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2023年11月27日 

キンタ・ダ・バカリョアとは少し離れたところにあるバカリョアワイン社は、ポルトガル最大のワイン生産社のひとつだと言われます。1922年に創立され、ポルトガル国内の七つのぶどう産地で採れるぶどうで生産される赤、白、ロゼ、マスカットのバカリョアワイン。その50%は主にブラジル、カナダ、フランス、スイス、アメリカに輸出されます。

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見学コースは、小宮殿の後、ワインケーブを見学してワインの試飲となるのですが、これまにあちこちでワインケーブを見てきたので、わたしは荘園と小宮殿をみることのみ家族に提案しました。それでも、赤、白、ロゼとそれぞれのワインの試飲はできました。ここで、ワイン好きの義弟の誕生日の贈り物として、50ユーロの赤ワインを一本購入、彼の誕生日に合わせて郵送しましたが、気に入ってくれたでしょうか。

さて、実はワインよりもわたしの興味をひいたものがこのワイン社の庭にあったのです。試飲している最中に、目に入ったのが下の写真です。

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一瞬、日本のお墓に似てるんでは?の印象を持ったもので、帰りがけに見て見ました。案内板があり、読むと日本人の彫刻家が作った石庭なのだそうです。

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Niizuma Minoru、世界的に知られた石の彫刻家(1930-1998)、東京に生まれシントラで没したとあります。 う~む、シントラで亡くなられたのか・・・と、一時期休暇になるとシントラに何度も出かけては撮影していたもので、そこで亡くなったことにも興味を持ち、Niizuma Minoru氏について調べたのでした。

次回はNiijima Minoru氏の作品をブログにあげてみたいと思います。
ではまた。

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2023年11月24日

今春、休暇を利用して行って来たワイナリーと荘園、小宮殿の紹介です。

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荘園入口

セトゥーバルのアゼイタォン(Azeitã)にある「キンタ・ダ・バカリョア」。一瞬、バカリャオ(Bacalhau=ポルトガル独特の大きな干しダラ)の間違いじゃないかと思ったおですが、バカリャオに関係がありました。

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↑小宮殿の前には、なんと!ポルトガルの代表的な現代アーティスト、Joana Vasconcelosの作品がで~んと!わたしはこれを彼女のポルトでの展示会で目にしている。それにしても、古い小宮殿と現代アート、ミスマッチだと思うがなぁ・・・

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この館が別名「湖の家」とも呼ばれる所以。

この荘園、館は15世紀にはポルトガル王族が所有していたが、16世紀に入るとニックネームが「バカリヤウ」という伯爵の所有となりその名は今に受け継がれているとのことです。

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館裏のラビリントス

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小宮殿の葡萄畑

20世紀初期、ここを訪れたアメリカ人女性Orlena Scovilla は荒れ果てた小宮殿が気に入り買い取ってできるだけ原形を保つように修繕を手掛けて家族の別荘としますが、第2次世界大戦中はこの館を居にしていました。

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Wikipediaより、廃墟を修繕を手掛けるOrlena Scovilla。彼女自身はアズレージュ(青タイル絵)を担当したと言われます。

大戦中は、5歳から15歳のフランスやユダヤの子どもたちをその家族たち、亡命者などを引き受けこの館にかくまっていました。

Orlena Scovillaは1967年にこの館で没しましたが、その後も60年間この町とScovilla一族との交流は続けられ、今日、荘園と館はポルトガルでも屈指のマデイラ出身の富裕者ジョー・べラルド率いるべラルド財団に属しています。

次回は、この館からマイクロバスで3分くらいのところにあるワイナリーのBalalhoa 社の案内です。

ではまた。

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2023年9月9日 

前回の続きです。

ストーンヘンジを後に、帰路の途中で同じコルク畑内にメンヒル(ポルトガル語でmenir)もあるというので、それも見ようということになった。標識があるところで車を停め、見てみると、こんなん・・・

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えー!オリーブ畑の間を縫う小道が凹型にくぼんでいて歩きにくいこと、この上なさそうだ。一瞬行くのを諦めようかと3人で話していたところに、突然一匹のきれいな三毛猫がどこからか現れて、しきりに体を摺り寄せてくる。

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あたかも「見て行きなさい」と言っているかのよう思われ、仕方ない、足を運ぶことにした。三毛猫はまるでわたしたちを案内でもするようにメンヒルのあるところまでついてきた。

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目前に姿を現したメンヒルは高さ3.5メートルほどの旧石器時代のモノリスだ。先に見たストーンヘンジことクロムレックとの関連性は記されていない。

日も暮れかけ、さて帰ろうと車を走らせたところ、おろ?ゆっくりとストーンヘンジ方向に向かう車数台と狭い道でかろうじてすれ違った。へぇ、今から見に行くのか、と思っていたらまた数台、また数台と向かって行く。

ぬぬ?そして、あっと思った!この日、8月31日はスーパームーンが見られた。しかも今年の8月は満月が2回見られ(8月2日と31日)、この二回目の満月をブルームーンと呼ぶのであった。見ればオリーブ畑の上には大きなブルームーンが上っている。

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恐らくこの日のスピリチュアルで静かなるイヴェントでも催されるのであろう。しまった!月が上るまでいればよかったと思ったものの、再びあのデコボコ道を引き替える体力も活力もなかった我らであった。

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晩食後、散歩がてら行ったエボラ旧市街のTemple da Diana、ディアナ神殿。ローマ時代の建築遺跡。月の女神ディアナに捧げられたと言われる。

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2023年9月8日

日中は34度に気温が上がるエボラ、ゆえに早目に昼食を済まし、夫と東京息子はどこぞを歩いたりしたようだが、わたしは夕方までホテルの部屋で休んだ。

夕方6時ごろ、さぁ、行ってみようと出かけたのが、エボラから車でさほど遠くない先史時代の遺跡ストーンヘンジがあるNossa Senhora de Guadalupe。あまり知られていないがポルトガルには巨石遺跡があちこちに見られる。

小さな町を通り過ぎて、オリーブとコルク樫畑の中に入っていく。実はここは私有地なのだそうで、所有者の好意で、ストーンヘンジをみるために一般人が24時間いつでも自由に入れるとのこと。
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コルク樫畑の途中からストーンヘンジまでは舌を噛みそうなでこぼこ道で、ギア1か2でしか走れない。観光化されていないのである。行き交う車は1台もなし。涼しいときなら徒歩でのアクセスもいいだろう。やがて目の前に姿を現したストーンヘンジこと、ポルトガル語でCromeleque(ストーンサークル) dos Almendres。

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1960年代に発見されたポルトガルのストーンヘンジは7000年前のものでイギリスのストーンヘンジよりも2000年古く、ヨーロッパでは最古のものとされる。95のモノリス(一枚岩)は下記の図にあるように、新石器時代に造られ天文観測と儀式に関連すると言われる。

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上図がオリジナル、下図は現在のサークルの様子(2枚ともWikipediaより)

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石の高さは低いものから3メートルほどあるものまで。12の石には現在もかろうじて見ることができる円などの謎の図形が刻まれている。暗くなりつつあったので、日光があたらないので全てを探し当てることはできなかったが、一部を下に載せてみる。

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道が悪いので、すっかり暗くなる前にとひきあげ始めたところが・・・
次回に続きます。

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2023年8月29日

わたしにとって中世時代の建築物を見る楽しみのひとつは、「こんなものがどうして?」と思われる彫り物や絵を発見することです。これらは造り手である建築家や依頼主の思想を表すシンボルであり、建築物は彼らの哲学を書いた一冊の本であると信じるからです。

ローマ・カトリックから異端と断じられたテンプル騎士団による建築物には、キリスト教がらみの多くの宗教画を目にしますが、よく探してみると気づかぬ箇所にたくさんの異端のシンボルが散りばめられています。

キリスト教を禁じたという歴史があるものの、日本人は宗教に非常に寛大だとわたしは思っています。なにしろ、一つ屋根の下に神棚と仏壇があるのが当然であった国です。それに比べ、ヨーロッパはキリスト教一色に染められ、政治的道徳的にもキリスト教信者にあらずば人にあらずと、異端審問所が設けらるなど異端者に対する迫害は残酷なものでした。

素晴らしい哲学者、思想家や芸術家たちが盲滅法に時のキリスト教を受け入れることはなかったとは、わたしの推測するところです。ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエルなどの著名な芸術家たちがキリスト教徒を隠れ蓑にし、バチカンに気づかれないように知恵を絞って彼らの思想を作品に織り込んだことは、現代のわたしたちが知るところです。これは一国の王にも言えるのではないか。今も昔も、どんな宗教も主義も私たちの考える自由を抑えることはできないということです。そんなことを思いながらジェロニモス修道院内のサンタマリア教会に、とある探し物の目的があって入りました。

ジェロニモス修道院

かつてポルトガルのお城、教会の写真集の中で、「バターリャ修道院内にあるトウモロコシ。当時トウモロコシはまだヨーロッパに伝わっていなかったのになぜ?」とのキャプションを見て大いに気に入り、是非これを探してみようと思っていたのでした。

一つはバターリャ修道院の屋根のない、「未完の礼拝堂」で見つけています↓

Batalha

トウモロコシがヨーロッパにもたされたのは、1492年、コロンブスによって。バターリャ修道院の建築が始まったのが1386年。その頃はまだ大航海時代は始まっていないわけです。

しかし、バターリャ修道院が完成を見たのは1517年、120年も後です。更に、「未完の礼拝堂」は名の通り建築が終えられなかった、つまりここが最後に取り掛かった建築部分と言えます。ですから、礼拝堂の建築に及んでいたころは既にトウモロコシはヨーロッパに持ち込まれていたとなります。礼拝堂が未完になったのには諸説がありますが、そのひとつはジェロニモス修道院建築に取り掛かるため、建築家の総動員が行われたというものです。

さて、このバターリャのトウモロコシよりももっと面白い彫り物がジェロニモス修道院にあるという話を目にしたのは随分前のことです。それが、「トウモロコシを掴んだ手」です。

見つけましたんですよ^^ 下記の画像です。

ジェロニモス修道院

内部は暗かったので画像があまりよくありませんが、トウモロコシをしっかり掴んだ手です。

トウモロコシは紀元前5000年頃にはアメリカ大陸で主要農産物になっており、マヤ、アステカ、インカでも広く栽培されていたと言われます。アメリカ大陸のインディオの間では創造主からの賜物だと信じられていますが、トウモロコシの起源は不明。

トウモロコシは富と子孫繁栄のシンボルです。このトウモロコシをしかと握った手と言うのは果たして「幸運王」の別称を冠し、ポルトガル大航海時代の富を一手にして、マヌエル建築様式まで創り出し、テンプル騎士団修道院、ジェロニモス修道院などの素晴らしい建築を後世に残した「ドン・・マヌエル1世」の手なのでしょうか。

う~ん、シンボルは面白い!え?教会のどこにあるかって?それを探してみるのも面白いと思いますよん。教会内のどこかにありまっす!

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