴンはなぜここに?これの謎ときに挑戦してみました。

時間に任せてあちこちネット内をサーフィンしているうちに、ある日出会ったのがイギリスの「The Order of the Garter」こと「ガーター騎士団」です。

★「ガーター騎士団」ガーターとは、最近では女性もめったに着けなくなった「靴下止め」のこと。そんなガーターの騎士団とは一体どんなものなのか?

14世紀の半ば、イギリスのエドワード三世が設立した騎士団で、フランスとの百年戦争のために団結力を結束させることを目的に、「アーサー王と円卓の騎士」を真似て24名の騎士を編成したのが始まりだと言われます。

騎士団は君主から「ガーター勲章」を受ける形をとります。勲章一式はブルーの生地に金糸で「Honi soit qui mal y pense(よこしまな思いなる者災いあれ)」とフランス古語で刺繍されているガーター、黄金の首飾りとそれにつける記章、星の記章(下の画像で女王がきているマントの左胸にある)大綬章で構成されています。
 
ガーター↓は男性団員は左ひざに、女性団員は左腕につけるのが習慣とされます。 garter3_2020.jpg
wikiより 
       
これは現在もイギリス王族に引き継がれており、1948年以来、毎年6月にウインザー城でセレモニーが行われるとのこと。勿論、現在のマスターはエリザベス女王です。

garter4_2020.jpg
wikiより

下の写真からウイリアム王子もガーター騎士のメンバーになったことが分かりますね。黄金の鎖をさげています。

garter5_2020.jpg
wikiより

さて、この辺まではこれまでの調べで分かっており、ベルトと思っていたトマールのテンプル・キリスト騎士団修道院、マヌエル式大窓にあるものはベルトではなくてガーターではないか?と思い始めてきました。

しかし、これだけではつながりが明白でなく憶測の域をでません。そこで、「ガーター騎士団」の由来を辿ってみることにしました。

ガーター騎士団は、イギリスのエドワード3世が設立したのですが、その歴史は12世紀、獅子王と呼ばれたリチャード一世の十字軍遠征に遡ります。

十字軍遠征は11世紀から13世紀の間に9~9回の遠征があり、12世紀後半の第3回目の遠征にリチャード一世は参加しました。

この時、リチャード一世は加護として自身が崇敬する聖ジョージ(聖ゲオルギオス)の象徴である白地に赤い十字をあしらった旗を掲げ、同じく聖ジョージが足に着けたと言われるガーターを着けて闘いに臨みました。(上の写真、ウイリアム王子のマント、左胸にあるマークがガーターの真ん中に象られた聖ジョージの旗です)

この時の旗が後のイギリス国旗、ユニオンジャックの元になるわけですが、このことから後に聖ジョージはイギリスの守護聖人にもなります。

当時の騎士がガーターをつけたのには、そこに武器を差し込むためと考えられます。

ここに来て、トマールにある大窓の木に巻かれているのはベルトではなくて「ガーター」ではないか?と思い始めたたのですが、ガーター騎士団は英国のこととて、これだけでは決め手になりません。

そこで、まず「聖ジョージ」とは誰なのかを調べてみることにしました。

続きます。
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