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2023年6月23日

今日はサン・ジュアン祭り前夜祭です。

ポルトガル語では「Festa de São João(フェスタ・デ・サン・ジュアン)」と言います。「サン(聖)・ジュアン」とは、ヨーロッパでも最も祝福されるといわれる洗礼者ジュアンを指します。

ジュアン、ジョーン、ジャン、ジョン、イワン、シーンと国によって呼ばれ方は色々ですが、聖書の中でキリストに洗礼を授けたヨハネです。また、オスカー・ワイルドの「サロメ」でもヘロデ王が彼女に褒美として取らす「ヨハネの首」のヨハネのことです。

ポルトガルの町は、それぞれが守護聖人を持ちます。例えば、リスボンはサント・アントニオで、その生誕日6月13日の前夜祭には目抜き通りのリベルダーデ大通りを、リオのカーニバルに匹敵するような、盛大なパレードが練り歩き、大変な人出で賑わいます。

ポルトの守護神と言うと、聖ジュアン(つまりサン・ジュアン)と言う人が多いのですが、実はさにあらず。ポルトの守護神は「Nossa Senhora de Vandoma(聖母マリアにつけられる数ある名称のひとつ)です。これはリスボンでも同様でリスボンの守護神はサン・ヴィセントです。

サン・ジュアンは祭りの守護聖人である、と、ポルトの歴史家Germano Silva は書いています。わたしも長い間、ポルトの守護神はサン・ジュアンだと聞かされてきたのですが、Germano Silva のポルトの歴史本を読んで知るに至りました。

ポルトガル語の「São」は、「聖なる、聖人」を意味し、後に来る名前によって「São=サン」もしくは「Santo=サント」となります。

6月24日が聖ジュアンの生まれた日だと言われ、祭りは23日の前夜祭です。ポルトのサンジュアン祭りは、リスボンのサント・アントニオ祭りと趣が違い、見せて見て楽しむのではなく、市民が町に繰り出して思い思いに楽しむと言うローカル色のアットホームな雰囲気があって、なかなかよろしいようです。

サンジュアン祭

サンジュアン祭りの中心は世界遺産指定されている区域、これこそポルト!と言われるドウロ川べりのRibeira(リベイラ)と、昔ながらのサン・ジュアン祭りが楽しめるフォンタイーニャス(Fontaínhas)

サンジュアン祭

前夜祭には、二重橋D.Luis Ⅰ(ドン・ルイス一世)橋を背景に、華やかな花火が打ち上げられ、祭りは明け方まで続きます。

マンジェリコ(鉢植え植物)、にんにくの花かプラスティックのピコピコ・ハンマー、そして鰯の炭焼きえをサンジュアン祭りの三種の神器とわたしは呼んでいます。

6月23日が近くなると街のあちこちで売られるピコピコハンマー
サンジュアン祭

サンジュアン祭
↑かつてはプラスティックのピコピコハンマーでなくて、このにんにくの花で行き交う人の頭をぽんぽん叩いたものです。

サンジュアン祭
↑マンジェリコは「くるま花科」と辞書にありますが、この時期、どこの家庭でも手に入れて屋内に置きます。独特の香りをもち、人々はこれに手をかざして香りを掬い取り、その香りを愛でます。ちょっと日本の香道の仕方に似ていませんか?

マンジェリコに小さな旗が挿されているのがよく見かけられますが、それにはサンジュアン祭にちなんで毎年催される短詩コンテストで入選した詩が書かれてあります。日本で言う短歌でしょうか。恋の詩がたくさんあります。

祭りの三種の神器にもうひとつ加えたいのが、サン・ジュアンの熱風船(Balão de São João)です。

サンジュアン祭

サンジュアン祭

こうして夜空に熱風船を飛ばすのですが、これが、山火事惨事故の原因になってはならぬと、禁止のお触れが出ました。破った者は個人だったら5000ユーロ(約60万円以上)、集団でした場合は最高6万ユーロ(700万円以上)もの罰金が科せられるとのこと。今年の前夜祭の夜はどうなのでしょうか。

こんな風にして古い習慣が失われていくのは残念なことではありますが、惨事の元になり得るとなれば致し方ありませんね。

下記では、2015年のサン・ジュアン祭りの様子と熱風船をあげています。
サン・ジュアン祭2011」  

そして、最後になりましたが、サン・ジュアン祭りの主役の鰯です!
サンジュアン祭

これがご近所で街中のいたるところでと、鰯を焼く匂いでとても家の中におられたものではありませんです。それから逃れるためにも、我らも街へと繰り出したものですが、今年は難しいかな?


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2022年12月5日

やっと時差ボケから解放されそうです。
が、週末、帰国後最初の日本語教室4クラスの授業と、クリスマスツリーの飾りつけで多少疲労気味、今朝5時ころには飼い猫ゴロー君がニャゴニャゴいいながらベッドにもぐりこんできて、これまでならすぐにベッドから出て行くのに、珍しくわたしが起きだす6時くらいまで、ご滞在でございました。

ゴローは御年16歳、人間でいえば80歳ほどだといいますから、お前も飼い主の私同様、歳をとったなぁと(笑)

ふと、10年前の今日はどんなことを書いていたのかと日記を探ってみましたら、なんという偶然、同じく猫の事から始まる日記でしたっけ。

本日はその再掲でご勘弁あれ。以下。

ー引用
このところ、寒い日が続いているポルト、今日はまだヒーターなしでがんばっていますが、昨日一昨日はついに朝からヒーターをつけてしまいました。

なにね、自分は重ね着をすればなんとかしのげるのですが、5匹ネコがつけろつけろぉとパソコンの周りでうるさくまとわりつくので、仕事がはかどらんのです。

gato

なんだぃお前ら、毛皮もってるのに!カーッツ!ですw
(追記:10年前の今頃は5匹ネコがいました。トイレの砂片づけやエサやりが大変でしたが、猫と共の日々がそれを上回る楽しさ、愉快さがありました。一番最初の白猫タンポポちゃんも入れると5匹の猫を見送ってきました。)

さて、先週金曜日は真っ青な空に誘われてわたしとしては珍しく3時過ぎに街を2時間ほど歩いてきました。行った先は5年前に撮影をした旧市街の一画なのですが、当時のデジカメよりいくらか質がよい現デジカメで再度撮影したいと思っていたポルトの穴場「Miragaia」地区です。

この日はドウロ川側から上りましたが今回はクレリゴス塔界隈から入ってみました。

Miragaia

クレリゴス塔の横を通るツーリスト用Citytrain.
Miragaia

インフォ

古くからあるミラガイア地区は14世紀には目前のドウロ川で漁をする漁師の村だったといわれ、ユダヤ人やアルメニア人の移民が住み始め、現在でもその名残でユダヤ通り、アルメニア通りと名前が残っています。

Miragaia
アルメニア通り                

Miragaia
Escada(階段) de Caminho Novo。上方に見えるのはドウロ川。
 
Miragaia
古い家並の外壁に美しいアズレージュが使われている。

Miragaia
おっと失礼、洗濯物がありました^^;

Miragaia
真っ青な空に黄色とレンガ色の壁が夕日に映えて、コントラストが美しい。
ー引用終わり

この頃は日本語教室の仕事も今ほど忙しくなく、訪れる観光客もまぁまぁでコロナ禍もなし。ポルトの歴史を独学してはそれを巡るためにメトロを使ってよく街へ出たものです。 ポルト、ポルトガルはその後観光ブームとなり、新しいスポットがたくさんできましたが、わたしはそちらにはあまり興味がないのです。しかし、歴史が変わるわけもなし。時間を見て今再びデジカメ一人探検を再開してみようかと考えています。 

乞う、ご期待!とはまだ言わんとこう


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某月某日

「Arco das Verdades」への道は、Séこと大寺院の左横の小さい通り(Rua Dom Hugo)を入ります。
この通り右手のGuerra Junqueiro博物館を通り過ぎると写真に見るように左に狭い石段の道があります。

ポルト
背後に見えるのは大寺院の一部。

石段の途中にある古い共同水道。
ポルト

そしてArco das Verdadesが目の前にありました。
ポルト

写真から分かるように家が門にしっかりくっついており、こういうのは許可がでてるのかなぁ、と思ったり。

一つ思ったことは、ここに住む人達、一歩家を出るとすぐ石段ですから、買い物にしろ仕事に行くにしろ、随分と運動になるなぁ、です。

小っちゃいじゃん?はい、小さい(笑) ↓下は門を通り抜け別の通りの石段から撮りました。
ポルト

この近辺は別にして、地元の人間が結構知らない「真実の門」ですが、んまぁ、朝から訪れて来るツーリストがたくさんいます。
ポルト

ポルト

Arco(アーチ型の門のこと)を見上げると、こんな具合ですから、ちょっと危ないなぁ、の感。何しろ14世紀に造られたのです。これまで数箇所が修繕されて来たでしょうが、そのうち工事が入って通行止めになる可能性もあります。

「真実の門」の歴史を紐解くと、大寺院一帯を包囲する「Cerca Velha(古い石塀の囲い)」の4つの門の一つだそうで、先に述べたように14世紀のことです。

面白いのは、「真実の門」は当初はアーチだったわけではなく、大寺院一帯と外界を行き来する門だったのですね。門は4つあったと言われますが、高い石塀の囲いをやがて市内を囲む大がかりな城壁が取って代わり、残ったのが「真実の門」だけになりました。 後に水道橋としても使われました。

この門についてもうひとつ面白いことを。
Arco das Verdades、つまり「真実の門」は最初、「Porta das Mentiras」、「嘘の門」と呼ばれていたとはこれいかに!嘘つきや泥棒がこの門をしょっちゅう出入りでもしていたのでしょうか。

こんな恥知らずな名前で呼ばれては住民が困る、とでも言うかのように、やがてこの門はいつ頃からか、「Porta de Nossa Senhora das Verdades(聖母マリアはいくつも呼び名を持っており、これもそのひとつ)」と呼ばれるようになり、今に至っています。

最後におまけ。ポルトガルの古い通りでは必ず見かけるネコ。この黒猫はわたしにまつわり付いてしばらく離れませんでした。
ポルト

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某月某日

ダウンタウンをポルトガル語では俗にBaixa(=バイシャ。下の意味)と言います。 そのダウンタウンの目抜き通りが歩行者天国のサンタ・カタリナ通り。わたしがポルトに来たばかりの40年ほど前は、ショッピングと言えばこのサンタ・カタリナ通りでした。

特にクリスマスの時期には人でごった返し、通りは身動きができないほどのにぎやかさでしたが、その後、郊外に、コンティネント、IKEAを始め大手のショッピングセンターが何軒も出現し、往年の賑やかさはなくなりましたが、ポルトは2014年に、ヨーロッパで一番訪れてみたい都市に選ばれるなど、ここ数年、観光客がうなぎのぼりに増えています。サンタ・カタリナ通りには、ブティックが軒を並べている中、古い歴史を持つハイライトも幾つかあります。そのひとつが、Capela das Almas(カペラ・ダス・アルマス。Capela=礼拝堂 almas=魂、精神)です。

capela das almas
capela das almas

18世紀初期に建てられた小さな礼拝堂ですが、外部を覆うAzulejo(=アズレージュ。青タイル絵)が完成したのは20世紀に入った1929年。総数15947枚のアズレージュが語るは、サンタ(聖女)・カタリナとアッシジのサン・フランシスコです。
 
capela das almas
capela das almas

capela das almascapela das almas

さて、聖女カタリナとは?と、わたしはこういうことにすぐ興味をそそられるのです。カトリック信者が多い国には、聖人聖女がたくさんおり、これらの名前と伝説を整理して覚えるのは生半可なことではありませんが、それを知らずしてこのアズレージュを見てなんとしよう!というので、以下。

サンタ・カタリナとは?

聖人、聖女の名はあまたあり、国によっては同じ聖人聖女なので呼び方も違います。わたし自身はカトリック信者ではありませんが、現代に残る気になる名前の由来をたずねるのが好きで、よく調べます。さて、サンタ(聖)・カタリナですが、どうも二人いるようです。

その一人は、アレキサンドリアの聖女カタリナ、もうひとりがイタリア、トスカーナ地方、シエナの聖女カタリナです。二人の物語は一部似通ったところもあり、混乱を招くようです。

アレキサンドリアのカタリナは名家に生まれ、高い教育を受けました。才女と美貌の誉れ高く、皇帝からの改宗命令を拒み投獄されます。車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問が命じられますが、カタリナが車輪に手を触れると車輪はひとりでに壊れてしまったがため、斬首、19歳で殉教しています。サンタ・カタリナのシンボルは、壊れた車輪、足元の王冠、剣、本、異教の哲学者と論争する女性、などなど。

この伝説は、場所がアレキサンドリアということ、才女と美貌の誉れが高い、ということ、惨殺されたという点から、わたしは、4世紀のアレキサンドリアの数学者、天動説に疑問をいだいた天文学者であり、新プラトン主義哲学者でもあった女性「ヒュパティア(Hypatia)」をキリスト教徒のサンタ・カタリナとしてすり替えたのではないかと思ったりします。キリスト教には異教の行事がたくさん取り入れられて今日に至っているわけですからね。

ヒュパティアが生きていたアレキサンドリアの時代、分裂していた東西ローマ帝国を統一して治めたローマ帝国皇帝テオドシウス1世はキリスト教徒であった。哲学学校の校長であり、学術的、科学的な哲学を持つヒュパティアはキリスト教徒からすると、異端とみられていた。皇帝の異端迫害方針により、エジプトの非キリスト教宗教施設や神殿、有名なアレキサンドリア図書館と共にヒュパティアの学校も破壊され、彼女は修道士たちに惨殺される。これにより、多くの学者たちがアレキサンドリアを後にする。これが学問が繁栄していたアレキサンドリアの凋落となったのである。

ヒュパティアについては、2009年カンヌ映画祭で受賞した「Agora」(芳名:アレキサンドリア)があります。タイトル「Agora」についても、知ってみるとなかなか面白いですぞ。 「アゴーラ」と読み、語源はギリシャ語。古代ギリシャの政治的人民集会や、その広場の意味になりますが、スペイン語では「予言する」の動詞、さらにポルトガル語の「Agora」は「今、現在」の意味です。なんとも意味深なタイトルではありませんか。 下記、予告編です。



あだし事はさておき、さて、もう一人、シエナのカタリナは14世紀の人で幼児期から幻視体験を持つといわれ、長じてドミニク修道女となります。興味のある方は検索してみてください。

で、件のアズレージュ絵は下図のシンボルから、アレキサンドリアのサンタ・カタリナと判断します。

capela das almas
シンボルの剣と本をもっている。      

capela das almas
こちらは異教の哲学者との論争場面と推察。

真実を求め、科学的な結果による持論を他者に広げられるヒュパティアのような女性が遥か遠くの歴史の中にいたことに大いなる賛美を惜しみまずにおられません。

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2022年2月23日
 
ポルト旧市街の中で最も歴史が古いと言われるミラガイア地区へ、先週の日曜日は気晴らに出かけてランチをしてきた。

miragaia7_1.jpg

昔からの小さな家並みが川べりに向かって軒を並べているが、それらの何軒かは少し手が入って改築され宿泊施設になっている。パンデミック規制も緩和されてきたがポルトガルを始めEU内の移動はかなり自由になってきたようで、ツーリスト姿をたくさん見かけた。

ポルトが「訪れたい国」のトップに挙げられて以来、しばらく足を運ばないでいると周囲が変わっていることが多いので、もしやと思い、この家並みの下にあるアーケードをのぞいてみた。

miragaia2_2.jpg

案の定、横木の丸太で支えられてきたアーケードの天井は大分以前から修繕のため、徐々にセメントか何かで埋められ、壁天上になりつつある。古いので危険ではあるのだが、わたしはここが好きで、丸太の横木が渡されている部分を何度も足を運んでは写真を撮っている。

下の写真、手前の白くなっている部分が修繕中の箇所。やがてここの天井は全てこうなるのだろう。
miragaia6_1.jpg

かつてはこのアーケード通りにはたくさんのネコを見かけたのだが、この日は一匹も見なかった。人影もしかり。こうしてカメラに収められる最後がそう遠くない日に来ると思い、写真に収めた次第だ。

ランチは何度か行っている「Armqazen」で。

armazem3_1.jpg

ここのメニューは限られており、サンドイッチ中心だが、ショリースがおいしい。
armazen3_1.jpg

店内の展示には、以前通りヴィンテージのクラシックカーもあり、
armazem_ car

グランドピアノもあるのだが・・・・

armazem_piano.jpg

パンデミックのせいで以前取材に来た頃に比べて精彩を放っていない。
そして、気が付いたことは、以前は店内に住んでいた数匹の猫がいたが、「ここにもネコがもういない」であった。

パンデミックが落とした影は我ら人間にだけではなく、ネコや犬たちにも、なのである。

下記、ミラガイア関連記事です。よろしかったらどぞ。

https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-1306.html 
(ミラガイア、アーケード記事)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2097.html 
(Armazemバール紹介記事)
https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2096.html 
(Armazem店内紹介記事)

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