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2022年2月1日 

♪この道はいつか来た道  ああ、そうだよ アカシヤの花が咲いてる 

35年ほども前に日本から持ち込んだ、日本の歌のカセットテープ(後にCDに買い替えた)がこの歌で始まるのです。
          
イントロの「この道」の出だしの後は、幼い頃や日本に思いを馳せるような、情感たっぷりな美しい間奏が入り、「赤とんぼ、七つの子、叱られて、花、雪の降る町を」と続き20曲ほど日本の愛唱歌が入っています。これらの歌は岩崎宏美さんがその歌唱力で美しく歌いあげていました。

子供達が幼い頃から、わたしは何度となくかけて家中に響かせ聴いてきました。リビングの椅子に腰掛けて、アイロンをあてながら、または台所で食事を作りながら、時には編み物をしながらという風に。
          
少しキザに聞こえるかもしれませんが、音楽はわたしにとって人生を導いてくれたり励ましてくれたり、安らぎをくれたり思い出のあの頃に連れていってくれたりする、心の拠り所のようなものです。
           
ポルトガルに住み着くまで気づかなかったのですが、世界広しと言えども、日本ほどこんなに多くの子供から大人まで歌え親しまれる古くから歌い継がれてきた素晴らしい歌を持つ国はないのではないかと。

息子が小学校1年生になる頃に、モイケル娘が生まれましたから、息子はもちろんのこと、彼女はゆりかごの中にいた時からこれらの歌を通して日本の歌を聴くともなしに聴いてきたことになります。

わたしがこのようにしてしょっちゅうかける音楽は、いつの間にかポルトガル人の夫も覚えているというわけです。この当時の愛唱歌に限らず、例えば、今ではYoutubeを通じでわたしがよく聴いている好きなの日本の曲、CHAGE&ASUKAやユーミンなども、夫は知らず知らずのうちに覚えて口づさんでいます。音に小うるさいわたしは、「そこ、ちょっとメロディーがちがうねん・・・」と多少イラつきながらも我慢して口出ししませんです、はい(笑)

大人の夫ですらこうですから、幼子に全く影響を及ぼさないはずはないとわたしは思うのです。音楽は、歌詞として使われる言葉にも感動を覚えることがあります。母国に思いを寄せる時、2月の春まだ浅き時は「早春賦」、秋には「公園の魔術師」、冬には「ペチカ」、初夏には「夏の思い出」、春には「朧月夜」とこれらのメロディーが思わず口からこぼれ出てきます。全て学校の音楽の時間に習ったものです。

長年住んでいるポルトガルにも、ファドなどこの国独特の音楽はありますが、日本の愛唱歌にはわたしの日本人としての幼い頃の思い出が重なり、自分がこの身で昔確かに触れたことがあるという感触を思い起こします。

音楽は民族の心が作り出したものであり、伝えられるべき次世代への贈り物だとわたしは思います。幼い頃にかすかに耳にした、たかだか20曲ほどの日本の歌ですが、わたしの二人の子どもたちのアイデンティティーのどこかに、心の片隅に、遠い記憶の音として、日本人のルーツとして密かに息づいていることを願いたい。

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最初聞いていた岩崎宏美さんのカセットテープは、子供達の通っていた学校行事、「日本の紹介」で提供し、貸したのですが、そのまま返却されて来ず行方不明。長い間、残念に思っていたのですが、日本に住み始めた娘がCDアルバムを見つけ送ってくれました。上の写真はそれです。一曲、「この道」が入っていないのが重ね重ねも残念。

余談ですが、幼かった子供達は、岩崎宏美さんのカセットテープカヴァーを見て、「あ、ママだ。」と言い、歌っているのもわたしだと思っていた節がありました(笑)おかっぱの髪型が同じだったからでしょうね。もちろん、そうではないと訂正はしましたが、内心ひとり密かにクククッと笑っていたのでした。

当時、わたしはよく下手なピアノを弾いては時に晩御飯の準備も忘れて、一人で1時間も歌っていたりしたこともあったので、それも関係してるかな?

音楽を通してわたしがもらった贈り物は、思い出、勇気、慰め、安らぎ、希望。常にわたしを新たな旅立ちへ導いてくれた我が人生の心の友とも呼べるものでしょうか。

2月に入った今日は「早春賦」を思い浮かべます。

♪春は名のみの風の寒さや
 谷のうぐいす 歌は思えど
 時にあらずと声もたてず 時にあらずと声もたてず

下記Youtube、倍賞千恵子さんの歌でどぞ。


ではまた。

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2021年5月24日 

日本で車を運転したことはないが、30年以上ポルトガルで運転している。 しかし、自慢じゃないが車のことはあまり知らない。パンクでもしたら、工具を持っていても力がないのでタイヤ交換もできないという情けないありまさだ。

そんなわたしだが、昨日見かけたクラシックアメ車は、わたしの目にキラキラ輝いて美しく映った。

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GM社のキャデラック1959年Coupe deVilleだそうだ。(deVilleは仏語で「町の」という意味」

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若い時に半年ほどアリゾナにいたことがあるが、その時に、わたしは当時既にクラシックカーとされていたであろう、キャデラックとポルシェの助手席に座ったことがある。キャデラックの助手席は広くて小柄なわたしは横になって眠ることもできた。もちろん、当時は運転などできなかった。

車と言えば、一本の映画とトム・ウエイツの歌が思い浮かぶ。映画はクリント・イーストウッド主演の「グラン・トリノ」というのだ。

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イーストウッドは頑固な元軍人。隣のモン族の少年が同族のギャングにそそのかされて、イーストウッドの愛車グラン・トリノを盗もうとするのだが、銃を向けられ逃げる。そこから隣家と、ギャングとのかかわりが始まるのだが、ラストシーンが衝撃的だった。グラン・トリノは、フォードのクラシックカーだ。古いけどカッコいい、主人公のイーストウッドと同じだ。

興味あるかたは、グラン・トリノ - Wikipediaで あらすじが読める。

グラントリノ – YouTube :https://www.youtube.com/watch?v=p_LtBoOBLDk


1972年式グラン・トリノ・スポーツ
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もう一つは私の好きなトム・ウエイツの歌のひとつ、「Ol´55」。これはトムが持っていた伝説の1955年式キャデラックのこと。朝方、彼女の家を出て、Ol´55に乗って高速道路をまったり走って行くトムをわたしは想像している。なんか、気分がよくなる歌ではある。

https://www.youtube.com/watch?v=NdmRp6i79dc


♪“Ol’55 - Tom Waits"

My time went so quickly
I went lickety-splickly
Out to my old '55
Pulled away slowly, feeling so holy
God knows, I was feeling alive・・・

歌詞については興味がある方は、日本語訳も出ると思うので、ググってみてください。

1955年式キャデラック。トムのOL55がこんな色だったかどうかは知らんが。笑
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車についてはあまり知らないわたしが、アメリカのイメージはとなると、これらクラシックアメ車だというのだから、面白い。笑
1970年も終わりのわたしが垣間見たアメリカは、今とは全く違う国だった。だから、懐かしさがこみあげてくるのだ。

昨日日曜日は、夫はワクチン接種完了が4月、わたしは第一回目接種が2週間を過ぎたと言うので、しばらくぶりに予約を入れて昼食を取りに行ったのが、海岸側にある日本食レストラン一番。

寿司の写真を撮るのも忘れ、満腹感を味わった。その途中で出会ったアメ車であった。もうどのくらいぶりか忘れてしまったくらいの喉を潤す久しぶりの生ビールが美味しかったこと!これだけは写真を撮ったのであった。後は、ひたすら寿司に夢中。

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本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
では、また。
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2021年3月25日

桜の花咲く季節になると、わたしには台所に立ちながらふと口をついて出てくる歌がある。

♪南国土佐を後にして 都へ来てから幾年ぞ

で始まるこの歌は、昭和34年にペギー葉山が歌って大ヒットした。日中戦争で中国に渡った第236連隊には高知県出身者が多く、この部隊が歌っていた「南国節」をヒントに創られた歌だと聞く。

わたしの故郷は桜まつりで有名な弘前である。それが何ゆえ「南国土佐」なのかと言えば、その桜まつりに関連する。

わたしが子供のころ、「桜まつり」等とは呼ばず、「観桜会」と言ったものである。夏のねぶたまつりと並んで、観桜会や夏のねぶた祭りには、雪国の長い冬を忍んで越した津軽の人々の熱き血潮がほとばしるのだ。

弘前公園内は3千本もの桜の花咲き乱れ、出店が立ち並び、木下サーカスやオートバイサーカスが毎年やって来ては、大きなテントを張った。「親の因果が子にむくい~」の奇怪な呼び込みで、子供心に好奇心と恐怖心を煽った異様な見世物が不気味であった。お化け屋敷もお目見えし演芸場が組み立てられ、そこからは園内に津軽三味線のじょんがら節だのよされ節だのが流れた。

わたしが12、3のころ、その年の観桜会でNHK「素人のど自慢大会」の公開番組があり、わたしは生まれて初めて往復葉書なるものを買い、こののど自慢大会出場参加に応募したと記憶している。

どんな服装で出場したかはよく覚えていない。外出用の服など持っていなかった子ども時代だったから、想像はつく。きっとあの頃いつもそうであったように、両膝っこぞうの出た黒っぽいズボンだw。今にして思ってみれば黒っぽいものをよく着せられたのは、黒は汚れが目立たないからであろう。

そして歌ったのが「南国土佐を後にして」である。立ち席で見ていた母の話では、「出だしはとてもよかった。これはヒョットすると鐘三つかな」と期待したそうである。

ところがである。誰もいないところで歌う分にはいいのだが、生まれて始めて人前で歌ったわけですから、上がってしまい、後半がいけませんです。伴奏より先走ってしまったのでありまして^^;「土佐の高知の播磨橋で」に入る手前で、鐘がなりますキンコンカンw いえ、二つが鳴りましたです。恥ずかしさにうつむいて退場する少女でありました。

わたしの声域は男性の声に近い低音で、普通の女性歌手の歌は高音が出なくて歌えないのだが、ペギー葉山さんの音域は大丈夫。ポルトにある我がフラットの台所から外へ丸聞こえなのだそうだが、誰に遠慮がいるものか~。

台所でこの歌を歌いながら、さぁ、こい!今なら鐘三つもらうぞ!と、はた迷惑にも、つい力を込めて大きな声を張り上げてしまうのだった。夕方帰宅した夫がフラットのドアを開けるなり言う。「ドナ・ユーコ、外にまる聞こえだよ」

弘前公園の桜は18世紀の初期、津軽藩士が25本のカスミ桜の木を京都から取寄せて植えたのから始まるのだという。明治にはソメイヨシノが千本、更に千本植栽され、現在ではソメイヨシノを中心に、枝垂桜、八重桜の役50種類2500本の桜が春爛漫と公園に咲き誇る。

のど自慢の鐘二つから60年、還暦を過ぎて桜見たさに帰国ごとに機会を見ては桜の季節に帰郷してきたが、期待叶わず。もう一度、もう一度、故郷の爛漫の桜を目にしたいと願うのである。




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2020年7月6日 

最近でこそ惹かれるような映画が現れなくなったので、あまり観なくなったが、わたしは映画ファンだ。本同様、いい映画は人生を潤すとわたしは思っている。映画の中でつぶやかれる珠玉のフレーズに出会ったりするのも楽しいものだ。

・Death is just another path, one that we all must take. 
(The Lord of the Ringsのガンダルフの言葉)

・I am the master of my fate.
 I am the captain of my soul.
(映画Invictusの中で獄中のマンデラの支えになった詩の一節)

・There is no present like the time.
(映画、The Best Exotic Marigold Hotelで老婦人がラストシーンでつぶやく言葉)

・Stay Gold.
(永遠の青春映画、The Outsidersでとりあげられているロバート・フロストの詩の一節、Nothing gold can stayから、主人公の親友が最後に遺した言葉)

・希望はいいものだ、なによりいいものだ。そしていいものは決して死なない。
(スティーブン・キング原作の映画、ショーシャンクの空に、から)

・世の中にはすぐ分かるものと、すぐ分からないものの二種類がある。すぐ分からないものは長い時間をかけて、少しずつ分かってくる。
(日本映画、日日之好日から)

・毎年、同じことができるというのが本当の幸せ。(同上)
70代に入ってから実感する言葉である。

挙げて行けば切りがない。そして、いい映画には総じていい音楽が組み込まれている。
中でもイタリアのエンニオ・モリコーネの音楽には心を揺さぶるものがある。映画「ミッション」の挿入曲、「ガブリエルのオーボエ」、「海の上のピアニスト」「マレーナ」「ニュー・シネマパラダイス」「オペラ座の怪人」と、わたしが観たものだけざっとあげてもこうだ。

これはわたしがモリコーネのファンになってから知ったことなのだが、クリント・イーストウッド主演のマカロニウエスタン映画、荒野の用心棒、夕日のガンマンなどの音楽も作曲していた。

モリコーネの音楽はどれも好きだが、特にわたしの心に残っているのは1984年制作の映画「Once upon a time in America」だ。
1920年代のニューヨークを舞台に、ユダヤ移民の幼な馴染みの仲間たちがやがてギャングになる、友情と恋、裏切り、挫折の20代から60代の男たちの人生が描かれている。

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Wikipediaより

忘れ去られていた古代ギリシャの楽器パンフルート(パンパイプとも言う)を使ったモリコーネのこのテーマ音楽は少年ギャングたちの人生を予測させ、切ないこと限りない。もう一曲、同映画の「デボラのテーマ」も美しい。

下記で聴くことができます。
Once upon a time in Amerika  https://www.youtube.com/watch?v=Jj5Xczethmw
デボラのテーマ https://www.youtube.com/watch?v=-Ruz1VJQyqc

素晴らしい音楽の数々でわたしたちを楽しませてくれたエンニオ・モリコーネ。
May you rest in Peace.
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2020年2月25日 

今日はカーニバルでポルトガルは休日です。昨日までいい天気だったのが、例年の如くやはり今年も小雨のカーニバルです。

季節が夏の地球の裏リオの大々的なカーニバルには足許にも及ばないが、ポルトガルでよく知られるカーニバルのパレードは、ポルトから40キロほど離れた町、Ovar(オヴァール)のパレードのパレードです。

カーニバルはポルトガル語ではCarneval(カルナヴァル)と書きます。これはラテン語の carnem levare(肉を断つ)から来ると言われ、復活祭同様、移動性休日で毎年その祝日が変わります。

元来は春の訪れを祝う異教徒の祭りだったのがキリスト教に取り入れられ、一週間羽目をはずした祭りで騒ぎ、終わった後、それらの乱痴気行状の罪を大きなわら人形に託して焼き払う、というのが起こりだそうです。

一週間の最後は、必ず火曜日(翌日の水曜日はポルトガルではDia de Cinzas=灰の日)となります。

現在では、すっかり観光化されてしまったカーニバル(謝肉祭)ですが、カトリックの国で、このような、言って見れば、「無礼講・乱痴気」の祭りが取り入れられたのには、ちょっと驚きですね^^

下はわたしが気に入っている娘のカーニバルの王子さまです。この頃飼っていた愛犬ポピーもいっしょに。

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豪華な衣装を買ったり作ったりする人もたくさんいますが、子供の衣装は一度着たら翌年はサイズが合わなくてほぼ再び着ることはないので、これは知人から借りたものです。昔と違い、今は大手のスーパーマーケットなどで、安いのだと7ユーロ(\1500)くらいから、様々なコスチュームが売られています。買った衣装はもったいなくて、今でもとって残してあります。

このカーニバルですが、ずっと昔に見た「黒いオルフェ(Orfeu Negro」なる映画と重なってしまい、にぎやかさとは対照的なラストシーンが思い出され、わたしはどうも陽気に騒ぐ気持ちになれないのです。

1960年のカンヌ映画祭でグランプリを、米アカデミー最優秀外国映画賞を受賞した映画でブラジル語で話されています。ギリシャ神話を原作にした、リオのカーニバルの日の若い黒人の恋人たちの悲恋を描いた物語です。

ギリシャ神話のアポロの息子、オルフェウスは竪琴の名人です。彼の奏でる竪琴の調べは、鳥獣草木さえも魅了するのです。死別した愛する妻ユーリディスをこの世に引き戻すためにオルフェウスは黄泉の世界へ下って行きます。

その美しい竪琴の調べで、冥界王プルートの心を揺り動かし、「決して後ろを振り向かない」という約束で妻を連れ戻すことができたというのに、黄泉の世界の出口で己の心の誘惑に負け、後ろを振り向いてしまいます。愛する妻をオルフェウスは永遠に失ってしまうのでした。


映画はこれとは少し内容が違います。

リオの街、坂の上に住む人々はカーニバルを前に仮装の衣装作りをしています。若者オルフェもこの丘に住む市内電車の運転手ですが、彼がギターを抱えて歌うと鳥も羊も静かになり近所の人々はうっとりと聞きほれます。

田舎からカーニバル見物に来た若い娘ユーリオディスが電車に乗り、オフフェが住む丘の上の従妹を訪ねてきます。隣から聞こえてくる美しい歌声に惹かれて覗いてみると、それはさっき電車であったオルフェでした。

オルフェにはカモシカのようなしなやかな体と豊かな胸をもつ美人の婚約者ミラがいますが、気が強いのです。オルフェは慎ましやかな美しさをもつユーリオディスに惹かれます。

カーニバルの前夜、街に出たユーリオディスは死の仮面をつけた不気味な男に追い詰められ、からくもオルフェに救われて気を失います。ミラは嫉妬の炎を燃やすのです。

翌日、カーニバルで群踊のパレードが繰り出します。ユーリオディスは衣装を借りておオルフェの踊りの組に加わりますが、彼女を再び死の仮面をつけた男が追い詰めます。駆けつけたオルフェはユーリオディスを助けようとして高圧線のスイッチを押すのですが、却ってそれがスパークして彼女を焼死させてしまうのです。 

ユーリオディスの死体を抱きかかえてさまようオルフェに、ミラは嫉妬で正気を失い怒り狂い、巫女たちとともに石つぶてを投げて断崖に追い詰め、転落させます。二人は屍を重ねて死にます。
呪われた悲劇の夜が白々と開け、何もしらない子供たちはオルフェのギターをかき鳴らして踊っています。
(猪俣勝人著:世界映画名作全史・戦後編からの要約)―


映画の中で流れる二つの主題曲がとても美しい。
ひとつはLuis Bonfáの「Manhã de Carnaval(カーニバルの朝)、日本では「黒いオルフェ」でヒットしました。1960年ですから、わたしがやっと洟をたらしていた時期を抜けようとしていた頃ですw 

オルフェウ・ネグロを小野リサが歌っています。



もう一つが、ブラジルの作曲家アントニオ・ジョビンの「Felicidade(幸せ)」です。ジョビンはこの数年後に、「ボサノバ」を編み出して、世にその名を永久に刻むことになります。

「Felicidade」を知らない人でも、「イパネマの娘」はご存知でしょう。この作曲家なのです。当時のわたしは英語もよく知らない時代でした。ましてポルトガル語など分かるはずもないと言うのに、「黒いオルフェ」の歌には心惹かれてメロディーを覚えたものです。

ポルトガル語が少し理解できるようになった昨今、「Felicidade」のさりげないブラジルの歌の人生哲学にも少し惹かれるこの頃です。

挿入歌「Felicidade(しあわせ)」の一部をご紹介。
     
♪Tristeza não tem fim      哀しみには終わりがない
  Felicidade sim          けれども、幸せには終わりがある
  A felicidade é como a gota    しあわせは
  De orvalho numa pétala de flor 花びらの露の一粒の如く
  Brilha tranqüila           静かに光り
  Depois de leve oscila       かすかに揺れて
  E cai como uma lágrima de amor   愛の涙のように落ちる 
                -spacesis勝手訳

こちらで聴けます ↓ 

物語は、熱狂的なサンバに浮かれた一夜明けての物悲しさと空しさが感じられるような終わり方です。

そんなわけですから、カーニバルというと、映画「黒いオルフェ」が印象が強く、わたし自身はあまり楽しめる気分にはなれないのです。

ブラジルポルトガル語に挑戦したい方はこちらで映画をどぞ↓


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