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2020年9月14日 

8月末から三日ほどの小旅行をしてきた。自粛自粛で家に閉じこもってばかりもいけない。今回の旅行の計画は全部夫に任せたので、文句言いっこなしである。相変わらず逆方向に走ったりしていたが、急ぐ旅でもあるまいし、好きなようにしたらええねん、です。

行先はリスボンにさほど遠くないMafra(マフラ)。何年か前に一度通りかかり、18世紀にジュアン5世王が建築させた宮殿を見学したいと思ったのだが、ちょうど儀式が執り行われており、中に入ることができなかった。

夫は、どうしても宮殿を見たかったようで、今回はMafraに投宿したのだが、その案内は後に回すとして、小さな町なので日曜日は昼食をとるレストランもほとんど閉店で、マフラから車で20分くらいにあるEriceira(エリセイラ)へ足を延ばした。

エリセイラはナザレ以前のサーフィンなどのマリンスポーツで昔から知られた海岸の町だ。海岸沿いの町と断崖上の町とに分かれている点は、ナザレと同じだ。

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大して時間がなかったので、海岸側は見ずに、上の町で食事をとることにした。武漢コロナで閑散としたマフラに比べ、エリセイラは日曜日もあってか多くの人でにぎわっていた。

自国の旅行者はもちろん、ヨーロッパを始め、日本、韓国、果ては中国まで、現在観光客を受け入れているポルトガルだ、アジア人の姿も見られた。もっともポルトガルに住んでいるとはいえ、わたしもそのアジア人のツーリストの一人となるのだが。

エリセイラは自動車道路でリスボンから20分ほどだというので、近年はこの町からリスボンへ通勤する人も多いと言う。人混みは武漢コロナの感染率が多いので、そそくさと町を出ようとは思うものの、やはり座~っと観まわりたい。食後足早に歩いてみた。

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レストランが立ち並ぶメイン通り。ポルトガル南部独特の白壁に青の建物が多くみられる。

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教会も白と青。

レストランが並ぶ通りを少し外れて、ちょっと面白そうな店に出会った。

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パブ、ジュークボックス(Jukebox)とある。今では死語になったであろう、懐かしい言葉ではないか。残念ながら夕方からしか開かない。

同じ建物の横へ回ると、ぬぬ?Hemingway´s Ericeira Bar Cafe?
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見ると、ヘミングウェイの写真が店頭に見られる。

はて?ヘミングウェイが国際義勇軍として人民戦線側を支持、スペイン内戦に参戦していたのは知っていた。その時の体験をもとに書いたのが、「誰がために鐘は鳴る」「武器よ、さらば」である。

20代の時分、スペイン内戦に興味を持ち、わたしは特に詩人ガルシア・ロルカを追っていたのだが、その時に出会ったヘミングウェイの「誰がために鐘はなる」の冒頭に書かれたジョン・ダンの詩は暗唱している。

なんぴとも一島嶼(いっとうしょ 孤島の意味)にてはあらず、
なんぴともみずからにして全きはなし、
人はみな 大陸 (くが) の 一塊 (ひとくれ) 、
本土のひとひら
そのひとひらの 土塊( つちくれ) を、波のきたりて洗いゆけば
洗われしだけ欧州の土の失せるは、さながらに岬の失せるなり、
汝が友どちや 汝 なれ みずからの 荘園 (その) の失せるなり、
なんぴとのみまかりゆくもこれに似て、
みずからを 殺 (そ) ぐにひとし、
そはわれもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、
誰がために鐘は鳴るやと、
そは汝がために鳴るなれば


そのヘミングウェイが、スペイン隣国のポルトガルまで来ていたのだろうかと、早速帰宅後、調べた。その事実はなかったようだ。

Hemingway´s Ericeira Barは、どうやら、かつてドイツのHemingway’s Heidelbergによく通い、いつの日か、エリセイラにそんな店を持ちたいと思っていた店主の好みで開店したらしい。

店主によると、もし当時ヘミングウェイがポルトガルやこの地を訪れていたとしたら、間違いなく気に入っていたであろうとのこと。
ちなみにヘミングウェイはHemingway’s Heidelbergに実際立ち寄っているようだ。

ポルトガルを愛した作家には日本の檀一雄もいるし、ヘミングウェイは釣りも趣味だったようだから、店主の言には何となくうなづける。

Hemingway´s Ericeira Barではジンを中心に、ヘミングウェイが愛したカクテル「モヒート」と「ダイキリ」が飲めるそうだ。どちらもラムをベースとし、キューバが発祥地。ヘミングウェイはキューバに長年滞在し、この二つのカクテルをひたすら愛し、「老人と海」はキューバで書かれたと言われる。

エリセイラでの思わぬバーの名前でスペイン内戦、ガルシア・ロルカ、ヘミングウェイ、懐かしいカクテルの名前を思い起こすに至った。カクテルなど口にしなくなって、かれこれ半世紀ほどになろうか。このバー、入ってみたかった!

してみれば、ヘミングウェイの簡潔文体は、後の時代に続くハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーにも影響を与えていると言うのは嬉しい。

わたしはチャンドラーのハードボイルド小説の主人公、私立探偵私立探偵フリップ・マーローの大ファンなのである。
マーローについては、次回、少し書いてみたい。

マーローについては過去記事にありますので、興味ある方はどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1991.html#comment
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2020年6月21日

ラメーゴの食事処の紹介は後回しにし、ドウロの女王の別称を持ったドナ・アントニア・フェレイラについて書きます。

2011年、ポルトのリベイラ対岸、Cais de Gaiaにあるワインセラー・Ferreiraの入り口ホールには、ドナ・アントニアの生誕200年を記念した彼女の大きな写真パネルが見られました。

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彼女は1811年にドウロ川上流にあるブドウ畑の町レグア(正式名はPeso da Régua)の、裕福なフェレイラ家に一人娘として生まれました。ここで採れた葡萄はポートワインになるのです。

いとこと結婚し、二人の子供、息子と娘をもうけます。しかし、浪費家で家業に興味を持たない夫とは互いに理解しあえなかったようです。夫はパリに遊びその地で亡くなり、ドナ・アントニアは33歳で未亡人になります。

多くの使用人を抱えた家業の葡萄農園長として、またポルトガルの葡萄農園を守ろうとして辣腕を振るいます。ドナ・アントニアは政治家にも堂々たる態度で意見を述べる卓越した人物でした。

彼女が世間から「Ferreirinha=フェレイリーニャ」と親しみを込めて呼ばれたのは、使用人を始め貧しい人たちを常に気に留めて、援助をしていたからです。

農園での事故で働けなくなったり、亡くなったりした使用人や遺族には、当時はどこの農園でも手助けをしませんでしたが、フェレイリーニャはいつも彼らが生活に困らないように手を差し伸べていました。

家業が火の車であっても病院を建てるための資金も惜しみなく出しています。そうして建てられた病院は北部に3つほどあると言われます。この一つが、先日、記事で触れたラメーゴの病院だったのです。
フェレイリーニャは慈悲の人であり、ノーブレス・オブリージュの考えの人でもあったのです。

現在のポートワイン会社がほぼポルトガル人ではなく外国人所有者に占められているのは拙ブログにて書いたことですが、この当時、既にイギリス人による葡萄畑の買占めが始まっていました。

道路造りとスペインからのワイン購入に熱心で自国のワイン産業への援助に無関心な政府や政治家にも意見を述べることが度々ありました。

政府がしないなら自分がすると、ドナ・アントニアは不況や葡萄の病害などでやもなく売りに出される農園が二束三文で外国人の手に落ちることに抗い、多くの葡萄畑を正価で買い取っています。そうして、彼女の没後遺された葡萄畑は30箇所ほどにもなっていたと言われます。

ドナ・アントニアは葡萄の病害防止の勉強のためにイギリスへ渡っていますが、この時は、フェレイラ家の財産を目当てに11歳の娘を息子の嫁にと結婚を申し込んできた貴族から逃れることも理由でした。この渡英時に同行させたフェレイラ家の長年の管財人ジュゼ・シルバ・トーレスが二人目の夫になります。彼はその生涯をフェレイラ家に捧げ、ドナ・アントニアを支えました。

こうしてドナ・アントニアは太陽光を浴びることが葡萄を病気から守るということを知り、日当たりのいい場所を葡萄栽培に選ぶことになりますが、これらの彼女の葡萄園への意欲、熱意が彼女を人々から「Rainha do Douro=ライニャ・ド・ドウロ=ドウロの女王」と呼ばせる所以でしょう。

しかし、二度目の夫を除き、彼女は家族関係にはあまり恵まれなかったようです。
次回に続きます。


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2019年11月22日 

ペドロ、イネスといえばポルトガルではありきたりの名前ですが、小学校の歴史教科書にも必ず書かれる14世紀のポルトガル王家の「ペドロ王子」と愛人「イネス」は純愛と悲劇の代名詞でしょう。
その二人が眠るのがリスボンから北へ120キロのアルコバッサにある「サンタ・マリア修道院(Mosteiro de Santa Maria)です。

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12世紀にポルトガル初代王アフォンソ一斉が建てたこの修道院は、ポルトガルのシトー修道会初の、そして最大のゴチック建築でユネスコの世界遺産にも登録されています。

イネスはペドロ王子の愛妾でしたが、国政を省みず会いに溺れる王子に危機感を持った父王は、イネスの暗殺を命じます。後にペドロ一世国王となった彼は、愛妾の遺体を掘り起こし、王妃の玉座に据えたと言われます。

サンタ・マリア修道院の圧巻は戴冠後ペドロ一世が即座に造らせた美しい細工のイネスと彼の石棺です。二人が再び目覚めたとき、お互いの顔が最初に見られるようにと王の銘で向かい合わせに院内に設置されています。

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王の棺には「Até ao fim do mundo(この世の果てまで)」と刻まれ、「人生の車輪」と呼ばれる棺を彩る装飾には二人の恋の歴史が彫刻されています。

華美な内部小食を極端に控えた禁欲的なシトー会は修道院に似つかわしくなく、愛妾と向き合ってポルトガル随一の緻密で美しい石棺を納めさせたペドロ一世の狂気ともいえる愛がうかがわれます。

ペドロとイネスについては、下記でもとりあげています。

コインブラ:涙の泉(1)http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1726.html
・コインブラ:涙の泉(2)http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1727.html
・アルコバッサの石棺http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-708.html


ではみなさま、また。
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2018年8月17日 

気がつけば一週間以上もブログをあけてしまいました。何度か来てくださった方がおられましたら、申し訳ござらん。

先週末から水曜日まで、家族5人でポルトガルのアルメイダ(Almeida)とスペインのサラマンカ(Salamanca)をまわってきました。いつもなら、「行ってきますので」と、ここに書いて出かけるのですが、実はパソコンを開ける暇もなく、あたふたと準備してでかけたのです。

数日家を空けるとなると、わたしの場合、まず家猫、外猫の餌やり、それにこの時期はベランダの植物の水遣りも気になります。掃除のおばさんにあれやこれやとお願いすることになり、しちめんどくさいものです。
これまで子どもたちは別々の帰郷だったのが、今年は同時期に帰国し、息子のフィアンセも加わって一挙に家族構成5人の夏となりました。

にぎやかになるので喜びながらも、夫と二人の生活に慣れてしまった我が体力は、5人家族の世話にするのに勘が鈍りなかなか大変で、ひぇ~と半分悲鳴をあげつつ、過ごしています。こんな訳で、今年はお盆、終戦の日への思いも綴らぬままになりました。

さて、今回訪れたアルメイダとサラマンカについては、後日、案内しますが、本日はたまたま夕食に立ち寄って思いがけず発見した美しいアズレージュ絵の駅を紹介します。

アルメイダ、ビラール・フォルモーゾ(Vilar Formoso)は、ポルトガルの東側、中央部分のベイラ・インテリオール地方にあります。内陸なので夏はかなり暑く、紫外線アレルギーに悩まされるわたしは、できるものならこの時期の旅行は避けたかったのですが、やむを得ず。しかし、目の前に現れた美しい駅舎を目にしては、アレルギーも吹き飛びました。

アズレージュ

Vilar Formosoはポルトガル、スペインを隔てる国境の町でもあり、駅はポルトガル、スペイン1882年に開通しました。一般的にポルトガル人は車で移動するので、遠距離の鉄道利用は少なく、おのずと本数が少なくなります。

アズレージュ

わたしたちが行ったのは午後8時ころでしたが、駅に人影はなく切符売り場も閉鎖しており、現在は駅として利用されていないのかと一瞬思ったものです。プラットホームにも自由に入ることができ、アズレージュ絵で美しく飾られていました。
ざっと紹介していきます。 下はかつて見られたポルトのフェルナンディーナ城壁(Muralha Fernandina)。

アズレージュ

わたしたちが今回訪れたアルメイダ。
アズレージュ

ご存知、シントラのペナ城。
アズレージュ

セーラ・ド・エストレーラ(Serra da Estrela)の羊飼い。描かれている犬はSerra da Estrala犬です。
アズレージュ

リスボンロスィオ広場。
アズレージュ

エボラのサン・ブラス教会(Igreja de São Bráz)
アズレージュ
まるでお城のような教会です。

駅舎外側のアズレージュ
アズレージュ

これらの絵の中には、残念ながら2箇所、わたしが訪れていないのが、エヴォらの教会ですポルトガルに来た当時の遠い昔に、一度だけエヴォらを訪れていますが、見逃したのは残念。機会があれば、もう一度行って見たいと思っています。

本日はアズレージュの紹介にて。
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2012年5月8日 

筆者は元来が粗忽もの、それを脳内では日本語、英語、ポルトガル語の三カ
国語が飛び交っておるわけで、この年齢ともなると言語の瞬間スイッチが効
かなくなってきております。

雨が降ったりやんだりのリスボンの街を夫とモイケル娘の3人で、カルモ教
会目指して歩いたのですが、方向音痴の夫を先頭にして参った我ら、行けど
も行けども目的地にたどり着かず、とうとう出た口から出たブツクサ。

母「ゆっくり時間があってリスボンをZaraZara歩くのならまだしも」
モイケル娘「ほぇ?ZaraZaraっておっかさん?」

し、しまった!脳内スイッチの入力が遅かった!ブツクサ言った丁度その時
我が視野に入ったのが目の前の店名「Zara」・・・とほほほ、「リスボンを
ブラブラ」と言いたかったところがZaraZaraになってしまい、さすがおっか
さんとモイケルが大笑い、情けなや^^;これが「リスボンZaraZara」の謂
われであります。

旅行出発に先立ち、準備としてネットでざっと検索するのがわたしの常なの
ですが、今回ばかりは影絵の準備に追われその時間もなく、夫に任せたのが
間違いであった。ロシオ広場からあんなに大きく見えるカルモ教会です、そ
んなに遠いはずがない。坂道を上って行くうちに、これはオカシイと気がつ
いた。

しかし、いつものごとく自信ありげに先を行く夫に迂闊にそれを言うと不機
嫌になること間違いなし。さっきまでカルモ教会がやっとこさ見られると嬉々
として歩いていた我が表情もいつのまにやら顔はくもり目はきつく、口元も
「への字」に結ばれてじっと我慢の子。さすがの夫も「まちがったかな?」
とソワソワしだした。「あったりきよ、だんさん、こんなに遠いわけないっ
て。地図、見せてみぃ~」と内心では思うものの、ゆめ、口に出してはなら
んぞな(笑)

だが、ものは考えようで、グルグル迷ったおかげで思わぬ写真が撮れた。

electrico2_1.jpg
路面電車です。雨に赤が映えて素敵です。

リスボン路面電車
こちらも車体に鮮やかなデザインが施され、
 
方向を変えたところでカメラを向けると、あらま、ただ乗りのヤングマンが
ポーズをとって。
リスボン路面電車

ポルトにも2台の路電がありますがこんな風にカラフルにするのもいいなぁ
と思ったり。

こちらは、歩いて歩いていつの間にか辿り着いたサン・ペドロ・アルカンタ
ラ展望台。目的地のカルモ教会からはずいぶん離れていたのですが、この展
望台のすぐ横で、もう一台の路電を。
 
リスボン路面電車
石段から先は進めずここは終着点。
運転手もサービスでカメラにポーズを取り写真におさまって。
リスボン路面電車

リスボンの路面電車は3台あるとのこと、道に迷って結局全部の路電を
見たことになります。
この展望台まで来て、さすが道を間違ったと認めた夫ではありました。

リスボン路面電車

リスボンの町並。右に見えるのはサン・ジョルジュ城。
次回はカルモ教会です。
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テーマ:ポルトガル
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