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2023年8月15日 

我が東京息子がリスボン大学で学ぶことになったミレニアムになるかならないかの年、ポルト補習校の日本人の友だちと二人してアパート探しに精出し、なんとか生活できるようになったというので、夫と二人、見に行った時のこと。

若者2人の住まいはポルトガルでCaveと呼ばれる地下室であった。薄暗くて湿気が多い。この家賃でこんなところ?と驚いたものだ。あの生活環境では体を壊すのではないかと気が気でならず、高い家賃に見合わない、頭金があればローンを組んでT1アパートを買った方がいいと思った。夫と話して少し改築された古いT1アパートを購入したのである。

リスボンのAvenida da Liberdade大通り脇の石段を上った昔からの通りにあって、メトロ駅はすぐだし石段の前にある細い通りには小さなスーパーや昔からの商店が林立していて立地条件はすこぶるよかった。

当時わたしたちはポルトのフラットのローンも抱えていたので経済的に大変だったのだが、ローンで毎月払える額の家賃をみすみす取られるのはイヤだとの結論に達したのだった。後年息子が日本で仕事をみつけたのを機に、そのT1アパートを売却したが、それでわたしたちは現在住んでいるフラットのローンが完済できた。当時は日本語の生徒も大して取っていなかったので、ひたすら夫が頑張ってくれたのである。

さて、一昨日の晩御飯時、テレビニュースでリスボンの家賃の高いことを取り上げていたのだが、話を聞いて目をむいた。なんとまぁ、T1がひと月2500ユーロ(低く見積もって35万円以上!)、ぎょえー!でしょ!

リスボンはヨーロッパの都市の中でダントツに家賃が高いのだと言う。リスボンっ子の平均賃金が1300ユーロ(今は円安なので約20万くらい?)だと言うのにだ。

高家賃の理由の大半はインバウンド客と外国人による不動産購入の増加だという。これはわたしがポルトの街へ出ても気づくのだが、いやはや、あちこちに「AL」マークのついた家々が増えたこと!ALとはポルトガル語の「Alojamento」を意味するが、要は普通のアパートを「宿泊施設」に提供したものが多い。いわゆる「民宿」である。

ツーリストが押し寄せるリスボン、ポルトでは、ダウンタウンに近い区域には数えきれないほどこの「AL」が見られる。ALにした方が貸すよりも儲かるので、これまでいた住人を追い出してでもというケースが多々出てきている。

ファドの街として知られるリスボンのアルファマ地区も昨今は家屋の60%がALと化していると聞く。「こんな状態の街へ来て、ツーリストたちはいったい何を見るんだ?」とは、わたしがポルトを見て日頃思っていることである。

もうひとつの理由は、ポルトガルが外国投資を呼び込む目的でこれまでゴールデンビザ制度をとってきたことである。ゴールデンビザを取得した裕福な外国人は原則的に居住権を購入でき、場合によっては国内に住む必要もないというものだ。

ポルトガルのゴールデンビザは、不動産購入などの投資と引き換えに欧州連合(EU)加盟国以外の国籍者にポルトガルの居住権を与え、その富裕層にEUシェンゲン圏内のビザなし渡航の権利を与えてきた。この富裕層とは、今、日本でも土地の爆買いをしている中国人が主だろうとわたしは思っている。

これらの外国人がAirbnbなどを利用してツーリストに提供するために、人気がある観光地で民家やアパートを買い上げているのだ。そのため、不動産価格が上昇し続けて地元住民が追い出され居住物件を探すのに市民が四苦八苦するという今日の状況を招いたのである。

ゴールデンビザ制度を取っている国には、ポルトガル、スペイン、マルタ、キプロス、ギリシャなどだが、EUが安全保障上のリスクやマネーロンダリング、脱税、テロ資金調達、汚職、組織犯罪の浸透を許すなど、EUの規範と相容れないと言う理由で抑制に動きだした。

政府への抗議の声も上がり、住宅危機の緩和施策としてポルトガルは2012年に開始されたこの制度を今年2023年春に新規発給の停止をしたのだが、こんな状況になるまで放置してきたのは遺憾であるよ。

中国に限らず、中東の資本による大規模な土地買い占めも広がっている。これに対して政府が購買不許可にするケースも世界では出てきている。我が母国日本も中国人に買われた不動産は、北海道だけでも静岡県の面積と同様だと聞く。その他、新潟、箱根、横浜などにもあると言う。

日本では事後の届け出のみが義務付けられているというゆるゆるさで、どの程度外国資本によって日本の土地が買われているか、正確な把握すらされていないのだそうだ。

国益を損なわないためにも、外国資本の土地の取得に対して早急な対策をとる必要があると思うのだが、諸政治家はどう考えているのだろうか。住宅危機で済まされたらいいのだが・・・

とまぁ、リスボンの住宅危機から最後は自国日本に思い馳せてしまう、本日終戦の日である。

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2023年5月22日 
「ふと思ったんだけど、ご飯を作るのって一生続くんだよなぁって」と突如我がモイケル娘が言う。あーっはっは、ほれ、気づいたかと母のわたしは内心ほくそ笑む。

共稼ぎ時代は先に帰宅した方が夕飯のしたくをすると夫婦で決めていたらしいが、子どもができた今、モイケル娘は通常の勤務時間より遅く始まり早めに終われる仕事を選んだ。我が孫のソラ坊を保育園に預ける時間を少しでも短くできたらというのが理由だ。

そうなると、四時半に職場を出て保育園へ5時ちょっと過ぎにはソラ坊を迎えに行ける。5時半には帰宅できるのでおのずと夕飯の担当は毎日彼女になるという訳だ。ソラ坊はまだ一人遊びができないので、帰宅後彼女の相手をし夕食の準備とあいなるのだが、食材の買い出しなどはどうしてるのか、まだ聞いていなかった^^;

主婦の仕事って大変なんだよね。土日関係なく年がら年じゅうあり、時々家事鬱になって御飯作りたくないと思っても、台所に立って何かは作らなければいけないわけで。

これが日本だったら、そういう時はコンビニ弁当とかできあがりのお惣菜とかで、なんとか間に合わせられるのだが、ポルトガルではそうは行かない。

どうしても作るの無理と言う時には、Take awayで済ませられるのだが、調子が悪い時のわたしの胃は脂っこいポルトガル料理を受け付けないとくる。結局、自分の食べる分は自分でなんとかしなければならないのだ。これは風邪などで寝込んだときてき面である。

土曜日3時間みっちり授業したあとの生ビールはうまいし、行きつけのレストランでの昼食は気晴らしにもなる。が、全ての授業をオンラインにした今、夕方にもグループ授業が一件あり、ビールを飲むといい気分で眠くなってしまうからそれができなくなった。

夕方の授業が終わるや否や、すぐ台所で食事を作るのが時にすごくかったるいことがある。かったるいを通り越してなぜだかプンプンしている自分がいたりする。

授業は一日中詰める仕事ではなく、まぁ、パートのようなものだが、それでも準備等の時間も入れてパートしながら、ほれ2食事ほれ洗濯、ほれ掃除というのは、ちょっときつくない?と言いたいのが言えないもどかしさから、プンプンするのである。

あぁたはいいわね。食事ができるまでソファ座って、TVでサッカー見たり新聞読んだりして、と憎まれ口のひとつも言いたいのを、実はこらえてる自分がいるんである。

いえね、夫も多少は手伝ってるんです。テーブルのセッティングしたりと(笑) が、台台所仕事は、ご飯を作り食べ、食後の後片付けまで入れると結構な労働で、これ、死ぬまでするんかぁ、となるわけだ。

こんなこと、子供たちが一緒にいたときは、どんなにバタバタ忙しい思いをしても考えなかった。誰かが言ってたけど主婦の仕事とは専業兼業かかわらず、こんな具合なのだよね。

1 終身雇用
2 勤務時間は常時、但し就寝時は除く
3 給与・賞与はなし、時として小遣い程度の支給あり
4 週休:なし
5 年次休暇:なし
6 別途でペットの世話や老人介護もあったりする

女性トイレや女性浴場に入りたがる自称女がいるが、あちこちでそんな物議を醸しださないで、こういう環境で頑張ってる女性も多くいることも見習いなよ、と言いたいわ。

で、「歳とったら、食事作りも同時に退職したい!」と言ったら、夫、クックックと笑いをこらえて「歳とったら?」と聞き返してきた。「歳、とったらねぇ」と重ねて言われハッとした。自分、もう年取ってるで、75・・・・なんか、ちょっとオカシかった

君たちが成長するまで主婦業が終生続くとは考え及ばなかったわたしに比べ、既に気づいたモイケル娘よ、上記6項のうち、3と5は可能性がある故、時間をかけてその方向にもっていくというのはどないな?

って、婿殿に要らん入れ知恵するなと言われるかも。てへへ。

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2023年5月19日
 
LGBTの自由、権利を認めるのにやぶさかではないが、昨今の様子を見ていると、これまで性別で区別して使用されて来たトイレ、公衆浴場、サウナなどにも「わたしは見た目は男ですが心的には女です」と言う人たちが侵入してきたりしそうだ。入って来られるのは嫌だと思う女性の人権はどこに?と気になる。それで、わたしなどは自民公明両党によって本日国会に提出されたと言う曖昧なその法案、ちょっと待ってよ!となる。

「心的に女だ」を盾に、イチモツをつけたまま入ってこられてもなぁ。女性用トイレでどうやって用を足すわけ?「心的に受け入れられません」となるのが女性の心理ではないの?それとも、「嫌がってはいけない。それは差別主義だ」とでもなるのだろうか?
この問題はもう一方の当事者にあたる女性の意見も聞くべきで性急に結論付けて法案にするべきではないと思っている。「人権とは自由とは」をつくづく考えさせられるLGBT問題ではある。

我が友であり日本語学習者のマリアさんの授業が水曜日にあった。その日の課題は彼女が見た映画、是枝監督の「海街ダイアリー」の日本語要約である。84歳の彼女は長年ポルトのリセウで英語とポルトガル語、ドイツ語を教えて来たのだが、映画が好きで社会問題にも大いに関心を持っている。

そこで、その日はLGBT問題について少し水を向けてみた。彼女は修築されたBatalhaにある映画館に、見たい映画がある時は午前中に一本、間を置いて午後にもう一本見ると言うようによく足を運んでいるらしい。

で、すぐさま曰く、「そう言えばこの間映画館のトイレに行ったとき、こんなことがあったのよ。もちろん、わたしは女性用と書かれてある方に入ったわけだけど、もうひとつのトイレには男性用ではなくて、別の言葉が書かれていた。今すぐ思い出せないんだけど、この次行ったら確認してくるわね。」

面白いのはこの先の彼女の話だ。
女性用のトイレに入ったら、突然年配の女性から(マリアさんも年配なんだが^^;)、「あんた、ここでなにするつもりなの?」とぶしつけに言われたと言う。実はマリアさん、髪は超ショートカットで身につけるものと言えばジーンズに黒っぽいTシャツ。冬でもTシャツだ。靴は、わたしもそうなのだが、男物っぽいランブラシューズでほぼいつも同じスタイルである。

背中はシャキッと伸びてるし歩調もかなり速い。長年太極拳をしてきたので体力上々である。それで時に男と間違えられるようだ。映画館内のトイレのときも然り。で、彼女がその年配女性に放った言葉にわたしはギャーッハッハと腹を抱えて笑わずにおれなかった。

「あんたと同じことをしにきたのよ。」

深刻なLGBT問題が吹っ飛んでしまったと言うオチではあった。

下記、過去記事にあるマリアさんの愉快なエピソードです。興味あらばどぞ。
 愉快なマイ・フレンド、マリアさん
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2023年4月20日 

我が父は岩手県雫石出身で、若い頃は地方競馬の騎手をしていた。家族のわたしたちを弘前に残したきり、自分は雫石に住んで好きなことをしてきた人だったが、歳をとり体重も増え、いよいよ馬に乗れないとわかったわたしが中学生になる頃に、やっとこさ、弘前に来て共に暮らすことになったのである。

仕送りもなく、母、妹、わたしの親子三人は弘前の祖母の大所帯の家に同居し、ずっと苦労をしてきた母の姿を目の前でみてきたので、父にはどうしても気持ちを開くことが出来ず、わたしはどこかで他人のような目を父に向けていたところがあった。

加えて酒癖が悪く、すぐに手があがる人でもあり、思春期のわたしはそういう父が嫌いだった。

わたしが高校生の頃だ。酒癖の悪いのにとうとう辛抱の緒が切れ、わたしたち母子3人は、父が酔いつぶれて寝ている間に、身の回りの物と一式の布団をリヤカーに積み、母はそのリヤカーを引きわたしと妹は後押しをして、母の知人の屋根裏部屋に逃げたことがあった。

その時に、わたしと妹は母に勧めたのだ。「おかあちゃん、親父と別れちゃいなさい。生きていくのは3人で何とかなる」と。一ヶ月ほどその屋根裏部屋で生活して、結局わたしたちは父の元へ引き返すことになったのだが、それを決心した母はこう言った。
「戸籍が片親となると、就職でも結婚でもお前たちが苦労することになる。」

母のあの決心が良かったのかどうか、わたしには分からない。当時母は保険の外交員をしていて、なんとかわたしたちの日々の生活は成り立っていたのだが、やがて高校を卒業したわたしは、チャンスとばかりに父のいる嫌な家を飛び出した。わたしの2年後には東京の夜間大学へ進むことで妹が家を出た。

父の元に残った母は保険の外交員を続け、60歳の定年を機にもらった退職金の一部を父にあげて、当時既に結婚して東京に住んでいた妹夫婦の元へさっさと移ったのであった。その話を聞いたとき、母のしたことにわたしは笑ってしまった。これは逆・三行半(みくだりはん)じゃないか!と

今思うに、母は「熟年離婚」のハシリだったのだ。夫の退職金を待って離婚をつきつける現代の熟年女性と違って、母の場合は逆に、たかが知れてる自分の退職金の一部を夫に手切れ金として手渡して別れたのだから、堂々たるものだ。誰にも文句を言わせない。

別れたといっても戸籍はそのままだった。女性関係も多かった父に、「あなたに好きな人ができて結婚するという時はいつでも籍をぬくから」と結局別居の形になったのだが、父が亡くなった時には喪主として、借金しか残していなかった父の葬式をちゃんとあげたのであった。

ポルトガルに住んで子どもが出来、少し自分のポルトでの生活も落ち着いてくると、わたしは、父が自分の故郷ではない弘前という異郷に一人住んでいるを時折思い出した。異国に住むということが父との距離をほんの少し縮めたような気がする。古いしきたりの田舎で父は父なりに気苦労があったのだろう。そのストレスが父を酒に向けたのであろう。ストレスと言う言葉がなかった時代だ。

そして、それまでは一度も書いたことがなかった手紙に我が子たちの写真を入れ、年に2度ほど航空便で送った。ローマ字を読めない書けない父からは一通の返事も届いたことはない。そんな父は36年前に60代後半で亡くなったのだが、母の兄弟の間でも評判は悪く、わたしは時々親族が口々に父の陰口をいうのを耳にしたこともある。

親族が言うことは普段からわたしも思っていることで、もっともな話なのだが、忌み嫌う父ではあれど、その父を他人が悪く言うのを聞くのには、家族の血のなす業だろうか、「分かってるけど、人には言われたくない」と、わたしは無性に腹が立ったものだ。

同じように異国にいて同国人や現地の人間から母国のことを酷く言うのも耳にするのは嬉しくない。国あってこそのわたし、家族である。批判は受け止めるが、自分が少しでもその批判に対して言い訳できる知識がある場合はそれを知ってもらうよう努力する。

さて、その日本だが、「リベラル市民として言えば、せめて(安倍晋三氏)暗殺が成功して良かった」と作家兼法政大学教授がテレビで発言したとの記事を今朝目にして、なんたる暴言、その品格の無さに、何がリベラル市民や!リベラルは暗殺を是とするんか!と久しぶりに怒りがこみ上げた。

これが言葉を大切にすべき作家が発する言葉であろうか、大学で教鞭をとる人であろうか。こういう発言をインターネット上とは言え、放言できる日本、本当に大丈夫か?政治家、自称知識人、評論家等の近頃の大人たちの発言のセンスのなさ、語彙不足には「発言の自由」、日本人が不得意だと言われて来た「はっきり意見を言う」を誤解してないか?と思わざるを得ない。

しばらく前に書いた社会の高齢化対策について「唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと」との某日本人発言や小西議員の「サル発言」に続く今回の「暗殺、成功してよかった」には怒りを通り越して、高等教育を受けて来たであろう大人たちに深い失望を感じているわたしである。


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2023年2月27日 

近年よく目にしてずっと心にひっかかっている言葉がある。劣化、老害という言葉だ。特に 「劣化」なんて言葉は人に使えるんだっけ?とあまり頻繁に見かけるもので、物に使う言葉だと思って来た自分が間違っていたのかと、改めて辞書を手に取った。

わたしが持つ三省堂「新明解国語辞典」には「長年経過したり何回も使用したりして、もとの良い性能、品質がうしなわれること」とある。やはりこれは本来物に使う言葉だ。人を含めて生物に使う場合は「老化」でしょう。

よく著名人に対して使われているのを見かけるが、著名人は物扱いか? それとも芸能人や名の知れた人には一般人が何を言っても許されるのか?言ってる当人だっていつか当人が言ってるところの「劣化」になるんやで?なんだかなぁというのがわたしの思うところだ。

「老害」という言葉にしてもそうだが、私など耳で聞いたら「労咳」と思うであろう。公害じゃあるまいし、年とって害を及ぼすって、若くても傍に害を及ぼしているのはいくらでもいるではないかと、夫相手にブツク言ったりしている。え?それが既に老害だってか?

我が辞書にはそんな言葉は載っていないのでネット検索すると、「老害とは、高齢者たちが実権を握り、若年者(若者)たちが充分に活動できない状態を言う。また、企業や政治の指導者層の高齢化が進み、円滑な世代の交代が行われず、組織の新陳代謝(若返り)がはばまれる状態と定義される。インターネット上では、未熟さを指摘された者が相手の年齢とは関係なく発する罵倒語となっている。」とある。

今の日本の若い人たちは、自分たちが充分に活動できないことや世代交代がうまく行かないことなどは、年配者のせいだとでも思っているのだろうかね。言ってる自分も確実に歳をとるんやで?これだって、なんだかなぁ。己の不満を人のせいにするのは簡単だよとわたしは思うのである。

こんなことをここしばらく考えていたら、少し前の某トーク動画で、おでんメガネ(メガネ枠の片方が〇でもう片方が□のメガネ)をかけた30代のエール大学日本人助教が、社会の高齢化対策に関して「唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと」と発言したと言う。

額面通りに受け取れば「なんなん、それ?」と目が点になるような発言で早速炎上したようだ。わたしも活字のぱっと見で「失敬な。自分の親にもそう言えるのか!」と瞬時感情的にとらえてしまったが、動画全部を見てみると、一般的な高齢者を主語にしたわけではないだろうと思われる。本人は社会の指導者層を対象にした例を挙げているからだ。

それにしても、他の言い方があろうと言うものだ。自決、切腹て、おいおい、そういうあんたこそいつの時代の人だ?で、その氏が畳みかけて言うには、「高齢化が進む日本社会、将来的には安楽死の強制みたいなことも議論できるような状況を作っていくべきだと思う」と申す。

なんかなぁと思うと同時に安楽死云々の言及にいたっては脳裏に昨年から観てみたくて探している映画「PLAN75」(カンヌ映画祭受賞作品)が浮かんだ。倍賞千恵子主演だ。

PLAN75あらすじ、以下。
少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン 75>が国会で可決・施行された。 様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる。夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は<プラン75>の申請を検討し始める(filmarks映画サイトより)

この映画が公開された2022年、昨年は自分がちょうど75歳と言う年齢になることもあって、ぎょえ!こんな未来映画なんてぇ~と思いながらも観てみたいと思ったのである。

某氏の言ったことは比喩だと解説する人もいるが、高齢者に自決せぇ腹切りせぇ安楽死強制もありだぞ、なんて比喩はぞっとしない。75を過ぎてもオンラインで日本語レッスンをしているわたしも、若い人からすれば「仕事の場を奪っている老害者」と罵倒されるのだろか。ジョーダンじゃないよ。

更に某氏は続ける。日本のテレビ、政治、経済界のエライ人たちに会うと耳が遠いし滑舌が悪くて何言ってるのかわからない、コミュニケーションも厳しい高齢者が本当に多いのだそうだ。 これは分かる気がする。 

社会のトップに立っている年配者は老年の俳優たちがするようにプロの滑舌トレーニングを受けることで、頭さえしっかりしていればコミュニケーションの問題はある程度解決できると思う。舌が滑り過ぎて禍になることに気をつけなければならないかもしれないが(笑) 

どこの国でも同じだと思うが、批判はいい。が、攻撃的刺激的な言葉での比喩、批判は相手への敬意を失し罵倒語になりやすい。 それくらいでないと聞く人には届かないという向きもあるかもしれないが、日本語は非常に表現豊かな言語だと考えるわたしは、批判するにしろ反対意見を述べるにしろ、必ずや適切な言い方ができるはずだと思うのだが、どうだろうか。

人間を相手に、劣化、老害という言葉は止めて欲しいと思うのである。

今日はこのところずっと考えていたことを文字にしてみたのだが、話で言えば多分滑舌よくないと言われそうな拙文になってしまった気がする。ご勘弁を。

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