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2022年8月30日 

どこの国でも 死はひとつの終わり
死が来て幕はとざされる
だがスペインではちがう
スペインでは幕がひらかれるのだ (ガルシア・ロルカ)

残酷な時代はいつでもどこにでもあります。グラナダ生まれの詩人、劇作家ロルカが生きたのはスペインのそういう時代でした。ロルカが自分の早期の死を予期していたかどうかは分かりませんが、彼の多くの詩には死を追悼するのが多いように思われます。ロルカは死によってこそその名を永遠に人々の胸に刻んだのかも知れません。

わたしはロルカの研究者ではありませんが、青春時代の一時期に彼の短い一生に興味を持って本を読み漁っただけなので、あれやこれやと展開できるような持論はもちません。しかし、詩人の銃殺という残酷な粛清の事実には今も若い時同様に大きな恐怖と悲しみを覚えます。そして、自由に言論ができる今の時代に生きている自分の幸運を噛み締めます。

もう一昔ほどにもなりますが、グラナダの片田舎にあるロルカ記念館を訪れたことがあります。

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ロルカが8歳まで住んでいたという記念館。通りにはオレンジの木。

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生家の中庭。内部の撮影は禁止だった。
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現在記念館になっているロルカの生家フエンテ・ヴァケーロス(Fuente Vaqueros)はグラナダから30キロほどだろうか、小さな村だが、ロルカの生家がどこにも案内の標識が見られなかったのは意外でした。

初夏の暑い日ざしを浴び、ひなびたグラナダの小さな村フエンテ・ヴァケーロスでロルカ生家を探しながら、村の雰囲気に田舎の持つ独特の閉鎖性を感じて、わたしは少なからずとまどいを感じ、自分がその閉鎖性を嫌って都会へ飛び出した19の頃を思い出していました。

ロルカはグラナダでより、また、生誕地のフエンテ・ヴァケーロスより、むしろ海外で誉れを受けているのだろう。そんなことをふと感じました。
          
かろうじて見つけた「Poeta Garcia Lorca=詩人ガルシア・ロルカ」と書かれて壁にはめ込まれたアズレージュ(青タイル)の上方には、グラナダのシンボル「ざくろ」が見られます。
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グラナダとはスペイン語で「ざくろ」の意味。レコンキスタ時代、ざくろのように堅牢でなかなか陥落しなかったイスラム教徒の街をついにそれを破り、アルハンブラ宮殿という実を奪ったことを意味して、グラナダのシンボルのざくろは割れているのだそうです。

ロルカ記念館のベルを鳴らしたところ20分ほど待ってくれと言われ、その間、記念館の裏にあるカフェで時間をつぶしました。スペインではどこでも言えるのですが、こちらがスペイン語を理解しようとしまいと、旅行者にもスペイン語で喋るのである。ロルカ記念館の案内人もそうでした。見学人はわたしたち夫婦だけでした。
                

詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898-1936)について
       
1936年8月19日、スペイン内乱中、フランコ軍ファランヘ党によってグラナダ郊外のビズナル(Viznar)にて銃殺されました。ロルカは詩人で劇作家でもあった。「血の婚礼」「イエルマ」などの上演で名声を得ます。アメリカ、キューバ、アルゼンチンなどを訪問しています。詩人のジャン・コクトーや画家ダリとも交友がありました。
     
ロルカは思想的にはリベラリストでしたが政治的には大きな活動はなかったとされます。彼の暗殺はファランヘ党が同性愛者を忌み嫌うことに因むとの説もありますが、明らかではありません。
      
記念館内部は撮影禁止なので、パンフレットの画像を載せます。
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多才能だったロルカは作曲もしており、館内見学中は彼の作曲した音楽が流されていました。透明感がある寂しげなメロディーでした。

生家は昔にしては大きな家だったとのことだが、リビング、応接間、寝室などの小さな数部屋があります。二階ではロルカや彼の上演された作品の写真、手紙が展示されて資料館になっています。

フランコ政権時代、ロルカの本は発禁され、フランコの死去により独裁政権が終わって、スペインでやっとロルカについて自由に論じることができるようになりました。それまでは、ロルカについてはスペイン国内でよりフランス、イギリスなど欧州でよく知られ論じられていました。
  
なお、ロルカが銃殺されたとされるグラナダ近郊は現在「ロルカ記念公園」になっていますが、ロルカと同じ時に銃殺された5人の遺族から、遺骨発掘の要望が出され、2009年10月から公園内の数箇所の発掘作業が行われていました。ただし、ロルカの遺族は、メディアの見世物になることを恐れ、「このまま静かに眠らせて欲しい」と反対したようです。2009年12月、公園内では遺骨らしきものは一切発掘されなかったとの結論が出されました。それでは彼らはいったいどこに埋められたのか?
 
ロルカの死後、当時は80年経っていたわけですが、詩人の死は再び歴史の謎に中に舞い戻ったのでした。
グラナダの初夏の日差しの中に短い生涯を処刑と言う名のもとに終えなければならなかった詩人ロルカの名が今でもわたしの心に残っています。

ロルカについては下記にても綴ってあります。興味がある方はどぞ。
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-917.html

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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2021年4月16日

前回に引き続き、アンダルシアの「ロシオ巡礼祭り」の案内です。

下の写真は「バタ・ロシエラ」と呼ばれる女性のロシオ巡礼祭りの女性の衣装です。

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フラメンコの衣装と間違えられるが、旅し易いように、また乗馬もできるようにシンプルでフリルも少ない。また、髪に花を飾る。

ロシオ8

↓こちらは男性の服装。
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男性の服装は丈の短い上着とつば広帽子。なにやらマタドールを思わせる
カッコよさがあります^^馬もおしゃれをしています。
ロシオ11
ロシオ巡礼の旅の出発前。
ロシオ12

ロシオ巡礼では男性も女性も胸に「ビルヘン(多分、聖母?)・ロシオ」の
メダルをかけています。
 
ロシオ13 ロシオ14

巡礼一行の行進が始まります。
ロシオ15

ロシオ16

行列の最後方では、次から次へと路上の牛糞馬糞を片付けていく市の職員さん。
このままではグラナダの街も匂いで品格をおとしますもんね

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素晴らしく美しい立派な牛です!ため息が出ました。
ロシオ18

ロシオ19
             花びらと戯れる母子。

スペインのアンダルシア地方を訪れるのは、10代の頃からの憧れでした。
グラナダが産み、スペイン内戦が銃殺した詩人、ガルシア・ロルカに興味を持ったのがきっかけでした。音楽でも「哀愁のコルドバ」
「サンタ・マリアの祈り」を耳にすると、まだ見たこともないイスラム文化と融合した不思議な雰囲気のアンダルシアが浮かんでくるようでした。
・ガルシア・ロルカについては、こちらにて↓
「スペインの光と影:ロルカ」https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-917.html

本日は昔から好きな曲、James Lastの「サンタ・マリアの祈り(原題:Who are We)」をここに。
この曲を耳にするとなぜだかアンダルシア地方をイメージしてしまうのでした。



ではみなさま、また。


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2021年4月15日

2010年5月に、ポルトから車で2日かけて夫とグラナダに到着し、グラナダとコルドバを訪れたことがある。その際に、予期せずして出会ったロシオ巡礼祭り。後で調べてみたところ、世界的に有名な巡礼祭なのだそうだ。今日はそれを再掲したい。以下。


毎年復活祭の50日後に、聖堂から運び出される「聖母像」を崇めるために、セビリアから70キロほど離れた小さな村Almonteを目指して行くロシオ巡礼団の祭りだ。

アンダルシア地方の近県、セビリアやグラナダだけではなく、遠くマドリッドからも巡礼団は、民族衣装を身に着け、馬や幌馬車、キャンピングカーに乗って何日もかけてこの村に集まってくる。目的地はAlmonteから更に15キロほどの「ロシオ村」の聖堂である。

わたしたちはなにも知らないでたまたまグラナダを出発するこの巡礼団の行列を見る幸運を得たのでした。

ロシオ1
花で美しく飾った幌馬車の行列には思わず目を見張りました。

ロシオ2
このように馬車の行列が果てしもなく続いて出発を待機しています。
ロシオ3

ロシオ4

幌馬車やキャンピングカーで行くのは、この巡礼が同士、友愛団体の仲間同士で、歌い、踊り、祈りながらの数日から一週間も続く旅だからです。
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ロシオ6

ロシオ巡礼たちは町の「聖母像」を担いで一路、ロシオ村を目指します。写真はグラナダのロシオ聖母像と、巡礼行列のトップ。町の名士たちでしょうか。
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グラナダのロシオ巡礼祭りのいわれ 
        
イベリア半島のレコンキスタ(イスラム支配からイベリア国土を奪回するキリスト教による戦い)運動は、8世紀初め、現在のスペイン、アストーリアス地方にある「コバドンガ」の戦いから始まったと言われる。

イベリア半島の「聖母マリア信仰」は4世紀ごろに広く広まるのだが、その後イスラム支配が700年に及ぶ。特にスペイン南部のアンダルシア地方にはイスラム支配の首都が置かれ繁栄した。8世紀にイベリア半島北部から始まった「レコンキスタ運動」が完成するのは、グラナダ陥落の15世紀も終わりで、何世紀にも及ぶ両文明の長い戦いであった。

さて、このレコンキスタ運動の最中の13世紀、イスラム支配の中心アンダル地方の山中でのこと。

ある日、猟師が山に入ったところ、とある木の根元でマリア像を見つけます。それを拾って我が家に持って帰ろうとしたところ、どういうわけか突然強烈な疲労感に襲われ山中で寝入ってしまいます。目が覚めると、マリア像がないのに気づき、急いで先程の木の根元まで戻ってみると、マリア像は再び元の場所に戻っているではないか。

というわけで、1270年ころに、「奇跡のマリア像が発見されたところ」としてその場所であるRocioに礼拝堂が建てられ、以後、「Nossa Senhora do Rocio=ロシオの聖母マリア様」として広く知られるようになった。

聖地ロシオにはこの時期、100万人という信者が集うそうです。ロシオ聖母像に触れると一生を健康で暮らせるという言い伝えがあり、教会から運び出された聖母に触れようと多くの人が教会からこの日だけ運び出された聖母マリア像を取り囲み、手をさしのべます。

行列は町を練り歩き、日が暮れるとフラメンコや花火が始まる。参加者の殆どはロシオ聖母の信者で、祭りが終わると再び来た道を帰って行く。

さて、これはわたしの推察になります。
思うに、レコンキスタ運動最後の仕上げとしてイスラム教徒の主要地、コルドバとグラナダを陥落させるために、キリスト教徒の士気を高めるのを目的に、マリア像の伝説はひょっとすると軍略として作られたものではないか?

ま、野暮なことはやめて、素直にこのアンダルシアの春の宗教祭りを楽べきでしょうかね。

次回は行列のいでたちを写真で紹介したいと思います。
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サンティアゴ大聖堂の大香炉・ボタフメイロ(Botafumeiro)

サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂
Wikiより

「ボタフメイロ」はスペイン語で「香炉」の意味です↑
 
高さ1.6m、重さ80キロ。特別の行事に写真のように大聖堂ドームの天
井からぶら下げられ中の香を炊きます。

8人の僧侶によりロープで上に21mの高さまで引き上げられ翼廊65m間
を振り子のように振られるのだそうです。聖堂内は炊かれた香煙でいっぱい
になり、多くの巡礼者を清める役割にもなるのでしょう。

bodafomeiro1.jpg
Wikiより

原則的には7月25日サンティアゴの日に行われる儀式のようですが250
ユーロの浄財を納めると、パーフォーマンスしてくれるそうです。残念なが
らわたしたちは観ることができませんでした。
下記、Youtube サイトで動画をみることができます。
         
http://www.youtube.com/watch?v=Zg9r2Vrtj_0&feature=related

これですが、過去にロープが切れたことはなかったのかしら?と、動画を見
ながら余計な心配が頭をかすめたもので、ちょっと調べてみましたら、案の
定、けが人がた記録は出てこないものの幾度か落ちるという事故があったと
のこと。くわばらくわばら。

註:ボタフメイロの話は耳にしていたものの、実際に見ることはできません
  でしたので、上3枚の写真はWikipediaからのものです。


博物館入り口の上にある馬上のサンティアゴ

サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂
           
サンティアゴの遺体が発見されたといわれる9世紀のイベリア半島は、イス
ラム教徒から国土を奪回しようとするキリスト教徒による「レコンキスタの
戦い」が北部から展開されていました。

サンティアゴはその運動のシンボルとされ、キリスト教徒からは、ムーア人
殺し(ムーア人=イスラム教徒)の異名を受け、戦士は戦いに臨んで「サン
ティアーゴ!」と雄たけびを上げて死力を尽くしたといわれます。サンティ
アゴはスペインの守護聖人とされています。


下記では北部スペイン、コルーニャの「ヘラクレスの塔」「コルーニャの祭」
を書いていますので、興味がある方はどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-813.html

      
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テーマ:スペイン
ジャンル:海外情報
2010年8月2日

今日は今年春に訪れたアンダルシア地方、グラナダのアルバイシンのご案内。
画像がたくさんです。
全ての画像を大きなサイズで、と望まれる方は、こちらポルトガル案内専用
サイトOut of Porto-アンダルシア・アルバイシンでどぞ。記事内容


ポルトから車で片道8時間、2010年4月下旬に訪れたグラナダは少し曇っていた。
albaicin1
絵筆を持つ人なら描きたいでしょうか^^
albaicin4

ユネスコの世界遺産に登録されている「アルバイシン(Albaicin)」はアルハ
ンブラ宮殿ができるまでグラナダ王が住んでいたと言われる丘陵地で、グラナ
ダ市を流れるダーロ川(Rio Darro)を挟んむ対岸の丘陵にはアルハ
ンブラ宮殿の全容が見える。

細い路地が迷路のように交差し、丘陵ゆえ坂道も多いが、イスラム教徒の住居
だったアルバイシンは、今にその名残りを十分に残す。

「グラナダ」はわたしなどすぐに手榴弾を思い浮かべるのだが、もともとの
意味は「ざくろ」。なるほどとヘンに納得。ざくろは「多くの子孫」を始め、
その国によって色々なシンボル的な意味あるようだ。グラナダ市の紋章にも
ざくろの模様が入っている。

albaicin3 albaicin2
画像をクリックすると拡大図が見られます。 

門をくぐるとあるバイシン区域だ。 細い路地を歩くとパテオのある半円形の
アーチやタイルで飾られたイスラム風の屋敷が多くある。下記の写真で見られ
るようにこれらの屋敷をアルバイシンでは「Carmen=カルメン」と呼ぶ。
カルメンはここでは人名ではなくハウスのことである。↓
albaicin6
ほらね?
albaicin7
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