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2022年5月28日 

いつごろから、人に向けた「許せない」あるいは「許さない」と言う言葉を頻繁に耳にしたり目にしたりするようになったのだろうか。

「仮借しない、容赦しない、許容できない、勘弁できない、弁明の余地なし」など、その他、たくさんの似たような言い方があるのだが、「許せない、許さない」は、わたしには「罪、罰、義務などから決して放してやらないぞ」というような非情な言葉に聞こえたりするのだ。

岸田首相の率いる現政権以前の「安倍政権を許さない!」、また「自衛隊を許さない」、共産党に至っては「日の丸、君が代を許さない」と反政権のフレーズにもよく見られた。

「許せない、許さない」の言葉が個人に向けられることも多いようだ。わたしの周囲にも使う人がいる。きっついなぁと思いながらその都度思い出す歌のセリフがある。

「あんた、あのこの何なのさ」

若い人は知らないだろうけれど、1970年代初期にヒットした宇崎竜童ボーカルのダウンタウン・ブギウギ・バンドが歌った「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」に登場するセリフである。(下記にて歌を案内)

「許せない・許さない」はわたしが使いたくない言葉の一つだ。あんたに人を許す許さないの権限があるんか?と、つい突っ込みたくなるのである。相手をとがめてもう受け入れないと言う意味であろう。使っている本人は、「腹立つなぁ、ひょっとすると受け入れられへんど」くらいの意味であろうか・・・

世の中には腹の立つことをする人がごまんといる。わたしも、とある同国人からSNSでこの数年来プライバシー侵害を受けてきた。直接個人的な話をしたことがない相手なので、人づてに聞いた話のあることないことを混ぜて公に書いているのである。話に事欠いてか、わたしだけでなく家族のことも書いているので酷い輩だ。

法廷に持ち込むことも考えたが、人から聞いたことを書いたまでです、などと昨今の信用できない週刊誌如きのように言われたら勝ち目がないであろう。最終的には、こういう毒気のあることに反応していたら自分の健康が持たない。その人の毒気から離れようと決心し、以来、それから遠ざかって今に至る。書いている人は恐らくわたしを意識しているのだろうから、そういう人はいつまでたっても毒気を吐き続ける。もう知るかい!となった。

その都度、許せない!と言っていたら、心底疲れるだろう。また、言われた相手はひょっとして「すんまへん」と出かかった言葉も飲み込んでしまうかも知れない。件の人は残念ながら、思うだにしないだろうが。

人を故意に殺めたりなどは別だが、世の中の大概のことは許されて済むのじゃないかと思っている。自分も何かで許されて生きてきたと思うんだよね。それが人と人が生きて行けるということではないのかなとわたしは思ったりしている。

そう言えば、今日のニュースに元日本赤軍幹部の重信房子が20年の刑期を終えて出所したとある。刑務所から出所したところなのであろうか、誰からか知らないが花束をもらって公にああやって顔を出せるとは、と思った。これが無実の罪で服役させられたのなら話は別だが、れっきとしたテロリストで世界中に指名手配された長年後、やっと逮捕に及んだ人である。メディアの騒ぎ方もちょっとおかしくないか?との感を否めない。

わたしの世代はこの名前を知らない人は恐らくいないであろう。当時の日本、世界を恐怖に陥れたテロリストの彼女と彼女の仲間の牙にかかり命を落とした人たちの遺族こそは、重信房子に「許せない」と言うことができるであろう。

許せない、許さないとの言葉を、「腹立つなぁ、ひょっとすると受け入れられへんど」とか「そんなの大嫌い!」くらいの気持ちで口にするのを慎まなければいけないんじゃないかと、随分前から気になっていた言葉について、今日は書いてみた。



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2022年5月27日 

1週間のオヴァ―ルでの日本文化展示会も先週で終わり、夫と二人してこの間の日曜日に展示物を撤去してきました。
体力を考えると恐らくこれが最後になるかな?いや、ポルト市内での依頼ならもうちょっとできるかも知れないと懲りずに思ったりしています。

展示物を引っ張り出しどれを展示するかを決め、会場に搬入し展示、そして会場からそれらを撤去します。この撤去ですが、どのようにしまい込むかを知っている自分でないとだめで、夫も手伝うと言ってくれるものの、本心を言うと「じゃ、これをこんなふうにここに入れて」とやるのは却って手間取るんですね。要は、「ジャマなんや~」であります。あはは。

いつもだと相棒のOちゃんと二人でさっさとするのですが、今回は2週末を続けてしかも遠方なので手伝ってもらうのはちょっとできません。それでも、2時間の予定が1時間半で終えられましたから、かなり片付けも手馴れてきたと言えましょう。

家に持って帰った展示物は、すぐに片付ける体力と時間がないもので、空いている子供たちの部屋にしばらくド~ンと放置です(笑) この片付けを自分が終えるまでお掃除のおばさんには、子どもたちの部屋は放っといてもらいます。そして、毎日少しずつ日本語授業の合間を縫って展示物を仕舞ってあった元の場所に戻して一件落着となるのです。今のところ、まだ二つのベッドの上にいっぱいのってる~、という状態です。

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写真の野点がさは、傘の内側のかがり糸の美しさを見てもらいたいため、故意に傾けられてあります。これについてはこちらでどぞ。「美しいわたしの日本(1)・野点傘(もどき・・・)」↓
      https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-825.html

展示物の片付けを始める前に、担当のT氏から花束を渡され、記念写真を撮っていただきました。何度もボランティアで展示会をしてきましたが、こんな風にしていただいたのは今回が初めて!Oちゃんがいなかったのが残念!

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そして、いただいた写真を見て気が付いたこと!当たり前なのだけど、自分が亡くなった母に似て来てる(笑)

YY日本語塾はボランティアの一環として影絵上映もしてるんですよ、と、云わんでもええのにうっかり口を滑らしたら、「おお、じゃ、来年のこの時期のDia de Familia(家族の日)にまたお願いできないでしょうか!」 うはははは。果たして来年のこの時期、まだしぶとく生きてるかっちゅうんですね(笑)

依頼されることで、もしかするとまだ仕上がっていない作品「かたあしだちょうのエルフ」をがんばって完成させられるかもしれないと思ったりしています。

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作りかけ・・・

問題は、右手親指が変形しつつあるので切り絵の刀が握れるかどうかです。影絵の切り絵に使用する用紙は結構分厚いもので、手に力が要ります。これまで苦労なくできていたことが、年齢を重ねることにより徐々にできなくなっていくと言うのは悔しいことではあります。

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「エルフ」のワンシーン

ポルトガル語の朗読は我がモイケル娘がしてくれました。そして、BGMはRion Kingから「Circle of Life」、野生のエルザから「Born Free」そして「Out of Africa」のテーマソングが決まっているというのに、2018年図書館での上映を最後に気が乗らなくなってしまったような。なんだかんだしているうちにコロナ禍時代に入りましたからね。

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「エルフ」のワンシーン

影絵は、仕上がった切り絵を音楽とナレーションに合わせて、何度もリハーサルする必要があります。そして、影絵上映は展示会と違い決して一人ではできない。大きなスクリーンの両端にわたしとOちゃんが控え、呼吸を合わせて、手持ちの切り絵の出番をうまくこなし、折り膝の痛いのをじっと我慢の15分。

うっかり自分たちの頭がスクリーンに映りでもしたら、カッコ悪いったらありゃしませんね(笑)どんなに素敵なお話も興ざめとなります。

YY塾のこれまでの作品は「キョーリュー年代記」「かぐや姫」「百万回生きたねこ」、わたし個人の作品は「Giving Tree(邦題は、大きな木)」がありますが、ご興味のあるかたは、拙ブログにてタイトルで探ってみてください。

一作もビデオ撮影していないのが残念です。と言うのは、当のわたしたち二人は影絵スクリーンの裏方をしているんですもの(笑)
さて、Circle of Lifeを聞きながら一人で盛り上がって久しぶりに「エルフ」を手掛けてみようかな?

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2022年5月26日

昨日に引き続き。

無一文で嫁いできたもので、飛行機の切符を買うこともできず、帰るに帰れなかった状態を今振り返るとなんと無謀なことをしでかしていたものかと(笑) 昔からの無鉄砲な性格そのままでした。

しかし、それが却ってよかったのでしょう。そうこうしているうちに息子が、娘が生まれポルトガルに住んでいることを忘れるほど、家族や猫たちとの生活に日々おおわらわ、10年経ち20年経ち、ぐ~るぐ~ると4周りもしました。

来ポしてからの最初の孤独感と子育ては自分を忍耐強い人間にしたような気がします。夫の家族との同居6年間で、一度だけ、もうアカン、子どもさえ連れて行けるならポルトガルを捨てて日本に帰ろうと思い、夫に切り出したことがあります。結果は、今ご覧の通り別れることもなく、たいした喧嘩をすることもなく、無事、夫婦で子供たちを育て結婚も今年の3月で44年目に入りました。

息子と年が6歳離れたモイケル娘が生まれようとする頃、夫の母の家が手狭になり、同じ通りのスープが冷めない場所の借家に引っ越しました。結婚6年目にして、自分の台所が持てたのです。当時で築70年は経っていると思われる家でしたが、小さいながらも庭があったのが嬉しかった。好きな紫陽花とバラをたくさん植えてもらいました。そして、たくさんのネコと犬一匹を飼い出しました。

子供たちが幼かったこの借家にはたくさんの思い出があります。その一つを紹介させてください。以下。

桃ノ木

借家だった古い我が家の小さな庭の、一本の桃の木の話です。
ほったらかしで手をかけたことがありません。それでも一年おきに甘い立派な見事な桃の実を提供してくれました。最高で80個ほどの実を収穫したことがあります。自分の庭でもぎとった果物を食卓に運ぶのは格別な幸せがあります。

ところが、この桃の木を私たち家族は誰も植えた覚えがないのであります。庭の真ん中に、ある日、ひょろりひょろりと伸びている植物を見つけて、始めは「抜いちゃおうか。」と思ったのですが、庭師のおじいさんがやって来る日が近かったものでそのままにしておきましたら、おじいさん、抜かないで行ったんですね。庭師が抜かないというのは何かの木であろうかと、のんきなものです、そのままにして様子をみることにしました。
   
それから丁度3年目!見上げるような一人前の木になり、ある早春の朝、二階の我が家の窓から木の先々に薄ぼんやりと見えたもの、「あれ?なにやらピンクの花が咲いてるぞ?」と発見。時節柄からして、ひょっとすると桃の花?」と、あいなったのであります。何しろ床にゴミが落ちていてもかなり大きなのでない限り、見えないほどド近眼のわたしです。
   
さて、台所の出入り口から庭に続く外階段を下りていくと、案の定、まぁ、ほんとに桃の花でありました。桃の実そのものは食べても、桃の花なども、最期に見たのがいつであったかを思い出せないくらい長い間目にしていません。小枝を少し折っては家の中に飾り、子供たちと多いに喜んで観賞したのでした。

その年の夏は、気づかないうちにいつのまにか面白いほどたくさんの見事な実がなり、子供たちと木に登りワイワイもぎとりました。ひとつひとつの桃を枝から手で摘むその感覚ときたら、それはもう、童心に帰ったような嬉しい気持ちと満足感がありました。我が家にあるカゴも箱もいっぱいで、80個以上も摘んだのです。
 
とても食べきれず、生ものですから長期保存はできないので、階下のマリアおばさんにもおすそ分け。で、「本当言うと、植えた覚えがないんですよ。」と言いましたら、おばさんいわく、 「あら、じゃ私が食べた後に窓から捨てた桃の種の一つがついたんじゃなぁい?」
「え?・・・・・・」   

あらま、道理で。わたしたちの借家は3階建てで3家族がそれぞれの階を借りていました。庭の敷地も低い石垣で三つに区切られ、各々使っていたのですが、車庫つきのわたしたちの庭はそのなかで一番大きい庭でした。

引越しする前からカーラがたくさん植えられてあり、それにわたしが大好きなバラと紫陽花をたくさん加えて、季節になるときれに咲いていました。が、りんごの芯やらタバコの吸い殻やらが、庭を掃除しても後から後から落ちているのです。
   
ははん、これは階下のおじさんだな・・・ひょっとして灰皿の吸殻を窓から全部庭に捨てているのかも。自分の庭がうちのすぐ横にあるんだから、なぁんでそこに捨てないのかね。自分のところはこれでもか!というくらいきれいにしといて、ゴミ、ガラクタ類はみな、よそ様のところへ押しやって、って輩が結構こちらにはいるのでありましす。

家の入り口を掃除するも、ゴミを箒で通りへ掃きだすのが、こちらの普通のやり方ではありました。チリさらいひとつで内へ持ち込んでゴミ袋に入れればいいのにと、何度も思ったことですが(笑)

でもまぁ、こうしてマリアおばさんが食べた桃の種を窓から我が家に放り投げたお陰で今まで持ったことのない桃の木の所有者になった訳だし、今回のところは帳消しにしとこう!と相成ったのでした。

2年続けて桃の木は、立派な実をわたしたちにくれました。我がモイケル娘などは、木登りをし、車庫の屋根づたいに裏にあるだだっ広いジョアキンおじさんのCampo(カンポ=畑)の大きな大きな木にまでたどり着き、際どい遊びを楽しんだものです。

そうそう、我が家の子猫がその木のてっぺんに上ってしまい、それにはホトホト手を焼いた。一晩木の上で過ごし、翌日、モイケル娘が木の枝ギリギリのところまでのぼって、ようやっと胸に抱きしめることができたのでした。

3年目にも入ると、桃の木は以前ほど実をつけなくなりました。何しろまったく手をかけなかったものですからね。すると、我が家のお掃除のベルミーラおばさん、

「ドナ・ユーコ、これはお仕置きをしないと!」
お、お仕置き?木にですか?
   
「そうです。木の根元に大きな石を置くのです。」
んまぁ(笑) しかし、その大きな石をどこから手にいれまする?ろくすっぽ世話をしないのですから、毎年たくさんの実をもらおうとすること自体厚かましいと言うもの。結局、お仕置きはなし。


もう随分昔の話になります。その家から数メートル離れたフラットがわたしのツイの棲みかです。庭がありませんから桃の木は我が家の所有物ではなくなりました。

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2022年5月25日 

自分用の、また子供たち、孫への私の人生ノートメモとして数回に分けて書いておきたい。以下。

1979年5月19日に、パリ経由でポルトのさびれた小さな空港に降り立ちました。今でこそサ・カルネイロ空港と名がつきすっかりきれいになりましたが、当時は昨今のようなにぎやかさがなくちょっと不安になるような田舎の空港でした。10年を4周りも遡る若かりし日のことです。

大阪での一人暮らしでは給料からの貯金はなかなかできませんでしたが、仕事が退けた後9時までのビアハウス歌姫バイトを数年続けられたのはラッキーでした。それで貯まったお金を持ってアメリカ留学、できればそのまま移住をと思っていたのが、気が付けばポルトガルです。

持っていたお金はアメリカ留学で使い果たし、ほぼ無一文でポルトガルの夫に嫁いできたことになります。カーネーション革命5年後で、まだ、独裁政治の影が色濃く残っていました。

近所の年端もいかない子供が、「ファシスタ!ファシスタ!」と棒っ切を野良犬に振り回していたのには、ギョッとしたものです。そんな言葉はここに来るまで映画の中でしか耳にしたことがありませんでしたからね。

ポルトガル語が全く分からずあの頃は英語が話せる人も周囲にほとんどいなかったので、たちまちのうちにホームシックにかかり、お姑さんたちと同居の家の一室のベランダから空を眺めては涙したものでした。女性が一人でカフェに入るなど見られない時代でした。

国際電話など年に一度、奮発してかけるくらいでしたから、日本とのつながりは手紙のみです。、親や友人には心配をかけたくなかったので、愚痴はいっさい書き送りませんでした。ポルトガルでの生活を文字でしたため、いったいどれだけの航空便レターを日本に送ったことでしょう。赤と青のストライプが入った封筒が舞い込む毎に胸をわくわくさせて封を切っていたあの頃の自分を思い出すとちょっと目が潤みます。

よぉ今日までポルトガルに住んだものだなぁと、誰も言ってくれないので自分で言って労をねぎらっておるんです(笑)

日本人もおらず、友もなく。思い切って一人で街に出れば、すれ違う人々からはジロジロ見られ「しね~しね~」と後ろから浴びせられ困惑したものです。いえね、「しね~しね~」は「シネーザ、シネーザ(中国女)」と言っていたんですね。今にしてみれば笑い話ですが、トロリーバスに乗って街へ出、歩くのが恐くなりました。

スーパーマーケット、ショッピングセンターの類は皆無。土日の週末の親族同士のお呼びお呼ばれのお付き合いには悩まされました。なにしろ、「初めまして。Yukoです」の後、言葉が続かないんですから。意地になってポルトガル語なんか覚えてやるかい!なぁんて思ったりしましたからね。あははは。

でも、今にしてみればこれは核家族社会以前の、親族同士が交友を暖め合うひとつの方法だったのです。週末は家族でショッピングセンターへ云々という娯楽の類がほぼなかったのですから、レストランでではなくそれぞれの家に人を招き招かれする、それが娯楽でもあったようです。

言葉が分からず食事も会わなかった私にとって、当時の昼から夜までかかる長時間の食事会は「これ、懲罰かぁ~」と思われるほど苦しかったなぁ(笑)と言うので、今回は当時にまつわる過去記事をひとつ。

某年某月某日 「石畳」
ポルトは悠久の街である。大西洋に流れ込むドウロ川べりから市街中心にむかって、幾重にも丘陵が重なり、段々畑の様を呈して赤レンガの屋根がぎっしり並んでいる。この街では時間はゆっくり流れる。人々は素朴で子供たちは路地裏で日が暮れても遊びまわり、ときおり焼き魚の匂いが漂ってくる。

長崎にある石畳の道は、そのロマンチシズムで人気のあるスポットだと思われます。もしかすると、この長崎の石畳の故郷はポルトガル・スペインではないのかとわたしは推察するのですが、どうなのでしょうか。

石畳もホンの一部であれば、雨にぬれてもロマンチックであるけれど、気をつけないと人も車も滑るんですネ。ハイヒールのかかとはと言えば、まるで石畳に噛みつかれでもするかのようで、どうもいけません。(当時の私は時にヒール付きの靴をよく履いていました)

姿を消しつつある石畳でが、まだそこかしこに残っています。
この石畳はさいころ型の石を敷き詰めたもので、ひとつの面は20年ほどの耐久性があると言われています。

一面が減ってきたところで掘り起こし、面を変えるのです。そしてさらに20年、また掘り起こし面を変えて20年。この単純な繰り返し作業で行くと、さいころ面は6面あるのだから、最後の6面目が減った暁には石畳の道の齢(よわい)は120年!!!

たいしたものです。ひょっとすると目の前に見られる石畳道が100年ほども経っているかもしれません。そこを日常的に歩いているというこを考えると感動的でもあります。

たかが1、2年帰らなかったというだけで、目まぐるしく景観が変わってしまう日本と比べると、なんというこの悠長さ、この頑固さ。え?新道路工事の金がポルトにないんじゃないの、って?それを言っちゃぁ、おしまいよw

時には、ハイヒールのかかとに噛み付き、車もその振動で痛みが早いのではないかと気が気でならない石畳も、ポルトを「悠久の街」とわたしに言わせしめる一因ではあります。

因みに石畳をポルトガル語では「calçada portuguesa」と言い、モザイク模様の石畳も含みます。おしまいに、ヘタクソな一首をば。^^

わがいえの前を流れる悠久の時はゆったり石畳となり 


我が家の辺りは、わたしが来た当時一面林だったのですが住宅地に開発されました。昔、この辺りが林だったとは知らない人が多いでしょう。が、我が家の面する通りは今も石畳を敷き詰めた道です。

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2022年5月22日 

Facebookでつながっている我がモイケル娘の友人Kちゃんが、「絹絵に描かれたこの屋号」の読み方をどなたかご存じないかと写真を載せていた。

崩し字であろうとわたしなりに探ってみたのだが結局分からなかった。探りながら、前に似たようなことをしたことがあるぞ?と思い出した。

あ!あれだあれだ。モイケル娘が3年間会社勤務をした後、どうしても勉強してみたいと言い出し、東京のとある大学院で近世文学コースを選んだときのことだ。

夫には、そのコースってどんな職業につながるのかと問われ、「し、知りまヘン。けど、本人が勉強してみたいと言うのだからええんじゃないですか。職業につながる学問をする人ばかりだと、世の中、知識人や教養を持つ人ががおらんようになりまっせ。」なんて偉そうに言って娘の肩を持ったおっかさんでした。

東京で兄貴との共同生活中、モイケル娘が、いざ!と再び学生生活を始めた春、わたしは帰国したのだが、当時の彼女の奮闘ぶりにわたしも加担しようとしたある日のずっこけ親子の話である。以下。

某月某日
いやぁ、参った参った。
紀貫之さまではありませんが、「娘もすなるくずし字といふものを、母もしてみむとてするなり」でありまして、モイケル娘が初めて取り組む1800年代に書かれた小説の原文読みの課題、いやはや崩し文字の漢字もさることながら平仮名のややこしいこと。
書をただ眺める分には、美しいなぁで済ませるものの、読むとなるとこれは殆ど苦行であります。二人して迷路に入り込んだ心地して、面白いもののその結果、いと恥ずかしき(笑)

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以下、モイケル娘のブログ記事借用して。大学から帰宅した娘から講師の正解を聞き、ガハハハと爆笑してしまったくずし文字探りテイタラクでありました。

題して「心は豚にひかるる大八車」

―ここからモイケル娘の文を引用
いやー。参った。
文字に襲われる夢を見ました。はっはっは。

自分のペースでできることをやるしかないと再度自分に念押しを。
周りはどうあれもっと気楽に失敗しまくろう\(^o^)/

と思うことにした結果

kuzushimoji_2022.jpg

赤枠内の文字を「豚にひかるる大八車」と解釈して、今朝の発表で先生の盛大な苦笑いを頂きましたww正しくは「縁にひかるる」ですね。

いやー、おかしいとは思ったんだよ。
でも他の字が浮かばなかったし、そもそも辞典の豚の字と似てたし、
右のルビも「とん」に見えるし。

「えん」だったんだねー。

ちなみにこれは1688年に増田円水に書かれた『好色大神楽』という浮世小説です。物語が井原西鶴のなんかの小説(忘れた)に酷似しているのがひとつ注目すべき点だとかなんとか。

ほんと気分は暗号解読者だよ。
今日から暗号解読者を名乗ろうかな。
どうも。暗号解読者です。ディサイファーです。

豚は大八車をひきませんよ。―引用終わり


江戸時代に「豚」っておったのかな?いや、ブタとはイノシシのことかも知れんぞ・・・しかし、なんで「心は豚にひかれる」なのだ?と不可思議に思ったものの時間切れになり、えぇい、分からん、しないよりはましだというので「ブタにひかるる」と相成り(爆)

これからが恐いような楽しみのような~

この時は、恥ずかしい誤読をしたものの翌日に正解が分かって気持ちもすっきりしたのだが、さて、Kちゃんの件は果たしてその後どなったのだろうか、と気になるのでありました。

ではまた。


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