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2020年1月20日 

少し頭が疲れてます。
いかな嫌いでも国民から選ばれた国のトップに対して、数々の一斉なる偏向報道、生放送すら急停止するわ、Youtube、ツイッターどころか、ビッグ・テックGAFAM(Google, Amazon, Facebook, Apple、Microsoft)の、あそこまでの言論弾圧を見せられたら、空恐ろしいと思うのは自然ではないだろうか。空恐ろしい、変だと思わないのは、己に都合悪く、言論弾圧がなんであるか知らぬふりをしている人たちだろう。

いつの間にか、怖い国になってしまったアメリカの話でありますが、上記、記録しておきたいわたしの独り言と受け流しのほどを。

こんな風に頭が疲れている時は、わたしは数年前の同時期にどんなことを考えていたかと、古い日記を紐解いたりします。今日はそれをさせてください。

2009年の今頃の日記です。以下。

「二番目に言いたいことしか人には言えない」という風なことを詩人の星野富弘さんは、詩に書いていたように思う。

その場その場で自分の意見や思ったことをズバッと事も無げに言ええる人がいるが、蛍光灯タイプのわたしは、少しテンポが遅いことが多く、星野さんの詩にあるように、一番目に言いたいこと、書きたいことをなかなか表現できないでいたりする。

言いたくても、書きたくてもできない一番目のことと言うのは大抵嬉しいことではない。

実は先週からショックが続いておりますんです^^;それで日記やブログに穴を開けていました。「落ち込む」という言葉はできるだけ使いたくないと思うわたし、「こりゃ意気消沈だわな」と、すっかり肩を落としてしまっている自分の姿、やっぱりこれ、「落ち込み」って言葉がぴったりですがな(苦笑)

卒業論文を仕上げるのと、卒業試験を控えてるのと、今春からの関東での落ち着き先を探すのとで忙しそうなモイケル娘(懐かしいな、この頃^^)、あまり邪魔をしないようにと、ここしばらくはメッセンジャーで見つけても「何か特別用事ある?あったら声かけてね。」くらいで終わっていたのだが、今日モイケル娘に、先週ガビーーンと電気ショックもどきの出来事があったことをちょこっと話した。

わたし「ホムペ(ホームページ)、恐ろしいことをしてしまってん・・・」
モイケル「やっぱり・・・。ずっと日記の更新がないからなんとなくそんな気がしてた」

ど、どんな恐ろしいことをしてしまったかは言えなかった・・・口に出したくないのだった・・・口に出したら、またぞろ、ショックがぶり返してきそうで、もう少し自分なりの解決策を考えられるようになるまで、放って置きたいたいたいたい(笑)

で、アクセス数は今のところたいしたことはないのだが、そのうち、大ブレークするかも知れないなんて勝手に夢見て、大事にしてきたホームページサイト「ポルトガル・ロマン」、しばらくそのままにすることにした・・・

「spacesisさん、いったい何やったの?どんなチョンボしたの?」なんて、き、聞かないでくれたまえ、君(笑)→打ち明け話:2020年にも似たようなことをこのブログでしでかして、自分なりに色々手を尽くしてみたのだが、成功せず。しまいには、FCにヘルプのメールを書く羽目になりました。それでようやく解決。拙ブログは元にもどったという次第。


こうやって半分アホ言ってるのは、意気消沈から徐々に立ち上がってきた証拠ではありますが、しばらくは言葉もでなかったのではありました。これがショック①。

ショック②は、これも先週のことで、大急ぎでポルトに駆けつけて来た息子を夜駅へ迎えに行った夫の車が途中で故障し動かなくなってしまったこと。

ついこの間、車検したばかりなのにです・・・ったくもう!と怒っても仕方がない。何しろここはポルトガルポルトガル(笑)
週に二回、わたしの朝の出張日本語教室以外は、目下夫がわたしの車を使っているので、クリスマス以降、ずっと好きな気晴らしのポルト探検をしておらず、息が詰まりそうで、これではわたしにはいかんのです。

ショック③、軽々しく日記やブログで書くことではないのですが、夫の母が身まかりました。享年97歳。14年間の自宅寝たきり生活でした。今宵はその初七日で、近くの小さな教会でミサがありました。わが母が亡くなった時もそうでしたが、夫の母のことも、もっと時間が経たないことには語れそうもないです。

このように人の力ではどうにもならないことはわたしたちの人生にあります。そういう時、ポルトガルの人はこう言います。
「É vida.(エ・ヴィーダ)」 これが人生というものよ。

本日はこれにて。
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2020年1月15日 

ポルトガル政府は今日から再び昨年3月のように、全国的に自粛生活を要請しました。

これまでは週日はそこそこ通常通りの生活ができ(もちろんマスク付きだが)、週末のみ午後1時にレストランを始め商店という商店が閉店してきたのが、本日より2週間、スーパーマーケット、病院、薬局店等を除いては全面閉鎖です。ただし、学校はマスク義務付け、手の消毒をしながら通常通り。

ロックダウンは恐らく更に延長されて一か月に及ぶ可能性大ですが、とにかく、よほどの要件でもない限り、食糧調達以外の外出は控えよ、となりました。

オフィス関係はテレワークが義務付けられています。祝い事、イベント等の集会はもちろん禁止、レストランの営業は宅配もしくはTake awayのみ、文化施設、ジムなども全て閉鎖です。

昨日1月14日の感染者数は1万を越し死者は140人近くに上り、12日間連続で増加です。
昨春、一日の感染者数4000、5000に目を丸くして恐怖感を抱いたのが、とっくにその数を上回ったということです。それでも、3月のような悲愴感があまり見られないのが救いといえましょうか。みなさん、この状態に慣れてきたとも言えます。

感染者数はインフルエンザより少ない等の色々な意見があるのですが、形を変える得体のしれない武漢ウイルスです。注意するに越したことはないと思っています。

ワクチンができたと言われ、目下ポルトガルでは超高齢者や医療関係者から予防接種がはじまりましたが、わたしはいまいち、本当に効くのか?との疑問があり、できるものならまだ受けたくはないと思っているんです。

ただ、誰かが言っていましたが、未来社会は、パスポート同様に、この予防接種を受けることが条件で海外へ行けることになるかも知れない、いえ、もうそうなってる感じですね。

場合によっては、レストランとかカフェとかコンサート、果てはスーパーマーケットまで、人が集うところへの出入りにはこの予防接種の証明を提出することになるかも、と言っているのを目にして、ぞっとしたところです。

腸チフス・髄膜炎菌・黄熱病などの感染リスクが特に有ると考えられるので、これらのワクチン接種をして渡航せよというアフリカエリアと似たようになるのでしょうか。

武漢ウイルスは文明国を奈落に落としたと言えます。昔読んだ本に、人類はウイルスによって滅ぼされると書いてありましたが、まさか、自分がその入り口に立たされようとは想像だにしなかったことです。

生きにくい世界をそれでも無事、生き抜きたいと思っています。
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2021年1月13日 

かつての歌姫バイト先、懐かしいアサヒビアハウス梅新に向かって知人と一緒に歩いていた。
すると目の前に古い木造建築のアパートが現れ、「二階の右端がモイケル娘の、そしてその左となりが我が東京息子の部屋なんです」と、わたしはその知人に語っている。

アパートは道の角にあり、それを左にして通り過ぎようかと言う時に、息子が建物から出てきた。そして、すぐ右隣にある店に向かった。一瞬のことだが息子の横顔をわたしは見た。そして思った。「うん、後でアサヒビアハウスから電話して呼び、一緒に飲もう」

ビアハウス入り口には、もう亡くなったはずの土佐さんがいて、わたしを見るなり、「お~~、ユーコちゃん」と言う。わたしたちは抱き合って再会を喜んだ。

ビアハウスは、わたしが知っている大理石柱がある内装ではなく、なんだか和様の酒場のようで、少しは驚くべきなのに、わたしはどうと思うことなく店内を奥へと入って行った。

進む途中で大勢の客に交じった杉やんと「おぉ!」と軽く挨拶する。わたしが座ろうとするビアハウスの席は、どうしてか座敷になっており席に着こうというところで、目が覚めた。

枕もとの時計を手に取ってみたら、午前4時前だった。
夢で見た息子の横顔を思い浮かべ、なぜだか急に哀しくなり再びとは寝付けなかったので、起きだしてパソコンのスイッチを入れた。息子のことが気になったのだ。

してみれば、大学の講義がない春、夏の休暇時には必ず帰国してきた息子である、わたしの日本行きを入れると、毎年、年に3回は会って来たのだ。それが、昨年からの武漢ウイルス禍で1年以上も会っていない。一年以上会っていないのはモイケル娘とて同じなのだが、彼女とは孫ちゃんの写真やビデオを送ってくるので、スカイプでしょっちゅうやりとりしている。

オン、オフにかまわず、要件がある時はスカイプにメッセージを残すこのごろだ。「元気にしてる?」と書き送ると、すかさず「元気!」と返事が来た。よかった、何事もなかった。

1年以上も会っていないことへの内なる不満が、ああいう夢の形で出て来たのかと分析したりしている。
すっかり冷えてしまった体を、ガウンの上から両手でさすりながら、再び寝床へ。ポルトはこのところ、朝からヒーターをいれずにはおれない、体がちじまりそうな寒さである。
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2021年1月8日

子供たちが小中学生だった頃の帰国はほぼ3年ごとで、国への想いも一入(「ヒトシオ」と読むのだよ、モイケル娘よ。笑)だった。

「あれもあったらいいな、これも欲しいな」と、3年分の想いがあるので、帰国していざポルトに帰って来る段になると、滞在中に買い集めた物の荷造りで毎回四苦八苦していた。

飛行機に送り込むことができる荷物は、二人の子供たちの分物も合わせて、当時はエコノミクラスで60キロなのだが、とてもそんなものでは収まらなかったのがわたしたちである。

子供たちの日本語教育に必携の参考書やドリル類から、自分が読みたい本、文房具(鉛筆、消しゴム、クレヨンなどの筆記用具は日本製が俄然良質なのであった)、和食器類に及び、日用品においては昔はポルトガルであまり見かけなかったプラスティック容器、果ては洗濯バサミまで持ち込んで、夫や夫の家族は苦笑したものだ。

時が移り、ポルトガルがヨーロッパ共同体の一国となりネットの普及等で今では色々便利になり、値段に余り細かくこだわらない限り、大概の物は手に入るようになった。世界的な日本食ブームで醤油、ダシの素、酒等も近頃はポルトで手に入る。

それで、家族から「船便代に10万もお金をかけるなんて、中身とあまり変わらないじゃないの」と呆れられていたわたしだが、近年は船便荷物を日本から送ることもなくなった。

色々考えると、持ってきた和食器も、どうもいまいち、洋風の食卓には合わない気がするし、第一、食材が違うので、和食器に盛り付ける少量多種のおかずが食卓にたくさん乗ることはなく、せいぜい、ほうれん草のおひたし、白野菜の酢味噌和え、豆腐の揚げ浸しくらいである。和食器は専らわたしが手に持って眺めるだけのことが多くなった。

わたしは時々依頼されると日本文化展を開いたりする。なに、自分が長年少しずつ持ち込んで来た日本の小物をベッドの下の箱に仕舞い込んだままではもったいないと、素人がお披露目をするだけのことなのだ。日本から持って来た物の中でも、わたしが思い切って持ってきてよかったと思うのが、これだ。

傘

唐傘、番傘と呼ばば呼べ(笑)、買った当の本人は「野点傘(のだて傘)」のつもりなのである。

これを探し回るには3週間の日本滞在では無理だと思い、野だて傘もどきをネットで探すのも大変だったのだが、やっと見つけてモイケル娘に事前に買って置いてもらったのだ。

危うかったのは、包んていた紙が分厚かったからよかったものの、当時息子と娘が同居していたアパートに着いてみると、モイケル娘の猫たちが早速に爪とぎにしていたことだ!

「ひゃ~~!」と、猫立ち入り禁止の息子の部屋に移したので助かった。息子の部屋は音楽作曲のpc機器が色々おいてあるので猫が入っては何かと危険なのである。

野点傘(妻折=つまおれ、とも言う)は柄がずっと長いが、値段が安くても7、8万から16、7万円、お茶を点てる(たてる)わけでもないわたしが、ほいほいと買うものではない。 が、わたしはずっと長い間、これが欲しかったのだ。「赤は日本の色」だとすら思っている。日の丸だってそうだ^^

野点傘の何に惹かれたかというと、赤色もさることながら、広げた傘の内側、上部のこれだ。
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安物の傘ですら、かがり糸の美しさには目を奪われる。

これを二本、ダンボール紙でぐるぐる巻きにして持ってきたのですが、日本人はよく手荷物を開けられて足止めを食いがちなポルトの空港、「O que isto?(それは一体なに?)」と、きっと呼び止められるだろうと思っていたら案の定、呼び止められた。笑
「日本の紙の傘です。展示会に使います。」と答えると、中を開けて見ることなく、すっと通ることができた。普段はよく呼び止められるのが、本当に億劫だと思うのだが、その時だけはこの荷をほどいて開き、披露してあげたいくらいだった。

こんな伝統的な日本の美も、ずっと日本に居たら気づかなかったかもしれないと、当時は、小さなこの発見に大人気なく得意げになったものである。

してみれば、このところ、日本文化展をしていない。
武漢ウイルス禍が落ち着いたら、頃合いを見て、多分最後の展示会を催してみたいと思っている。
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2021年1月4日 

年が明けて二日目で、ハーフバースデー、つまり生後6か月を迎えた孫娘の青空ちゃん、首も座り、武漢コロナ禍の中で日々逞しく成長しているようです。

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離乳食も嫌がらずに。

我がモイケル娘も、毎日眠い、きついと言いながらも、どうにか子育て6カ月目にこぎつけ、未だ、朝5時ころには起床だそうで。なにしろ、青空ちゃんの「あ~だだだだ~」で起こされるのだとか。

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鏡に映る自分の顔を見る孫ちゃん。この顔はモイケル娘のこの頃とそっくり!

夕方6時ころには就寝の青空ちゃんとは、ポルトガルの時差9時間では、双方の時間帯が合わず、スカイプでのライブチャットは難しいのですが、毎日のように送られてくる写真やビデオで、孫の成長が手に取るように分かります。

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木のおじさん人形に興味津々

モイケル娘、本当は青空ちゃんの世話だけでも忙しいでありましょうに、こうして送ってくれる彼女には感謝であります。と言いながら、実は2日ほど写真が送られて来ないと、「写真くれ!」とねだるんでありますが。笑

モイケル娘が色々な歌を歌ったり(ベートーベンの運命ジャジャジャジャーンとか、映画ロッキーの主題曲などにはわたしも笑った)、いないいないばぁもそのままではなく、うしろ向きになって、「う~ん」、そして、振り向き顔を見せては、「ねこ!」「う~ん、にんじん!」「う~ん、そら!」などとやって、自分の娘の相手をよくしているので、送られてくるビデオでは、しょっちゅう青空ちゃんの笑いじょうごの声が聞けるわけで、夫とそれを見ては楽しんでいます。

さて、しばらく前までの舌べろ~んブームが終わり、「だんだんだんだん」やら「がんがんがんがん」やらが目下のマイブーム。ねる前の独り言の儀式も始まりました。
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彼女のおじさんにあたる我が東京息子に言わせると、「こりゃ、イタズラ坊主の顔だ」笑

その独り言を聞いて、最初は雑音かな?と思ったのがなんと、「むにゃむにゃ」のおしゃべり前に、しばらく「あRRRRRR」と巻き舌おしゃべりをしてます。「これ、わたしができないポルトガル語「RR」の発音ではござらんか。ぎょえ!6か月にして追い抜かれた!笑

実は青空ちゃん、舌が長くて形がモイケル娘と同じなのであります。今から30年以上も前、我がモイケル娘と初めて対面した時の第一印象は「うは!この子、舌が長い~」だったのです。

日本人の舌は平べったく丸い、ポルトガル人のはたいてい細長いんでありますね、とはわたしの説。
さぁて、孫ちゃんの出てくる最初の言葉がどんなものか、楽しみにしているのであります。

それにしても、ピンクを着ていなかったら、男の子に間違えられるな。笑
本日は、初おばばバカでありました。ごめんあそばせ。
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