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2024年2月12日 

一時期スマホにインストールして時に使用していたLINEだが、セキュリティ面で大いに問題があるとの話を聞き、ポルトガルにいるとさほど必要性も感じなかったので、LINEで繋がっていた知人たちには申し訳ないがわたしは即、LINEをスマホから削除した。

しばらくすると、それまでガラケーしか使っていなかった妹から、スマホに買い替えたからLINEで繋がりたいと連絡が来た。妹はFacebookもスカイプもしていないので連絡は逐一メール、もしくは隔週おきの国際電話だ。メールボックスもしょっちゅう確認する人ではないらしいので、え~とは思ったもののLINEを再開した次第である。

LINEで繋がっているのは、パソコンを持っていないのでメールのやりとりができないという二人の友人と妹だけである。

その一人が我が故郷弘前に住んでおり、時折メッセージのやりとりをする。先週金曜日に彼女からメッセが入った。「明日、同窓生のいつものメンバーで旧正の新年会で集まるんだけど、電話参加できそう?」

おぉ~、参加しようじゃないの!って、土曜日朝は日本語授業があるんだが、時間は大丈夫だろかと会合時間を見てみると、うむ、授業少し前にできる!と相成った。 帰国時にはわたしの弘前帰郷に合わせてこの友人が同窓生たちに声をかけて会合を開いてくれるのだ。

一昨年、3年ぶりの秋の帰国では日本到着すぐにコロナ感染し、その後滞在中ずっと体調悪くてどこへも行けず、せっかくの2か月の休暇をふいにしてしまった。弘前には5年程帰っていないことになる。

というわけで先週土曜日は同窓生の新年会にLINEで参加した。8人ほどのメンバーが集まったようで、一人一人と友のスマホでLINE電話挨拶であった。参加者のうちの3人とは高校卒業以来初めて言葉を交わした人たちだ。

ほとんど60年近くの月日が流れとるわい。それを「やぁ、お久しぶり」だなんて、なんだかおかしい。第一、バッタリ会ったらどこのだれやら分からないほどの年月が流れているのだ。結局、「どうもぉ」「あ、どうもどうも。元気ですか?」ってな具合で、野暮ったいったらありゃしない(笑)

こんな未来の日を高校時代には描きもしなかった。あれから幾星霜が経ったが、同窓生一同が顔を合わせたら、どんな光景になろうか。ここまでこぎつけなかった同窓生もいるわけだが、我らみな喜寿に相成る、相成った。

電話参加に誘ってくれた友に感謝して、春の帰国にはなんとしてでも帰郷したいと思っている。

ではまた。

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2023年9月28日
 
そろそろ読み始めなければなるまいと、今週から始まるマリアさんの日本語教材、作家乙一氏の短編集を開いた。最初に「Calling You」とある。

むむ?ひょっとして「バグダッド・カフェ」でも出て来るかな?と読み始めると、おお!5ページ目に「バグダッド・カフェという映画に使われていた綺麗な曲がいい。美しい和音でわたしを呼んでくれる」と、しっかり書かれてある。Calling Youは携帯電話を持たない女子高生の主人公が想像の中の携帯電話に設定する着信メロディである。

「バグダッド・カフェ」はアメリカ映画の邦題で、原題は「Out of Rosenheim」。映画は1987年に公開された。Calling YouはJevvette Steeleが歌うその主題歌で、映画も歌もわたしは気に入っている。

Bagdadcafe.jpg

♪A desert road from Vegas to nowhere
Someplace better than where you`ve been
A coffee machine that needs some fixin`
In a little cafe jeust around the bend

作品にこの題が付けられているからには、もしかして映画と歌にも物語のヒントがあるかもしれないと思い、授業はまず、この短編の題から入っていこうと思った。私同様、映画好きのマリアさんなので、あるいはこの映画を見ているかもしれないが、そうならそうで色々話も弾むであろう、と、念のため映画のあらすじを準備して、昨日は授業に入ったのである。

さて、このバグダッド・カフェだが、わたしにはこれに絡んだ思い出話がある。我がモイケル娘が中学生になった頃だから、かれこれ20年以上前にもなろう。日本語口語上達ツールのひとつとして、当時ブームになっていたチャットルームなるものへ娘の出入りを許していた。

許したのだが、チャットボディガードと称して娘の横にぴったんこくっついて、チャットのなりゆきは全て読んでいたのであった(笑) 果ては、「こんな人にはこう言ってやりな、ぎゃははは」と見ていただけでなく、横から口も出していた母ではあった。

そうして、母子二人お世話になり、時にはわたしがホストの代理を務めたりした和気あいあいの我らが「不夜城チャットルーム」も有料化される段階で解散したのだが、メンバーにそそのかされ、結局、自分がホストとなり、「カフェ・バグダッド」なるチャットルームをYahooで開いたのだった。もちろん無料である。部屋の名前は、大好きな映画「バグダッド・カフェ」をポルトガル式にした「カフェ・バグダッド」。うっかりその名前に釣られてアラブ系の人が入室してくることもあった。

カフェ・バグダッドもやがて私の時間が融通がきかなくなり結局閉鎖し、何人かのメンバーとはFacebookでつながるようになったのだが、不夜城、カフェ・バグダッド二つのチャットルームのメンバーの思い出を語りたい。以下、2016年の日記「別れを告げる」から。

「別れを告げる」

インターネットの世界は刺激的である。
瞬時に情報が得られるのは大きな魅力だ。しかし、色々な事件やスキャンダルを目にしては、時に大きな不安にかられたり、イライラしたりするのも事実だ。そして、もしもこのツールがなかったら、わたしのポルトガルでの日々の生活はもっと心穏やかだったのではないかと、思ったりもする。

ポルトガルに来た頃は、今のようにインターネットが一般的に普及していなかったがため、多くを知らされずに済んだのである。知らない、知らされないということは、毎日の自分の生活以外に心を乱されないということだ。

多量の情報が世界中から放たれ、それらのニュースを見聞きしてはわたしたちは一喜一憂する。知らない方がいいと言うつもりはないが、それら多量の情報にズルズル引きずられては、イライラしたり不安になったりするのである。一度その便利さを知ってしまうと、ネット世界を自分の生活から切り離すことは、実はできそうでできないが困る点でもある。

しかし、インターネットはマイナス面もあるが、勉強したいと思う人には、格好の世界でもある。ひとつの出来事に対して賛否様々な意見を探ることができる。後はそれを咀嚼して自分がどう思うかだ。その利点に魅せられて、ネットをろくすっぽ知らないわたしが、娘の手引きをきっかけに、なんとか自分なりに使えるようになり、ネットサーフィンをし始めてから15年にはなる。ニュースにしても、かなりな日遅れの新聞を読むのとは違い、ネットで即、得る情報には臨場感があるというものだ。

インターネットの利点のもうひとつに、20年、30年と音沙汰が絶えていた友人知人と巡り合えることがある。わたしはこれまでにこの経験を何度もしている。これもまた懐かしく嬉しいことだ。

人との巡り合わせと言えば、今では古い言葉になってしまったが、チャットや掲示板、ブログ等を通してインターネット上で知り合う、「ネ友」の存在もあげられよう。そんな顔が見えないのは友達と呼べないだろうという意見もあろうが、わたしの場合、そうした経緯を経て友達になった人が現に何人かいて今も交友が続いていたりする。

なにしろ日本とポルトガルのことゆえ、簡単に「じゃ、今度一度お会いしましょうか」と言うわけにはいかないが、それが却っていいところもあったりするのである。もうひとつ、わたしは年齢を隠さないでそのまま伝えるので、色目を使って近づいてくる異性の対象にはならないことだ。残念な気持ちもなきにしもあらずだが(笑)

しばらく前のことだ。10数年来のそのネ友のひとりの誕生日だった。「まちゃ、お誕生日、おめでとう!このところ、あまり見かけないけど(ネット内で)、元気にしてる?」とメッセージを残した数日後、そのご兄弟と友人だと言うひとから、「昨年脳出血で他界しました」との連絡を受けたのである。

他界?わたしの息子と言ってもいいくらい、まだ若かったではないか。プライバシーがあるので彼の個人的なことは書けないが、チャットで知り合ったころは家族と自分自身の問題を抱えていて、そこから抜け出せないままだったことも想像できる。

「ママに(ネット仲間内では最年長者のわたしは、みなからそう呼ばれていた)一度は会ってみたい。今度帰国した時は、大阪までがんばって出て行くから連絡して」「うん、そうだね。」と言いながら、結局、この3年ほどは大阪へ足を運べなかった。10数年来のネ友でありながら、一度も顔を合わさなかったのである。

わたしよりずっと若いのに、先に逝ってしまうのは失礼千万だぞ、と騒いだ心中で呟きながら、会ったところでわたしはどうという人間でもないが、彼に会いたいなぁと言われた年に、こちらが頑張って大阪まで行けばよかったと、会った事のない友を思い、しばらく心が沈んだ。

ずっとそのままにしてきたFBもスカイプも、まちゃ、「チャットルーム不夜城」の思い出をもう一度綴って、君とのCalling Youをそろそろ消すよ。君に別れを告げて、「ママは100までも生きると思うよ」とかつて君が言ってたように、わたしはそれまで頑張ってみるさ。


下記ではCalling You が聴けます。


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某年某月某日

一昔以上になろうか。
「先生、ぼくのケンドー、見に来ませんか?」と日本語生徒のD君に誘われたことがあった。

昔、大阪の堂島で会社勤めをしていた頃、みんなに「ブーヤン」と呼ばれていた同僚Sの剣道稽古を見に行った時の「ヤー!ットォー!」との掛け声の強烈な印象が残っている。

D君の稽古場所はBessaのサッカー場の隣、ボアヴィスタのパビリオン内だ。その日は特別の稽古日で、リスボンから日本人の師範が指導に来ていた。

稽古は面も胴もなし。二列に向かい合って並び、一技終わるごとに列をずらして対面する相手を変えて行く。稽古場の両側の壁は一面鏡になっている。

これは神道、ひいては武士道につながる「鏡は人間の心の表現であり、心が完全に穏やかで、一点の曇りもないとき、そこに神明の姿をみることができる」を期しているのだろうか、と新渡戸稲造著「武士道」を思い出した。
「ヤー!ットー!」の掛け声とともに、竹刀がバシンとぶつかる激しい稽古を期待していったのだが、それはなかった。みな、真剣に師範の動作を見、話に耳を傾け、動作はいたって静かだ。

静寂な稽古場に時折響く「ヤー!」の声は、時に自信たっぷり、時に自信なさげで、個人の気合の入れ方がそのまま出ていて、面白い。ポルトガル女性が二人と、日本女性が一人(時々稽古相手に指導していた。

さて、ここから本題です。近年はさっぱり音沙汰がなくなったが、アメリカ、カリフォルニアに住み、中年になってから剣道を始めた友人がこんなことを言っていた。

「防具をつけてからと言うもの、死ぬ思いだ。こてー!と叫んで、しこたま手首を打ってくれる。痛いのなんのって、ほんとに頭にきて、竹刀を捨ててなぐりかかってやりたいぐらいなのだ。華麗どころか喧嘩ごしだ。」

「練習が長いと息が続かない(なんしろ中年だからね。笑)、足が動かない、汗びっしょりで頭痛が始まる。練習始めの早や打ち百篇でもう帰りたくなる。」

一緒に剣道を始めた長男が「お父さん、なんでそんなに苦しんでまで剣道へ行くの?」との問いに、アメリカ人の奥方いわく、「お父さんはね、仏教でいう苦行をしてるのよ!」(爆)

剣道を始めたきっかけはというと、ある日、多少出てきた腹を吸い込み、横文字新聞紙を丸めて子供たちと太刀さばきを競ったところが、おとっつぁん、気が入りすぎ、力任せ。それをまともに面にくらった息子が大声で泣き出して果し合いは中止と相成った。

「いい年して、何ですか!」とまるで、小学生を叱る先生のごとき奥方の威圧と、こんなショウ-もない男となぜ結婚したのかとでも言いたげな彼女の呆れ顔が剣道通いのきっかけだったそうな(笑)

わたしは手紙で彼の剣道の話を読むと、昔、我がモイケル娘と二人、ベッドに背もたれて取り合って読んだ「ちばてつや」の漫画、「おれは鉄兵」シリーズを思い出して、彼の手紙がおかしくて仕様がなかったものだ。

「試合でさ、竹刀構えてしばらくシーンと向き合うだろ?それでよ、突然、デカイ声で、あっ!と言いもって、床に目を向けるのだ。すると、人って面白いぞ、釣られて相手も下をみる。そこを狙っておめーーん!」

おいおい、お前さん、それはだまし討ちじゃんか。することがまるで鉄兵そっくりだ、と言いながら、その光景を想像すると鉄平のハチャメチャな場面が思い出され、おかしいったらない。そ、くだんの彼も、鉄兵のようにチビなのではあった。

「剣道も人生も同じです。小さいとか歳だとか、言い訳はしないことです。数年前の少年部の日本チャンピョンは片腕の少年でした。」(片腕の少年チャンピョンの話は、わたしもどこかで読んだことがある)と自分より10歳以上も若い師範の話を聞き、以後、かれは奥方の毒舌、失笑にもめげずに遣り通すと決めたらしい。

ポルトガル時間で真夜中の3時ごろ、電話が鳴る。夫が枕もとの受話器を取り、英語で受け答える。「Mからだよ」
するとわたしは眠気まなこをこすりながら、起き上がって玄関口に備えてある親子電話に出る。

「おい、今そっち何時?」
「夜中の3時です~」
「うん。それでさ」←なんで、それでさ、なのか(笑)
そんなことが数年続いた。

企業家としてアメリカで成功したその後の彼の姿を、時折わたしはネットでグループ写真の中に見ることがある。今では剣道から拳法に移ったようだ。自分を棚に上げて言うのもなんだが、相変わらず小柄で髪も口ひげも白くなって年相応である。しかし、贅肉が見られない。ここだけはわたしと大いに違う点だ(笑)

この分だと真夜中の酔っ払い国際電話ももう入ることはあるまい。幸いだと思う反面、心のどこかで不意打ちの電話を待っている自分がいて、少し寂しい気がするのである。

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2023年8月23日 

友人のマリアさんがメールでリンクを送って来た。珍しいなと思いながら開いてみると、ウ-ゴさんのドイツでのピアノリサイタルの映像だった。ウ-ゴさんはマリアさんの孫でここ数年ドイツにピアノ留学をしているのだが、その彼のマスターズリサイタルの動画であった。

ウ-ゴさんがポルトのConservatório(音楽学校)のピアノ科を首席で卒業した際に催されたCasa da Musicaでのコンサートに招待されて聴きにいったことがある。細身で背の高いとても繊細そうな若者のイメージがある。このまま留学を続け更なる勉学に励むと言う。

マリアさん自身も幼い頃からピアノの先生だった母上の手引きでピアノを弾いていたと聞く。ピアノを教えるときの母上はとても厳しかったそうで、ピアノの前に座ると緊張で手が震えたものだと言っていた。それで、日本語学習で対面授業の頃、「じゃ、読んでください」とわたしに言われると子供の頃を思い出し、朗読の練習をしてきたのに緊張してしまいドジるのだそうだ(笑)

84歳で今も太極拳やフェンシングを習っているボーイッシュな彼女が、時々ピアノを弾くのだと。ピアノに向かっている姿を想像するとその意外性にわたしは「うふっ」となる。

母上がピアノの先生、彼女の一人娘はクラシックギタリストで同じくギタリストと結婚、その二人の子供(マリアさんの孫)の一人がピアニストに、孫娘もまたバイオリンでドイツに留学中。まさに音楽一家である。音楽の才能は三代にして花咲くとどこかで耳にしたことがあるが、そのケースだ。

我が家の三代にして花咲く才能は果たしてありやなしや?と孫のソラ坊に思いを馳せる。

上述したウーゴさんの1部2部と1時間ほどのリサイタルだが、Youtubeにあるので興味のある方は下記までどぞ。

https://youtu.be/M5bRo7QjhIk
https://youtu.be/TC_M1YFHARo  


ではまた。

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某月某日

帰国の往復時の機内で、かつてはよく映画を見て時間をつぶしたものだが、それが自分にとってかなりの疲労の元になるのではないかと思い始め、近年では往復で2本、時にはまったく見ないこともある。

数年前に機内で見た映画「日日是好日」は、ドキドキするエキサイティングな場面やクライマックス等はないが、自然の姿を汲み取るような茶道の仕草一つ一つが心に染みこんだ佳作だった。

nichinichi1.jpg
Wikiより

今は亡き樹木希林が演ずる茶道教室の武田先生のもとへ通い始め指導を受ける主人公とその周囲の人達を簡素に描いた作品だが、教える時にふっと笑いが湧く武田先生がとてもいい。

映画を見ながら、わたしは主人公と同じような体験をしたことがあるので、それを綴った過去記事に少し手を加えて上げてみたい。数年前の話である。以下。


車の音なく、周囲から聞こえてくる音と言えば一日中鳴く鳥の声だ。都会の喧騒を離れたこの環境こそ物作りに専心するにはもってこいであろう。肩の痛みに耐えながら黙々と木に語るかのように彫り込んでいる木彫家堺美地子の姿が想像できる。

もう30年以上も彫刻刀を握ってないよ、とビビるわたしに、「Sodeさん、70過ぎたらまた始めようなんて言ってないで今から一緒にホリホリ(彫り彫り)しよう」と、3日間の滞在中の一日は工房の一室で友の指導を受けた。

かつらぎ山房
手前がわたしが作業していた木彫り台。先生が我が彫りの手直しをしております。彼女が木を彫る音はサクサク、サクサクと耳によく、わたしが彫る音はガリガリ、ガリガリ。トホホホ。そうして出来上がったのが下の作品だ。

木彫り
表                       

木彫り


厚かましくいっちょまえにサインまで入れてる(笑 )。 実を言えば、花の周りのポチポチ彫りは、別の図案を描き始めたものの、幾何学模様が細かくて寸法がうまく合わず、その模様を諦めて上の花にしたのところ、板にしっかりとコンパスを立てた跡が残ってしまったのである。それで、やにわにポチポチを彫り込んで誤魔化したというわけである。
かれこれ40年前の大阪時代に、こんな風に友と二人しておしゃべりしながら「彫り彫り」したものだ。友は根来塗りを作品に施すのだが、わたしは塗り薬にアレルギーがあるのと時間が足りないのとで、そのままポルトに持って帰ってきた。

彫刻刀、塗り用の材料、切り抜いた板などを持ち込んで、ポルトガルで独り黙々と彫った時期があった。木彫りも編み物もそうだったが、この町に日本人がいなかった当時、その作業時間はわたしにとって自分の時間を彫り込み、編みこむ思考時間でもあった。

息子が生まれて歩き始めた頃に、刃物を使うというので万が一の事故を考えて一旦木彫りは止めた。90年代に再び彫り始めたが、子供達の日本語教育、補習校の仕事で忙しくなり、彫刻材料もホコリをかぶったまま現在にいたっている。

木彫りは生半可の時間ではできないのである。そのためには何とか今の自分の生活時間を改善する必要があるなと、思案したものの今日まで良い案は出てこない。

和歌山を後にするという日の朝、着物を着る時間はないので普段着のままでと断りながら、友はわたしにお茶のお点前を披露してくれた。

1978年の渡米前に、ほとんど家具類も処分された殺風景な小さなアパートの部屋で、しかも正座が苦手なわたしのために、テーブルの上ででもいいのです、と、友がはしょってお茶のいただき方を教えてくれたことがある。

友がたててくれた薄茶を「3回で飲み干し、3回目にはズズッとお茶をすする音をたてます」との言葉に、「え~、いやだわん。それって欧米では悪いマナーになるじゃない」と、映画のシーン同様、わたしも躊躇したのであった。

みちべぇは表千家の先生であり、かつらぎ山房では、木彫、根来塗りの教室と併せて、月に2度、茶道教室も開かれる。

ocha-3.jpg かつらぎ山房
炭火をおこし、抹茶をこす作業から。正座ができないわたしには正座イスを用意してくてれいた。

かつらぎ山房
水屋から↑

「なんでそうするの?どんな意味があるの?」と各動作に逐一うるさく質問するわたしに、「なんでが始まった始まった」と笑いながら丁寧に答えてくれた。

かつらぎ山房

上述の映画の中の主人公同様である。みちべぇは、理屈っぽいわたしに答えてくれたが、映画の武田先生は、「お茶はまず形なのよ。始めに形を作っておいて後から心が入るものなの」と言っている。畳の縁を踏まないこと、手にする扇子の置き方など等、映画を見ながら、友がわたしのためにしてくれたお点前の場面そのままをわたしは思い起こしていた。

始めは薄茶、そしてもう一度、今度は「袖さん、濃茶もいただこう」と言う。
薄茶濃茶があることも知らなかったわたしであった。そして、水屋へ案内してくれ、抹茶椀は季節に合わて使われ、夏は、涼しげに見える口が大きく開いた「平茶碗」を、冬はお茶が冷めないように、 口が狭くて深い「筒茶碗」を使うということも、この時知った。

わたしが、ポルトで日本文化展示用に持っている茶碗が平茶碗だと知った友は、ふたつの筒茶碗を選んでわたしに持たせてくれたのだが、これらのことは映画「日日是好日」の中でも見られた場面でもあった。1年12カ月、月々の茶碗を12個揃えてあったが、一巡りして再び同じ茶碗が使われるのは1年後。月に一度のお茶会だと60年経ても5回しか手にすることはないことになる。茶碗とのめぐり逢いも一期一会のようなものだ。

別れ際の一服のお茶は、本当に嬉しかった。

かつらぎ山房

性格も年齢もそれぞれが歩む道も大いに違うわたしたちだが、何年会わずとも、ずっと昔のままの気持ちで話せるみちべぇ、あなたは人生の真の友です。 また会う日まで。ごきげんよう。
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