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2023年12月23日 

日本語オンライン個人授業のアントニオさんが日本を旅行してポルトに帰って来たときのこと。

「お土産を持って来たので、ぜひ直接先生に会って渡したい」と言う。Zoomスクリーンで週1で会っているが直接顔合わせをしたことはなかった。断ってお土産を郵送してくれとは、いくらなんでも言えまい。そこで、隣町のEl Corte Inglêsデパートにあるスターバックスで会うことになった。

そこならわたしは車で行ってデパートの地下に車を駐車できるし、アントニオさんもガイアに住んでいるので、徒歩で来られるだろう。コロナ禍以来、公共交通機関の利用はなるべくしないようにしている。

カフェで人と会うなど、本当に久しぶりだった。アントニオさんは熱心な学習者だ。今はバルセロナ、ポルトを行き来しながら忙しい生活をしているので、少し授業を休んでいるが、1月からまた始めることになっている。

日本を旅行してきてから、日本語を話すのに少し自信がついたようで、1時間半ほどほとんど日本語での会話だった。お土産にはほうじ茶をいただいた。

さて、そのスターバックスだが、ポルトでは以前はこの店一軒だったのが、ツーリストが多いことがあって今は数軒に増えた。今回は、15年ほども前にこのシンボルに興味をもち、自分が調べたスターバックスのロゴについて自分の考えを書いたものを再度あげたい。以下。

エスプレッソコーヒーをメインに世界中にチェーン店を展開するスターバックスが、ポルトガルにも出店した。食後は必ずと言っていいほど仕上げにエスプレッソを飲むポルトガル人だが、さてスターバックスはそのポルトガルに定着するかな?と思った程度で、さほど気にもかけないでいたところ、ある日の新聞付録マガジンのページをめくって、ふと目についたスターバックスのロゴマークに、あれ?と思った。
 
そのロゴマークが大きく入ったマガジンのスターバックス・クリスマス商品の宣伝である。↓
starbucks

日本に帰国するとあちこちで見かけるスターバックスではあるが、ロゴマークに目がいったのは今度が初めてだ。見た瞬間「あ!これはメルシーナ(ポルトガル語。Melusina=Melusine=メリュジーヌとも言う。以後、メリュジーヌと記します)ではないか!」が我が口を思わずついて出た。

メリュジーヌとは、10世紀初期にフランス西部Poitouに興ったリュジニャン(Lusignan)王朝の起源にまつわる、下半身が蛇、もしくは魚の伝説の「水の精」のことで、いわゆる人魚でだ。

人魚はギリシャ神話にも登場しSiren=セイレーンと呼ばれ、童話「人魚姫」はこのメリュジーヌ伝説やギリシャ神話に由来すると言われる。メリュジーヌのイメージ画は時には下半身が2本の魚の尾、またそれと共に背中にドラゴンの翼も描かれ、王冠を頭上に頂いている。
 
伝説
Poitouのレイモンドが森の泉のほとりで美しいメリュジーヌに出会い結婚、やがて二人の間には子供たちも生まれる。メリュジーヌはリュジニャン城を始め多くの城や修道院をリュジニャン地方に建てる。(リュジニャン城は現在城跡のみが残っている)
しかし、ある日、してはならぬと約束していた妻メリュジーヌの水浴を覗き見したレイモンドは彼女が半人半魚であることを知る。
そして、ある時、何かの拍子に怒りに任せてメリュジーヌを「蛇女」呼ばわりしてしまう。本来の姿を知られ、ドラゴンに変身したメリュジーヌは、夫レイモンドに二つの魔法の指輪を残し飛び去り、再び姿を現すことはなかった。

というのだが、下はwikiから引っ張り出した15世紀に描かれたリュジニャン城の美しい絵。 

リュジニャン城_1

塔の右上を飛んでいるのがドラゴンに化身したメリュジーヌ。その上の半円図は占星術の黄道12宮であろう。世はおひつじ座の時代からイエス・キリストの魚座の時代に入ろうとしている。真ん中の光は恐らく「神の子イエス/太陽、光をもたらす者の到来」を表している(と勝手に分析)画像はwikiより

何故わたしがこんな話に首を突っ込んでいるかというと、「spacesis、謎を追う」シリーズで取り上げている、「シントラ:キンタ・ダ・レガレイラ」の謎解きのためにと読んでいる関連のポルトガル語の本、凡才頭脳ゆえなかなか読み進まないのではあるが、その中にメリュジーヌの話が出てきて、検索しながらの考察中なのであった。
  
つながらない糸の端を見つけるのに、四苦八苦。錬金術やタロットカードまでに検索が及び、我が娘には「おっかさん、段々怪しい分野に入っていってるのでは?」と笑われ、自らも「こんなところまで行っちゃっていいのか?」と思いながらの暗中模索なのではある。
  
このロゴを見て咄嗟に「メルシーナ=メリュジーヌ」だと判断したわたしの勘はまんざら当たっていないわけではないようだ。

英語のブログサイトでも既にこのロゴマークについては取り上げられているのだが、スターバックスのロゴは、これまでに何度か変更されている。

Starbucks2_2023.jpg   Starbucks3_2023.jpg
   
5世紀の古い木版画を元にしたと言わ   変更された1987年のロゴ。王冠
れる初期1971年のロゴ。          の星と周囲の星で三つの星が加
                           わる。

かつてアメリカ国内の一部で女性が脚を広げているようだと顰蹙(ひんしゅく)をかい、ボイコット運動があったため再び下記にあるように、ヘソから下を隠した現在のロゴに変更。

Starbucks5.jpg

ソース:How the Starbucks Siren became less naughty

さて、ここからはspacesis独自の謎解き推論に入ります(笑)

描かれた異様なシンボルゆえに教会から異端崇拝に結び付けられた、今日のトランプの原型になる「タロットカード」には抹殺された6枚がある(マーガレット・スターバード著・ 「マグラダのマリアと聖杯」引用)と言われる。
その中の一枚はローマ教会からすると反体制の女性原理をあらわす「女教皇」であり、そのカードの別名は「Siren of the Philosophers=賢者の人魚」である。
  
これらを考え併せたわたしの推論だが、メリュジーヌの変身は(これもまたローマ教会からは異端とされた)錬金術に通ずるのではないか。 錬金術は一般的に鉛を金に換えることだと思われているが、これは隠れ蓑である。錬金術の奥義は神学的、哲学的、心理学的なものであり、生まれたままの人間「鉛」が、精神も人生の試練の中で浄化され、霊的な変容をとげること、つまり「金」になることである。
  
スターバックスロゴのデザイナーに古(いにしえ)の異端の知識があり、意図的にメリュジーヌを使ったかどうかは知らない。しかし、初期のロゴから変更された二つの図に、王冠の上の五ぼう星と周囲のふたつの五ぼう星、併せて三つの五ぼう星が加わっているのこと(五ぼう星も3という数字も秘儀に関連する)、二つ目のロゴから垂らした髪と尾が水が魚座から水がめ座の時代に入ったと言われる、そのシンボルの波線の形になっていることから総合して考えると、スターバックスのロゴは、わたしからすると異端の香りがぷんぷんしているのである。

最後に余談ではあるが、メリュジーヌの子孫、ギー・ド・リュジニャンは12世紀に十字軍が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回後、エルサレム王、後にはキプロス王となる。リュジニャン第二王朝はその舞台をキプロスに移すが、15世紀のシャルロット・リュジニャン王女は、ポルトガルのドン・ジュアン王子に嫁ぎ、二度目はジュアン一世の孫である第二コインブラ公と結婚している。

因みにテンプル騎士団はローマ法王からすれば異端の集団の可能性が強い。ポルトガルはフランスのフィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世が迫害し殲滅させたそのテンプル騎士団を保護、名をキリスト騎士団と変えて残した国である。

スターバックス・ロゴから発したメリュジーヌ調査ですが、その子孫のポルトガル王家への嫁ぎから、なにやら、ポルトガル国内でふんだんに見かけられる錬金術シンボルとの関連の糸口が見つかるような気がするのである。

ではまた。
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2022年9月14日 

昨日も今日も小雨のポルトです。秋が駆け足でやって来そうですが、みなさま、ご機嫌はいかが?

さて、一時期、ポルトガルのシントラ(リスボンの近く)という町の散りばめられてあるシンボルに興味を持ち、これまで何度も通ってきました。そのシンボルの意味を探るのがわたしの趣味のひとつでしたが、そうこうしているうちに日本語教室の仕事が多忙になり、シンボルをネットで探る時間もなくなって、そのまま今日にいたっています。
今日はシントラのちょっと不思議なキンタ・デ・レガレイラ館の億万長者モンテイロ氏とルロワ01(Leroy01)と呼ばれる世界一複雑な機構を持つ伝説的な時計の話です。

下の写真は我が家にあって誰も使わない安物の懐中時計です。なにかで頂いたものだと思います。オールドファッションですが、わたしは好きでこうして手元に残してあります。

Relogio1.jpg

懐中時計と言うとわたしがすぐ思い浮かべるのはアメリカの作家O・ヘンリーの短編集にある「賢者の贈り物」というそれぞれが自分の大切なものを売る夫婦愛の話です。

註)賢者の贈り物:ニューヨークに住む貧しい若い夫婦がお互いのクリスマスの贈り物を買うだけの余裕もなく、毎日の生活をなんとか暮らしている二人。そこで、妻の贈り物を買おうと夫は今では鎖がなくなってしまった金の懐中時計を質屋に売り、妻の美しい髪をひきたてるであろう髪飾りを買う。妻は夫の懐中時計につける金の鎖を買うために自分の美しい金髪を切って売るのである。

高校時代に読んで心に残った物語ですが、この懐中時計をいつまでも持っているのはその影響があるのかも知れません。

腕時計がいつごろから商品化されたのかと調べてみるとオメガ社が1902年に広告を出しているそうです。当時はまだ懐中時計が主流で腕時計が普及し始めたのは1911年カルティエ社が開発した角形の「サントス」(お、うちと同じ名前だw)だそうです。

ブラジルのコーヒー王の息子で自動車の改造や飛行機製造を趣味とするアルベルト・サントス・デュモンの発案で作られ彼の名前がつけられたそうです。

これが件のルロワ01です(Leroy 01)↓

Leroy01_1.jpg
ー画像はWikiよりー

ルロワ01は「キャリバー89(世界に4個)」「ヘンリー・グレイブス(こちらも世界に4個)」と併せて世界の超三大複雑時計のひとつだそうです。

モンテイロ氏がフランスのブサンソン市にある有名な時計メーカーのルロワ一家に作成を依頼したのは1897年、4年の歳月をかけて完成されました。

全部で975パーツを持ち年月日、曜日、春分秋分夏至冬至等の26の複雑機能があります。興味あるその他の機能としては、リスボンの日の出日の入り、世界1265都市のローカルタイム、天体の12宮、パリで見られる226星、リスボンの560星、リオ・デ・ジャネイロの611星が組み込まれた北半球のスカイマップ。下図がそれです。

Leroy01_2.jpg
ー画像はWikiよりー

直径71mm、重さ228gの純金のルロワ01

Leroy01_3.jpg
ー画像はWikiよりー

ルロワ01のケースはキンタ・ダ・レガレイラを建築したイタリア人建築家ルイジ・マニニのデザインです。

Leroy01_4.jpg
ー画像はWikiよりー

真ん中にはレガレイラ館でも見られるアントニオ・モンテイロの頭文字AMが、そして左上にはメーソンのシンボル「全てを見通す叡智の目」ことAll-seeing-eye、中央下には同じくメーソンのシンボル「ハンマーと砂時計」が、その下にはポルトガル国のキーナスマーク(ポルトガル王家の五つの盾)も見られます。
Leroy01_5.jpg Reroy01_6.jpg

マニニデザインのこの時計にはもっと意味深いシンボルがあると思いますが、じっくり調べることが必要です。

完成されたルロワ01をモンテイロが受け取る再際のエピソードを紹介します。

1901年、ルロワ01の完成を電報で連絡したルイ・ルロイ氏がモンテイロから受け取った返事は単純に「郵送してくれ」。これに驚いたルロワ氏、「ルロワ社が4年かけて完成した世界でただひとつの仕掛けの、しかも破格の金額を払ってもらった純金の時計をとても郵送などできない」

考えあぐねていたところ、たまたまパリで当時ルロワ家の顧客の一人であったポルトガル王ドン・カルロスに相談したところ、その時計を王に見せることを条件に、王直々にポルトガルへ持ち込むことになりました。つまり、通関せずに今で言う「密輸入」を王自らが手助けしたということですね(^^;)

1904年、ドン・カルロスは宮殿にモンテイロを呼び王直々にルロワ01を手渡しました。

ルロワ01は当時で2万フランをモンテイロが支払ったそうで、今に換算すると億単位。ちなみに上述したヘンリー・グレイブスは1992年にサザビーズ・ニューヨークオークションで約13億円で落札、もうひとつのキャリバーは1989年、ジュネーブのアンティコラム・オークションで
約3億8千万円で落札されたそうです。

ルロワ01はモンテイロ氏の死後、それを創ったルロワ家に買い取られ現在はルロワ家があるフランスのブサンソン、時計博物館に展示されているそうです。シントラのレガレイラ館へ行くと、ルロワ01についての展示場があります。

もうひとつ、面白い話を。
1988年キンタ・ダ・レガレイラは日本の青木建設が所有しており、その間レガレイラは一般人には公開されていません。後にシントラ市が買い取り文化財に指定し、現在はぺナ城に並ぶ観光スポットになっています。

最後になりましたが、regaleiraとは「豊潤なる人生」とでも訳すのでしょうか。莫大な財産を有し経済的な問題を持つことのない人が幸せな人生を送るかと言うと、一概に言えないような気がします。持つが故に抱える問題も多いかも知れないと思うのは、持たないものの僻みかしら。

モンテイロ氏は財力を十分に活用し、自分の神秘思想、その哲学を徹頭徹尾、人生に活かした人なのかも知れません。

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2019年8月23日 

今日はナザレの礼拝堂(Ermida da Memória)地下から。

小さな礼拝堂に入り、地下へおります。
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美しいアズレージュの階段を少しおりたところ、この地下の洞窟に長い間黒いマリア像は眠っていたのでしょうか。左側にマリア像のレプリカが置かれています。

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と、・・あれ?レプリカは白いマリア様に変身させられていますぞ。だめじゃないですか、これと、多少がっかり。勝手に肌の色を変えてしまうなどレプリカとはいえないと、一言苦情を言いたいところです。

さて、ここからは件のポルトガル唯一だと言われるSantuário de Nossa Senhora da Nazaréの黒いマリア像です。

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教会内部。

祭壇の写真を撮っていると、黒いマリア像が置かれている祭壇の上を人が時々通ります。
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聞けば、祭壇に向かって左側から、1ユーロで裏に回り、目の前で見ることができるとのことで、夫と息子は興味なし、わたしが一人で入ってきました。

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祭壇の裏側も美しいアズレージュが施されています。この階段から入ります。
 
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こちらは明らかに黒いマリア様です。

「ノッサ・セニョーラ・デ・ナザレ:AD714年にメリダ(スペイン)から運ばれ468年間この岬の洞窟に隠されていた。1182年以来Alma Portuguesaとして崇められている」と説明されています。

木製で高さ25cm、最古の黒いマドンナ像のひとつと考えられるのだそうで、言い伝えによれば、ナザレの大工のジョゼフ(イエスの父にあたる)がイエスが赤ん坊のときに作り、数十年後に聖ルカが色付けをしたのだそうな。

すると、ジョゼフがグノーシス派でもないかぎり、ナザレの黒いマリア像を神秘主義者たちのシンボルとするには無理がでてくるのだが。とは、わたしの突っ込み。

ナザレのマリア像は左ひざの上に赤ん坊を抱いていますが、典型的なエジプトのイシスとホルス像の形であり、頭部のヴェールは東地中海の伝統を表しています。

ちょっと比べてみましょう。

blackmadonna.png
イシス女神とホルス  いわゆるカトリックの聖母マリアとイエス

ここからは、黒いマリア像も含むシンボルの謎に対するわたしの考えです。

キリスト教が古代の異教から多くの行事を取り入れていることを見ると、エジプトの神秘主義との間に類似性があっても不思議はないでしょう。異教徒とみなされることから逃れるために、神秘主義者たちが聖母の白い肌の色を黒にし、数世紀もの間、密かにそれを崇め続け、その結果今の時代までそのシンボル残されてきたとしたら、歴史の大いなる一面だと思います。

黒いマリア像をわたしはイエスのただ一人の女弟子、マグダラのマリアと捉えているのですが、今回のナザレの黒いマリア像については、突っ込み部分もあり、果たして神秘主義者が崇めるマグダラのマリア像を意味するのかどうか、不明です。

ローマカトリック教が強大な権力を持ったヨーロッパ中世、カトリックにあらずんば人にあらず、と社会的に存在を否定された時代に、自らの思想を貫かんがため、同志だけが分かるシンボルを建築物や作品に密かにしたためた抵抗者たちがいたことを知るのは意味があると思います。

厳しい環境に身をおきながら、いかにして自分の信念を後世に伝えることができるか、その方法を編み出す知恵者と絶対権力者たちとの競合には、手に汗握るものがあると思うのですが、みなさまはいかがでしょうか。

カトリック教会に反骨精神逞しい人と言えば、ミケランジェロを思い浮かべますが、興味のある方は下記をどうぞ。

・バチカン:システィナ礼拝堂の隠されたミケランジェロ暗号

・バチカン:システィーナ礼拝堂の隠された暗号(2)

・ローマ編:ミケランジェロのポルタ・ピア門

・ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂の隠された暗号(2)

・ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂の隠された暗号(3)

本日はこれにて。
「spacesis, 謎を追う」シリーズにお付き合いいただき、ありがとうございます。

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2019年8月21日 

イエスが最高の霊知を授けたと言われる秘蔵の弟子、マグダラのマリア像は、「神の知恵のシンボル」とされます。なぜ「黒」なのかというのには数説あります。

黒は知恵を象徴する、黒い聖母は異教的には浅黒い肌を持つエジプトの女神イシス(永遠の処女でありオシリスの死後、処女のまま神、ホルスを身ごもったとされる。キリスト教の聖母マリア、イエスと同じ話である)からくる、などなど。

グノーシス主義の人々が崇拝するその異教徒の黒いマリア像は、世界に160以上あるとのことで、フランスが圧倒的に多く、イタリア、スペインが続きます。

そして、ポルトガルでは唯一、ナザレの丘陵区域Sítio da NazaréにあるSantuário de Nossa Senhora da Nazaré(Santuário=聖地、教会とも訳せると思う)で見ることができます。

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しかし、地元では黒いマリア像とは呼ばず、土産物店で売られているコピーも白いマリア様になっています。
羊皮紙に書かれた古書によると、この黒いマリア像は初期キリスト教時代のパレスチナ・ナザレで崇拝されてきたとあるのだそうです。

5世紀に起こった偶像破壊運動から逃れて、黒いマリア像はスペイン、メリダ近郊にあった修道院に運ばれ、711年までそこに安置されていました。その後、ムーア人のイベリア侵入が始まり、ロマノ神父が聖宝の黒いマリア像を持ってポルトガルの大西洋沿岸(現在のナザレ)まで逃れ、崖の洞窟にそれを置きました。それゆえ、この地はナザレ、そして黒いマリア像は「Nossa Senhora de Nazaré」と呼ばれます。

ここまでが、黒いマリア像がパレスチナのナザレからポルトガルに辿りつい経路なのですが、現在教会の中に納められているこのマリア像は、最初、崖淵の小さな礼拝堂、Capela da Memóriaに安置されていましたが、この崖にもうひとつ、12世紀後半の伝説があります。

戦士Dom Fuas Roupinho(ドン・フアス・ローピーニュ。恐らくテンプル騎士だと思う)はある日、馬に乗り狩に出、深い霧の中で不思議な黒い影を見ます。鹿だと思いそれを夢中で追いかけるうちに崖っぷちまで来てしまい、一瞬マリア様に助けを求めます。すると、危うく海に落ちるところを馬のぎりぎり脚の踏ん張りで命拾いをします。

その場所は、ちょうどかの黒いマリア像が安置されてある洞窟のすぐ横だったとのこと。そこで、感謝の印としてDom Fuas Roupinhoはその場所に礼拝堂を建てます。
 
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ピラミッド型の屋根を持つ礼拝堂はまさに崖っぷちに建てられています。

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礼拝堂横は見晴台になっており、この壁の向こうは崖で入ることができない。ここから眺められる景色がこれ↓
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古い礼拝堂の外壁にはDom Fuas Roupinhoの伝説の場面がアズレージュで描かれている。
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14世紀に入ると、噂を聞いた巡礼者が増大し、ドン・フェルナンド王は礼拝堂の広場向こうに教会を建て、黒いマリア像もそちらに移動されます。それが、Santuário de Nossa Senhora da Nazaré教会、トップの写真になります。

礼拝堂内部、黒いマリア像もまだ続きます。
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2019年8月19日

ナザレの黒いマリア(聖母)像を書くにあたり、関連するテンプル騎士団について、思うところを少し書きたいと思います。

これといった宗教を信仰しないわたしですが、旧約聖書はひとつの壮大な物語本として興味深く読んできました。

ダン・ブランのベストセラー「ダビンチ・コード」がきっかけで、強大な力を持つカトリック教一色に染まったヨーロッパの中世時代に、ミケランジェロ、ダビンチ、ガリレオのような宗教を鵜呑みにしなかった人達はどのように生きたのかということに深い興味を覚え、暇を見ては本を読んだりして追ってきました。

宗教には寛大な日本に生まれ育ったわたしには、カトリック教信者ではないということがどういうことなのか、いまいち理解できなかったわけですが、 調べて行くうちに、「信者でない者は悪魔である」という制裁を受ける社会だったであろうということです。

そうこうして行くうちにテンプル騎士団、錬金術、グノーシス、神秘主義と多岐にわたる学習を独学することになり、そこでわたしがたどり着いたのは、カトリック教会に秘密裏に反抗、抵抗して編み出されたのがシンボルコードだ、です。

アラブ人に占領されていたイベリア半島がテンプル騎士団によるレコンキスタ運動で国土奪回を得たのは、意外と知られていないような気がします。テンプル騎士団の大きな助力でポルトガル国が成されたとも言えるとわたしは思っています。

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12世紀の初めに、キリスト教集団の皮を被り、エルサレムのソロモン神殿跡地に宿営した7人の騎士によって結成されたのが「キリストとソロモン神殿の貧しき騎士たち」、後のテンプル騎士団です。

やがて強大な権力、富を持ち、影響力も大きかったテンプル騎士団の莫大な財宝に目がくらんだフランス王フィリップ4世の陰謀により14世紀初期に、騎士団最後のグランドマスター、ジャック・ド・モレーの処刑で終焉を迎えます。

フランス王が横取りしようとした騎士団の財宝は、跡形もなく消えて行方知れず。ヨーロッパのテンプル騎士団は弾圧され、残った騎士団の大部分は消息不明になりました。

この時、ポルトガルのテンプル騎士団(トマール)は国王の庇護の下、キリスト騎士団と名を変え存続しました。ポルトガルはこの後、大航海時代に入っていくわけですが、フランス王が手にできなかったテンプル騎士団の財宝の一部は、ポルトガルの大航海時代に遣われたのでは?とは、わたしの推測です。

charola2016-1[1]
トマールのキリスト・テンプル騎士団修道院

さて、このテンプル騎士団が崇拝するのが「黒い聖母」だと言われます。

この項、更に続きます。

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