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某年某月某日
 
本を読んでいるとき、あるいは映画を観ているとき、その中でドキリとする言葉、記憶にとどめたいと感じさせられる言葉に出会うことがあります。

最近でこそ興味がある映画に出会わないので映画館で観ていませんが、わたしは大の映画ファンで、好きな映画は何度でも繰り返し観るタイプです。でも映画は観る人によって感じ方見方が違うと思うので評論もどきはしません。

かなり古い映画ですが、観たのは近年だという「The Outsiders」が印象に残っており、言語の本も取り寄せました。その中の折に触れては心に浮かんでくる詩をあげたいと思います。

映画は1967年に18歳で作家デビューしたS.E.ヒントン(女性)の同名小説を1983年にフランシス・コッポラが映画化したものです。下のポスターを見ると、パトリック・スエイジを始めトム・クルーズ、ラルフ・マッチオ(空手キッズの主人公)など後のハリウッドスターたちが揃って出演しています。

物語はオクラホマ州の小さな町が舞台、富裕層と貧困層の不良グループがいがみあっています。富裕層グループにリンチにかけられそうになった仲間のポニーボーイを救おうと、ジョニー(ラルフ・マッチオ)は対立するメンバーの一人を心ならずも刺してしまいます。

二人は町から離れた古い教会に身を潜めるのですが、ある日、美しい朝焼けを見てポニーボーイはロバート・フロストの詩を暗唱し、ジョニーはその詩に感銘を受けます。下がその詩です。

「Nothing gold can stay」 by Robert Frost

Nature´s first green is gold,
Her hardest hue to hold.
Her early leaf´s a flower
But only so an hour.
Then leaf subsides to leaf.
So Eden sank to grief.
So dawn goes down to day.
Nothing gold can stay.

萌えいずる最初の緑は黄金だ
その色を保ち続けるのは難しい
萌えいずる葉は花である
しかし、それはわずか一瞬だけだ
 
やがて葉は葉へとおさまる
エデンの園もそれと同じ、年を取り純真さを失い悲しみに沈んだ
そして、暁は終わり今日という一日が始まる

黄金のままであり続けるものはないのだ


フロストの詩が暗唱されるシーン

私たちが持つ純真さ、美しさは大人になるという避けがたい時の流れとともに失われてしまい、どんなものも黄金の輝きを放ち続けることはできない、とフロストの詩は最後に結んでいます。

美しいもの、青春、子供時代ははかないというメタファーでしょうか。
映画の終わりで、二人が隠れ家にしていた古い教会が火事になり、その中にいた町から来ていた子供たちを救い出したジョニーが大火傷を負います。

死に際にジョニー少年は、
あの詩のことをずっと考えていたんだ。あの詩が言っていることは、子供のころはみんな黄金なんだ、若葉の緑のように。すべてがまるで夜明けのように新しくて。大人になっても人生の大切なもの、最初の春のような自然の美しさや純真さ、その「黄金」を忘れないでくれ。「Stay gold」、「輝き続けよ、自分に誠実に生きよ」との言葉をポニーボーイに遺します。

歳を取り人生経験が豊かになると、つい小賢しい世渡り観を身につけがちですが、ジョニー少年が遺した「Stay gold」は、不器用な生き方になるかもしれませんね。

もしわたしが中学生のクラスを担当したら、授業でいっしょに読んでみたいと思われる本の一冊です。
青春時代のようなキラキラした輝きはもうないけれど、いぶし銀てのがあるな、なんて、またおアホなことを考えているのでありますが、貧困層グループの気持ちが哀しいくらいよく分かり、わたしにとっては切ない青春映画です。

スティーヴィー・ワンダーが主題歌「Stay Gold」を歌っています。


ではまた。

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2022年8月3日 

日中テレビをつけることはあまりないのだが、今週はたまたま月火水と続けて日本語授業がなかったので、ここ数年しているとぎれとぎれの断捨離なるものに取り組んで、ソファに座ってコーヒーで一息入れようと、珍しくテレビをつけたのが昨日のことだ。

眼に入って来たのは、1987年公開、アカデミー賞を総なめにしたベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラスト・エンペラー」終盤近くだった。ラスト・エンペラーとは中国の激動の時代を皇帝から一庶民にされて生きた清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀のことである。

この映画を見たのは随分昔になる。いい映画だが、「シンドラーのリスト」「ディア・ハンター」「プラトーン」同様、見た後で気が重くなるので、もう一度見るにはわたしとしては少し勇気が要る映画のひとつだ。

「ラスト・エンペラー」の終盤は残虐シーンがないのでチャンネルを変えずにそのまま数分見ることになったのだが、さて、正にそのラストシーン。今では一介の庶民として生きるかつてのエンペラー溥儀は、あるひ、すでに観光スポットになっている自分が住んでいた紫禁城へ足を運ぶ。

懐かしさに惹かれかつては自分が座っていた玉座に上って行くと、守衛の息子だと言う少年に「そこへ入ってはいけないのだよ」と注意を受ける。「私は昔ここに住んでいたのだ」と答える溥儀に少年は「証拠は?」と問い詰める。

3歳の即位式でコオロギの鳴き声を追って列の中を探し回る溥儀。見つかったコオロギが入れ物に入ったのを家臣からもらった遠い昔。溥儀は玉座の下に隠してあったその入れ物を取り出し、少年に見せる。少年が入れ物のふたを開けると中からコオロギが飛び出した。少年が顔を上げるとそこにはもう溥儀の姿はなかった。

ラストシーンの解説では、コオロギは長い間閉じ込められていた溥儀の解放、全ての束縛から自由になった溥儀の象徴であると言われているようだ。が、昨日そのラストシーンを見てわたしが「あっ!」と思ったのは、邯鄲(かんたん)の夢だ!であった。


2300年ほど前の中国戦国時代、盧生(ろせい)と言う青年が、人生の迷いを晴らしたいがため、楚の国、羊蹄山の聖者に会わんと遥か旅をして、趙(ちょう)の国の都、邯鄲(かんたん)に宿を求める。 宿のおかみが出してくれた枕で昼寝をするうちに、盧生は出世し、その内、冤罪で投獄され、疑いが晴れ、やがて栄華を極め、楚の帝となる。子にも恵まれ、50年を過ごし、ついに年老いて死を迎える夢を見る。

覚めてみると、寝る前に仕掛けられた宿の粟粥が、まだやっと炊きあがろうとしているところだった。盧生は、人生は束の間の夢だと悟り、故郷へ帰っていく。

これは中国の故事のひとつで、「邯鄲の枕」とも呼ばれ、日本では能の演目のひとつとされているそうだ。故事では宿のおかみが、仙人になっている。ちなみに「邯鄲」は小さいコオロギをも意味し、中国では「天鈴」と呼ぶそうだ。

この映画を見た頃、わたしはまだ「邯鄲の夢」の話を知らなかった。今回、思いもかけず目にしたラストシーンは、わたしの解釈では、溥儀の束の間の人生、更に意味を広げれば、人の束の間の人生を意味するのではないか。人生とは何なのかと時に自問しながら前へ前へと、わたしはなりふり構わずやって来たものだから、今になってあちこちに置き忘れて来たものがあるのに気づいたりする。記憶の糸を探り手に取って眺めてみたい気持ちもあるからだ。

我が右足かかとに一文字の傷痕がある。小学校に上がって間もない頃であったろうか、さだかではないのだが、おじに自転車に乗せてもらった時に起こった事故の傷痕だ。

わたしが中学に上がるくらいまで、盛岡で競馬騎手をしていた父は家にいることがなかった。母と妹とわたしは弘前の下町にある祖母の家に同居していたのである。

9人兄弟だった母の長兄はすでに戦死しており、母の弟の一人と妹一人は結婚して別に所帯を構えていた。わたしが物心ついた頃には、母の未婚の弟が3人、家族ぐるみで同居していたのがわたしたち母子3人のほかにおじとおばの二家族がおり、頭数を数えれば一つ屋根の下に14人ほどが住むという大所帯だ。

そんなにぎやかな暮らしのある日、おじの自転車の後ろに乗り、新町坂(あらまちさか)をおりていた時に、子供のわたしは右かかとを車輪に取られてしまった。

新町坂はS字型で急勾配の長い坂である。城のある上町(うわまち)と低地帯の下町を結ぶ坂のひとつだが、坂の降り口から見る岩木山の姿は実に美しい。そして、坂を下りきるとその山がグンと近づいて見えるのである。

パックリ開いたかかとの傷口は、今なら縫うのであろうが当時はそれをしなかったらしく、その怪我でしばらくは歩けなかった。ぐじゅぐじゅぐといつまでも治らないかかとの傷を湯治で治してやろうと祖母「タマあばちゃ」は思ったようだ。初孫のわたしを連れて田舎バスに揺られて行ったのが岩木山ふもとにある嶽温泉の湯治宿だった。

湯治先で、祖母は、日中、山菜採りに山に入るので、その間わたしは宿に一人残された。部屋に押入れがなかったのであろう、畳んだ布団が部屋の隅に寄せられていた。

テレビなどない時代だ。大家族の中で、妹やいとこたちが常に周りにいる生活が普段である。突如、一人で過ごすことになってしまったわたしは、心細さに日がな一日、隅に寄せられた布団にしがみついて泣いていた。昔の造りの部屋は襖ひとつで仕切られただけである。わたしのすすり泣きを聞いた隣の部屋に逗留していたお年より夫婦が声をかけてくれ、飴玉やらを差し伸べるのだが、わたしはそれも受け取らず、祖母が帰るまでシュンシュンと泣いていたのであった。旅館の名前も場所も記憶していないのに、隅に布団が畳まれた宿の部屋の光景は今でも妙に覚えている。

5年ほど前に、わたしは妹夫婦と故郷を訪ねた際、岩木山神社(いわきやまじんじゃ)へ詣でる途中で、祖母を偲び昔日を偲び、その宿を探してみることにした。ところが、何しろ60年も昔のことで嶽温泉はすっかり様変わりしており、記憶もおぼろのわたしには、数軒ある宿のどれなのかわかるはずもなかった、ここかあそこか?で、結局分からずじまいだった。このかかとの怪我で強烈に記憶に残ったのは、痛さよりも物心ついて始めて知った「人恋しさ、寂しさ」であった。

今、こうして自分の子どもの頃を辿っているわたしは、いまだ邯鄲の夢の中であろうか。夢を見ている私の横で今にも栗粥が炊きあがろうとしている様子を想像するわたしは、その夢のまた夢の中であろうか。

が、人生を悟り、故郷へ戻ると言うのは、若い者には似合うまいとも思う。人生に迷いあり、夢あってこそ若さだと言えよう。故事に異を唱えるつもりは決してないが、若いうちに人生を悟ってしまうのは面白くないような気もする。人生は束の間だと悟り帰郷した盧生に、ふむと頷けるのは、わたしが70半ばに達するからであろう。盧生の悟りにはとても足元にも及ばぬ我が人生70年ではある。
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2022年2月4日 

子どもの頃は毎晩のように夢をみていた。
同じ夢が何度か繰り返されることもあった。身近な人が出て来るよりもわたしの夢は時代劇そのものの夢が多かった。

今のようにテレビがあったわけではない。布団に入ってわたしは色々な空想物語を描いて寝入るのであう。下町の子供時代は、「東映(まだあるんだろうか、この映画会社)」時代劇の最盛期で、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大河内伝次郎、月形龍之介、東千代之助、中村錦之助(後の萬屋錦之助)、大川橋蔵、大友柳太郎、などの花形スターの黄金時代だった。

机龍之介の必殺技音無しの構えや眠狂四郎の円月殺法の剣法を見よう見まねでカッコつけしてみたのもこの子供の頃で、チャンバラには本当にハマッタものだ。

そういうチャンバラがらみだったので、空想物語はおのずと時代劇になり、主人公はわたくしでござる(笑)お転婆な姫君だったり、悲運によよと泣き崩れる女人だったりと。

ところが夢ではそうは行かなかった。子供の頃に見た夢で今でも覚えているのは、川に木の橋を架ける女人足(にんそく)であった。水に浸かり、今にもなにやら大名行列がやってこようというのである。冴えない役柄ではあったが、水に浸かっているのが怖かったのを覚えている。何しろわたしはカナヅチであるからして(笑)

大人になっても若い頃はよく夢を見た。想像力が勢いつき過ぎてか、若い頃は不思議な夢ばかり見ていたような気がする。

その最たるものを今でもはっきり覚えている。周囲がオレンジ色の草原で、宇宙船を目の前にして、外国人を含む数人の人たちが集っている。その中にわたしもまじっているのだが、腕にセルロイドの赤ん坊を抱いているのである。後、2、3カ月もすればポルトガルに渡ろうかという時期に見た夢だ。

上に述べた二つは、たかが夢なのに未だに忘れられないものになっている。

ポルトガルに来てからも、見た夢は色々あるはずだが、よく覚えていないものが多い。人生が安定期に入ったからであろうかと思うのだが、果たしてどうなのだろうか。

それが、一昨日のこと、「絶体絶命や、もうアカン!」という夢を見て、目が覚めたのは明け方だ。どういうわけか、両腕に一匹のクマの赤ちゃんを抱いていて、森の中を走っているのだ。追いかけられているのである。狩られているのである。森を抜けてついに木が一本もない平野に出、もう逃げ場がない。

小ぐまを胸に抱いたまま振り返ると、目の前に猟銃がつきつけられた・・・・あぁ、アカン、どないしようもない・・・というところで、目が覚めたのである。夢の中とは言えどうも寝覚めが悪い。朝起きてきた夫にこの話をしたら、「Fox Crimeの見過ぎだ」と鼻で笑われた。

Fox Crimeとは犯罪やサスペンスなどをテーマとした専門チャンネルで、刑事物語が好きなわたしはこのチャンネルのファンだ。英国ミステリーを始め、古くなるがアメリカのC.S.Iシリーズ、Law and Order、Cold Case等、多良質のサスペンスが多く見られ気に入っている。この頃はニュース番組とFox Crimeしか見ていないわたしだ。

そうしてみると、一昨日見ていたのが、なにやら森での鳥、キツネ狩りのシーンだった。生き物を追いかけ狩ることの何が面白いんだい、との気持ちになって見るのを止めたのだった。
暗示にかかりやすいと言おうか、単純人間だと言おうか、物語につい引き込まれがちな自分の性質が夢に現れたのかもしれない。それにしても、夢に続かなくてよかったわん(笑)

本日は他愛もない話でありました。
では、また。
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2019年9月29日 

大好きな映画の一本にイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」がある。
1940年代、シシリー島の小さな町の映画館「シネマ・パラダイス」が消滅するまでの物語だが、主人トトの少年期、青年期、初老期に渡った人生をせつなく物語っている。



劇場で上演されたのは実際には2時間以上の作品として製作されたのを上演時間が長いとして、一部がカットされ、約1時間半に縮小されたものだが、「完全版・ニュー・シネマ・パラダイス」がある。

アカデミー賞とカンヌ国際映画賞を受賞した国際上演用の作品は、初老のトトのその後はいったいどうなったのか?そして彼の恋人だったエレナは?と、終わり方が気になった。まぁ、何もかもが辻褄が合うようにすきっとは終わらないのが人生であろう」と思われるようなエンディングだが、トトとエレナの30年後の再会が描かれた完全版は違った思いを抱かせる。

その完全版に関しては賛否両論あるようだが、人生はカラクリに満ちているが辻褄があうように出来ているような気がすると思っているわたしの感想は、現実に半世紀を経て再会した人がいるので「こういうことは人生にあるのだと、完全版には肯ける。

劇場版のトトのエンディングと比べて、完全版は、トトの不完全燃焼の青春がやっと思い出の箱に収められ、彼のこれからの老後が救われたのではないかとわたしには思われる。
「シネマ・パラダイス」の参照はこちら

「シネマ・パラダイス」はストーリーそのものもさることながら作品中のエンニオ・モリコーネの音楽が心に染みる名曲であることもあげておきたい。

いい映画はわたしたちに人生を教えてくれる。



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2019年9月13日 

子供の頃から観てきた映画は数知れず。
わたしの小学生の頃は今のようにテレビなどほとんどない時代です。小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだりしたのですが)が、時々催されました。

椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。


そうして観た映画は数々。「綴り方教室」「にあんちゃん物語」「コタンの口笛」「地の涯てに生きるもの」「24の瞳」「柿の木のある家」「のんちゃん、雲に乗る」「緑遥かに」「怒りの孤島」等等があります。

どれも、子供心に深い感銘を与えたように思います。なぜなら、わたしは今、ここにこうしてずらりとタイトルをあげることができる程に覚えているからです。

本から学ぶことはたくさんありましたが、映画鑑賞から教えられたことも山ほどあるように思います。根が単純なせいか、本も映画も読んだり観たりしている途中から観客としての立場を忘れ、思わず引き
込まれてのめり込んでいることが度々あります。

映画の危険な場面など、「あ、危ない!後ろに人がいるよ!」と、今でも声に出したりしてるのです^^;

映画は観て一巻の終わりではなく、「もし自分の身にあのようなことが起こったら」と後で考えて見ることは、普段ののんびりした生活にちょっとした起爆剤を与えるような気がします。

たかだか70年80年の人生で、わたしたちが経験体験できることは、知れているでしょう。でも想像力を持つ人間は、それを駆使して模擬体験とします。更に賢い人はそれを未来につなぐことができるでしょう。

自分の身を人の立場に置いてみる。これはたやすいようでなかなか難しい。
論語に、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。」とありますが、「60歳で他人の意見が分かる」と言うのには、その歳の頃には、「人のなすこと言うことが、環境、文化、教育の背景から来るものであり、いちがいに笑ったり怒ったりはできない」という意味合いも含むことでしょう。

異文化社会に身を置く場合、私たちは、特に若い時は往々にして自分が体得してきた常識なるものをうっかり振りかざし、批判しがちです。わたしにも若い時、うかつにもそういうことをしてしまった後悔があります。

日本の教育が一番いい、と錯誤したことw、日本人は時間厳守、常にきっちりしていて他人に及ぼす迷惑行為はあまりとらない、と言う幻想w

これらは勿論、まったくそうなわけではないのですが、時間を守らない、きっちりしない、迷惑行為を平気でする、などの同国人に私自身は出会って来ました。要は日本人だから、ポルトガル人だからの問題ではないと言うことです。

日本人であるわたし自身も、同じ国の人から、「ポルトガルに長い間住んでる人だからね」との印象を与えることがあるかも知れません。しかし、「異国に住んでいる」から、ではなくて、「単一の文化を離れて体得して辿り着いた考え方をするの人」って捉えて欲しいな、と思います。

国柄は人柄に似てるでしょうか。ま、国も人も個人的に好き嫌いはあるでしょうが、色んなことをその「個性」と見るか否かで、随分私達の接し方にも生き方にも違いが出て来ると思います。

物事を捉えられる想像力は、読書や映画の鑑賞から、そして異文化体験からも十分に養うことができるのではないでしょうか。

読書も映画も、そして海外のことも、「想像力を駆してその身をそこに置いてみる」のは、ああだこうだと批判する以上に、わたしたちに素敵な生き方のコツを示してくれると思います。

映画、加藤大介主演「南の国に雪が降る」を見て、涙腺破裂、ここ数日こんなことを考えたのでした。

minaminoshima.jpg

ではみなさま、また。

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