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2021年6月14日

一昨日、一昨昨日の、夕方の天気が凄かった。夕方と言ってもポルトガルの夏時間は8時でも明るいので、夕方だと思っている。

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一昨昨日の空 

空が異様な赤色に染まったと思ったら、稲妻が光り雷雨が降ってきた。
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一昨日の空

1人で別部屋で寝ていた猫のゴロー君が、こわかったのだろう、稲妻のピカ!と、雷の音とで、わたしたちがいるリビングにやってきた。
日本の梅雨期はこういうのが結構あると思うのだが、ポルトガルでは珍しい。後のニュースで知ったことだが、ポルトより北方では、一瞬の大雨と雹とで農作物が被害を被ったそうだ。こんな夏の時期に雹だなど、異常だ。

さて、ポルトガルのコロナ状態はどうなっているのか。
このところ、死者数は0の日も多く、1,2を繰り返しているが、感染者数はと言うと、昨年の今頃に比べると、むしろ増えている。

6月に入ってから、500,700,800となり、900を超えた日もある。 このまま他国からのツーリスト入国を制御せずに行ったら、秋口にはまた緊急事態宣言を発令することになるのではないかと、心配している。だって、それだと、帰国できないではないか。え~~~ん。

来月初めには、初孫の青空ちゃんも満一歳になる。近頃モイケル娘から送られてくる写真やビデオを見ると、もはや赤ちゃんの顔にあらず。幼児だ。とうとう赤ちゃん時代に抱っこできなかった。

できないことを今考えてもしようがないので、なるべく日々、帰国のことは頭からふり払うようにしているのだが、時には落ち込むこともあるぜ。 どうすんだ、このマスクの世の中。

比較的よい条件付きで帰国できたとしても、ポルトから日本に着くまで、待ち時間も入れるとほぼ24時間だ。この間、マスクをずっとするのに耐えられるかな?いやいや、今は考えるのを止めとこう。

かつては、ダウンタウンに出るのに、近くのメトロ駅に車を駐車してメトロで出かけていたものだが、それが今では怖くなった。それで、夫の仕事がない日に車で送ってもらうことが続いている。

先だって、基礎化粧品を買い足す必要ばあり、久しぶりにダウンタウンへ行って来た。観光客がいるにはいるが、それでもかつてのようなごった返しではない。それで、これなら長い間、ツーリストが列を作って入店を待っていて入れなかったお気に入りのマジェスティック・カフェで、ちょっとお茶でもできるかと思って行ってみたら、あらま、コロナで閉店したままになっていた・・・

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人がわんさか訪れるマジェsティック・カフェよりも、この方が昔ながらのカフェでわたしはすきなのだが。もちrん営業していれば、の話だ。

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コロナ禍が世界中に与えた経済打撃は本当に大きい。コロナウイルスは次から次へと変異化し、この数年は私たちの生活を脅かすかもしれない。果たしてわたしたちは以前のような生活ができるのだろうかと思う一方で、わたしたちは負けないはずだ、希望を持とうとの気持ちが湧く。
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2021年6月10日 

デザインした人には悪いけれど、つい先だって発表された東京オリンピックの表彰式コスチュームにはガッガリした。

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人それぞれセンスの違いはあるだろうが、わたしの中ではなんだかなぁ、なのだ。
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特に履物。もうちょっとなんとかならなかったの?である。
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これってサンダルの種類でしょ?公の場で履くもの? どこに違和感があるかというと、全体的にシマリがない。なんとなくだらしないのです。

夏に伝統の和服を着るというのも大変だろうが、表彰式会場内はエアコンがあるところもあるのではないだろか。全ての人を満足させるデザインというわけにはいかないのは分かるが、わたしはこれはイヤだな。

我が国たるものが、ガッカリだと思っていたら、こんなプロジェクトがあったのを知った。
【The dream comes true】 KIMONO PROJECT

今回の東京オリンピックの向け、世界206国と難民選手団併せて216着の着物を制作したのだと言う。
着物作成に当たっては各国大使館で各々の文化をヒアリングし、着物作家がそれに沿ってデザイン。
大使館で下絵を確認し、織り、染めをして着物と帯を仕立てあげたのだそうだ。素晴らしい!







それこそ、表彰式には、例えば代表して金メダルを取った国の着物を表彰式に着るというのはどうなのだろうか。暑いだろうが、表彰式の間だけだ。そんなに長い時間にはならないと思うのだが、酷かな?

などと勝手に頭を巡らしている今日である。
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2021年6月8日 

昨日の拙ブログに書いたいきさつで、中学時代の親友と連絡がとれて以来、わたしたちは時々電話でお互いの近況を語ってきたのだが、その2年後の2009年9月、わたしが帰国した折に40年ぶりにわたしたちは再会することができた。

みなさま、40年ですよ、40年!10年ひと昔で、20年がふた昔、そのふた昔が二回繰り返す月日の流れですぞ。

ところがですね、このわたしのすることと来たら、まったくもって情けない。いやもう、毎度のことではあるが、我ながら今回はがっくりコウベも双肩に陥没、入る穴を探す気力も失うほどの大失敗をしでかしてきたのでした。誰だい!今回は、じゃなくて、今回も!だろ、なんて言ってるのは。

約束の当日、「ああ一体、彼女はどんな風に変わってるだろうか」と胸膨らませて、西船橋で電車を乗り継ぎ、当時、息子とモイケル娘が住んでいたアパートからかなり近いところに住居を構えているという彼女の家の駅へ向かった、電車を下りた、待ち合わせ場所の改札口へゆっくり足を運んだ。

改札口には・・・・誰もいない・・・・ひとっこ一人いない・・・・ふむ、ちょっと遅れてくるな?と合点し、ドキドキしながら改札口の内側でしばらく待った。が・・あれ?現れんぞ^^;

ケータイを持ってないわたしだ、赤電話でまずは彼女のケータイへダイヤルを回すが、応答なし。次には自宅へ電話をしたが、ウンもスンもない。 おい!と少し胸騒ぎがした。もしかしたら、電話番号を間違って控えたのかもしれない。

そこで、都内の会社で仕事をしているモイケル娘のケータイへ確認してもらおうと電話を入れたのだが、こっちもウンもスンもない。何度電話しても出ない!後で娘が帰宅して分かったことだが、この日に限ってモイケル娘、ケータイを家に忘れていったんだと~!出るわけがございんせんわい。

何度も何度も我が友モリのケータイに電話を入れ(これも呼び出し音なしにしとったってかや。泣、やっと出た彼女に
「今、あなたの家の駅にいる」と言うと、
「え、駅ってどのえきぃ~?」
「だから、ほら、○○○駅よ」
「あ、あぁた・・・」
@@@@@@!!!

待ち合わせ場所はそこじゃなくて
船橋駅じゃとーーー!



脳内で鐘が鳴ります、ギンゴンゴ~~ン。
もう慌てました!足がもつれるほどに走って来た道を電車で逆戻り!あぁあぁあぁ、これだもんなぁ、わたしって^^;これが40年ぶりの再会に起こることか。

ようやく我が友に40年ぶりに再会したのは約束の時間を過ぎること一時間とは、なんちゅう情けなさ。

行き交う人の多い船橋駅で、それでもわたしたちはすぐにお互いを見つけることができた。わたしの中の彼女のイメージは、「背の高い大柄のモリ」だったのが、その記憶を訂正しなければならなかったのでした。

「あなたがアメリカへ渡ったと風の噂を聞き、カリフォルニアへ旅行に行った時もこの広いアメリカのどこかに、あなたがいるんだと思ったものよ。ホントにずっと探してた。こうして再び会えたなんて夢みた
いだ」声も話し方の癖も中学時代の名残があり、わたしたちはお互いの過ぎ越しを交歓しながら40年という時空をまるで取り戻しでもするかのように、ひたすらおしゃべりしたのでした。

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あれから40年も経ってしまったのが嘘のように、あの頃の親友同士時代に戻れたわたしたちでした。もう行方がわからない、なんてことはないよね。こうして、お互いが無事今日まで生きてこれたことに、そして再び会えたことに、心から感謝して。

うん、人生には凄いカラクリが仕込まれてあるもんだなぁ。
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2021年6月7日 

亡くなった写真家の星野道夫さんは書いている。
「人生はからくりに満ちている」と。
その言葉を直に感じて、ひとり胸にジンと来た15年ほど前の出来事を今日は綴ってみたい。

いつもの習慣で、朝メールボックスを開くと弘前の高校時代の友人から一通入っていた。彼女からは二日ばかり前にメールがあったばかりで、まだ返事を書いていなかった。書き忘れたことでもあったかな?と思い、目を通したメールには、

あすなろのママ(同じく同窓生で弘前の彼女のスナックあすなろは、第一期南校卒業生たちの集いの場となっていた。数年前に閉店)にお願いされました。

あなたの中学時代の友人、森○江美子さんって覚えてますか?
昔、手紙をもらったのだけど返事が書けないまま、住所も分からず
ずーっと気になってたとのこと。
連絡欲しいそうです。


近年メールを受け取ってこんなに驚かされたことはない。彼女の名をこんなルートで聞かされるとは、想像だにしなかったのである。

あの頃の彼女の呼び名を呟いてみる。13、4のわたしたちが浮かんで来て、懐かしいほろ苦い思いがこみ上げてくる。音信が途絶えてあれから幾星霜過ぎただろうか。

彼女は中学時代の仲良し友達三人の一人であった。中学3年でわたしは大阪に向かい、彼女たちは弘前に残った。 わたしは中3の三学期も半ば過ぎた頃に帰郷したのだが、入学した中学校は以前の中学校とは違った。我が家は引っ越ししていたのである。
受験した高校もお互いに違い、三人仲間のもう一人は、中卒後就職列車の乗り北陸へ。わたしたちは離れ離れになったのだ。

やがてわたしは大阪へ、森は東京へと故郷を後にした。
その後、21の歳に大阪で一度再会したきり、わたしたちはそれぞれの都会での生活に忙しく、いつの間にか音信を絶ってしまった。メールで彼女の名前を目にした時は、既に40年近くの歳月が流れていた。

青い夢を、憧れを語り合いわたしたちはいつも三人でつるんでいた。歌真似もよくしたものだ。わたしの大阪への家出の片棒だって担がせたことがある。

その友の名が、記憶の向こうから時を飛び越えて今わたしの目の前に現れた。メールに記されてある電話番号のダイヤルを回す手が思わず震えた。
0081の047の○○○○・・・・
国際電話の向こうで呼び出し音が鳴っている。
心臓がドキドキしている。

「もしもし」と受話器の向こうからあの頃と同じ、彼女の太い声。
「森○江美子さんのお宅ですか?」と、わたし。
「ええ。そうですが・・・あ!」
森○は、彼女の旧姓である。「わたし、ソデ」


この一言で、「ぅわぁ~~~~~!」とお互い言葉にならない歓声をあげた。

どのようにわたしに辿りついたかをかいつまんで友は説明する。

先ごろ、弘前で中学時代の同窓会があったので、現在住んでいる千葉から出かけた。そこで集まったなかに「サンペイ」がいて(これがちっともわたしの記憶にない^^;)彼いわく、「あの頃、ソデに世話になった。会いたいなぁ」との話になった。どんな世話をサンペイ君とやらにしたのか、全く記憶にない。

その同窓会では、同じ南高校卒業生でわたしを覚えていた一人がいて、どうやら、ソデは生きているらしい。高校の同窓生のあすなろのママが知っているかも知れない、となりスナックへ彼らたちは足を運んだ。

行くや、
「うん。この春会ったよ。ほら、これ、ソデからもらったのよ。」

こうこうしかじかあすなろのママに事情を話し、パソコンを持たないママは、わたしたとメールのやりとりをしている我が友にメッセージを託したのだと。

人の世は不思議な縁だな、とわたしはここまでの糸を手繰り寄せてみる。

もしも、わたしがかつてyubitoma(今でもあるのだろうか?)の南高校卒業生欄に登録しなかったら、わたしを覚えていた同窓生の一人からメールをもらうことはなかっただろう。

もしも、彼が他の同窓生たちに声をかけなかったら、わたしは京都で高校時代のかつての親友に会うことはなかったろうし、懐かしい同窓生たちに会うこともなかっただろう。

もしも、そのわたしのニュースが広がっていかなかったら、弘前までわたしが出かけて36年ぶりに第一期生同窓会に顔を出すことはなかっただろう。

もしも、あの時「明日には東京へ帰るから。」と2次会であすなろへ皆と一緒に足を運ばなかったら、そこで新たに今メールのやりとりをしている友とはつながらなかったであろう。

もしも、・・・・このひとつでも欠けていたら、その日、中学時代の親友にめぐり合うことは恐らくなかったことだろう。

かつて我が日記に書いたように、一つ一つの、今、自分がすることはそれぞれが小さな点である。それらがわたしたちの気づかないうちにどこかでつながり、一本の線になるのだと感じられる出来事にわたしは遭遇したのである。

このような人生のカラクリは、なんとなく頭では分かっていても、ある程度の年齢に到達しないと見えて来ないであろう。

自分が残した足跡を誰かが辿り、行き着いた先で友と再会できたり、或いは新たな出会いがあったりするのには、不思議な喜びがある。

あまりの興奮に、うっかり結婚後の彼女の苗字を忘れているのに気づかず、聞きそびれてしまった。 メールアドレスをもっていない彼女に手紙を送るため、翌日もう一度国際電話を入れたのであった。
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2021年6月5日 

んまぁ、とにもかくにも段取りが悪いというかシステムが悪いと言うか、決められた12:38の予約時間に行ったと言うに、それが何ゆえ3時半に終わることになるねん?という2度目のワクチン接種でした。

順番が呼ばれる様子を見ていると、どうも数人が同じ予約時間にあててるようなのだ。キャンセルなどでワクチンが余って捨てることにならないようにとでもいうのだろうか。

あまりにもひどい段取りの悪さに、他人とも平気でおしゃべりして時間をつぶすのん気なポルトガル人だが、さすがキレたのがいて、呼び出し係に食ってかかっていた。

前回はワクチン接種が終わるまで2時間半かかったが、時間通りに始まらないのがポルトガル、長年住む間にある程度の覚悟はできていたが、それでもまだ日差しがきつい夏時間の夕方に立ったまま日陰なしで1時間半待つのは、日射病で倒れる年寄りが出ることを想像できないのかと思ったものだ。

あれから4週間、会場スタッフは毎日接種をしているわけだから、きっと2度目の今回は手際よく事が進むだろうと期待して行ったわたしが甘かった。やっぱ、ポルトガルだった!

予約時間12:30より30分前に着いてワクチン会場を後にしたのが3時40分。ほぼ4時間かかったことになる。もちろん昼食抜きだ。曇りだったが、それでも日に弱いわたしは、持っていた薄いショールを頭から被っ、じっと待つこと待つこと、ホンマ、アタマに来ますやん。

長くても1時間半、すると2時で、まだレストランで食事がとれると甘く見てしまったのだった。そそ、猫のゴロー君のご飯もすっかり遅くなり^^;

猫殿のご飯を先にし、大急ぎでサンドイッチを作り、昼食はそれで済ましたが、そうしているうちに頬っぺたがかなり赤みを帯びてきて、「あ、こりゃ熱がでるな」と思ったら案の定。台所の後片付け後、バタンキュー。

接種した腕は痛むわ熱はどんどん上がり39度近くになるわで解熱剤を飲みましたが、結局水曜日の夕方から金曜日の夜まで、ベッドに伏せることになってしまった。

土曜日朝の2クラスの授業準備ができず、3時間通しの授業はきつい。無理をしてへたばったら今度は日曜日の授業が結局できなくなるので、キャンセルの運びに。土曜日のクラスのキャンセルなど、長年してきてるが初めてだ。みんな、ごめんよぉ。先生は年とった~~。

そして、接種者の95%に「モデルナアーム」と言って、ワクチン接種から5~9日後、注射した箇所に赤い発疹がでるのだそうだが、わたしの場合、1回目はほとんど見られなかったのが、今回3日目にして見事(笑)出ましたぞ。この発疹は消えるそうだ。

下にWikiから拾った、比較的わたしの発疹に近いものを載せました。かゆみがあります。

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下記はわたしが目にしたワクチンメモです。これから接種する方の参考になれば。

1 2回目は一回目と同じワクチンを接種すること
2 1回目に注射した際、腕に赤い発疹が出たら2回目は別の腕にした方が良い
3 2回目の接種2週間後から効果が出る。今のところ、接種後6カ月は安全との情報あり
4 接種しても無症状陽性になる可能性があるので人にうつさないためにもマスクを着け、ソーシャルディスタンスは守る

4は大事な点だと思う。ワクチンをしたからと言って、必ずしも感染させないということにならないからだ。

あ~あ、ワクチン接種で日本に今まで通り簡単に入国できたら、こんなに嬉しいことはないのだが、まだまだ我慢の日々は続きそうだ。


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